RePlus_閑話休題一点五幕_前編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 15:25:32

 現在未来過去。
 全ての時空は連続し停滞し開放され、密接に関係し合っているように見えるが実はそうでは
ない。
 時空と過去。
 過去と未来。
 未来と時空。
 事象の存続に必要な物は、飽く迄で結果で有りそう有りたいと願う意思の力だ。
 時間の流れは、波間の葉屑のように常に漂う曖昧な物であり、明確な定義を持たない。
 未来は確定されていない。
 そう、決して確定されていない。
 最後にもう一度問おう。
 未来と過去を確定するのは---現在の力だ。
  
閑話休題一点五幕"ヴァージンロード-Magical Vivio 13 years old"
前編

 パチン---パチン---と音を立てながら慌しく場面が切り替わる。
『行ったあああ大きい。入ったああ!入った逆転サヨナラ満塁ホームラン』
 九回裏ツーアウト満塁。絶好の好機に四番打者が、抑えの守護神から逆転満塁ホームラン
を放つ。
 ---興味が無い。
『ですからね。厚生省幹部の汚職事件は、現行の政治改革路線と切っては切れない関係が』
 良く分からない曖昧な理屈を、良く知らないコメンテーターが与党に対して怒りながら喋
っている。
 ---意味が分からない。
『私貴方を愛してるの』
 歯の浮くような愛の台詞が、ベテラン女優から紡がれる。対して男役の方はドラマの役割
とは別に対して嬉しく無いようだ。
 ---理解不能。
『L.O.V.E.ラブリーAZUSA!』
 ---色々危険過ぎる。自重。
『なんでやねん!』
 ---ワンパターン。ツマラナイ。
「本当につまらない」
 日の当らない、暗闇の底に放たれて七年間。彼が人間世界に触れて楽しかった事など一度
も無い。
 来る日も来る日も同じことの繰り返しで、生産性の無い消費が繰り返される日常。だが、
そにケチを付ける気も無く、彼は只無為に過ごしていた。
 情報過多の人間世界に触れていれば、自己の増殖は嫌でも可能だ。だが、彼はそれすらも
面倒だと思っていた。
『テメェ迷惑なんだよ』
 なんと言う事も無い個人サイトの掲示板の一言。どちらのアイドルが可愛いかと、彼の単
純な精神構造では理解しかねる言葉の羅列だったが、稲光のように鮮烈に湧き上がる感情が
彼の精神を過ぎった。
「ああそうか」
 溜息を付く機能など彼には存在しないが、きっと彼は溜息を付いて苦笑いしたのだろう。
 自分の本質は"迷惑"な"存在"だったのだと。
 彼は漸く思い出した。

 バージン(Virgin):ラテン語の「乙女」、英語で処女の事を表す。
 高町なのは二十九歳。
 友人知人が結婚し家庭を持つ中彼女は未だ"新品"だった。

 0084 八月上旬
 都内ティアナランスター宅

「ティアナ、お願いがあるの」
「な、なにがですか」
 出産を終え、我が子の夜泣きと慣れない育児にと四苦八苦しながらも、それなりに満ち足
りた生活を送っていたティアナに、元上官である高町なのはから突然の呼連絡を受けたのは
昨日の晩の事だった。
「ねぇティアナ明日時間取れないかな」
 明日は平日でシンと部署こそ違うが宮仕えのなのはも当然出勤日だ。
 わざわざ休暇を取ったのかと思ったが、なのはの声の調子は重く、何かに悩んでいるよう
だったが、時間も遅く問質しても要領を得ない返事が続く。
 一体何事だと思ったが、ティアナは、最近家に篭りっ放しだっただけに、気分転換も兼ね
てなのはの申し出を快く了承した。
「ありがとうティアナ。本当にありがとう」
「大げさな」とティアナは、微苦笑するが、なのは感慨か何かに耽っているのか嬉しそうな
声を隠そうともしない。
 それ程切羽詰っていたのだろうか。
 ティアナは、なのはに昔から世話になる事が多く、正直に言えば頼られる事自体が照れく
さい。なんでも自分だけ背負い込み、高い資質故に解決して来たなのはだからこそ、なお更
そう感じる。
 だが、あの高町なのはがここまで切羽詰る原因とは何だろうか。不安と言えば不安だが、
まぁ何とかなるかと思いなおし、ティアナは、久々の外出なのだからと鼻歌を歌いながらク
ローゼットから服を見繕い始めた。

 首都クラナガン
 ---管理局社会保険庁脇喫茶店

 今年は猛暑だと言うのになのはが指定した場所は、あろうことかオープンカフェだった
 アスファルトの照り返しと夏の日差しがティアナに容赦なく降りかかり、座っているだけ
で汗が噴出してくる。
 注文したアイスティーの氷は、ものの十分程度で溶けきり、ティアナは薄くなったアイス
ティーを眉を潜めながら喉に流し込んだ。
 当然と言ってはなんだが、他の客は冷房の効いた室内に避難し、店外にはなのはとティア
ナしかいない。
 あまり、体力が戻っていないティアナに、夏の日差し自体厳しいものだったが、なのはの
暗く淀んだ様子に苦言を漏らす事は吝かに思えた。
 周囲の非常に空気が鉛のように重く、こちらから気軽に話しを切り出せる雰囲気では無か
った。
 待ち合わせの十五分前に到着したティアナだったが、なのはは既に到着していたらしく、
抹茶を飲みながら、どんよりした雰囲気でティアナを待ち続けいただけに余計にそう感じる。
 ティアナの到着になのはは、一時表情を明るくしたものの、すぐに視線を伏せ、またも無
言のまま黙り込んでしまう。
 以降三十分間。二人は無言のまま夏の日差しの猛攻を耐え凌いでいた。
「あのね…ティアナ」
 滴る汗が頬を通じ喉に差し掛かった頃、なのはが、岩戸のように硬く閉ざされた口を開い
た時、ティアナは「来た」とばかりに反射的に身構えていた。
「ご、合コンってどんなのなのかな」
「は…い?」
「だから、合コン」
「はぁ」
「ティアナは行った事ある?」
「それは…まぁ…一応」
 深刻そうななのはの様子とは裏腹に、なのはの口から出たの単語は随分とお軽い物だった。
 合コン。
 合同コンパ。
 合同コンパとは、一般的に男女が出会いを求め開かれるコンパである。最近では恋人を求
めると言った意味合いは薄れ、顔見知りでない男女が酒を飲む席として変わりつつあった。
 だが、そうは言っても未だに男女の出会い、恋人を求めて集まると言った場合が無いわけ
でも無い。むしろ、前者の意味合いの方が、世間一般にはより根付いていると言える。
 ティアナの脳裏に童顔の部下の顔が浮かぶ。人数合わせと疑似餌のつもりか、彼女は良く
ティアナを合コンに連れ出していた。
 当時からシンと同棲していたティアナは、真剣に参加する気も無かったが、一応友達付き
合いと言う物もある為に積極的とは言わなかったが、頼まれれば現場に顔くらいは出してい
たのだ。
「そ、そうなの」
 なのはは、何故かティアナを異星人か何か奇怪な物を見るような目で見つめる。
「あの、なのはさん。どうかしたんですか?」
「えっ…ううん。なんでもないのなんでも。にゃはは」
 顔を引きつらせて、口の端から緑色の液体がダダ漏れの状態で何でも無いのだろうか。
「案外…大人なんだ」
「はい?」
「う、ううん。何でもない」

 ボタボタと垂れる抹茶を拭いもせず、なのはは、またもティアナを未確認生物でも見るよ
うな、何とも形容しがたい瞳で見つめてくる。
 インチキサーカスの見世物であるまいが、なのはの視線はそれに近い色を忍ばせている。
 夏の陽光に晒され、ティアナの薬指に嵌められた指輪が光る。その光をなのはは、光り以
上に眩しそうに見つめ、やがて意を決したようにティアナに身を乗り出し声を張り上げた。
「お願いティアナ。ううんティアナ先生。高町なのは生涯最高の大ピンチなの。お願い私に
合コンのやりかた教えて頂戴!」
 土下座でもしようかと勢いで、カフェの丸テーブルに頭を擦りつけるなのはに、ティアナ
は鼻白らみ、何事かと振り返る通行人達に何でもありませんとジャスチャーを返す。
「ちょっと、待ってくださいなのはさん、頭を上げて下さい!」
「お願い!」
「教えてって…別にやり方なんてあって無いようなものですし。普通にしてればいいんじゃ
ないですか?」
「それが分からないの!」
 立ち上がり、ティアナに詰め寄る態度は、普段の落ち着いたなのはから想像も出来ないよ
うな激しい物だ。ティアナは気圧されそうになるが、話題が話題だけに安易に屈するわけに
はいかない。
 詳しい理由も聞かずに、このままなのはに押し切られれば、どんな無茶を提案されるか分
かったものでは無いと元六課の感が騒ぎ始めた。
「その何かあったんですか?」
 ティアナは、なのはの只ならぬ態度に言葉を選び慎重に切り出す。なのはから感じる重圧
は言葉で言い表す事の出来ない程強固で異質だ。
 同じ爆死するならば、これでは何の装備も無しに地雷原に進入した方が、生存率は高いの
では無いだろうか。
「そ、それは…その…」
 ティアナの質問になのはの目は完全に泳いでしまっている。比喩や揶揄では無く、額から
球のような汗が噴出し、カフェの洒落た丸テーブルに濁流となって流れ落ちる。そんなに流
せば干からびてしまうのでは無いだろうか。表現的にも見た目においても非常に危険な代物
だった。
 なのはの話を簡単に纏めればこうである。
 武装隊にも当然女性隊員は居る。武装隊のイメージと言えば管理局の中でも軍隊色の様相
が強いと思われがちだが実はそうでも無い。
 訓練は厳しいが、雰囲気は他の民間企業と変わらず、完璧な縦社会では無くむしろ横社会
なのだ。階級は絶対の物だが、それは勤務時間内の事であって、勤務外時間では上官も部下
も関係無く気さくに話し合う中だ。
 当然年頃の女性隊員が居れば、恋話の一つや二つと部隊内恋愛の噂も出てくるのは必然だ。
他の部署に比べ拘束時間が長い為、武装隊には社内恋愛から職場結婚に至るケースが多い。
 始まりは教え子の何気ない一言だった。
『教官ってやっぱり大人ですよね』
『そうでも無いよ』
 教え子の誤字脱字だらけの報告書に眉を潜めながら、なのはは事務仕事に精をだしていた。
 管理局の第一線こそ退いたが、なのはも今では新設部隊の部隊長だ。仕事など吐いて捨て
るほどある。
『なんでも出来て本当に凄いと思いますよ』
 期待と羨望に満ちた教え子の視線に、なには辟易としながら書類に認印を捺印する。
『空を飛んでる方が好きなんだけどね。正直事務仕事はあまり好きじゃないし』
『またまたぁ。管理局のスーパーエースの癖にぃ。実際教官デスクワークも大得意じゃ無い
ですか。この書類の山を一時間で片付けるってある意味変態的ですよ』
『判子押しだけ巧くなっても仕方ないでしょ。そんな事思うなら、誤字脱字を減らして頂戴』
『えへへ』
『愛想笑いしても駄目だからね。この報告書今日中に出して貰わないと困るの』
『ええー、今日カッ君とデートなのにぃ。残業嫌でーす』
 カッ君とは恋人の事だろうか。何故彼女のような養殖天然娘が規律厳しい武装隊に志願した
のか、なのはの永遠の疑問の一つだったが、残念ながら非常に腕は立つ。
 次元犯罪者が裸足で逃げ出す教え子の強烈無比で容赦の無い凶悪さを、果たしてカッ君とや
らが知っているのかなのは知らないが、出来る事なら彼女がダース単位で猫を被っている事だ
けは教えてあげたかった。
『駄目。絶対今日までだよ。駄目ならそのカッ君にでも手伝って貰いなさい』
『あぁそれいい考え。教官も彼氏呼んで一緒に仕事しません』
 なのはは、嫌味のつもりで言ったつもりだったが、教え子の言葉は意外な方向から胸の奥深
くに突き刺さった。
 恋人?
 当然居た事は無い。
 ボーイフレンド?
 ユーノは果たしてボーイフレンドと言える存在だろうか?
 互いに相手を大事に思い深い絆で結ばれているが、それを恋や愛だと言えただろうか。

『きょうかんもかれしよんでいっしょにしごとしません』
 教え子の言葉がなのはの脳裏に反響し、恋人の部分がリフレインされていく。
 なのはは、同僚達の間からもある種の高嶺の花として神聖視され、汚してはならないア
イドルのような存在として認知されていた。
 もっと端的に言えば液晶の中の存在であり、見ることは出来るが決して触れる事の出来
ない偶像のような物だ。
 ぶっちゃけて言うと、声をかけるのも憚れるような完璧超人だった。
 なのはと交際など野郎にとっては、夢のまた夢であり、あの高町なのはに見合う男など
職員達の中ですら想像の外の出来事であり考える事自体が無謀なのだ。
 そうなると、なのはにアプローチをかける男など居るはずも無く、なのはのその完璧な
高潔さ故に気後れし、テレビの中の女よりも、手の届く現実の女に手を伸ばすのが常だっ
た。
 当のなのはもヴィヴィオの育児と仕事に追われ、ここ七年程自分を省みる暇が無かった。
 漸くヴィヴィオも手間がかからなくなり、ふと、自分を省みるとなのはの近辺で恋人、
伴侶が居ないのは自分とフェイトだけの有様だ。
 気が付けば二人共もう直ぐ三十路で、恋人は愚か男女交際すらした事が無い自分達は
もしかして「やばくね」と思い始めていたのだ。
 後は売り言葉に買い言葉。
 いつの間にか集まってきた女性隊員達に乗せられるように、経験豊富な"大人"な女性に
仕立て上げられたなのはは、何故か巻き込まれたフェイトと共に教え子達と合コンに出る
事になってしまった。
 当然、合コンの"ご"の字も知らないなのはは大いに焦った。焦ったが、回りにこんな事
を気軽に相談出来る人間など限られている。
 頭を抱えたなのはだが、売られた戦から逃げるわけには行かず、さりとて、結局誰に相
談すべきか途方に暮れた挙句、ティアナにお鉢が回ってきたというわけだ。
 最後まで友情を誓い合ったはやては、恋のチキチキドラックレースを早々に勝ち抜けし、
安全圏に避難してしまっている。
 女の誇りとして、はやてに教授を受けるわけにはいか無かった。
 因みヴィヴィオは、一人で出来るもん病。つまり、反抗期に突入し、無限書庫の司書の
資格をさっさと習得してしまい早々家を出てしまった。
 女としての誇りが微妙に疼くのも無理からぬ事だった。
「なのはぁ~」
「フェイトちゃん」
「ぶふぉ」
 突然後ろから聞こえてきた沈んだ声に、ティアナはアイスティーを思わず吐き出しそうに
なった。
 後ろを振り返ると、そこにはティアナの先輩執務官に当る、フェイト・T・ハラオウンと
ゲッソリとした様子のシグナムが、まるで幽鬼のように佇んでいた。
「シグナムさん」
「ティアナか…すまんが少々疲れた…何か飲み物をくれ」
「は、はい」
 ティアナ、はやて、シグナムがシンを巡る関係は色々と複雑だ。一応籍こそ入れていない
もののシンは、ティアナとはやての子を認知しているし、シンとシグナムの事も納得済みと
言うか、非常に色々のっぴきならないと言うか、平和的解決に踏み切りざる得なかったと言
うか、「もう、二人も三人も変わらんやろ」と家主の鶴の一声で決まった背景もあったりす
る。
 効果音的で言えばぐちゅぐちゅ、にちゅにちゅとお子様厳禁な背景だ。
 丸テーブルにぐったりと突っ伏すシグナムを尻目に、ティアナは店内に慌てて引き返し、
人数分の飲み物を注文する。
 注文を待つ間、三人を除き見るとなのははフェイトの言葉に仕切に頷き、時折嬌声にも似
た悲鳴を上げていた。
 変異し限りなく人体に近づいたとは言え、プログラム体である事に変わりは無いシグナム
に身体的な成長はほぼ無い。
 最近の検査で僅かにながらの成長の兆しが見られるものの、それは他の人間よりも遥かに
遅い物で、現在ではなのはやフェイトよりもシグナムの方の方が若干だが若々しく見えた。 
 騒がしい雰囲気のなのは達とは違い、なのは達が黄色い声を上げる度に、シグナムは肩を
落とし、丸テーブルにグッタリと突っ伏している。

(どうしたんですか、シグナムさん)
(白状させられた…)
(何をですか?)
(あの…日の事だ)
 気になったティアナは、シグナムに念話を飛ばして見る。
 念話から聞こえて来る声は暗く重い。何というか静も根も尽き果ているにも関わらず、未
だにダメージゲージをガリガリと削られているような声質だ。
 あの日とは何だろう。まさか女性特有の月の物の日に事ではあるまいし、そんな品の無い
事をあのフェイトが聞いてくるとは思えない。
 嫌な予感がしたティアナだが、こちらから話題を振った手前聞かないわけには行かなかっ
た。何だろうと思考の海に沈もうとしたティアナの脳裏に電撃のような鮮烈な記憶が蘇って
来た。
(あの日…ってまさか)
 濛々と立ち込めた湯気。元六課隊舎のシャワー室。今でこそかぎ慣れたが当時はすえた匂
いに随分と顔を顰めたものだ。
(そうだ…あの日だ)
(うわぁ)
 あれを知られたのかと、ティアナは目を閉じ、天を仰ぎ猛烈な頭痛に襲われる。もうとっ
くの昔に既成事実化し、掘り返すのもアレな記憶で今更な感じはするのだが、人にベラベラ
喋って回れる事でもなく。だが、一応シンと自分達を繋ぐ大切な記憶である事は間違いなか
った。

 時間は少々遡る。
 ティアナが、なのはの呼び出しを受けていたように、シグナムもフェイトの呼び出しを受
け、喫茶店で動揺に悩みを打ち明けられていた。
「恋人が居ないと」
「うん…そうなんだ」
「なるほど。それが悩みか」
 冷房の効いた店内は快適で、外の猛暑が異世界のように感じる。シグナムは溜息を付き、
コーヒーカップをソーサーに戻した。
 シグナムは、片目を瞑りながらフェイトを覗き見る。もう三十手前だと言うのに、フェイ
トの少女のような可憐さは色褪せる事は無く眩しい程に輝いている。
 むしろ年齢を重ねる事により、輝きが増したようにさえ感じる。
 普通、二十代後半からはプロポーションも段々崩れ始めると言うのに、フェイトのダイナ
マイトボデイは衰えを知らないのか未だに健在だった。
 むしろ、美貌と同じで年齢を重ねる毎に妖艶さが増したとさえ言えた。
 胸などミサイルが搭載されていても、文句は言えない位大きく豊満な物で、シグナムは、
何故こんな美人を男が放って置くのか理解出来なかった。
「だが、それはそんなに焦る事なのかテスタロッサ」
 シグナムは、別に嫌味で言った分けでは無い。
 単純にこれまでフェイトに恋人が出来なかったのは出会いと機会が無かっただけだと思っ
た故の発言だ。
 執務官は多忙を極める職業だ。その上まだうら若き年頃でエリオとキャロ、子供を二人引
き取り立派に育て上げた功績は、素直に感嘆の言葉しか出てこない。
 確か現在フェイトは内勤業務に移り、一つの執務室を任されていると聞く。
 エリオもキャロもフェイトの元から巣立った今、ちゃんとした出会いと時期がこれば自然
とフェイトにも、恋人が出来るであろう。
 悪い言い方をフェイトにすれば男は、まさに、選り取り見取りのはずだった。
「シグナムはいいですよね…相手居て」
「ぶふぉぉ!」
 拗ねたようなフェイトの一言にシグナムは、飲みかけのホットコーヒーを思わず噴出した
。フェイトをフォローしたはずが、まさか、自分に口撃が回ってくるとは思いもよらなかっ
たのだ。
「な、なんだ突然、藪から棒に」
 零したコーヒーを律儀に拭きながら、シグナムは怪訝そうな表情でフェイトを見つめる。
「だから、相手が居るから良いですねって言ったんです」
 フェイトは、不貞腐れたような表情を浮かべ、手元のアイスティーを喉へ一気に喉に流し
込む。飲む様子が自棄酒を飲むように感じられるのは気のせいだろうか。
「テスタロッサ。お前は何を言っているんだ?」
「だって、服装の趣味とか昔と全然違うじゃ無いですか。アスカ君に選んで貰ったんでしょ
う」
 確かに薄手のシャツとローライズジーンズなど、昔のシグナムからは考えられないような
服の趣味だ。誰かの趣味だと言われても仕方ない事だ。
「これは、主はやてとティアナが選んでいるのだ。私の一存で決めた物では無い」
 シグナムの頬にさっと朱が射すが、フェイトに動揺を悟られまいと努めて冷静に振舞う。
「なら、そのリングは誰に選んで貰ったんですか?」
 シグナムの"薬指"にプラチナの指輪が鈍く光る。決して高級品では無いが安物でも無い。
下品でない程度に装飾が掘り込まれ、気軽にポンと現金で買える代物では無い事は明白だ。
「これは、シ、じゃなくて、アスカにだな」

 シグナムは"シン"といい掛けて思わず口を噤む。しまったと思ったがもう後の祭りだ。フ
ェイトはシグナムをジト目で睨み、相変わらず不貞腐れたような顔で、氷だけになったアイ
スティーをリスのように頬張り、ストローで息を吹き込む。
 残った氷とボコボコと間抜けな音を立てる度にシグナムの顔の引き攣りが激しくなって行
く。
「ほら、やっぱりじゃないですか!前から怪しい怪しいと思ってたんです」
「し、仕方なかろう。大事な指輪を女が選ぶのは些か問題が…大体そ、それは、テスタロッ
サにはか、関係無いでは無いか」
「あります。大いに関係があります。朴念仁で天然具合なら私とあまり変わらないシグナム
に例え世間的に見て、ちょっと褒められた関係では無いといえど恋人が出来たんです。し、
しかも、相手は人の旦那様ですよ旦那様。そんな三流映画真っ青な展開が現実に起きたんで
す。別に羨ましいわけじゃありませんけど、何かのヒント位にはなるはずです」
「何のヒントになると言うのだ…全く」
 旦那様。
 それを面と向って言われるとシグナムはぐぅの音も出ない。
 当時シンは既に思い人と結ばれていた。シグナムは、そこに横恋慕して強引に輪の中に入
ったような物だ。そして、無理矢理と言うか、シンを除いての合意の上だったというのか、
兎に角ようは紆余曲折の騒動の末に今の関係に収まった。
 確かに自分でも褒められた関係では無いと思うが、シグナム自身ヤッてしまった事は仕方
ないし後悔もしていなかった。
「すいません、ホットコーヒー、お代わりを」
「少々お待ち下さい」
 ウェイターは、二人の話す会話の内容に興味深々な様子で、シグナムとフェイトを交互に
見つめ無遠慮にも「ごゆっくり」と意味深な発言を残して帰っていく。
 男を巡った痴話喧嘩とでも思っているのだろうか。シグナムは、そんな高尚な物では無い
と思うが、気配を探れば他の客も自分達の会話に注目しているようだ。
(全く…こんな話を聞いて何が面白いのか)
 シグナムは、嘆息し、正直に言えばすぐさま喫茶店を出たい衝動に駆られたが、どんな理
由とは言え、人を頼る事が殆ど無かったフェイトが自分を頼って相談を持ちかけてくれてい
るのだ。
 無下に断る事など出来るわけも無かった。
「…シグナム、またホットですか?」
「あぁ。夏とは言え医者にあまり体を冷やすなと言われてな」
 シグナムは、運ばれてきたホットコーヒーを一口飲む。珈琲の苦味が喉に染み渡り、香りで
心が落ち着いてくるのを感じる。
「何処か悪いんですか?」
「あぁ、いや、悪いと言う訳では無いのだが」
 シグナムは、頬を赤く染め、ゴニョゴニョと言葉を濁しフェイトから視線を切り俯いてしま
う。下腹部を押さえながら、フェイトに何とも言えない困った顔を向け、曖昧に微笑みお茶を
濁した。
「ま、まぁ兎に角だ。せ、性格が変わり過ぎだぞテスタロッサ」
「女二十ピー以上やってれば性格の一つや二つ変わるんです!」
 かと思えば突然顔を上げ、耳朶を真っ赤に染めたままで、頭をブンブンと振い、身を乗り出
し、フェイトに向け虎のような唸り声を上げる。
 だが、フェイトもシグナムの剣幕に気圧される事も無く、むしろ、それで戦意が盛り上った
のか追撃の手を緩める事は無い。
「教えて下さい。シグナムの恋愛事情に私の生きる道がきっとあります!」
「全く持って意味が分からん」
「私の幸せの鍵はシグナムが握ってると思ってるんです!」
「ま、待てと言うのに。そのな、あんまり面白い話でも無くだな。痛いと言うか激しいと言う
か、良く体が持ったなと言うか。あの二人は毎回こんな事をやっていたのかと言うか」
「激しい?」
「な、なんでも無い。しかしなテスタロッサ。恋人が欲しいと言うなら、自分でも行動を起こ
してみてはどうだ。例えば見合いとかだな」
 随分ストレートで安直な考えだったが、別段悪くないと考えだとシグナムは思った。フェイ
トは言ってはなんだが、人見知りが激しく内向的な性格だ。 
 意中の男性が出来ても、自分から行動など出来るはずも無い。ならば、周りの人間が気を使
い、場所をセッティングすればおのずと巧く行きそうな気がしたのだ。
「…」
 シグナムの何気無い見合いと言う言葉に周囲が凍り付いていくのを感じる。先刻まで横柄な
態度で短機関銃のようい喋り続けていたフェイトがお見合いの四文字で、電池が切れたガジェ
ットのように黙り込んでしまう。
 その瞬間シグナムは「あっ地雷踏んだな」と瞬時に理解した。
「三十三戦三十二敗一分けです」

「なんだそれは…」
「私のお見合いの戦績です」
 シグナムは、人知れずごくりと生唾を飲み込み頬を引き攣らせる。
 三十三戦三十二敗。その数字が指す所は、勝率が一割にも達していない大惨敗な結果であり
、価値的に言えば整理寸前の株の銘柄のような物だった。
「テスタロッサ…お前見合いを受けていたのか」
「はい…兄と母が是非にとしつこいので数回か。私も最初は乗り気じゃなかったんですけど…
こうもご破談が続くと、女としてもプライドが…辛くなってきて」
 三十二回を数回で片付けていいのかは、個人の裁量に任せるとしても、中々壮絶な挑戦回数
だ。幾ら朴念仁のシグナムでも、どんよりと重い空気を放つフェイトの気持ちも分かろうと言
う物だ。
「その…一分けとは何だ。分けと言うからには、ご破談になったわけではなかろう」
「相手は男装した女の子でした」
 唯一ある"分け"に一縷の望みを託したが、またもフォローしたつもりが、シグナムは盛大な
地雷を踏んでしまう
 もうまともにフェイトの顔を見る事が出来ず、どんよりとしたフェイトに、シグナムは大粒
の冷や汗を流し瞑目した。
 フェイトの一体何が悪いと言うのか。性格は少々引っ込み事案だが、頭脳明晰、容姿端麗と
非の打ち所が無い美女だ。
 逆に高嶺の花過ぎて男が萎縮してしまうのだろうか。
 それは男の方に責任があると思わないでも無いシグナムだが、フェイトに恋人が出来ない原
因はそれだけでは無いように感じた。
 もっと根深く、それ故に致命的な理由がありそうだが、朴念仁な自分では想像すら出来そう
に無かった。
「とにかく!内容はこっちで調査分析しますので、シグナムは、アスカ君との馴れ初めを委細
漏らさず話して下さい」
 だが、シグナムの思惑とは別に暴走特急と化したフェイトは止まりそう無く。
「いや、だからだな」
「さあ!」
「そのな」
「さあさあ!」
 フェイトは、シグナムに対して貴女の恋話を是が非でも聞きだしますと言った様子で、時間
の経過と共に加速していく。
「だからなテスタロッサ」
「さあああああああああ!」
 結局シグナムは、フェイトの剣幕に押され、当時の状況を明確かつ克明かつ臨場感たっぷり
に委細漏らさずダスキンも驚愕の丁寧さで説明させられた。

「嘘…そんな、事…シャワー室でむ、無理矢理?シグナムの方から?」
「やっぱり、それくらい押しが強くないと恋人って出来ないのかな」
「で、でも、あんまりにも突飛過ぎて参考にならないかも」
 シグナムは「突飛とは何だと何だと」心の中で呟くが、自分の痴態を包み欠かさず白状され
てしまい、もう反抗する気力も残っていなかった。
「でも。でもだよなのは。私達も似たような状況なんだよ。ちょっと冒険しないと、ずっとこ
のままかも知れないんだよ、なのは」
 三十を超えても四十を超えても、自分に恋人の一人も出来ない事を想像すると、恐怖するの
は男女共変わらないのでは無いだろうか。
 悟りの領域に達するには二人共若すぎた。
「うぅ…でも、いきなり後ろは難易度高すぎるよフェイトちゃん」
「そこ!そこに注目するのなのは!?」
「えっ、そこ以外ないと思うんだけど。だって、普通そこは…その…出す方で入れる方じゃ」
「ち、違うよなのは!この話で肝心なのは、自分から行動しなきゃ駄目って事で、なんでそっ
ち方面に行くの!なのはのエロ!」
「わ、私!エ、エロじゃ無いもん!そんな事言うならフェイトちゃんの方がエロいもん」
「私が?何処が?」
「存在が…胸とか」
「うわぁ…なのは、それ言っちゃうんだ」
 もうどちらでも良いと思うシグナムだが、フェイトの爆弾ボディは確かに反則だと思った。
 自分もプロポーションは悪い方では無いが、何をどうすればあの体型を維持出来るのか、
管理局の七不思議に数えられても驚きはしない。。
「私がセクハラかどうかはどっちでもいいけど、今大事なのはシグナムとアスカ君の馴れ初め
だよ!」
「そうだよ。フェイトちゃんは存在不適合者(セクハラ)だけど、今大事ななのは、そっちだよ」
「だから、そんな事を聞いてとどうするのだと。大体私主観だが、全て話したでは無いか」
「具体的に聞いてないもん!」
「そうだよ、フェイトちゃんは直接聞いたけど、私聞いてないもん」
 なんと言うべきか。二人共気分はもう学生。就学旅行の晩における「誰が好きなの?私○○
君!」「ええ嘘ー」的な雰囲気が漂っている。

 話している内容は、華も恥らう乙女が気絶しそうな猥談の類ではあったが。
「もうこれ以上は勘弁してくれ。室内ならいざ知らず、こんな衆目が集まる場所で二度も三度
も説明する気になれん…流石にプライバシーの侵害だ」
「大丈夫恥ずかしいなら、単位はシンでいいです。だから答えてください、シグナム。最初は
何シンだったんですか?」
「答えてお願い!」
 腹を空かせたライオンの方がまだ大人しいのでは無いだろうか。心に沸いた諦念感に白旗を
上げ、シグナムが顔を伏せ小鳥が鳴くような声で真実を告げた。
「…五シンまでは数えてた…後は覚えていない」
「覚えて無い?」
「なんで?」
「私が…気絶したからだ」
「「エロ、シグナムっエロ!」」
 絹を裂く悲鳴とはこの事を言うのだろうか。黄色い歓声よりも艶っぽい、むしろ、おっさん
臭い声が周囲に木霊する。
 街中でも思わず振り返る美女達が炎天下の中で騒いでいるのだ。
 道行く人々も何事かと思うが、茹だるような暑さに負け、見ないふりを決め込んでいた。
「し、痴れ者が!ここは私が責められるのでは無く、シンじゃなくて、アスカを責めるのが常
套であろう。何故私がエロいと言われなければ」
「せ、攻められるって、シグナム」
「やだ、私、想像出来ない」
「何を想像した貴様ら!エッチなのはいかん!いかんぞ!、高町、テスタロッサ!」
「性欲魔人は黙ってて」
「エロ元帥は発言禁止!」
「き、貴様らなあああ!
「だってシグナムが過激過ぎるから」
 顔を赤く染め、目尻に涙を浮かべ怒るシグナムは同姓から見ても非常に可愛らしく、普段凛
々しい印象も合わさって、具体的に言えば苛めたい、弄りたいと言った具合に妙な気分が浮か
びかがってくる。
「私だってあの時は必死でだったのだ。回数覚えている物か!」
「でも…最低五シンなんでしょ」
「ノリノリのような。しかも自分からだったんだし」
「うわあああ!言うな言うな」
 顔を赤くし、頭を大きく振るい、涙声でシグナムは吼えまくる。唯一の理解者であり味方の
ティアナは傍におらず、戦に慣れていないシグナムでは、女子高生もかくあらんとする今の二
人のテンションには対抗出来るはずも無かった。
「なのはさん、フェイトさん。そのあんまり、シグナムを苛めないで上げてくれませんか」
「ティアナか!私は私はだな!私は変態などではだな!」
「あーもうよしよし。分かってます分かってますから。はい、これ飲んで落ち着いてください」
「す、すまんな」
 シグナムは、漸く戻った援軍に、涙を流しながら喜び、ティアナから受け取ったドリンクを
小さな口でチューチューと音を出し飲んでいく。
 その様子を見たなのはとフェイトは心の中で「可愛いなちくしょう」と地団太を踏み鳴らす。
「それで、結局何の話なんでしたっけ?」
「そうだよ。合コンだよ合コン」
 あぁそう言えばそうだったなとティアナは思い出し改めて溜息を付く。
 やり方など場数を踏む以外に道は無く、付け焼刃の"HowTo"など教え込んでもなのは達
が実践出来るとは思えない。こう言えばティアナが百選練磨の合コンの達人に見えるが、付き
合い以外行った事は無い。
 だが、全くの零と言うわけでは無く、確かに実戦経験の無い新兵よりはマシだろうが、果た
して自分の経験が約に立つだろうかとは思った。
 何しろ行っても適当な話しかしておらず、どちらかと言えば同僚に撒き餌に使われた感が否
めない合コンばかりなのだ。
「それで、本番はいつなんですか?」
「来月の頭だよ」
(来月か…)
 確かに時間的な余裕はあまり無い。
 ティアナは、なのはの要求に何処まで答えらるか不安ではあったが「まぁ習うより慣れよね
」と六課根性丸出しのでたとこ勝負に討って出た。
「お二人とも、本番前に予行演習してみません?」
「「予行演習?」」
「本番前に合コン、まぁモドキのような物ですが、雰囲気を掴む位は出来ると思「「お願いテ
ィアナ!」」
 身を乗り出し、声を被らせ、ティアナの手をキツク握り締める二人。背中から立ち上る重圧
は鬼気迫る物があり、具現化したオーラは阿修羅の如く雄雄しく往年のはやてと髣髴させた。
 提案した手前ここで「やっぱり、さっきの無しで」とはとても言える雰囲気では無かった。

「分かりました。予行演習の件は私が何とかして見ます」
「「本当!?さっすがティアナ。持つべき物は愛すべき後輩だよね」」
 なのは達の変わり身具合に、正直勘弁して欲しいと思うティアナだがもう後には引けない。
 後は野となれ山となれ灰となれとばかりに、ティアナは覚悟を決めた。
「こ、後輩に一人そう言うのが大好きな娘が居ます。言えば直ぐにでもセッティングしてくれ
ると思いますし、むしろ、嫌でもさせてみますから」
「フェイトちゃん…ティアナの後ろから後光が指してるよ」
「うん。凄く頼もしいよ、なのは!」
 むしろ、ここで断ると命の危険性があるような気がするとティアナは思う。
「でも、後は場所を変えませんか?詳しい事を詰めたいですし…なによりここは暑いです」
「「「あー」」」
 産後の体調関係無しに、降り注ぐ灼熱の太陽は体力的に厳しい。
 それには「賛成だ」といつの間にか復活したシグナムを加え、三人は声を揃えて上げた。

 なのはは、都内にある高級マンションに帰宅したのは、晩の十二時を超え日付が変わってか
らだった。
 結局あの後変なスイッチが入ったフェイトと共にシグナムと問い詰め、シンとの関係を根掘
り葉掘り掘削し、ついでにティアナの方も地殻を貫通する勢いで掘削しておいた。
 二人は、グッタリとしたシグナムと顔を引きつらせたティアナを連れ、買い物、ボーリング
、食事、カラオケと独り身の鬱憤を晴らすように遊び続けた。
「ただいまーって、誰も居ないか」
 どうせ、誰もいないだろうと、なのは、廊下で服を脱ぎながらリビングに向かう。
 なのはの養女であるヴィヴィオは、中等部に上がるや否や、自立したいと人の話も聞かずに
全寮制の学校を勝手に受験し勝手に入学してしまった。
 なのはは、入学願書に判を押したつもりは無かったのだが、ヴィヴィオは、知り合いたちの
権力を最大限に利用し、なのはに短期決戦を挑み見事勝利を勝ち取った。
 娘のあまりの手際と根回しのよさに、なのはは、外堀から埋められた戦国武将の気持ちが骨
身に染みて良く分かった気分だった。
「あー飲んだ飲んだ」
 夏の夜しては冷え込んだ空気が、アルコールで火照った体が心地よい。
 なのはは、スカートを脱ぎ捨て、パンツ丸出しの格好で冷蔵庫の中からミネラルウォーター
を取り出し喉に流し込んだ。
 キンキンに冷やされた水が、熱に犯された思考を和らげ、なのはは漸く一息つけたと感じた。
最近仕事が忙しすぎてゆっくり休んだ記憶が殆ど無い。今日は、はめを外しすぎた気がしたが
、偶には良いだろうと自分で納得し勢い良くソファーに身を落とした。
「合コンか…ちょっと楽しみかも」
「何が楽しみなの?」
「ヴィ、ヴィヴィオ!?」
 後ろから聞こえてきた有り得ない"はず"の声に、なのはは水を盛大に吐き出した。
「また、そんな格好して…親しき仲にも礼儀ありって言葉知らないの?ママ」
 振り返ると、黄と緑色のオッドアイ、なのはとそっくりの栗毛色の髪に涼しげな"黒い"キャ
ミソールとホットパンツ姿でプリンを片手に持った、高町なのはの養女"高町ヴィヴィオ"が呆
れたような表情でソファーの後ろに立っていた。
「ヴィヴィオ帰ってたの?」
「私の家だもん。居ちゃ悪い」
「駄目なわけ無いでしょ。でも、帰るなら帰るって、連絡くらいいれてよね」
 ヴィヴィオの素っ気無い声になのはは、昔は可愛かったと思いながら、脱いだスカートをい
そいそと拾い、親の体裁を取り繕うのに必死だった。
 まだ若いとは言え、パンツ丸出しで娘と親子の会話をする程なのはの神経は図太く無い。
 特にヴィヴィオは一度学校に帰ってしまうと、数ヶ月は連絡一つ寄越さない不肖の娘だ。
 ゴールデンウィークに一度帰って来た切り音沙汰無し。
 実に数ヶ月ぶりの再会だった。 
「でも、今日平日でしょ。学校はどうしたのよ。私サボりと遅刻は大学まで絶対許さないよ」
 別に大学になれば大手を振ってサボって良いと言う訳で無く、自分で責任が取れる年齢までは
、自重しなさいと言う意味合いなだけだ。
 眉を潜め説教モードに入る寸前のなのはをヴィヴィオは、溜息を付きながら苦笑する。
「ママ…学校とっくに夏休みだよ」
「…えっ本当?」
「こんなしょうも無い嘘ついてもしょうが無いでしょ」
「あー、もうそんな時期なんだ」
 なのは、愛想笑いで誤魔化すが、娘の視線が刺すように痛い。嘆息混じりで答えられればなお
更の事だ。

 最近仕事が忙しすぎてなのはは時間の感覚が殆ど無かった。隊の運営を一つ任されてからは、
休日などあって無いような物で、デスクワークに教導と文字通り息つく暇も無い生活をなのはは
送っていたのだ。
 恥ずかしながらなのはが、今が夏なのだと気が付いたのは仕事が一段落したのはつい最近の事
だった。
「だったら、ちゃんと帰ってきなさい。何も夏休みまで寮に泊り込む事ないでしょう」
「…今年の夏はサークルが忙しいから後半まで帰れないって、前帰ってきた時にちゃんと説明し
たでしょ…また忘れたの、ママ」
「にゃはは…そうだっけ?」
 語尾のママと言う部分にやたらと力が入っている。なのはは、娘にジト目で睨まれ、内心母親
の威厳消滅の危機を迎えていた。
 なのはは、上ずった声で誤魔化し、朧気な記憶を必死に思い出そうと努力する。
 そう言えばそんな事を言ってような気もするがあまり自信が無い。
 ヴィヴィオは無限書庫に顔を出す傍ら、美術部らしき部活に所属している。
 一分以上考えて、確か夏の初めか終わりの展覧会に出展するから、今年の夏は寮に泊り込むと
か何とか言っていた事を朧気ながらも何とか思い出せた。
 例え娘が呆れ気味でも、なのはは、久方ぶりの母親モードが嬉しいのか、不備を咎められてい
るのに口が緩むのを止められ無かった。
 なのはがヴィヴィオに母親らしく接する事が出来たのは、実の所ほんの一、二年の程度の期間
でしか無い。
 自立が人並み以上に早かったヴィヴィオは、物心がつき始める頃には、既になのはがヴィヴィ
オ教えて上げられる事は殆ど無かったと言っても良い。
 成長の早い娘を褒めるべきなのか、諌めるべきなのか、大いに悩んだ時期がなのはにもあった。
「で、それなら何で急に帰ってきたのヴィヴィオ?」
「キャロさんと今週末遊ぶ約束したのぉ」
(なるほど)
 なのはは、投げやり気味に答えるヴィヴィオに、年頃の娘と言うのはこうも親を蔑ろにする生
き物だっただろうか切に考える。
 自分がヴィヴィオと同じ頃を思い出して見るが、その頃既に次元犯罪者相手にドンパチやって
いた自分では比べる事も出来ないと、なのはは無意識に溜息をついた。
 ヴィヴィオとキャロはそこそこに年齢が近い。
 小さな頃は、キャロに良くヴィヴィオの世話を頼んだ為か、二人は本当の姉妹のように仲が良
い。こうして偶に連絡を取り合って友情を確かめ合っている事をなのはは"当然"知っていし、む
しろ、これを知らなければ本当に母親失格の烙印を押される所だ。
「で、でも、帰ってくるなら連絡くらい入れなさいヴィヴィオ。自由と勝手は違うんだから、そ
こは感心しないよ」
「昨日の夜に一回。朝に一回。昼に二回と電話三回。完全に無視したのママのほうでしょ」
「えっ嘘!」
 なのはが慌ててハンドバックから携帯電話と取り出すと、ヴィヴィオの指摘通り、不在着信と
未読メールが大量に届いている。
 目前に迫った危機に頭が一杯で、携帯を確認する余裕すら無かった。
「もう…それで、良く機械に強いって言えるよね」
「にゃはは、ごめーん」
「ごめんじゃ無いよ」
 ヴィヴィオは再度溜息を付きながら、ソファに腰掛け、プリンの封を切りテレビをつける。
 一通りチャンネルを回すが、お気に入りの番組が無かったのか、国営テレビのニュースに落ち
着いた。
「って、それ私の行楽堂のプリンじゃないの」
「一口ならあげるよ」
「あげるも何も私のでしょ。全くもう…その食い意地つっぱてるの誰に似たんだか」
「ママだよママ。はい、あ~ん」
「あ~ん」
 そんなわけ無いと思いながらも、なのは口を大きく開け、ヴィヴィオのお情けを受け容れる。
 口の中に甘い香りが広がり、舌の上を蕩けるような柔らかさが転がっていく。
「流石行楽堂。都内最高の甘味所の看板は伊達じゃないね」
「でしょう。だから、もう一口頂戴ヴィヴィオ」
「駄目。夜九時以降の間食は肥満の元だよ、ママ」
「ヴィヴィオもそうじゃない」
「私は若いし代謝高いから少々食べても問題無いもんねぇ」
「言ったなぁ」
「きゃあ!もう止めてよ」
 二人ソファの上でじゃれ合う様子は、親子と言うよりも年齢の離れた姉妹のような印象を受け
る。
「にゃああ」

 なのはが、ヴィヴィオの成長具合を確かめていると、リビングの奥から気だるそうな声が響
いて来る。金色の瞳に柔らかそうな黒毛。ピンと空に伸びた尻尾を左右に揺らしながら、一匹
の黒猫がリビングに入って来た。
 のしのしと我が物顔で歩く様子は、まるで、自分が世界の王様だと言わんばかりの風格だ。
「あれ、何この子?ヴィヴィオ拾ってきたの?」
「寮に住み着いてる子猫。皆で変わりばんこに世話してて、今週の当番私だから、連れて帰っ
てきたの。暫く家に置いといてもいいでしょ。カーゴもあるし、トイレもちゃんと躾けてるか
ら大丈夫だよ。それに週明けには帰るし」
「まぁいいけど」
 ヴィヴィオは、嘘や誤魔化しが嫌いな娘だ。
 なのはのマンションは、親子二人で住むには広すぎる物だし、別段猫の一匹や二匹住まわせ
た所でなんら不都合は無い。問題の下の世話も躾けられていると言うのだから、娘を信用して
もいいだろう。
「猫ちゃん。おいでー」
 なのはは、突然の闖入者に機嫌を良くしたのか、笑顔を浮べたなのはは、喉を鳴らし猫をあ
やそうと手を伸ばす。
 だが、誰にでも懐くと言った割には黒猫は、嫌そうな表情を浮かべなのはの手を避け逃げる
ようにテレビの上に飛び乗ってしまう。
「む…ヴィヴィオ。話が違うじゃない」
「私じゃ無くて、そいつに聞いてよね。って言うか、幾らそいつでも流石にママ相手じゃ嫌が
るか」
「どう言う意味よ」
「苛められると思ったんじゃない?」
「私、そんなに暴力的じゃ無いよ」
 それは今まで捕まえた犯人に聞けば分かる事では無いだろうか。頬を膨らませるなのはにヴ
ィヴィオは思わず苦笑いを漏らした。
「で、この子の名前は?」
「え、ふぉ、な、名前?」
「そう、名前。まさか名無しの権兵衛ちゃんじゃ無いでしょ」
「いや、まぁ、それはあるけど…ほら、名前って、ねえ」
「なんでどもるのよ」
 何気ない質問にのはずが、なのはの意に反してヴィヴィオの頬が盛大に引き攣った。目に見
えてうろたえるヴィヴィオをなのは怪訝な様子で見つめる。
 只一匹の黒猫だけが、その様子を愉快そうに見つめ、聞き耳を立てていた。まるで、ヴィヴ
ィオが困っているのが嬉しくて仕方ないと言った様子だ。
「スカリエッティじゃ無くて…スカリー、えーと、そうスカだよスカ!猫のスカ!」
 脂汗を垂らしながら、言葉を濁し答えるヴィヴィオになのはは、益々懐疑的な視線を向ける。
「飼ってるのに名前も決まってないの?」
「み、皆が勝手気ままに呼んでるから、固定されてないだけよ。そ、それにこいつ何て呼んで
も反応するんだもん。適当に呼べば言う事聞くわ」
「はい、この話題はこれでおしまい」とばかり、ヴィヴィオは会話を強引に打ち切り、テレビ
に視線を戻す。テレビにはちょうど今日の出来事の総集編が映され、やや納得がいかない表情
でなのはもヴィヴィオの隣に腰を下ろした。
『本日未明クラナガン第七空港で。ライスインダストリー製の工業用作業用ガジェットが、何
者かに強奪された模様です…』
「物騒だよね」
「本当。最近この手の事件多くて嫌になっちゃうよ」
「ママの職場は関係あるの?」
「今はまだ直接無いけど。戦闘でも起きれば出張る事になると思うよ」
「ふ~ん」
 ヴィヴィオは、なのはに興味を失ったのか、テレビに意識を戻す。
『現場には魔道師同士で争った形跡が有り。多数の銃弾と魔力行使の後が残されている事が認
められ、管理局は質量兵器禁止条約違反、強盗容疑、魔法法行使違反の多角的な捜査を開始し
ています。尚、現場の管理カメラには、黒い衣服を着た何者かが映っており犯人と関連性を含
め捜査を続行する模様です』
『元管理局員マメシバさん。今回の事件どう思いますか』
『全く不届き千万ですな。法と倫理を守る元管理局員としても、善良な一般市民としても』
『では、黒い衣服を着た人物についてはどうでしょうか。最近、この手のガジェット強奪事件
が起きると人知れず現れ事件に介入しているようですが』
 画面にテロップが現れ、犯人らしき人間と黒い衣服を着た人間が戦っている映像が流れる。
かなり遠距離から撮影されいるのか画像は荒く不鮮明だ。だが、時折見える橙色の魔力光と闇
夜を切り裂く蛍光弾の奇跡だけは鮮明に映し出されていた。

 尺度の関係もあるが、魔法を使う方は、随分小柄な人間だなとなのは思った。
 男よりも女。
 丁度隣で幸せそうな顔をしてプリンを頬張る娘のように華奢な体格だ。
 ニュースの中では、晩年に入り頭がとんと薄くなった元管理局員の辛口コメンテーターが、
誰に聞かせるわけでも毒と唾を撒き散らし、隣の議員秘書が露骨に嫌な顔して顔をしかめてい
る。
『論外だよ。論外。そいつが何者かわしゃ知らんが、魔法を管理局の承認無しに使い事件現場
に現れて颯爽と事件を解決なんぞ、』
「うっさいわねぇ。こっちだって好きでやってるんじゃ無いわよ」
「どうしたのヴィヴィオ」
「な、なんでも無い」
「にゃあ!」とタイミング良く鳴いた猫のオカゲで、ヴィヴィオの小言はなのはの耳に届く事は
無かった。
『ふん、怪しいのはどっちもおなじじゃ。一味とは思えんが、もしかしたら、こいつが先にちょ
っかい出したかも知れんぞ』
「嘘だぁ!いきなり撃ってきたのあっちなのに!」
 テレビに噛り付き大声で吼えるヴィヴィオだが、またもタイミング良く若干不機嫌そうに"大
きな"声で鳴いた猫のオカゲでなのはの耳に届く事は無かった。
『それは些か無茶な論理では無いでしょうか』
『兎に角勝手に魔法を使う事自体犯罪なんじゃ。正義の味方を気っ取る輩は、さっさと出頭せい
!』
『では、マメシバさん。この事件は』
『当然"渇"じゃ!』
 アナウンサーが持ったフリップに渇と大きく書かれたシールが張られる。用は怪しからんと言
うコメンテーターの意思表示のような物だ。
 一応逆のあっぱれシールも有る事は有るが、このコメンテーターが、あっぱれシールを張った
ことは無い。
「また、善意の民間協力者事件かぁ。嫌になるなぁ。誰だか知らないけど勝手気ままに暴れまわ
ってくれちゃって。後始末するこっちの身にもなって欲しいよ。犯人と一緒で一度じっくりお話
聞かなくちゃいけないかもね」
 過去、善意の民間協力者だった自分を棚上げし、なのはは気だるそうに溜息をつく。
「でも、ママ。人知れず事件を解決何て正義の味方みたいで格好良いじゃ無い」
「ぱっと腕は悪く無いけどね。質量兵器を持った相手に単身挑みかかる何て無謀もいい所だよ。
魔法は万能じゃ無いんだし、未登録の魔道師程危険な物は無いんだから。でも、ヴィヴィオ、な
んかこの人の事庇うよね」
「べ、別に、ほら、アレ、思春期の少女は悪い事に憧れるみたいな!」
「に"ゃあ"あ"!」
 冷や汗を垂らしながら慌てふためき、逃げるようにリビングを出て行くヴィヴィオに向け、"
スカー"と呼ばれた子猫は馬鹿にしたような鳴き声を上げた。 

 深夜、誰の居ないリビングでテレビの電源が入り、液晶が突然明滅を繰り返す。テレビは、何
かを訴えるように戦慄き悶え、雄叫びのようなノイズを撒き散らす。
 チャンネルがひとりでに切り替わり、徐々に速度を上げながら高速で巡回し始める。
 やがてチャンネルは、速度を落とし一つの番組で固定された。深夜にやっているロボットアニ
メで、やたら頑丈そうな巨大ロボットが映し出されている。
 その様子を猫のスカだけが、面倒臭そうな瞳のまま現実に起こった怪現象を見つめていた。
 その晩、件の深夜アニメは、クラナガン都内で瞬間最大視聴率が九十パーセントを超えた。