RePlus_第六幕_後編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 12:47:38

 甘い夢を見る。
 オーブで何不自由ない生活を送ってきたあの頃の夢だ。
 両親が居て、溺愛していた妹が居て、一緒に遊んだ友人が居た。
 あの頃の自分の生活には、笑顔が絶える事は無かった。

 辛い夢を見る。
 戦争が始まって、両親と妹、家族が目の前から永遠に奪われた瞬間を何度も見続ける。
 何の力も持たない自分は、無様なままで終戦を迎えた。

 苦い夢を見る。
 戦争を憎み、力を求め、そして手に入れた力を振るった夢だ。
 幾多の出会いと別離を繰り返し、再び戦争を駆け抜けた。
 その果てに何を手に入れたのか、シン自身理解していない。

 幸福な夢を見る。
 失ってばかりの自分が、再び戦う力を手に入れた夢だ。
 仲間と力。
 これがあれば、シン・アスカは戦える。
 誰かを護りたい。
 力の無い人を護りたい。

 そして、それは、遥か彼方の異世界でも変わっていない。
 だからだろうか。
 
「何で泣いてるんだ…ランスター」
 シンの目の前で蹲って無く少女を見た時、シンの胸は張り裂けんばかりに痛んでいた。

「…うぅ」
 規則正しい心電図の音がシンの耳に届く。頭が割れるように痛み目の焦点が合わず視界がぼや
ける。体を起こそうとするが、体中が錆び付いたように軋んで音を立て、思うように動かない。
「まだ、起きたらあかんよアスカさん」
「八神はやて…」
 熱を持ったシンの額に冷たい手が添えられる。隊長でも部隊長でも無い、只の"八神はやて"。
その呼び方は、まるでミッドチルダに流れ着いた当初のシンを彷彿させる。
「俺は…」
 はやては、無理やり起き上がろうとするシンの両肩を掴み、そのままベットに優しく寝かし付
ける。
「だから無理したらあかんて、アスカさん。外傷は治ってるとは言え三日昏睡状態やったんやか
ら」
「昏睡?三日?…俺が?」
「そうや…大変やったんやから。皆に心配かけて…アカン子や」
 はやての言葉で、靄がかかった様な朧気な記憶が鮮明になり始める。
「そうだ、俺。高町さんのディバインバスターを斬ろうとして」
 桃色の魔力光が眼前に輝き、必殺の一撃で相殺しようとした瞬間、シンは背中に鋭い痛みを感
じた。あの感じ、訓練中に何度も受けた感覚は、確かにティアナの魔力弾の感触だった。
「そうだ、ナカジマは!」
 爆発炎上し、足掻く事の出来ない魔力の本流の中で、シンはスバルの手を無我夢中で掴んでい
た。あれからどうなったのだろうか。幾ら思い出そうとしても、スバルの手を掴んだ瞬間から、

ンの記憶は途切れている。
「大丈夫…スバルは無事や。ちょっと火傷したけど、怪我も魔力ダメージもアスカさんの方がず
っと重症なんやで。スバルは心配せんでも大丈夫。事故の数時間後には、目を覚まして病院中を
ぴょんぴょん跳ね回ってたんやから」
「…そう…ですか」
 はやての笑顔に安堵を覚え、一瞬でも最悪の事態が頭を過ぎったのか、シンは肺腑に溜まった
暗い息を吐き出した。
「だから、今は自分の傷を治さなかんよ。それに、アスカさんが、あんまり動くとティアナが起
きてしまう」
「えっ…」
 そう言えば先刻から下半身が重いと思っていた所だ。てっきり怪我の後遺症かと思ったが、シ
ンの下半身には、ティアナが覆い被さるように眠りこけていた。浅い呼吸を繰り返し、頬に涙が
乾いた後が頬に点々と残されている。
「三日三晩アスカさんに付きっ切りや。さっき漸く眠ってくれたところ」
 はやては、困った表情を浮かべ、肩を竦めながら頬に掛かるティアナの橙色の髪を掬う。
「運び込まれてた時はもう殆ど半狂乱でな。アスカがスバルがって、お願い助けてって。ティア
ナずっと泣きはらしとったんや。処置中もずっとアスカさんとスバルの名前を繰り返しとった」
 泣き疲れている内に眠ってしまったのだろう。ティアナからは、いつのも負けん気の強い溌剌
と表情が消え憔悴しきっている。
「そうですか…すまん、ランスター。心配かけたみたいだ」
 シンの手がティアナの頭を優しく撫でる。普段のシンならば決してしないであろう仕草にやて
の胸がチクリと痛む。
「う…うぅ」
 シンが頭を触った事で、ティアナの目が覚めたのだろう。体をモソモソと動かしながら、ティ
アナがゆっくりと顔を上げる。気恥ずかしくなったシンは、撫でていた手を慌てて引っ込めた。

「……」
「…あ、え、と…おはよう、ランスター」
 シンは、どう言って良いか分からず、いつもの通り「おはよう」とだけ答える。
 ティアナは、目を丸くし、シンと目が合うや否や、弾丸のように弾け飛びシンに抱きついた。
首筋に手を回し、まるでもう離さないと言わんばかりに力の限り締め付けて来る。
 男女の甘い抱擁では無く、迷子の幼子が両親を追い求めるような雑な抱擁。ティアナの力が予
想以上に強かったのか、シンはティアナを受け止め切れず病室の壁に頭をぶつけてしまう。
「痛って」
 瘤が出来るかと思う程の衝撃に、思わず文句を言いそうになったシンだが、胸元から感じるテ
ィアナの涙に声を失った。
「よかった…ほんとに…よかった…」
 普段の強気なティアナからは、想像も出来ない程のか細く弱々しい声が漏れる。
「あ、いや、その…」
 シンはどうして良いか分からず、両手が宙を舞い手持ち無沙汰に揺れる。あれよこれよと考え
るが、不思議な事にティアナには、ステラやルナマリアのように振舞う事が出来ないシンだった。
 胸元に感じるティアナの体温と、思ったよりも豊かな胸に、シンの鼓動が早鐘のように鳴り響
く。これだけ密着しているのだ。確実にティアナにも心臓の音が聞かれているはずだ。
(お、おさまれよ、俺の心臓)
 一度意識してしまうと最後だ。心臓の鼓動は、後は加速度的に早まって行くだけだ。結局雰囲
気に流されて抱きしめ返す事も、涙を拭いてあげる事も出来ず、シンは困り果てていた。
 一体どれだけこうして居ただろうか。
 実際は数分の出来事だったが、シンには数時間にも感じられる程長く感じられた。
「おい…ランスター」
 ティアナを引き離しにかかるシンだが、このか細い体に何処にそんな力があるのか、ティアナ
はシンに抱きついたままビクともしない。病室に一人だけならまだしも、シンの目の前にははや
てが居る。病室の入り口からも、真紅の髪が見え隠れしている事からシグナムも居るのだろう。
こんな状態のまま、ずっと見られていては、シンの胃が焼きついてしまう。
「…なぁ、ランスター…その、俺は、大丈夫だから…離れてくれないか」
 離れてくれないか。
 突抱きついた時と同じように、突然弾かれたようにシンから体を離すティアナ。ティアナは、
困惑するシンを他所に決して目を合わせようとしない。そればかりか、何とも言えない暗い空気
を纏っている。放って置いたら、このまま窓から身を投げてしまうような危うさを感じてならな
い。
「……ご…めん」
 ティアナは、搾り出すように謝罪の言葉だけを残し、病室を逃げるように後にする。一度だけ
見えたティアナの表情は、後悔と悲しみに溢れていた。
「おい、ランスター!」
 シンは、反射的に追いかけようとするが、はやてといつの間に病室に入って来たのか、シグナ
ムにがっちりと肩を固定され動けない。
「はいストップな、アスカさん」
「お前が、ティアナの事が心配なのは良く分かった…だが、お前の怪我も軽くない。今日くらい
休んでも罰は当らん」
「でも、部隊長、副隊長!あいつ今にも死にそうな顔して」
 シンの必死な形相にシグナムは肩を竦め溜息を付く。
「…あのな、アスカ。こんな事を言うのは酷かも知れんが…お前は、ティアナに後ろから撃たれ
たんだぞ」
「失敗は誰にでもあります」
「今回はそう言うレベルでは無い。内々で処理するつもりだが、本局から事故調査委員会が出張
ってくる可能性も否定出来ん」
 何かに気が付いたシンが、縋る様な思いではやての方に向き直る。
「そうやな…ティアナは、今謹慎処分中や」
「謹慎って、そんな何でランスターだけが処分されなきゃならないんですか」
「アスカさん…あれは誤射や無い。誤射で済ませたらあかん問題や。…当然故意にやった事で無
い事は百も承知けどな。オプティックハイドとフェイクシルエットの長期使用、同時併用でティ
アナの魔力は空っぽやったんや。デバイスから送信されてるバイタルデータが無くても、あの時
の魔法行使がどれだけ危険な状態にあったか、撃った本人が一番分かってるはずや。六課を束ね
る長としても一魔道師としてもそんな危険行為は見過ごせへん」
「でも!」
「でもヘチマもあらへん。兎に角、ティアナランスター二等陸士には、後日六課課長八神はやて
として、正式に処分を下します。それまで、シン・アスカ三等陸士にも療養を命じます」
「くそ!」
「あっ、こらアスカさん!」 
「アスカ、待たんか!」
 はやてとシグナムの腕を振り解き、はやてとシグナムの静止も聞く耳持たないのか、着の身着
のままでベットから落ちるように病室から走り出すシン。
 病室からはやてが顔を出す頃には、シンは既に視界から消えていた。

「全く鉄砲弾のような奴です」
「ほんまになぁ」
 溜息を付き、苦笑いしながら互いに頷き合う。
「追いかけなくて宜しいので主はやて?」
「追いかけないとあかんな…でも、今ティアナに必要なんは私達やのうて、アスカさんとスバル
やからな。スバルは元気に跳ね回ってるように見えて、やっぱり元気無い見たいやし、ティアナ
の方はもっと重症やと思う。自分のチームメイト殺しかけたんや無理も無いけどな」
 事故の一報を聞き、執務そっちのけで事故現場に到着したはやてが見たモノは、地獄と呼んで
も差し支えない光景だった。倒壊したビル。灼熱化した大地に突き刺さる瓦礫の山。息を吸い込
むと熱で喉が痛んだ。今思い出しただけでも寒気がする。
「それで、高町教官殿は?」
「後始末や」
(アスカさんの阿呆…)
 はやては、嘆息しながらシンのベットに腰を下ろし、そのまま寝転がってしまった。

「クソっ!ランスター、何処に行ったんだよ」
 ティアナの姿は既に無く、焦ったシンは一階ロビーに向かい早足でかけて行く。よく見れば、
ここは、シンが一度入院した事のある病院だ。という事は、ここは必然的に首都クラナガンと言
う事になる。
(拙い)
 首都クラナガンに何度か来た事のあるシンだが、六課隊舎周辺ならともかく、クラナガン近郊
の土地勘はまるで無い。もし、ティアナが一目散に病院から出て行ってしまえば、シンが探し出
せる可能性はほぼゼロだ。エレベーターが下る速度がいつも以上に遅く感じ苛々する。シンは、
ドアが開くと同時に受付に全速力でかけこむ。
「あっ…はっ…はぁ…すいません」
「は、はい」
 受付の病院職員が目を丸くして驚く。荒い息を付き、病人服のままの患者が、正面エレベータ
ーから血相変えて飛んで来るのが見えれば誰だって驚く。
「その、ランスター、見なかったですか」
「は?」
「ティアナ、ランスター。オレンジ色の髪で管理局の制服来た女の子」
「あ、ああ。そうね…そんな子は見てないけど」
「ほ、本当にですか!」
 カウンターに身を乗り出して、吐息がかかりそうな程に接近する。受付嬢は思わず気圧される
が、持ち前の平常心を発揮し毅然とした態度で答える。
「ええ、今日は来客も少ないし、ここは玄関の前にあるから見て無いと思うけど」
「どうも!後、何か書くもの貸してくれませんか」
「ど、どうぞ」
 胸ポケットのボールペンとメモ用紙をシンに渡す。シンは、自分の携帯番号とメールアドレス
をメモ用紙に殴り書き、慌てて受付嬢に突っ返す。
「すいませんけど、もし、ランスター見つけたらここに連絡下さい」
「え、はぁ」
「じゃあお願いします!」
 来た時と同じように、弾かれたように病院内に取って返すシン。受付嬢は、それを唖然としな
がら見ながら渡された携帯の番号を確認する。
「何、あの子?新手のナンパ?」
「さぁ?でもちょっと可愛かったわね」
「どこへんが?」
「必死な所とか」
「あんたドSなの?」
 受付嬢の同僚は深いため息を付いた。
 
 一階、二階、三階と各階を虱潰しに探す。病院の自体は然程大きな物では無いが、一人で探す
には広すぎる空間だった。入院患者、病院関係者所構わずティアナの居場所を聞き回る。
 これだけ人が居るのにも関わらず、誰もティアナの事を見ていない事に不可思議に思いながら
も探し続ける。
 受付で見張りを頼んだが、何処まで信用出来るかは分からない。もうとっくの昔に病院を出て
行った後で無駄かもしれない。
 体が軋み、荒い息を付く。左腕と背中が痛み脂汗をかく。思わず座り込んでしまいそうになっ
たが、痛みと軋みを無理やり抑え付けた。
 一階から順に探して行き、結局シンの病室があった六階まで戻って来てしまう。このまま病室
に戻るのは、色々面倒なな事態になりそうな為に御免被りたい。何より正面から、啖呵を切って
飛び出して来たのだ。このまま見つかりませんでしたとスゴスゴと戻っては、情け無いにも程が
ある。しかし、ティアナを探す事を優先に考えれば、二人に助力を頼むのが一番確実だった。
「痛て」
「痛っ」
 考え事をしていたシンは、廊下の曲がり角で誰かとぶつかってしまう。ぶつかった相手は、シ
ンに比べて小柄で、そのまま尻餅を着いてしまった。
「すいません…って何だナカジマか」
 見慣れた青色の髪に、カーキ色の六課の制服姿で尻餅着いて、口をパクパクとさせているスバ
ルがそこに居た。

「シン君!!!」
 目に涙を浮かべ、十八番の突撃のように猛スピードでシンに抱きついてくるスバル。シンは、
その勢いのまま壁に激突し肺の中の空気を一気に吐き出す。何故、こうも六課戦闘員は、突撃が
好きな奴が多いのか。もう少しされる方の身にもなれと思うシンだが、心配して貰うのは悪い気
分では無かった。しかし、痛んだ体にスバルの突撃は優しく無く、早く退いて欲しいとも思うシ
ンだった。 
「ナカジマ…まずは退いてくれ」
「あ、うん、ごめんね」
のろのろとした動きで、シンの体から離れるスバル。
「私、凄い心配したんだよ。シン君全然目を覚まさないし、ティアも一回会いに来てくれただけ
で、その後全然顔見せてくれないし」
 スバルは、今にも泣き出しそうな表情を見せる
「そうか…心配かけた見たいだな」
「ううん…でも、無事で良かった」 
 スバルは、目尻に浮かべた涙を拭い満面の笑顔をシンに向ける。
「それで、シン君、こんな所で何してるの?怪我してるんだから、ちゃんと休んで無いと駄目だ
よ」
「怪我してのは、ナカジマも同じだろ」
 シンは、スバルの頬に張られた絆創膏を指し苦笑する。掠り傷程度だが、一応怪我には違い無
い。同じ怪我人ならば、立場は同等のはずだ。
 スバルは、慌てて傷テープを隠し、頬を膨らませシンを睨む。
「私のは大した事無いからいいの。シン君も知ってるでしょ。私日常生活位なら、四、五日寝な
くても大丈夫なぐらい頑丈なんだから」
「そんな事胸張って言うのナカジマくらいだ。全然関係無いってそれ」
「う、え、そっかな?」
「ああ、そうだ」
 スバルは、困ったように口篭る。互いに見つめ合い微笑みあう二人。
「そうだ、ナカジマ。ランスター見なかったか?」
「ティア?ううん見なかった。私、さっきシン君のお見舞いに来たとこだし。病室に誰も居ない
から、どうしたんだろうって」
「そうか…となると…もうあそこしか無いか」
「あそこ?」
 何も無い天井をシンは見つめていた。

「本当にこっちでいいの?」
「知らない。でも、エレベーターは屋上まで行かないみたいだし、結局ここ通るしか無いだろ」
「そうだね」
 ミッドチルダ国立病院は、不特定生物群が病院を襲った際に屋上が半壊し現在もまだ修理の目
処が立っていない。
 修繕工事の資材搬入路から、体を縫うようにして屋上を目指す。半壊した天井から、コンクリ
ート片が落ちて来て七階全体が埃臭かった。
 病院中を探したシンだが、結局ティアナを見つける事は適わなかった。入れ違いになったと思
い、受付嬢に電話するが通っていないの一点ばりだ。
 考えて見れば、ティアナもシンも魔道師だ。別に馬鹿正直に正面玄関を通らなくとも、外に出
る手段は幾らでもある。それに加えてティアナは幻術の使い手だ。姿を消して行方を眩ませる等
朝飯前だろう。
 そこまでやるかと思ったシンだが、先刻のティアナの様子を見た限りでは、やりかねない。も
う院内で探して無い場所は屋上しか無かった。
 シンは一縷の望みをかけ、屋上へと続く道を探す。
「ティナアならここに居るよ」
「高町…教官」
「なのはさん」
 頭上から聞こえて来た声に、シンの心臓が跳ね上がる。七階の天井は大きく崩落し、屋上が丸
見えの吹き抜けになっていた。教導隊の制服に身を包んだなのはが、屋上に大きく空いた穴に腰
掛けシンを見下ろしていた。
 屋上からは、夏特有の刺すような日差しとが差込み、外は目も眩むような晴天だった。外の力
強さとは裏腹に、先刻まで喧しかった蝉の声が消え、なのはとシンを中心に周囲を静寂が支配し
ている。
「うん…こんにちわアスカさん、スバル。…二人共怪我はもういいの?」
「心配ありません。元々大した怪我じゃありませんから」
「嘘言っちゃ駄目」
 ひょいと飛び降り、優雅に着地を決めるなのは。そのままシンに近寄り、無造作にシンの左腕
を掴んだ。然程強く握られたわけでも無いのに、シンの左腕に激痛が走りこめかみから脂汗が流
れ始める。
「やっぱり…私のバスターとアスカさんの紫電一閃の魔力圧を無意識に左手で庇ったんだね。ま
だ、左腕に全然ダメージが残ってる。治癒魔法で、残留濃度薄めたって言っても無理しちゃ駄目
だよ」
「は、はい」
 そう言うならば、さっさと左腕を離して欲しい。目じりに涙を浮かべながら、なのはに無言の
抗議を送るシン。しかし、なのははシンの抗議を聞いているのか、いないのか、目を細めたまま
シンを静かに見つめている。

「なんで…あんな事したのかな?」
「それは、皆で考えて」
「そう。ティアの作戦が一番効果的だって分かったから」
「そう…」
 いつも太陽のように暖かななのはとは違い、今のなのはからは、真冬の吹雪のような冷ややか
さを感じる。困惑するシンとスバルを他所になのはは、淡々と話続ける。
「練習の時だけ、私の言う事聞いてるふりして。本番であんな危ない事したら…意味ないじゃ無
い…私の言ってる事分かるかな…アスカさん、スバル」
 シンに悲しげな視線を向けるなのは。その憐憫に満ちた目が、何故かアスランと被りシンは思
わず目を逸らした。
「頑張ってるのは分かるけど、模擬戦は喧嘩じゃ無いんだよ。本番で無茶するなら、訓練の意味
無いじゃ無い。私の言ってる事、私の訓練そんなに間違ってるかな」
「それは」
「今…答えなくて良いよ。答えは近い内に聞かせて貰うから…」
 シンの手を離し、何も語らず何も聞かず、なのははその場を後にする。なのはの問いに、どう
答えて良いのか分からず、シンとスバルはその場に立ち尽くしてしまう。
 ただ、二人共分かっている事は、自分達は大変な間違いを犯してしまった事だけだった。

 痛む体に鞭打ち屋上まで這い登る。空調が効いた院内とは違い、外はムッとした熱気が立ち込
め、背中から汗が噴出してくる。暫く日の光を浴びていなかったシンは、燦然と降り掛かってく
る太陽に立ち眩みを覚える。
「ランスター…」
「ティア…」
 陽炎の向こう側、フェンスを掴み呆然と立ち尽くす、ティアナがシンの目に飛び込んで来る。
「ランスター」
 シンは再びティアナの名前を呼ぶ。シンの声に気が付いたのか、ティアナがゆっくりと振り返
った。あれからもずっと泣いていたのだろうか。ウサギのように赤く染まったティアナの目は悲
しみに染まりきり、涙の後が色濃く残ったままだった。
 シンは溜息を付きながら、痛む体を無視して、ゆっくりとティアナに近づいて行く。スバルも、
シンの後に続こうとするが、足が鉛のように重くなりその場に釘付けになる。
(なんで!)
 許されるならば、ティアナの元へすぐにでも駆け寄りたい。ティアと名前を呼んで肩を抱いて
上げたい。しかし、スバルは口は、言葉を紡ぐ事が出来ず、僅かに口腔を揺らすだけに止まる。
(私は…) 
 本当は、シンを押しのけてでも、ティアナの元へ駆け寄りたかった。でも、それをすると、自
分は一生後悔する事になるかも知れない。
 漠然とそう思った。
「こんな所に居たのか…全く…探したぞランスター」
 シンは、勤めて平静に、あくまで普段通りの調子でティアナに歩み寄る。ティアナが自分とス
バルを誤射した事は、誰に言われるまでも無くシン自身が良く分かっている。背中に受けた衝撃
は、訓練の間中何度もその身に受けた物だ。頭では無く体が覚えている。
 シンは、誤射の事を責めるつもりは無かった。誰にでも失敗はあるし、間違いは繰り返さなけ
ればそれでいい。今回は運が良かっただけかも知れないが、現に自分は生きている。そこまで引
き摺る問題では無い。
 シンはそう考えていた。
 それこそ、致命的な問題だとも気が付かずに。
「ランスター」
 まるで、人形を相手にしているようだ。
 シンの声は確かに聞こえているはずのに、ティアナは何の反応も見せず、悲壮な表情のままシ
ンを見つめ続けている。
 このままでは拉致が開かないとシンはティアナの肩に手をかける。こんな時気の効いた台詞一
つ言えない自分に腹が立ったが、精一杯の気持ちを伝えようと言葉を放った。
「その巧く言えないけど、無事で良かった」
 無事で良かった。シンから出たその言葉を聞いた瞬間、ティアナの心が激しくかき乱される。
体よりも心にナイフで直接切り裂かれた方がマシだと思う程の激痛が走る。
「何が良かったのよ…」
「だから無事で」
 わなわなと肩を震わせ、ティアナの口から嗚咽が漏れ始める。瞳から止め処ない涙があふれ、
熱されたコンクリートの上に零れ消えた。
「アンタを怪我させたのは私なのよ。何でそんなに他人事なのよ」
 突然癇癪を起こしたように暴れ始めるティアナ。
 両手を振り回し駄々っ子のように暴れまわる。見かねたシンは、ティアナを反射的に抱き締め
てしまう。抱きしめればどうにかなるとは思えなかったが、いまここでティアナを離してしまう
と、元のティアナに戻らない気がした。
「落ち着け、ランスター!」
「うっさいわね、離しなさいよ」
「無理だ。お前が落ち着くまで離さない!」
「うっさいのよ!」
「ランスター、お前さっきからどうしたんだよ。全然こっちの話聞いて無いだろ」
「アンタこそ人の話聞いてるの!私は、うっさいって言ってのよ馬鹿アスカ!さっさと手を離せ
!」

 暴れるティアナをシンは胸元に抱き込み強引に押さえつける。ティアナもシンから逃げ出そう
と胸元で暴れる続け、ティアナの爪がシンのコメカミを傷つけた。治癒魔法で塞がったばかりの
傷から一筋の赤い血がシンの頬を伝い流れ落ちる。
「…ったく」
 シンは、頬を伝う血を手で乱暴にふき取り、飛び散った血が病人服の肩口に付着した。白い布
地に赤い血が薄っすらと波紋のように広がって行く。
 まるで、爆心地で力なく羽ばたく赤い双翼のように。
 それを見たティアナの顔が青くなり、四肢が力を無くし急に大人しくなる。恐怖に震える手が
シンの傷に触れ、ティアナの白い手に赤い染みを作った。
「よせ、汚れるぞ」
「これ…私が…つけたのよね」
 震える唇からたどたどしい言葉が漏れる。
「こんなのかすり傷だ。騒ぐ程の物じゃ無いだろ」
「嘘…」
「嘘って…言われても、本人が言ってるんだ…信じろよ」
「私聞いたの…かなり重症だったってシャマル先生言ってた。傷は塞がったけど、ずっと残る傷
だって」
 シンの髪をかき上げるとそこには、鋭利な刃物で切ったような深い裂傷が見えた。治癒こそ終
えているが、皮膚から盛り上がるように出来た傷は、太陽に当ると白く光っていた。 
「それこそ、ランスターが心配する事じゃ無いだろ。大体俺は男だし、傷の一つや二つ残ったっ
て問題無いっ」
「あるわよ!」
 深い悲しみを湛えた瞳でティアナはシンを見つめ続ける。もう後悔しない、失敗しないと誓った
はずの心が軋み悲鳴を上げる。シンを見ているだけで涙が止まらない。シンの額に残った傷は、テ
ィアナが作ったシンへの裏切りの証。自分が増長したばかりに、シンとスバルと巻き込み危険に晒
してしまった証拠。
 ティアナは、決して一人で戦っていたわけでは無い
 しかし、シンとスバルの信頼を無自覚とは言え利用していたのは事実だ。
 きっと、シンとスバルならば、自分がやれと言えばどんな危険な行動も躊躇しないだろう。
 ティアナは、それだけの信頼を二人に対して築いてしまった。
 了解と指を立て死地へと向かって行く様が脳裏にありありと浮かび、そして、消えた。

「大袈裟だな。誰にでも失敗の一つや二つ」
「アンタ…分かってるの…」
「何をだ」
「私、アスカとスバルを殺してたかも知れないのよ!」
 シンは、頭をハンマーで殴られたような強い衝撃を受ける。シン自身が無意識に考えないように
していた事を、よりにもよって当の本人に暴かれた事に心が波打ち立つ。
「それでも、俺は生きてる。ナカジマだって生きてる!生きていれば、次に繋げる事だって出来る
。過ちは正せば良いんだ!」
 ティアナにでは無く、まるで自分に言い聞かせるように話し続ける。
「駄目なのよそれじゃ!」
「だから、何が駄目なんだよ!」
「駄目なの…よ」
 暴れる事を止めたティアナは、シンの胸元に額を乗せ全身をシンに預ける。
「私考えたの…目を覚まさないアスカを見てずっと考えてた。今回の模擬戦がもし巧く行って…私
達がそのまま前に進んだらどうなったんだろう…って」
「それは…別に問題無いだろ。失敗しないに越した事は無いんだ」
「違うのアスカ…」」
 屋上に逃げ込んだティアナを待っていたのは、なのはだった。屋上に腰掛け射竦めるような視線
でティアナを睨みつける。半ば自棄を起こしていたティアナは、なのを無視するようにフェンス際
に座り込んだ。
 もう誰とも会いたくなかった。誰とも喋りたく無かった。隊長達は勿論の事シンやスバル等もっ
ての他だ。全身に力が入らない。この間まで、力強く輝いていた気持ちが嘘のように枯れてしまい
、心が壊れてしまったかのようにもう何も感じない。
 世界が色を失ったように、ティアナの精神は急速に硬化し始めていた。しかし、そんな事はお構
いなしに真夏の太陽は容赦なくティアナを照りつけ、噴出した汗が喉を伝い制服を濡らす。 
『ティアナは残酷だね』
『何が…ですか』
 もう言葉を発する事も億劫だったが、何故か口が勝手に動いた。
『ティアナは、二人に笑いながら死ねって…そう言いたいの?』 
 なのはの辛辣な一撃がティアナの心を抉った。
 今更ながらなのはの言葉が胸を響く。正直に言えば、ティアナは戦うのが楽しかった。シンとス
バルが自分に寄せて来る妄信に近い絶対的な信頼は、ティアナに無常の喜びを与えた。ティアナも
シン達に絶対の信頼を向けていた。それがティアナの瞳を曇らせ、結果訓練中の事故を誘発してし
まう結果となった。前線の指揮を気取るつもりならば、もっと周りを見るべきだった。もっと二人
を見るべきだった。二人のティアナに対する無条件降伏に近い信頼。それは時として美しく写るが
酷く脆くとても危うい物だ。

 もっと、出来る。
 もっと、巧くやれる。
 三人ならもっと強くなれる。
 一人で戦っているつもりなら、誰かが説教をして諭せばそれで終わりである。だが、二人の信頼
に胡坐を掻いて、自分が成すべき事を見失い力に溺れた結果が先日の事故だ。自身の心の弱さを露
呈しただけで無く、自分勝手な理想を掲げ挙句に六課を私物化したようなものだ。ティアナ・ラン
スターは一人で戦っているわけでは無い。
 しかし、三人だけで戦っているわけでも無いのだ。
 自分達フォワードは、部隊長含め後衛部隊や多くの人に見守られながら日々戦っている。機動六
課は、全員が"一丸"となって戦っているのだ。そんな基本的な事をティアナは忘れていた。
「私は、アンタ達の信頼を裏切ったの。三人なら何でも出来る。私達なら三人一緒なら何処までも
行けるって、強くなれるって。三人だけで戦ってるつもりになってた。三人だけが六課の中心だと
思ってた。だから、あんな無茶な作戦考えたの。模擬戦は喧嘩なんかじゃ無いのに…なのはさんに
言われてようやく気が付いた。ごめん…アスカ。私馬鹿だった…大馬鹿だった!」
 シンの胸に額を重ね、嗚咽を堪えながら大粒の涙を流すティアナ。
 遠雷が鳴り響き、真夏の太陽を雨雲が覆い隠し始める。中庭に咲いたひまわりの葉に大粒の滴が
落ち、ティアナの悲しみに呼応するように二人に雨が降り注ぐ。
 やがてシンは何かを決意したように、ティアナから体を離す。
「なぁランスター…答えなくていい。ただ俺の話を聞いてくれ。誰よりも何よりも…俺の為に聞い
てくれ」
 悲しみと後悔を秘めたシンの瞳に、ティアナは逆らう事が出来なかった。

 延々と続くエレベーターは、まるで、地獄の底まで続いているかのような錯覚を受ける。管理局
地上本部の更に下層に存在する封印処理施設。
 ロストロギアや過去の管理局にとって好ましく"無い"物を封印・廃棄する特別廃棄場だった。
 特別な許可が無ければ、シン達のような一兵卒がおいそれと入って来れる場所では無かった。
「着いたで、アスカさん」
「ありがとうございます…八神部隊長。ご迷惑おかけします」
「かまわんよ…ZGMFは元々アスカの物や。見に来る位お安い御用やし」
 無言ではやてに頭を下げるシン。シンは知っている。これから行く場所にあるものは、シンの世界
では有り触れた物でも、ミッドチルダ、管理局においては厄介事な代物以外何物でも無い。ただ、見
たいだけでは、絶対に許可が降りない事も良く知っている。
 きっと、はやては、シンの知らない所で骨を折ってくれたのだろう。そんな素振りを絶対に見せな
いはやてに、シンはひたすら頭を下げ続けた。
「ZGMF?」
 何時ぞやの折にシャーリーが口に出した単語である。あの時スバルは自分のデバイスに夢中で、深
く考える事は無かった。精々、デバイスマイスターの専門用語の一つ位にしか考えて来なかったのだ。
「って確か、シン君のデスティニーに…ティア」
「そうね…」
 スバルは、ティアナに話しかけるが、肝心のティアナは目を伏せしまい、視線を合わせようともし
ない。ここに来るまでの車中でも、誰とも一言も喋ろうともしなかった。四人は、終始無言のまま、
エレベーターに乗り続ける。ピンポンと厳重な警備体制の割りには、間の抜けた音が響く。
 最下層に到着したのか、重鈍な音を立て、エレベータがゆっくりと開いた。全灯の緑色の光が支配
する廊下を抜けると目の前に分厚い鋼鉄製の扉が現れる。
「…私はここで待ってるから…終わったら教えてな」
「はい」
 はやてが、セキュリティカードをスロットに通す。鈴が鳴ったような音が響き、分厚い鋼鉄の扉が
ゆっくりと開き始めた。
「何これ…」
 スバルの困惑の声が格納庫に響く。塞ぎ込んでいたティアナも思わず目を見開き、問題の物を凝視
した。輸送ヘリが何機も格納出来る広大なスペースの中央に、赤い布でその身を包み、胸に巨大な剣
を突き立てられた巨人が鎮座している。
 良く見れば巨人は生物では無く、その体を機械で構成しているのが分かる。焼け焦げた装甲に、半
壊した頭部。焼死体のような風貌だが、何処と無く見覚えがある。
「これ…どこかで見た事ある」
「うん…私も」
 同時にシンの方に振り返る。
 シンのデバイス"デスティニー"には、MS"デスティニー"のデータがフィードバックされている。
 特にバリアジャケット部位にその特徴が顕著で、デスティニーの装甲が、そのままスケールダウン
したような印象を受ける。二人がシンにデスティニーの面影を見るのは無理も無い事だった。
「ZGMF-X42S"デスティニー"…俺の機体だ」

 タラップの上から無言のまま、デスティニーを見つめる。管理局に機体を没収されてから、今まで
見る事すら適わなかった愛機だ。メサイヤ戦で四肢を失ったデスティニーにシンは少々の事では驚か
ない。だが、大破と通り越しスクラップ寸前の酷い状態にあるとは思わなかった。
 シンは思わず苦笑いを漏らす。そして、苦虫を潰すような郷愁の念にかられる。 
「俺は前の世界で兵士だった」
「シン君?」
「だから、当然人も殺してる」
「えっ」
 ティアナが思わずシンへと目を向ける。
「戦争に負けて、全部失って、それでも生きている俺は、、、俺は一体何なんだろうな」
 脈略も無く唐突に話を始めるシン。
 持つ者と持たざる者。コーディネーターとナチュラルの異種民族間の軋轢が生み出した、全人類を
巻き込んだ戦争の始まり。
 ミッドチルダでは、御法度の大型質量兵器モビルスーツの存在。そして、自分はモビルスーツのパ
イロットで有り、名実共にザフトのトップガンであった事。
 失われた家族、友達、故郷。
 出会い、別れ、裏切りを経て駆け抜けた時代。
 シンの口からは、二人が知りもしない単語が矢継ぎ早に繰り出される。だが、その間シンの話に口
を挟む者は誰もない。ティアナもスバルも一言一句、聞き漏らすまいと真剣に耳を傾けていた。
「でも、戦争が終わって気がついたんだ。俺は本当に自分の意思で戦ってたのかって。ただ自分を認
めて…求めてくれる人が居ればそれで良かっただけじゃ無いのかって…そう思ったんだ。考えに考え
たつもりだった。そのつもりでデスティニープランを受け入れたつもりだった。プランを、議長を、
護って、その通りにしてれば平和を勝ち取れると思ってた。でも、後で気が付いた。俺のやった事は
思考放棄に等しいんだって。迷いを振り切ったつもりで戦ってたら…そりゃアスランにも負けるさ…

 タラップに手を掛け、積年の思いをぶつけるようにデスティニーに目を向ける。
「そして、俺はミッドチルダに流れ着き成行きで戦った。結局負けたんだけどな。負けてばっかりだ
俺の人生は…」
 自嘲気味に呟くシンの瞳は、まるで年老いた老人のように力が無い。
「強くなれば、誰も傷つけずに済むと思った。だけど、出来るようになったのはこんな事ばかりだ」
 今はもう息をしていない鉄の巨人に向かって呟く。
「俺は何なんだろうなって、何度も思い返した」
 悔しさに顔を歪め、鬱血する程手を握り締める。
 シンの言っている事は紛れも無い事実なのだろう。瞳に宿る悲しみと後悔がそれを裏付けている。
彼は、巨大ロボットに乗り戦争をしていた。殺すか殺されるか。非殺傷設定など微塵も存在しない非
情な戦場で、シン・アスカは戦い続けたのだ。
 自らが住む世界すら失い、遥か異界の世界で彼を何を思い戦っているのだろうか。
 犯した罪を償う事も出来ず、戦後も只漠然と"平和"の為に戦い続けた。それが奪った命に対する贖
罪だと言わんばかりに。
 償い切れない罪を犯し、償う術すら見つけら無い罪人。
 でも、何かが違う気がする。
 ティアナは、シンの悲しみと後悔に、何かが絶対的に欠けている気がしてならないのだ。短い付き
合いだが、ティアナはシンの人間性は少なからず理解している。シンは、決して戯れに人を殺す人間
などでは無く、戦争と言う凶事も割り切れるタイプの人間でも無い。例え力に溺れた過去があろうと
も、何人もの人命を奪おうとも、もう凄惨な過去を繰り返したく無い。これ以上傷つく人を見たく無
いとの思い故の行動だ。
 シン・アスカの根源は、力無い人を護りたい事だけなのだ。
「俺の事なら気にするな。俺は、まだ生きてる。幾らでも危ない事に使えばいい。だから、俺なんか
の為に悩まないでくれ、ランスター。俺の為に悲しまないでくれ、同じ悲しむならナカジマや六課の
為に…頼む」
 シンの手が肩を痛い程に握ってくる。
 きっとシンは、ティアナが、肩に感じる痛みの何百倍も苦しんできたのだろう。
 毎晩夢に見る悪夢はシンに絶望を。
 毎朝出会う仲間には希望を。
 相克する二つの願いの狭間でシンは今も苦しみ続けている。

「ねぇアスカ…アンタ、一つだけ間違ってる」
 ティアナは、シンの頬に優しく手を添える。ティアナの思いがけない行動にシンは戸惑い無言のま
ま狼狽する。
 ミドッチルダで最も重い殺人を犯した自分を、何故ティアナは、こんなにも優しい瞳で自分を見つ
めて来るのだろうか。
 何故、こんなにも暖かい手で自分に触れているのだろうか。
「アンタは、何人もの人の命を奪って来た。きっと、それは本当の事なんだと思う。アンタが、こん
な事酔狂で言えるわけ無いもんね」
「ああ…俺は人殺しだ」
 シンが搾り出した声は、小さく、か細く苦渋に満ちている。
「でもね、私これだけは言える。ううん、確信を持って言える。アスカは命を奪い続けて来たかも知
れないけど…でも、それと同じ位の命を救って来たんじゃ無いのかって?」
『失った命もそうやけど、アスカさんが救った命にもキチンと目を向けな、な!』
 息を飲み思わず目を見開くシン。いつかのはやての言葉が脳裏に蘇る。それは、シン・アスカが再
び戦う事を決意した言葉だ。
 もう、何も出来ないと思った自分が、もう一度奮い立つ事を決意した言葉だ。その結果、己が傷つ
き倒れようと構いはしない。己の向かう場所が例え地獄だろうと後悔は無い。しかし、シンが再び戦
うと決めた場所は暖かかった。誰よりも何よりもシンの事を優しく暖かく包んでくれた。
 罪人の自分には、その事実が何より後ろめたく、それを享受してする事が"罪"とさえ思えた。
「俺は…」
(ああ、そうなんだ)
 口篭り瞳を伏せるシンは、まるで、泣き腫らす小さな子供だ。寂しい気持ちを必死に封じ込めに耐
え忍んでいる。自分を人殺しだと言い聞かせ、いまある現実が何時消えても良いように、心の奥底で
線を引いてしまっている。
(アスカは、必死なんだ。弱い自分が嫌で必死で強がってるんだ…)
 シンの心は絶望する程弱くは無く、しかし、悲しみに耐え切れる程強くは無かった。脆く弱い心を
必死で取り繕い、強くなりたい一心で今まで必死に戦い続けて来たのだ。 
 シン・アスカの心は、罅割れた硝子のように脆弱だ。戦争によって何かを失い続けて来た彼にとっ
て、認め認められる六課での生活は何よりも得がたい幸福な日々だったのだろう。
 見捨てられたく無いから、他人の為に誰よりも必死になる。必死に頑張っている間は、誰も彼を見
捨てたりはしないのだから。
 泣き笑いのように過去を吐露するシンの心情は掴めない。しかし、自分でも巧く説明出来ない何か
を必死で伝えようとしているのは分かった。
(…我侭な奴…そして、ほんとに馬鹿)
 強く逞しい人間かと思っていたが、実はこんなにも脆く弱い人間で、誰よりも失う事を恐れる人間
だったとは。ティアナの心の奥底で眠っていた気持ちが、今芽を出し花を咲かせる。 
「アスカ…アンタは人殺しじゃ無いわよ」
「違う俺は!」
 シンの瞳から自然と涙が溢れる。互いの傷を吐露し慰めあい、この期に及んでどっちが悪く無いか
など子供の喧嘩以下である。だが、困った事にティアナは、自身の悲しみや悩みよりも、弱さを告白
するシンに愛しさを感じてしまうのだ。
 弱く、小さく、心の傷に負けまいと必死にもがくシンを見て、ティアナは、もう自身の気持ちを誤
魔化す事が出来そうに無かった。
 ティアナ・ランスターの恋心が激しく燃え上がる時が訪れる。
 結局自分達の問題は何一つ解決していない。互いに言いたい事だけを言い合ったいるに過ぎない。
 だが、それ故に伝わる気持ちもある。
 必死さ。
 何より誰よりもシンの他人を思う"必死さ"がティアナに十分に伝わって来る。
「アスカはどうしたいの?」
 僅かばかりの逡巡の後、涙を拭き顔を上げたシンの真っ直ぐな瞳がティアナとスバルを射抜く。
「強くなりたい。誰よりも何よりも強くなりたい。揺るがない力を、負けない力を手に入れたい。誰
よりも何よりも…お前達と一緒に!」
「私で良いの?」
「当たり前だ!」
 ティアナの心に暖かいモノが流れ込んでくる。シンは、慰めや嘘でこんな事を言える人間では無い
。シン・アスカにとって、ティアナ・ランスターが本当に必要だから、それ故に嘘偽りの無い本音を
ぶつけて来てくれる。
「スバル、アンタはどうしたい?」
「私だって強くなりたい!」
 戸惑うように迷うように、しかし、スバルは全てを振り切るようにティアナに答える。

「いいの?私アンタ達を殺しかけたのよ」
「そんなの関係無いよ。私達生きてるもん!生きてティアとシン君と強くなりたいもん!」
 スバルの素直な言葉が、清水のようにティアナの心に染みこんで来る。
「あり…がと…う…本当にありがと…う」
「ティア?」
「おい、ランスター。何でまた泣くんだ」
「違う…違うの…悲し…くて泣い…てるじゃ無いの…」
 もしかしたら、この先自分は、その気が無くても二人を死地に追いやるかも知れない。未来には
保障も確証も無い。不安定で真っ暗闇で、いつ石に蹴躓いて怪我をするか分からない。
 でも、この二人と一緒なら私はきっと戦える。
 戦っていける。
 溢れる涙は熱を持ち希望となって彼女の中から溢れ出る。
「お話は済んだかな?ティアナ」
 カンカンと床をパンプスで打ち鳴らし、厳しい顔のなのはが格納庫に入ってくる。肩に控えたリ
インフォースⅡが気まずそうな笑みを浮かべていた。
「はい!」
 涙を拭き、なのはの視線に気後れする事無く、ティアナは強く見つめ返す。
「そっか…リイン、現状を説明して」
「はいですぅ。現在ミッドチルド北東部に置いて、法処理が済んだ輸送中のロストロギアがガジェ
ットの襲撃を受けています。機動六課に出動命令が下りましたですぅ」
 リインフォースが三人のデバイスにデータを送信する。自分が無理な要求をしているのが分かっ
ているのだろう。心なしか元気が無い
 シンは病み上がり。ティアナは、先刻まで絶望の淵をさ迷っていた為に精神的に不安定だ。五体
満足なのはスバルただ一人。それが今のスターズFの現状だった。
「出動って…待ってくださいなのはさん!シン君は病み上がりだし、ティアだって調子は良くない
し。出動するなら、私が!」」
「スバル…敵は私達を待ってくれないの。いついかなる時でも、ベストコンディションを保つのも
私達の仕事だよ」
 当然スバルは、なのはの命令に抗議の声を上げるが、なのはは、終始冷徹な態度を崩す事無くス
バルに冷ややかな視線で答える。
「でも…」
 スバルは、なのはの迫力に気圧され萎縮してしまう。なのはに憧れ尊敬の念を抱くスバルに、高
町なのはでは無く、高町教導官としての態度は堪えた。
「私、貴重な"戦力"を遊ばせておく程、のんびりした性格じゃ無いよ」
「いいの、スバル」
「ティア…」
 スバルは、ティアナに手で制されおずおずと後ろに下がる
「なのはさん」
「何かな?ティアナ」
「私は、まだ六課で戦ってもいいんですか」
「私はそのつもりだよ。でも、ティアナは違うのかな?」 
「私もそのつもりです!」
 なのはに対し躊躇も微塵も無く言い放つティアナ。その態度は実に堂々としており、ある種の自
信すら感じられる。
「そっか…頭は冷えたみたいだね」
 何が「男子三日会わざれば刮目せよ」である。バリエーションに女子入れておくべきだと、なの
はは思う。ティアナの瞳に宿った意思の炎は明るく強い。自分が切欠を与えるまでも無く、ティア
ナ達はどんどん成長して行く。なのはは、少し寂しい笑顔を浮かべながらシン達を順々に見回した
。自分が諭すまでも無く、ティアナ達は答えを見つけてしまった。それは、なのはが教えようとし
た事と少し違った形になってしまったが、もう彼らは大丈夫だろう。
 心に宿った不屈の意思。仲間と共に駆け抜ける誓いの炎は決して消える事は無い。故になのはは
、例え嫌われようとも三人の教官として最後の釘を刺す。
「仲間を信頼する事と…仲間だけを信頼する事は違うよね」
 ティアナの心がチクリと痛む。
「それは、思考放棄と同じ事。誰かが指示してくれるのを待ってるだけじゃ…そこに本当の信頼は
生まれないよ」
 シンの古傷がジクリと痛む 
「本当に誰かを支えたいって思ったら、その人を肯定する事だけじゃ無くて、否定する事も覚えな
いといけない」
 スバルの心が軋む。
「さぁ出動だけど…三人共いけるかな?」
「「「はい!」」」
 今まで一番良い返事だった。

『簡単な状況説明を行います。法管理の済んだロストロギアを積んだ、装甲車両が現在攻撃を受け
ています。目標は国道三十二号線を時速六十キロで南下中。敵影総数約三十』
 マイクからシャリオの声が響き現状を伝えて来る。
『現在制空権を巡りスターズ01、02がガジェットⅡ型を中心とした航空部隊と交戦中。スターズF
はガジェットⅠ・Ⅲ型を中心とした地上部隊の迎撃に向かって下さい。出撃準備完了と共に順次出
撃。ライトニングFは敵増援に備え現状待機をお願いします』
「ティアナさん…大丈夫何ですか?」
 キャロが心配そうにティアナを見つめて来る。
「心配ないわ…もう大丈夫」
 三日三晩、殆ど寝ていない上に体調は最悪。気を抜けば倒れてしまいそうだったが、それとは打
って代わり心は、長年抱えていた悩みが解消したように穏やかだった。
 ティアナは、キャロの頭撫でながら、簡易栄養食を胃に速攻で流し込む。栄養補給を最優先で製
造された固形栄養食は、はっきり言って不味かった。
 えづき思わず吐き出しそうになったが、不味いからと言って文句は言っている場合では無い。戦
闘の最中に空腹で倒れる事になったら、それこそもう目が当てられない。
 ゴミを屑篭に放り投げ、飲み込めずにいる栄養食をミネラルウォーターで強引に流し込む。
「ならいいんですけど…無理しないで下さいね」
「うん…分かってる」
 心配そうな視線で見つめてくるキャロを後部座席に促し、搬入ハッチの前で待機している、シン
の元へと向かう。
 久しぶりの実戦に緊張しているのか、シンはアロンダイトの感触を確かめるように、柄を握って
は離すを何度も繰り返している。
「ねぇ…アスカ…作戦終わったら聞いて欲しい事があるんだけど」
「…真面目な話か?」
「…そうね…大真面目な話よ」
「分かった」
 神妙な顔つきで答えるシン。それを見たティアナは、何故だかとても嬉しくなる。恋は盲目と良
く言ったものだ。こんな何気ない仕草からでも、シンが自分の事を考えてくれると分かると嬉しい
のだ。
 聞いて貰おう兄の事を。
 そして、もっともっと自分の事を知って貰おう。スバルとも、もっともっと色んな事を話そう。
長い付き合いだが、知らない事はずっと多くある。
(そうだ…私の事をもっと話そう)
 その為には、ここで立ち止まるわけには行かない。ティアナ・ランスターは、シン・アスカとス
バル・ナカジマと共に歩んでいく事を決めた。
 故にティアナにはその前にやる事があった。きっと、シンとスバルは自分の奇行に呆れ返るだろ
うが、こればかりは仕方ない。馬鹿だと笑いたければ笑えば良い。他人から見れば、今からティア
ナがする行為は愚考以外何物でも無い。
 後になって後悔するかも知れない、でも、今ティアナ・ランスターが今から生まれ変わる為に必
要な儀式だ。
「アスカ、悪いけどナイフ貸してくれない?」
「ナイフ?ああ…フラッシュエッジの事か。いいけど、何に使うんだ?」
「いいから、ちょっと貸して」
「ん…ああ」
 シンは、不思議に思いながらも、アロンダイトの柄からフラッシュエッジを取り外す。魔力を込
め、炎の刃を形成するのがフラッシュエッジ本来の使い方だが、短刀としての使用も可能だ。シン
は、ティアナにフラッシュエッジを手渡す。
 短刀を受け取ったティナアは、髪留めを外し結っていた髪を下ろした。腰まで届く橙色の髪が、
搬入口から入ってくる風に靡き揺らいだ。
 世界が静止したように時間がゆっくり流れる。ドレスや化粧が無くても、今のティアナは綺麗だ
った。髪を下ろしたティアナに、シンは見惚れていた。不純だとも思ったが、ティアナの髪に思わ
ず手を伸ばしそうになる。
 しかし、それも一瞬の事。ティアナは、シンとスバルを交互に見つめた後、その絹のように綺麗
な髪に徐にフラッシュエッジを当てる。
「ランスター!」
「ティア!」
 ティアナは、二人が止めるより早くフラッシュエッジで髪を切り裂いた。
 無残にも肩口まで切り裂かれた髪が、風に乗って大空を舞う。橙色の髪が、まるで、真夏に降る
雪のように太陽の光に反射して、キラキラと輝いて空に散って行く。シンとスバルは、ティアナの
突然の暴挙に、目を丸くしながら機能停止してしまう。

「あーすっきりした」
 しかし、当の本人は呆気らかんとしたもので、切ったばかりの髪を早速手櫛で整え始めていた。
「ティティティ、ティアナさん?」
「何よスバル、ちゃんと喋りなさいよ」
「いや、だって、でも、だも、だの」
「どんな活用形よアンタ、って言うか単語で喋るな」
 慌てふためき、何を喋っていいのか分からないスバルは、意味不明な単語を羅列している。そん
なスバルをティアナは胡乱な視線を送り、大丈夫と言いながらスバルの額に手をのせる。
「熱は無い見たいだけど!」
「ランスター!お前なにやって!」
 横からスバルを押しのけ、鬼のような剣幕でティアナに詰め寄るシン。
「何って、髪切ったのよ」
「見れば分かる。そうじゃ無くてなんで、髪を!」
 スバルよりも若干早く混乱状態から立ち直ったシンが、ティアナの肩を抱き、吐息が掛かりそう
な位に接近する。シンの剣幕に押され、仰け反ったティアナの格好は、見方によってはキスを迫ら
れているようにしか見えず、頬を赤く染め見入っているエリオの瞳をキャロは思わず隠した。
「はい、ストップ」
 これ以上はまだ駄目とばかりに、ティアナの白い指がシンの唇にとまる。
「これは、私なりのけじめなの。だから、あんまり騒がない。もうすぐ作戦開始なんだから」
「いや、でもな、ランスター…」
 元々考える事が苦手なシンである。目の前で起こった出来事に、シンの脳味噌はパンク寸前だ。
結局何を言って良いのか分からず、シンの思考が暴発し奥底に閉じ込めていた本来の自分が姿を見
せ始め、頭の中でぶつっと音が鳴り、配線がダース単位で弾け飛んだ。
「アンタ、ケジメって…なんで、アンタだけがケジメを取る必要があるんだよ。あれは、俺もミス
っって言っただろ!アンタの性だけじゃ無いだろ!」
 冷静さの欠片も無い普段と百八十度違う荒い口調。敬意もへったくれも無く、ただ己の感情を言
葉に出しているだけの素直な語句の羅列。
 シンの事を良く知らなければ、好戦的な口調に聞こえるだけだが、シンの心の底を少しだけ垣間
見たティアナには全く別の意味を持って聞こえて来る。
 きっと彼は優しいのだ。優しいからこそ、必要以上に人に感情移入してしまい、結果的に口調が
荒くなっているだけだ。
 初めて見たシンの態度に、その場に居合わせた全員が目を丸くする。はやてやティアナ達女性陣
に囲まれている時のシンの態度は情けない時が多いの事実だが、それ以外、訓練や日常生活におけ
るシンは自分に厳しく実直にと優等生を絵に描いたような存在だ。
 素のシンを見てしまったティアナは、一体誰の真似をしているのやらと微苦笑する。
 だが、心中穏やかでない人間もここにいる。先刻から色々な事が有りすぎたのか、処理限界を超
えたスバルの頭もパンクした。
「ああ…もう何か色々…無理…スターズ03スバル・ナカジマ」
 いきま~すと蚊の鳴くような声で大空へ飛び出す、では無く、大空に落ちていくスバル。着地は
大丈夫だろうかと思うが、マッハキャリバーが巧くフォローしてくれる事を祈った。
 ティアナは、再びシンに向き直り、悪戯っ娘のような視線を送る。
「そっか、アスカって…地はそんな喋り方なんだ。ごめん、何か得した気分になっちゃった」
「なっ」
 絶句するシンを尻目に、キョトンとしたティアナは小さな舌を出し微笑む。今まで見た事無いテ
ィアナの子供っぽくも可愛い仕草にシンの頬が思わず熱くなる。
「言ったでしょ、アンタが気にする事無いのよ、髪の事なら放っておけば半年で元に戻るわよ」
「だから、そんな問題じゃ無いだろ!」
「キャロ、髪ゴム持ってる」
「あっ、はい」
 流石は女の子だ用意が良い。ティアナは自分の事は棚上げし、キャロから手渡されたゴムを口に
咥え、切った髪を短めのポニーテールに手早く纏める。
「お、おまえなぁ」
 本当に女って人種は勝手だ。自分のやりたいようにやって挙句、男が何か喋る頃には全てが片付
いている。額に手を当てながらシンは嘆息する。
「まぁ…アスカが…あの髪型の方が好きって言うなら、すぐにでも考え無いでも無いけど」
 一人苦悩するシンを尻目にティアナは、ブツブツと小声でウィッグとかシャマル先生特製のとか
、前者はともかく後半部分に実に不穏な単語を呟いている。
 女は、髪型一つで雰囲気をがらりと変わる。髪を下ろせば大人っぽく、結い上げれば年相応の可
憐さが見え隠れする。髪型一つで良くぞここまで早代わり出来るものだと、シンは呆れを通り越し
て感心してしまう。

「ああ、そうだ、アスカ!一つ聞き忘れてたんだけど」
「何だよ」
 シンは、アロンダイトに持たれかかり、投げやり気味に答える。考えて見れば退院してから、一
日も経っていないの、もう一ヶ月以上ぶっ続けで働いている気分だった。
 とっとと作戦を終わらせて熱いシャワーを浴びたかった。
「この髪型似合ってる?」
 頬を桜色に染め微笑むティアナ。そのまま、シンが答える間も無くティアナは、輸送ヘリの搬入
口から大空へ飛び出して行く。シンは脱力しながら、しかし、微笑みながら立ち上がり、赤い双翼
を羽ばたかせ大空へと飛び立った。

魔法少女リリカルなのはStrikerS RePlus
第六幕"願いの先に-pray"

「疲れたぁ~」
「そう思うんなら自重してくれ」
「仕方無いじゃない疲れてるんだし」
「お前な」
「シン君、次あたしがティア背負うね」
「頼む、ナカジマ」
「駄~目。もうちょっとアスカがやってなさい」
「鬼かよ…」
 空が茜色に染まり、シンの背中でティアナが一人文句を言う。アレから戦闘は程なく終わり、ガジ
ェットを撃退に成功した六課の面々は、怪我人と保護出来たロストロギアの搬送の為に、輸送ヘリを
途中で下り六課隊舎まで続く国道沿いの道を延々と歩き続けていた。
 殆ど無傷のなのはとヴィータが、三人を抱えて飛んで帰っても良かったのだが、二人は何故かそう
せず、三人の後ろに付き従い一緒に歩き続けている。
 まだ、管理局からの警戒態勢解除が解かれていない為に、全員バリアジャケット姿のままだ。
 この時間帯の国道は、会社帰りのサラリーマンが多い。あまり物事に頓着しないヴィータも、バリ
アジャケットで歩くのは、少し恥ずかしいらしく、しおらしい様子で歩いている。
 なのはの頭の上。朱に染まった空をトンボが悠々を飛んでいく。冬ならば、もうとっくに日が沈み
、辺りは暗闇に支配されて頃だが、流石に夏なだけあって日没までの時間が長い。まだ遊ぼうと思え
ば、遊べる明るさだ。海から吹き上がる風が風力発電用の風車を回し軋んだ音を立てていた。
 いくら夏と言っても、このまま隊舎まで徒歩で帰るのは無謀と言うもの。帰り着く頃には、日が暮
れてしまい困った事になる。
 先刻はやてに迎えを頼んだから、もう暫くすれば車が到着する頃だった。
「しかし、なのは、お前怒ってたんじゃ無いのか」
「怒ってるよ。今もスッゴク怒ってる。ちょっと腹の虫が治まらないかな」
(おっかねえ…)
 表情こそ笑顔だが、身に纏う重圧と言い、笑顔の裏に隠れた鬼の形相と言い、なのはの全身が「私
怒ってます」と激しく自己主張していた。
「でもさ、なんだか巧くいったみたいじゃねぇか、あの三人」
 誤魔化すように、ヴィータが三人に視線を向ける。三人共、疲れているはずなのに、ぎゃあぎゃあ
と騒ぎ合い、ティアナとスバルがシンにじゃれついている。その度にシンは、道を左へ右へとよたり
ながら歩いていた。
「う~ん」
「どうした、なのは、何か不満なのか?」
「ちょっと違うかな」
 眉間に皺を寄せたなのはを見て、ヴィータは不思議そうな表情で見上げて来る。きょとんとしたヴ
ィータに、なのはは思わず苦笑いを浮かべる。
「そうだね…ちょっと不満なのかも知れない」
「?」
 本当に何が不満だと言うのだろうか。確かに、自分の考えと思いがティアナ達に十分に伝わったと
は思えない。自分の意図した事を違う形で物事が解決し、それを不快に思う程なのはは傲慢では無い。
 では、一体何に対して不満を持っているのだろうか。
 揉め事は終了。結局訓練や模擬戦に対する云々は、有耶無耶になってしまった感は否めないが、格
納庫でティアナ達を見て、もう大丈夫と思ったのは、なのは自身だ。
 だが、時間が経てば経つほどに別の思いが、なのはの心に雪のように降り積もっていく。
 沈んで行くなのはの心とは対照的に、ティアナの横顔が眩しくて仕方ない。容姿や器量の問題では
無い。内から溢れるエネルギーが違うと言えばいいのか。同姓から見ても、今のティアナがシンに向
ける笑顔は綺麗だった。
 恋をしているのだろうか。
 何を馬鹿なと思うが、強ち間違いでは無い事に気がつく。薄々はと思っていたが、今のティアナを
見ると疑念が確信に変わる。

(そっか…私羨ましいのかな)
 中学を卒業し本格的に管理局で働き初めてもう何年経つだろうか。なのはは仕事が楽しくて仕方な
かった。卓越した魔法技能故に出世街道に乗ってからは、あっという間に時間が過ぎていった。
 仕事が楽しく、遣り甲斐を見出したなのはは、本来少女が通過するはずの感情をすっ飛ばして来た
のかも知れない。実力至上主義の管理局では年若い局員も数多い。しかし、そんな中でも自分は何処
か浮いた存在だと言わざる得なかった。
 誰よりも高みに存在するが故に、ごく当たり前の感情に気が付く事が出来ない自分が居る。
 ボーイフレンドと言える存在ならば、なのはにもユーノがいる。互いに深い絆で結ばれているが、
ティアナがシンに向ける感情とはまた違う気がする。 
 一つ言える事はなのはは、十九歳の小娘で、結婚は当然の事ながら恋すらマトモにした事が無い若
造だった。
「そうだね。教官の一言より、気になる男の子の一言の方が心に響くなんて…なんかやってられない
なぁ!」
 やってられないの部分に力を込め、なのはは背伸びをしながら大声で呟く。
「なのは?」
 なのはの口から漏れた生っぽい言葉にヴィータは、ぎょっとしながら振り返る。
 不幸中の幸いか、車道を走る車の音でなのはの声は、ティアナ達には聞こえなかったようだ。
 本当にやってられない。こんな日は、フェイトよはやてを誘ってお酒を飲むのも悪くないと思う。
 自分も、いつか身を焦がすような恋を体験する事になるかも知れない。もしかしたら、そんな機会
は永遠に訪れないかも知れない。
 しかし、それはそれで面白いと思える自分にも気が付く。少し前の自分ならば、自身に起こった些
細な変化も見逃していただろう。
「少し意固地になり過ぎていたのかも」となのはは思う。人は必ず迷い間違い後悔する。しかし、そ
の度に立ち上がり人生を歩んでいくのが常である。
 間違えない事も重要だが、そこから立ち上がる事も大切な事だ。
 なのはは、茜色の空の下を歩き続けながらひた思う。
 きっと、いつか自分も間違えてしまう日が来る。その時、自分を支えてくれる人は誰なのだろうか
。最有力候補は、フェイトやはやてと言った六課の面々だが、それはちょっと代わり映えが無さ過ぎ
る。
 なのはは、まだ見ぬ未来の思い人に思いを馳せ、国道を下ってくるはやてのジープを見ながら、自分に対して微苦笑を漏らした。