RePlus_第八幕_後編5

Last-modified: 2011-08-02 (火) 18:39:59

 彼女は困惑していた。
 アズサ・サニーサイドアップは、自分が初めて担当し、文字通り丹精込めて当人と一緒
に"一"から作り上げたアイドルだ。
 完全無欠に及ばなくとも、本人の弛まぬ鍛錬と研鑽、そして、ジュディが全身全霊を賭
けてマネイジメントのおかげで、運にも助けられ程なくトップアーティストの仲間入りを
果たせた。
 一度は"不運"なスキャンダルが降りかかってきたが、管理局の高官であるアズサの父君
の補佐で、短時間での復活にこぎ着けることが出来た。
 ライバルを蹴落とし、自身が成り上がることが至上命題な芸能界ではこれはとても稀有
な事だ。

「なに…よ…これ」

 アズサの幸運は、自分の幸運。
 ジュディは、アズサの復活を実の娘のように喜び、今日の復活ライブの成功の為にマネ
ージャー人生を全てを賭けた。
 にも関わらず、ジュディに過去類を見ない最大の不幸が襲うとしていた。

「あら、ごめんなさい」

 耳に届くのは、酷く聞き慣れた声。
 ジュディは、それが自分の声と寸分違わず同じだと理解するのに、幾許かの時間が必要
だった。

「な、なによ貴女は!」

 ミーティングルームに突然現れた女は、思えば最初から全てが異質だった。
 細い菱形の目が"二つ"刻まれたマスケラを被り、全身をニビ色のラバースーツに身を包
んでいる。
 凹凸のあるグラマラスな体躯とスラリと伸びた足は、芸能界でもとんと見る事の出来な
い見事な代物だ。
 だが、体の作りが素晴らしいだけに、仮面の女から感じる雰囲気は素人目に見ても、い
や、素人目に見るからこそ余計に異質に見えた

『Caaaa』

 鳥の戦慄きがかすかに聞こえ、仮面の女から赤い粒子が撒き散らされた瞬間、ジュディ
の周囲から音と気配の一切が消え去った。
 全身に悪寒を感じたジュディは、その場から一目散に逃げ出そうと踵を返すが、体は鉄
のように重く、マスケラから伸びた赤い光がジュディの全身を照らした。
 体を駆け抜ける、痛みと快楽にジュディは身を捩り、外界と隔絶された異界で頬を上気
させる。
 赤い光が、液晶の走査線のようにジュディの体に無数に走りぬけると、突然女の体がグ
ニャリと音を立てて溶け出した。
 一瞬で人の形を失った女にジュディは驚いた、彼女が息を飲む暇も無く、泥と化した女
は、瞬きの合い間には人型に戻っていた。

「嘘…なによそれ」
「嘘じゃないの現実。これが私のIS"ライアーズマスク"」

 鏡とはそもそも可視光線を反射させて部位を持つ物体だ。
 鏡に映る自分は、左右が反転しているのではなく、正確に言えば前後が逆転しているの
だが、それはジュディには関係なかった。
 鏡に映る自分は、自分ではなく鏡像であり、自分以外の何かのはずだ。
 では、ジュディの目の前に再現された寸分違わぬジュディ"本人"は一体なんなのだろう。
 顔を見るまでもない、仕草も纏った空気も自分自身だから確信を込めて断言できる。
 ジュディの目の前に居る、何かはジュディ本人だ。 
 では、もう一人の自分を見て恐れ戦く自分は一体ナニモノなのか。
 この世の物とも思えぬ異質な何を見たジュディは、悲鳴をあげ、首に受けた衝撃に意識
手放した。
 
「さぁて、お仕事おっ始めるわよ」

 マスケラが空に舞えば、仮面の下から現れたのは、ジュディの顔を寸分違わぬ同一の"顔
"だ。

「楽しいライブの幕開けよ!」

 まるで、鏡の中から現れた本物の怪物のように、スカリエッティが創造せし戦闘機人第
二位ドゥーエは楽しそうに開戦を告げた。

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第八幕『瞬間心重ねて-IDOL@MASTER』-後編5-

 階下のステージでは、シン達が文字通り命を燃やしてステージに挑んでいる。
 熱狂する観客。
 溢れる音階。
 最新のQG(Quantum mechanics Graphic)を駆使して作られた舞台装置は、視る物を圧
倒し、一夜の享楽へと感情を押しのける。
 ドーム中央に敷設された巨大なステージの中心で、今宵の歌姫であるアズサ・サニーサイ
ドアップが静かに佇んでいた。
 トレードマークの金色の髪は、今は 自身の命を狙われている可能性があるにも関わらず
、狙撃や襲撃にあまりに無防備な立ち振る舞いは、アズサの自信と覚悟の表れだろうか。
 挑戦的に朗らかに、そして、明瞭なる声で望みのままにアズサは、戦いの狼煙をあげる。
 
「アタシの歌を聞きなさい!」

 閃光にも似た青と緑色のフラッシュが弾け、レーザー光がステージを支配する。
 観衆の歓声が津波のように押し寄せ、それに呼応するかのようにアズサの衣装が全身を締
め付けるような黒のタイトドレスへと変化した。
 
「そして、溺れないさい、私の声で!ambivalence行くわよ」

 アズサのおなじみのヒットナンバーが宣言されると轟音のような雄叫びがドームを飲み込む。
 アズサのベースとなる衣装は、ナノ単位のデバイスで構成された特注品だ。
 BJ構築と転送技術をいかんなく使用し、サーバから量子テレポートされたデータが、ア
ズサの衣装をリアルタイムで投影、更新、構築し、本当に衣装を着込んでいるかのようの錯
覚させる。
 鳴り響くギターと共にアズサの周りに、翡翠色の光が陽炎のように戦慄き、空間が歪み中
から、鉄骨、棒、車のタイヤ、はたまた戦車の砲身など、多種多様の残材が出現する。

「愛してるわけないと---言える君が居る」

 アズサが歌い始めると同時に、残材は、まるで命を吹き込まれたように動き出し、ある物
は手にある物は足に人型に成り代わり、三十二体の木偶人形が出来上がる。

「恥知らずな気持ち持て余し---命を削り、私は願う!」

 木偶人形達はレーザー光とアズサの歌声に呼応するように、鋼鉄で形作られた体を、時に
は滑稽に、時には勇ましく、揺らし踊り続けている。
 アズサのソプラノボイスが、ドームを覆い、バックバンドのギターが鋭い音階が観衆を切
り裂き、群集の感性が、火山が噴火するような暴力的名な圧力を伴いステージに圧し掛かる。
 観客の爆発にも似た声が弾け、一瞬に全てをかける情熱がここにはあった。

「ふんふん!」

 八神はやては、二階席奥のVIPルームで、オーロラビジョンに映し出されるステージに
前に人知れずリズムを口ずさんでいた。
 アズサ側が特別にあつらった六課専用の観客室だが、全体指揮を統括する部隊長ならばい
ざ知らず、会場警備のなのは達は暢気にライブを見学している暇は無い。
 会場内には、私服の管理局員達を忍び込ませているが、何処まで対応出来るかは出た頃勝
負である。
 既に会場内に犯人が紛れ込んでいることを仮定し、六課からも人員を配置したかったが、
何故か"陸"から派遣された隊員にステージ内の警備権限を奪われてしまった。
 陸の最高権力者であるレジアスとアズサの父が懇意にしていると知っていても、場当たり
を通り越し、露骨に指揮権を強奪されれば、現場責任者のはやては面白くない。
 今回のライブ警護の為に鉄壁の布陣を敷いた、はやては、出鼻を挫かれた思いだった。

「どうぞ、八神二佐殿」
「おおきに」

 おまけに、各部隊の連携を密にするため、現場補佐官を宛がわれれば、更に気分は暗澹と
する。
 至極全うな意見に聞こえるが、要は六課が独断専行しない為のお目付け役だ。
 露骨過ぎる嫌がらせを前に、陸、相手の出方が全く読めないのも、また、はやてを鼻持ち
ならない気分にさせるのだった。
 派遣された補佐官は、多少癖っ毛であるものの、長く伸びたアッシュブロンドの髪は、絹
のように滑らかで、静かな物腰と厳しくも優しげな視線は、はやてのおっさん心を擽った。
 器量良しが多い管理局でも指折りの美人に思えるたが、しかし、妙な事にこれほどの美人
ならば、はやての記憶に残るはずが陸にも海にも彼女を見た記憶は無かった。

「随分買い込みましたね」
「新人達の晴れ舞台やからね。経費じゃなくて自腹なんよ」

 苦笑したはやての横には、巨大な紙袋が三つ鎮座し、それぞれ、シン、スバル、ティアナ
のグッズが山のように積み込まれている。
 Tシャツや団扇、タオルなどは分かるは、一体買ってどうするつもりなのか、件の抱き枕
まで購入する徹底振りだった。
 ふと、ステージを見下ろせば、先刻の人形達と同じ演出でシン達が登場し、アズサのバッ
クで踊り始めている。

『始まったんですか?ライブ』
「うんそうや。大入り満員のちょっとだけ早い開演や」
「そっちはどない?リイン」

 モニターには、はやての補佐官であるリインフォースⅡが、うかない顔のまま肩を降ろし
溜息をついている。

 ステージでは、機械仕掛けの人形が、青と赤の閃光が瞬き突然崩壊する。
 バラバラになった人形の部品が、虚空に消え去り、剣と盾を掲げた真っ白な鎧を纏った騎
士達が出現していた。
 はやては、劇団のミュージカルや舞台は何度か鑑賞した事はあった歌手のライブは初めて
だったが、演出、迫力共に格調高い有名な舞台と比べても何ら遜色は感じられない。
 生中継のテレビ映像で雰囲気こそ知っていたが、やはり、体験して初めて分かる事の方が
多く、液晶越しでは、感じ取る事が出来ない熱気に、はやては若干押されながらも、スピー
カーから流れてくるアズサの声に耳を立てた。
 

「で、そっちの状況はどないかな、リイン」
『万事滞りなく…ですけど、滞りなさ過ぎて逆に不気味ですぅ』
「まぁ、何事も起こらんが実は一番やねんけどね」
『何事もおからないまま、会議は終了。ジェイル・スカリエッティ事件に関しても一応六課
主導のままで継続して調査を行えと言う事ですぅ…けど」
「現状維持のままか?陸、海、両方とも腰を上げる気はないってことやね」
『でもでも、増員は認められましたですぅ。二週間以内に腕利きを一人六課に編入の手続き
を取るそうです』
「一人かぁ…もうちょっと欲しいなぁ」

 戦力はあるに越した事はない。 
 だが、広大な次元世界の治安を守る為には、魔道師の数があまりに少なすぎるの現状だ。
 陸と海で人材を取り合う泥仕合の現状で、敵は強大だと上申しても通る事は稀だ。
 聖王教会のコネを最大限に利用し、強引な手段で六課の保有戦力を固めたまでは良かった
が、管理局の上層部が目を瞑ってくれるのはそこまでだった。
 これ以上の増員は、やはり、具体的な捜査の進展、結果を残さなければ受け容れてくれな
いだろう。

『これでも随分譲歩はしてくれたみたいで…はやてちゃん、私じゃこれ以上は無理ですよ』
「分かってる。グッジョブやでリイン」

 時間の無駄は極力さけたかったはやては、自分の代理にリインフォースⅡを出席させた。
 相手がリインフォースⅡでは、文句を言おうにも、悪い言い方だが、小さな"補佐官"が代
理で出席されても、責任者が来なければ話しにはならない。
 リインフォースⅡの報告を聞けば、先の不特定生物群再発生の件もあり戦力増強の申請は
一応受理された。
 やはり、審議委員会を現場指揮を理由に欠席したのは不味かったと思う。 
 はやての目論見的には巧くいったが、上層部の悪印象は免れないだろう。

『万障お繰上げ下さいの大事な会議でしたのに』 
「それを言われると痛いんやけどね。是非やないだけマシと思わんと」
『それはニュアンスの違いだけのような。はやてちゃんの言い分も分かりますけど、表面的
とは言え折角の稟議のチャンス…もう少し上手く使って欲しかったですぅ』
「堪忍やリイン」
『それから…もう少し自分の立場も考え下さいね』
「うぅ耳が痛いなぁ。ほんま堪忍や」

 普段はのほほんとしているリインフォースⅡだが、一度ヘソを曲げると中々に尾を引く性
格をしている。
 今でこそ笑顔を続けているが、彼女は彼女なりに主であるはやての選択に無言ながらも不
服の異を唱えているのだろう。
 決して厄介ごとを押し付けられた恨み節をここぞとばかり炸裂させているわけでない。

『なら、私は聖王教会に報告してから、六課に戻りますでぅ。でも、本当に良かったんです
かはやてちゃんアズサさんの犯人がジェイル・スカリエッティに繋がっているって確たる証
拠も"まだ"ないのに、こんな博打みたいな作戦練って。幹部会の人達の機嫌を損ねただけに
なるんじゃ』

 リインフォースⅡの懸念や心配も良く分かる。
 委員会をすっぽかし、なんの成果も得られませんでしたでは、幹部会の機嫌を損ねるだけ
だ。
 むしろ、今回の任務をやり遂げても、喜ぶのはライス上級委員だけ。
 上級委員を快く思わない幹部会の人間から見れば、六課は聖王教会と上級委員に尻尾を振
る蝙蝠に見えることだろう。

(でもな…あかんねん。リスクを払わんと出来んこともある)
 
 ジェイル・スカリエッティ一味が、ディープホエールのような危険な存在を生み出す技術
を持っているとすれば、どれだけのリスクを払おうとも、決して譲ってはいけない一線は存
在する。
 ディープホエールは、水際で何とか阻止出来たが、もし、あの怪物が市街に暴れ、自滅し
た事を考えれば背筋が寒くなる。
 例えそれが、文字通り蜘蛛の糸のような確立でも、糸がジェイル・スカリエッティに繋が
っている確立がゼロで無い限り、リターンを度外視してもリスクを払うには十分だった。

「ん、まぁ、でも、なんとかなるやろ、お疲れ様リイン。カリムに宜しくな」
『了解ですぅ。ライブ楽しんで下さいですぅ』

 はやては、はいはいと苦笑しながら、通信を切り、端末に備え付けられた、カメラを派遣
された補佐官にそっと向け、デスクトップの隅でシャリオ特性のでアプリケーションを走ら
せ始めた。
 
「元気の良い補佐官さんですね」
「へへ、そうやろ」
 
 補佐官から出された飲み物は梅の匂いが香る梅昆布茶だ。
 日本文化が輸入され始めて久しいとは言え、緑茶ならいざ知らず市場に出回り始めた梅昆
布茶を選ぶ補佐官のセンスは実にはやて好みだ。
 上層部から派遣された補佐官に給仕のような仕事を任せるのは気が引けたが、本人至って
の希望ではやては彼女に好きにさせていた。

「そういえば、お姉さん、お名前なんやったかな」
「ウーノと申します。以後お見知りおきを」
 
 やや、無愛想な雰囲気は拭えないが、ウーノの硬質な笑みは、フィクションの世界の出来
る女が、そのまま浮き出てきたような印象を受ける。
 ウーノ。
 地球言語イタリア語で一番目を指す言葉に、はやての形の良い眉がピクリと跳ねる。

「私、貴女を見たことないけど、管理局は長いんですか?」
「かれこそ五年ほどでしょうか。昔は、所謂非公表部隊で任務に就いていました」

 彼女の言う事は正しい。
 管理局には名前を出す事も出来ない、"裏方"の仕事を受け持つ部隊が幾つも存在する。
 中には質量兵器を使い、後ろめたい任務に従事する部隊も存在する。 
 はやてが彼女の顔を知らなくとも、なんら不自然ではない。

「まぁ…褒められたもんやないけど。上の方には沢山あるそうやね」
「ええ、本当に」

 飽く迄自然に、はやては、内心を悟られまいと梅昆布茶に口を付けた"ふり"をする間にも
、端末にはあるプログラムが走り続けている。
 
「ですが、私は一隊員にしか過ぎません。現場で指揮を摂る八神課長とは責任とは無縁の世
界に生きています。個人の責任と部隊全てを預かる責任。同じだと言う人も居ますが、重み
の違いはおのずと噴き上がって来るものです。それが、人の命に直結すればするほどに」

 はやては、ウーノの意味深な言い方が気に障ったが、非公式部隊に在籍したならば、目を
背けたくなるような事件に何度も遭遇したはずだ。
 長年の経験でこう言う場合、当事者以外が言葉をかけると、何をどうしても言い繕った感
が増すばかりか、無粋な言葉になってしまうのだ。

「私が出来る限りの方法で善処したいと思います」
「感謝致します。話は戻りますが八神二佐。ジェイル・スカリエッティの件、少なからず他
部署でも噂の種になっていますよ」
「噂の的か、まいったなぁ」
「心中お察しします」

 慇懃無礼とも取られかねない発言だが、ウーノの落ち着いた声は、はやての耳にストンと
落ちた。
 同期でもある佐官達からも注進の連絡を貰い、査問委員が動いている中で、噂の種になら
ないはずがないのだ。

「で、噂の"評価"はどんなもんでしょうかね、ウーノさん」
「痛み分け…下馬評どうりでしょうか」

 薄く笑うウーノに益々耳が痛い。
 はやてが個人的に思う分には"分け"ではないが、被った被害を考えれば、やはり、痛みわ
けと言う事になるのだろう

「でも、この間からやられっぱなしやから、ここらでガツンといわせたい雰囲気はあるなぁ」

 端末の隅にデフォルメされたレイジングハートとバルデッシュのアイコンが小さくガッツ
ポーズを決めるのが映る。
 はやては、梅昆布茶を肘掛に乗せ、ウーノにゆっくりと向き直る。

「でや…舞台は折角整えたんや、茶番は終わりにせえへんか?ウーノ補佐官、いや、ジェイ
ル・スカリエッティの関係者さん」

 おかわりの梅昆布茶をお盆に載せたウーノの動きが止まる。
 剣呑な空気こそ流れてはいないが、両者の間に敵意とも似つかない奇妙な空間が生まれ、
そして、消えた。
 
「変装もせず素顔でどうどうと乗り込んでくる豪胆さ、スカリエッティ一味は相変わらず大
胆やね、ほんま。油断も隙もあらへん」
「データベースは改竄済のはずですが」

 暴言ともとられないはやての発言にも、ウーノは、事前工作はさも当然のように言い放つ。
 ウーノの言うとおり、今回の作戦に潜り込む為の考えられる限りの事前工作は打った
 彼女の仕事に不備はなく、こんな短時間で事が露見するようなヘマは打たなかったはずだ。

「違う。管理局にはあんたの言うように非正規部隊が山のようにある。非正規部隊員の経歴
は基本的に抹消される。偽造、捏造が横行する管理局のデータベースに裏づけは期待できへ
んやろ。名簿に上がってこうへん名前と経歴が一致せえへんなんてざらや。経歴が一致せえ
へんことに是非はない。でも、身体データ、声門一致。99.78%の確立であんたは、デ
ィープホエール事件に現れたマスケラの女の一人や。六課技術部お手製の解析アプリ。デー
タベースを検索するんやなくて、個人のバイタルデータをリアルタイムで処理して解析照合
する。データとWEBカメラと端末があれば、誰であろうがあっと言う間にスリーサイズま
でお手の物やで」

 はやての端末には、ウーノの身体データがモデリングされ、ご丁寧に"一致しました"の赤
文字が画面に踊っている。
 表示されたパラメーターには、表層的なデータとは言え、ウーノの裸体がワイヤーフレー
ムで構成され文字通り丸裸にされていた。

「なんというセクハラソフト。まさに犯罪ですね。いや、…画像などいつの間に」
「ばれると犯罪になる事の方が多いってな。それに六課は只では転びませんって奴や。やら
れた分はやりかえさせて貰うで」

 六課で"製造"されたデバイスには、データ解析用に戦闘記録を保存するメモリ機能が付属
されている。
 当然その中には、画像データも残されているが、AMF領域化の中ではノイズが多い。
 回収された画像データは荒く、とても使い物にならなかったが、技術部が一週間貫徹して
ノイズを除去し補正したデータが出来上がったのが今朝方。
 一応念の為に持たせてくれたシャリオにはやては頭が下がる思いだった。
 正直に言えば最初は使う気など毛頭無かった。
 何しろ僅かな元データと写真が数枚あれば、本人ですら知りうる事のないバイタルデータ
を解析してしまうのだ。
 残りの体の傷や黒子の位置。
 それ毛根があと何年で死滅するかも、かなり高精度で予見、解析することが出来る。
 芸能人のスリーサイズ偽証など、このソフトにかかれば風前の灯火以下に成り下がるだろ
う。
 ウーノが言うように、これはプライバシーもへったくれもない悪魔のようなソフトだ。
 犯人逮捕の証拠集めに使うならまだしも、初対面の人間、自分が知らない顔だからと言う
不安定な理由で許されないことだ。
 だが、はやてはウーノ対して僅かな逡巡の後に躊躇わなかった。
 はやてがウーノに使ったのは、なんのことはない、ただの勘だ。
 只の勘に過ぎなかったが、勘が今迄培った知識や経験を無意識に取捨選択した結果ならば
、はやては、背筋に流れる電撃のような閃きに促されるように極々自然にアプリを起動させ
ていた。
 普通に考えれば違法捜査だ。
 だが、理屈や理念を超えた超直感、場の空気、運を味方につけるのもまた、六課と言うス
ペシャリスト集団の手綱を握る上で必要不可欠なスキルだった。

「改めて聞くな…貴女は誰ですか?」
「ウーノ…若輩ながらもジェイル・スカリエッティの秘書、のような物をさせていただいて
おります」
「なるほどなぁ。そら、優秀そうや」
「ドクターと共に歩んできた程度には、そう思って下さって結構です」

 はやての脳裏に、高笑いする二人のスカリエッティの顔が浮かぶ。
 思わずげっそりとするが、気分を取り直し、ウーノに視線を向ける。
 一目で奇人変人のオーラを纏うと分かる彼らの秘書をやっているのだ。
 しかも、二人分だ。
 優秀でなければ彼らの手綱は握れないだろう。

「本物の補佐官は?」
「ご自分の部屋でくつろいでいるのではないでしょうか」」
「結構。まぁそろそろ探り合いはやめようか。ウーノ…貴女は広域次元犯罪者ジェイル・ス
カリエッティに関する重要参考人として逮捕します」
「任意ではないのですか?」
「残念賞。私はそこまで甘くも緩くもないんや」

 はやては、依然椅子に腰掛け、時間を稼ぐように余裕たっぷりにウーノを"煽った"。
 勢いで確定させてしまったまでは良かったが、後が続かない。
 舌戦で「はい、そうですか、私がやりました」で終わるのは推理ドラマの中だけだ。
 普通の捜査は認めさせてから最悪"力ずく"で犯人を説得するまでが捜査で、自白させたは
いいが、また逃げられた、もしくは、返り討ちにされる可能性も否定しきれない。
 魔力等級を抑えられたはやてでは出来る事は限られている。
 敵の能力は未知数。
 はやてがデバイスを起動して騎士甲冑を纏い、攻撃魔法を展開するまで最速で4.23sec。
 ウーノが近接戦闘型であった場合、高速移動魔法行使から直接攻撃まで、四秒間ではお
釣りが出る。

(さて、どないしよか)

 ウーノが感知タイプならば、念話も"盗聴"される危険性がある。
 先刻から増援要請は送っているが、到着まで後何分かかるか。

(堪えどころや)

 こちらで足止めだけしておくとばかり、はやてがデバイスに手をかけた矢先、先手は譲り
ませんとばかりに、ウーノが行動を起こした。

「いいえ、罠にかかったのは貴女方の方です」

 ウーノが怪しく微笑むと右手に持った赤い球が鮮やかに輝く。
 赤い球から噴出した粒子が貴賓室に広がりはやての視界を奪っていった。

 WCDの内部構造は、見掛けの外装に惑わされがちだが、言ってしまえば完全な円形
だった。
 構造上格段に警備しやすそうに見えるだけ、円形構造は死角が増える分、なのはは苦
手だった。
 誘導弾の精製にはターゲットの視認が不可欠だし、目視が戦闘のウエイトを多く占め
る砲撃魔道師にとって、死角が増えるのは好ましく無いが、だが、現場の構造に四の五
の文句をつけても仕方無いのは、いつもの事だった。
 警備上でライブの事が気になるのは当然だが、それとは別にポップスのライブ、コン
サートとは一体どんな感じなのだろう。
 一応リハーサルの風景は見学させて貰ったが、観客が熱狂する様子をなのははまだ見
ておらず、扉一つ開けた先に自分の全く知らない世界がある事に僅かばかりの寂しさを
覚えていた。
 
「ライブの音が聞こえなくなった」

 ふと、足を止めると先刻まで聞こえていた、ホールの歓声は遥か遠く、まるで、異界
に迷い込んだ違和感だけがなのはの背中に付き纏っている。
 だが、事件はなのはの戸惑いを嘲笑うかのように唐突に発生するものだ。
 通路にカツンと床を踏みつける音が不気味に響く中、野生動物のような嗅覚で迫り来
る脅威に対し、なのはは、感覚を戦闘態勢に速やかに移行させた。

「何か居るね」
『Get cold feet,Master?』
「まさか…でも、油断していい相手じゃないよ」
 なのはは「セットアップ」と小さく呟き、バリアジャケットを展開する。
 純白の魔力光が輝き、桜色の粒子が舞い散り光の渦から純白のバリアジャケットを纏
ったなのはが現れる。

『Yes…We'll just roll with the punches,please』

 通路奥から迫ってくる重圧には、魔力は一切感じない。
 しかし、感じないからこそ、鋭く尖った鬼気がなのはの肌を刺すように射抜き、威圧
するような重圧に、なのはの額から汗が滴り落ちた。
 ヒタリヒタリと動物が歩く音がなのはの耳朶を打ち、不特定生物群の影がなのはの思
考に影を落とす。
 管理局地上本部を一時は壊滅の危機に追い込み、ホテルアグスタの狼男、ディープホ
エールと機動六課の前に次々と立ち塞がり、AMFの特殊性と合い間って、なのは達を
苦境に追い込んだ兵達。
 アズサのライブに熱狂する観客達は、ドーム全体が正体不明の結界に閉じ込められた
事すら知らない。
 それ以前に、ドームのような密閉空間に不特定生物群の侵入を許した事自体、迂闊で
あると言わざるを得ない。
 何しろ、魔道師達にこそ死者は出ていないが、春先の管理局襲撃時には、不特定生物
群による民間人の死者が数多く出ている。
 これ以上正体不明の怪物によって、一般人に死傷者が出る事は、絶対に避けねばなら
ならない。
 突如、ゴォと暴風のような強烈な方向がなのはの耳を届き、暗闇の中から一匹の獣が
飛び飛び出してきた。

「虎…ううん、ライオン」
 
 なのはが、見間違うのも虎と見間違うのも無理は無い。
 通常ライオンとは、雌雄問わず黄色ないしは橙色を基調とする肉食獣だ。
 しかし、暗闇から飛び出した獅子の全身は、目が眩むような銀色の体毛に覆われてい
る。
 体毛の色だけ見れば、白虎---ホワイトタイガーだが、頭部から伸びた雄雄しいま
でのたてがみと、闘争と狂気を孕み、血のように赤い瞳を爛々と輝かせる様子は、まさ
に、サバンナの王者獅子に相応しい。
 全身の体毛を逆立たせ、威嚇するように喉を鳴らす獅子は、完全に戦闘態勢に以降し
ている。
 何かの切欠一つあれば、鋭い牙と爪を持って、なのはを引き裂こうと突撃してくるだ
ろう。

「ラーシャン…下がれ、そんな指示は出してない」

 獅子と言えば捕食者としては孤高の存在であり、誰の命令も受けないイメージがある
が、銀色の獅子"ラーシャン"は聞こえてくる声に頭を垂れ、控えるように後ろ下がった。
 カツン、カツンとリノチウムの床を威圧的に歩き、獅子の代わりになのはの前へ一人
の女性が立ち塞がる。
 紫紺のラバースーツにニビ色のプロテクターを身に纏い、マスケラを身に付けた女性。
 マスケラには、朱色で刻まれた瞳が"三つ"怪しい輝きを燈していた。

 最初こそ男かと思ったが、思ったよりも声が高い。
 良く見ればプロテクターの下に見え隠れする肢体は、鍛え抜かれ、鋼のように硬質な
雰囲気を兼ね備えているが、大きく膨らんだ乳房は明らかに女性の物だ。
なのはは、自分よりも遥かに大きな巨大バストを惜しげもなく晒す謎の女に、何やら
別の警戒心を抱き、レイジングハートを構えた。

「レイジングハート」
『Exit analysis…Match the physical characteristics and glottal…I concluded
the mastermind of the incident one of the Deepwhale case』

 なのはに指示に従いレイジングハートが、女の身体データを観測照合した結果、ほぼ
九割の確率で件の人物と断定する。
 即ち、機動六課がレリック事件の最重要参考人として、日夜追いかけ続けるジェイル
・スカリエッティの関係者。
 それも、レリック強奪に関わる実行犯のようだ。

「つれないね…名前を聞くのに、貴女は顔も見せてくれないんだ」

 なのはは、相手を皮肉るように、マスケラの女に話しかける。マスケラを脱いでくれ
れば儲け物。例えここで逃がしたとしても、後手に回る六課が何らかの手段を講じる手
がかりになる。
 甘い算段だとも自覚しながらも、なのはは、再度仮面の女に促した。

「お名前聞かせてくれるかな」
「トーレだ」

 カンと甲高い音を立て、マスケラが床に落下する。
 トーレと名乗った女は、素顔を晒す事に何の躊躇も持たないように、逡巡一つせず、マ
スケラを放り投げなのはの前に素顔を晒した。
 トーレの髪型は、お世辞にもショートカットとは言えず、髪を無造作に刈り込んだよう
にしか見えず、遠巻きに見れば男性のように見えるが、金色の瞳と端正な顔立ちは、妙な
話だが歌舞伎の女形に通じる物がある。
 
「戦闘機人が三位、トーレ。不躾だが高町なのは。お前に正々堂々と勝負を願いたい」

 あまりに無骨で端的な一言になのはは、思わず気色ばんだ。
 個人の本意であろうとなかろと、奇襲を浴びせておきながら、正々堂々勝負したい。
 問答無用とは、まさにこの事だろう。出来る事ならば、穏便に事を済ませたいが、トー
レから感じる重圧は、なのはの警戒心に火を点け、下腹にぐっと力を込めた。
 トーレが発する気は、後ろに控えた銀色の獅子と同じく、まさに生まれながらの戦闘者
その者だ。
 無傷に制圧出来るとは、とても思えない。

「デートの申し込みはお断りしてるんだけど…無理だよね」

 いつでも砲撃出来るように、レイジングハートの切っ先をトーレに向け、詠唱を開始す
る。
 魔力素を取り込んだ、なのはのリンカーコアが桜色に輝き、足元に魔法陣が展開される。

「私の目的は強い人間と戦う事だけだ。我らが主の宿敵、馬鹿の怨敵、機動六課最強の魔
道師高町なのは。私怨は無いが潰れて貰う」

 怨敵や宿敵など、物騒な言葉を淡々して向けられれば警戒心よりもまず不気味さが漂う。
 なのはが、どう対応するか決めかねていると、トーレの鬼気が爆発的に膨れ上がり、両
腕から翡翠色の身の丈程もあるブレードが展開される。
 翡翠色のブレードが、怪しい鬼気を放ち、トーレの重圧に反応するように無言のまま戦
慄いている。

「特化型!それも近接用の!」
「無論だ!」
「レアスキル…でも!」

 腕から突然生えたトーレのブレードに、なのはは驚愕に目を見開いた。
 魔力を一切使わずに無から物質を構成出来るなど聞いた事も無い
。しかし、現実問題として、トーレは無から有を作り出し、腕から伸びたブレードの圧迫
感は本物だ。
 細かい粒子が集まり、形成さえたトーレのブレードは、粒子同士が互いにぶつかり合い、
まるで、共鳴現象を起こすように振動している。
 トーレのブレードは、確かに幻術等では無く、実際に質量と殺意を持ち、なのはを両断し
ようと軋みをあげているのだ。

「漫画やアニメじゃあるまいし!」

 ビームサーベル、ライトセイバーなど、漫画やアニメなどで有名な粒子を使った武器だ
が、ミッドチルダの科学技術を持っても実用化には程遠い。
 唯一の例外は、シンの持ち込んだMS"デスティニー"だが、小型のビームサーベルが実
用化されたなど噂も入ってこない。
 何しろどうやって、粒子を固形化させているのかも検討もつかず、魔法を用いれば可能
だろうが、トーレから魔力の一欠けらも感じる事が出来ず、トーレのブレードが魔力刃で
あることは即座に否定された。

「行くぞ!高町なのは!」

 なのはの困惑を他所に、トーレのふくらはぎが膨れ上がり、裂帛の気合と共に地面を蹴り
、一瞬でなのはに肉薄する。
 大気を引き裂き暴風に似た圧力が、なのはの頬を打ちつける中、反射的にレイジングハー
トで受ける事が出来たのは奇跡だった。
 魔法で肉体を強化していなければ、反応すら困難な程の超スピードは、部分的に人間の限
界を超えているのだろう。
 三十メートルもあった距離を一息の間で縮められれば、いかに百戦錬磨のなのはであろう
と肝を冷やす。
 レイジングハートがトーレのブレードの威力に軋み、金切り声にも似た擦過音をあげ、な
のはを切り裂こうと唸りをあげる。

「この人、やっぱり強い!」

 魔力で肉体を強化している魔道師相手に、生身で肉薄する。まるで、悪い夢でも見ている
ように思うが眼前に迫る、なのはと打ち倒そうとトーレの鬼気は本物だ。
 一瞬でも気を抜き、視線を外せば、両腕から伸びたブレードで真っ二つにされかねない。
 なのはは、腕に更に魔力を集中させ膂力を引き上げる。
 砲戦魔道師、長距離からの強襲を十八番とするなのはにとって、近中距離の遭遇戦は想定
外の出来事だった。
 自らの得意な戦域に敵を誘い込むのは、戦闘の基本だが、出会い頭とは言え、こうも一方
的に距離を詰められたのは、幼少からも終ぞ記憶に無い経験だ。

「でも、手が無いわけじゃないよ…レイジングハート!」
『All,Right!』
 
 なのはの足元に桜色の魔法陣が展開され、魔力を取り込んだリンカーコアが術式を構築し
、レイジングハートが増幅する。
 なのはの右腕に魔力が集中し、精製した魔力弾をトーレの腹部目掛け撃ち放とうと力を込
める。
 魔力の蠕動となのはの腕に集中する凶悪な魔力を感じ取ったのか、トーレは、キンと甲高
い音を響かせ、なのはから距離を取った。

「何の躊躇いも無く、密着体制から砲撃するとは…お前を侮っていたな高町なのは。しかも
、私のIS…ライドインパルスを受けて無傷。武人として些か傷つくよ」
「褒めてくれてるよ、レイジングハート…丈夫で立派だってさ」
『BOOO!』

 相棒と軽口を叩き合うが、口調とは裏腹になのはの背中に冷たい汗が流れた。
 魔力等級を制限されているとは言え、制限ギリギリの魔力を使い強化した膂力をいとも簡単
に捌かれた事実に加え、撃とうとした魔力弾も経験的に避けれるタイミングでは無かった。
 にも関わらず、トーレは、まるで赤子の手を捻るように、なのはを制して見せた運動能力。
 生身で魔道師に肉薄するトーレとの圧倒的な身体能力差に、なのはは思わず肝を冷やした。

「砲戦魔道師に接近戦を挑むのは無粋だがな。これも巡りあわせだ…許せ」

 トーレは、ブレード腰溜めに構え丹田に気を集中させる。
 トーレの両手の骨がゴキリと鳴り、それを合図に両腕、両足から二対四枚のブレードが出現
する。
 ブレードの粒子が戦慄き、戦意の咆哮を上げ、先刻まで鉛色のブレードの刀身が、トーレの
戦意に呼応するように刀身と鮮やかな翡翠色へと変化させる。
 見た目の変化もさる事ながら、ブレードから感じる圧迫感は格段に跳ね上がっている。
 肌を刺し、全身を掴んで離さない悪寒は、なのはの主観に過ぎないが、恐らく威力も先刻の
物とは段違いに強化されているはずだ。
 微細に揺れる刀身は、恐らく超振動機構が搭載されていると思って間違いない。
 加えてそれぞれの粒子が発熱し、二対四枚のブレードは、斬撃武装では無く、溶断武装と称
するのが正しいとさえ言えた。
 いかにレイジングハートとバリアジャケットが、堅牢な装甲を持っていようと、振動構造と
摂氏数百度を誇る熱量の前に油断は出来ない。
 ブレードの威力とトーレの運動能力と合い間って、最悪ブレードを振りぬく速度だけで、魔
力障壁を強引に突破されかねない。

「少し楽しめた」

 トーレの目が見開き、更にブレードの力を込める。
 ブレードが鳴動、翡翠色の刀身が加熱され白色化する。
 トーレが腕を振るうと熱せられた大気が灼熱の息吹を上げ、刀身の周囲に陽炎が立ち昇る。
 熱波が肺と喉を襲い酷く息苦しい。
 立っているだけで、汗をじっとりとかき、まるで火災現場の真っ只中に居るようだ。
 魔力粒子を含んだ火炎ならば、熱の殆どをバリアジャケットなどのフィールド魔法が熱をほ
ぼ遮断してくれる
 しかし、トーレのブレードから発せられる物理的な熱がなのはの全身を焙り、対峙している
だけで、じわりじわりと体力を削っていく。

「だが、底は見えた。残念だがこれで終わりだ。私の剣の錆となれ、高町なのは」
「あのさ…何勝手に結論付けてるのかな」

 トーレが言い終える前に、なのはは魔力弾を精製しトーレに撃ち放つ。
 桜色の魔力弾が大気を切り裂き、トーレの腹部へ飛翔する。しかし、トーレは飛翔する魔力
弾を溜息混じりで、ブレードで一閃した。
 バキンとガラスが砕けるような音が響き、トーレのブレードとなのはの魔力弾が接触する。
 魔力弾は、ブレードと拮抗する暇も無く"見事"に弾き飛ばされ、そのまま備え付けの自動販
売機に命中し、表面を凹ませるに止まった
 魔力弾の速度も並ならば、威力も成人男性のパンチ程度でしか無い。

「児戯だな。牽制のつもりか。私のスピードは貴様よりも早、」

 魔力弾の威力は、いつものなのはからは想像出来ない程に低く、これでは、トーレに児戯と揶
揄されても仕方の無い事だった。

「シュート」

 苦し紛れの一撃か時間稼ぎか、なのはは、トーレに防がれるのは承知だとばかりに、魔力弾を
精製、発射し続ける。

「シュート、シュート、シュート」

 なのはが「シュート」と呟く度に桜色の燐光を纏った魔力弾が超高速でトーレに飛来するが、
その度にトーレに迎撃され、派手な音を立てて四散する。
 しかし、魔力弾は、シュートと呟く度に速度を威力を倍々に上げ、最初こそ溜息混じりで魔
力弾を捌いていたトーレだが、徐々に威力と速度をあげつつある魔力弾に僅かばかり息を潜め
た。

「シュート!」

 一発、二発、四発、八発。
 魔力弾は、倍々に数を増やし、威力と速度を加速度的に高めて、トーレの顔から余裕が失われ
ていく。

「貴様!」

 トーレの目が見開かれ、文字通り目にも止まらぬ速度でブレードを振るい、魔力弾を迎撃する
が、圧倒的な手数の前に、被弾箇所を増やしていく。
 手、足、腹部、腎部と裁ききれぬ魔力弾がトーレの体に命中し、トーレの体に鈍い痛みが走っ
た。
 最終的になのはが放った魔力弾は都合七百二十発以上。
 秒間五十二発の魔力弾が、群れを成し、嵐となり壁となりトーレに牙を剥く。
 魔力の胎動によって大気が激しく振動し、魔力弾が大気を飛翔し暴圧となり、トーレの体を痛
めつけて行く。

「おのれ!」
「別に精度と出力を犠牲にすれば、一度に四桁はいけるんだけどね」

 トーレの苦悶の声が響き、無数の魔力弾の衝撃で床や天井が剥がれ落ち、塵芥が巻き上がる。
 濛々とした煙が立ちこめ、コンクリートの埃っぽい香りと、妙に生暖かい風がなのはの頬を撫
でた。

「砲戦魔道師が近接戦闘に弱いって誰が決めたのかな」

 剣は弓に強い。
 なのはに言わせれば、それこそが場違いなズレた発想だった。
 限定された空間内は、なのはのような遠距離型は、近距離型に遅れを取る。
 確かにセオリーである事は確かだが、なのはの持論は違う。
 相手から距離を取り一撃必殺の砲撃を加える砲戦魔道師に、逃げ場が無い狭量な戦闘区域は素
人目から見ても確かに不利に見える。

「でも、逃げ場が無いのは私も彼女も同じなんだよね」

 逃げ場が状況は近接戦闘も遠距離戦闘も同じ事だ。
 どだい逃げる場所が無いのだ。つまるところ、最終的に勝敗を分けるのは、攻撃回数に他なら
ない。
 通路上全てに引き詰めた魔力弾の弾幕。足を使って避ける事も出来ない、まさに数の暴力だ。
 限定空間内の戦闘で、手数に勝る必勝"砲"は存在せず、攻撃回数、手数において砲撃魔道師に
勝る領域は存在しない。
 煙は依然濛々と立ちこめ、トーレの様子を伺い知る事は出来ない。
 非殺傷設定故に死ぬことは無いだろうが、
 気絶したか、反撃の機会を伺っているか、そのどちらかだろう。

「要は質の違いなの。速さに速さで対抗しても、より速く硬い方が競り勝つのは当たり前。確か
に貴女のブレードは良く斬れそうだけど、鉛や泥は斬り辛い。ニュアンス的には、反力、反作用
の類だよ」

 気絶した相手に高説を聞かせる辺り、なのはの底意地の悪さも相当な物だが、
 やはり、気絶しのかとレイジングハートを収めようとした瞬間、煙の中から背筋が凍るような
鬼気が膨れ上がる。

「やはり、このままで勝てんか」

 煙の中にトーレの影絵が浮かび立ち、隣にはいつの間に駆けつけたのか、白色の獅子が控えて
いた。

「遊びは終わりだ高町なのは、猛れ---白虎王(ラーシャン)!」

 ラーシャンを中心に爆発的に魔力が膨れ上がり、赤い閃光が周囲を埋め尽くす。
 トーレの鬼気を栄養に、白虎王、ランシャオは勝利の咆哮上げた。

「すいません、ハラオウンさん」
「気にしない下さい。これも魔道師の務めですから」
 
 外からWCD外に通じるゲートは大小合わせて十三存在し、その全てが外壁に通じる窓を含め
、隔壁が下ろされている。
 加えて、対侵入者用の結界が展開され、物理的にも魔法的にも過剰とも言える厳戒態勢が敷か
れていた。
 敵の保有する戦力とAMFの効能を鑑みて、会場に通じる通路を守っているのは、なのはとフ
ェイトの二人だけだ。
 生半可な戦力では、AMFの領域化では死にに行くようなものだ。
 現場戦力は少数精鋭、しかし、追走用のバックアップは無尽蔵に待機させる。
 それが、八神はやてが考え出した策だった。
 策と言うにはどこまでも力技だが、神出鬼没なスカリエッティ一味にとって力技ほど効果的な
作戦はない。
 力を破るのは技ではなく、より大きな力がはやての戦闘理論だった。
 なのはとフェイトは、共に半円毎に担当地区を割り振り、十五分間隔で円周の通路を移動し、
担当地区をスイッチしていたのが現状だ。
 会場から聞こえる声をBGMに、警備に勤しんでいたフェイトの前に、ジュディが倒れこむよ
うに現れたのが五分前。
 肩を貸すジュディは、足と腕が小刻みに震え、顔は今にも嘔吐しそうな程蒼白だった。
 何か悪い病気かもと思い、病院に連絡しようと携帯を取ったフェイトをジュディはやんわりと
断りを入れた。

「気分が悪いだけなんです。せめて、アズサのライブが終わるまで、病院は…」

 そうは言っても、それは当事者の都合で、警備担当のフェイトにして見れば、どう扱って良い
のか判断に苦しむ内容だ。
 ジュディを外へ出すには、隔壁を上げ、一部とは言え結界を解除しなければならない。
 作戦の事を考えるならば、ライブ終了までドーム内で待機して貰う他は無い。
 現場指揮官と言うフェイトの立場から考えても、当然そうすべきなのだが、 顔色も体調も悪そ
うな人間を「はい、そうですか」と放っておくわけにはいかない。
 責任問題如何の問題ではなく、苦しんでいる人を見つけて安易に見ぬふりをするなど、フェイ
トには無理な話だ。
 直ぐにでも外に連絡を取り、救急車を呼びたい衝動に駆られたが、ジュディの言い分も痛い程
に分かる。
 出来るならば、ジュディの意見を汲み取ってやらねばと思いながらも、職務と性格の板ばさみ
にあったフェイトは、自分が付き添う事で何とか妥協点を見出していた。

「アズサの復活ライブで緊張で胃が痛くなるなんて、マネージャー失格です」

 自販機が備え付けられた休憩室で、フェイトはお茶を買い項垂れるジュディに手渡す。
 ジュディは申し訳なさそうにお茶を手に取り、喉の渇きを潤すように一気に飲み干した。

「その気持ち分かります。私にも教え子、部下がいるんですか、まだまだ危なっかしくて。本当は
実戦だってまだ早いんですけど…」

 キャロとエリオは、アズサよりもずっと若い。
 しかし、二人を取り巻く環境は、幼い二人に歳相応の暮らしを送る権利を奪ってしまった。
 出来るならば、年齢相応の暮らしを送って欲しいと養母としても、一人の人間としても切に願う
が、当人達の意思の方が見守る側よりもずっと硬い。

「あの…それで、ちょっと疑問があるんですか?」

 フェイトは、自分の不甲斐なさに項垂れるジュディの肩に手を置き、少し前からの疑問を口に出
していた。

「貴女誰ですか?」
「……」

 明日の天気はなんですか。
 そんな何気ないフェイトの口調のジュディの表情が硬くなった。
 今でも誤魔化しはいくらもで効く。
 フェイトはジュディに疑問は抱いていても、決定的な結論に至っていない。
 誤魔化せ、逃げろとジュディの皮を被った"彼女"の本能が算段するが、彼女のプライドが撤退を
許さなかった。

「いつ気が付きましたか?」
「ちょっと前から」
「凄いのね貴女…私のISは短時間なら五感を完璧に錯覚させる精度があるのに」
「仮に五感を騙せても、人間には五感を超える第六感がありますから」
「言ってくれるわね。勘だけでISを見抜いてたって言うの。これだからプロジェクトFの残骸は
始末に終えないのよ」

 先刻までのジュディの温和な顔は、嘘のように崩れ去り、侮蔑と嘲りの混じった歪んだ笑みが浮
かび上がる。
 プロジェクトF。
 隙間風が吹くように、本当に極稀にフェイトの胸に舞い降りる過ぎ去った過去。
 忌むべき記憶と言うつもりはなく、手放しで語れる程、割り切る事も振り切れたつもりも無かっ
た。
 フェイトにとって、失った物も大きかったが、命以上に大切な友を得た大切な思い出だ。
 フェイト・T・ハラオウン、いや、テスタロッサとして、彼女が生きて来た中でこれほど重要な
意味を込めた言葉は後にも先にもこれ以外に存在しないだろう。

「私の生まれを知っているって事は…やっぱりジェイル・スカリエッティの関係者なんだね」
「ご明察。この前はマスク越しでごめんなさいね」

 ジュディの纏う空気が代わり、空気が重圧でパチパチを火花を散らし始める。
 得体の知れぬ気が蠢き、フェイトは、デバイスを握り締め、臨戦態勢に入った。

「ジュディさんは無事なんですか?」
「私、無駄な殺しはしないの。彼女は今回のターゲットじゃないわ」

 姿は依然ジュディの物だが、既に敵は正体を隠す気は無いようだ。
 ジュディの瞳が金色に輝き、髪が白く光り、金色に輝き始める。

「バリアジャケットを使いなさい。不公平は好きじゃないの」
「ご丁寧にどうも…貴女の名前は?」
「ドゥーエ、戦闘機人が第二位、ドゥーエよ」
「私はフェイト・T・ハラオウン!戦闘機人ドゥーエ、貴女を逮捕します」
「やれるもんなら、やってみなさいよ」
「バルディッシュ!」
『Yes,sir』

 バルデッシュから金色の光が瞬くと、光の中からバリアジャケットに身を包んだフェイトが
出現する。
 フェイトも身の丈も程もある大鎌に、金色の魔力刃が展開され、裂帛の気合と共に両者は長
い金色の髪をなびかせながら、戦闘を開始した。

「そら、ほら、はい、行きなさい」

 ドゥーエの左腕に装着された、肘まで覆う巨大なガントレットが金色に怪しく輝く。
 ドゥーエが腕を振るう度に、指先から伸びた"弦"がフェイトを切り裂こうと迫るが、フェイ
トの軽やかな身のこなしに翻弄され、鮮やか過ぎる程に空を切った。
 超高密度に圧縮されたカーボンナノチューブ製の弦は、触れる物全てを断ち切り、ドゥーエ
の精彩かつ大胆な指使いは、弦がまるで意志と持ったと見まがうような柔軟な動きを可能にし
ている。
 五指から伸びた弦は、キュンキュンと風きり音と立て、フェイトを取り囲むように放射状に
広がり、そのまま鱠斬りにしようと唸りを上げる。
 ドゥーエの弦術は、精密機械のような正確さはまさに魔技と言っても過言では無い。
 しかし、フェイトは、まるで後ろ目がついてでもいるのか、ドゥーエの弦と軽々と避け、ド
ゥーエの実力を計るように一旦距離を取った。

「ねぇ…貴女、ちょっと非常識過ぎない…」
「何が?」

 フェイトは、ドゥーエの言い分が心底理解出来ないと言った様子で首を傾げる。
 プロポーションの良さならば、ドゥーエも負けていなが、胸のボリューム、腰の細さ、足の
長さなど、僅差ながらもフェイトに水を開けられている。
 累積した敗績から、総合的に判断すれば、ドゥーエの完敗だった。
 加えて、フェイトの少女のようなあどけない表情と爆弾ボディのアンバランスさが、ドゥー
エの神経を余計に逆なでする。
 普通年齢が二十歳を超えれば、それなりに"経験"し"理解"しようものだが、フェイトから無
垢しか感じ取れず、本当に穢れを知らぬ少女のように思えてしまう。

「何がって…私の貴女に対する見解はどうでもいいとして、なんで私の弦術をそうポンポンポ
ンポン避けれるのよ」
「えっと…何となくかな。腕の動きとか体捌きとかは乱雑過ぎてちょっと判断し難いけど。そ
の分、空気を切る音とか、匂いとかが顕著だし、そう言うのを感じてたら、何となく軌道が読
めるから…」

 あっけらかんと言って退けたフェイトに、ドゥーエの表情から笑みが消えた。
 ドゥーエは戦闘用の機人では無いが、反射神経、攻撃速度、運動知覚、全てが並の人間を大
きく上回っている。
 だと言うのに、魔法も殆ど使っていない、
 弛緩しきった空気が冷たい冷気を帯び引き締まり、殺気と敵意の波がドゥーエの眼前で爆ぜ
、紫電を散らした。

「噂どうり無茶苦茶なスペックね、冗談は胸だけにしときなさいよ、フェイト・テスタロッサ」
「む、胸は関係無いでしょ!貴女だって大きいし、それにカップは実はシグナムの方が大きい
んだよ!」
「聞いてないわよそんな事!後、さり気無くセクハラ発言しないでちょうだい!」

 バリアジャケットの上から、爆弾のような乳房が無造作にぶるんと揺れる。
 その態度がまた、ドゥーエの癪に障る。大体、ドゥーエ自慢の弦術を匂いや音で判断して避
けるなども規格外だと露にも思って居ない。
 そもそもフェイトはバリアジャケットこそ展開しているが、戦闘を挑んでから、一向に魔法
を使う気配が無い。
 こちらの出方を見ているのか"このまま"でも十分に制圧可能だと思われているのか、どちら
にしてもドゥーエにとって面白い事実ではない。
 だが、現実問題としてドゥーエの攻撃は彼女に通用せず、このままではジリ貧は目に見えて
いる。

「やっぱり、ドクターの言うとおりね…腐ってもS級オーバー…本気でやらないと勝てないか
。おいで、フレスベルグ」
 
 ドゥーエが口笛を吹くと、今迄何処に待機していたのか、暗闇から一匹の巨大な影が姿を現
した。猛禽特有の鋭い瞳がフェイトを睨みつけ、鋭い爪と嘴が獲物を前に敵意と共に脈動する。
広げれば二メートルはくだらない巨大な翼は見る者を圧倒せしめ、フレスベルグと呼ばれたオ
オタカは、まさに大空の王者を呼ぶのに相応しい異形を備えていた。

「鷹?」
「只の鷹じゃないわよ。これが私達の切り札よ。行くわよフェイト・テスタロッサ」

 ドゥーエが纏う空気が変わる。
 何処か緩んだ空気が引き締まり、絶対零度の敵意と共に魔力のうねりが生まれる。
 仕掛けてくる。
 長年最前線で戦った戦士の勘が警鐘を鳴らし、フェイトは全身の筋肉がドゥーエの気迫に気
圧される。

「羽撃きなさい---巨大霊鳥(フレスべルグ)!」
 
 ドゥーエの肩に止まった、鷹の瞳が大きく開き胸の羽毛が弾け飛ぶ。巨大な胸筋が裂け、肉
の底から赤い宝玉が競りあがってくる。
 爆発的な魔力が、鷹からドゥーエに流れ込み、ドゥーエを中心に小金色の粒子が広がり光の
渦を形成する。圧倒的な光の奔流がフェイトの視界を焼き、嵐のような魔力の奔流にフェイト
は目を見張った。
 光の中から現れたドゥーエの姿は、ニビ色のプロテクターも濃紺のインナージャケットも形
を潜め、文字通り一変していた。
 左腕を覆っていたガントレットは消え失せ、代わりに刃を髣髴させる七枚の巨大な翼が左腕
から生え、銀色に鈍く輝いている。
 西洋の騎士を彷彿させる胸部と腰部を薄茶色のボディアーマーが身を覆い、鷹を彷彿させる
意匠は猛禽類の気高さその物を残し、まるで、鷹が姿を変え、ドゥーエに憑依したように錯覚
さえ覚えた。

「バリアジャケット…」

 フェイトが驚き言い淀むのも無理は無い。
 精緻な工芸品と思わせる雰囲気。暴力的も言える魔力の胎動。
 魔力が主を守る為に姿形を変え、意思の力となって顕現する鎧。
 ドゥーエの姿は間違いなく、魔道師が使う領域系魔法"バリアジャケット"そのものだった。
 通常バリアジャケットは使用者がある程度自由にデザインを決定出来る。
 しかし、装飾を増やせば増やす程、バリアジャケットの構成に必要な魔力量が増大する。
 無駄な魔力を消費を避け"性能"を均一化する為に、管理局の魔道師は簡素で性能重視のバリ
アジャケットを使用している。
 つまり、優雅なバリアジャケット、騎士甲冑を展開出来る魔道師は、それだけで高位の魔道
師の裏づけでもある。

「それだけの魔法を使えて。貴女は!」
「私は魔道師じゃないわ!。でも、リンカーコアは無くても、外部デバイスで魔法と似たような
事は出来るのよ!」

 ドゥーエの右掌に現れた赤い宝玉が、己の存在を鼓舞するように光り輝く。
 他者を圧倒し畏怖すら抱かせる輝きと「思い違いだ」と誤魔化す事も憚られる圧倒的な存在
感。
 ロストロギア"レリック"
 巨大空港を大火災に巻き込み、街一つを容易に崩壊させる力を秘めた遺失物が、ドゥーエの
右掌で煌いていた。

「本物?ううん、レプリカの方だね」
「正解良く覚えてたわね。鯨のお腹の中は楽しかったかしら?
「また、ジェイル・スカリエッティの遺産で人に迷惑をかける気なんだ!」
「今更でしょ!」

嘲るような笑みを零し、ドゥーエが左腕の翼を振るった瞬間、気配も音も無く、フェイトの
バリアジャケットの裾が突然切り裂かれた。

「…何いまの」

 切り裂かれたバリアジャケットは、虚空を舞い、存在を維持出来る無音のまま大気に還って
行く。
 戦車砲の直撃すら耐えるフェイトのバリアジャケットが紙くずに同然に切り裂かれた。
 オートで展開されているはずの、プロテクションを物ともしない切断力と攻撃の挙動を悟ら
せない圧倒的な攻撃速度。
 先刻の弦術が児戯に思える程の正体不明の斬撃は、これこそ魔技と呼ぶのに相応しい。

「ほらほら、どんどん行くわよ!」
「これって」

 ドゥーエが翼を振るう度に、空間に一本の軌跡が描かれる度に空間が歪み、そして、ズレた
。裂けた空間はその場に滞留し、裂け目に触れたバルディッシュの柄の一部が切断される。

「魔剣フレスベルグ…空間の断裂は、弦術みたいに音や匂いで見切れないわよ!」

 フレスベルグが通った後は、鏡がずれるように景色がズレ歪んでいる。
 裂けた空間が元の形に戻ろうとしているのか、不気味な胎動を戦慄かせている。

「バルディッシュ!」

フェイトは、先刻までの様子見の態度を崩し、魔力をデバイスに集中させる。
 フォームを近接形態に変えたバルデッシュから金色の魔力刃が伸び、裂帛の気合と共に魔力の
斬撃波がドゥーエを狙うが、フレスベルグから伸びた銀色の残光が斬撃波を尽く撃墜してしまう。

「高速移動開始」
『SonicMove』

 一撃の威力で競り負けるならば、手数で勝負とばかり、フェイトは高速機動魔法を展開する。
 身体能力と同時に運動神経が増幅され、踏み出した利き足は床を踏み砕き、刹那の瞬間、フェ
イトを神速の世界へと加速させる。
 一瞬でドゥーエの背後に回り込み、出力を絞った魔力刃を袈裟切りに振り下ろす。
 非殺傷設定に調整された魔力刃は、ドゥーエの体を切り裂き、手傷を負わせることなく昏倒さ
せる事が出来る。
 フェイトの速度にドゥーエは反応出来ず、視線だけがフェイトの姿を追っている。

「勝った」

 周囲がゆっくりと動く神速の世界でフェイトは勝利を確認し、次の瞬間、野生動物顔負けの直
感でその場から急反転した。
 
「剣は振るうだけ技じゃないのよ」
「みたいだね」

 急激な方向転換で右足の太腿が痛む。
 視線を下に向ければ、バリアジャケットのロングコートがバッサリと避け、あのまま斬撃を放
っていれば腕が"綺麗"に飛んでいたことだろう。

「不可視の剣…」
「違うわ。空間の裂け目を帯空させてただけ。バリアジャケットが切れたのは、貴女が勝手に裂
け目に向って直進しただけよ」

 剣の見た目に騙されそうになるがドゥーエの力の本質は空間操作だ。
 剣の形態を取っているのは、本人の思い入れか使い易さからか、どちらにしても空間を自由自
在に操ると言う事は、事実上彼女に死角は無いと思える。

(有効範囲不明。形態不明、視認不可能)
「見る事も出来ず、触れればどんな物でも切り裂ける不可視の断層よ。避けきれるものなら、や
ってみなさい!Fの残骸さん!」
「いけない!」

 ドゥーエの腕の動きに合わせ、フェイトは大きく上半身を捻った。
 不可視の斬撃が、床を切り裂き、フェイトの前髪が数本はらりと宙を舞う。
 金色の髪は、数ナノミクロンの超精度で鏡のように研磨された斬撃痕に触れ、もう一度はらりと
"半分"に切断される。

(斬撃だけきゃない)

 斬撃を避けると同時に勘に従って、右足から空間の断層を飛び越える。

(噛んだ、こちらの機動力を封じるように剣を使ってる。ちゃんと考えてるしそれに応用力もある)
 
高速移動中に頭を捻った為、歯で口腔を切った。
 口の中に広がった血の味を無視し、フェイトは、着地と当時にバルディッシュを構える。

「私のアニマを甘くみたツケよ!」

聞きなれない名前にフェイトの眉が僅かに跳ねる。

「アニマ?貴女のバリアジャケットの名前なの」
「アニマは個体名じゃないわ。アニマは意思を持ち私達に従ってるけど、それは戦闘機人の支援機
としての総称よ。私達戦闘機人専用生体デバイスこと、アニマプレサージュ。そして、これが私の
アニマ、フレスベルグ。アニマと機人。二体一身こそが私達の本気よ、お喋りしてる暇は無いわよ
、フェイト・T・ハラオウン!」
「やっと名前を"ちゃんと"言ってくれた!」
「その余裕何処までもつかしら!」
「貴女を止めるまで!」
「やっぱり、賢しいわ貴女!」

 ドゥーエの気迫に呼応するように、左腕に装着されたブレードが鳴動し、フレスベルグが咆哮を
上げる。
 レリックレプリカが怪しく煌き、ドゥーエの魔力が膨れ上がって行く。
 アニマプレサージュ。
 回帰願望に分類される用語が指し示す通り、アニマとは、彼女達戦闘機人の心底に眠る最も原始
的な感情、即ち本能を複製し各々の特性に合わせた支援機だ。
 アニマは、動物の形態を取っているが、それぞれ高い知能と感受性を併せ持ち、独自の意志を持
ち主に付き従う存在だ。
 デバイスに例えるならば、インテリジェンスデバイスに分類されるが、既存のデバイスとは規格
そのもからして違う。

(でも、ちょっと…不味いかな)

 迫り来る高速の剣技と空間の断層を直感と洞察力で回避しながら、久方ぶりの大ピンチにフェイト
は乾いた唇を僅かに舐めた。

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