RePlus_第七幕_EP

Last-modified: 2011-08-02 (火) 15:10:02

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第七幕"オーシャンダイバーズ-Deep Striker"EP/2nd:Apocrypha"

「…いちゃん」
 とても懐かしい声が聞こえる。あまりに懐かし過ぎてシンは声の主が誰だったか
の暫く思い出す事が出来なかった。
(誰だっけ…)
 思い出そうとすると脳裏に甘い痛みが走る。声の主を思い出してはいけないよう
な、さりとて、思い出さなければならないような、曖昧模糊とした感触がシンを包
んで放さなかった。
「…き…て…くだ…!」
 頭に響く声に急かされるように、シンはゆっくりと目を開けた。
 まず最初に目に飛び込んで来たのは月だった。
 大きな、大きな満月。
 次に首を動かすと、星々が煌きの下に静かな海原が目に入った。まだ秋は遠く、
夏真っ盛りだと言うのに、肌に感じる風は冷たく、ディープホエールの中の方が暖
かく感じた程だった。
 辺りを見回すと、どうやらシンは、白い砂浜のような場所に寝かしつけられてい
るようだ。
 辺り一面を覆いつくす白い砂浜。
 口に入った砂を舐めると塩辛い。色からして、視界に写る砂浜全てがまさか塩な
のだろうか。これがディープホエールの残骸だとしても、中にあった施設は一体何
処に消えたのか。
 自分達はディープホエールの体内に居たはずなのに、いつの間に外に出たのか。
 疑問は尽きなかったが、今シンが最優先で考える事は、泣いているキャロをどう
やって宥めるかに尽きた。
「アスカさん…やっと…起きてくれた」
「あぁ…キャロか」
 目に大粒の涙を浮かべ、キャロが声をしゃくり上げながらシンを見つめてくる。
 シンは、起き上がろうとしたが、体が全く言う事を聞かず、その場で呻いただけ
だった。訓練中、魔力を使いきり倒れてしまっていた症状に良く似ている。
 恐らく銀色の粒子を使った事による後遺症だろうか。
「キャロ…無事か?」
 ならば、せめて己の状態を悟られ、キャロに心配をかけまいとシンは健気にも微
笑を浮かべて見せた。
 だが、キャロには逆効果だったのようで、シンが明るく振舞おうとすればするほ
ど、キャロの顔は暗く沈んで良くのだ。
「無事って、アスカさん自分がどんな状態か気づいて無いんですか」
「心配無いって、少し疲れてるだけだ」
 シンは、涙を浮かべるキャロをあやそうと、マユと同じように"いつのも通り"に
"左手"で頭を撫でようとした。
 シンは、そこで初めて奇妙な違和感に気が付いた。
 ある物が無いような、無いものがあるような、何か大事な事を忘れている気がし
たシンだが、疲労の為かいまいち頭が働かない。
 思い出せないのだから、特に大事な事では無いだろうと、曖昧に微笑み、苦笑い
でお茶を濁そうとする。
「少し疲れてるだけだ。休めば動けるようになるさ」
「そんな問題じゃありません!」
 キャロの大声が夜気に響く。普段のキャロからは想像も出来ないような大声だっ
た性でシンは目を思わず丸くする。
「だって腕が!」
「腕…あぁ…そうか」
 視線を左腕に向けると、そこに本来あるはずの物が無かった。フェイトに抱えら
れた時に取れてしまったのだろうか。元々焼き切れて崩れ落ちる寸前だったのだ、
無理は無いとシンは自重の笑いを漏らした。
 薄れ行く意識の中で、フェイトに抱えられた時までは覚えているが、恐らくだが
脱出の衝撃で取れてしまったのだろう。
「なんで…貴方は…ううん、男の人って皆こうなんですか…貴方達の行動で、私…
た…どれだけ心配するか分からないんですか!」
「キャ…ロ?」
 捲くし立てるようなキャロの言葉に促され、僅かだがシンの体に感覚が戻って来
る。シンが、体を起こすと全身酷い筋肉痛で針を刺すような鈍い痛みが襲って来た。
動くだけでも脂汗が出てくる程で、出来る事ならこのまま眠っていたい衝動に駆ら
れる。
 だが、ここで無理をしなければ、きっとキャロは泣き止んでくれないとシンは思
った。
「俺は、別に無理はしてないぞ」
「してます!断固してます絶対してます。あそこでのびてるエリオ君と同じです!」
「えっ?」
 キャロが指指す先には、気を失っているのか、グッタリとした様子のエリオがフェ
イトに抱えられ、静かに寝息を立てている。
 シンと同じで魔力体力共に使い切ったのか、顔が青白く、胸が上下していなければ
死んでいるのでは無いかと思ったほど消耗していた。
「エリオ…そうか、俺達を助けに…」
「二人共信じられません!」

 キャロは、感情のままに喚き散らし怒り心頭を言った様子で俯きシンから視線を切
ってしまう。
 喉をひくつかせ、両腕で顔を抑え、声を何度かけても、首を振るだけでこちらの言
う事を全く聞き耳持ってくれなかった。
 シンは、ディープホエールの体内で痛感したが、ヘソを曲げたキャロは頑固だ。
 こうなると、シンが幾ら理由を尋ねたくても、どうする事も出来ない。シンは、ま
た何か傷つけてしまったのだろうかと、自分の無神経さに盛大に溜息をつき視線をフ
ェイトに向けた。
「腕…痛む」
「多分神経ごと行ってます。痛まないのは、不幸中の幸いだと思います」
 フェイトは、シンの横に腰を下ろし腕の様子を見る。シンの腕の様子は酷い有様だ
った。腕が、肩口から真っ黒に炭化し、肘から先が千切れて飛んでいる。シンは、残
った部分を動かそうとするが、腕に違和感が残るだけでピクリとも動かなかった。
「無理は駄目だよ…もう直ぐ救援が来るから」
「エリオ…無事ですか?」
「大丈夫…気絶してるだけだよ。多分作戦中に無理したんじゃ無いかな?海に浮かん
でたのを拾ってきたの。ストラーダが救援信号出してくれて無いと、朝までそのまん
まだったかも知れない…本当にアスカ君と同じ。皆、無茶ばっかりしてる」
「俺は別に…」
 無茶をしてないといいかけて、シンは口を噤んだ。心なしかフェイトの顔が怒って
いるように見えたからだ。
「アスカ君の腕…無くなっちゃったんだよ。それをそんな事で済ませられるアスカ君
の性根が私心配だよ」
「あの…隊長…怒ってます?」
 いつもは穏やかなフェイトだが、先刻からどうにも言葉の節々に棘のような物を感
じ居心地が悪くて仕方ない。
「怒ってる…でも、この傷見たら、私よりもっと怒る人が居るだろうから、アスカ君
を叱るのは我慢する」
「叱るって…理不尽だと思います」
「泣いてる女の子の声を聞かない事と…アスカ君の自棄っぱち根性…どっちが理不尽
だと思う?」
「俺は別に…自棄とかは起こしたつもりは…」
 思うところがあるのだろう。シンの語尾が徐々に小さくなっていく。
「ねぇ…アスカ君」
「な、なんですか」
「アスカ君って…前向きなんだか、後ろ向きなんだか、偶に分から無くなるんだけど」
 気が付けば、シンの瞳をフェイトの金色の瞳が覗き込んでいた。
 フェイトの嘘の無い視線で見つめられると、どうにも抗い難い。嘘や方便で誤魔化
せる相手では無く、元々、素直、単純な性格なシンだ。聞かれれば答える以外の術を
知らない。
 だが、自分の内に眠った鬱屈した感情を暴かれそうな気がして、シンはフェイトか
ら、少しだけ目を逸らしながらたどたどしい口調で答えた。
「…前向きじゃ無いです…まだ…でも、いつか前向きになりたいです」
「それがアスカ君の頑張る理由?ううん…無茶する理由?」
「…分かりません」
 分からない。
 理屈抜きで、シンが今出来る精一杯の答えだ。キャロを守った事で何かが変わった
と思えたシンだが、やはりまだまだ変わったとは程遠いと感じた。
「そっか…分からないか…だよね、私も人にお説教出来る程経験豊抱負じゃ無いし…」
 生きて地上に出れて気が緩んだのだろうか。全然関係の無い話だが、フェイトから
経験豊富等と言う言葉を聞くと、どうにも"そっち"方面の想像をしてしまうシンだっ
た。
 大体からして二人共未だに水着姿のままだ。フェイトの水着は、人型の熱と衝撃波で
肩口の紐が一本切れて、もう片方で辛うじて支えている状態だった。目に毒と言ったレ
ベルでは無い。
「まぁいいや。その辺の事も修正して貰うと良いよ」
 フェイトは、シンが物事を飲み込む前に会話を打ち切る。シンは、どう言う意味か尋
ねようとしたが「おしまいはおしまいだよ」と、ウインク一つ返されて終わりだ。
 これ以上聞いても教えてくれそうに無かった。
 シンは、腑に落ちない物を感じるが、これ以上突けば藪から蛇では済まなさそうな気
がする。状況に流され翻弄されるのはシンの悪癖だった。

「フェイトさん…その話は変わりますが…俺一体どうやって、あいつを倒したんですか
?」
 ならば、せめてとシンは疑問に思ったことを口に出してみる。どうにも人型と戦った
時の記憶が曖昧なのだ。
「覚えてないの?」
 シンの言葉に、フェイトは驚きの表情を浮かべる。
「銀色の粒子が見えた所までは…後は必死でいまいちです」
「そっか」
 フェイトにして見れば、リインフォースの事で、シンに今すぐ問質したいのだが、シ
ンの怪我も酷く、心の方も、何処かぼんやりとして上の空な印象が拭えない。
(それともこっちのぼんやりとした方が地なのかな)
 フェイトは、苦笑いしながらシンの御でこを撫でる。傷が発熱しているかと思ったが
、熱は無く汗もかいていない。兎に角こんな時に詰問しても無駄だろうし、フェイトも
そんな事をするつもりも無かった。
 シンが幾ら謙遜しようが、フェイトをキャロの命を救ったのは、彼なのだ。命の恩人
、仲間にそんな事をする道理は無かった。
「病院行ったら教えて上げるね」
「お願いします…」
「うん、分かった…さてっと。お話してる間に救助来たみたいだね」
 耳を澄ませばヘリのローター音が聞こえてくる。どうやら、本当に全てが終わったよ
うだ。比喩や揶揄では無く、本当に長い二日間だった。
 シンは、疲労困憊で今直ぐにでも眠ってしまいたい衝動に駆られたが、泣いた子供を
目の前にして気を失う程、シンは神経が図太く無かった。
「なぁ…キャロ…何で泣いてるんだ?…キャロ。俺またキャロの気に入らない事したの
か?」
「違います…貴方が…無茶をするから」
「当たり前だろ。俺は管理局の魔道師なんだ。人や仲間を助ける為の無茶な幾らでもす
るさ」
「無理と無茶は違います!」
 にべも無く、キャロはシンに向けて
 無理と無茶。
 二つの言葉に明確な境界線は無く、似たような言葉だが、捉え方によって意味は全く
違ってくる。シンは、無理はしたが、無茶はしてないつもりだったが、キャロにはそう
写らなかったのだろうか。
「もういいです…反省して下さい」
 そっぽを向いてしまうキャロに、シンはほとほと困り果て目線でフェイトに助けを求
めた。だが、フェイトもキャロと同じく極々自然にシンを無視し、今度こそ本当に途方
に暮れてしまうシンだった。
「どうしろって言うんだよ」
 いつの間にかヘリのローター音が間近で聞こえて来る。管理局仕様の大型輸送機の音
だ。輸送機は、機体底部から海上着陸用のホバーを排出し、水しぶきを上げながら着水
し、まだ機体が安定していないと言うのに、突然キャノピーが開き、二つの影が飛び出
してきた。
 影は塩の山を猛烈な勢いで駆け上がり、シン達三人の前で一直線で向かってくる。
「アスカ!」
「アスカさん!フェイトちゃん!キャロ!皆無事か!」
「えっ…あぁ」
 ほうほうの体で上半身だけ起き上がったシンに、ティアナがノンブレーキで突き進み
、シンの胸に飛び込んでいく。
「お、おい、ランスター」
 シンは、残った右腕で何とかティアナを受け止め、ほっと一息付いたのもつかの間。
 ティアナは、シンの首筋に手を回し、豪快にシンを抱きしめる。
 ティアナの突飛な行動にシンの心臓がドクンと跳ね、思考が停止しかけた瞬間、はや
てもティアナとシンごと抱きしめた。
「あ、あ、あぅうあ」
 衝撃で脳の配線がダース単位で弾けてしまったのか、シンは意味不明な言葉を紡ぎお
月様に向けて万歳している。
「良かった…」
「ほんま無事で良かった…」
 二人は、シンを力一杯抱きしめ、小さな体を震わせた。
「部隊長まで」
 もう少し気の利いた言葉をかけるのがお約束なのだが、口下手のシンにはどんな言葉
がいいのか考えも付かない。
 本当に困ったと言った様子で、シンは再度フェイトに助けを求めるが、フェイトは、
その様子を苦笑いしながら見つめているだけだ。

 シンは、小刻みに揺れる二人を胸に感じ、心配をかけていたのだと心底痛感した。
「その、部隊長、ランスター…その、そろそろ放してくれないか」
「…やだ、絶対やだ」
「あかん、もうちょっと」
 シンは、どうして良いか分からなくなり、まずは二人に開放して貰おうとささやかな
抵抗を見せるが、耳に聞こえる声が甘酸っぱく、その言葉にシンは益々困惑度を高めて
いく。   
 胸に感じる柔らかい感触と吐息が、傷で痛むはずの体を甘く柔らかに煮詰めて行くの
だ。
 シンが、幾ら二人に放してくれと懇願しても、「やだ」「あかん」と二人はシンを一
向に解放しようとしない。
 シンは、それ程心配をかけていたのだろうかと思うが、それと同時に皆の面前でこん
な事をされて、何とも思わない程シンの羞恥心は鈍化していない。
 シンは、気恥ずかしさのメーターが振り切り、勘弁してくれと再度懇願するが、ティ
アナとはやては、シンを放そうともせずひたすら抱きしめ続けている。
(…う…あぁ)
 シンは、まるで、酸欠に陥った魚のように、シンは、口をパクパクされ天を仰ぐだけ
だ。良く見れば二人を見れば共に傷だらけだった。 煤けたはやては兎も角とし、特に
ティアナなど何をしたのか髪の節々が焦げてしまっている。
 古臭い言葉かも知れないが、髪は女の命だと言う。魔力等級がシンの数倍もあるはや
てがここまで苦戦したのだ。外は、きっと、自分程度では想像する事も出来ない程の激
戦だったのだろう。
 そんな激戦を経て二人が自分達を助けに来てくれたのかと思うと、シンの胸が感謝で
一杯になるのを感じた。
「その、部隊長、ランスター…ごめん」
「いいわよ別に…アンタもあの怪物の中で大変だったんでしょ」
「傷見れば分かる。アスカさん、自分で立てん位消耗してるやんか」
 シンが、皆に心配をかけるのは毎度毎度の事だが、今回はまた状況が違うような気が
した。
(ああ…そうか)
 シンの胸に何かがストンと落ちた。
 無茶をすれば当然心配してくれる人が居る。
 そんな人達がシンの周りに今迄居ただろうか。自分を心底心配してくれる人など、当の
昔に亡くしてしまったと思っていた。いや、きっと居たに違い無いが、シン自身でも気が
付かない内に記憶の隅に追いやっていただけかも知れない。
(ルナ…)
 心の底で赤毛の少女の微笑が蘇る。戦後シンが任務から帰ってこれば、分かれてしまっ
た少女は、困ったような嬉しいような顔をしてシンを迎えてくれた。
 彼女は戦うなとは言わなかったが、シンにもう戦って欲しく無いと明確に告げていたの
では無かっただろうか。
 残念な事にシンには、答えを聞く機会は永久に失われてしまった。
 コズミックイラとミッドチルダ。
 次元を隔てた距離の問題では無く、シンとルナマリアには、もう決して埋める事の出来
ない溝が刻まれてしまっていた。
(俺は…きっと馬鹿なんだ)
 二人は、シンの体の傷の大小や、命の有無を心配しているのでは無いのだ。数勘定では
無く、シン・アスカが危ない目にあった事"だけ"を心底心配してくれているのだ。
(あれだけ泣かれたのに…まだ分かってなかったのか…俺)
 寂れた月面ステーションから去る時、背中越しに聞こえた赤毛の少女の嗚咽。そして、
夏の晴天の下、耳に残る嗚咽と涙の熱さを思い出す。
 人間は愚かだ。頭で分かっていても、何度経験しても同じ事を繰り返していく。
 きっと、自分は同じ事を繰り返し、色々な人を心配させるのだろう。でも、今だけは素
直な気持ちを二人に伝えようと、シンはそう思った。
「ごめん。二人共…本当に心配かけた」
「良いって言ってるでしょ。大変だったのはお互い様よ」
 長い抱擁から流石に正気に戻ったのだろう。ティアナは、目じりに浮かべた涙を拭い、
赤い頬をしながら何処か名残惜しそうにシンの胸から離れていく。
「本当に無事で良かったわ、アスカさん…って腕!腕!腕!腕えええ!」
 その様子をはやては、苦笑しながら見つめ、自分はもう少しくっついていようとシンが
胸に飛び込もうとした瞬間、大声で絶叫上げた。

「はやてさん?どうしたんですか?」
「腕、ティア、腕ナイ、アスカさんの腕ないんよぉ!」
「あぁ…そう言えば腕千切れたんだけっけ…」
「はい!?」
 パニックを起こし半泣きのはやてとは対象的に、シンは実に落ち着いたもので、まるで
、近所のコンビニに上司を乗っけて買い物に行く位、実にのんびりと惚けた声を出したて
いた。
「あ、あ、あ、あ、アンタ、ちょっと何よこれ!腕は腕、何処いったの!?」
「そ、そうや。何処いったやあらへん。落ち着け私、残った腕があれば治療も出来るんや
!」
「そ、そんな事言われても。多分…灰くらいなら、あの辺にあるんじゃないですか?」
 流石に右腕一本で指し難いのか、少々窮屈そうに暢気に背中の方を指差すシン。そこに
は、ディープホエールの残骸が塩化して出来た塩の平原が広がっていた。どう考えても、
部位は愚か、何年探しても灰など絶対に見つからないだろう。
「ア、アンタ何やってるのよ自分の腕でしょうがあああ!」
 ティアナは、シンのあまりの惨状に色々"プッツン"といってしまったのか、顔面を蒼白
にしたり真っ赤にしたりと実に忙しく百面相の有様を見せている。
「ら、らんすたー揺らさないでくれ、傷が」
 ティアナは、シンの肩を持ち、動揺のままに振り回しているがシンの左肩は炭化してい
るのだ。神経が焼き切れ痛みは無いが、疲弊した体で頭をシェイクされるのは勘弁して欲
しかった。
「あぁ!ごめん痛かった」
「いや、そこまで痛くは無いけど」
「余計悪いわ、アスカさん!」
「痛くないって…だって、腕…アスカの腕無いのよ」
「痛くない物はないんだし、仕方無いだろ」
「意味分かんないわよ!はやてさん、救急車、救急車です!大至急!」
「分かってる!シャマル!カムバック!ハリーアップ!二秒以内に登って来ないと給料五
割カットや!カットオオ!」
「ふええん。無茶言わないで下さ~い。っていうかそもそも私給料貰ってないですぅ」
「あああああ。なら有給全部カット!」
「それは止めて下さいあああい!」
「なぁ…ヴィータ…何であの二人はあんなに元気なのだ?」
「知るか…何とかは盲目って奴だろ」
「なんだそれは…」
「お前が言うな」
 スバルにおんぶされたシャマルが、情け無い声を上げる中、シグナムは、ボロボロのレ
ヴァンティンを杖代わりに、ほうほうの体で塩の山を登っていく。
 ヴィータは既に自分の足で歩く気すら無いのか、ザフィーラの背中に乗りかかりぐった
りとしていた。
「まぁ…皆無事だったんだから良いんじゃないかな」
 その様子を見たなのはが、折れた腕を庇うように苦笑いを漏らす。先刻まで血で血で争
う戦いを繰り広げていたというのに随分と穏やかな空気なものだ。
「まぁ…いいけどよぉ…実際今回程綱渡りだった作戦はねぇぜ。奇跡に次ぐ奇跡で無い寿
命が縮んだぜ」
「元から無かろう」
 シグナムの突っ込みにも、ヴィータは答える気も失せたのか視線一つで返した。
「にゃはは…うん…いいんじゃない。全員無事っぽいし」
「終わり良ければ全て良しってか…まぁそれもいいか」
 二人は、やかましく騒ぎ立てるシン達を横目で見ながら偲び笑いを漏らす。シンの怪我
は重症だが生きてさえいれば後はどうとでもなる。
 はやてに言われるまでも無く、シャマルが医師と補助系の魔道師の名にかけて全力で治
療するだろう。
「アスカさん。はい腕見せて下さいって…傷口炭化してるじゃ無いですか…これで痛くな
いんですか?」
「あんまり痛く無いです」
「うわ、これ感覚神経まで焼けちゃってっぽいですね。一応薬打ちますから我慢してくだ
さいね」
 注射針の先とシャマルの目がキラリと光り、シンは顔を若干青くする。

「シャマルー!アスカ、改造するなよー」
「しません!」
「シャマル先生、その改造するなら前より丈夫にして貰えると助かるんですけど」
「貴方も何を言うんですか!」
「ふふ…」
「部隊長。どうしたんですか?」
「ううん…なんでもないよ」
 ヴィータの野次に顔を赤くするシャマルと注射器を取り出すシャマル。そして、何故顔面
蒼白のシンを見て、はやては自分の中で張り詰めていた物が漸く和らいで行く事を自覚した。
 一時はシン達の事を覚悟したはやてだが、その覚悟は何とか杞憂に終わらせる事が出来た。
 人的被害は甚大だが、幸いにも死者は出ていない。
 自分の立てた作戦が万全とは行かなかったが、十分に及第点を与える事が出来るだろう。
 注射を嫌がるシンを押さえつけるティアナを見て、はやては漸く自分達の日常が帰って来
たと実感した。

「俺の影響をここまで受けたていたのか…悪かったな」

「なっ!」
 彼は一体いつからそこにいたのだろう。
 まるで、はやて達の意識の空白を付くように、"彼"はその姿を"忽然"と姿を現した。
 彼は、一際うず高く盛られた塩の山に手を入れ中を探っていた。やがて、目的の物は見つ
かったのだろう。罅割れた鈍く光る赤い球を取り出し、まるで、行方不明になった我が子と
再開したかのように、怒りと悲しみに歪んだ顔が一瞬和らいだのをはやては見逃さなかった。
「ジェイル・スカリエッティ!」
「黙れ…冥福くらい静かに祈らせろ」
 何度も手配書とデータを照らし合わせ記憶に刻み込んだ相手だ。
 見間違う事は決して無い。次元世界を広域指名手配された、レリック事件の最重要参考人
ジェイル・スカリエッティが、はやての眼前もう手の届く傍に居た。
(好機!)
 と思う反面、解せないと思う気持ちの方が強い。。
 果たして、ジェイル・スカリエッティとは、このような人物だっただろうか。今の彼から
感じるものは、調書やプレコギによるプロファイリングとは全く正反対の物だ。口調は荒々
しく、粗雑、乱暴、捻くれた印象を受けた。
 はやての知っているジェイル・スカリエッティは、当然紙面上だが、もっと慎重で巧妙な
男では無かっただろうか。
 だが、躊躇している暇は無い。最重要参考人が、手ぐすね引いて待っているのだ。ここを
逃がす手は無かった。
「確保!」
「黙れと言ったはずだがな、ポンコツ狸」
 スカリエッティは、不機嫌そうに頷き、人も殺せそうな程の鋭い視線ではやてを睨みつけ
る中で、はやての声にいち早く反応したのは、なのはとスバルだった。
 レイジングハートを操りバインドの魔法を詠唱するなのは。
 桜色の魔力糸が、円を描きスカリエッティの体を拘束していく。スバルは、動きを封じら
れたスカリエッティ目掛け飛翔し、物理的に動きを封じようとする拳打を繰り出す。
「煩せえな」
 スバルの拳打がスカリエッティに命中する寸前、赤い光を伴いスカリエッティの体が忽然
と姿を消した
「…"タイプセカンド"に"トータルイクリプス"か…満身創痍の体で良く動く」
「えっ!」
「そんな!」
 一体どういう理屈か原理か、スカリエッティは、なのはとスバルの後方に何の気配も無く
移動して見せた。
 魔法を使ったのならば、それがどんな基礎的な物であろうとも、魔力の滞留が発生するは
ずだ。短距離と言えど転送魔法を使えば尚の事だ。だが、今ジェイル・スカリエッティが使
った魔法は魔力の機微を一切感じなかった。
「動かないで!」
「抵抗は無意味やで、ジェイル・スカリエッティ。この人数相手に単独で逃げられると思わ
へん事や!」
 反射的にデバイスを構えたティアナに習い、はやても騎士杖を構える。二人共魔力は殆ど
残っていないが、ハッタリ程度にはなる。
 ティアナはスバルに、はやては、なのはにスカリエッティの背後を取るように目配せする。

「…俺はお前達と争う気はねえよ。少なくとも今日はな」
「残念やったね。あんたに無くても私達はあるんや」
「一つ聞きたい事がある」
 人の話を聞いてるのか、いないのか。恐らく聞いた上で無視しているのだろう。
 だが、スカリエッティの表情は、先刻までの不機嫌なそうな物では無く、どちらかと言え
ば神妙な物だ。目前に迫る危機に激しく警戒していると、はやてはそう思った。
「お前達は、そこに寝転がってる化け物の何だ」
 スカリエッティは、寝転がり呆然としているシンを忌々しそうに睨みつけた後、はやてと
ティアナを見つめる。その瞳には、やはり警戒心が色濃く残り油断無く二人を見つめていた。
「な、何って」
「わ、私達は、その」
 何といわれても実際二人は困ってしまう。仲間だと答えるのは、簡単だが、それだと自分
の気持ちに嘘と付いてしまうようで、二人は、どうにも口ごもってしまった。
「「それは、別に」」
「ぎゃあぎゃあ、うっせえな雌豚共。気に入らないなら聞き方変えてやるよ。俺はそこで寝
てる半分焼け焦げた化け物とヤったのかって聞いてるんだよ」
「「なっ!」」
 声を揃え、耳朶を赤く染める二人に業を煮やしたのか、スカリエッティは顔を歪め二人に
向け罵声を浴びせつけた。
 スカリエッティの辛辣な言葉に思わず絶句するはやてとティアナ。この場合のヤったとは
、殺ったでは無く、十中八九男女の営みの事を指しているのだろう。
「答えろ、重要な事だ」
「こいつ!」 
「なんなんや、あんた!」
 女性を物か何かだと思っているのだろうか。はやては、スカリエッティの暴言に頭に血が
昇るのを感じる。だが、スカリエッティの表情は涼やかな物で、はやて達に対する暴言も彼
の中では確認事項にしか過ぎないのだろう。
 表情一つ崩さず、不適な態度は変わっていない。
「お前らがヤって無いなら、こいつとヤったのは、そこで肩膝付いてるピンク頭の剣士の方
か?」
「貴様!私だけならばまだしも、主はやてを愚弄する気か!」
「それでキレるって事は、お前…騎士云々以前に自分が女だって分かってるじゃねえか。何
が剣の騎士だ。女の騎士に名前変えてろボケが」
 シグナムの顔にさっと朱が刺し、次いで現れたのは烈火の将に相応しい激しい怒りだった。
「愚弄するな痴れ者が!私は主はやてに忠誠を誓った騎士だ、それを」
「誰もテメエのウンチクなんざ聞いてねえよ、黙ってろ猪侍」
「こ、こいつ」
 はやては、いよいよ彼が本当にスカリエッティなのか分からなくなって来る。
 姿形は手配書のスカリエッティと全く同じだ。性格がまるで違うのも、元々そんな性格だ
ったと言われれば成す術も無い。ただ、粘着く違和感だけが、はやての心にへばり付いてい
る。
「なるほど…今の所、完全萌芽する可能性があるのは、お前ら三人だけか」
 シンと同じ、ルビーのように赤いスカリエッテッィの瞳は、悲しみすら浮かべ、罅割れた
球を済まなさそうに撫で上げる様子は、自分を責めているように見えた。
「赤い目…赤い目!アンタ誰や!」
 手配書のスカリエッティの瞳の色は金色だったはずだ。だが、目の前に居るスカリエッテ
ッィらしき人物の瞳は赤色だ。その事実にはやての警戒レベルが一瞬で最高まで跳ね上がっ
た。
「言ってなかったか?俺はスカリエッテッィ。只のスカリエッテッィだ。ジェイルともガイ
ルとも言ってない」
 その言葉にはやての頭は激しく混乱する。今時分目の色と変える事などさして難しい事で
は無い。必要と有らば、体の大部分を整形する事も可能な為、正直に言えば手配書の人相に
意味は無い。
 だが、敢えて瞳の色だけを変える理由は何だ。
 逃亡の為に人相を変えるなら、瞳だけ弄る意味が見当たらない。
 お洒落か気分かそれとも全く別の理由なのか。
 だが、はやての直感が、目の前に居る男は、スカリエッティだと認めていると同時にこ
の男は、スカリエッテッィでは無いと否定している。
 スカリエッテッィであって、スカリエッテッィで無い。では、一体目の前に居るこの男は
一体何者なのか。
 言い知れぬ不気味さだけが、場の空気を飲み込んで行く。
「クッ!」
 なのはとスバルがはやての前に。フェイトとティアナが、シンとヴォルケンリッター達の
前に、それぞれが負傷者の前に盾になるように展開する。

(これは…いけない)
 威勢よく啖呵を切ったシグナムだが、もう彼女に戦う力は残されていないのは誰の目にも
明らかだ。フェイト自身デバイスも無く、万全の状態とは言え無いが、戦える人員は少ない
今四の五の言ってはいられない。
 だが、フェイトの心配を知ってか知らずか、寝転がっていたシンがおもむろに立ち上がり
、ティアナを押し抜けるように前に出る。
「お前、誰だか知らないけど、その人達は俺の恩人なんだ…あんまり、ふざけた事言うと」
「殺すかシン・アスカ?あぁ、構わないぜ。人殺しに慣れたお前なら、ナイフ一本あれば数
秒で俺を殺れるだろうさ」
「お前、俺の名前を」
「知ってるさ、悪いか?」
 シンの目が驚きで見開かれ、その様子をスカリエッティは、心底つまらなさそうに見つめ
る。まるで、プレゼントされた玩具が気に入らない子供のように、スカリエッティが出す感
情は雑で激しい。
「この感覚…っち、もう来たのか」 
 スカリエッティの舌打ちが響くと、空間に亀裂が走り大気が鳴動する。スカリエッティを
中心に"ミッド"でも"ベルカ"でも無い魔法陣が展開された。
 バキリ、バキリと空間がガラスのようにひび割れ、空間が崩れ落ちていく。
『位相空間が展開されますですぅ!はやてちゃん気を付け、』
 リインフォースⅡの叫びも空しく、ブツンと、物理的な音を立てて"空間"が"入れ替わった"
「ここは・・・」
 はやての目の前には、荒涼たる闇が広がっていた。
 あまりに闇が巨大で闇"しか"無い為に漠然とした距離も掴みがたい。
 困惑するはやて達を他所にシンはこの空間に見覚えがあった。
 ディープホエールの中で人型相手に夢を見た領域と同じなのだ。
「はしゃぎ過ぎだね、馬鹿息子。それから口の利き方は直せとあれ程いったはずだけどね。
仇敵とは言え、女性にその言葉使いは戴けない。保護者の品性まで疑われるよ」
「結局手出すのかよ馬鹿親父」
「おまけに人の話も聞かない。一体誰の似たのやら」
「お前だお前」
「お、親父!?」
 闇の中心で談笑し合う二人のスカリエッティを見て、今度こそ、はやての思考は完全に崩壊
した。確かに良く見れば、二人は雰囲気こそ違うが姿形は瓜二つだ。
 親子と言われて も何の遜色も無い。だが、はやてが感じる違和感と警戒レベルは、加速度
的に上昇し、最早限界を振り切った。
 はやての、心と経験が最大レベルの警鐘を鳴らしている時、シンの心も同様に危険を訴えて
いた。
 だが、はやてが二人のスカリエッティに危機感を抱いてるのに対し、シンは赤い瞳のスカリ
エッティ、只一人に対して異様なまでの警戒心を抱いていた。
(こいつ…)
 赤い瞳のスカリエッティは、シンの方を見向きもぜず、もう一人のスカリエッティと談笑し
ている。だが、例えシンに視線を向けていなくとも、絶望、憎悪、怒り、その全てを内包した
形容しがたい感情を向けられているのが分かった。
(俺を憎んでる…)
 人型から感じた憎しみより、尚色濃い絶対的な憎しみはシンを縛って止まない。ここで、こ
いつを倒して置かなければ、絶対後悔する事になる。
 理性や本能では無く、シンの魂が生涯最悪の敵の存在を鮮明に感じ取っていた。
(これは…ちょっとピンチかも知れんな)
 やはり、リインフォースⅡを残して来たのは失敗だったと、はやてはほぞを噛んだ。
 まだ、調整段階とは言え"ユニゾン"が使えれば、強引に戦局を打破出来たかも知れないと感
じるのは、はやての傲慢だろうか。
「始めまして、八神はやて。"私"が君達の追い求めるスカリエッティだよ」
 苦々しく表情を崩すはやてに対し、金色の瞳、本当の意味でのスカリエッティは実に上機嫌
だった。だが、優男風の風体から漏れる得体の知れぬ鬼気にやては脂汗を流す。
 印象は柔らかなものだが、それだけで図れない得体の知れない不気味さを感じるのだ。
「そのようやな…で、そちらのそっくりさんは一体何処の誰さんやって?」
「おや、馬鹿息子の話を聞いてなかったのかい?私の愛しい馬鹿息子だよ」
 馬鹿馬鹿と連呼する割には、愛おしそうに赤い瞳を金色の瞳で見つめている。はやてをから
かっているわけでは無く、心底馬鹿で愛しいと思っているのだろう。
 はやてにスカリエッティの真意は見えない。だが、はやては、彼が嘘をついているとはどう
しても思えなかった。

「息子…やて」」
「そう、息子さ…そして、彼女達が私の娘達さ」
 スカリエッティが指を鳴らすと、眼前の空間が歪み窪んだ渦から転移方陣が展開され、スカ
リエッティを囲むように現れた五人の少女達が現れる。
 少女達は、捩れた空間から音一つ立てずに現れ、円陣を組み、二人のスカリエッティを守る
ようにはやて達の前に立ちふさがっていた。
 共通的な外見として、全員ニビ色のプロテクターと紺のラバースーツに身を包み、赤い瞳が
三つ描かれたマスケラを付けているが背格好は様々だ。
 銀色の髪に少女のような華奢な体。
 紫色の髪を持つ、男を見間違えそうな大柄な女。
 金色の髪を背中まで伸ばした女は、ラバースーツ越しにしなやかな肢体を晒している。
 オレンジ色の髪のショートカットの少女は何が可笑しいのか、クスクスと嫌らしい忍び笑い
を漏らし続けていた。
 そして、ウェーブのかかった髪を背中に流し、落ち着いた風貌を見せ、ドクターの傍に控え
るように立つ女がリーダーだろうか。
 他の四人から感じる事の出来ない威厳のような物を感じる。
「なんや、こいつら」
 ただ立っているだけだと言うのに、彼女達の佇まいには隙が無さ過ぎる。
 皆何かしらの戦闘訓練を受けているのだろう。はやては、彼女達が一目見ただけで只者では
無いと直感し、特に紫の髪の女からは並々ならぬ迫力と重圧を感じた。
「ナンバーズ総出でお出迎えか…ありがたい事だ」
「口を慎め…私達はドクターの護衛で来たのだ…お前を助けに来たわけでは無い」
 大柄の女が、怒りと侮蔑を込めてスカリエッティを見つめる。
「俺は最初から救援なんざ求めてないぞ、トーレ」
「武装隊が居て手出せなかっただけなのにか?」
「黙ってろ…クソチビ!鱠にするぞ、チビチンク!」
「結果的に貴方はドクターの手を煩わせました…同じ事です」
 敵方は敵方で何か軋轢があるのだろうか。スカリエッティとマスケラの女達はいがみあって
いるようだ。スカリエッティは敵愾心丸出しで、マスケラの女達に噛み付いている。
(さて、どないしよか)
 はやての中で、彼らと戦うと言う選択肢は端から存在しなかった。
 赤い瞳のスカリエッティの言葉を信じるならば、戦いに来たわけでは無いと言う。
 当然鵜呑みするはずも無かったが、疲弊した戦力では彼らに勝てるとも思えなかった。
 膠着状態は続き、千日手になると思われた矢先、一人シン・アスカだけは違っていた。
 突然弾けれるように飛び出したシンは、ドクターやマスケラの女達には目もくれず、スカリ
エッティ目掛けて突進する。あまりの早業に、シンを抱えていたティアナが目を疑った程だ。
 そのまま、急角度で折れ曲がり、シンは、スカリエッティ目掛けて進行方向を無理やり捻じ
曲げた。
(頭を潰せばそれで終わる!)
 マスケラの女達もシンが、最初に赤い瞳のスカリエッティに標的を定めた事に油断したのか
、シンの行動に反応が遅れる。シンは、肉食獣のように俊敏な動きを見せドクターに肉薄し残
された右腕を振るった。
 シンの思惑通り、ドクターは、学者風の優男な風体をしているだけあり反射神経も人並み程
度だ。たった一度の勝機の為、極限にまで研ぎ澄まされた集中力から引き出された拳打に抗う
術は無い。それが証拠にドクターは身じろぎ一つせず、只、シンの攻撃を見つめていた。
 一人を除いて。
「人の親父に勝手に手出してんじゃねぇぞ、化け物」
「あがっ!」
「アスカさん」
 またも、一体いつの間に移動したのか。ドクターを守るように、スカリエッティがシンの前
に忽然と姿を"現し"た。スカリエッティの足元に、血のように赤い魔方陣が展開され、スカリ
エッティは、怒気を孕んだ声と共に魔力盾を精製する。
 シンの右ストレートは、魔力盾によって阻まれ紫電を散らす。肉の焦げた匂いが辺りに充満
し、魔力盾に接触した衝撃でシンが遥か後方に吹き飛ばされた。

「アスカ!」
「シン君!」
「ティア、スバル、アスカさんを助けて!なのはちゃん!」
「レイジングハート!」
『allright!』
 はやての叫び声に、なのはの足元に魔法陣が展開され、桜色の魔力弾が精製される
「無粋だね」
 ジェイル・スカリエッティが、溜息混じりに指をかき鳴らすと、翡翠色の粒子が大気に舞
い、なのはの魔力弾が消えていく。
「この感じ!AMF…でも!」
 なのはが感じた違和感は、間違いなくAMFだった。魔力が溶けていくような、これまで
何度も味わった不快な感覚に眉を潜めるが、同時に獰猛な笑みを返す。
 幾ら疲弊したとは言え、こんな低濃度のAMFでなのはの魔力弾は消しきれない。
 今消えているのは、AMFでわざと消えるように作った外殻だ。
「行け!」
 本家本元の多重弾殻射撃。
 AMFで消しきれない魔力弾がドクター目掛けて飛翔する。
「血の気が多いね、君達は」
 なのはは、裂帛の気合を混め魔力弾を射出するが、ドクターが再び指を鳴らすと、魔力弾
が翡翠色の光に包まれ大気に四散する。それと同時に、魔力弾を精製した分だけの魔力がな
のは中からごっそりと"消失"した。
「これは…」
 なのはは、突然襲ってきた虚脱感に苦しみ足元が覚束ず膝をついてしまう。
「ANTI MAGI LINK FIELD。平たく言えば、魔力素子の結合を阻害するだっ
たっけかな。確か"私"が作った事になってるのかな、"今回"では」
 芝居がかった台詞回しだが、はやては、今回と言う言葉に違和感を感じる。
「今回?どう言う意味や。AMFはアンタが開発した技術ちゃうんか!」
「正史ではね…外典の僕と君達では関係の無い話さ」
「クソ親父。テメェ、何ペラペラ喋ってやがる」
 後ろから飛んできた右ストレートを、振り返りもせずに避けるドクター。渾身の一撃を避
けられたスカリエッティは、勢い余って塩の山に頭は突っ込んでいく。
「ゲームは平等じゃ無いと意味が無いだろう。こっちには、君のようなワイルドカードまで
手に入れてるんだ。少し位レートを上げても罰は当らないさ」
「けっ…俺程度が切り札になるかよ。向こうには、化物が付いてるんだ。こんな程度の戦局
いつでもひっくり返されるんだよ」
 スカリエッティは、口から大量の塩を吐き出しながら、ドクターに対し抗議の視線を送る。
「謙虚だねぇ…でも、僕はそんな君が大好きさ、ねぇ馬鹿息子」
「キモイ…心底キモイ」
「またも傷つくね、どうも」
 ドクターは頭を振るい、スカリエッティの心底嫌そうな顔に溜息をつく。スカリエッティ
ももう邪魔をする気は無いのか、塩を吐き出すのに必死だ。
「話を戻そうAMFは、飽く迄魔力素子の結合を解除し、魔法を使えなくするだけの物だ。
当然魔力が消えて無くなったりするものじゃない。魔力のような曖昧な物質でも、キチンと
物理法則に則り、質量保存の法則、熱エネルギーの第二法則、エントロピー増大の原理から
逃れられる物じゃない」
「全然話が繋がってねえだろうが」
「煩いねどうも。機動六課の諸君。早い話が、今展開されているAMFに魔力を根こそぎ奪
われていく感覚を覚えていないかい?」
 静まり帰った場にドクターは肯定と取る。
「不思議だね。では、消えてしまった魔力は一体何処に行くのか…それは次回の講釈でと言
う奴かな。当然サービスはここまで。原理も特性も明かす気は無い。私もゲームに勝ちたい
からね。"今まで"の君達がどうやって克服して来たか知らないけど、でも、これが今回のA
MFさ。しっかり考えて、しっかり対抗してくれたまえ。
 スカリエッティが言っている事は真実ならば、AMFとは本来魔力素子の結合を阻害し、
その結果術式、つまり魔法行使を使用不可とする技術だと言う。
 簡潔に言おう。
 AMFとは魔力その物が無くなる技術では無く、魔法が使えなくなる技術でしか無い。
 だが、シン達機動六課が体験したAMFは、魔法が一切使えなくなる物もあった。少なく
とも、シンがディープホエールの中で体験したAMFは、魔力が根こそぎ吸い取られる類の
物だった。

「質問は何か無いかい?」
「ある!」
「なんだ化け物」
 ティアナに肩を貸され息も絶え絶えなシンが、静寂を切り裂き、スカリエッティ達を睨み
付けていた。
「お前にこの原理が分かるとは思えねえよ。珍妙な回答をするのがオチだ。黙ってろ」
「違う!俺が質問したいのは、そっちのスカリエッティじゃないお前だ!」
「ほぅ。親父じゃなくて俺だと」 
「そうだ。お前は何故。何でお前は俺の事を化け物と呼ぶ。違うそうじゃなくて、お前は何
で俺をそんなに」
 憎んでいるのとは聞けない。
 シンは、自分が憎まれる側であると自覚している。だが、いざその事実を人から突きつけ
られると心が冷えた鉛のように重くなるのだ。
「憎んでいるさ。だが、それは、お前だけに限ったことじゃ無い。お前は偶々選ばれただけ
だ。その点に関してお前に同情してやるよシン・アスカ。俺もお前もキラ・ヤマト…ジョー
ジ・グレンの被害者だ」
「なに!」
 キラ・ヤマト。
 シンにとって、忘れたくても忘れられない名前だが、その名を遥か異邦の地で聞く事にな
るとは思うはずも無い。
「何でお前がその名前を知ってる!」
「歴史は正史を離れ始めた。そして、未知なる外典の時代へと変わりつつあると言う事さ、
シン・アスカ君」
「喋り過ぎだクソ親父」
「息子が嫌がるからね…今日はこれでお暇するよ。では、また」
「答えろスカリエッティ!誤魔化すな!」
 シンの困惑も空しく、ドクターが再び指を鳴らすと漆黒の空間にまたも皹が入る。
 空間が裂け、噴出した赤い粒子がドクター達の体を包んでいく。
 赤い粒子に触れたドクター達の体が大気の溶け始め、やがて、声だけが周囲に木霊する。
「忠告してやる、機動六課…いや、ミッドチルダに生きる人類達。今の内にシン・アスカを
殺しておけ…でない必ず後悔する事になるぞ」
「おや、随分な…自分のやってる事を全否定する気かい?」
「俺にも…良心はある。チャンスは平等だ。理不尽な存在は、そこにいる化け物だけで十分
だ」
「良心か…それもいいさ」
 未だ形保ったスカリエッティが、すえた声で淡々と告げる。
 ドクターの声は、先ほどとは打って変わり、まるで、不器用な息子と苦笑いで見つめる父
親のようだ。この場面だけ切り取れば、二人が本当の親子だと疑う者はいないだろう。
 それほどまでにドクターの声は、穏やかで慈愛に満ちた物だった。
「アホな事言うなや、スカリエッティ!どこの世界に仲間を殺す阿呆がおるか!」
「忠告はした。生かすも殺すも好きにしろ。俺も好きにする」
「君、実は説明するの大好きなんじゃないかい?」
「説明しようってか。残念だげ俺は神出鬼没じゃねえ!」
 陰鬱な声と愉悦に歪んだ声。何処までも対照的な声は、はやての神経を必要以上に逆撫で
する。
「命拾いしたな、二人のスカリエッティ。次は逃がさへんで」
「はっ!やってみな!」
 はやての挑発に、赤い瞳のスカリエッティは、空間が回帰する瞬間に顔を歪め、心底嬉し
そうに、はやてをにらみ付け大気に溶けて行った。
 後に残ったものは、驚く程静かな闇夜と月。先刻までの激闘が嘘のように、世界は静寂を
取り戻していた。

「痛い…ランスター…もう少し優しくしてくれ」
「男でしょ。これ位我慢しないさよ」
「俺、目が覚めたばっかりなんだぞ」
「アンタは、何かある度に大怪我し過ぎなのよ!」
「あいだだああああああ」
 ティアナは薬を塗り終えると、勘弁ならんとばかりに、シンの背中に大判の紅葉お見舞い
する。
 激闘終えて何とやら。
 ディープホエールとの死闘を終えた、六課のフォワード陣は、案の定と言うべきか全員即
日病院送りとなっていた。
 特にシンの怪我が激しく、極度の疲労と併せ左腕を失う大怪我を負い、裂傷や小さな骨折
は数えるのが馬鹿らしくなる程だった。
 当直の医師と看護師は、炭化したシンの左肩を見て面食らいそのまま緊急手術と相成った。
「しかし、無事で良かった」
「ほんま、今回ばっかりは実はもうあかんかと思ったわ」
 看護椅子に座り、忍び笑いを漏らすシグナムの横で、はやては大きな溜息をついた。
 自分で立案した作戦だったが、思い返して見れば際どい綱渡りの連続で、良くぞ渡りきっ
たものだと今更ながら肝を冷やしているのだ。 
 はやての右腕は、包帯が巻かれ骨折はしていないそうだが、筋を痛めてしまい動かすだけ
で激痛が走るのだ。
 魔法で無理に治療すると、後遺症が残る可能性がある為に暫くは整形外科のお世話になる
ようだ。
 はやてに比べ実はティアナの方が軽傷だった。打ち身や切り傷を覗けば、精々髪の毛の先
が少々焦げた程度で、つい一ヶ月前に切ったばかりの髪をまた短くしなければならないのか
と、新たに乙女特有の悩みが生まれた程度の物だ。
「すいません…部隊長…俺の為に」
 はやて達の怪我を見ると、シンの表情が目に見えて暗くなる。
「何度も言い過ぎやアスカさん。それに、勘違いしたら、あかんでアスカさん。本作戦は上
層部から"正式"に"命令"されたものや。そこに偶々アスカさんの救出作戦が都合良く組み込
まれただけで、管理局的にはついでやねんで…って何で二人共笑うんよ」
 飽く迄厳しい顔立ちで生徒を叱る教師のように接するはやてに、シグナムとティアナの頬
が思わず緩む。
 シンの表情は変わらないが、肩小刻みに震え口の端が少しだけ釣り上がっていた。
 命令違反ばかりだったが、シンも一応元軍人だ。
 連合時代の経験で、命令系統と組織の上下関係の厳しさは身に染みて分かっている。
 ただ、はやてが無茶をして自分を助けてくれたと分かり嬉しくなったのだ。
「な、なんやのん、三人とも。クスクス笑ったりして」
「いえ、別に」
「主はやて今更でしょうに」
 あまりに分かり易い照れ隠しにシグナムが失笑気味に漏らす。
「ついでも嬉しかったです部隊長」
「ありがとう」と満面の笑みを浮かべるシンに、はやての頬が桜色に染まる。
 司令官として言葉をかけたつもりなのだが、どうにもシンに手玉に取られた気が否めない
。何より気になったのが隣の二人組みだ。はやては、極当たり前の事を言ったはずなのに、
照れ隠しに取られているような気がする。
 はやて自身、シンに対して吝かで無い気持ちを持っている事はもう隠す気も無いが、面と
向かって指摘されると、どうにも照れて仕方ない。
 特に当の本人は、どうにも中途半端にしか物事を認識していないのだろう。
 はやての好意も上官の部下に対する厚意をしかとっていない節がある、ような気がする。

「…まぁ…仲間を助けのは当たり前やし」
 今はまだこれでいいかと、はやては嘆息しティアナに目配せする。ティアナも微笑を浮
かべ、無言で視線を返してくる。
(まぁええわ。のんびり行こうか、私)
  幸いシンも皆無事だったのだ。今後スカリエッティとレリックを巡る戦いは熾烈を極め
るであろうが、今はこれでよい。
 自分の気持ちも、シンの気持ちも、まだまだ先があるのだ。
 さし当たって今やる事は、シグナムが剥き終ろうとしているリンゴを、如何にしてシン
に食べさせる事だろうか。
 はやての視線にティアナも意図を察したらしく、分かっていないのはシグナムとシンだ
けで、少女達は水面下で実に分かり易い火花を散らしていた。
 シンは、右腕一本では巧くバランスを取れないのか、ペットボトルの水を手に持ち飲み
難そうに四苦八苦している。
 控えめに見えても、シンがはやてとティアナの攻撃を避ける事は難しそうだった。
 はやては「焦る事は無いのんびりと分かって貰う、もとい分かって欲しいなぁ」と、ぼ
んやりと考えながら、飽く迄剥き終わったリンゴに自然に手を伸ばし、
「おや、仲間で良いのかい、はやて?」
 はやては、後ろから聞こえて来た艶っぽい声に強引に思考を中断させられた
「ヴェロッサ!」
 はやてが、突然頓狂な声を上げる中、病室に入ってきたのはシンが知らない顔だった。
シンは、何処かで見た事があると思ったが、どうにも思い出せない。
 だが、男だと言うのに、腰まで伸びた髪とレイボーイの丸出しの柔和な顔だが、切れ長
の眉と瞳が彼を只者で無い事を告げていた。
「ほら、剥けたぞアスカ」
「副隊長。ありがとうございます」
 流石、剣の騎士だけあって刃物の使い方には、目を見張る物がある。
 リンゴは、皮を剥かれ瑞々しい果肉を衆目に晒し、切られ、更に盛り付けられ、シンは
待ってましたと言わんばかりに手を伸ばした。
「やぁ、ホテルアグスタ以来かな、はやて」
「…そうやね」
「おや…何かご機嫌斜めだね。どうかしたのかい?」
「別に」
 シンの口の中でリンゴがシャクシャクと小気味良い音を立てている。はやてとティアナ
は、突然の闖入者で出鼻を挫かれ、手持ち無沙汰に視線をさ迷わせる。
「部隊長…この方は?」
「あ…えっと、彼はヴェロッサ・アコース。カリムの義弟や」
「カリムって騎士カリムですか?聖王教会の」
「そうや。ついでに言えば忙しい事で有名な管理局の査察官。こんな所で油売ってて良い
部署やあらへん」
「こ、言葉に随分と棘があるね。そんなに「あ~ん」をやって見たかったのかい?」
「ち、違うわ!」
「素直になった方が良いと思うけどね」
 はやては、身を乗り出し、そのままヴェロッサの口を塞ぎ、耳朶を赤く染めながらガア
アと唸り狂う。内心を悟られて恥ずかしかったのか、シンに聞かれそうになったのが、恥
ずかしかったのか。
 もしくはその両方なのか。
 どちらにしても、僅かに頬を染め、気まずそうに視線をずらすティアナ共々、はやての
恋愛経験値は実に低かった。
「何ってご挨拶だね、はやて。折角愛しのアスカ君の為にこれをもって来て上げたのに」
「俺にですか?」
「そうだよ。我が麗しの義姉君からアスカ君にプレゼントだよ」
 ヴェロッサは、何処に隠していたのか大型のアタッシュケースを持ち上げ、シンへと差
し出す。
 シンは怪訝な顔を見せたが、ヴェロッサの視線に促され、そろそろとアタッシュケース
を開けた。圧縮空気の漏れる音が病室に響き、中には無骨な機械仕掛けの腕が入っていた。

「義手ですか?」
「そう本局技術部がジャンクパーツと試作デバイスの余剰パーツを使って、暇潰しに作っ
た一品だよ。ちょっと重いけど生活を送るには十分だろう。持つべきモノは有能な上司に
限るよ、楽が出来るからね」
 パチンとウインクするヴェロッサにシンは、半笑いで返す。
 どうにも今まで出会った事が無い人種で対応に困ってしまうシンだった。特にあの瞳に
見つめられると、心の中まで見透かされるような気がして酷く落ち着かない。
 騎士カリムの義弟であると言うことから、聖王教会内部でも地位はきっと高いのだろう。
(お偉いさんの身内か)
 シンは、昔からお偉いさんの親戚と相性が悪い。
 特に息子とか息子とか息子とか。兎に角権力が苦手なシンには、ヴェロッサの肩書きは
必要以上に落ち着かないものだった。
 シンは内心と悟られないように、義手を手に持ってみる。
(重いな、これ)
 何の合金を使っているのか分からないが、手触りは硬いような柔らかいような妙な感覚
だ。金属は冷たいと思いがちになるが、シンに手渡された義手は、ほんのりと暖かな熱を
持っていた。
「左腕は、直ぐにでも再生治療にかけたいんだけど…君は…そのほら、分かるだろう」
「…はい」
 シンは遺伝子を生まれながらに調整操作し誕生したコーディネーターだ。ミッドチルダ
は、CEほど遺伝子操作技術は発達していない癖に、クローニングなど技術はCEとは比
較にならないくらい発展している。
 患者の細胞を培養し、欠損部位をクローン治療する事など朝飯前だ。予想される拒否反
応も魔法によって調整されほぼ無いと言っても良い。
 シンの存在が極秘なのは、何も後天的に生まれた魔道士だからだけでは無い。遺伝子を
弄って生まれた人類。その特異性から考えても、一部の上層部しか知らないランクSSS
級の最重要極秘事項なのだ。
 民間医療会社や大学病院にシンの細胞サンプルを渡せば、世間がひっくり変える大騒動
になりかねない。そんなわけで、シンの左腕の治療は信頼出来る機関、主に聖王教会の息
が掛かった研究機関に委託される事となった。事が事だけに万全を期する必要がある。組
織の生臭い裏事情で、シンの左腕が用意出来るのは年末になってしまうという事だった。
「任務には使えるんですか?」
「入院中にもう仕事の話かい?」
「いけませんか」
 海で出会った二人のスカリエッティとマスケラを被り全身タイツ姿の女性達。直接手を
合わせた訳では無かったが、立ち振舞いから只者では無いと感じた。
 AMF領域化においては身体強化の類の魔法は使えない。
 彼女達の戦闘能力は未だ不明だが、わざわざ魔法が使えない領域に連れて来ているのだ。
 魔法を使えなくとも、シン達を制圧出来る術を心得ているのだろう。
 そんな常識外の力が罪も無い人に牙を向くとするならば、戦力は無いに越した事は無い
はず。
「気が逸るのも分かるけど、シン・アスカ君…心配しなくても、六課は暫く開店休業状態
だよ」
「えっ、なんでですか?」
 シンは、首を直角に曲げ、唖然をしながらはやてを見つめる。ヴェロッサの言葉は図星
らしく、はやてはバツが悪そうに頬をかき苦笑いで答えた。
「えっとな…まぁそんな感じや」
「そうか…そうだよな」
 クラナガンの大学病院には、六課の実行部隊の殆どの者が入院している。比較的軽症だ
ったティアナも大事を取って入院させられ、はやての腕には痛々しい包帯が巻かれている
のだ。
 人員もそうだが、搬送用の輸送ヘリも失ったと聞く。
 因みに管理局襲撃、訓練事故、そして、今回の件を含めれば、シンは三回目の入院であ
る。
 しかも、その全てが重症な上に極めて短期間での入院した頃から、看護師達からは影な
がら三冠王と呼ばれている。
 一番元気なスバルも、流石に今回は疲れたらしく、ベットの上で眠りこけているらしい
。二、三日寝なくても平気なスバルが、打っ倒れる程今回の戦闘は苛烈な物だった。
 そんなこんなで、ヴェロッサの言う通り六課の戦力は壊滅状態。
 立て直しには、今暫くの時が必要だった。
「敵の戦力が予想以上に大きい事が分かったからね。建て直し期間中に、この際やから上
層部に追加戦力と装備を申請するつもりや」
 声の調子は低い癖に、ニンマリと意地悪く笑うはやて。
「悪い顔してるなぁ、はやて。そんな事だから、上に目を付けられるんだよ」
「仲間、皆の命には変えられません」

 ぴしゃりと言い切るはやてに、ヴェロッサは苦笑し肩を下げる。
 やると言うからには、はやては追加戦力の申請をやり遂げるのだろう。
 これだけ言い切るのだ。もう言質は取ってあるだろうし、はやての事だ、恐らくもう申
請は出しているのだろう。
 今頃申請を受けた人事部と総務部は大慌てで対応に追われていることだろう。
 ヴェロッサは、担当者を少し気の毒に思ったが、そこは所詮他人事。
 自分に迷惑が回ってこない程度に立ち回ってくれと苦笑する。
「そんな訳で今はしっかり養生してもいいさ、アスカ君。その義手は義姉からのプレゼン
トだ。好きに使ってくれて構わない」
「あ、ありがとうございます」
「うん。どういたしまして」
 実の所、シンはヴェロッサの笑顔に僅かな不信感を抱いていた。
 幾らはやてが率いる機動六課が、騎士カリムのお気に入りであろうとも、一隊員でしか
無いシンに特別製の義手を気前良くあげてしまうなど、少々度が過ぎていると感じた。
 手際が良すぎるし、何より普通に考えても変な話だ。
 シンには、まるで、こうなる事が"予め"分かっていたような印象さえ受けた。
 どうにも状況に付いていけないシンに対して、ヴェロッサは心得た物で、シンが心変わ
りする前に病室を後にする。
 仕事のついでとは言え、シンに義手を届ける事も彼の立派な任務の一つだ。
 今更怪しいからいらないと突っ返されても困るのだ。
「これで一つ任務は終わり」とヴェロッサは、鼻歌を歌いながら病院の清潔なリノリウム
の床をわざと音を立てて歩いていく。
 はやて達の快刀乱麻の活躍で、漸くと言うべきか事件の黒幕が見えて来た。
 不謹慎だが、仕事にも漸く張り合いが出てきた所だ。義姉がシン・アスカ、しいては機
動六課に入れ込んでいるようだが、大方予言絡みの事だろうとヴェロッサは大まかな当た
りを付ける。
「楽しくなって来たかな」
 すれ違った老人と看護師が、思わず目を見張る程、ヴェロッサ・アコースは、本当に楽
しそうに苦笑していた。

「ねえ、アスカ…それどうするの?」
「いや、折角貰ったんだから、使ってみようとは思ってる」
 シンの困惑を映すように、窓から差し込んだ陽射しで、アッシュグレーの義手が鈍く光
る。
「勝手に付けて大丈夫なの」
「まぁ問題無いやろ。爆発するわけでも無いやろし」
「出所は保障済みだ。心配なかろう」
 心配そうな表情のティアナと違い、余程騎士カリムに全幅の信頼を置いているのだろう。
はやてとシグナムあっけらかんとした物だ。三人の様子に、シンは苦笑いしながら、恐る
恐る義手を左腕に付ける。
「凄いなこれ。アタッチメントも無しで直接肌に付けられるのか」
 圧縮空気が頓狂な音を立て、義手のアタッチメントがシンの腕に吸い付く様に固定された
。義手はシンの体に良く馴染み痛みも殆ど無い。どんな原理か知らないが、義手はシンが考
えた通り動き、その動きは滑らかで人体となんら遜色は無いものだった。まるで、失った左
手が蘇って来たかのような印象を受ける。
「でも、重いなこれ」
 付け心地は抜群だが、左手の変わりにするには随分と重い。鍛えているから問題は無いが
、慣れるまで少し時間がかかりそうだった。
「ならば早速リハビリ(社会復帰)だ。義手で食べて見ろ」
 シグナムは苦笑しながら、爪楊枝刺した林檎をシンに差し出す。
「流石に食べれますよ」
 シンは苦笑しながら、ベットから乗り出しシグナムの差し出した林檎に手を伸ばす。シン
は、無意識に左腕を伸ばす。バランス、重心の取り方、十七年間慣れ親しんだ体の動かし方
を、本当にいつもの通りに動かした。
「う…え?」
 案の定と言うべきか、お約束と言うべきか、左腕の義手の重量はシンの左腕の三倍はある
。つまり、シンがバランスを崩すのは必然と言える。
 むにゅと、実に羨ましい擬音を立て、シンはシグナムの両胸に見事に突っ伏した。
「……アスカ…貴様な」
 公然と胸を触られるのは流石に恥ずかしいのだろう。怒りか羞恥か、はたまた全く別の感
情か。シグナムは耳朶を赤く染め、肩を小刻みに震わせている。
「何か…やりそうな気してたんよね」
「本当…ここまでお約束だと、逆に清々しいですね、はやてさん」
「全くやティア。あんまり清々し過ぎて、私らの怒りもどっか行ってまいそうやわ」
「アスカ、事故で処理したけるから、ゆっくりこっち向きなさい」
 飽く迄声は穏やかだが、経験上絶対それだけでは済まないとシンは直感している。
(振り返ったら…ヤラレル)
 心の中でそう思いながら、ならその怒りを今すぐどうぞお治め下さいと、シンは背中から
感じる過去最大級の重圧に顔を盛大に引きつらせ、どうすればこの場を切り抜けられるか、
思考を最大効率でかき回す。
「ご、誤解っ」
「五回も六回も無いわよ(や)!」
 当然と言ってはなんだが、シンには素直にお叱りを受ける以外道は無く、
(部隊長とランスター…名前で呼び合ってたよな)
 シンは薄れ行く意識の中で、今更そんな事を思っていた。

 誰もが寝静まった深夜。避難用の誘導灯の淡い緑色の光がキャロの顔を射していた。
 ベットには、シンが横たわり安らかな寝息を立てている。
 何故か両頬に大きな紅葉型の痣があったのは謎だったが、大方の予想はついていた。
 どうせ、またデリカシーの無い事をやって、はやてとティアナの怒りを買ったのだろう。
 キャロは、苦笑しながら備え付けの椅子に腰を下ろした。
 病院内は空調が効いている為、蒸し暑い外とは違い快適その物だ。
 自然の風に当ろうと、窓を開けると生ぬるい風が病室に舞い込み、キャロは思わず顔を顰
めた。
 塩の香りが無いだけマシだが、暫く生ぬるい風を浴びるだけで、先日の事件を思い出しそ
うになる。
 初めて命の危険を感じ、初めて人を憎み、初めて恐怖し、初めて信頼して見ようと思った。
 そう、全てが初めて尽くしの大事件だった。
 時間にすれば僅か一日とちょっとの出来事であったが、密度や濃度は今までの日々の万倍
も濃かった。
 魔力を食らう怪生物と捜査対象であるジェイル・スカリエッティに加え、マスケラを被っ
た正体不明の女達。そして、シンと同じ血のように赤い瞳を持ったもう一人のスカリエッテ
ィ。
 恐らく、これから先はキャロの想像も付かないような、厳しい戦いが待っているはずだ。
 只、今一時は休息に身を委ねても誰にも文句は言われないだろう。
 むしろ、文句を言う人間が居れば、私がシンの弁護を受け持てば良い。
 キャロはそう思っている。そもそも、男の"子"と言う人種は頑張り過ぎなのだとキャロは
思う。エリオにしても、シンにしても、出撃すれば生傷をこさえ怪我は絶えない。
 全ては今更だが、もう少し自分の体を大事にしても罰は当らないはずだった。
 普段真面目そんな也をしているが、シンの寝相は随分と悪い。ベットの端でシーツを蹴っ
飛ばし、折角ある枕はあらん方向へ飛んでいっている。
「マユ…」
 ふと、キャロの耳に優しい声が届いた。
 どんな夢を見ているのだろうか。
 きっと、妹さんが生きていた家族の夢を見ているのだろう。家族が居ないキャロだが、思
い出の中にまで嫉妬するほど、キャロも無粋では無い。
 だが、胸の古傷と上手に付き合っていくには、キャロにはもう少し時間が必要なのも事実
だった。
 苦笑しながら肌蹴たシーツを整え、起こしてはいけないとキャロは静かに病室を後にしよ
うとする。
 結局シンに何を言いたかったのか、キャロ自身も良く分からなかった。わざわざ、皆が寝
静まった頃を見計らったと言うのにだ。
「おやすみなさい」
「アスカさん」と言い掛けて、キャロは何故か口ごもる。
 俊巡した後、悪戯っ娘が浮かべそうな底意地の悪い笑顔をシンへ向け、
「おやすみ、お兄ちゃん」と一言だけ告げてキャロは、病室を後にした
 開けっ放しの窓から流れる風がカーテンを揺らし、気の早い虫達が秋の到来を告げようと
騒がしく鳴いている。
「あぁ…おやすみ…マユ」
 安らぎに満ちた声が病室に響く。
 例えその姿が空想の中の産物だとしても、聞こえてきた声が偽者だとしても、シンの寝顔
はとても安らかな物だった。
 ミッドチルダに来て数ヶ月。
 むせ返る様な暑い夏の日。
 シン・アスカは、初めて悪夢を見なかった。

第七幕了