RePlus_第一幕_前編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 11:24:07

「数値安定しています」
「ふむ」
 ゲンヤ・ナカジマ三等陸佐は、ガラス一枚隔てた向こう側でCTスキャンを受けるシンに渋い
視線向けていた。規則正しい電子音が流れる病室で、シンは微動だにせず静かに目を閉じてい
る。僅かに上下する胸に気が付かなければ、死んでいるのかと思うほどだ。
「シン・アスカ、年齢十八歳。オーブ首長国連邦出身。元ザフト所属フェイス。プラント・連
合合同治安維持軍第03部隊所属。健康状態良好、精神鑑定の結果、少々不眠の気があるが、現
役の兵士である事と転移の際の精神的高揚を考慮しても数値的には許容範囲内。管理局の事情
徴集にも積極的に協力しているか」
 ゲンヤは、事前に渡されていたシンの調書を流し読んだ。
「どうにも嫌な感じだな」
「何がですが?」
 ゲンヤはうんざりしながら、隣に控えている娘のギンガに調書を投げて寄越した。
「捜査には協力的だと聞いていますが」
「そう言う事じゃ無い」
 再度ガラス越しにシンを眺める。
「彼は悪人じゃ無い。だが、彼は"殺し合い"が常な戦場に身を置いて来た人間だ。そう言う類
の人間だ。彼から何とも言えない嫌な空気はそのせいだな」
 シンの紅い瞳を思い出す。牙を抜かれた獣のような、全てを諦めたような、だが、それでい
て瞳の奥には燻り続ける意志の光を感じる。
 火と水。光と闇。
 相反する二つの感情が鬩ぎ合い凌ぎ合い支配権を巡って闘い続け、非常に際どいバランスの
上に成り立った理性。ゲンヤがシンに感じたのは、そんなアンバランスさだった。

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第一幕"点火-ignited-"

「検査ですか・・・」
「うん、そうだよ」
 プレーンヨーグルトを頬張りながら、なのはが上機嫌に答えた。
「規則だから。でも、そんな難しく考えなくて良いよ。健康診断だと思えばいいから」
「はあ」
 シンは、トーストを手元に置き曖昧に頷いた。結局昨日は一睡もする事が出来ず苛々したま
ま朝を迎える事となった。昨日の醜態を反芻し、悶々としていた所をなのはとフェイトに朝食
に誘われたのだ。気分では無かったが、長い軍隊生活のお陰か、規則正しい生活が身に付いて
シンは反射的に誘いを受けてしまった。
 実際小腹も空いていたのも事実だった。
「それで、いつですか」
「えっと。急で悪いんだけど、本局で今から」
「俺、道分かりませんけど」
「本局までは、私となのはが随伴するから心配しなくていいよ」
「・・・分かりました」
シンは溜息を付きながら立ちあがる。
「うん、それじゃあ行く前に準備しようか」
「準備。俺は別に」
「いつまでも、病人服のままじゃあ困らない?」
 フェイトに言われて初めて気がついた。考えて見れば、シンは退院してからずっと白い病人
服とスリッパのままだった。

 着ていたはずのザフトのノーマルスーツは当然手元に無く、アンダーシャツとパンツは支給
されていたが、服は着替えていなかった。
「はいこれ、六課の制服。サイズはあってると思うんだけど、きつかったら言ってね」
 なのはから、包装された新品の制服を渡される。カーキ色の制服は、もう見慣れてしまった
六課の制服だった。二人に促され部屋に戻り袖を通す。ザフトの赤服の派手なものと違い、地
味で無骨なデザインだが、ザフトや連合には無い堅実さを感じた。ネクタイを締めようと思っ
たが、幸か不幸かザフト制服にはそれが無かったし、背広を着る機会も経験も無かった。
元々、一応エリートの証明でもある赤服ですら、詰襟をだらしなく開けていたシンである。
 例えネクタイがあったとしても、締めて勤務したいたかは疑問であるのだが。
 そんな経緯が有ってか無かってか、ネクタイを締めた経験が無いシンは、鏡の前でネクタイ
片手に困り果てていた。
「締めなきゃ不味いよな・・・やっぱり」
 と言うか、これしきの事が出来ない自分の非常識さを恨んだ。
「アスカさん、準備いいかな」
 なのはの声が聞こえドアが開く。
「はい。終わってます」
 シンは、慌てながらネクタイを無造作にポケットに捻り込んだ。当人は隠せたつもりだった
かも知れないが、シンの子供のような仕草は二人にバッチリ見られていた。シンは決まり悪そ
うに二人から視線を外し、極力平静を保とうと無愛想を装う。その様子を見たなのはは、ポカ
ンとしながら見つめ、後ろから覗き込んでいたフェイトは忍び笑いを漏らした。
「これは、こうするんだよ」
 フェイトはシンからネクタイを取り上げ、手馴れた手付きで結んで行く。柔らかな金色の髪
がシンの頬を撫で女性の甘い匂いが鼻腔を擽った。
「はい完了。苦しく無い?」
「あ・・・ああ。ど、どうも」
 シンの様子が可笑しかったのか、なのはとフェイトは顔を合わせ二人で微笑み合った。

「「お疲れ様です」」
 ゲンヤに敬礼し、なのはとフェイトは処置室横の検査室からガラス越しにシンの様子を覗き見
る。二人は、シンをクラナガンに送り届けた後、定例報告の為本部会議に出席していた。本来な
らば、はやてが出席するはずのだったのだが、シンの検査に立会いたいと昨晩遅くに突然会議の
代理を頼まれたのだ。
「彼の様子は?」
「どうにも問題無い。調書通りだ。調書通り、遺伝子を弄くった形跡が見つかったわけだ」
 なのはとフェイトの顔が僅かに固くなった。
 事前に聞かされて居た事とは言え、改めて聞かされるとあまり気持ちの良い話では無かった。
「ナチュラルとコーディネーター。受精卵の段階で遺伝子を操作し、普通の人間以上の性能を持
つ人間を生み出す技術。元々は、外宇宙の過酷な環境に耐える為の処置だったそうだが、それが
原因で彼の世界は大規模な戦争が起こったそうだ。持つ者と持たざる者の差は大きい。それが、
人類全体の妬みや憎しみに変わるまで、さほど時間は掛からなかったんだろうな。全く世知辛い
な」
 防音処置が行き届いた検査室の声は、処置室に聞こえる事は無い。特に今日はシン・アスカ本
人の身体的な特徴を丸裸にするのが目的の検査なのだ。用心を重ねるに越した事は無かった。唯
一の救いは、シン自身のコーディネートは健康面だけであり、コーディネーターと言う存在が決
して闘いの為に生み出された存在では無いと言う事。あくまで一技術が齎した悲劇であると言う
事だった。
「しかし、お前さんらの隊長も難儀な奴を拾ってきたな」
「拾ったってそんな犬猫じゃ無いんですから」
「そっちの方が幾分かマシな気がするがな」
 ゲンヤは溜息を付きながら、処置室へと視線を戻した。
「それで、はやては何処に」
 フェイトの問いにゲンヤは無言のまま顎で処置室を指す。
 視線の先には、処置室の隅でパイプ椅子に座り、検査を見つめるはやての姿があった。
「最初はこっちに居たんだがなあ。思う所があるとか言って、途中で向こうに行っちまった」
 ゲンヤは肘を付き、珍しい物でも見るかのように目を細め、はやての様子をにやけながら眺め
ていた。

「体を楽にして。質問には、はいかいいえで答えて下さい」
「はい」
 処置室では、身体検査が終わりポリグラフによる心理検査が始められようとしていた。医師の
質問を聞いているのかいないのか、変わらず瞳を瞑ったままだ。シンは身じろぎせず、やや猫背
気味に椅子に座り質問に答えた。
「貴方の名前は、シン・アスカですか」
「はい」
「出身はオーブ首長国連邦」
「はい」
 何でも無い質問が続き、グラフはピクリとも動かなかった。
「貴方は軍人ですか」
「はい」
 シンの答えに、神妙な顔で検査を見ていた、はやての眉が僅かに動いた。
『俺は前の世界で兵士だった』
『だから、当然人も殺してる』
『戦争に負けて、全部失って、それでも生きている俺は・・・俺は一体何なんだろうな』
『ごめん。忘れてくれ』
 はやての脳裏に浮かんでいるのは、昨日の屋上での会話だ。攻撃兵器に乗って現れた人間が軍
人だと推察するのは簡単だ。MS程の大型兵装なら、整備や運用の観点から考えて一個人が扱える
代物では無い。
 当然、はやてもそんな事は理解している。理解していて尚困惑している訳は、シン・アスカが
軍人で在る事と、シン・アスカが人殺しである事がどうしても結びつかなかったのだ。まだ成人
前の年下の少年が戦争に関わっていたと事実は、はやてを憂鬱にさせた。シン本人に聞いた訳で
は無いが、恐らく常に最前線で戦っていたのだろう。当然自分を含め、なのはやフェイトも幼少
の頃から管理局入りし、ロストロギアや次元間事件に関わってきた。当然犯罪者とのドンパチな
ど珍しくも無かった。珍しくも無かったが、シンと自分達には、水と油のように決して埋める事
の出来ない溝があるように感じた。

(だから、こんなに気になるんかなあ)
 腕を組み眉間に皺を寄せて唸る。昨日の会話が無かったとしても、はやてはシンを一目見た瞬
間から、どうにも目を離せなくなっていた。一目惚れと言った華やかなモノでは無く、もっと心
の根幹に起因する原始的な感情だ。はやて自身、感じた事の無い感覚に戸惑いを覚えていた。
 一昨日見た謎の幻視の事をはやては、まだ誰にも話していない。
 デスティニーと形は違っていたが、幻視内のロボットは恐らくMSだ。そして、時を同じくして
現れたシン・アスカ。無関係と言い切るには浅はか過ぎる。
 次元世界における質量兵器の根絶も管理局の任務なのだ。捨て置ける事態では無い。何故自分
だけと言う謎はあったが、今考える事では無いと自分に言い聞かせた。
 重要なのは、シン・アスカが何故この世界に転移して来る事になった理由だ。エリオとキャロ
の報告から、シンが転移して来た際に確認された魔法陣は、古・近代ベルカ式でも無ければ、次
元世界に広く浸透しているミットチルダ式でも無かったと言う。シンの世界には魔法は存在しな
い。シンが知らないだけの可能性もあったが、それ故に全く未知の術式の可能性が高かった。
(もしくは、ロストロギアか)
 ロストロギア犯罪の可能性と巨大質量兵器の出現。
はやての勘が、両者が無関係では無いと告げていた。

 健康診断とも尋問とも言えない検査は、数時間にも及び、開放された時には既に正午を回ってい
た。なのはとフェイトは別件で外回りに出ている。処置室に居たはずのはやては、いつの間にか居
なくなっていた。気まずさからかシンは、突然処置室に現れたはやてに戸惑ったが、居なければ居
ないで妙な気分になった。
 結局暇潰しがてらに、局員の一人に案内された食堂で一人遅い昼食を取っていた。仕事柄食べれ
る時に食べて置かないと落ち着かないのだ。
「席宜しいですか?」
 視線を上げるとそこには、トレーの上にミートスパゲティを持ったはやての姿があった。
 シンは、はやての太陽のような明るい笑顔に面食らいながら、努めて平静にカレーを飲み込んだ。
「あ、ああ」
「おおきに」
はやては、シンの正面に堂々と座り自分も昼食を取り始めた。
 時間が時間だけにあって、食堂に人は多くない。だが、美人だが浮いた話が話も無い、あの八神
はやてが誰とも知らない男と一緒に食事を取っている。食堂を通りかかる職員達は、二人を物珍し
そうに見ているし、腹を空かせているはずの訓練生や研修生も箸を止め、小声でひそひそ話を始め
てしまう始末だった。
 シンは、どうにも居心地が悪くなり、急いでカレーを胃へと流しこみ足早に席を立とうとするが、
はやてに呼び止められる。
「何もそないに急いで行く事あらへんで、アスカさん。それに、足も無しにどうやって、隊舎まで
帰るつもりなん?」
 最もな疑問だ。行きは、なのはとフェイトに送って貰ったが、考えて見れば帰りの段取りを聞い
て居なかった。
「なのはちゃんとフェイトちゃんは、仕事が長引いとるみたいやからね。帰りは私がアスカさんを
送る事になってるんや。だから、悪いねんけど、私が食べ終わるまでもうちょい待ってくれんかな」
 土地勘もお金も無いシンだ。自分で勝手に帰ると言う選択肢は端から選べなかった。だが、この
まま素直に座るのも何だか負けた気分がした。

「何がいいですか」
「お、おおきに」
 結局シンは、自分は何がしたいのだろうと、大いに悩むのだった。
 
「ふぅ。ご馳走様」
 たっぷり時間をかけてはやてが食事を終える。ワザと時間をかけて食べられたと思うのはシンの
性格が捻くれているからだろうか。
「ほな、いこか」
 食べ終わるや否や、はやてが席を立つ。
 会話らしい会話も無いままシンもそれにに習い席を立った。終始無言で二人並んで廊下を歩く。
「検査どうでした?」
「どうって。俺は検査される側だし。別に何とも」
「そう言うんじゃ無いんやけど・・・まぁええか」
 何が良いのか分からないが、シンも深くは考えなかった。
「昨日はすまなかった」
「何が?」
「屋上で愚痴ったりして。聞いてて、気分悪かっただろ」
「ええよ、別に。誰にでも、何か聞いて欲しい時ってあるし、それは、当然あたしにもありますし」
「助かる」
 ホッとしたのも束の間、不意にはやてが立ち止まる。顔を伏せ表情が見えない。
「なぁ、アスカさん。もしかしたら、気分悪してまうかも分からへんけど、聞いていいかな…何であ
んな事言ったん?」
「それは」
 シンは、口ごもり立ち止まる。はやては、決して視線を合わせようとしないシンに業を煮やした
ように詰め寄った。
「アスカさんが、どんなつもりで私に言ったんか分からへんけど・・・あんなん急に言われても私困っ
てまうよ」
 当然だとシン自身思う。自分だってほぼ初対面の相手にそんな事を言われれば、困惑する意外出
来ない。
「きっと、私には想像も出来んような酷い体験をしたんかもしれへん。でも、私はそれ理解しよう
と思わへん」
「そうだな…」
 シンも自分の思いを分かって欲しいとは思わない。自分の想いが腐っていくのを感じながら、何
の手も打てず打たず、まるで守る事だけが贖罪だと言わんばかりに日々を過ごす事がどれだけ苦痛
だったか。
「でも、幸いにも人には言葉ある。だから、辛いなら辛いって言わんと、人は分からへんのよ」
 瞬間シンは全身の血が沸騰したような感覚に駆られる。鋭く鈍い怒りが全身を駆け巡り、堪えよ
うも無い絶望が弾けた。
「あんたに何が分かるってんだ。こんな、平和そうな世界でのうのうと暮らしてるあんた達が」
「アスカさん。私はそんなつもりや…」
シンの瞳に怒りが宿る。
「じゃあどんなつもり何だよ。何で俺に構うんだよ。こんな正体不明の人間にどんなお人好し…アン
タは一体何なんだ。いや、アンタだけじゃ無い。出会う人間、出会う人間、皆が皆嘘みたいなお人好
しで。ああ、そうかこんなお人好しの連中ばっかり集まってるから、この世界はこんなに平和なんだ
な。お人好しの連中は何でも魔法で解決かよ。全くお手軽でいいよな。だから、こんなに平和惚けし
てられるんだよ」

 言い過ぎた。八つ当たりだと思ったが、一度開いた口は止める事は出来ない。 シンは、決壊した
ダムのように鬱屈した想いを吐き出した。
「ごめんな」
 はやて、シンを睨みつける。次の瞬間、左頬に鈍い痛みが走った。平手打ちされたのだと気が付く
までに随分時間がかかった。
「私一人に怒るんは別にかまわへんよ。でもね、アスカさん。アスカさんから見たら平和惚けした人
達が守ってる、平和惚けした世界かもしれへんけど、私達は、その平和惚けを命と誇り賭けて守って
んねん。こんな平和でも、多くの人々の想いの上に成り立ったものやねん。皆の日々の努力と想いを
馬鹿にして無碍にする事だけは、ちょっと見過ごせへん」
 叩かれた頬が鈍く痛む。だが、それ以上に痛かったのは心だった。
 自分が間違っている。
 シンは、自分が間違っているからこそ、ここで間違いを肯定し謝罪する事が出来ないでいた。
「何か言いたい事あるん」
 当然ある。山ほど有る。一生涯通して語りつくせない程ある。言葉に出来ない思いが、口腔を伝い
声に出そうになる。だが、言葉にはならず、僅かに声帯を揺らしただけに留まった。シン・アスカに
出来た事は顔を俯け、はやての真っ直ぐな視線から逃げる事だけだった。また一つ自分の気持ちが腐
っていくを感じる。昔にあった強い気持ちが腐っていく。腐食した鉄のように、赤錆びた思いだけが、
シンの体を支配して行く。

 本来なら、それで終わり。
 ミッドチルダに転移したシン・アスカの運命は、自分の思いに食い潰されながら、静かにその運命
を終えるはずだった。
だが、シン・アスカに課せられた運命は、彼に安穏とした人生を遅らせるつもりは無かった。
仮面を付けた道化師がカラクリ人形を繰り続ける。
 予め定められた運命が壊れ行く。今までの運命は何かが足りないとばかりに、繰り返し加え続ける
何者かの意図。舞台役者は未だ出揃っていない。しかし、何者かが描いた脚本は、演出家の思惑を強
引に破綻させた。
 それこそ、運命と言う名の列車を脱輪させる程暴力的に。

―――ワタシハダレ

 果たしてその声を聞いた人間がミッドチルダに何人居ただろうか。
 小さく淡く儚い羨望に満ちた声が次元世界全土に響き渡った。
 今静かに運命の開幕ベルが鳴り響く。

ミッドチルダ西部商業都市ショッピングセンター。夕食時の買い物で賑わう時間帯。例に漏れず、
安く良い物を買い求める主婦達が東方西走する時刻だ。皆、家に帰る夫や子供達の為に少しでも美
味しい物をと知恵を絞るのだ。そんな極有り触れた日常の一コマが、この世の物とは思えない叫び
声を皮切りに惨劇の坩堝と化した。混雑するショッピングセンターに泥沼のような影が出現した。
「ウケラアア?」
「アケラ?」
「アロウラネ?」
「ナーハネジズ?」
 明らかに人間の声では無い。泥の中から、薄ら笑い、せせら笑いこの世の全ての災いを含んだよ
うな不吉な声が響く。不意に不気味な声が止み、幾つも影が泥を破り飛び出た。それを何と例え得
れば良いのだろうか。簡潔に言えば猿だろう。だが、成人男性程の大きさもある猿など聞いた事も
無かった。突如出現した猿達は、驚異的な身体能力でショッピングセンター人間を蹂躙し始める。
 ある者は頭を。ある者は腕を。ある者は足を。猿達はさも当然だと言わんばかりに、そこに居合
わせた人間達を食らい始めた。

「こちらワルサー005、陸士第202部隊・・・本部・・・至急救援」
「何なんだよコイツ」
「攻撃が、攻撃が、ああ」
『闇…光…影…魂』
 時を同じくして、ミッドチルダ東部に、雲を切り裂き巨大な生物が出現していた。その全長約三
十メートル。
『影…魂…器…溢れる』
甲殻類の特有の持ち、尻尾のような長い足を持ち、まるで人間のように薄らと嗤った。 
『死ね』
 
「あぐっ」
「っく」
 シンとはやては同時に鋭い頭痛を覚えその場にしゃがみ込んだ。 しかし、頭痛は一瞬で過ぎ去
り、次に二人を襲ったのは耳を劈くような警報だった。
「はやてちゃん、大変なんですぅ」
 はやての正面に当然ウィンドウが開き、酷く脅えたリインフォースⅡが映し出された。
「どないしたんリイン」
「兎に角早く第三発令所まで来てくださぁい」
 只事では無い。はやては、慌てふためくリインフォースⅡを宥め、シンを放って通信室へと急い
だ。
「遅れました」
「はやてちゃぁぁん」
 通信室に入るや否や、リインフォースⅡが泣きながらはやての胸に飛び込んできた。
「酷い、酷い、酷いです。あの子達酷すぎるんですう」
「ちょっと、リイン。どないしたん」
 はやては、我を忘れて泣きじゃくるリインフォースⅡの肩を擦り席に着いた。第三発令所には、
既に幾人かの佐官達が到着しており、その中にはゲンヤ・ナカジマの姿があった。
「来たか」
「一体何があったんですか」
「見れば分かる」
 リインフォースⅡを宥めながら、大型モニターに視線を移した。
「これは・・・」
 はやての目が見開き、喉の奥から胃酸が逆流する。思わず手を口に添え、必死に嘔吐を堪えた。
 モニター中には、まるで、地獄の一部を切り取ったかのような惨劇が広がっていた。平和なはず
のショッピングセンターは、食い散らかされた人間の体で埋まっていた。
「ショッピングセンターの監視カメラをジャックした。若干の誤差はあるが、ライブ中継だ」
ゲンヤの顔は怒りに染まり、手は鬱血する程固く握り締められていた。
「これは・・・」
「今の所、正体不明の化物で非常に危険な存在としか言いようが無い。奴等、何の転移反応も見せ
ず突然現れやがった。現場に急行した現地魔道師の連中とは連絡が取れん。恐らくはもう・・・」
 ゲンヤは、口を詰まらせながら、モニターに釘付けになっている。モニターには二分割され、左
側にはショッピングセンターが、右側には正体不明の巨大生物と魔道師達が対空戦を繰り広げていた。
「ザリガニの方は、部隊の展開が速かったから何とかなったが、どうにもショッピングセンターの方
は後手に回っている。ザリガニに比べて、猿の方は足が速すぎる」
ザリガニとは言い得て妙だが、ゲンヤの言い分は間違っていない。繊毛のような触手を除けば、赤
黒い外殻と巨大な鋏は、まさにザリガニそのものだ。

「対応は?」
「猿の化物には、お前さんの所のフェイト・T・ハラオウン。巨大ザリガニには、高町なのは。
それぞれ、直援にライトニング、スターズ副隊長。後方支援に陸士107、109部隊を付けた。
許可は事後になったが、かまわんな」
「かまいません」
 管理局稀に見る大編成である。それ程までに不特定生物の危険性を示唆していた。
「なのはちゃん、フェイトちゃん」
通信ウィンドウを開き、二人に通信を取ろうとする。しかし、画面には砂嵐が映るだけで映
像は愚か音声すら入って来ない。
「現場区域に非常に高度なジャミング領域が形成。状況分かりません」
 通信士官が叫び、はやての目が見開いた瞬間、管理局本部に激震が走った。 

 全力で空を翔け、機動六課ライトニング分隊フェイト、シグナム両名は程なくショッピングセン
ターに到着した。フェイトは、現場仕官から現状を聞くや否や脇目も振らずショッピングセンタ
ーへと飛翔した。最初の警報より既に三十分が経過している。対象の運動能力と残虐な性格
を考える限り、既に内部に生存者が居る可能性は低い。だからと言って、指を拱いている訳に
行かない。誰か生きている可能性がある限り、自分は諦めてはいけないのだ。
 フェイトはバルディッシュ・アサルトを握り締め、全神経を張り巡らせる。
「敵の能力は未知数・・・シグナム」
 通信を試みるも、帰ってくるのは耳を劈くようなノイズだけだ。無駄だと重いながらも、念話を
試し見るが結果は同じだった。対象の仕業かどうか不明だが、現場には強力なジャミング領
域が展開され、通信機器・魔法の類が阻害されている。恐らく、ザリガニの方に同じ現象が起
きているに違いない。
 現状、シグナムが現場魔道師と107部隊と協力して、市民の保護を行っているはずだ。避難
誘導が完了され次第、現場は結界によって封鎖される手筈になっている。
 フェイトの目的は要救助者保護兼威力偵察を兼ねた強襲突破。
 元々近中距離、高機動戦闘に優れたフェイトの戦闘スタイルは、まさに打ってつけと言えた。
 フェイトの瞳が高速で動く黒い影を捉えた。
「アケラケ?」
「コッハミジ?」
 まるで酔っ払っているかのように軽快に、愉快に、高らかに、謳い舞う猿ども中心に一際大き
な白い猿が姿を現した。群れの長たる白い巨猿の暗く濁った赤い瞳がフェイトを貫く。気を抜け
ば殺される。理性よりも先にフェイトの経験と本能が猿の危険性を見抜いた。
『Sonic Move.』
 バルディッシュ・アサルトが金色に輝き、フェイトは一筋の電光と化した。

「レイジングハート。アクセルシューター!」
『All right. Accel Shooter.』
 魔方陣が展開され、桃色の魔力弾がザリガニの外殻へと迫る。桜色の魔力弾は、色こそ穏
やかだが、なのは程の魔道師の放つアクセルシューターは、その一つ一つが必殺の一撃だ。
 どうにか戦闘能力を奪おうとするが、敵の意外な能力になのはは、思わぬ苦戦を強いられて
いた。必殺の魔力弾がザリガニの外殻に命中する。しかし、魔力弾は爆発せず形を保ったまま
、その全てが、なのはに跳ね返って来る。
なのはは、舌打ちしながら、アクセルシューターをアクセルシューターで撃墜し、ザリガニから
距離を取った。先刻より既に数合、同じ手を繰り返し膠着状態に陥っている。どれだけ、魔法弾
を放とうとも、ザリガニは、その不可思議な力で魔法を停滞、反射させてしまうのだ。
現にザリガニの外殻のは、魔道師達が放った無数の魔力弾がにへばり付き、なのはアクセル
シューターに交えて放射して来るのだ。
ディバインバスターやリミッターを限定解除したスターライトブレイカーならば、ザリガニの外殻を
破れる自信はあった。だが、問題は、全力射撃すら跳ね返された場合である。
S+級魔道師であるなのはが、最高威力の魔法が周囲に及ぼす被害は考えるまでも無かった。
「せめて、はやてちゃんが居れば」
 なのはは、熱エネルギー主体の魔法を扱う魔道師だ。基本的に捕縛系や氷系の魔法は苦手
なのだ。さりとて、フェイトやシグナムのように突破力主体の魔道師でも無い。はやてのような広
域型であれば打てる手が違って来ただろう。
 膠着状態であるが分が悪いのは、なのはの方だった。ザリガニの飛行経路を算出した結果、ザ
リガニは、後一時間程で小さな地方都市上空に差し掛かる。ザリガニの外殻には、未だ無数の魔
力弾が付着している。
 もし、都市上空で魔力弾を解き放つ事になれば、大惨事は免れない。
「それは絶対させないよ」
 時間は残り少なく、打てる手を選んでいる暇は無くなっていた。

 管理局中に警報が鳴り響き、随所で緊急事態を告げる警告表示が乱れ飛ぶ。管理局本部を揺るが
した衝撃は、刹那はやての意識を刈り取った。
 横を見れば、何処かに頭をぶつけたのかリインフォースⅡが目を回している。佐官達も頭を振り
ながら、現状を確認しようと情報を集め始めた。
 只一人ゲンヤだけが、あの衝撃の中態勢を崩す事無く、厳しい顔でモニターを見つめていた。
「こいつは・・・」
 ゲンヤの呟きと同時に、緊急警報とは別の警報が管理局に鳴り響いた。
「これは・・・特一級警戒警報・・・内容は…管理局本部への直接強襲!」
 はやての前にあらゆる警告警戒ウィンドウが現れる。
「管理局本部南西12km地点に転移反応。現在出現中の対象と同系統の飛行型巨大生物他多数出現。経
路算出します・・・やだ、何これ。全部こっちに向かってきてる」
「数は!」
「5、17、34、65、嘘まだ増えてる」
 通信士の声は既に悲鳴に近い。正体不明の巨大生物の襲来。ゲンヤも長い間管理局に勤めているが、
このような事態は経験に無かった。
「遠視魔法。いや、光学映像出るか」
「了解・・・不鮮明な部分をCGで補正します。超長距離望遠、3、2、1・・・コンタクト。光学映像でます」
「なんや、これ」
大型モニターに映し出された謎の生物群を簡潔に表すならば"化物""怪物"と表すのが一番適格だろ
う。
 体は亀で有りながら、首から上が牛。甲羅から生える腕と足が巨大な鋏をしている。尻尾に当たる
部分が無数の蛇が蠢いている。生き物としての統一性がまるで無い。まるで、子供が壊した玩具を、
出鱈目に復元したような無秩序さだ。そして、その周囲を蛭に似た生物が無数に浮遊していた。はや
ては、趣味の悪いホラー映画を見ているようだった。
「不味いな。連中真っ直ぐにこっちに向かって来てやがる」
 ゲンヤの言う通り、謎の怪生物群の予測進路は、首都クラナガンを目指していた。
「ナカジマ陸佐。私も出ます。幸いうちは広域型の魔道師です。対象がどのような能力を持っていた
としても、私なら即座に対応する事が出来るはずです」
 既に状況は推移している。後十分もすれば、敵の先遣隊が首都上空へと辿り着く。考えたくは無いが
、あの化物どもが、ショッピングセンターに現れた猿どもと同じような生き物ならば、数からして未曾
有の大災害の可能性がある。
 今からでは避難誘導も後手に回る。一般市民の大量虐殺・それだけは絶対に避けねばならない。
「頼めるか」
 ゲンヤは、はやてに厳しい目を向ける。迎撃のチャンスは恐らく一何度も無い。
八神はやての広域魔法によって、迎撃の為の時間を少しでも稼ぐ。
「はい」
 言うや否や、はやては目を回していリインフォースⅡを引っつかみ走り出した。

「何なんだよ一体」
 まるで、大地震でも起きたかのような衝撃が走り、次の瞬間には警報が鳴り響いていた。
『現在首都クラナガンに特一級警報発令中。関係職員は、マニュアルに従い・・・』
「特一級警報?」
 どうにも物騒な響きだ。ここまで派手な警報が鳴り響いているのだ。只事では無い。だが
、そんな事を考えなくとも、シンは直感で理解した。肌を刺すようなピリピリとした雰囲気。
自然と唇が乾き、思考が冴えてくる。シンの横を走り抜ける職員にも、心無しか余裕が無い。
大きく息を吸えば、慣れ親しんだ空気が肺を満たした。
確かめるまでも無い。今ここで、戦争が起こっているのだ
「けど・・・」
 だからと言って、自分に何が出来るのだろうか。MSも取り上げられ、満足に戦う事も出来
ない自分が出て行ってどうすると言うのだ。
「そうさ・・・結局全部魔法で片付くんだろ」
 昨日なのは達が見せた魔法が、シンの脳裏を蹂躙する。
 今のシンに取って魔法は、全てを救う万能の道具に見えていた。
「アスカさん?」
「あんたは」
シャマルはシンを見た瞬間、思わず息を飲んだ。シャマルが、シンに出会ったのは偶然だ
った。はやてから連絡を受け、医務室から飛び出た瞬間シンに出くわしたのだ。シャマルは
、焦点の合わない虚ろな瞳をしたシンを見た瞬間、まるで亡霊のようだと感じた。つい先日
までは、シンから人間らしさを感じていたが、今は微塵も感じる事が出来ない。まるで、機
能停止寸前のロボットのようだった。
「警報聞いて無かったんですか。早く避難しないと危ない・・・」
「ああ」
 まるで、他人事のように呟くシン。警報の意味が分からないのでは無く、今そこに迫る危
機をまるで認識出来ていないようだった。
シンの能面のような表情からは何も読み取る事も出来ない。
 言い方は悪いが、シンだけが自滅するのならばなんら問題無い。しかし、こういった症状
を見せた人間は、必ずと言って程悪い運命へと他人を巻き込むのだ。こちらが、いかに真摯
に話を言い聞かせても、聞いている素振りは見せるが、その実話を全く聞いていない。
(厄介な)
 シャマルは、優秀な魔道師であり、医師としての顔も併せて持っている。その両方から見
ても、今のシン・アスカは、とても厄介な存在だった。とても、放っておく事など出来ない。
しかし、シンにばかり構っている事は出来ない。人が居れば、シンの事を任せて自分も直ぐ
に前線へと向かうのだが、運悪く周りに人影は無かった。
 シャマルの端末が鳴り、空中に通信ウィンドウが開く。
『シャマル、聞こえる』
「はやてちゃん」
 突然のはやてからの通信に、シンの目が見開いた。
『時間が無いから手短に言うな。今対象の先遣部隊と交戦中や。粗方は、魔法で対処したけ
ど、この後には、デカブツが控え取るし、いかんせん数が違いすぎる。このままやと確実に乱
戦になる。そうなったら、こっちの負けや。ジャミングで関係各省の援護も期待出来んし、負
傷者も出始めてる。はよう来て』
 出力制限を受けているとは言え、八神はやての魔力ランクは"A"級。他の魔道師達も管理局
の精鋭達だ。その彼女達が、数の差こそあれ、ここまで追い詰められるとは。通信が出来ない
と言う事は、はやての限定解除も難しい。つまり、極大魔法で一発逆転の目は望めない。
直接攻撃能力にこそ乏しいシャマルだが、後衛として能力は一級品だ。戦力は大いに越した事
は無い。
「分かりました。私もすぐにそちらに向かいます」
『頼むわ・・・後それからな』
「なんですか、はやてちゃん?」
『アスカさん・・・どうなったか分かる』
 はやてからは、通信ウィンドウの後ろに立つシンの姿は見えない。
「アスカさんですか」
『避難してくれてると安心出来るんやけど、こんな状況やからな、もし、シャマルがここに来るま
でにアスカさん見つけたんやったら「うちも言い過ぎた。ごめんなって」謝っといてくれへんかな』
「はやてちゃん?」
『あかん。第二波来よった。じゃあ、頼むなシャマル』
 通信が唐突に途絶える。最早一刻の猶予も無かった。
「アスカさん。お聞きの通り、今管理局は未曾有の危機に瀕しています」
 ピクリとシンの眉が動いた。
「はやてちゃんを筆頭に六課隊長格と陸士部隊が迎撃に出ていますが・・・残念ながら旗色は悪そう
です。私も、もう前線へと向かわなければなりません」
 シャマルは一呼吸を置いて、ゆっくりと話始める。

「はやてちゃんとアスカさんに何があったのか。私には、想像する事は出来ません。でも、これだ
けは言えます。私の愛しい家族であり、護るべき主である、八神はやては、優しい子です。喧嘩の
原因が、例え自分に無くとも相手の事を真剣に心配してしまう。そんな子なんです」
シャマルの体が翡翠色に輝き、白衣姿から騎士甲冑へとその姿を変えた。
「この道を真っ直ぐ行けば、第三発令所があります。避難するならそこへ向かって下さい」
シャマルは、一度だけシンの方を振り返り、全速力で戦場へと向かった。
シンは無力感と絶望感に打ちのめされ、諦めに似た感情が全身を支配していた。
 だと"いうのに不思議"だった。
 シンは、もう動く事すら億劫だと言うのに走り出していた。恐らくシン自身、自分の行動が理解
出来ていない無意識故の行動だった。 
 何を求めているか分からない。
 理性よりも本能よりも、もっと原始的な渇望がシンを支配していた。