RePlus_第八幕_後編4

Last-modified: 2011-08-02 (火) 18:17:14

パン、パンと聞く人によれば間の抜けた音に聞こえる空砲も、今日ばかりは軽快な音をあ
げ平和の象徴たる白い鳩と共に大空に舞う。
 首都クラナガンのシンボルとなるべく建設途中のハインケルタワーから西へ僅か数百メー
トル。
 商社や公的機関のテナントを数多く収める、まさにクラナガンを運営するオフィス街の中
心に、エアポケットのようにぽっかりと空いた広大な土地にWCD(ワールドクラナガンド
ーム)は威風堂々と言った様子で建っていた。
 オフィス街のど真ん中に敷設されたおかげで、日夜サラリーマンや宮仕え制服さんが連れ
立って歩く為に、情緒豊かなで風光明媚な観光名所とまではいかないものの、近代建築の粋
を凝らして設計されたWCDは、硬質で怜悧な印象のオフィス街とは対象的に、祭り特有の
活気が感じられる。
 単純な問題として外観に全く気を使わない設計者の空気の読めなさ具合を褒めるべきか否
かは、個人の裁量に求められるとして、白亜の宮殿を彷彿させる白色の外観は周囲の風景か
らは浮き上がり、ミスマッチ以外何物でも無かった。
 しかし、そんなミスマッチ極まりない建物も、野球やサッカーと言った大衆球技の季節と
なれば、人々の社交場となり、贔屓のチームにヤジを飛ばすのも風物詩だ。
 開閉式の屋根、様々なイベントに使用出来る多目的コート、地上十七階立て相当に匹敵し、
収容人員はのべ五万三千人にも及ぶ。
 WCD北側には、六菱電機が開発した16.2x 12.02mの巨大オーロラビジョンが設置され
て遠い客席からでも、目の前で競技が行われているような臨場感が味わえるのが売りだった。
 加えて、都内の地下を蜘蛛の巣ように駆け巡る地下鉄や高速道路によってWCDの交通の
便は非常に良く、おまけにWCDの分類上は管理局の保養施設。
 つまり、一般市民の入場料は無料と言うわけだ。
 流石にイベント会社にペイバックが発生しなければ赤字は免れず、折角の施設も閑古鳥が
鳴くだけに止まってしまう。しかし、WCDでイベントを行えば、国、つまり管理局から補
助が出る為に、企業誘致の活発で、格安でイベントに参加出来ると一般市民からの評判は良
かった。

「評判良いのはいいけどよぉ。混み過ぎじゃね?」
「同意しよう」

 まさに、文字通り人混みの中で、赤い髪の少女ヴィータと筋骨隆々とした褐色の男、ザフ
ィーラは、盛大な溜息を付いていた。
 二人の周囲には、会場前にグッズを買い求めるファンが十重二十重の大行列を形成し、何
百メートル、下手をすればキロ単位の列が繋がっている。
 列の中間点では、屋台から飲み物や軽食が売りに出され、他に出展している屋台よりも値
段が二倍程高く、店主の商魂逞しさが伺える。

「おっとごめんよ」

 これだけ混み合っていれば、余所見をすれば、すぐさま人をぶつかってしまう。
 これはたまらないとばかりに、ヴィータは、簡単に会釈し行列から離れた。
 学校のグランド数個分もあるWCD前広場も、数万人のファンで埋め尽くされれば手狭に
見える。
 まだ、開場まで五時間はあると言うのに、アズサのファンの熱心さにはヴィータも舌を巻
いてしまった。
 
「クラールヴィントが無ければ、全域をカバーするのは不可能だったろうな」
「まぁな。こちらS02。定時連絡問題無し。ご熱心なファンの渦の中だ。どーぞぉ」
『了解。定点位置異常無し。任務継続お願いします。お客様ですので失礼の無いように』
「あいよ」

 携帯からルキノの声が響き、ヴィータは、南から吹いてくる生暖かい風に顔を顰め携帯を
切った。

「お客様か。ったくあたし向きの任務じゃねえな全く」

 もう九月だと言うのに、暑さは止まる所知らず、連日最高気温を更新している。
 地球には暑さも寒さも彼岸までと言う言葉があるが、残念ながらミッドチルダではあまり
意味が無いようだ。
 プログラム体とは言え新陳代謝は人並みである為に、じっとしていれば玉のような汗が吹
き出てくる。
 犬や猫ならば、舌を出せば体温を調節出来るが人間はそうはいかない。舌を出して「ハァ
ハァ」しようものなら、不審者確定の上に非常にみっともない。
 いかに舌で体温を調節出来ようとも、動物は毛皮と言う、ある意味殺人兵器が標準装備だ。
 薄着が出来る人間の方が遥かにマシだろう。
 ヴィータは、自分の想像に心底辟易し、いつの間に買ったのか、美味そうな顔でコーラを
飲むザフィーラから飲み物を強奪し、足早に次なる警備ポイントに移動した。

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第八幕『瞬間心重ねて-IDOL@MASTER』-後編4-

「疲れた…わね」
「あぁ疲れた」
「同感…」
「全く三人ともだらしないですわね」

 熱さに茹った動物のように、ぐったりとしたシン達を見て、アズサは「それも仕方ないか」
と忍び笑いを漏らした。
 あれから、まだ、一ヶ月も経っていないのだ。
 短気促成栽培と言えば聞こえは良いが、素人三人を躍らせ、楽器まで弾けるようにしなけ
ればならない所業は並大抵の苦労で無い。
 アズサは、分の悪い賭けは嫌いでは無かったが、アズサ自身も流石に今回は心底疲れ果て
ていた。
 何しろ賭けるモノと言えば根性しかなく、削れるモノも睡眠時間しか無かったのだ。
 食べて寝る以外は、ダンスと楽器漬け。
 寝ても覚めても練習の日々は、そんじょそこらの芸能人では太刀打ち出来ない程の練習密
度だった。
 普通ならば気力よりも体力が先に尽きてしまうはずだが、三人とも流石は腕利き魔道師と
称されるだけの事はある。
 常人ならば裸足で逃げ出す練習濃度を、ヘバリこそしたが、完遂出来たのは素直に賞賛に
値した。

「貴女達なら大丈夫ですわよ。リハーサルも問題無かったですし、クオリティもギリギリ許
せます。後は本番を残すのみ。案ずるより産むが易しってやつですわ」
「はは…」

 アズサなるの気合の入れ方なのだろうが、あれだけやって、ギリギリ許せるクオリティと
は、芸の道とはシンの想像を超えている。
 正直に言ってしまえば勘弁して欲しい心地だったが、シンは、アズサから見えないように
顔を引き攣らせた。
 芸に身を捧げるアズサの気質よりも、アイドルが全部がこのような苦行を前に何の不満も
無く生活しているのかと思えば、頭が下がる以前に、アイドルを量産化すれば次元世界の平
和は守れるのではないかとすら思ってしまう。

「ほら、ティアナさん、スバルさん、貴女達だけアルバムのライナーノーツの写真まだでし
たでしょう」
「うわ、本当に撮るんだ」
「…私…心底気が重いわ」

 ティアナ達は、護衛の為の偽者と言えどアイドルはアイドル。
 イベント出演など含め、アイドル"アズサ・サニーサイドアップ"の商業戦略にキッチリ組
み込まれてしまっている。
 今回の復活ライブのサプライズイベントとして、明日発売されるフルアルバムと新曲の発
表会も兼ねている。
 新曲はアズサがメインボーカルを務めるが、ティアナ達の楽器演奏もキッチリと収録され、
あまつさえ彼女達はサビだけとは言え、バックコーラスにで参加していた。
 たった一曲と言えど、ズブの素人がアルバムの曲目の末席に座れるなど他に類を見ない。
 三人の努力と感謝を称えたアズサなりのお礼らしかったが、雑誌インタビューやジャケッ
ト写真など、仕事量は三割増加し、睡眠時間は二割減った。

「光栄ですわよ。私のアルバムに名前が載るんですから」
「…他人事なら素直に喜んでました」

 目前に迫った本番の緊張感と芸能人でも無い自分達が、イベントの何十倍もの大観衆の前
で歌と踊りを披露する。
 イベントの十倍以上の観客が視線を集める重圧は、並大抵の物では無く、衆目の前で自分
の歌を披露するだけでも、ティアナは出来る事ならば変わって欲しいと思っていた。
 あの天真爛漫で肝の据わったスバルですら、朝から落ち着きが無く、普段は読みもしない
雑誌に目を通し、ポータブルプレイヤーで楽曲と振り付けの確認に余念が無い。
 もし、失敗しても勢いで誤魔化せば良いと年下の先輩アイドルから有り難い御言葉を頂い
てこそいるが、いざ、本番を前にすれば不安は隠しきれない。
 それほどにライブと言う興行は規模に関わらず、アーティスト、スタッフ共に最大級の緊
張を強いられる。
 運営側もシン達がプレッシャーに負けぬように、ギリギリまで仕事を入れ、緊張感を仕事
の忙しさで紛らわそうとするのも、実に苦肉の策以外何者でも無かった。

「シン君、へ~るぷ」
「大丈夫だナカジマ。…平気だった」
「…その微妙な間はなによ…」
「平気だったかな…」
「嘘だあ、絶対嘘だ。」

 勿論嘘だった。
 インタビューアーの受け答えは口当たりの良い言葉が続くが、何かしらの情報を聞き出そ
うと言う魂胆が丸見えで、想像以上に神経を使う。
 相手もまさか現役魔道師がアイドルモドキをやっているとは、想像も出来ないのか、話題
は専らシン達の素性とアズサの現状だ。
 アズサの現状は口を貝のように閉ざし、苦笑いと愛想笑いを繰り返せばどうにか誤魔化せ
るが一番厄介と言えるのは、シン達の素性だ。
 幾つかのダミーの経歴をはやてが用意してくれたが、元MS乗りのシンには言語学科先行
の現役大学生の肩書きは重過ぎる。
 何を勉強していると聞かれれば「古代ベルカを少々」と答えるのが関の山。
 シグナムから教えて貰った、技、魔法は古代ベルカ王朝の流れを組む物が殆どで、嘘では
無かったが、本当の事も言っておらず、突っ込まれればどうなるのかと言った様子で、シン
のなけなしの神経は盛大にすり減らされた。
 最も古代ベルカ王朝自体が、既に"過去"の大遺産であり、歴史の教科書の隅にほんの少し
載る程度の物で、古代ベルカを勉強する学生はレア中のレアと言える。
 質問されたからと言って、相手側がそこを真剣に調べるかは疑わしい。
 だが、時間と運命は無常なモノで、シンが苦笑いで目線を逸らす中、ティアナとスバルは
アズサに首根っこを捕まれ連行されていった

(針の筵よりマシか)

 迫る大舞台に備え、ジクジクと神経を削るよりは、雑誌のインタビューでも受けていた方
が余程マシに思える。
 シンはインタビューを半ば逃げるように(正確に言えば口を滑らせ過ぎたシンがマネージ
ャーであるジュディに強制終了させられただけだが)抜け出して来た為に大きな事は言えな
いが、ティアナとスバル、そして、アズサが居なくなれば、ただっ拾いアズサ達の控え室は
、今はシン一人となってしまった。
 関係者以外完全立ち入り禁止の二十畳はある控え室は、閑散として静けさで耳が痛い。
 ついさっきまで、マネージャーのジュディが世間話しで暇潰しに付き合ってくれたが、テ
ィアナ達のインタビューの様子を見に行ってしまった。
 本番まで後四時間と少し。
 最終リハーサルを終え、衣装をあわせてしまった今では、残りは化粧を済ませるだけ。
 それがまた、シンにとっては衣装合わせよりも憂鬱な時間だった。
「お肌の艶が良い」や「ファンデーションのノリが違う」と「やんやんや」と騒ぐスタイリ
ストやメイク担当のスタッフに玩具にされるのも勘弁願いたい心境だったし、ベタベタと肌
を触れられれば落ち着かない。
 結局反応に困ったシンは、むっちりと無言の抵抗を続けるが、百戦錬磨のお姉さま方には
、それがまた、小憎らしくも可愛らしく映ったのか、必要以上に弄くりまわされるのだ。

「暇だな…」

 化粧台にセットが乱れないように頭を付きひとりごちる。
 アズサの護衛に付いてから、シンは寝る時以外は四六時中、ティアナやスバル達と行動を
共にしていた。
 シンの隣には常に誰かが傍に居て、練習は厳しかったが、退屈しないと言う点から見れば
天国のような環境だった。
 女装のストレスと苛烈な練習で息つく暇が無く、溜息を欠かす事が無かったが、人間現金
なモノで、いざ、誰かが傍にいなくなると無性にせつなくなる。
  
「アズサ・サニーサイドアップ…か」

 鏡の中に映った姿は、贔屓目に見ずとも列記とした女に見える。
 憂鬱気な表情で溜息の一つでも漏らせば、街行く男の何人かはノータイムで振り返ってく
れるだろう。

『貴女が男の人なら…何も問題無かったのよ』
「あれ…一体どう言う意味だろう」

 どう言う意味も無い。
 アズサの言動と行動から考えられる理由など一つしか無いのだが、そうだと決め付けるに
は、あれからのアズサの態度が絶妙に絶妙すぎた。
 付かず離れず、あの時の事が夢現であったように、アズサはいつもと変わらぬ日常を過ご
していた。
 練習に忙殺され、プライベートな会話を交わす時間が取れなかったとだけと言えばだけだ
が、あれからシンは、二人にどうにも後ろめたく、はやてからのメールもいつも以上に気を
使ってしまった。

「こんにちわ、シンさん居ますか?」

 トントンと控え目なノックが響き、シンの懊悩を神様が不憫に思ったのか、聞き慣れた声
が耳に届く。

「エリオか!」

 小さな声でおずおずとドアを開け、顔を除かせたのは年下の先輩、エリオ・モンディアル
だった。

「どうしたんだよ一体」

 エリオは、事前の打ち合わせでは、ドームの外周警備に当てられているはずだ。
 間違っても屋内警備では無かったはずだが、だが、そんな事は関係ないとばかり、シンは
嬉しそうな声を隠す事なく思わず破顔した。
 
「ヴァイスさんがシンさんがきっと緊張しているだろうから、行って来いって」
「そっか。助かる、エリオ。正直に言って心細かったんだ」

 約一ヶ月ぶりの再会にシンの声が自然と高くなる。
 異性に囲まれて過ごした一ヶ月は、シンにとってある意味苦行であり、例え年下でも同性
が近く居る事実は精神的に心強い。
 
「それに僕だけじゃないですから」
「久しぶり、アスカ君」
「元気してた?」
「お疲れ様です」

 エリオがドアを指差すと、なのは、フェイト、キャロの懐かしい六課の面々がマネージャ
ーのジュディを伴い、楽屋に入ってくる。
 なのは達は楽屋が珍しいのか「へぇ」と妙に得心をしながら、楽屋の中を見回していた。

「高町隊長。テスタロッサ隊長。お久しぶりです」
「はい、お疲れ様。敬礼は良いよ」
「フェイトで良いって言ってるのに、また戻ってるし」

 シンは、上官に反射的に敬礼しかかるが、なのはにやんわりと制され、苦笑いしながら、
手を下ろした。

「キャロもお疲れ様」
「はい」
 
 険悪だったキャロとの仲も、夏の事件以降少しづつであるが、改善の兆候が見られている。
 未だ第三者を通してしか話せないが、以前のように開口一番に険悪な雰囲気に陥ることは
無くなっている。

「でも、凄いよねぇ。こんな大きな所で本当に踊るんだ」
「いや、まぁ…多分」

 時間が早く流れすぎたせいかも知れない。
 しつこいようだが、本番を四時間前に控えても、シンは、今日ここで踊ると言う実感は一
切無かった。
 シンが、何か言おうとモゴモゴと口を動かしていると、フェイトがキョトンとした表情の
後納得が言ったばかりに、大きな声で苦笑いを漏らした。

「難しい顔して、アスカ君。もしかして、お腹空いた?」
「あっそうかも」
「私なにか買って来ましょうか」

 なのはに煽られ、踵を返そうとするキャロを大慌てで押し止め、シンは、恨めしそうにフ
ェイトにジト目を送る。

「だって、はやてとシグナムがアスカ君に食事をご馳走するとき、アスカ君、いっつもそん
な顔だよ」
「してないです!食事をご馳走してくれるなら、俺、もっと嬉しそうにしてますよ」
「うん、その調子。さっきのは冗談。アスカ君、今ちょっと難しい顔し過ぎだよ」

 そんなに難しい顔をしていだろうか。
 姿見を覗き込むが映ったのは変わり映えし過ぎた自分で、特に変わった様子は無い。
 鏡に映ったがフェイトが、仏頂面のシンを覗き込み、小さく偲び笑いを漏らす。

「俺、今は腹減ってないですよ」
「本当に?」
「本当です。さっき、ランスターがカツサンド奢ってくれたから大丈夫です」

 やや釈然としない様子で「だから問題ありません」と胸を張るシンに、なのはは思わず噴
出しそうになった。
 何処の世界にお腹が減ったとからかわれて、食べたらから大丈夫と返す子がいるだろうか。
 あまりに、純粋過ぎる返答に、年齢以上に幼く見えるシンに苦笑いを漏らした。
 乙女の勘だが、シンが食べたカツサンドは、きっとティアナの手作りだろう。
 それが証拠に、楽屋の机の上には、市販品に程よく"偽装"した努力の後が見える。
 購買で買ってきたと意地を張る、ティアナの様子が目に浮かび、忙しい合間を縫ってお弁
当を作るティアナの態度は、見ていてむず痒くなるほどだ。
 隊内恋愛禁止と言うつもりは無いが、二人は、まだ凄く仲が良いレベル。
 なのはは、ふと、自分のもう一人の教え子に興味が行った。

「スバルは?」
「ナカジマですか?」
「ううん。あの子も食いしん坊だから、どうしたのかなって」
「ナカジマは…俺のカツサンド半分食べられました」

 見えない尻尾を垂れるシンに、なのはは今度こそ本当に噴出しそうになった。
 笑ってはいけないと思いながらも、サンドイッチを横取りされたシン横顔は哀愁が漂い笑
みを零さずにはいられない。
 今時サンドイッチで一喜一憂出来る"男の子"は貴重だろう。
「サンドイッチくらいならいつでもご馳走してあげるのに」となのは、一頻り心の中で笑っ
た後「本当に良いチームになった」とシン達の関係に感心した

「まだ花より団子なのよぇ…あの娘は」

 なのはは、スバルの天真爛漫な調子に苦笑いしながら、何気なしに売店で買った頬を団扇
で火照った顔を仰いだ。
 記念にと思い買ってみたが、和紙を張っただけの安っぽい作りだと思っていたが、扇ぎ心
地は中々の物だ。
 しかし、なのはの上機嫌とは別に、シンは、なのはの持つ"物体"にこの世の終わりが来た
ような表情で愕然とした視線を送り、泣きたい衝動に駆られた。

「隊長…それ、なんですか…」
「何って団扇だよ」
「で、ですよね」

 どの角度から見ても団扇は団扇でしかない。
 仰いで大山の火を消す能力を秘めているわけではないが、問題は絵柄の方だ。
 シンにも常識はある。
 あのミーア・キャンベルのライブですらそうだった。
 この類のイベント、特にアイドル系列のイベントにその手のグッズが売り出されないわけ
が無いのだ。

(分かってたけどさ)
 
 内心薄々と理解はしていたが、団扇に女装した自分が苦笑いする姿で大写しにプリントさ
れている"グッズ"を見せ付けられる気分は筆舌に尽くし難い。
 おまけに、バストアップの写真は、遠めに見れば半裸に見え、何故こんな珍妙なアングル
を採用したのかシンは、デザイナーに一発くれてやりたい気分になった。
 
「シンさん、シンさんこっちも凄いですよ」
 
 シンが「何が」と言い終える前に、エリオの手に握られたタオルに目を奪われ、開いた口
が塞がらず、油の切れた機械のようにギシギシと肩を小刻みに揺らし始めた。

「なんだよそれ…」
「何って、シンさんのグッズですよ。アズサさんは勿論、ティアナさんやスバルさんのも売
ってましたよ」

 エリオが持つ"物体"はタオルと言うには些か大きすぎる物だ。
 エリオが「じゃーん」と得意気に広げれば、タオルは一メートル以上あり、スポーツタオ
ルにしても横幅が大きすぎる。
 それが、シンの等身大仕様のいわゆる抱き枕のシーツだと分かった時、誇張抜きでシンは
意識が遠くなるのを感じた。
 シーツには、一体いつの間に撮ったのか、化粧をしライブ用の衣装に着飾ったシン振り向
き様の写真が余す事無く印刷されている。
 黒光りする黒い髪と白磁器のようにきめ細かな肌。
 相対する黒と白の中間に、燃える宝石のような赤い瞳が勝気な視線を向け、黒のドレス姿
にまた似合っている。
 だが、最もシンが目を覆いたくなったのは、ライブ用の衣装ではなく、裏面のジャージ姿
で眠るシンの姿だった。
 焦点の定まらずぼんやりとした顔と言い、肌蹴てお腹まで捲くれ上がった様子は、明らか
に寝起き間もないシンだ。
 むっちりとした無防備な顔に、寝汗で痒かったのか、左手を捲くれ上がったジャージの上
から胸を弄っている。
 見方を変えれば"せくし~"なポーズと言えなくもなくいが、シンは、全身を鳥肌が駆け巡
るのを止められなかった。

「いつの…間…に」

 先刻まで我関せずを貫いていたジュディに鋭い視線を送るが向こうも経営のプロだ。
 降って沸いた幸運は余す事無く使い切るつもりなのか、苦笑いの後、商売人の顔を浮かべ
、端末片手にシンに事後交渉を開始する始末だった。

「どうですか、アスカさん。一応この位の見積もりは出てるんですけど」
「…こんなにですか」
「はい、でもこれは最低金額でして、売り上げ次第では、もうちょっとこう」

 ピピとジュディが端末を操作すれば、収支を現す円グラフの色合いが"得"の方へ大幅に増
加する。
 端末に表示された金額は、シンの手取りで給料の半年分。
 賞与よりも大きい金額に思わずシンの眉が跳ねた。
 給料の殆どを危険手当てと交代任務の深夜勤手当で賄う現場の魔道師には、例え元本が少
なくとも給料半年分は魅力的だ。
 ただでなくとも雑費と言う名のティアナ達のオネダリが増える昨今、シンの財政事情は火
達磨だ。
 ぶら下げられた人参をお預けするほど酷なモノは無い。

「誰が買うんですか、こんなの」
「大丈夫お似合いですよ」
「…こ、今回だけですからね」

 抱き枕を買うのはきっとシン意外の誰かだろう。
 何のフォローにもなっていないジュディの笑みにシンは項垂れ、物欲に負けて小さな小さな
プライドをあっさりと投げ捨てた。

(日和ったねアスカ君)
(日和ったかなアスカ君)
(日和見ましたねアスカさん)
(日和りましたねシンさん)

 シンは、ジト目で見つめる四人を視界の隅に強制的に追いやり、誤魔化すような引きつった
笑みを漏らす。

「…いや、その…まぁ物入りですし。ナカジマ、良く食べるし…ランスターはたまにやけ食い
するし」

(結局食べる方向ばっかりだった。なるほど、これじゃはやてちゃんとシグナムから奢って貰
っても割りに合わないか)

 一応と言うには、やや、堂に入ったシンのシナが気になったが、似合っているので良しとな
のはは場の空気を読んだ。
 読めているのかは別にしてだが。

「まっ、アスカ君が"体"張って稼いだお金だからね」
「一応言いますけど…この格好好きでやってるわけじゃないですよ」

 むっとするシンになのはは微笑ましい感情を抱き、シンの緊張が解れたのを見届けると、近
づいてくる気配を察知しフェイトにそっと目配せするのと、アズサが不安気な顔をして楽屋に
入ってくるのは、ほぼ同時だった。

「アスカさん?」

 ドアを開ければ、見知らぬ人間がシンと親しげに談笑している。
 アズサは、自体が飲み込めず目を白黒させてしまう。。

「あれ、アズサさん、ランスターとナカジマのインタビュー終わったんですか?」
「まだですわ、そちらの方々は?」

 だが、なのは達が百戦錬磨の魔道師ならば、アズサも百戦錬磨のアイドルである。
 瞬間的に視線と視線が交錯しなのはは、アズサに同属のシンパシーを感じ取り、アズサも瞬時
に状況を理解し調子を取り戻す。
 互いに只者無いとの思いを抱き、場数を踏んだ"兵"と言う点では、二人はとても似通った存在
だった。

「えっと、高町隊長達は、俺の上司です」

 なのはは、シンの味も素っ気も無い紹介に"やや"不満げな思いを抱くが、アズサと挨拶を交
わす。
 握った手は小さく、本番前だと言うのに、一切の動揺は感じられない。
 しかし、適度な緊張と程よい充実感がブレンドされた感触は、場に慣れていると言うよりも
挑みかかる挑戦者の領分だ。

(プロなんだ、やっぱり)

 芸の達人であるアズサに付け焼刃の
 むしろ、並々ならぬ希薄で舞台、戦場に臨むアズサに畑違いのシン達が乱入して場違いでは
ないだろうか。

「"シン"君?大丈夫なの」
「俺達だって練習してきました。ベストを尽くすつもりです」

 直感的な不安にかられ、思わずシンを覗き見ると、不安は隠してはいないが、心は折れてい
なかった。 
 なのはは、自分に過保護ぶりに苦笑するが、すぐさま教導官の顔を取り戻し、「そっか」と
一言だけ同意し場を取り繕う。
 それにしても、女の格好をしていると言うのに、シンの一人称は"俺"のままだ。
 それでどうして男だとバレ無いのか不思議に映るが、先入観などその程度の力しか持ってい
ないのだろう。

「大丈夫ですわ。アスカさん達は死ぬ気で練習してましたわ。バックは十二分にまかせ切れま
す」

 なのはの心配がアズサの勘に触ったのか、アズサがむっとした様子でシンの前に立ち塞がる。

「お姫様を守るのは騎士の仕事だよ。護衛頑張りなさい」
「了解?」

 触らぬ神に祟りなし
 なのはは、あまり機嫌の良くないアズサに苦笑いし、後は任せたとばかりに耳元で呟き、シ
ンは、なのはの意味深な言葉に困惑しながらも、やはり条件反射で敬礼を返していた。

 未だ開場されていない為、忙しなく動きまわすスタッフ達を除けば、内部は以外な程人気が
無い。
 舞台では照明と演出装置の最終確認が行われているのか、遠く離れた二階席まで激が飛んで
いた。
 気分転換のつもりか、アズサからのお誘いを受け二人は、コツコツと床を足で鳴らしながら
、二人は当ても無く会場内を練り歩いていた。
 元々、口数が多く無いシンとなのは達とあってから不機嫌なアズサ。
 考えられる限り最悪に近い条件は、開場を一週しても、二人に会話らしい会話は無かった。

「綺麗な方でしたね」
「俺もそう思います」

 気まずい空気に先に痺れを切らしたのは意外にもアズサの方だった。
 シンは、一瞬どちらがと思ったが、どちらも美人である為に曖昧に返事を返す。
 なのはとフェイトは見てくれ、容姿こそ最上級の部類に入るが、日々地獄のような教導で扱か
れている身としては「はい美人です」と即答は避けたいし、あの二人を相手にするなら"荷電粒
子砲"付きのガジェットを相手にする方がやや楽な気がした。
 しかし、アズサは、シンの返答が突然立ち止まり、やれやれとばかり肩を下ろす。
 てっきり、社交辞令だと思っていたシンは面食らい、何処で地雷を踏んだとばかりに大いにう
ろたえた。

「…そこは貴女の方が綺麗と言うのがお約束ですわ」
「アズサさん、俺…その…女なんですけど」

 不機嫌はここまでとアズサは相貌を崩し、指で銃の形を作り「バン」とシンの心臓を撃ちぬ
く。
 女が女にその台詞は変だと、シンは感じるが、中身が男の為に背中がむず痒くて仕方無い。
 ただでさえ、アズサの一挙手一投足に心が浮き足立ち動揺するのだ。
 これ以上は本番前に勘弁して欲しい心境だったが、笑顔を取り戻してくれたアズサを見て安堵
した。

「知ってます。からかっただけですわ」

 陽気に告げるアズサだが、からかったのは本当だろうか。
 きっと、半分は本当だが、もう半分はきっと嘘だろう。 

『貴方が男の人なら良かったのに』
 
 アズサの明け透けな好意に対してシンの心は常にざわめき落ち着かない。
 だが、今更、実は自分は男でしたと言えるだろうか。
 一ヶ月のレッスンで、シンはアズサのプライベートのかなり深い部分まで踏み込んでしまっ
ている。
 ピーマンが食べれない事や老け顔趣味や絵本が大好きであること。
 作曲家への愚痴、社長への文句、同級生への些細な嫉妬、そして、父親との確執。
 スタッフでも知りえない秘密を幾つかも共有してしまった。
 それは彼女がシンを同性の仲間、信頼に値する人物だと認めてくれたからの行いだ。
 彼女はシンを仲間、友人、信頼では括れないそれ以上の気持ちを向けてくれていると言うの
にシンは、アズサを最後まで騙しきらなければならない。
 おまけに、そんな心理的な要因ばかりではなく、同じ釜の飯ばかりではなく、一緒に風呂ま
で入って、チラチラと見てはいけない場所まで拝んでしまった。
 言ってしまえば普通に犯罪である。

(い、言えるわけないだろ)  

 アズサへの心象を抜きにしても、シンの心のざわめきは、本当は、誰に対しての後ろめたさ
なのか。
 シンは、心底に沸いたざわめきを今は任務に集中とばかりに後ろめたさを頭の隅に強引に押
しやろうと四苦八苦していた。

「お父様…」

 言うべきだ。
 いや、最後までアスカちゃんを演じるべきだと悶々としたシンの思考を断ち切ったのは、ア
ズサの緊張し切った声だった

「久しぶりだね、アズサ」

 顔を上がれば、がっしりとした体格の髭面の中年男性と見知った顔がアズサを見下ろしてい
た。
 声に主とシンとは直接の面識は無い。 
 だが、参考資料としても事件の最重要参考人としても"彼"の名前は知っている。
 ウォルター・ライス、管理局上級委員の序列第一位にして、ミッドチルダの製鉄業界を牛耳
る管理局の門外顧問。
 政敵と言うには、あまりに巨大過ぎる障壁が、シンの前に静かに立ち塞がっていた。
 
「君が…アスカ君と言ったかな」
「は、はい。アスカ三等陸士であります」

 落ち着いてこそいるが、心臓を直接鷲掴みにするような特徴的な声。
 条件反射で姿勢を正し、敬礼するが、有り得ない男の存在にシンの心臓が跳ね上がる。
 アズサとは別のざわめきを心に感じ、これまでの経験が警鐘を鳴らした。
 いや、この事態は十分に予測出来た事柄だ。
 アズサのライブの目的の一つに父親に歌を聞かせる事がある。
 疎遠になったとは言え、親馬鹿で知られるライスが、娘の復活ライブに直接顔を合わせない
わけがないのだ。

(この人が…スカリエッティと)

 先日のはやてとの会話がシンの脳裏に浮かび上がる。
 ウォルター・ライスは何処かでジェイル・スカリエッティと繋がっている。
 それは即ちジェイル・スカリエッティが、遠い何処かで管理局との癒着の事実を露にしてい
るに等しい。
 多頭蛇のように巨大な組織である時空管理局が一枚岩であるとはシンも思っていない。
 しかし、こうも露骨にそれと分かる形で管理局の上層組織と犯罪者と繋がりを見せ付けられ
れば、どう行動し事実を噛み砕けばいいのか分からないのだ。
 現行では六課にライスを告発出来る証拠は無いに等しい。
 だが、限りなく黒に近い灰色の犯罪者が目の前に居て、アズサに微笑みかけている。
 ライスのアズサに向ける微笑みは、親愛の情に違いなくとても作り物には見えない。
 だが、シンは、彼の笑顔がギルバード・デュランダルに見えて背筋に嫌な感触を覚えた。
 シンは、警戒心を丸出しでライスを見つめるが、アズサがライスに向ける視線は、戸惑いさ
え混じっているが、大半は懐かしさを秘めた物だ。
 子が親を思う全うな気持ちに、シンの心は大いに揺れていた。
 隣の髭の男性にシンは、心当たりは無かったが、階級称を見れば、彼が陸に所属する中将で
ある事が見て取れた。

「レジアス中将、ほら、彼女が例の」
「あぁ、なるほどな」

 ライスが口にしたレジアスの名前にシンの眉が跳ねた。
 レジアス・ゲイズ中将。
 それなりに恰幅の良い体格だが、脂肪の下に硬質な筋肉が眠っているとありありと分かる体
格。
 一ミリの狂いも無いシンメトリーの角刈りと清潔感と男気溢れる立派な髭は、視る物を威圧
し、なにより本人が発する気は、彼を知らずとも畏怖を抱かせる。
 世辞に疎いシンでも、相手が陸の実質的な最高責任者、上司の天敵となれば当然名前も知っ
ている。
 だが、それだけは出ない。
 文字通り雲の上の存在は、いつもシンに無意識ながらも防衛本能を浮かび上がらせるのだ。

「お前が八神の小娘の秘蔵っ子か」
「アスカ三等陸士であります」

 無遠慮にジロジロと見つめられれば警戒心も出るが、どうにか敬礼を返す。
 シンの敬意を含んだ挨拶もレジアスはシンを厳しい顔で一睨し一蹴してしまう。
 シンがレジアスに感じた第一印象は嫌な感じだった。

「アスカ三等陸士。少し顔を貸せ」

 しかし、レジアスはシンの戸惑いも他所に話の主導権を奪っていく。
 レジアスは、ライスに一礼し、シンの肩を掴み、強引にその場を離れようとする。

「えっいや、私は任務中で、」
「親子の語らいの最中だ。他人は野暮なだけだ」
「り、了解」
 
 ライスと既知の仲であれば、シンの現状は理解してくれている可能性は高い。
 しかし、レジアスがうっかり口を滑らせれば、全ては元の木阿弥である。
 釘を刺すにしても、相手は中将だ。
 迂闊に口答えして良い相手ではなく、機嫌を損ねればシン一人ではなく、六課に迷惑がかかっ
て来る。
 何を言うべきか迷うシンに、レジアスのほうから声をかけてくるが、内容は至極まともな物で、
シンは我知らず、ほっと安堵していた。

「アズサさん、俺は向こうに居ますから、何かあれば呼んで下さい」
「え、あっ、はい…こちらもすぐに済ませますわ」

 父親を前に浮き足立ち、ぎこちなく話し始めるアズサを前に、シン苦笑しレジアスと共に一時
場を離れた。

 ドーム最上階のフードコーナーは、あと数時間もすれば人混みでごった返すとは言え、閑散を
通り越し人っ子一人居ない。
 普段と勝手が違うのか、ぼんやりとした顔の年配の女性が数人、嵐を前にのんびりと営業して
いた。

「何がいいのだ」
「コーヒー。ブラックでお願いします」
「だそうだ。後、グランセンテンスのカフェオレはあるか」

 シンが、お金を払おうとすると、レジアスが手で制しシンの分の会計まで済ませる。
 彼の手に握られているのは、限度無制限のブラックカード。
 フェイトと言い、レジアスと言い、管理局の人間は、どうしてこうブルジョワジーな人間が多
いのか。
 シンは、自分の収入を思い起こし泣きたい気分に駆られた。

「良くもまぁ、こんな妙な任務を受けたものだな」
「任務ですから」
「男のプライドは無いのか」
「むぐっ」

 カフェオレの甘さに舌が痺れるが、それよりもレジアスの言葉には一々棘があった。
 シンは、何故か飛んできたカフェオレを手に取り、パッケージから容易に想像出来る甘さに辟
易する。
 だが、女装して任務など傍から見れば常軌を逸しているのは違いないが、世の中にはオブラー
ドに包んで会話を進めるのも社交術、マナーと言う物にも関わらず、レジアスの言い分は、気持
ちよい程にシンのプライドを打ち砕いてくれた。

「相変わらず小娘の考えた作戦は良く分からんが、なりふり構わなければ、私も似たようなこと
をさせるかも知れんな」
「は?」
「男にそんな格好をさせるからには、それ相応の理由があると言う事だ」
「はぁ」

 シンは、レジアスの言葉が理解出来ず、惚けたような表情で相槌を打つが、レジアスは大真面
目な態度を崩す事は無かった。
 レジアスの真意が今一つ図りきれぬシンだが、一つ大いに気になっていることがある。
 先刻からレジアスは、はやての事を「小娘」と明らかに小馬鹿にした言葉でしか呼んでいない。
 それがどうにも気に食わず、苦手意識よりも、まずレジアスに強い敵対心を抱いてしまう。
 自分の感情を「子供か」と自虐のように思う反面、はやての部下としても心を救って貰った恩
人としても、相手が目上の人であろうとも、言うべき事は言わなければならないとシンは感じて
いた。

「八神部隊長は部隊長です。階級は中将に遠く及びませんが、八神部隊長は俺なんかと比べるの
が駄目なくらい立派な人です。小娘と言う言い方は、俺は納得できません」
 
 本当ならもっと巧い言い方、言い回しがあるはずだ。
 今のように感情先行の言い回しなど、相手に不快感を与えるだけで、出来た大人の対応とは思
えない。
 思えないのだが、言わずには居られない自分の不器用さがほとほと嫌になる思いだった。

「吼えるな若造。馬鹿にしているわけではない。これでも小娘と聖王教会には随分とやりこめら
ている身分だ。蔑称は好敵手に対する"思いやり"と言う物だ」
「えっ…あぁ、その」

 蔑称が思いやりとは、一体どう変換すれ思いやりになるのだろうか。
 人生経験が足りて居ないと言われれば、それまでだが、シンにはどうにも納得出来そうにない。

「言葉の裏を読めとは言わんが、言葉通り、全てを額面通りに受け取るのは感心せんな。知らん
のか?大人は平気で嘘を付く。騙し、出し抜き、奪う。貴様の尊敬する"小娘"も管理局でそうや
ってのし上がって来たのだ」

 前線の兵士と後方の指揮官では住んでいる世界は違う。
 政治の世界が綺麗事だけで回っているとはシンも到底思えない。
 指揮官は、時には非常とも取れる選択を求められると理解していても、あの"八神はやて"が権
謀術数を繰り広げ、他人を無慈悲に出し抜く様子など、とても想像したく無い。

「…そんなことありません」

 聞きたくは無かったが、聞かずにはいられない。
 レジアスはシンを見つめ、体の良い玩具を見つけたように意地悪く笑った。

「何故だ。貴様は小娘の全てを知っているのか」

「全てを知っているのか」と述べるレジアスの言葉にシンの胸がズキリと痛んだ。
 知っている、通じ合ったと思っていても、最初から最後まで一緒に居てくれた最愛の少女です
ら、シンは最後まで通じ合うことは出来なかった。
 信頼と絆を築けたを思っても、ほんの些細な行き違いで、ルナマリアとの関係は修復不能まで
拗れてしまった。
 人の思いは儚く脆い。
 だが、儚く、脆いが故に縋り、信じたいと思う心は人の根幹に根付く感情だ。
 否定など出来るわけもない。

「……でも、部隊長はそんなことしません」
「貴様は相手にするのが馬鹿らしい程に傲慢だな。ならば信じたいモノだけを信じろ。それに異
論も是非もない」

 ピシャリと言い放たれ、場に気まずい空気が流れる。
 父親のように年上の人間にはっきりと「好きにすれば良い」と断じられれば、嫌な気分にしか
ならない。
 それ以前に、身内でもあるが、ある意味敵であるレジアスに、何故説教にも似た講釈を受けて
いるのだろうか。
 心底に段々と苛々が積もり、シンは、今自分が何をして、何を思っているのか、段々と分から
なくなって来た。 
 ただ、はやてを悪く言われて言い返す事が出来ない自分が腹立たしかった。

「その…中将は八神部隊長と長いのでしょうか」
「長いな。貴様が考えているよりもずっと長い。だが、それはそれだけ煮え湯を飲まされた年月
が長いと言う事に違い無い。まぁこちらも何度も飲ませてやったがな」

 ならば、せめて部下を弄るのは許せとばかり、ククと笑みを漏らすレジアスの顔は、年齢より
も随分と若く見えた。
 レジアスとはやての因縁は深い。
 前線の兵士には窺い知る事の出来ない駆け引きが両者の間で、繰り広げられているのだろうが
、偏屈なまさに海千山千の猛者の集う伏魔殿の長と戦うはやてに、シンは頭が下がる思いだ。
 シンならば、何度も頭に血を昇らせ、知らず知らずの内に相手の良いようの操られてしまうだ
けだろう。
 シンにして見れば、百戦錬磨の権力者に何度も煮え湯を飲ませただけで、はやては十分に尊敬
に値する上司だ。
 だが、それはとは別に、はやてと付き合いの長いレジアスに落ち着かない気分になるのもまた
事実だった。

「小娘に感謝しておけよシン・アスカ。お前を助ける為に小娘は随分無茶をやったぞ。それこそ
敵を大量に作る程にな」
 
 シンの葛藤を知ってか、レジアスの言葉にシンの拳に知らずと力が入る。
 前回の作戦で無茶をしたのは、何もはやてだけではない。
 なのはは禁呪を使い、グリフィスは全ての手続きを振り切って強引に修理機材を徴発した。
 世の中は厳しいルールに縛られている。
 ルールから外れようとする存在を社会は快く思わないのは道理だ。
 単純な力の優劣だけではない。
 シンは、多くの人に助けられ、支えられて生きている。 
 たったそれだけの単純な事実が、実感を伴い肩に重くのしかかり、シンは、視線を伏せずには
居られなかった。

「男を苛める趣味はない。だが、今暫し時間があるようだ。話題を変えよう…シン・アスカ。MS
デスティニー。あれは良い物だな」
「なっ」

 言い包められる続けるシンに、レジアスがトドメとばかり木々を指す。
 レジアスの口から急に飛び出た愛機の名前に、今度こそシンの心臓が跳ね上がり、レジアスに
敵対心剥きだしの視線を送る。

「お前の素性は報告書で読ませて貰った。機動兵器ガンダム。核が生み出す莫大な電力をたった
一機の鉄の塊に集約するセンスにも驚いたが、何より驚いたのはガンダムの造形だ。何故あれは
人型に近い」

 レジアスの口から出てくるのは、コーディネーターではなくMSの事ばかりだ。
 てっきり、コーディネーターの特異性を言及されるとばかり思っていだけにシンは、出鼻を挫
かれる思いだ。

「それは…Nジャマーでレーダーが役に立たないから」
「有視界戦闘での有能性か。なるほど理解出来る。だが、では、背中の翼はなんだ。推進機関に
しても翼の形を取る必要性はあるまい」
「そんなの、技術者に聞いて下さいよ。俺は、パイロットだったんです。形よりも性能が全てで
す!」

 シンは、レジアスの雰囲気に飲まれていると自覚しながらも口を滑らし続ける。

「七十トンの金属の塊が重力中和の補助も無しに浮くのも信じがたいが、MSは何故巨大になっ
た、何故そこまで人に似せる必要があった。
「それは、最初に作られたMSが人型だったから」
「話がループしているな。では、質問を変えよう。お前達は何と戦っていたのだ」
「人間同士…ですよ。まさか、貴方までMSは人間以外の存在と戦う為に作られたって言うんじゃ
ないでしょうね」

 ゴシップ、オカルトの類だが、CEに居た頃からもMSはどうして生まれたか議論は尽きなか
った。
 メビウス、戦闘機が主体の連合に技術的な差をつける為にMSが生まれたと言うのが専らな意
見だったが、それにしてもあのように巨大な人型を取る意味は無かった。
 元がパワードスーツを原型に発した進化系、諸説云々あるが、MS開発の発端は都市伝説のよ
うに判然としない。

「知っているか"小僧"?戦争は憎しみだけでは成り立たないのだ。戦争の裏には必ず利潤が存在
し、打算がなければ人は動かない。MSに使われる大量のパーツや開発素材が市場経済を潤沢に
すると言うなら話は分かる。
 だが、資源と市場が限られたコロニーで利潤を回す意味は薄く、やはり、商売相手は大きい方
に限る。だが、お前達の親玉は、過去地球に住む人類を滅ぼそうとしている。人間同士の戦争に
MSの必要性はMSを知らない者から見れば、人類以外の戦争の為にMSが出来た。そう考える
のが普通なのだ」
「…俺には貴方の言っている事が分かりません。でも、MSは力です、力でした。力は誰かを守
る為にあるはずです。俺は傷つき傷つけあう戦争が打算や損得で動いていると信じたくありませ
し、誰かを守る為の力が、人を守る以外の為に作られたなんて考えたくないです。それに、きっ
と正論を理解しても、あまり良い気分じゃ…ないです」

 シンは、チェスのように一手一手、熟考してから手を放つ。
 シンは自分の考えが穴だらけで矛盾しているのは分かっている。
 この矛盾を違う真実と事実で巧く埋めていく行為が大人になる一歩だと薄々感づいているもの
の、尤もらしく戦争を肯定する意見を漏らされれば、気分は暗くなる一方だ。
 
「青臭いな。だが、経過も結論も棚上げした感情論だ。共感出来んが、戦争が気分が良くないの
は同意する。戦争なぞ起きないにこした事は無い」

 先の会話から、シンは、レジアスが戦闘肯定論者だと思ってだけに、シンにとってレジアスの
言葉は意外だった。
 戦争で人が死ぬ。
 死ぬから戦争はいけない、しない方が良い。
 経済や概念、民意の誘導、高度な政治的背景に基づく哲学。
 多種多様の言い方に踊らされそうになるが、戦争によって誰かが傷つくなら、そんなものは無
い方が良いのは当りまえの帰結なのだ。

「中将はMSについて、どうお考えなのですか。何故MSは生まれたとお考えなのですか」
「面白みだ」
「お、面白みって」
「人型同士の闘争は華がある。信念、理念、互いの主張をぶつけ合う中で、何かもっと別の価値
観が生まれる事が稀にある。人類がそうやって進化して来た事は、私は否定せんよ。今でこそ目
立った戦争はないが、ミッドチルダ含め、次元世界から闘争の芽は摘む戦いは続いている。
 地味とも言える草の根活動と直接的な暴力が人類に平和と知恵を最適手だ。だがな、戦争はい
けません。互いに手を取って頑張りましょう。そんな地味な戦いは見ていて退屈だ。そして、ボ
タン一つで闘争が終われば、闘争を眺めて楽しむ者から見れば、これ以上の失望もあるまい。M
Sは行き詰った人類の闘争の形に新たな"形"を与えたオーパーツだ。神の見えざる手。それが私
の推論だ」
「暴論です…それじゃあ人間が直接やりあった方が面白いってことになります」
「そうとも言えるな」

 レジアスの言葉にシンは、今度こそ耳を疑った。
 MSは人間同士の争いに面白みを持たせる為に生まれた。
 巨大な殺傷能力を秘めたMSのパイロットとしても、MSが面白そうだから生まれたなど、断
じて認めるわけにはいかない。 
 いかないが、何処か納得出来る節もある。
 極端な例をあげよう。
 八本足のロボットと二足のロボット。
 安定性や地形効果の安全性の観点から見れば、八本足のロボットの性能を疑う余地はないはず
だ。
 だが、もし、八本足のロボットの性能を二本足のロボットで再現出来たならばどうだろうか。
 格闘性能、機動性、整備の利便性、全く同じ性能ならば、人は何を"基準"にMSを選び運用す
るだろうか。
 
(多分…人型を選ぶ)

 同じ性能、同じ利便性なら、同じ人類をスケールアップさせた人型ロボットの戦いには華があ
る。

「巨大な人型が剣を取って争う。見世物としては最適だ」

 レジアスの言葉に、シンの脳裏に死んでいった人達の顔が弾け飛び、反射的に拳が飛び出しそ
うになる。
 赤い瞳を炎のように滾らせるだけ済んだのは、奇跡にも等しい所業だった。

「やっぱり俺は…貴方の言っている事が理解出来ません。あの戦争が見て楽しむモノだったなん
て…死んだ人達を馬鹿にしてます」
 
 プシュとプルタブが空く音で正気に返ったシンは、苦々しい思いでレジアスをにらみ付けた。

「当事者から見れば、また別の切り口もあるか。無粋だった。非礼は詫びる」

 たっぷり三十秒の間をおいて、レジアスはブラックコーヒーに口をつける。
 ごくごくと喉を鳴らして飲む間、シンは微動だにせず、レジアスを見つめ続けた。

「…シン・アスカ三等陸士」
「はい」
「ジェイル・スカリエッティに気をつけろ。奴は全てを見透かしている。
「…はい」
「それからな、小娘、八神はやては、今時驚く程に正攻法な娘だ。むしろ真正面からしかぶつか
ってこん」
「それって」
「お前が思うような事は小娘は何一つやっていないと言う事だ。安心したか」

 嫌らしく笑うレジアスに、シンは緊張の糸が切れるのを感じる。
 はやての事を信じているはずが、レジアスの僅か一言三言の悪戯で揺さぶられ動揺する。
 情けないと言うよりも、シンの小さな容量では何が何だか分からなくなって来る思いだ。
 良くもまぁ人の気持ちを無視して、本番前にここまで好き放題言ってくれるものだ。
 俺はそこまで容量が大きく無いと、シンは心の中で盛大に文句を漏らした。

「話は終わったようだな」

 シンが、顔を上げれば、連絡通路をアズサが上機嫌にかけて来るのが見える。
 ライスが例え犯罪者かも知れない人間だとしても、それはアズサには何の関係も無いことだ。
 一度で父親との確執が溶ければ喜ばしい事だが、例え一度で無理でも、二度、三度へ繋げる為に
このライブは誰の手からも守り抜く。
 アズサの笑顔を見てシンの覚悟は決まった。
 シンは、硬い決意を胸に、表情を緩め、走ってくるアズサに手を振った。

「邂逅はここまでだ。私はこれで局に戻るが、貴様は任務を継続しろ」
「…了解しました」

 走ってくるアズサと手を降り終え、不敵に敬礼し返すシンを見たレジアスは、何とも言えぬ
微妙な顔で、エレベーターへ静かに歩いていく。
 レジアスがシンに感じた第一印象は、物を知らずで雑な男と本人が聞けば憤慨しそうな評
価だった。
 しかし、レジアスに噛み付いてくる男は久しくおらず、根性の面から見れば、シンはレジ
アスの御眼鏡に十二分に適う逸材だった。
 だが、会ったばかりの相手を素直に認めてしまうには、年配の人間の意地は悪すぎた。
 エレベーターの扉が開く瞬間、レジアスはシンへ振り返り、最後の嫌味を言い放つ。

「苦いな…貴様、何故こんな苦い物が飲める」

 チンとエレベーターのドアが閉まり、レジアスの文句と手に握られたカフェオレを見つめ、シ
ンは「まさか、このカフェオレは中将のお薦めだったのか」と、愕然としてしまった。

 全くの蛇足だが、世界の真実に一番近い存在は、皮肉にもレジアス・ゲイズ、その人だった。