RePlus_第七幕_中編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 13:34:34

 黒く深い暗闇が周囲を支配する。
 何も聞こえず、何も見えず、そして、何も感じ無い。
 目も口も耳も心も、錆び付いた鉄のように軋み脆く砕け散る。
 俯き嘆く自由すら奪われ、只そこに立ち尽くす。
 闇が白く輝き、瞳に光が戻る。 
ちりんと小さく鈴が鳴る。
『アルザスの竜召喚師、ルシエの末裔キャロよ』
『僅か六歳にして白銀の飛竜を従え、黒き火竜の加護を受けた。お前は真の素晴らしき
竜召喚師よ』
『じゃが、強すぎる力は、争いと災いしか生まぬ』
『すまんなぁ。お前をこれ以上この里に置くわけにはいかんのじゃ』
 申し訳なさそうに瞳を伏せる族長達。
 族長の言葉はキャロへの慈愛に満ちていたが、それ以上に畏怖と拒絶を多大に含んで
いた。フリードを抱えた幼いキャロは、諦念したように俯き視線を伏せ、自らの出自を
呪った。
 
ちりんと小さく鈴が鳴る。
 場面は変わり、白い床と照明が瞳を焼く。
『確かに凄まじい能力を持ってはいるんですが、制御がろくに出来ないんですよ』
 椅子に座り俯いたキャロの耳には、吐き捨てるように呟いた管理局員の声は聞こえな
い。
 心を閉じた彼女には、どんな罵声も嘲笑も届かない。
 彼女の心は鋼のように硬くなり、冷たく冷え切ったままだ。
『竜召喚だって、この子を守ろうとする竜が勝手に暴れまわすだけで、とてもじゃ無い
けど、まともな部隊で何か働けませんよ』
 嘲りの混じった言葉。
 キャロはそれも否定しない。
 幼いキャロではフリードを満足に制御する事すら出来ず、悪戯に被害を拡大させるだ
けだ。その性で何人の人が傷ついたのか。
 キャロに知る術は無い。
『精々単独で殲滅戦に放り込む位しか…』
 来るべき時が来たかとキャロは思う。
 殲滅戦の意味は分からなかったが、前後の会話から自分が酷い目に会う事は理解出来
た。
 決して長く幸福な人生とは言えなかったが、孤独と拒絶に苛まれた人生ならば、もう
幕を閉じて良いとも思った。
『ああ、もう結構です。この娘は予定通り六課で引き取りますから』
 故にキャロは、自分を見つめる彼女の言葉の意味が判らなかった。
 自分に向けられたはずの優しさも、フェイトの慈愛に満ちた瞳も、何処か遠くの出来
事のように感じられた。
『キャロは何処へ行きたい?』
 新雪を踏みしめる度にフェイトの言葉が脳裏に蘇る。外気は凍えそうな程冷たいと言
うのに握られた手は暖かく、差し向けられた視線は心地よかった。
 そう、何処へでも行ける。
 人は覚悟と決意、そして、ほんの少しの勇気があれば何でも出来る、何だって出来る
のだ。そう教えてくれた人が居る。
 諸国を放浪している間、キャロの力を利用し悪事を働こうとした人間も居る。危うく
見世物小屋に売り飛ばされそうになった時もあった。
 人を信じず信じられず。フェイトは、自分すら蔑んでいたキャロが、もう一度自分と
向き合う機会を与えてくれた恩人だ。
 エリオは、忌まわしき力と忌諱して竜召喚を護る為の力なのだとキャロに気づかせて
くれた。
この冷たくも暖かい世界において、フェイトとエリオはキャロにとって希望そのもの
だ。人は希望があるから生きていける。どんな暗く冷たい世界でも、一握りの希望があ
れば人は前に進んでいける。
少なくともキャロはそう思っている。
だから、この夢は記憶では無く記録。もう、当の昔に過ぎ去った過去を追体験してい
るだけだ。少しだけ不安になった自分が見たなんて事無い悪夢の類。一晩立てば忘れ、
引き摺る事は決してないものだ。

竜召喚は危険な力。
 この小さくもか細い手に果たしてどれだけの力があると言うのだろうか。この小さな
手は果たしてキャロが望んだ数だけ人を救えるのだろうか。希望と得たキャロが血で染
まった幻影に脅える事はもうない。
 何故なら、彼女は戦う意味をもう背負ったから。
 守るべき人も世界も決して手放すまいと、彼女の小さな手は理解しているから。
では、キャロの小さな胸を不安で掻き乱す程の強い恐怖は何だと言うのだろうか。
キャロは、夢の中で不安で散り散りになった心の破片を懸命拾い集めている。
キャロの"現在"に対する執着は、理性と本能を超え常軌を逸した物がある。
例えその身を戦いの渦中に置こうとも、キャロの小さく未成熟な精神は、漸く手に入れ
た心の平穏を手放さんと必死だった。
 それ故に彼女は、小動物が事前に"危険"を察知するように"現在"にとても敏感になる。
 フェイトの笑顔もエリオの勇気も自身の決意も、手にした力の意味がたった一人の異
邦人の前に崩れる事になりかね無い事を敏感に感じ取っている。
 キャロは、目の前に居る人間から感じる予感が拭えない。
 停滞と変化。希望と絶望。
 シン・アスカは何のために闘い、何を守りたいと思っているのだろうか。彼を取り巻
く女性達は、人を殺めた一体彼に何を見出したと言うのか。人を殺めた人間に一体何が
救えると言うのだろうか。答えの無い問いかけは続き、暗闇の中で幽鬼のように浮かび
上がる無表情なシンにキャロは、ただ恐怖する事しか出来なかった。
「私は!」
 懐かしくも悲しい夢を見た気がする。
 望郷にも似た感情がキャロの胸を焦がし、居た堪れなさからキャロはその場から飛び
起きた。
「痛っ!」
「っつぅ!」
 目覚めた瞬間にキャロの小さな額に落雷のように痛みが走る。
 何事が起こったのかと額を押さえ、瞳に涙を浮かべながら辺りを見回すと、同じく額
を押さえ蹲っているシンの姿が見えた。
「アスカ…さん?」
「ぶ、無事か、キャロ…」
当たり所が悪かったのか、額に赤い痣を作ったシンは、心配そうな表情を浮かべキャ
ロを覗き込んでいる。
 キャロは、夢のシンと現実のシンとのイメージが重なりシンから目を思わず背けた。
例えそれが似ても似つかぬ物であったとしてもだ。
「ここ・・・何処ですか」
 どうにも、遠泳に出てからの記憶がはっきりしない。
 辺りは妙に薄暗く生臭い臭いが充満している。黄色のライフジャケットには、粘々と
した物体がこびり付き酷く不快だった。天井が妙に高く、洞窟のような円形上をした通
路に横たわっていたのだ。背中に敷いたシンのライフジャケットが無ければ、もっと、
酷い事になっていたに違いない。
 しかし、妙な事もあるものだ。自分は海に居たはずなのに、何故洞窟のような場所に
居るのだろう。 
 潮に流されたのだろうか。幾つかの考えが浮かんでは消えて行く。頭がぼんやりして
どうにも思考がはっきりとしない。
 キャロは漂ってくる、磯の香りにも似た生臭さで鼻が曲がってしまいそうだった。
(そうだ私は…)
 声に出して事体を確認すると、ようやく前後の記憶が安定してきた。
 キャロは、シンに胸を触られ腹を立てた。そこまでは良い。日頃から積もったシンへ
の不満が爆発し、癇癪を起こしたのも事実だ。本当はそれだけでは無いのだが、今は考
える事では無いと割り切る。
 そして、フェイトに促されるようにシンと三人で遠泳に出て、鯨のような怪物に襲わ
れたのだ。
 よく見えれば、フェイトの姿が見えない。その事で、キャロは急に不安になりシンへ
と同じ質問を繰り返す。
「ここは…何処何ですか?」
「…あ…何ていうのか…多分、あいつの腹の中だ」
 シンの言葉に流石のキャロも絶句するしか無かった。

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第七幕"オーシャンダイバーズ-Deep Striker"
中編

「それで…次がこれな」
 薄暗い作戦立案室の中で、次々にスライドが切り替わる。スライドには、シン達を飲
み込んだ大型生物が映し出されていた。
 海岸部に隣接したデバイスに使用するカードリッジを生産する工場の一部を丸呑みに
している。
「発見から僅か六時間で六課の訓練施設含め、大小合わせて七つの管理局管轄の工業施
設が被害を受けましたですぅ」
 スライドが切り替わり、施設基礎部分ごと齧り取られた向上が映し出される。
「これにより管理局上層部は、大型生物を不特定生物群第六号"ディープホエール"と呼
称する事を決定しましたですぅ」
 リインフォースⅡが端末を操作し次々にスライドを切り替えていく。
「むごいな」
 巨大な口腔によって食い荒らされた工場には、ディープホエールの顎の形がしっかり
と残されている。
 現場の惨状にシグナムは眉を潜めながら、手元の捜査資料に目を通した。
 短時間ながらもディープホエールの詳細なデータが纏められている。
 全長二百メートル。尾翼まで含めると五百メートルに迫る巨体だ。推定体重48トン。
海中を泳ぐ速度は、最大戦速は約二十五ノット程度と推測されている。
(性格は極めて獰猛か)
 ディープホエールの被害に合った工場の総面積は、小さい物で野球場程もある。ディー
プホエールは、明らかに自分の質量以上の物質を飲み込み、その数時間後には、数倍の規
模の工場を襲っていた。
 不特定生物群については未だ未知の部分が多く、研究解析も間に合っていない状況だが
、これ程の無尽蔵とも言える食欲を見せる規格外の生物だとは思っても見なかった。
 まるで、SFに出てくる怪物のようだ。未知、それも宇宙の深淵から飛び出て来たよう
な錯覚を覚える。
「八神部隊長。質問宜しいですか?」
「なんやティアナ?」
 ティアナは、安いパイプ椅子から立ち上がり、ティアナの背でプロジェクターの光が遮
られる。
「ディープホエールの目的は、ジェイル・スカリエッティが引き起こしたとされる事件と
の関連性は認められるのでしょうか」
 ティアナの問いにはやては、頭を抱えながら深い溜息をつく
「そら、無関係では無いやろ。先日のホテル・アグスタの件でも不特定生物群が確認され
てる。時を同じくして襲来したガジェット。これを無関係、偶然と言い切るには逆に理由
が欲しいわ…それは直接戦ったティアナ達が分かってるやろ」
 無言で首肯し素直に着席するティアナ。
 もっと、シン達の捜索隊の事など、色々突っ込まれるかと思っていたはやては、少し拍
子抜けする。しかし、素直に引き下がったティアナとは別に、その隣に座っていたスバル
は険しい顔つきでプロジェクタに映し出された映像を睨みつけていた。
「今回の件もそう。事件にはロストロギアこそ関わって無いけど、事件跡地に数体のガジ
ェットが目撃されとるんや。関連性は当然否定出来へんな。スカリエッティは犯罪者やけ
ど、同時に優れた科学者や。被害の全てが、デバイス関連の工場や研究施設に集中してい
る点から見て、何らかの技術流出を狙った物かも知れへん。全ての事件が偶発的な物。端
的に言えば、不特定生物群発生はあくまで自然現象で、スカリエッティが事故、事件に便
乗した言う線も考えられるけどな。これ、偶然生き残ってたカメラの映像や、皆見て頂戴

 映像には、数体のガジェットⅠ型が、まるで、何かの痕跡を探すように周囲を散策して
いる。
「部隊長!このガジェットを捕獲出来れば、何か分かったのでは無いでしょうか。ガジェ
ットがディープホエールの痕跡を探っていたなら、キャロやフェイトさん!シンさんの行
方だって」
「エリオ・モンディアル二等陸士」
 エリオが勢い良く立ち上がり、食って掛かろうとするが、はやての厳しい声がエリオの
言葉を遮った。
「これは映像記録や言うたやろ。救助隊が現場に到着する頃には、ガジェットの影も形も
あらへんかったんや。無理言うたらあかんよ。」
「す、すみません」 
 はやてに諭される形でエリオは席に着く。しかし、口調とは裏腹に表情は硬く納得して
いるとは言い難い。
 フリードは、エリオの歯痒さや無力感を敏感に感じ取ったのか、小さく一度だけ鳴いた。
「まぁこの映像があったからこそ、私達六課に捜査権の一部が回ってきたのは、不幸中の
幸いってとこやろか」
 本来デバイス関連の技術は、民間技術者や術者を含め管理局側の厳しい管理体制の元で
管理運用されている。
 魔道師達の胆であるデバイスに使われる螺子一つを生産するのにも、何重も審査と品質
チェックを求められるのだ。
 その厳選極まる技術の成る木が襲われたのだ。
 上層部は、敵の規模からも、管理局の威信と面子にかけてX級戦艦動員すら視野に含め
られている。
 しかし、ある一つの事柄からX級動員に待ったがかけられていた。
「幸いにも…って言うか変やねんけど、人的被害は一切出てないんやこれが」
「「「出てない?」」」
 ざわつく隊員に無理も無いとはやては思う。
それは実に奇妙な話であった。あれ程の質量の生物が、工場と人間を丸呑みにしている
のに、果たしてそんな馬鹿な話があるだろうか。
「不思議な事になぁ…やっこさん、工業機械類は全部飲み込む癖に、そこで働く人間はそ
の場で全部吐き出しとるんや…それも無傷に近い状態で」
 これには流石の六課の面々も絶句するしか無かった。機械だけを飲み込みで人間を吐き
出している。
 吐き出された際に骨折や脳震盪等起こした人間は大勢いたが死者は出ていないのだ。
一応生物の外見を取っているのだ、普通は逆では無いだろうか。
「しかし、部隊長!じゃあ、何でフェイトさん達は吐き出されないんですか?」
「それは…現段階では何とも言われへんな」
 エリオが、勢い良く立ち上がろうとするが、隣のティアナに抑えられる。
「今部隊長に言ってもしょうがないでしょ」
「でも、僕は…」
 エリオは、何も出来ない自分が心底悔しいのか、それとも心配で胸が張り裂けそうなの
か、顔を蒼白にし手は小刻み震えていた。
「いいから座りなさい。今は、ブリーフィング中よ。ちゃんとした意味で質問出来るよう
になるまで黙ってなさい」
「はい…」
 エリオの疑問は最もである。 
 ディープホエールが機械類だけを好んで捕食している。それは、ついでに付いて来る人
間を排除する程徹底している。
『蛋白質を取り込むと機能不全でも起こすんでしょうかね。フェイト・T・ハラオウン執
務官を捕食して…学習したのかも知れません』
 本局から派遣された技官のあまいにドライな発言に思わず「何ふざけた事言ってんねん
!」と罵声が口に飛び出かけたが、辛うじて口腔を奮わせるだけに留まった。

 ここで指揮官が熱くなっては、助けられる者も助けられない。大手を振って動けるよう
になるまでは、じっと我慢しなければならないのは、行動派のはやてには堪えた。
「どちらにしても、はやてちゃん…どうするの。倒すの?助けるの?」
 会議開始から静観を決め込んでいたなのはが、ようやく重い口を開いた。
「両方や、なのはちゃん。幸いにも管理局上級委員会は作戦立案から各々の権利を六課に
譲渡する事が決定してる。必要なら近隣陸士部隊や本局武装隊にも協力も仰げる」
「至れり尽くせりだね…汚名は返上しろって事かな?ううん、熨斗つけて返せって事だね」
「そうや、認めて欲しけりゃ手柄を上げろって事でもええよ」
 会議室に重い沈黙が流れる。六課の存在を快く思わない人間は、管理局内外に問わず数
多くいる。だが、こうまで露骨に六課の必要性を迫られた事はエリオの記憶に無かった。 
 恐らく失敗すれば、最悪六課の解散も有り得るかも知れない。
(僕達は望まれてここに居るのかな)
 自身の過去を振り返り、エリオの心に暗澹たる思いが鬱積する。エリオの胸に抱きかか
えられたフリードが、悲しみを代弁するように寂しそうに鳴いた。

「生臭い…」
「ああ…確かに」
 ディープホエールの体内に飲み込まれた二人は、取り合えずのフェイトを探す事に決め
た。
 ディープホエールの体内は、ドロドロとした分泌液がそこらかしこに溢れ、足を取られて
歩き難い事この上無い。それに加えて、魚の死骸のような腐臭が辺りに立ち込め鼻が馬鹿に
なりそうだった。
 だが、最初こそ気持ち悪かったが慣れてしまえば何と言う事は無い。匂いは我慢すれば良
い、何よりそんな事に構っている場合では無かった。
「フェイトさん無事でしょうか」
「俺達が生きてるんだ…無事に決まってる」
 念話での交信を試し見た二人だが、ディープホエールの体内では、何故か魔法を使う事が
出来なかった。AMFにも似た魔法領域が展開されているのか、もっと別の事象が働いてい
るのか。とにかく、ここに居る限り簡単な治癒魔法すら使う事は出来ないのが現状だった。
 実はシンはこれに近い症例を自身で体験している。
 シンは気絶していた為正確に言う事は出来ないが、ディスティニーごと、影の巨人に取り
込まれた際にはやても同じ経験をしたと言う。
 ガジェットのAMFとは何処か違う感覚。反魔法精製領域とでも言えばいいのだろうか。
 AMFのように相殺されているのでは無く、使おうとした魔力が根こそぎ奪われている感
じがする。
 シンは、試しに右手に魔力を集中させて見る。
 普段ならば、内から溢れてくる魔力が形を成しシンの右手に魔法として形成される。
 しかし、魔力の胎動は愚か気配すら感じる事が出来ない。
「やっぱり駄目か」  
 ふと、キャロを見ると、同じく首を振って否定する。シンよりもキャロの方が魔法制御に
関する技術は格段に高い。
 そのキャロが駄目だと言ってるのだ。
 初歩的な魔法を失敗するシンの技量程度ではどうにも出来ない事は明白だった。兎に角脱
出するにもしても、対策を練るにしても、フェイトの存在は不可欠に思える。魔力等級に始
まり制御技術一つ取っても、S級魔道師の助力を得る事は間違いでは無い。
 自分程度の実力の人間が生きているのだ、例え魔法が使えなくとも、フェイト程の実力者
が死ぬはずも無い。

 きっと、何処かで生きているはずだ。
 二人共口にこそ出さないが考えている事は同じだった。不安を振り払い、自分自身を鼓舞するよう
にフェイトの無事を祈り続けている。
「痛っ」
「あぁ悪い…力入れ過ぎた」
「いえ、平気です」
 知らずと拳に力が入っていたらしい。左手に握ったキャロの手が赤く染まっている。
「悪い…俺ちょっと、気が立ってるみたいだ」
 シンは、罰が悪そうにキャロから視線を逸らす。楽しい休日が一転して生死を問わないサバイバル
訓練になってしまったのだ。キャロもその気持ちは分からないでも無い。
 特にシンは、はやて達と楽しそうに遊んでいたのをキャロは見ている。気が立つのも無理は無いと
思った。
 しかし、キャロの思惑とは別に、シンは心の中で全く別の事を考えていた。
 シンにとって魔法とは揺るがない強さへの代替手段だ。コズミック・イラでは、デスティニーで有
り、ミッドチルダでは大破したデスティニーに変わりに魔法がそうなっただけだ。
 その魔法が使えない事に、シンは強い不安を覚えていた。
 このままデバイスも無く、魔法も使えない状況で敵に襲われればどうなるのか。不特定生物群やガ
ジェット相手に軍隊式格闘術やナイフが通用するとは到底思えない。
 シンは、左手に握った手を覗き見る。
 か細く小さな手。魔道師としても召喚師としても戦う力を備えたキャロだが、まだ年端も行かない
幼子だ。
 勝手な理屈だと思っているが、シンは、エリオとキャロが前線で戦っている事を良く思っていない。
 独善的な考えだと分かっているが、シンに取って子供は護られる存在で有り、大人とは子供を護る
べき存在だった。
 お転婆だがどこか臆病なところがある妹のマユ。シンは、それがいけない事と分かっていても、エ
リオとキャロをどうしても妹に重ねてしまい必要以上に気を使ってしまうのだ。
「あの、アスカさん。何か理由があって歩いてるんですか?」
「…それは…一応」
 シンは、キャロの一声で正気に戻る。
 生ぬるかった空気は、いつの間にか、冷たいひんやりとした空気に代わり、生臭い臭いの代わりに
潮の香りが強くなって来る。
 このデカブツがどの位の深度まで潜れるか知らないが、鯨程度の潜水能力は持っていると考えた方
が良いだろう。
 シンとて闇雲にディープホエールの体内を歩き回っていたわけでは無い。
 一応口を目指して歩いているのだ。波に揉まれながらも、ディープホエールの姿を見たシンだが、そ
の全長は凡そ二百メートル。目を覚ました場所が胃に近い場所だとすると、そろそろ口の辺りまで来て
いるはずなのだが、何故か全く進んでいる気がしない。
 シンも鯨の生態は図鑑以上の事は知らない。
 主食がどうとか以前に、鯨は大量の海水と共に餌を捕食するはずだ。と、なるとあそこに留まってい
てはいつか大量の海水が巻き込まれる事になる。
 そうなると、あの場に留まる事自体、魔法を使えないシン達に取って危険極まりない行為だ。
 胃の方向へ歩いて行こうと思ったが、道中強烈な酸の匂いを感じた為に方向転換を余儀なくされた。
 せめて、外に出る事が出来れば念話で助けを呼ぶ事が出来る。
 外にさえ出る事が出来れば魔法が使えるし、シンは、デバイスの補助無しには飛行魔法を使う事は出
来ないが、設置圧を弄れば海の上をキャロを抱えて走る事位は可能だ。
「アスカさん…あれ・・・」
「ん?…アレって何か居るのか?」
 シンが思考の波に漂っていると、キャロが手を引っ張っているのに気がつく。顔面を蒼白にし、震え
る指で何も無い空間をただ指さしている。耳を澄ませば、薄暗い体内で、クチャとクチャと何かを咀嚼
する音が確かに聞こえて来る。
 そして、それと同時に何も無い空間にぼんやりと赤い光が明滅するのが見える。
 何も無いと思ったのはシンの勘違いにしか過ぎず、通路の先に何かが待ち構えているのは明白だった。
「なんだこいつ」
 シンは、反射的にキャロを背後に隠し、闇の中からゆっくりと現れた何をか凝視した。
 一言で言えば骸骨であろうか。本来瞳があるはずの瞳腔には何も無く、怪しげな赤い光と宿していた。
 覚束ない足取りだが、その瞳はしっかりとシン達と見据え、骨と骨が軋んだ音を立て、右手に持った
棍棒を振りかざし、カタカタと顎骨を鳴らしながらシン達へと向けて飛翔した。
「嘘だろ!」
「キャアアア!」
 骸骨は、筋肉も無いも無く、骨だけの存在の癖に天井近くまで跳躍し、シンへと一気に距離を詰めて
来る。シンは、無意識にキャロを奥へと放り投げ、骸骨の棍棒を間一髪で避け、そのまま這うように距
離を取る。

「ucaaaaaaa」
「声帯も無い癖に!」
 顎を鳴らし、愉快そうに笑う骸骨にシンの頭に血が昇る。魔法が使えないお前など役立たずだ。そ
う嘲笑された気がしたのだ。
「ふざけるな!俺は魔法が使えなくても!」
「アスカさん!」
 キャロの制止の声もシンの耳には届かない。仮に届いた所で止まるかも怪しいものだ。シンは滑っ
た地面を這うように疾駆する。魔法が無くとも、ザフトでの厳しい訓練に耐えてきたシンの運動能力
は常人を遥かに凌駕する。
 魔法が使えないからと言って、対人戦闘でまず遅れを取る事は無い。
 シンは骸骨の攻撃を身を屈め交わす。衝撃で背中のライフジャケットが破れるが、シンは速度を緩
める事はしない。
(思ったとおり、こいつ動きが鈍い)
 骸骨の攻撃は鋭いが、動き自体は緩慢で鈍いものだ。攻撃を放った後に大きな隙が出来るのをシン
は見逃さなかった。
「くらえ!」
 骸骨の攻撃力は対したものだが、防御力はどうだろうか。いかにも脆そうな骨を砕く事が出来ずと
も、体勢くらいは崩せるはずだ。そう考えたシンは、上半身を屈めながら、骸骨の足へと渾身の蹴り
を放つ。
 空気が震えシンの蹴打が骸骨の脛へと命中する。木の板程度ならば、楽々割る事が出来る体重の乗
った蹴打だ。
(体勢を崩した瞬間に棍棒を奪い取る)
 シンは、頭の中で算段を重ね、脛ごと砕くつもりで蹴打を放っていた。
 しかし、聞こえて来たのは、骨が砕ける音では無く、くぐもった音と自身の脛を襲う鈍痛だった。
「っか!」
 シンは、あまりの痛みに肺腑に溜まった空気を吐き出す。
(こいつ…硬い)
 骸骨の骨は見た目に反してまるで鉄のように硬く、シンの渾身の蹴打も全く効果が無かった。蹴っ
た右足に鋭い痛みが走り体勢を崩し、そのまま横脇腹から転倒する。脇腹を強く打ったせいで、一瞬
だけ骸骨から意識が逸れた。それが致命的な隙となり、骸骨が棍棒をゆっくりと振りかぶる。暗がり
で見えて居なかったが、骸骨の棍棒は、金属の破片が幾重に折り重なり、まるで巨大な掘削機のよう
な凶悪な相貌を覗かせていた。
(不味い!)
 あんなものをバリアジャケットも無しに一撃でもくらえば致命傷必死である。よしんば、死を免れ
たとしても重傷は免れない。
(死ぬ!)
 家族の最期と敗北の記憶、そして、はやてとティアナとの誓いがシンの脳裏に走馬灯のように駆け
巡る。立たねば。立って戦わねばと思う程体が硬直し、誰かを護らねばと思い度に心は恐怖に抗い続
けるが、死に直面した体はシンの心を裏切り続けた。
(動けよ!なんで動かない!)
 足の痛みと滑る地面で思うように体が動かない。死に直面した現状が本人の預かり知らぬ所でシン
の動きを鈍らせていた。
 シンは、数多の実戦を潜ったと言えど、所詮は巨大な鉄の塊、MSの中である意味安全に戦って来
た。セーフティシャッターやコアスプレンダーと言った人材不足のザフト故に、パイロットを保護す
る技術は連合よりも優れている。
 コクピットにビームライフルやサーベルの直撃でも食らわない限り、MS戦闘のパイロットの生存
率は決して低いものでは無かった。
「アスカさん!」
 視界の隅にキャロの恐怖に脅える顔が見える。シンは、キャロの顔が妹のマユに重なって仕方無い。
 今ここで自分が死ねば、骸骨はキャロに襲い掛かるだろう。フリードも魔法も使えないキャロは無
力でしかない。
 吹き飛んだ眉の腕が脳裏に蘇り、堪える事の出来無い激しい怒りがシンの心を支配する。
(死ねるかああ!)
 赤い瞳を憎しみと怒りにに染め上げ術式も構成素子も関係ない、ただ、有りっ丈の魔力を右手に収
束させ迎撃を試みる。
 死ねない。絶対に死ねない。
 シンの生への渇望は、呪詛のようにシンの精神を犯し、はやてとティアナの顔が浮かんだ瞬間によ
り加速する。
 制御不能の魔力が全身を駆け巡り、収束した魔力の性で右手に焼け爛れるような痛みが走る。
 だが、無常にも右手に集まった魔力は、形を成すことは無く音も立てずに大気に霧散した。シンの
目が絶望によって見開かれ、恐怖が全てを支配する。
 このままでは、誰かが死ぬ。俺も死ぬ。
 他者の死と己の生。
 両天秤にかけられ、本来シンにとって、均衡を保たねばならぬ二つの要素が激しく揺れ動く。
(う…あぁあ)
 瞳に映った棍棒が振り下ろされる瞬間、眼前にまで迫った"死"にシンは確かに脅えていた。
「ハァアアア!」

 全ては一瞬の出来事だった。
 暗闇の中から猛烈な速度でフェイトが現れ、裂帛の気合と共に骸骨に向けて掌打を打ち込んだ。フ
ェイトの細身の体から想像も出来ないような威力の掌打は、骸骨の全身を強く揺らし動きを止める。
 フェイトは、その場で一回転し骸骨の頭目掛け上段回し蹴りをお見舞いする。 
 まさに電光石火の一撃。
 フェイトの長い金色の髪が夜気に舞い、一回転する間に繰り出された拳打は流麗の一言に尽きた。
 カコンと小気味良い音を立て、骸骨の頭蓋骨は剥き出しの頚椎と共に吹き飛んでいく。頭部を吹飛
ばされた骸骨の体は、まるで、電池が切れたように動きを止め、全身が小刻みに揺れた後、骨がバラ
バラ砕け地面に音を立てて崩れ落ちた。
 助かったと思うよりも早く、シンの興味はフェイトの強さへと移っていた。
 人間とは、ああも速く走れる物なのだろうか。一歩一歩がカモシカのように跳ね、地面飛ぶように
華麗に駆け抜け現れたフェイト。身体能力では無く、惚れ惚れする程体の使い方に無駄が無い。
 シンも"魔法"を使えば、フェイトのような動きも可能だろうが、今のシンには絶対に無理だと感じ
る。客観的に見れば魔法を除く身体能力はシンもフェイトも殆ど変わる事は無い。
 では、身のこなし一つ取っても何故こうまでの差が出るのか。
 しいて言うならばフェイト・T・ハラオウンとシン・アスカの違いは"対人"相手の歴然たる戦闘経
験の差、つまり、場慣れしているかしていないかの差である。
 シン・アスカとは違い、フェイト・T・ハラオウンは、例え魔法が無くとも生き抜く術を身に付け
、それを効率的に行う術を知っているのだ。
(これが執務官…の実力)
 一方的だったとは言え、あれ程の攻防を繰り広げたのにフェイトは息一つ乱していない。
 魔道師としも戦士としても、一段階上の実力を見せ付けるフェイトにシンの胸が小さく痛んだ。
「危機一髪だったね…アスカ君」
「えっ…あぁ…あ、ありがとうございます、隊長」
「無事で良かった。キャロ、怪我は無い?」
 フェイトは、はにかみながらシンを助け起こし、二人のの怪我の様子を確認する。キャロは当然無
傷でシンも脇腹と額に少し切り傷があるだけで他は問題なさそうだった。
「右足も打ち身になってるだけで…骨折は大丈夫そうだね…歩ける?」
「問題無いです」
「うん、それでこそ男の子」
 フェイトは、シンの頭を一度ポンと叩き「無事で良かった」と小さく呟く。
 そして、そのままキャロの方へと向かいキャロの様子も確かめる。
 頷き続けるキャロを相手するフェイトは、確かに母親の顔を覗かせていた。
(俺は弱い…ん…だな)
 シンは、アカデミーでは、ナイフを使った模擬戦では教官相手でも勝利を収めて来た。
 魔法戦闘では、なのはやフェイトに敵わなくとも、白兵戦ならばそこまで水を開けられているとは思
っていなかったが、しかし、現実はシンのプライドを嘲笑うかのように、フェイトはシンが敵わなかっ
た骸骨相手に一人で圧勝して見せた。
 あくまでも模擬戦は模擬戦。
 実際に対人、対魔法生物と戦うのには認識しとつ取っても雲泥の差があった。
 シンは、知らず拳を握り締めたまま、心が暗くなって行くのを感じた。

ミッドチルダ臨海地区南西商業船舶航路上
「なんだこいつは…」
 彼がディープホエールを遭遇したのは、全くの偶然だった。
 哨戒任務を兼ねた、ミッドチルダ臨海地区沖に定時パトロールに出て直後の事だった。
 海原を我が物顔で悠然と泳ぎ、体長程もある巨大な尾びれで海を何度もたたき付けている。苦しんで
いるのでは無く、玩具を手に入れた子供ようにはしゃいでいるように見受けられた。
「全隊員砲撃戦用意」  
(これが、噂の化け物か)
 不特定生物群。これも一度は管理局を崩壊寸前に追いやった化け物の一角だと言う。発見から六時間
が経過した現在。たった六時間で眼下の怪物"ディープホエール"によって齎された被害は甚大だった。
特にデバイス関連の工業地区の被害が最も酷く、カードリッジの生産ラインは壊滅的な被害を受けてし
まった。
「足止めだけでもしておく」
 奇跡的にも人的被害は未だ出ていないが、次もこうなるは限らない。幸いも彼の部隊は、武装隊の中
でも凄腕魔道師が揃っている。化け物の一つや二つ物の数では無い。

『パブリッシュ03了解』
『パブリッシュ05了解』
 部下達の頼もしい声が、念話を通し彼の脳裏に響いてくる。
「全員カードリッジロード、ケチるなよ」
『『『yes,sir』』』
 武装局員達のデバイスがカードリッジを吐き出し、切先に魔力が収束する。足下に魔方陣が展開され、
臨界ギリギリまで魔力を増幅する。大小合わせて五十の魔力弾が周囲に展開される。その一発一発が、
なのはのディバインバスターに匹敵する程の威力を秘めた、まさに必殺の一撃である。
「照準よし」
 全デバイスがディープホエールに向けて照準される。件のディープホエールは、武装隊を気にも止めて
いないのか、海原を暢気に漂っている。
(舐めるな!)
「全砲弾ってぇえええ!」
 彼の一声と共に、デバイスから全魔力弾が一斉に発射される。緋色の魔力弾は、大気を裂き轟音と立て
ながらディープホエールへと飛翔する。
(勝った!)
 直前に迫った魔力弾に、ディープホエールは、回避運動すら取らない。このまま行けば、直撃コースは
確定。ビル一つ程度なら吹き飛ばす威力を秘めた、魔力弾群がディープホエールに命中、したかに思えた。
「なっ…」
 彼の表情が驚愕に歪む。飛翔する魔力弾は、一発残らずディープホエールに命中した。確かに命中した。
 しかし、である。
(俺は…悪い夢で見ているのか)
 武装隊の放った魔力弾は、ディープホエールの体表面に当たると、まるでゼリーのように"ぷるん"と音
と立て"滑って"海面に落ちたのである。
 ディープホエールの体皮を滑って落ちた魔力弾は、海面に落着すると同時に爆発。大量の水蒸気を上げ
、猛烈な霧を周囲に発生させた。絶え間なく降る霧雨の中で、ディープホエールは、そこでようやく事態
に気がついたのか、下腹をゆっくりと動かし、面倒くさそうに武装隊を一瞥した後、深海へと姿を消して
いった。

 シンは、腰の抜けてしまったキャロを背負い、ディープホエールの体内をフェイトと共に当ても無く彷
徨い歩いていた。
「私が、気がついた時は、二人の姿が見当たらなかったから…本当無事で良かった」
 状況は好転していないと言うのに、フェイトの表情は明るい。シンとキャロが無事だった事が本当に嬉
しいのだろう。
 表裏の無いフェイトの性格は、シンは好きだったが、自分の無力感を見せ付けられた今、魔法やMSが
無ければ何も出来ない比べ、器の大きさを見せ付けられたような気がして後ろめたい気持ちで一杯だった。
「でも、ここって一体何なんですかね…もう五キロ以上は歩いてるのに、口はともかく何処に着く様子無
いですし」
 いつに無く饒舌なシン。このまま無言で居ると、劣等感や焦燥。フェイトの力に対する嫉妬でどうにか
なってしまいそうだった
「そうだね…」
 もう随分と歩いたはずなのに、一向に進んだ気がしない。まるで、同じ道を何度も何度も繰り返し歩い
ているような錯覚に陥る。
 背中に負ぶったキャロは、疲れていたのか今は可愛い寝息を立てていた。
 シンの体内時計が狂っていなければ、ディープホエールの体内に閉じ込められてから十二時間程度は経
過している。
 心労と疲労が積み重なり、元々体力の少ないキャロが寝入ってしまっても無理も無い事だ。
 シンは、心に溜まった暗い感情を追い出すように、必死に現実に目を向ける。
「多分…ここは別の空間に繋がってるじゃ無いかな」
「別の空間?じゃあここは、鯨の腹の中じゃ無いって事ですか。ミッドチルダみたいに異世界とか」
「ううん。鯨のお腹の中はお腹の中だと思うよ。ただ、何ていうか…言い方を変えるね。"繋がってる"ん
じゃ無くて、きっと、別の空間が"広がってる"んだと思うよ」
「そんな事が…可能なんですか?」
「魔力次第だと思うけど。この鯨もその辺の魔法生物に比べて規格外の魔力を持ってると思うんだけど、
でも、それだけで異界が作れるかどうかはちょっと分からないかな。この鯨だけの持つ魔力じゃ無くて
、もっと外部機関があるんだと思うんだけど…やっぱりアレかなぁ」

「アレ?」
「うん、ほら、口の辺りにあった大きな赤い球」
「ああ…」
 そう言えば飲み込まれる瞬間、妙に大きな光の球を見た様な気がする。血のように球は、鈍く毒々し
い光を放っていた。
「多分…あれ、レリックに似た巨大な魔力の塊なんだと思うよ」
「レリック…あれがですか?」
 恥ずかしい話だが、シンはレリックの現物を今迄資料以外では見た事が無い。形状についての知識は、
赤くて宝石大の大きさ程度の認識しか持っていなかった。
「その、レリックってあんなに大きい物なんですか?」
「ううん。私が知ってるのは精々宝石程度の大きさしか無かったんだけど…あれは、小さく見積もって
もボーリングくらい大きさはあったの」
 シンは、朧気な記憶を掘り起こす。気を失う瞬間に見た光の球は、宝石のような小さい物では無く、
直径三十センチはあったように見受けられた。
「レリックは、小さくても内在する魔力量は天井知らずのロストロギアなの。扱い方一つ失敗する大災害
を巻き起こす危険な代物で…正直に言えばあんな巨大なレリックらしき物を持った怪物が海を泳いでいる
だけで寒気がする」
 小さなレリック一つだけで、スバルが巻き込まれた大規模な空港火災にまで発展したのだ。ボーリング
球大のレリックが引き起こす厄災は、シンの想像を絶する大災害になる可能性があるだろう。
「でも、変なんだよね」
「何がですか?」
「…幾ら鯨みたいな大きな生物でも、レリックみたいな魔力的劇物を体に取り込めば、只では済まないは
ずなんだけど」
「でも、こいつ只の鯨じゃ無いですよ。魔法だって使ってましたし…中には変な怪物飼ってます」
「うん…だから変だなって。もし、鯨の中の異界がレリックを取り込んだ事によって引き起こされた変化
だとしても、こんな程度じゃ済まないはずなんだけど。あの骸骨にしても単純に鯨本来が持つ免疫機能が
魔法によって変異だけかも知れないし」
「これで…そんな程度なんですか?」
 珈琲のお代わりでも頼むように、実にあっけらかんと告げるフェイト。巨大生物だけでも頭が痛いのに
、飲み込まれて見れば正体不明の怪物が闊歩する大迷宮が広がっているのだ。シンにして見れば、これ以
上の"そんな程度"はごめん被りたかった。
「うん…まぁ多分…でもね、アスカ君。生物が、何の加工も調整も無しにレリックを飲みこんだら、多分
レリックの持つ魔力圧に耐え切れず、その場で木っ端微塵に爆発してると思うの…それこそ塵も残さず」
「木っ端微塵ですか…」
 鯨のような巨大生物が塵も残さず爆発させるのに、一体どれ程のエネルギーが必要だろうか。
 ビーム兵器で焼き切る事は容易いだろうが、粉微塵に吹飛ばすとなると問題はその出力だ。インパルス
のケルベロスやディスティニーの高エネルギー砲でも足りない。シンの見立てでは、アークエンジェル級
の特装砲程度の出力は必要になるかも知れない。
 オーブの旗艦"タケミカズチ"に代表されるような空母は、それこそ町一つを補えるような大容量のエネ
ルギーを秘めている。つまり、レリックとは、最低でも戦艦一隻分異常のエネルギーがあると言う事だろ
うか。
 ディープホエールが、特装砲"ローエングリン"で木っ端微塵に爆発する様子を思い浮かべてシンは思わ
ず声ゲンナリとする。今まで実感が沸かなかったが、六課の捜査対象はシンが思っているよりも危険な代
物を扱っているようだった。
「うん…それに何だがあのレリック変な感じもしたんだ。まるで本物じゃないみたい」
「贋作って事ですか」
「言い方としては、それが一番いいかも。純度って言うのかな。中に入ってる魔力が凄く薄く感じるの」
 曖昧な言い方だが、シンも何となくフェイトの言いたい事は分かった。レリックによって引き起こされ
た災害は、思わず目を覆いそうになる程に凄惨な物が多い。飲み込んだ瞬間鯨が拒否反応を起こし爆発す
ると言うのなら、この現状は一体何によって引き起こされたと言うのか。
「なら、当面の目標はどうしますか?」
「脱出方法を探しながら、体内のレリックもどきの調査をしようと思ってるんだけど・・・いいかな?」
「調査ですか?」
「勿論優先すべきは脱出だよ。でも、こんな危険な生き物…ほっとけないし」

 なんというべきか。
 こんな絶望的な状況の中でもフェイトは実に逞しかった。
 災害時において、最も頼れる物は女性だと言われる事が多々あるが実際その通りだとシンは思った。
 シンもディープホエールの体内からの脱出を諦めた訳では無い。
 しかし、先の見せない空間や魔法が使えないと状況から、どうしても不安の方が勝ってしまい今一つ前
に進む足が重い。
 不安と無縁のフェイトが実に頼もしく眩しく見える。
「分かりました隊長。俺も頑張ります」
 シン自身、ここで足を引っ張る事は真っ平御免だった。
 ティアナ達と強くなると改めて思った矢先に、この体たらくだ。シンにとって力は手段でしか無いが、そ
の肝心の力を失っては元も子もない。シンにとって、誰かの重荷になる事は耐え難い苦痛だった。
「ねぇ…アスカ君」
「うわっ…な、なんですか」
 俯き思考の渦に溺れかけたシンが気が付けば、フェイトの顔がシンのすぐ近くまで迫っていた。キャロは
ライフジャケットを羽織ってはいるものの、シンのライフジャケットは破れてしまったし、フェイトは何処
かで脱いでしまったのだろうか身に着けていなかった。
 兎に角シンとフェイトは水着姿のままで、そんな格好で両腕を膝に付き腰を屈め、上からシンを覗き混む
ようなポーズと取られれば、六課随一の巨乳が素晴らしき自己主張を上げる事となる。
 見るつもりは無くても、迫力満点のフェイトの胸は嫌でもシンの目に飛び込んでくる。 
 普通ならはやてかティアナの突っ込みが入り、お開きとなるのだが、ティアナとはやてが居ない今は気ま
ずい事この上無い。
「人が話しかけてるのに、目を逸らしちゃ駄目」
「いえ、そうじゃ無くて…」
(目に毒だ)
 フェイトの水着は清楚な外見に反して、肌を覆っている面積が極端に少ない。そんな危険な凶器がシンの前
に無防備に転がってるのだ。鴨が葱背負って現れたといった表現では生温い状況で、もし、シンが悪戯心を出
し、手を伸ばせば簡単に触る事が出来るだろう。
 警戒心をまるで持たず、フェイトの無防備と言うより無頓着な様子にシンは半ば呆れてしまった。
 信頼されているのか、それとも男として見られていないのか。
 どちらにしても、あまり良い意味では無さそうだった。
「何ていうかアスカ君…固くないかな」
「固いって何がですか?」
「性格」
 あまりに直接的な物言いに思わずシンの喉が引き攣った。
(隊長って、こんな性格だったのか)
 シンは、フェイトの事を理知的で所謂”出来る女”だと思っていただけにこのギャップの差は激しかった。
空気が読めないと言うより、思った事をただ口にしていると言った感じを受け、上司と言うより近所のお姉
ちゃんと言った方がしっくり来る。
 フェイトとシンは同じ六課所属とは言え分隊が違う。特にフェイトは現役の執務官であるが故にいつも何
処かを飛びまわり六課を空けている事が多い。シン達の教導を滅多に手伝う事が無く、極稀に愛弟子である
エリオとキャロの教導には参加していた。
 シンにとって、同じライトニング分隊でも、フェイトよりもシグナムの方が馴染み深い。全体指導はなの
はかヴィータが教導を担当しているが、最近では、シンの個人指導はシグナムが掛かりっきりだ。
 そう言う訳でシン・アスカとフェイト・T・ハラオウンは驚く程接する機会が少ない。元々フォワード陣
と隊長達では、訓練を除けば業務形態が違う。当然生活時間もズレてお互いがプライベートな時間を共有す
る事は少なかった。
「私の事は別にフェイトでもいいんだよ?隊長だけじゃ何だか他人行儀で私はちょっと嫌だし」
「嫌だと言われても…隊長は上官ですよ。やっぱり節度は護るべきだと思いますし」
 六課の隊員はスバルを筆頭に色々な事が、明け透け過ぎるとシンは思う。
 名前で呼ぶくらいは、抵抗はあるが命令ならばそうすると思う。
 事実、昔のシンも口の聞き方に始まり数々の礼儀作法で上下関係など完璧に無視していた。
「そうなんだけど…何ていうかな。私、アスカ君が本当のアスカ君って言うか…巧く言えないんだけど、何だ
かガラス越しに会話してるような気がして。本当のアスカ君と話してる気がしなくて」
「…えっ」
 フェイトにして見れば、シンの硬い態度が、他の皆と距離を作っているようで少し気になっただけの話だ。

しかし、シンはそう思えない。。
 フェイトの何気無い言葉は、シンのトラウマを励起さえ冷たい刃となって心臓に突き刺さる。
「ど、どうしたの、アスカ君」
「いえ、なんでも…ありません」
 目で見て分かる程に顔面を蒼白にして何でも無い訳が無い。
「だって顔色が」
「…なんでもありません」
 だが、シンは、心配し身を案じてくれるフェイトを半ば無視するように淡々と歩き出す。
「調子が悪いならキャロを背負うの変わるよ」
「なんでも…ないですから」
 やはり自分は弱い。
 ティアナやはやてとの一件もそうだったが、少し心の鍍金が剥がれただけで、動揺し不安に揺さぶ
られてしまう。
 歯痒いと思う以前にまるで、過去を振り切れていない事実がひどく後ろめたい。
 はやてに後ろを押され、ティアナに慰められて漸く立ち上がった経緯のあるシンだ。同年代の人間
に比べ、精神は成熟していると言っても良いが、時折見せる意志薄弱な風体は不安定さの裏返しだ。
 今シンの脳裏に描かれているのは、アスラン・ザラとレイ・ザ・バレルである。
 シンに取ってこの二人は特別だった。
正義の執行者であり、勝者としてのアスラン。結果的に敗者となったが、呪われた運命に果敢に立ち
向かい抗い続けたレイ。
 シンは、"正義"と"自由"に己の運命を砕かれた絶対的な敗者であるが、二人はシンにとって確かな
強者であった。
 戦後シンが平和を求める為に最初に取り掛かった事は徹底的な模倣だった。アスランとレイ、シン
に取っての強者を真似る事で、自身も強くなろうとしたのだ。性格や行動は早々真似できる物では無
い。しかし、口調や態度ならば、頑張れば短期間で物に出来るはずだ。穴だらけの理論だが、シンは
それが平和への一番の近道になると信じて疑わなかった。
 弱いから負けた。
 正しくないから負けた。
 強くさえあれば、己の犯した罪もいつか償えるかも知れない。
 同じ志の仲間も出来た。魔法の力もメキメキと上達し始めている。
 シンは、力を求めてはいるが、それは目的では無く手段でしか無い。
 揺ぎ無い強さを求め、自分の選択に後悔を持ちたく無いが故に、異世界においても戦う道を選択した。
 実直な性格も、平和への思いも、誰かを思う心さえも、シンの強ささえも借り物だ。
 全てが巧く回り始めた今、シンは自分は一体何を護りたいのだろう。
魔法と言う力が使えない今、シンはその事を真剣に考え始めていた。