RePlus_第一幕_後編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 11:30:38

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第一幕"点火-ignited-"

「ほんま、きり無いなぁ」
 肩で息をつき、騎士杖シュベルトクロイツを構える。飛来する蛭の化物をシールドで
弾きながら、はやては、氷槍を精製し即座に射出する。氷槍に貫かれた化物は、瞬時に
氷結し粉々に砕け散った。一匹一匹の力は、対した事は無い。だが、問題は数だ。無数
に飛来する蛭の化物は、ミッドチルダの空を黒く染め上げ、その数は以前として膨大だ
った。魔道師達がまた一人、また一人と傷つき戦線を離脱する度に、防衛線が押されて
行く。化物の群れは、首都目前に迫っていた。
 そして、大気を震わす咆哮が聞こえ、牛頭の亀が二匹蛭の群れを押し破り姿を現した。
「あかん」
 術式も何も無い、只有りっ丈の魔力を込めてシールドを生成する。牛頭の口腔が振動
し、生臭い匂いが周囲に充満する。
「ヲヲヲオヲオヲ---」
 牛頭の喉が唸り、音の壁を突き破らんとする程の衝撃波が放たれた。第一波は管理局
本部を外れ、遥か後方の山肌を削っただけに済んだが、掠めただけであの始末だ。直撃
すれば、本部が壊滅しかねない。端的に言えば只の大声だが、指向性を持たせた、全長
五十メートルに迫る怪物の放つそれは想像を絶する威力だった
「あぐっ」
 音波と言う相殺し切れない衝撃が、はやての華奢な体を襲う。まるで、体中の骨が、
砕け散ってしまったように痛んだ。怯んだはやてを囲むように無数の蛭が襲い掛かる。
はやては、痛みに気を失いそうになりながらも、氷槍を撃ち続けた。既に管理局側の陣
形は崩壊し、戦場は乱戦へと以降していた。

 シン・アスカは走っていた。
 無我夢中で走っていた。
 自分の内から沸きあがる衝動に突き動かされながら、脇目も振らずに突き進んでいた。
 その果てに待ち受ける運命など"関係無い"とばかりに。

「はぁはぁはぁ」
 はやては、荒い息を付きながら、とめど無く溢れてくる脂汗を拭った。体力、魔力共
に底を尽き掛け、浮かんでいるだけで精一杯の状況だった。戦場は既に首都上空へと以
降し、下を向けば逃げ惑う人々が見えた。不思議な事に、化け物の群れは、一般人に攻
撃は加える事は無く、魔道師達だけに狙いを絞っていた。周囲は蛭、蛭、蛭の群れ。は
やては、
取り囲むように展開した蛭達を、渾身の力を込めて睨みつける。蛭達は、はやてに散発
的な攻撃を仕掛けて来るが、決して致命傷とも言える攻撃は加えて来なかった。時折牛
頭が、思い出しように衝撃波を放ってくる。はやては、その度にシールドを展開し、衝
撃波を相殺する。乱戦の上に消耗戦を仕掛けられ、はやては、精神的にも追い詰められ
ていた。
「何でや」
 だが、いかに疲弊しようと、はやての理性は冷静だった。
(何でトドメを刺しにこうへんの)
 氷槍を放ちながら、周囲を観察する。やはり、化け物達は一般人には、目もくれず、
魔道師達だけに襲い掛かっている。だが、決して魔道師達の命は奪わず、まるで、何か
を推し量るように襲い掛かっている。ショッピングセンターに現れた猿達は、我先にと
人間達を襲っていた。
(何が違うん?)
 習性、趣向、そもそも目的からして違うのかも知れない。だが、人間を襲わないと言
う点に関して言えば、今の状況は有り難かった。自分達が粘れば粘る程に、市民の避難
は安全に行われるはずだ。今この数が一斉に市民に襲い掛かりでもすれば、全てが終わ
ってしまう。
(負けるわけにはいかへん)
 はやては、萎えかけた闘志を奮い立たせ、騎士杖を構え直す。

「ヲアオオアヲアア!」 
(・・・あかん)
 牛頭が衝撃波を放とうしているのが見える。しかし、いかに闘志を奮い立たせようと
も、現実問題として八神はやての体は限界だった。構築した術式が霧散し、瞳が霞む。
牛頭の攻撃の前に無防備な姿を晒す。後方で、蛭の群れと戦っていたシャマルが悲鳴を
上げた。
 牛頭の攻撃の前にして、八神はやては、確かに死を覚悟した。牛頭の咆哮は、自分を
一瞬で挽肉へ変え、後ろに控える魔道師達を巻き込むだろう。 動けと唱えよと、呪詛
にも似た思いを自分へとぶつける。だが、もう、小指一本すら動かなかった。死する瞬
間だと言うのに、不思議と走馬灯は見なかった。只、皆守れなかった事、志半ばで倒れ
る事が、とても悔しかった。はやては、せめてもの抵抗だと言わんばかりに、目を見開
き牛頭を睨んでいた。死の咆哮が、はやてに遅いかかろうとした瞬間、肉が潰れる音と
共に、巨大な大剣が牛頭の全身を貫いた。黒く染まった空に穴が開き、そこから太陽の
光が降り注ぎ、シンの苛烈な雄叫びと共にデスティニーが現れた。

「オオオオオオ!」
 シンの怒りの声と共に、デスティニーが黒い空を突き破り舞い降りた。デスティニー
は爆発的な加速で牛頭に迫り、突き刺さったアロンダイトを掴み、そのまま牛頭を両断
する。牛頭は断末魔を上げながら、ゆっくりと地表へと落下しながら、血の一滴も溢す
事無く跡形も無く消え去る。
 黒く染まった空に、ぽっかりと空いた光の穴。降り注ぐ光は暖かく、絶望を打ち払う
希望の光に見えた。神話のような光景の中で、紅い翼を背負った巨人が光臨した瞬間だ
った。
「…シン・アスカ」
 御伽噺のように現実感が無い戦場で、八神はやては、その言葉だけが確かなものであ
るように無意識にシンの名前を呟いていた。
『八神はやて・・・』
 デスティニーからシンの声が聞こえてくる。良く考えてみれば、当然の事なのだが、
この時、はやてが思ったのは"何故"であった
『下がっていろ』
「は、はい」
 だが、はやての疑問も空しく、シンの問いにはやては、まるで惚けてしまったように
答えてしまう。
「って、アスカさん!一人でそんなん無茶や」
 はやてが正気に戻るより一瞬早く、シンはデスティニーを加速させる。速度を"巡航"
から"戦闘"へと引き上げ、ヴォワチュールリュミエールを最大戦速へと加速させた。デ
スティニーのツインアイが獰猛な光を灯し、飛ぶ軌跡に残像を残しながら残りの牛頭に
襲い掛かる。
「お前らが!」
 アロンダイトを上空へ投げ捨て、デスティニーは、牛頭に一瞬で肉薄し、衝撃波を放
とうとする牛頭の口腔へと"パルマフィオキーナ掌部ビーム砲"を捻じり込んだ。掌底に
内蔵された短距離ビーム砲が唸りを上げ、爆音を立て牛頭を内部から爆砕する。
「お前らが!」
 投げ捨てたアロンダイトを逆手で掴み取り、そのまま振り向きざまに、両肩にマウン
トされている"フラッシュエッジ"と同時に投擲する。大気を切り裂き、牛頭の一匹にア
ロンダイトが突き刺さった。デスティニーは、左背部のウェポンラックから"高エネル
ギー長射程ビーム砲" を抜き出し、残り二匹に向けて連射する。単発の威力では、なの
はのスターライトブレイカーに遥かに劣るが、速射性は比べるまでも無い。
「お前らがあああ!」 
 幾重もの赤茶けた極大粒子砲が、大気を焼きながら牛頭を貫く。粒子砲の嵐から難を
逃れた一匹も、背後から飛来するに二対のビームブーメランに頭部を両断される。
「お前らがあああああああ!」 
 まるで、泣いているかのように、シン・アスカは絶叫した。
 泣きながら、叫びながら、デスティニーは、残る最後の牛頭へと飛翔した。

「これがモビルスーツ」
 はやては、目の前に展開されている、戦闘に目を奪われていた。全長二十メートルも
ある機械の巨人が、素早く動いている事体驚嘆に値するものだったが、何よりはやてが
目を奪われたのは、デスティニーの動きの精密さだった。銃を撃つ仕草一つ取っても、
各マニュピレーターの挙動は繊細かつ大胆。まるで、人間そのものだ。人間の理想的な
動き、武道や剣術の達人の挙動を完璧にトレースし再現しているかのように、空を蹴り
、大気を裂く芸術的なまでの運動性能にはやては圧倒されていた。デスティニーは、ア
ロンダイトを大上段へ構え最大戦速で牛頭へと斬りかかる。なす術も無く両断される牛
頭。いかに牛頭の装甲が強固であろうとも、デスティニーの身の丈程ももあるアロンダ
イトを、あれ程の速度でふり抜かれるのだ。本来ならば、アロンダイトの刀身には、レ
ーザー刃が展開されているのだがあ、そんな事は関係ないとばかりに、単純な巨大質量
による斬撃だけで決着がついてしまう。なす術は有っても、防ぐ術が無いのだ。

 最後の牛頭が斬り捨てられると同時に、無数の蛭の群れが後退を始めた。牛頭が蛭達
を統括していたのか、はたまた全く別の理由からか。兎に角助かった事には違い無かっ
た。黒く覆われた空は、徐々に日の光を取り戻し始める。はやては、アロンダイトを構
えたまま、その場で立ち尽くすデスティニーを見つめた。剣を構え、戦場で立ち尽くす
デスティニーの姿は気高く雄々しかった。だが、それ以上にデスティニーの背中は悲哀
に満ちていた。
 それは、デスティニーと言う機体が持つモノでは無く、パイロットであるシン・アス
カが背負った絶対の孤独だった。どんな酷い目に会えば、こんな寂しく背中になるのだ
ろう。何をどうすれば、こんな悲しい思いを背負ってしまう事になるのだろう。はやて
は、その背中を見つめているだけで、胸が締め付けられるように痛んだ。
「はやてちゃん!」
「うあああああああん」
 大声で泣き叫ぶリインフォースⅡの声が聞こえたと思えば、推進剤過多のロケットの
ように素っ飛んで来たシャマルに二人諸共捕獲される。
「良かった・・・本当に良かった」
 シャマルは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、はやてを力の限り抱きしめた。一瞬
とは言え、最愛の家族が死に掛けたのだ。無理も無い反応だった。
「むぅっぅううう・・・ちょっと待った二人共。気ぃ抜いたらあかん」
だが、このままではシャマルの豊満な胸で窒息してしまう。はやては、シャマルから
辛々逃げ出し息を吐いた。牛頭は倒せたが、未だ蛭の大群が残っている。気を抜く事は
出来ない。未だ戦闘は続行中なのだ。
『来る・・・』
 突然、シンの怒声が鳴り響く。デスティニーが、腰にマウントされていたビームライ
フルを引き抜き、何も存在しない虚空へ引き金を絞った。銃身が加熱し、桃色の粒子砲
が発射され、何も無いはずの"空間"に粒子砲が"吸い込まれ、大きく撓み罅割れた。
 空を覆い尽くす蛭の群れが、罅割れた空へと我先にと殺到する。まるで、台風のよう
に螺旋状に群がった蛭達が一点に収束し爆ぜた。
 世界が崩壊するような爆発的な"黒い"閃光が辺りを包む。視界全てを奪う黒い爆発は
、はやて達の視界を一時的に閉じた。しかし、デスティニーに搭載されていた多目的セ
ンサーは、爆発の瞬間を克明に捉えていた。無数の蛭が一点に集まり、脈動する黒い球
形の塊へと変異し、表面を無数の血管が這い回り、ドクドクと脈動しながら、何かが生
まれ出た。空を覆う蛭の群れは消え去り、目も覚めるような青空の下に、黒く巨大な巨
人が出現した。
 大きさこそデスティニーと同じ位だが、巨人の風貌は、機械工学の精密芸術品と言う
べきMSとは似ても似つかない代物だった。人の影を、そのまま抜き出したような、まる
で、子供が画用紙に適当に書いた落書きのような乱雑な風貌。目も口も耳も無い。人間
で言えば顔に当たる部分には、申し訳程度に紅い瞳が二つだけ付いていた。
 だが、黒い巨人は確かな威圧感と存在感を持ち、そこに存在している。決して幻覚の
類では無く、巨人は確固たる現実として存在している。

 シンは全周囲モニターに映し出された、巨人を殺気に満ちた瞳で見つめる。巨人の動
きを慎重に観察し、敵の攻撃に備えると同時に、デスティニーに搭載されているセンサ
ーを最大活用し、敵の解析に努めた。
「熱源、赤外線、各種センサー反応無し。ソナーも帰って来ない・・・なら」
 正体が分からないのら、先手は逃がす手は無い。シンは、デスティニーを黒い巨人へ
向けて疾駆させる。
 猛スピードで接近するデスティニーを前の巨人は、回避も防御行動も取らず、只そこ
に存在していた。
『オオオオオ』
 巨人に肉薄し、大上段に構えたアロンダイトを裂帛の気合と供に振り下ろした。大気
を暴圧的に切り裂くアロンダイト。牛頭のように、黒い巨人もデスティニーのアロンダ
イトで両断されるはずだった。
 だが、アロンダイトが巨人に命中する寸前、空間が歪んだ。 はやてが、シャマルが、
リインフォースⅡの目が驚愕で見開いた。デスティニーの渾身の斬撃が、灰色の魔方陣
によって受け止められていたのだ。
「あいつ魔法を!」
 はやての言葉に同意するように、巨人の顔が厭らしく笑った。

「はあああ!」
 フェイトの斬撃が空を切る。純粋な速度勝負であれば、ソニックムーブを使うフェイ
トに軍配が上がる。しかし、性質上どうしても二次元的な動きになりがちなソニックム
ーブでは、常に群れで行動し、高さを加えた三次元的な攻撃を仕掛けてくる猿共には相
性が悪かった。加えて、野生動物が持つ本能、超絶的な危機回避能力には舌を巻くしか
無かった。フェイトのバリアジャケットは、猿の強靭な爪と牙に切り刻まれ、薄らと血
を滲ませていた。猿達は、白い大猿を中心に、こちらを囃し立てるように飛んだり跳ね
たりしている。何ら、魔法的付加を持たぬ攻撃手段でこの威力。硬さと速さだけで、こ
ちらのバリアジャケットを傷付ける。侮っていい敵では無かった。
「時間は…あまりかけられない」
時間を消費すれば消費する程、こちらが不利になって行く。単純に考えて戦力比は六
対一。高威力かつ飛び道具の類の魔法は使えない。避難が完了しているとは言え、ビル
の構造基幹部分を傷つけた場合、最悪倒壊させてしまう恐れがあった。
(近接攻撃で直接制圧する)
 頬に流れる汗を拭い、バルディッシュを正眼に構え直す。
『Sonic Move.』
 フェイトは、再度雷光と化し飛翔する。
「キィアアアアアッ!」
 白猿が咆哮し、群れが四方に分散する。
(黒い方は無視)
 フェイトは、白猿にだけ狙いを付け突貫する。地面スレスレに飛翔し、白猿の眼前で
急速浮上。そのまま天井を蹴り再加速し、白猿の肩口目掛けてバルディッシュを振り下
ろす。
「アグッ!」
 だが、脇腹に強い衝撃を受け、そのまま吹き飛ばされる。
(カウンターで合わされた)
 白猿は、バルディッシュが当たる寸前に、その長い足でフェイトの脇腹目掛けて蹴り
を繰り出していた。フェイトは、バーゲン品の婦人服の山に突っ込み、マネキンをなぎ
払いながら、壁に激突しようやく止まる。
フェイトは、衝撃で体中がシェイクされ胃液が逆流して来るのを必死で押さえ込む。
「!?」

 フェイトは、覆いかぶさるように襲って来た猿達の爪と横っ飛びに避け、すぐさまカ
ードリッジをロードし、バルディッシュアをハーケンフォームに変更する。そのまま、
一匹とすれ違い座間に金色の魔力刃で両断する。
(・・・ごめん)
 フェイトは、肉を切る独特の感触に眉を潜めながら、更に速度を上げる。
『Thunder Blade』
 空中に雷の剣が生成され、残りの猿の群れに向けて発射する。
「ブレイク」
 追加単語で剣が爆発し、その際の放電で猿達は動きを止める。その決定的な隙を見逃
す程フェイトは迂闊では無い。
『Haken Saber』
 バルディッシュから三日月の刃が放たれる。拘束で飛翔する刃は、動きを止めた猿達
を両断した。流れるような一連の攻防。止まった時が動き出すように、猿達はドッと崩
れ落ちた。不思議な事に猿達の遺体は、血の一滴の残さず、まるで最初から存在しなか
ったように消え去った。
「アケロナ?」
 自分以外の猿が倒されたのにも関わらず、白猿は、壊れた蓄音機のように意味不明な
言葉を繰り返している。その姿からは、まるで生気が感じる事出来ない。白猿の瞳は赤
黒く爛々と輝きながら、フェイトを見つめていた。
「残り一匹」
『yes,sir』
 その不気味な雰囲気に呑まれまいと、フェイトは白猿に向けて疾駆した。

「アイゼン!」
『Flammeschlag』
 ザリガニ外郭上部で爆発が起こる。鉄をも溶かす爆炎が、ザリガニの外殻に蓄えられ
た魔力弾強制的に誘爆させて行く。
『あああああああ』
 ザリガニが声に鳴らぬ上げ、その巨体が揺らめいた。
「遅くなった、なのは」
「ヴィータちゃん」
 空から、赤い騎士甲冑を纏ったヴィータが、紅の鉄槌"グラーフアイゼン"を背負い現
れる。頼れる副官の登場に、なのはの心が軽くなった。
「随分苦戦してるじゃねぇか」
 ヴィータは、猫科の動物を彷彿させる好戦的な笑顔を浮かべる。
「にゃはは・・・ごめん。でも、気をつけてヴィータちゃん。あいつこっちの攻撃を跳ね返
して来るよ」
「見てぇだな」
『許さぬ・・・』
 態勢を立て直したザリガニが、明確な敵意を備え、針のような触手を伸ばし攻撃してく
る。なのはとヴィータはそれ空中で交わし、それぞれが魔力弾を放った。ザリガニの触手
が命中し、根元の繊毛は爆発し千切れ飛ぶ。
「外皮以外は、攻撃を跳ね返せぇのか」
「なら!レイジングハート」
『OK. Divine Shooter』
「リリカルマジカル。福音たる輝き、この手に来たれ。導きのもと、鳴り響け。ディバイ
ンシューター、シュート!」
 なのはは、ディバインスフィアを生成し、無数の魔力弾を発射する。ディバインシュー
ターは、弾速こそ遅いものの、発射速度は速い。自らの思念誘導によって放つディバイン
シューターによって、魔力弾がザリガニの触手の付け根に全弾命中する。桃色の爆発によ
って触手が根こそぎ抉り取られた。
「ヴィータちゃん」
 なのは、意を汲んだいたヴィータが、なのはの声よりも早く行動する。

「アイゼン」
『Raketenhammer』
 グラーフアイゼンがラーケンフォームに変形。グラーフアイゼンが火を噴き、カードリ
ッジの魔力を糧に爆発的な推進力を得る。推進力に加え、高速回転による遠心力を得たグ
ラーフアイゼンはさながら巨大な削岩機と化す。ヴィータは、四肢をもぎ取られ、達磨に
なったザリガニ目掛けて、渾身の一撃を振り下ろす。グラーフアイゼンの先端部がザリガ
ニの殻を突き破り、内部に食い込んだ。
「今だ!なのは!」
「レイジングハート」
『OK,Master』
 カードリッジが消費され、レイジングハートが唸りを上げる。レイジングハートの回り
に四つの環状魔法陣が浮き上がり、魔力が増大加速して行く。
「ディバイン!」
莫大な魔力はレイジングハートの先端に収束し臨界を迎える。
「バスター!!!」
 荒れ狂う魔力が一点に収束され、桃色の閃光と供に放出される。ヴィータによって罅割
れたザリガニの外殻に、一ミリの狂い無く、正確無比な攻撃をお見舞いする。ザリガニが
まるで、風船のように猛烈な勢いで膨らみ、内部から轟音を立て粉々に爆散した。バラバ
ラになったザリガニの破片が、陽光にさらされ、まるで淡い雪のように、キラキラと輝き
ながらゆっくりと消えていった。
「・・・おっかねぇ」
 久方ぶりに見た、なのはのディバインバスターを見て、顔を僅かに青くするヴィータ。
十年前は、アレをその身で受けたりもしたのだが、良く生きていたものである。
「ふぅ・・・助かったよ、ヴィータちゃん。私一人じゃ危なかった」
「あれだけ景気良くぶっ放しておいて、よくもまぁ」
"どの口が"とは、口には出さない。未だ少女のようなあどけなさを残すなのはだが、エゲ
ツナサで言えば六課髄一の"猛者"なのだ。
口は災いの元だった。

『アアアアアアア!』
 シンの絶叫に近い咆哮が木霊する。デスティニーのアロンダイトを、影の巨人は、剣の
ように変化させた左腕で受け止める。互いの隙を窺うように二機は空を縦横無人に飛び回
る。首都クラナガン上空を二機の巨人が疾駆し、二機が剣を打ち合う度に、吹飛ばされそ
うな暴風が巻き上がる。ある者は、二機の壮大な剣戟に目を奪われ、ある者は、二機の激
闘に世界の終末を見た気になった。只、赤い翼を持った巨人が、自分達を助けようとした
事だけは、朧気ながら理解出来ていた。そんな中で、八神はやても、また、ある意味で二
機の激突から目を放せないでいた。
『オオオオオ!』
 外部スピーカーから聞こえてくる、シンの獣のような咆哮。まだ、少年特有のあどけな
さを残したシンから、今の声は想像する事は出来なかった。
(これが、戦っている時のアスカさん)
 何度から反射的に二機の闘いに割って入ろうとしたが、シャマルとリインフォースⅡに
力ずくで止められた。約七十トンもの巨大質量の戦闘機顔負けの高速機動戦闘中に割って
入ればどうなるか。恐らく愉快な事態にはならないのは明白だった。事実として、消耗し
たはやての防御魔法では、巨人の剣撃を防ぐ事は出来ないだろう。膨大な質量の前に、は
やての防御魔法は、意味を成さず術者をあっさりと押しつぶす。騎士杖を腕が鬱血する程
握り締める。はやては、今何も出来ず立ち尽くす自分が歯痒かった。

 シンの瞳が驚愕に見開かれる。巨人の剣が、翡翠色のビームシールドを透過し、デステ
ィニーの左腕を切断した。
「あぐっ」
 シンの声は、コクピットを襲う衝撃にかき消される。巨人の腕が倍程に膨れ上がり、デ
スティニーの頭部を鷲掴みにする。ミシミシと装甲が軋み罅割れる。
「こいつ!」
 シンは、頭部に搭載されている17.5mmCIWSをフルオートで発射するが、巨人には効いた
様子が無い。逆に巨人の左腕に魔方陣が展開し、掴まれた頭部が閃光と供に爆発する。そ
の衝撃でデスティニーの右目が損傷し、右部モニターが沈黙する。シンは、すぐさま予備
カメラに切り替える。一瞬のノイズの後に、モニターに巨人の赤い瞳が視界一杯に広がっ
た瞬間、デスティニーの背後に巨人の腕が伸び、デスティニーの背部の左翼を引きちぎっ
た。推進ユニットを破損したデスティニーは、空中でバランスを取る事が出来ず、錐揉み
状に落下して行く。地面が瞬く間に目前に迫る。シンは、残った右翼とバランサーを駆使
し、デスティニーの姿勢制御に全神経を費やす。墜落寸前デスティニーは、制御を取り戻
し地面スレスレ並行に飛翔する。限界寸前まで酷使されたデスティニーの推進ユニットは
、突如火を噴き爆発する。
「ちくしょう!」
 コクピットが警報で赤く染まり、コンソールが火花を散らす。デスティニーは、仰向け
の状態で病院横の自然公園に墜落し、地面を抉りながら病院に激突寸前に停止した。丁度
病院に背を向けた形になったデスティニーを、巨人は空から見下ろしながら、デスティニ
ーに両手を向けた。巨人の両腕に魔法陣が展開され暗褐色の魔力弾が生成される。
「こいつ!狙ってるって言うのか!」
 巨人から轟音と供に魔力弾が発射される。
「がああああっ!」
シンは、ソリドゥス・フルゴールとVPS装甲にデスティニーの全出力を回し巨人に猛攻
にひたすら耐え続ける。今シンが機体を動かせば、病院が蜂の巣になる。だが、この猛
攻に晒され続ければ、遠からずデスティニーは破壊される。だが、自分が退けば病院が
破壊される。
(どうしろって言うんだよ) 
 潰れたメインカメラの片隅に、病院から避難する人々が見える。もし、流れ弾が彼等
に命中すれば。シンの脳裏に家族の最後がフラッシュバックする。林の中で逃げ惑う家
族。白い閃光の後、炎に包まれた視界。体を引き裂かれた両親。腕のみを残して、目の
前から永遠に姿を消した妹。
(もう、誰も傷つけさせない・・・そう誓ったはずなのに)
 なんで肝心な時に自分は無力なんだ。シンは、嗚咽を隠そうともせず、コクピット内
で泣き叫んだ。いつも、自分はこうなのだ。力を求め、手に入れて。誰も傷つけさせな
いと嘯いて。結局誰も護れず、自分すら守る事が出来ないまま散っていく。
「ちく・・・しょう」
 大粒の涙が頬を伝って流れ落ちる。

「アスカさん。諦めたらあかん!」
 はやての声が響き、シンが顔を上げる。デスティニーの眼前に、金色のベルカ式魔方陣
が展開され、巨人の砲撃を受け止めていた。
 はやては、騎士杖を振りかざし、無数の氷槍を生成、発射する。氷槍に貫かれた巨人は
、瞬く間に氷つき動きを止める。その瞬間、リインフォースⅡとシャマルの捕獲魔法が発
動し、巨人の足元に翡翠色の魔方陣が浮かび上がり、巨大な鉄鎖が出現する。鉄鎖は、ま
るで生き物のように蠢き幾重に折り重なり巨人を拘束する。
「いまや!」
動きを止めた巨人に向けて、魔道師達がありったけの魔力を込めた魔力弾で攻撃を仕掛
ける。
轟音と爆炎。
 非殺傷設定限界値の魔力弾は、氷漬けの巨人を容赦無く蹂躙する。魔力弾の熱とはやて
の氷が反応し、水蒸気が白煙となって立ち上る。やがて、氷漬けの巨人が姿を現し、ビキ
ビキと音を立てて崩れ落ちる。その様子を複雑な表情で見つめながら、シンは胸を撫で下
ろした。だが、安心したのも束の間、シンの心に耐え難い悲しみが去来する。苦痛にも似
た虚しさが、シンの全てを覆い尽し心を蝕んでいく。
「はは…何やってんだろ…俺」
 結局最初から自分の出る幕など無かったのだ。自分に出来る事は、精々場を引っかき回
す事だけなのだ。自嘲気味に呟き、シートに深く座り込む。いつの間にか涙は乾き、無力
感に打ちのめされたシンだけが残った。
『アスカさん・・・無事ですか?』
 外部カメラが全て死んでいる為、シンからは、幸か不幸かはやての姿を見る事は出来な
かった。

「アスカさん、聞こえてますか。聞こえてるなら返事をして下さい」
はやては、シンに呼びかけ続ける。しかし、大破したデスティニーから帰ってくるのは
、無言だけだった。
(もしかして大怪我を)
一瞬、不吉な感覚が脳裏を過った。コクピット内で傷つき倒れたシンは、巨人の魔力弾
を無防備に受け続けた事からも容易く想像出来た。
(何処かに救助用の緊急開閉レバーがあるはずや)
 はやては、加熱したデスティニーの装甲を恐れる事無く触れる。
「はやてちゃん、何してるんですか」
 シャマルが、はやてをデスティニーから慌てて引き剥がす。ジュッと言う音と共に肉が
焼ける独特の匂いが鼻に残った。
「何って、アスカさんを助けんと。もしかしたら、怪我して動きが取れんのかも」
「だからって、加熱した金属を素手で触るなんて。あぁ、こんな酷い火傷に」
シャマルは、はやての赤く爛れた手を見て、危うく卒倒しかけた。
「別にこんなん大した事あらへん。後で治療すればいいだけや。今はアスカさんの方がっ
!」
「はやてちゃん!」
厳しい声で、はやてを一喝するシャマル。あまり感情を荒立てせる事の少ないシャマル
だが、この時ばかりは、波打つ感情を押える気は無かった。はやては、予想外の人間から
叱責に目を丸くし、やがて悲しむ幼子のように俯いてしまう。
「リインフォースⅡ。検知魔法でアスカさんの容態をスキャンして。状態によっては、医
療班と工作部隊を至急現場に寄越して頂戴」
「了解です!」

 シャマルは、消沈するはやてを半ば無視し、はやての治療を始める。はやての手は痛ま
しく焼け爛れている。このまま放置すれば、一生残る傷になるのは間違い無かった。約十
年と言う長い時間、はやてと時を過ごして来たシャマルだが、ここまで取り乱したはやて
を見たのは初めての経験だった。シン・アスカと言う少年の何が、ここまでこの娘を駆り
たてるのだろうか。シャマルは、今まで感じた事の無い焦燥に身を焦がしながら、同時に
シン・アスカの無事を祈った。己の感情と関係無く、シン・アスカは自分達の命の恩人で
ある。あの時デスティニーが戦闘に割って入り、決定的な隙を作ってくれなければ、化物
達を撃退する事は出来なかったはずだ。
「結果出ましたです。アスカさんご無事です。打ち身や切り傷やありますが、心音、バイ
タル各種許容範囲内ですぅ」
リインフォースⅡが歓喜の声を上げた瞬間、シャマルは胸を撫で下ろした。
「工作班急がせて」
その時、デスティニーのコクピットハッチが、ゆっくりと音を立てながら開いた。巨人
の攻撃で歪んだ装甲が軋んだ音を立てた。薄暗いコクピットの中でシンは、シートに蹲り
体を震わせていた。
「アスカさん・・・」
 はやては、恐る恐る、だが、しっかりとした意志を持ってシンに近寄って行く。
「無事で良かった」
 はやての言葉が聞こえているのか、聞こえていないのか。シンは顔を上げようともせず
、只体を震わせているだけだった。 
「やっぱり何処か痛いん。シャマル急いでこっち」
「俺は・・・」
「えっ」
「俺は一体・・・なんなんだろうな」
 はやてが、その言葉は聞くのは二度目だった。つい先日聞いたはずの言葉は、この間よ
りも重く聞こえた。
「俺は一体・・・何がしたいんだ」
 シンの頬を涙が流れた。同年代の男性が、臆面を気にする事も無く涙を流している。
「えっ、えっ、えええ。あんな、アスカさん。ちょっ、ええっ」
はやては、男の涙と言う初めての経験に面食らい、正直どうしていいか分からず困り果
てる。
「と、とにかく、ここから出よな。アスカさんも怪我してるんやしな」
 強引にシンの手を取り、無理矢理シートから立たせた。もっと抵抗させると思ったが、
案外あっさりと席を立った。今のシンは、まるで、拗ねてしまった小さな子供ようだっ
た。
 そして、子供のように傷つきやすいのだろう、シン・アスカと言う人間は。はやては
、立たせたシンの顔を覗き見る。瞳は真っ赤に腫れ上がり、涙と汗で顔をグシャグシャ
にしていた。はやてはシンの涙を拭い、顔を両手で優しくそれでもしっかりと掴んだ。
「私には何でアスカさんが泣いているのか分かへんけど、一つだけ分かってる事がある
。それは、アスカさんが、助けてくれへんかったら、あそこに居るシャマルもリインの
管理局の皆も助からへんかった事や。ここに皆が無事で居るのは、アスカさんのお陰や
。それだけやったらあかんかな?」
 はやての言葉にシンの瞳が激しく揺れ動く。まるで、今、初めて自分の存在を認めら
れたように幼子のように。その様子を見ながら、はやては「ああ、そうか」と一つの気
持ちがストンと胸に落ちた。最初に出会ってから何となく感じていた思いが、はやての
中で一つの形を成した。
 シン・アスカは深く傷ついている。言葉以上に、どうしようも無く深く辛く、絶望す
る事が出来れば楽だった程に、絶望すら許されない深い悲しみを背負っているのだと。
「だからな・・・」
 はやてが、言い終わる前に、シンの瞳が大きく見開かれる。何も無い空間に、黒い染
みのようなものが沈殿していた。揺ら揺らと蠢きながら、渦を作りながら徐々に集まり
だした。はやても、シャマルも、リインフォースⅡも、局員達も、誰も誰も気が付かな
い。只一人シンだけがその事に気が付いた。
『―――――』
 黒い染みが邪悪に微笑んだ気がした。

 シンは、自分と位置を入れ替えるようにして反射的にはやてを庇う。その瞬間染みは
爆発的な勢いで増殖し、瞬く間にデスティニーを覆い尽くした。
「はやてちゃん!」
 シャマルの絶叫が木霊した。
 シンは、黒い染みがデスティニーを覆う寸前に、ハッチを閉める事が出来た奇跡をま
た、普段祈りもしない神に感謝した。

「・・・あぐっ」
 影に一瞬だけ触れた背中が激しく痛んだ
「アスカさん、ちょっと見せて!」
 シンの背中は、酷い有様だった。影に触れた部分が、服ごと焼け爛れていた。鼻をつ
く刺激臭から、酸に近い物質を浴びた事は分かった。はやては、急ぎ治療しようと不得
意な治癒魔法を使う。だが、不可思議な事に、いざ魔法を使おうとした時、手に集まっ
た魔力が霧散したのだ。これでは、幾ら魔法を構築しようとも、燃料である魔力集まら
ないと魔法は発動しない。幾ら治癒魔法が不得意なはやてでも、訓練生でもやらないミ
スをするなど考えられなかった。
「なんで・・・」
 初歩である魔法すら発動しない。考えられる事実は一つ。デスティニーに覆いかぶさ
る影が魔法の発動を阻害している。
「つまり、この空間では魔法は使えへん…の」
 はやては、その事実に愕然とした。
「っく」
 シンの顔が痛みで歪む。溶かされた皮膚は、骨にまで達し、急いで治療しなければな
らなかった。しかし、魔法が使えない自分に如何ほどの抵抗が出来るだろうか。SS級の
魔道師であるはやてだが、魔法使える事を除けば、まだ19歳の小娘である。出来る事に
は限界がある。狭いコクピット内に閉じ込められ、自分達を溶かし尽くそうとする影に
囲まれ、切り札である魔法も使えない。目前に迫る死を自覚しながら、はやては、傷つ
いたシンを抱きかかえ途方に暮れてしまった。
「八神・・・はやて」
「アスカさん」
 普通なら気絶しても不思議で無い重傷でありながら、シンは意識を朦朧とさせながら
、はやてを見つめていた。
「俺・・・は死ぬのか」
「何を馬鹿な事を!もうちょっと待ってな、もうちょっと待ったら、助けが来るから」
「俺は・・・死にたくないんだ」
 シンは、はやての声が聞こえているのかいないのか、只虚ろな瞳で虚空を見つめてい
た。
「そんなん当たり前や。私だってアスカさんに死んで欲しくない!」
「俺は…こんな所で死にたくない…こんな所で終わりたくない」
 シンの呼吸が弱まり、体が小刻み震えている。
(ショック症状!)
「俺は…まだ・・・誰か・・・を・・・助け」
「あかん、アスカさん!気をしっかり持って」
 はやては。手に魔力を集め続ける。だが、無常にも魔法は発動する事無く、魔力は霧
散する。
「誰かを・・・助け・・・たい・・・もちろ・・・ん・・・あんたら・・・だって。その…為なら…何だっ
て…す…る」
「アスカさん!」
 シンの体が大きく跳ね、シンの意識は急速に闇へと沈んでいった。

「ここは何処だ」
 何も無い広大な空間でシンは立ち尽くしていた。身に纏う物は何も付けず、肌に直接
当たる風が心地良かった。頭上に燦々と輝く太陽と目も覚めるような青空が印象的だっ
た。だが、それ以外何も無い。只、白く何も無い地平が無限に広がっているだけだった
。何をするわけでも無く、立ち尽くすシンの横を誰が追い抜いていった。それが、誰か
は分からない。だが、シンは、とても懐かしい気持ちになった。
 それを皮切りに、次々に人が現れシンを追い抜いて行く。中にはシンの見知った人間
も居た。優しかった両親。愛しかった妹。護るべき人。信頼出来る仲間達。皆シンに振
り返る事もせず、シンを無言で追い抜かして行く。それをシンは寂しいと思ったが、不
思議と悲しいと思わなかった。どれ位時間が立っただろうか。もう数を数える事も馬鹿
らしい程の無数の人間がシンの脇を通りすぎて行った。
 次に気が付くと、目の前に女性が立っていた。 銀色の髪と自分と同じ紅い瞳を持った
女性だった。真正面に立っているはずなのに、不思議と顔は見えなかった。母親やマユ
に似ている気がしたし、ルナマリアやステラにも似ている気がした。レイや議長に似て
いる気がした。今迄出会った誰にも似ている気がした。でも、誰にも似ていない気もし
た。
「あんたは?」
 シンの呼び掛けに女は答えなかった。
「あんたは誰だ?」
 彼女は只微笑み、無言でシンに手を伸ばした。彼女の手がシンの心臓に伸び、紅い光
と供にシンの体に吸い込まれていく。シンは、体を貫かれているのに、痛みや嫌悪感は
感じず、安らぎにも似た安堵感を覚えていた。彼女の手がシンから引き抜かれ、彼女が
再び微笑んだ。シンには、彼女が何を言っているのか理解出来なかった。だが、自分が
やるべき事は分かった気がした。そして、それに必要な物を彼女から貰った事は理解出
来た。彼女の微笑みを胸に、シンの意識は現実へと急速に回帰した。

(何処やここ?)
 八神はやては、白いだけの広大な空間を精神のみで漂っていた。衣服を身に着けてい
なかったが、この場所では、これが当然だとばかりに、別段恥ずかしいとも思わなかっ
た。シンが死んだと思った瞬間、シンの体が紅く輝き、気が付いた時には、はやてもこ
の空間に飛ばされていた。
 青い空と白い大地。
 境界が曖昧な二つの世界で、八神はやては、漂い彷徨っていた。やがて、はやての前
に一つの光の球が現れた。それに触れた瞬間、はやての中に鮮烈なイメージが流れ込ん
で来た。吹き飛んだ幼い女児の手。消し炭となった遺体。泣き叫ぶシン。空を翔ける白
いMS。宇宙に浮かぶ多種多様のMS。空の墓標。赤い機体。金色の髪の少女。赤い髪の少
女。憎しみ。裏切り。デスティニープラン。
 そして、自由と正義に満たされた運命。
 全てが曖昧模糊で漠然としたイメージでしか無い。きっと、再び目を覚ませば忘れて
しまう程の淡い記憶。
 だが、はやては、決して忘れぬものかと、シンの記憶を胸の奥にそっと仕舞い込んだ。

「はああああ!」
「シャアアッ!」
 フェイトの斬撃と白猿の爪が打ち合う度に火花を散す。僅か数合打ち合っただけに、
フェイトの腕に痺れにも似た痛みが走る。コンクリート壁を意図も容易く爆砕する膂力
にフェイトは何度も肝を冷やした。
(・・・読み違えた)
 猿達との連携こそが、白猿の切り札だと思っていたフェイトだが、白猿単体の戦闘能
力の恐るべきものだった。
(多分、私の方が少しだけ速い・・・でも)
 フェイトが最も厄介と感じたのが、白猿の野生の感を言うべき危機感知能力だった。
フェイントを織り交ぜた戦略も、魔法による多角的な攻撃も、全て白猿の"勘"によって
避けられ効果が薄い。こちらの攻撃を反射神経で避けているのでは無く、無意識で回避
している。攻撃面についても同じ事だ。コンビネーションや戦略を考えて、牙や爪を出
しているわけでは無い。獲物を仕留めると言う無意識の上での行動だ。まず、戦略を頭
で考えるフェイトには、相性が悪い敵と言えた。
(せめて、後一人居れば)
 その考えが、フェイトの戦闘思考に一瞬の空白を生む。それを見逃す程、白猿の勘は
間抜けでは無かった。フェイトの戦斧が白猿の牙にいなされ、地面に食い込んだ。フェ
イトは、左肩に鋭い痛みを受ける。
「あぐっ」
 白猿の爪は、フェイトのバリアジャケットを易々と切り裂き、フェイトの白い肌を鮮
血に染め上げる。
「カアアアッ!」
 白猿は、追い討ちとばかりに、大きく息を吸い込み大声でフェイト向かって吼えた。
白猿の咆哮は、フロア全体を振動させフェイトの三半規管を麻痺させる。
「っく・・・」
 立っている事すら困難な眩暈と嘔吐感がフェイトを支配する。眩暈はすぐさま痺れへ
転化し、フェイトの四肢の自由を奪った。フェイトは、バルディッシュを支えにその場
に肩膝を付く。白猿は勝利を確信し、獲物を引き裂くべくその凶悪な爪と牙でフェイト
に襲い掛かった。
『Schlangebeisen』
 白猿の爪がフェイトの命を奪い去ろうとした瞬間、フロアをぶち破り、レヴァンティ
ンの長く伸びた連結刃が白猿を捕らえた。
「全く…好きにやってくれるな」
 驚愕する白猿を尻目シグナムのレヴァンティンが炎を宿す。鉄をも溶かすレヴァンテ
ィンの高熱は強靭な白猿の外皮を燃焼させる。
「お前はやりすぎだ」
一瞬にして燃え上がった白猿。シグナムは、レヴァンティンをシュベルトフォルムに
戻し、白猿目掛けて渾身の一撃を奮う。
「紫電一閃」
 暴力的な熱量と供にレヴァンティンが白猿を切り裂いた。

「無事かテスタロッサ」
「な、なんとか」
 レヴァンティンを鞘に収め、シグナムは傷だらけのフェイトを助け起こした。
「肩を貸そう」
「す、すいません」
「かまわん」

 条件と相性の問題があったとは言え、管理局のエースの一角をここまで消耗させると
は。シグナムの背中を薄ら寒さが駆け抜けた。
「でも、流石シグナムだ。私じゃ、倒せなかったかも知れない」
「お前が敵の動きを止めておいてくれた御蔭だ。でなければ、ここまであっさりとはい
かなかった。それに・・・間に合わなかったのは、私も同じだ」
 シグナムが床に散らばった"被害者"達に悔恨の視線を向けた。
「今回の勝ちは、拾っただけに過ぎない」
 シグナムの言葉にフェイトは無言で唇を噛み締めた。恐らく死者の数は数十人にも及
ぶ大惨事である。
(まただ。またいつもこうだ)
 事件が凶悪になればなる程、いつもフェイト達は後手に回ってしまう。それは、警察
組織を含めた時空管理局の性質上仕方の無い事だったが、痛ましい事件が起こるたびに
フェイトは無力感を噛み締めるのだ。
 やはり、力が必要なのだ。
 誰にも縛られず、縄張り争いや派閥争いとは無縁の"凶悪犯罪"を未然に防ぐ力が。

「こちらシグナム」
 白猿が消えたせいか、若干のタイムラグこそあるが、現場には念話を含めた通信が回
復していた。
「・・・ああ。現場は制圧した問題無い。事後処理は任せ、何!」
 シグナムの瞳が釣り上がり、口調が荒くなる。
「糞っ!テスタロッサ掴まっていろ」
「えっ」
 フェイトが言い終わる前にシグナムは、フェイトを抱きかかえ、屋上への飛翔する。
「シグナム、一体何が」
「首都クラナガンが、管理局本部が強襲されている」
 シグナムは屋上へのドアを破り、滑り込むように飛び込んだ。
「なっ!」
「あれは!」
 フェイトとシグナムの表情が驚愕に包まれた。管理局本部の方向に、確かな存在感を
秘め立ち上る赤い二対の翼。まるで、鳥が翼を折り畳むように、何かを包み込むように
存在していた。首都とは随分距離が離れているはずなのに、篝火のように薄らと熱を感
じる。 だが、そんな事より二人が驚いたのは、赤い翼がから感じる魔力だった。荒々
しく雄々しく、感情のままに燃え盛る炎のように、触れるモノ全てを焼きつくような、
純粋な魔力が立ち昇っていた。

 シャマルの鉄鎖が鋭い音を立ててデスティニーを包み込む。だが、鉄鎖が染みに触れ
た瞬間じゅうと音を立てて溶けて行く。デスティニーを飲み込んだ染みは、その姿を徐
々に姿を縮めていた。染みはデスティニーごと中に居るシンとはやてを溶かし殺すつも
りだった。見る見る内に体積を減らして行くデスティニー。
「こんな事って」
 一難去って又一難。倒したと思った瞬間、すぐさま復活など性質が悪いにも程がある。
「はやてちゃん!」

 シャマルの泣き叫ぶ声が聞こえる。リインフォースⅡは顔を蒼白にしていた。
 染みは、魔法だろうが何だろうか、触れたモノを強制的に融解させてしまうのだ。
こんな理不尽な生物をシャマルは知らない。そもそも生物であるかも疑わしかった。染
みを爆圧で吹飛ばそうと、魔道師達が魔力弾を放つが、染みの表面に僅かな波紋を作る
に留まっている。恐らく染みは熱に弱い。魔力弾を浴びた染みが、僅かに消失したのを
シャマルは見逃さなかった。だが、いかんせん威力が、熱量が圧倒的に足りない。染み
全てを一気に吹飛ばす威力を秘めた魔法の使い手となると数が限られる。その内の一人
は染みの中に囚われてしまっている。
 魔道師達の間に絶望が圧し掛かってきた時、染みに変化が起こった。染みの各所から
蒸気が立ち上り、沸騰するかのようにボコボコと泡立ち始める。
 染みが苦しんでいるのか、デスティニーが苦しんでいるのか。デスティニーは、激し
くその巨躯を揺らす。
「ガアアアア!」
 大気を奮わせるシンの絶叫が周囲を木霊する。それに呼応するかのように、デスティ
ニーが赤く光り輝き、燃えるような赤い二対の翼が染みを食い破った。染みは、双翼の
熱と衝撃で粉々に引き裂かれる。翼はその場で数度羽ばたき、その度に散らばった染み
全てを蒸発させて行く。
 染みの中から、装甲の殆どを溶かされ、無残にも内部フレームを露にしたデスティニ
ーが姿を現した。染みによってハッチは溶かされ、デスティニーのコクピット部分が丸
見えになっている。その中でシン・アスカは、気絶したはやてを抱え、内から湧き出る
魔力の奔流に耐えるように叫び続けている。
滅びを司る悪魔のように、シン・アスカは、衝動のままに叫び続けていた。

「あの馬鹿、手持ちのカードを全部貸してやったってのに・・・この様かよ。全部やり直
しじゃねえか」
燃えるような赤い二対の翼が、透けるような青空に向かって立ち昇る。まるで映画の
ワンシーンのような美しい景色を背後に、男は深く嘆息した。
もう初夏だと言うのに、男は全身冬物のコートに身を包んでいる。男の服装は、黒一
色で統一され、目立つことこの上無かったが、不思議な事に男に気を止めた"人間"は一
人もいなかった。
揺ら揺らと染みの残り滓が、男に助けを求めるように足元に届いた。男は何の躊躇も
無く染みを踏み潰した。
「まぁ養殖もんならこんなもんか」
これで、計画は一から練り直しだと言うのに、男は妙に嬉しそうに煙草に火を灯す。
 男は、汗一つかかず涼しげな顔で翼に包まれたシン・アスカを覗き見る。
「では、続きは次回の講釈でだ。シン・アスカ」
 男は、小さく嗤いながら、まるで、そこには最初から何も無かったかのように忽然
と姿を消していた。

 第一幕"点火-ignited-"