RePlus_第七幕_後編五

Last-modified: 2011-08-02 (火) 14:56:17

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第七幕"オーシャンダイバーズ-Deep Striker"後編五"

「こんな時に!」
「あかん!」
 機体の狙撃準備が整っていないと言うのに、ディープホエールの
口腔が開き、灼熱のプラズマ砲を精製し始める。空気が乾き、漏れ
出す熱と炎が海面を赤く染める。
 今狙撃しても向こうの攻撃の方が圧倒的に早い。
 それが分かっているのかディープホエールは、ニヤリと笑い口腔
を更に広げ、必殺のプラズマ砲を発射した。
 閃光が煌き、闇夜を太陽の照らす真昼の如く照らし出す。
 一条に伸びた光の束が、灼熱の輝きを伴いケルベロス弐型に向か
い翔んでいく。
「まだだあああ!」
「舐めんなあコラああ!」
 裂帛の気合、いや、最早怒声や罵声と言っても過言でも無い大声
が響き、ディープホエールとケルベロス弐型の中間点に巨大な防盾
が展開される。
 シグナムとヴィータが主と守る為に、悪魔の閃光にその身を割り
込ませたのだ。
「私も忘れるな!」
 残された魔力は微々たる物だが何よりはマシだろうとばかり、ザ
フィーラもシグナム達に習う。
 シグナムとヴィータは、デバイスを翳し、ディープホエールのプ
ラズマ砲を必死に押さえ込もうと奮戦する。
 余りの熱量でレヴァンティンとグラーフアイゼンの表面が泡立ち
装甲が融解し始めた。
 二人共プラズマ砲を防ぎきれるとは思っていない。 
 せめて、軌道でもずらせれば御の字だと思っていたが、プラズマ
砲の出力に、二人はそれすらも甘かったと痛感した。
 摂氏数千度を越す熱量を持つプラズマ砲は、今こうして白熱の弾
核を防いでいるだけで、シグナム達のバリアジャケットは焼け焦げ
一瞬で耐久限界を超えた。
 彼女達が無事なのは、持てる魔力の全てを、それこそ自身を構成
する魔力をも費やし、文字通り決死の覚悟で魔力盾を構築している
恩恵にしか過ぎない。
 体中から見えないエラーを噴出し、各部が機能不全に陥っていく。
全身に痛みと虚無感とも知れぬ不快な感覚が巡り、消滅の恐怖が全
身を駆け巡って行く。
 ディープホエールの、驚異的な熱量を誇るプラズマ砲を前に、シ
グナム達の気持ちを支えていたのは主と仲間を守る事だけだった。
「だが、少しキツイか」
「だな。人数居ないから仕方ねぇが…これはちょっとキツイぜ」
「何だ、もうギブアップか一人と一匹。私はまだまだいけるぞ」
「馬鹿者が、私も問題無い」
 プラズマ砲の圧力がふっと和らいだ気がすると、シグナム達の体
を薄い膜のような物が覆っていく。
「当然私もですよ」
「シャマル!」
「馬鹿!なんで来るんだ!」
「私も合わせてヴォルケンリッターです!むざむざ、はやてちゃん
達を殺らせはしません!」
 シグナム達の後ろに控えるように、シャマルも腕を翳し魔力を放
出していく。
「この馬鹿者が!その前に私達が大ピンチなのだぞ!死ぬ気か!」
「この大馬鹿野郎!どうなっても知らねえぞ!」
「皆で馬鹿馬鹿言わないで下さい!何か私が死にたがりの馬鹿みた
いじゃないですか!それに私は列記とした女の子です!はやてちゃ
んが、真っ白なウエディングドレスを着る日まで絶対死ねません!
あ、勿論私もですよ」
「主はやての幸せには万感の思いを込めて同意しよう。そして、馬
鹿とも認めよう!だが、お前が女の"子"と言うのは聊か御幣がある
!」
「そこの犬さん。後でぶっ飛ばしますよ!」
「後が残っていれば心得た。存分にぶっ飛ばされよう!」
「残ってるに決まってだろが、この駄犬!」
「再三言うが、私は犬では無い!お、お、か、みだ!」
「無駄口叩かず魔力を込めんか二馬鹿プラス駄目犬が!」
「ざけんなシグナム!」
「心配するな、私も加えて三馬鹿プラス駄目犬で問題無い!」
「なんだそりゃあああ!」
 ヴォルケンリッター達は、軽口こそ叩き合っているが、皆歯を食
いしばり必死の形相で死地に臨んでいる。
 最早ケルベロス弐型、八神はやてを守る壁は、ヴォルケンリッタ
ーしかいないのだ。

 ヴォルケンリッターが突破されれば、狙撃地点にいる仲間達は、
はやてごと一瞬で蒸発し、この世から消滅するだろう。
 シグナム展開された魔力盾は、最初こそプラズマ砲と拮抗してい
たが、圧倒的な出力に徐々に押さえ込まれ始めている。
 ディープホエールのプラズマ砲精製の為に必要な水はほぼ無限に
ある。だが、シグナム達に残された魔力は有限であり、もう底を付
く寸前なのだ。
「もう一押し足りぬか」
「そのようだ…都合が良い援軍はシャマルで打ち切りだ」
「…うぅ、何か私が悪いみたいですぅ」
「おい、お前ら。こんな時一番何が大事か知ってるか?」
 ヴィータが口の端を吊り上げ不適に笑う。笑っている間にもプラ
ズマ砲は迫りヴィータの視界は、熱と光で白く染まっているのに表
情は余裕その物だ。
「あ…今私ヴィータちゃんが何言いたいか分かった気がします」
「奇遇だな。分かりたく無かったが、私も分かったぞ、シャマル」
「…同じく」
 ヴィータの意図が分かったのか、シグナム達も苦笑いで返す。
「つまりは…」
「こう言う時は…だ」
「気合と!」
「根性だ根性!全員根性入れろ!」
 シグナム達のリンカーコアが光り輝き、限界まで魔力を振り絞る。
溢れんばかりの魔力の奔流にデバイス達が悲鳴を上げている。
 デバイスの安全強度を無視した、ヴォルケンリッター達の魔力波
にディープホエールのプラズマ砲が一時勢いを止める。
 ヴォルケンリッターの構成素子を魔力に変換し、文字通り命を削
る一撃だ。そこまでやってもまだ拮抗しているとは言い難いが、シ
グナム達の魔力がプラズマ砲に干渉した証拠だった。
 明確な打開策も起死回生の一発も無く、シグナム達が取った行動
は、結局の所行き着く所は根性論だ。
 殆ど、蛮勇、自棄とも言っても良い。
 気合と根性。
 口に出して、心の底から叫んで事態が好転すれば神様はいらない。
 只、意思を込めて叫ぶだけでは結果は変わらない。
 思いだけで全てが決まる程現実は甘い物では無い。
 シグナム達の魔力を全て足しても、ディープホエールのプラズマ
砲の出力には遠く及ばない。精々数秒勢いを殺す程度の物だ。
 それが証拠に、プラズマ砲に勢いが戻り、ケルベロス弐型をシグ
ナム達ごと焼き尽くそうと再度進行を開始する。
 結果は変わらない。
 やる前から結果は見えている。
 ディープホエールのプラズマ砲で、シグナム達は確実に消滅する。
 シグナム達の行動は無駄でしか無い。
 この絶望的な状況で奇跡など起きるはずも無い。
 だが、結論から言えば奇跡は起きた。
 では、何故起きたのか。
 "やる"と"やらない"
 確立論や小難しい理屈は必要ない。物事の単純な決まりとして、
行動しない者に奇跡は決して微笑まない。
 この奇跡を理不尽と断じる者も居るだろう。
 だから、彼女達は行動した。
 無駄だと分かっていても、簡単に奇跡など起きないとしても、そ
うせざる得ない状況から行動したのでは無く、自分達が只そのよう
にしたいから行動した。
 後ろに控えた守るべき主と仲間の為に、自分達の命すら顧みず全
てを投げ打って行動した。
 死力を尽くし、限界まで命を削り、己の未来を賭け、行動する事
を選択した。
 その結果、初めて有り得ない可能性が生まれた。
「なんだこりゃ!」
「分からん」
「だが、チャンスです!このまま押し返しますよ!」
「承知!」
 四人の体が突如強い光りを放ち闇夜に閃光が走る。四人からあふ
れ出る翡翠色の魔力の本流が煌きプラズマ砲を押し返していく。
『馬鹿な!』
 ディープホエールの瞳が驚愕に見開かれる。
(…なんだ…なんなんだこいつらは…何度潰してシツコク蘇って来
る。不愉快だ…不愉快だ)
 ディープホエールの怒りは、一体何に対しての物なのか。ディー
プホエールが、怒りの咆哮を上げ、プラズマ砲の出力を更に上げる。
だが、シグナム達の魔力は、ディープホエールの魔力に呼応するよ
うに莫大な高まりを見せ始める。
 シグナム達のバリアジャケットが、光の粒子となり消えていく。
 魔力が尽き、バリアジャケットを保て無くなったのでは無く、彼
女達の心底にプログラミングされている、バリアジャケットの構成
データが魔力に取って変わり、文字通り"消滅"したのだ。
「なぁ…流石に拙く無いか?」
「確かに拙い…だが、止めるわけにも行かぬ!」
(少なくともあの馬鹿者ならば、ここで止まらん)
 シグナムは、無愛想ながらも何処か負けず嫌いな自分の愛弟子を
思い出す。

 考えて見れば、最近合同教練ばかりで、シンとの特訓プランが随
分と溜まっている。
 シンには可愛そうだが、シグナムが手加減せず思いっきり教導出
来るのは男であるシンしか居ない。本音を言えば、シグナムは実に
欲求不満なのだ。
 ここまで苦労しているのだ。是が非でも無事に帰ってきて貰って
、特訓と言う名目でボテクリ回さなければ気がすまない。
「まだ…秋物も選んで貰っていないしな…」
「あぁ何か言ったか?」
「言った!あの化け物に一矢報いると言った!」
「お、おいシグナム!」
 シグナムの体の中から、赤い粒子が溢れ出てヴォルケンリッター
に絡みついて行く。
「何これ…」
 シャマルが慌てるのは無理も無い。ヴィータとザフィーラは気が
付いていないが、補助系、つまり、魔力の流れが人にどう作用する
か、人体と魔力の相互干渉のスペシャリストのシャマルの目から見
て、シグナムの体に起きた現象は異常だった。
 シグナムから漏れ出した赤い粒子は、まるで、癌細胞のように、
シグナムの構成素子を強引に書き換えていく。
 より効率良く、より強力により"戦闘"に適した体に改造して行く。
(なんなの…これ)
 魔力を吸い取られて行くのではなく、シグナムの魔力に自分達の
魔力が"強引"に"同調"して行くのが分かる。
 シャマルの困惑を他所に、シグナム達のリンカーコアが共鳴し合
い、互いの魔力を補い高めあっていき、臨界を迎えた魔力が翡翠色
をした一振りの巨大な剣と化した。
『馬鹿な』
「お前は、私達を馬鹿にし過ぎだ!」
 シグナムは、右手に出現した身の丈程もある剣を構え、大上段に
振りかぶる。
 剣から放たれた斬撃波は、プラズマ砲を切り裂き、海面を割り、
ディープホエールの眼前に迫り、そこで消失した。
 リンカーコアの直列励起現象と言えば良いのか。シグナムが行っ
た行為は、端的に言えば魔力の重ねがけである。
 同一波形の魔力を自身に上乗せし、相乗効果により増幅して行く。
 理論上は、魔力の重ねがけは、二乗倍で出力が上がって行くが、
全く同一の魔力波形を用意する事が事実上不可能とされた為に、打
ち捨てられた戦闘方法だった。
 限りなく近しい存在である、ヴォルケンリッターだから出来た現
象であり、狙って起こせる代物では無い。
 元が同じヴォルケンリッターと言えど、個人毎に魔力の波形は違
う。直列励起現象を起こすのは不可能なはずだ。
(でも…これって)
 もし出来るとすれば、シャマルはそんな戦い方は一つしか知らな
かった。
「円環…O・ユニゾン…」
 一言言い残し、全ての力を使い切ったシャマルは意識を闇に手放
した。

 ディープホエールの顔が愉悦に歪む。確かにシグナム達は、ディ
ープホエールのプラズマ砲を弾き返した。
 満身創痍の体で、プログラム生命体である彼女達に何処にそんな
力が眠っていたのか、些か疑問だが結果は変わらない。
 奇跡は滅多に起こらないから奇跡と言うのだ。
(確かに驚いたが、所詮ラッキーパンチの類だ。結局の所次で終幕
だ…羽虫)
 シグナム達の奇跡をあざ笑うかのように、ディープホエールが海
水を吸い込み、プラズマ砲の精製に入る。
 だが、機動六課に置いて、奇跡と言う言葉程安い物は無い。
 奇跡が起きないなら起こす。
 どうしても起きないなら、力技で起こして見せる。
 それが、機動六課、しいては高町なのはの矜持だった。
「いい加減…"ちょっと"しつこいかな…」
 プラズマ砲を精製するディープホエールのまで、強く静かに燃え
盛る炎のように憤怒に燃えた声が響く。
 ディープホエールの眼前には、海水に濡れトレードマークの髪を
振り解き、所々破損したバリアジャケットを纏い管理局の白い悪魔
が存在していた。
 恐らく海に落ちた衝撃で左腕が折れているのだろう。なのはの左
腕は、だらりと垂れ下がり、残された右腕で力なくレイジングハー
トを握っている。
(落ち着け…)
 目の前に居る魔道師からは、衰える事の無い威厳を感じる。だが
、実情は目の前に転がっている羽虫と同じ満身創痍。
 相当頭に来てぶち切れているようだが、大した事は出来まい。
(この距離で魔法を打てば自分も危うい)

 あの収束攻撃を至近距離で行使されれば、流石のディープホエー
ルも命が危うかったと感じたが、今、彼の目の前に立っている人間
はなのは一人、ディープホエールにとっては物の数では無かった。
 今ここでディープホエールが穿刺を伸ばせば、なのはの命は一瞬
で終わるのは間違いない。
 だが、なのはは闘争心だけは失われていないのか、目を三白眼に
ディープホエールを睨みつけ、悪鬼羅刹のように表情をしている。
『やって見るか…羽虫?この距離で撃てばお前も無事では無かろう』
「喋れたんだね…でも、そんなの関係無いや!レイジングハート!カ
ードリッジロード!」
『Yes,MyMaster』
 なのはは、仲間を傷つけられた怒りの声を上げ、レイジングハー
トに魔力を装填する。
 なのはの全身から立ち昇る怒気と鬼気に、ディープホエールは顔
を青くする。
『お前、まさか!』
「全力全壊!ディバインバスター!」
 自身に被害を及ぶ事も躊躇わない超近距離弾。恐らく最も軟質と
思われる眼球に向けて残された全魔力を込め、レイジングハートを
"振りかぶりる"とヴィータのお株を奪うフルスイングでディバイン
バスターを撃ち込んだ。
 術式も技術も関係ない。
 ただ、渾身の力を込めたフルスイング。
『糞!』
 ディープホエールは、瞬間的に生態機能を操作、網膜の裏に外部
装甲を構築し、なのはから身を守る為に防壁を展開する。
 ドンと大気が振動し、なのはのディバインバスターが防壁に命中
し壮絶な爆発を巻き起こす。
 その衝撃で、なのはは、爆炎に包まれ黒炎の尾を引きながら、力
なく海面に落ちて行く。
『危なかった』
 今の攻撃にディープホエールも思わず肝を冷やした。まさか自爆
覚悟で襲ってくるは思わなかったのだ。
 肉体の構築途中とは言え、眼球の防御を忘れたのは、彼の落ち度
でしか無かった。
 だが、五月蝿い羽虫の攻撃もこれで終わるだろう。唯一元気そう
だった四匹の羽虫は、先の攻撃で最早魔力を食う価値も無いほど消
耗している。
 白い羽虫の攻撃には、驚いたが只それだけだ。結果として自分は
、生き残り白い羽虫は海へ散った。
 後は目障りな銃と体内のゴミを消せば、彼は自由となる。
 だが、ディープホエールは、妙な引っかかりを覚えた。不適な笑
みを浮かべ落ちて行くなのはを怪訝そうな瞳で見つめ、自分の考え
が愚かだった事を痛感した。
「スバル!」
「はい!」
 なのはの遥か後方。海面にまるで陸上のトラックのように、ディ
ープホエールに向けウイングロードが一直線に伸びていた。
「スバル・ナカジマ!突貫します!」
 クラウチングスタートの体勢から、スバルは青い弾丸のように疾
駆する。
 ほんの数日前の獣の精神ならば、本能に従い危機が去るまで決し
て防御体制を解く事は無かっただろう。だが、今の彼は人間並みに
高度な精神活動を有する知的生命体だ。
 勝利の愉悦を確かめたいが為に、彼は本能よりも理性を選択した。
 油断。
 そう、それは、まさに油断だった。
「全力全開!」
 マッハキャリバーが、白煙を上げ、恐るべき速度でディープホエ
ールに向けて迫ってくる。時間がゆっくりと刻を刻み、ディープホ
エールは、スバルの攻撃をスローモーションのように動いているの
が見える。
 スバルのガントレットが唸りを上げ、カードリッジを排出する。
 彼の本能は、避けろ、迎撃しろ、倒せと告げるが、急所を狙われ
る恐怖に理性が怯え言う事を聞かない。
 肉体は、スバルの攻撃を克明に捕らえているのに、心がそれに追
いつかない。
「ディバイン」
 風が渦巻き螺旋のように回転し、極大の魔力弾がスバルの右腕に
宿り輝きを放つ。
「バスター!」
 乾坤一擲。
 風の砲弾と化したスバルは、ディープホエールの眼球に向けて魔
力砲を撃ち放つ。
 ぐしゃりと、ゼラチン質の目玉を潰す感覚にスバルは目をしかめ
るが、裂帛の気合と込め力の限り腕を押し込める。
 ガントレットが白煙を上げ唸り狂う中、風と魔力の奔流が削岩機
のようにディープホエールの目を砕いていく。
『あがっ』
 スバルのガントレットが、獰猛な勢いで回転する削岩機が、眼前
に迫る様子をまざまざと見せつけられ、ディープホエールは、恐怖
と共に咆哮を上げる。

 ぶつんと物理的な衝撃と共に視界が途切れ、痛みと恐怖、そして
羽虫に傷と付けられた事に対する怒りで、ディープホエールの顔が
醜く歪む。
 スバルは、渾身の一撃で魔力を使いきったのか、体中から力が抜
けていくを感じる。
 月下の元で青白く展開されたウイングロードが、硝子のように砕
け淡い粒子と共に散っていく。
「ティア!時間は…稼いだよ…」
 師匠譲りの不適な笑みを残し、スバルは、ティアナとはやてに全
てを託し海面へ落下して行った。

「無茶し過ぎなのよ」
 ディープホエールへ照準を合わせ、ティアナは引き金に指をかけ
、二人の攻防を冷や汗をかきながら見守っていた。
ディープホエールに接近戦を挑むだけでも無謀の極みだと言うの
に、あろう事かあの二人は肉弾戦を仕掛けたのだ。
 幸運にも二人の決死の攻撃が功を奏し、ディープホエールの動き
は停止している。
 千載一遇のチャンス、いや、これが自分達に残された最後の一撃
だとティアナは自覚した。
 無意識にだが、照準を込める指に力が小刻みに震える。呼吸が荒
く動悸が激しい。ティアナは、狙撃の過酷さに今更ながら押しつぶ
されそうになっていた。
 これが通常戦闘なら、厭らしい多少狙いが曖昧でも外れた魔力弾
は牽制にもなる。
 だが、今回は違う。
 銃弾は一発限り。
 たった一発でジュエルシードの術式発動を阻害している障壁を破
壊しなければならないのだ。
 ティアナが感じる重圧は段違いなモノだった。
 照準が炉心部を捉え、赤い光と共にロックオンを告げる。
 だが、その瞬間、何か得体の知れない恐ろしい感覚がティアナの
全身を駆け巡り、引き金を引く指の動きが一瞬止まる。
 その一瞬の悪寒が、ティアナに引き金を絞る事を躊躇わせ結果的
に彼女達を救う事になった。
「な、んやこれ」
「何よこれ!」
 ティアナとはやてが驚愕に身を硬くした時、FCSが異常を知ら
せてくる。ロックオンしていたはずのジュエルシードの反応が独り
で動き始めたのだ。事はそれだけに留まらなかった。ジュエルシー
ドの信号途絶えた信号の変わりに、変わりにディープホエールの体
中に無数の魔力反応が出現する。
「まさか…このタイミングで」
「そんな」
 危機に次ぐ危機で忘れそうになるが、ディープホエール自体が臨
界寸前の原子炉のような物なのだ。
 自壊のタイムリミットはとっくの昔に振り切っている。体中に広
がった桁違いの魔力は爆発寸前の予兆だろう。ジュエルシードの識
別信号と、周囲を囲む魔力が大混乱を見せている。
 これでは、照準用レーザーも意味を成さず、そもそも狙いそのも
のが付けられない。
 はやてが、機体を制御しデータをリアルタイムで修正しているが
、照準は、地磁気や魔力素の影響で常に揺れ動き文字通り的を得ず
、ガンナーであるティアナは、何処を狙えば良いのか全く分からな
い。
 外す事は自分達とシンの死を意味している。
 ティアナの指に何百人もの命が乗っているのだ。
「はぁ…はぁ…はぁ」
 ティアナの不安に同調するように照準が、不規則に揺れ動き続け
一秒が何百年にも感じられ、目が霞み、耳が遠くなり次第に世界が
急速に色を失っていく。
 死ぬ。
 いま直ぐにでも、ディープホエールを倒さなければ、大爆発に巻
き込まれ、そうこのままでは間違いなく皆死んでしまう。
 自分も死ぬのは怖い。
 だが、それ以上にティアナは大事な人達を失う事が一番怖かった。
 物言わぬ体で帰ってきた最愛の兄。朧気な記憶しか持たぬ両親よ
りも、ティアナにとっては初めて感じた身近な人間の"死"だった。
 兄の冷たい体に触れた時、ティアナは涙を流した。死に顔は安ら
かだと言うのに、ティアナを暖かく抱きしめてくれた手は冷たく硬
い。この手がもう二度と自分の頭を撫でてくれないと分かると無性
に悲しくなったのだ。
 死んでしまう。
 身近な人の死を強く意識した瞬間、今まで張り詰めていた緊張の
糸が完璧に切れた。
 背中に感じるはやての温もりも、親友の笑い声も、大事な仲間も
、大切な人の困ったような笑顔も冷たく硬くなり、そして、砕け永
久に失われてしまう。
(助けて…誰か…助けて)
 恐怖に悴んだ指は鉛のように重く、人形の関節のように硬い。
 そこには、ティアナの意思は存在せず、数秒後か数分後か、いず
れ訪れる破滅の未来が恐ろしくてティアナは瞳を閉じた。
 瞳を閉じれば残酷な現実を見なくても済むとそう思った。

「大丈夫やティア」
「はやて…さん?」
「目、開いて"現在"を見てみ?」
 耳に聞こえる、労わるような優しい声。だが、裏には逃げる事は
許されないとばかりの厳しい意味合いが含まれていた。
 ティアナは、声に促されるように静かに瞳を開けた。
 当然ながら未だ照準は定まっていない。揺れ動く照準は、ティア
ナの恐怖の表れであったし、押し寄せる重圧でティアナは体を震わ
せていた。
「聞こえへん…ううん…何か感じへんかな?」
「感じるって何を」
「良いから…ちゃんと見て、ううんしっかり聞いて」
 はやての言葉に困惑するティアナ。そんな抽象的な事を言われて
も、ティアナの困惑は増すばかりだ。
 だが、ティアナははやてを信じ、目を閉じ感覚を研ぎ澄ませる。
 最初は何も感じない。はやての心臓がトクントクンとリズムを刻
み、自分の早鐘のように鳴り響く心臓に苛立った。
 苛立ち、自分の弱い心に絶望しそうになる。だが、自分と同じ境
遇のはやては立っている。
 立って現実を見つめようとしていた。先刻はやては、ティアナに
強さを分けて欲しいを言った。
 ならば、自分が腑抜けていて良いわけが無い。ティアナは、自分
の弱い心を叱咤するように奮い立たせ、戦意新たにディープホエー
ルを睨み付けた。
 そして、気が付いた。
 ディープホエールの心臓に底。炎のように力強く、そして、全て
を許し癒すような暖かい魔力の波動を感じた。
「生きてる…アスカ…まだ生きてる」
「うん…そうやな…生きてる」
 ティアナの目尻に涙が浮かぶ。もしかした、もう会えないと何度
も思った相手がすぐ目の前に居る。
 もう、手を伸ばせば会える場所まで近づいている。
「分かるなティアナ」
「分かります、はやてさん」
 見知った魔力の直ぐ傍から溢れる禍々しい波動を感じる。色に例
えるならば、シンの赤く燃えるような魔力と全てを飲み込む真っ黒
な魔力が拮抗し合い凌ぎを削っている。
 シンの旗色は悪く、禍々しい光に押し切られようとしている。
「アスカ、無事なら返事しなさいよ!」
「無事か、アスカさん!」
 二人はあらん限りの声と思いを振り絞り、シンの元へ送り届ける。
『俺はここだあああ!』
 やがて、聞こえてる来る絶叫と咆哮。
 まるで、敵はここに居ると言わんばかりにシンの魔力が膨れ上がる。
「アスカさん!ティアあそこ!」
 ディープホエールの心臓に赤い光が立ち昇る。
「この馬鹿!生きてるんならちゃんと言いなさい!」
 シンの叫びに応じるように、ティアナは、万感の思いを込めて引き
金を引いた。

「俺の…勝ちだ」
『なっ…にっ』
 その時―――確かに流星が流れたのを、人型、ディープホエールの
核は知覚した。先刻の狙撃に勝るとも劣らない、大魔力の束が音速に
迫る勢いでこちらに向かっている。
『シールド…いや、間に合わん』
「パルマ!」
 今まさに、反撃の狼煙は上がった。
 シンは、反射的に最も得意な魔法の詠唱を唱えあげる。
 残された銀色の粒子が右腕に蓄積され、シン自身が持つ魔力を強引
に引き上げた。銀色の粒子は、AMF干渉領域化において、UAMF
領域と言えるべき特殊粒子力場を展開し、AMFの干渉波を数秒間に
遮断に成功する。
『やめろおおお』
 シンの右腕に凝縮された魔力に人型が絶叫し、ディープホエールの
装甲を撃ち抜き、ケルベロス弐型より放たれた魔力弾が、人型の胸に
虹色の光が白い尾を引き突き刺さる。
「フィオキーナ!」
銀と赤の粒子が瞬き、流星と恒星の輝きが全てを飲み込んでいく。
『アアアアアアア!』
 閃光と人型の絶叫が施設内に木霊する。シンの魔力とはやてとティ
アナが放った魔力弾が螺旋のように絡み合い、ジュエルシードに干渉
していく。
 膨大な量の魔力波を受け、衝撃でジュエルシードに内臓されていた
術式が展開される。
 金色の輝きを放ち、ジュエルシードに幾何学模様の魔方陣が浮かび
、ジュエルシード内に眠る願いの魔力が暴走し、コンマ一秒次元に干
渉に成功した。
 ジュエルシードから溢れた魔力は、次元の壁に穴を開け全てを吸い
込む漆黒の穴マイクロブラックホールが精製されて行く。
『あが!』
 人型の体が胸に空いた穴に吸い込まれて行く。人知を超えた現象に
ディープホエールが、幾ら熱量を上げようとも、全てを無慈悲に吸い
込むブラックホールに人型は成す術も無い。
 人型の正体は、意思を持ったディープホエールの魔力炉心だ。ディ
ープホエールの全てと言っても良い。
 今でこそ、この程度吸引力で済んでいるが、いざ孔が開けば、全て
を有効範囲に居るモノ全てを無遠慮に飲み込み無に返すだろう。

『逃がすか』
 人型は、せめて一矢報いようと、シンの手を掴み道ずれにしようと
企む。
 全魔力を使い切ったシンは、既に意識を失っている。頼みの銀色の
粒子もシンが気絶した為かその姿を忽然と消していた。
 このままではシンは、人型諸共マイクロブラックホールに飲み込ま
れ現世から消滅してしまう。
 人型がほくそ笑み、黒い歪みが炸裂しようとした瞬間、明朗な声が
通路に響いた。
「我、魔道の道に足を踏み入れる者。契約により超常を超える者な
り。誓約により彼の者、我に音と光の祝福をソニックムーブ!」
 金色の魔力に身を包み、キャロを抱えたフェイトが、神速の如く人
型に向けて飛翔する。
 なのはやはやての影に隠れ忘れそうになるが、フェイトも管理局に
百人しか居ないと言われるオーバーS級の超一流魔道師だ。
 デバイスの補助が無いとは言え、時間は掛かるが、口頭詠唱で魔法
を行使するのはさして難しい物では無かった。
『返せ!』
 その言葉の意味は果たして何だったのだろうか。
「ごめん…返せない…この子、親友の大事な人だから」
 考える暇も無く、フェイトは、人型からシンをもぎ取ると勢いに任
せその場から急速に離脱する。
 怨嗟の声を上げ、絶叫する人型の声が遠ざかり、音も光も無く黒い
歪みが広がり、人型の全てを飲み込んでいった。

「今度こそ!」
「やった!」
 魔力弾を撃ち込まれたディープホエールの体が激しく震え、絶命の
咆哮を上げる。
 赤黒く変色した皮膚が、急激に色を失い灰色に色褪せていく。
 心臓部を根こそぎ失ったディープホエールは、その身を塩の柱のよ
うに硬化させその場で音を立てて崩れ始めた。
 月光に晒され光り輝き大気に散る様は一種幻想的と思わせる。
 あれ程の死闘を繰り広げたと言うのに、終わりは何とも呆気ない物
だった。
 只、海面を埋め尽くす塩の塊だけが、ディープホエールが存在して
証のようだった。
「リイン…状況確認」
『待ってください……魔力反応無し…固有パターン消失…目標の沈黙
を完全に確認しました。ミッションコンプリートですぅ!』
 リインフォースⅡの声が流れ、一時の静寂の後、誰かの息を飲む声
を皮切りに、そして周囲を埋め尽くさんとする喝采と共に隊員達は勝
利の雄叫びを上げる。
「はやてさん!」
「グリフィス君!」
「ヘリを用意します。至急乗ってください」
 だが、浮かれる隊員達とは別にはやて達の顔は渋い。ディープホエ
ールは、確かに消滅した。リインフォースⅡのデータと状況から照ら
し合わせてもそれは事実だ。
 だが、シン達が無事で無ければ何の意味が無い。
 はやては、焦る気持ちを抑え、ティアナと共にヘリのコクピットに
乗り込んだ。