RePlus_閑話休題三幕_エピローグ後編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 17:27:29

「家にも帰らず、シン君家に直行って、何か順番可笑しいような」
「いいじゃない…帰り道なんだし。お土産渡しに行く手間が省けるでしょ」
 長い旅行を終え、午前中に駅で解散したティアナ達は、実家にも帰らず八神家の道
のりを二人で淡々と歩き続けていた。
 両手にはお土産を山程抱え、カートをコロコロと転がす様子は、旅行帰りと言うよ
りもバーゲン帰りか何かに見える。
「それとも、アンタは行きたくないの?」
「ううん。行きたい」
 ティアナは、スバルへ振り向き不機嫌そうに話すが、何処吹く風とにへらと相貌を
崩すスバルにティアナは頭痛を覚える。
 嫌味を一切含まず、何故こうまで明け透けな好意を隠す事無く表に出せるのか。
 ティアナは、スバルと一度真剣に腹を割って話し合いたいと願うが、親友との間に
これ以上割る腹は無いと思い直し、スバルの純粋無垢な思いに複雑さを感じてしまう。
(…いいなぁ)
 自分もスバルのようにもう少しだけ素直になれれば。もう少しだけ積極的になれれ
ばと自問自答するが、実践できれば苦労は無い。。
 いざ当人を前にすると照れくささと意地っ張りな部分が先に出てしまい、今一歩素
直になりきれないのだ。
「私も大概よねぇ」
 結局の所、親友にもシンにも甘いのだとティアナは思う。ティアナに親友や幼馴染
の義姉を蹴落とす腹黒さが一欠けらでも存在していれば、あっと言う間に勝負が付く
話であった。
 しかし、ティアナは、そんな事をするつもりは毛頭無かったし、ヤルならヤルで真
剣真っ向勝負の気概で望んでいる。
 単純にシンと親友と選びきれていないだけかも知れなかったが。
「…重症だわ、私」
「何が?」
「こっちの話よ、こっちの」
 八神家まで我慢出来なかったのか、それとも小腹が空いたのか。
 スバルは、トートバックの中から"自分"用の饅頭を取り出し、いそいそと口に放り
込み始める。
 饅頭には印刷された、函館銘菓"鴉と梟"の文字に、ティアナは、考えるも馬鹿らし
くなり、スバルの饅頭を一つ拝借した。
「あっ、ティア、やめてよ。今の行儀悪いよ」
「はいはい。ごめんあそば。でも、立ち食いも十分行儀悪いわよ」
「むぅ。へりくつだよ」
 餡子の甘い香りが鼻腔に広がり、大きすぎる小豆が水分と根こそぎ奪う。
 ティアナもスバルに言われるまでも無く、家族を通り越し、幼馴染の家に行くのは
間違っているのは分かっている。
 分かっているが止められない。
(やっぱり明日にしよっか…でも、お土産腐っちゃうし)
 饅頭が昨日今日で腐るとは思えないが、八神家へ行く最もらしい言い訳を考えてい
ると、気が付けば体は八神家へ向っているたのだから、尚始末に終えなかった。
「ティア、雨だよ」
「嘘、もう?」
 天気予報では、夜から雨だと言っていたが、どうやら降り出しは思いのほか早いら
しい。
 先刻まで晴天だった空が、暗くなり、ポツリ、ポツリとアスファルトに斑模様を付
け始める。
 すれ違った会社員がビジネスバックを頭に被せ、急ぎ早に走りだすのを見て、ティ
アナも足を速めた。

 まだ、降り始めで雨の勢いは強くないが、直に本降りになるだろう。体もお土産も
濡れるのも嫌だったが、風邪をひいて、来週の連休に三人で遊びに行く予定をふいに
する方がもっと御免だった。
「スバル、走るわよ」
「ふぁふぁった、ふぃあ!」
 ティアナの合図につられてたスバルは、残った饅頭を口の中に纏めて放り込み、テ
ィアナの後に続く。二人は、小雨の中をカートとバックをガチャガチャと言わせなが
ら走り続け、ティアナが、スバルにも負けない意外な健脚を見せ付ける中、
「あれティアとスバルやん、こんな所でどないしたん?」
「はやてさん?」
 後ろから聞こえてくる意外な声で、全力疾走を中断した。
 走り出して数分で、赤信号で停車するはやてに会ったのは、天の采配と言わざるを
得なかっし、二人が、後部座席の食材を押しのけ、車に身を滑り込ませるのと、雨が
本降りなるのはほぼ同時だった。
 ボンネットを叩き付ける音が響き、雨の勢いはティアナが思っていたよりもずっと
強く、雨はあっと言う間に豪雨に変わり、はやては、ワイパーを強にしてスピードを
緩めた。
「間一髪だったな、ほら、二人共タオルだ」
 シグナムが助手席からひょいと顔を覗かせ、ティアナにタオルを手渡す。
 タオルから匂う香水の香りに、僅かな敗北感を覚えながら、ティアナはスバルの頭
を乱暴に拭った。
「痛いよ、ティア。もっと優しくしてよ」
「うっさい。馬鹿スバル」
 妙に艶っぽい声を出すスバルにティアナは、顔を引き攣らせ手の力を"緩めた"。
 シグナムは、じゃれ合う二人に忍び笑いを漏らし、視線を前方に戻す。フロントガ
ラスには、大粒の雨が降り落ち洪水のように流れ落ちていく。
 降り始めた雨は、止まる勢いを知らぬのか、南国のスコールのように激しく降り続
く。
 空は薄暗い雲が渦巻き、雷が鳴り響き、風が巻き上がれば立派な嵐が出来上がる。
「まるで、嵐やなぁ」
「ええ、まるで、台風です」
 車内に何とも形容し難い微妙な間が流れる中、嵐の中心地にわざわざティアナ達四
人を差し向ける神様は、人、いや、"神"が悪いにも程があった。

閑話休題三幕 EP/Project"F"IANCE
"無用なりても運命故に-RePlus If…Ⅲ"

「いい加減服を着てくれ」
「着てんじゃねぇか」
「それを世間では服を着たとは言わないんだよ」
 場面は、リビングから所変わって和室に移動していた。
 日本かぶれのシグナムが時たま茶を立てる時以外使われず、八神家の中で最も使用
頻度が低い場所で、深刻な話をするのに持って来いとも言える。
 普通茶室、和室となれば、和の心を彷彿させるように静謐な空気が流れている物だ
が、実際には、ピリピリとした空気が充満し爆発寸前の火薬のような有様だった。
 シンは、苦虫を磨り潰したような表情で、上座に座るヴィータ一家を、先刻の自身
の痴態を誤魔化すようにじっと見つめ続けた。
 気が動転していたとはいえ、素っ裸で談笑していたと考えると正直に言えば死にた
くなる。
「うっせえなぁ、ったく」
 何度言い聞かせても全く服を着ようしないヴィータに、喧々囂々の論争の末に自分
のYシャツを強引に着せたのだが五分前。
 何故話し合いの場を設けるだけで、こんな労力を使わなければならないのか。これ
からの内容を考えるだけで、シンは暗澹たる思いにかられた。
「あたしは魔女だ」
「それはさっきも聞いた」
 口調こそ柔らかいが、苛立っているのか、口腔から飛び出た言葉は棘があった。
 だが、ヴィータは気を悪くした風も無く、苦笑い一つ漏らしただけ場を流した。 
 それよりも服を着せられた事が余程不愉快だったのだろう。ヴィータは、頬を膨ら
ませ、眉毛を"へ"の字に曲げ、シンを睨みつけている。ヴィータの不貞腐れた態度だ
け見れば歳相応の
少女に見えるが、中身は全く別物だと言うからシンの理解を超えている。
 緋色の一族。
 太古より存在する超常の力の使い手。
 空想上の人物、仙人や魔女が緋色の一族に当たり、ヴィータもその一員だと言う。
 人類よりも遥かに以前から存在し、時と場合によっては人類を導く役目を担ってい
た、らしいが、競技場の乱闘騒ぎを思い出すと、ヴィータが高名な賢人にはとても見
えなかった。
「ヴィータ・イクシプロジアでいいんですね」
 身形は小さな少女だがヴィータの年齢は約二百歳らしい。
 飽く迄自己申告に過ぎないが、二百年前と言えば、時代は明治幕末真っ盛りで、日
本中喧々囂々の戦争だらけの時代だ。
 そんな時代に生まれれば、好戦的な性格に育つのも無理からぬ事と思えたが、シン
は、ヴィータの破天荒で攻撃的な性格は絶対に"素"だと思っていた。
「苗字は偽名だからな。好きに呼びな。なんなら、サンダーボルト、アースクエイク
、ゴットファーザーでもいいぜ。」
 古来から男子が恐れる物として、地震、雷、火事、親父が上げられるが、それを偽
名に使うヴィータのセンスは素っ頓狂を通り越して間違っているいるとしか思えない。
 いや、この際ヴィータのセンスについては言及しまい。そんな些細な事よりもシン
には、問質したい事が山程ある。
「質問いいですか?」
「いいぜ、この際だ。全部答えてやる」
 短い付き合いだが、目の前の少女は酷く短気で気まぐれだ。
 理性よりも本能。口よりも手が先に出るタイプな事は、ヴィータの行動パターンは
昨晩の襲撃で骨の髄まで染みこまさせられたシンは、役宅の無い頭痛と共に頬を引き
攣らせた。
 昨晩のような事など、この先二度も三度もごめんだが、同じような事があってとし
て、また質問に答えてくれるとは限らない。
 今はヴィータの気まぐれが起こした、たった一度きりの好機と割り切って望んだ方
が良さだったが、そもそも全部と答えてやると言われても質問する方も逆に困ってし
まう。
 聞ける内に真実を聞いて置きたいと思う反面、絶対に聞きたく無いと思う緊張感が
、シンの良心を縛り、心中に圧責とも呵責とも取れない曖昧な感情が支配していた。
「姿形が違い過ぎませんか?」
「ああ、そっちか…お前なぁ、あたしが言うのもなんだけど、もっと他に聞く事ある
だろ」
「…それはそうなんですけど」
 いきなり本題に入ると、聞きたくも無いような驚愕の真実が炙り出されれて来そう
で、シンは、弱腰と自覚しつつも比較的ダメージの少なそうな話題から入る。
 藪と突いて大蛇を出すにも前準備は必要だ。
「まぁ確かにそこが一番分かり易い疑問か」
 てっきり、刻印や緋色の力について質問されるとばかり思っていた為か、シンの意
外な質問にヴィータも出鼻を鮮やかに挫かれてしまう。
 身体的な特徴が一番分かり易いとは言え「そこから行くのか」と言った風にヴィー
タは、眉を厳かに潜め、バツが悪そうに視線を逸らした。

 確かに血を吸っただけで、見た目二十代後半の女性が、一瞬で少女、いや、幼女に
まで等級が落ち込んでしまうのは、通常ならば在りえない事だ。
 "素人"に緋色や刻印の事を理解して貰う上でも、話の導入部としては悪くは無かっ
た。
「…緋色の一族はな、生まれる者じゃないんだ。成る者って言うのか?気が付いたら
、そうなってった言った方が正しい」
「成る?生まれるじゃなくて、成る?」
「そうさ、成るのさ。"鯨"から分化あたし達は、成る生物だ。もう良く覚えてないけ
ど、あたしが緋色になったのは、確か九歳か十歳の時だったな」
「鯨?」
「あたしも良く知らねぇ。でも、あたし達は空を飛ぶ鯨から成ったんだ。そう聞いて
る」
 遠い記憶を手繰り寄せているのだろうか。ヴィータの表情に郷愁の念が見え隠れす
るが、アスファルトに溶ける霙のように直ぐに消え、僅かばかりの後悔が表情に浮か
び上がって来る。
 だが、それも一瞬の事。
 後悔も諦念も忘却の彼方に置き忘れてのか、ヴィータは、景気づけに湯飲みを空に
し、猛禽のような鋭い視線をシンに送った。
「緋色は生まれた瞬間が、存在密度、魔力、その他諸々が一番安定してる。緋色にと
っても"老い"は"劣化"と同異議だ。だが、普通の人類は、新陳代謝が低下して細胞活
動の停滞が肉体と精神の劣化に繋がるに対して緋色は、緋色に成った瞬間から遠ざか
る事を老いと呼ぶわけだ」
 ボリボリとクッキーをリスのように頬張る。ヴィータの口の端々から毀れる食べか
すをエリオとキャロが必死に拭っている。
 これではどちらが親か判断に分かったものでは無い。
「はぁ…なるほど」
 シンは、ヴィータの自由人っぷりを極力見ないように心がけ、ヴィータのペースに
飲まれまいと必死に頭を働かせ続ける。
 ヴィータの話を信じるか信じない。そう問われれば、シンは、間髪入れず信じると
答えるだろう。
 しかし、決意や理解も常識の埒外とばかりに、シンは、変わらずと生返事を返し続
けていた。
 シンは、ヴィータの話を信じてる。
 荒唐無稽であまりに現実ばなれした話だが、緋色の現物が目の前に居るのだ。
 信じざるを得ないし、ヴィータの運動能力は、常人の物と一線を画している。
 疑うなと言う方が無理だ。
 しかし、シン・アスカの理性と今迄生きて培ってきた常識が、真実の狭間に揺れ動
き"緋色"と言う、生きた現物、目の前でセンベエ片手に踏ん反り返るチンマイナマモ
ノを全力で否定していた。
 緋色の一族とは、シンの認識で戦う者だった。
 暴力で安息を掻き回し人々を傷つける存在。
 その点で言えば、ヴィータも赤い兵士達も同じだったが、ヴィータは成り行き任せ
とは言えシンの命を救ってくれた恩人だ。 
 彼女と冷徹な殺人マシーン達を一緒くたに括るのも失礼な気がした。
「ここまで、疑問はあるか?」
 疑問に思った事はそれこそ、星の数程ある。しかし、星であるが故に常人には手が
届かない、理解の範疇が及ばないのだとシンは割り切り、ヴィータに続きを無言で促
した。
 眉間に皺を寄せ渋面を作るシンを真剣に聞いていると勘違いした、ヴィータは更に
話の速度を上げていく。
「生物の規格から外れてるって言っても、あたし達は列記としたナマモノなんだ。"
栄養"を取らないと腹も減るし年月を重ねれば老いもする。大体分かって来たと思う
が…よ。あたしの姿が子供に戻ったって事は緋色としての栄養が満たされたって事だ

「つまり、俺が、その緋色の一族に必要な栄養な…わけですか。だから、俺と契約し
たって事ですよね」
「正解だ、シン・アスカ。案外飲み込みが早いじゃねぇか」
 ヴィータは満足そうな様子で、相槌を打ち、ポットから注がれた煮えたぎるお茶を
一気に飲み干し、口の両端を吊り上げ嗜虐的な笑みを浮かべた。
「緋色は人間が取る栄養はまるで意味がねぇんだ。趣向品として食事はするが、それ
は趣味であって生命活動に絶対必要な物じゃねぇ。あたし達の生存に必要なのは、超
高密度に圧縮された緋色にとっての栄養素の塊。それを宿す人間が、生命の水、エリ
クサー、第五元素なんて言われて昔から崇めたてられたわけだ」
 湯飲みが机に力強く叩き付けられ、衝撃でシンの湯飲みも宙に舞う。慌てて湯飲み
を拾うが、案の定中身はこぼれ後の祭りだ。
 シンは、嘆息し湯飲みの底に残った僅かなお茶を喉に流し込んだ。

「この姿は力が安定してる代わりに、酷く燃費が悪い。緋色は、継続的に栄養を補給
しなけりゃ劣化し続ける。元の寿命が馬鹿長い分、容姿が老いる速度は緩やかだが、
力の方はそうはいかねぇんだ。力を抑えないとあっと言う間にガス欠あぼんだ」
 例えるならば、緋色は燃費の悪い高馬力の車だ。固体性能は、他車種の追随を許さ
ないが、性能を維持する為のコストが必要となる。
 ヴィータは愉快そうに、左手でボンと爆発するジャスチュアーを取るが、実際はも
っと深刻なのでは無いか。
 シンには、一度燃料が尽きればどうなるか、想像でしか補え無いが、昨晩の必死さ
を考える限り言葉程愉快な事になりそうに無かった。
「大人のアタシは力を抑えた状態。必要最小限の構成要素で出来た、ぱそこんのせー
ぶもーどって奴か?」
「ヴィータさん、セーフモードですよ」
「細かい事は気にすんな。女にモテねぇぞ」
「エリオ君は今のままでいいです」
「きゃ、キャロさん」
「熱いねぇ」
 熱っぽい視線を送るキャロの視線に、エリオは顔を引き攣らせ顔を逸らした。シン
は、小芝居を始めたヴィータ一家に呆れ、せめて自分だけは、深刻な態度で居ようと
改めて姿勢を正した。
「なんで俺なんです」
「んだ?」
 知らず知らずの内に語気が強くなったのだろう。怒気を含んだエリオが辛そうな表
情を作り、声に怯えたキャロの肩が大きく揺れた。
 そうだ。
 結局のシンの疑問は所それに尽きた。契約や緋色の一族もどうでも良く無いが、今
は捨て置く。大事な事は、そんな大それた存在が何故"自分"であるかと言う一点に尽
きた。
「俺、普通の人間ですよ」
 そう思っているのは本人だけなのは皮肉としか言いようがない。
 シンは普通の人間では無い。遺伝子を調整され産まれた人間だ。どんな副次効果が
あるか未だ検証段階で、人類にとっては未知なる存在に進化する可能性あった。
「そんなこと…しらねぇよ。あたしが緋色であるのとお前が生命の水かどうかは、ど
うでもいいんだよ。それはお前に取っても同じだろ」
「それは、そうだけど」
「あたし"達"に大事なのは、お前個人じゃ無くて、生命の水の保持者である事実だけ
だ」
 出会ったばかりのヴィータにシン個人の意義を認めて貰おうとは思わない。しかし
、必要なのはシン・アスカでは無く、身の内に秘めた秘密だけだと断言されれば多少
なりとも傷つく。
 シンは、臆面も無く顔を顰め、内から湧き上がって来た怒りを隠さず、ぶちまけた
い衝動に駆られる。
「そんな無責任な。そっちの勝手で俺の人生滅茶苦茶にする気かよ」
「だから、契約何ていう面倒くさい儀式があるんだよ。お前はあたしに血を分ける。
その代償として、あたしはお前に力を与える。力ってのは、あたしを自由にする権利
だ。等価交換って奴だな。錬金術の基本。聞いた事位はあるだろ」
「錬金術って。あんた、魔女じゃ無かったのかよ」
「馬鹿だなお前、現代化学の基礎を築いた錬金術と魔女の関係は切っても切れないん
だよ。ぶっちゃけ本筋には関係無いけどな」
 あまりにあまりな言い方にシンはがっくりと項垂れ深い溜息を付く。
 まるで、意に返して居ない。自身を規格外の生物を称するだけあって、シンは、自
分とヴィータの考え方にズレを感じてしまう
 ズレは互いを隔てる致命的な物では無いが、根っこの部分に決定的な断絶があるよ
うな気がしてならない。
 いや、むしろ、正常な思考の持ち主はヴィータであり、ズレているのはシン自身な
のかも知れない。
 死ぬ思いにあったと言うのに、昨晩の出来事がまるで、さも当たり前のような気が
してならない。
 四年前身を削り引き裂くほどの絶望に翻弄された過去を持ちながら、危機感の欠如
や現実感の喪失なのでは無く昨晩の戦闘に妙な懐かしさを覚えていた。 
 人間は慣れ、学習する生き物だが、シンの対応力は度が過ぎている。
 まるで、命の奪い合う戦場こそが、自分の生きる世界なのでは無いか。
 そう考えると何かが胸の奥にストンと落ち、欠けたピースが埋まる感覚を覚え、背
筋に薄ら寒い衝動が走りぬけた。
 シンは被りを振るい、薄ら寒い衝動を振り払うように、赤い瞳を輝かせた。
「いやぁ、またまたぶっちゃけると、何処の馬の骨とも知らねぇ奴と契約するなんざ
、真っ平御免だったからな。お前の血だけ目当てだった。面倒なら力ずくで言う事聞
かせるつもりだったんだよ。精神的に屈服と言うか」

「屈服って、あ、あんたぁなぁ」
(サディストだ。こいつ完全なサディストだ)
 だが、ヴィータの前には、シンの決意など微塵も役に立たないのか、目を細め鼠を
甚振る猫のように微笑む様子は、まさに絶対無敵な女王様の顔である。
 あっけらかんと告げるヴィータに、巻き込まれた理不尽さも死に掛かった怒気も、
ヴィータの豪快な態度を前に、空気の抜けた風船のように萎えて行くのを自覚し、シ
ンは苦笑一つ漏らして気分を改めた。
「折角あたしが屈服"無し"で契約してやったんだ。光栄って事を実感しろよな」
(まぁ本当はそれだけじゃないけどな)
 緋色との血の契約は、口約束だけの稚拙な儀式では無い。
 契約とは、緋色が契約者に対して文字通り全てを賭けて望む一世一代の儀式だ。
 契約者の血を体内に取り込んだ緋色の体内では劇的な変化が起こる。
 詳しい理屈もヴィータにも分からない。比喩的な表現になるが、契約者の遺伝子デ
ータが血を媒介にし緋色の魂に焼き付けられると言うべきか。
 簡単に言えば緋色に対する絶対上位権限が契約者に与えられ、緋色の統べてを己の
自由に使役する事が可能だった。
 契約した緋色も、契約者の命令を遵守する事を無意識化に刷り込まれて、主の命に
従うようになる。
 しかし、それは契約者が自覚しなけば始まらず、血の呪縛に関してはヴィータの契
約不履行と言えた。
「契約って言われても実感なんか。精々血を吸われたくらいっで」
 それこそが契約の最も重要な因子なのだが、当の本人は知る由も無い。
 ヴィータの唇の感覚が鮮やかに蘇る。吸血と言う本来ならば忌避する行為も、首筋
と全身に感じた柔らかさは本物だ。
 胸元に感じた、押し潰されだかりに圧迫された胸。縮まった比較対象が、陥没、も
とい、虚乳になったからこそ、余計にリアルに感じられる。
「なんだ?顔赤くして、熱でもあんのか」
「いや、無い、で、です。だから、お構いな……く」
 内心の動揺を悟られまいと必死に話題を逸らすが、上手く言葉が纏まらず口篭る。
 伏せた視線の先には、肌フィルターを張っていない生の義手がシンを見上げ、主の
動揺を情けなく思っているのか、無骨なモーターの駆動音がいつもと違い茶化すよう
にリズミカルに鳴った。
「…そう言えば、俺の義手壊れたはずなのに」
 無機物に助けと求めるなんて重症だと、更に思考の海に沈もうとした矢先に、シン
は、ふと、妙な事に気が付いた。
 シンの記憶が確かならば、義手はヴィータとの戦闘で完璧に破壊されたはずだ。
 少なくとも、駆動部は完全に逝かれてしまい、下手をすれば外面部含め、人口筋肉
を含めた内部品も総取替えの大損害だったはず。
 しかし、シンの義手は傷一つ無く、まるで、新品同然のように光り輝いている。整
備点検は欠かす事は無かったが、四年も使っていれば、生活汚れや細かい傷の類は必
ず付く。だが、無骨なニビ色の義手は、今始めてシンと"出会った"ように、上機嫌に
微笑んでいた。
「あぁ、"そっち"は本当に知らねぇな。気が付いたら綺麗さっぱり直ってやがった。
一体その義手なんなんだ?」
「なんだって言われても。義手は義手だし。試作品だった事くらいしか」
 シンは、そっちでは無い方が非常に気になったが、義手の事で心当たりは本当に無
かった。
 オーブを出る時に、医者に付けて貰った以外別段変わった事は無い。
 試作品を銘打った割には、使用部品も整備マニュアルも、市販されている義手と全
く同じで目立った差異は無い。
 誰にでも使えるようにと、その筋で有名な技術屋が作ったらしいが、当時機械工学
にあまり興味は無かったシンは、テロのショックと合い間って技術者の名前を聞き流
していたし、テロ被害者のオーブ政府の口止め料だと邪推し、義手にあまり良い印象
を持っていなかった。
 しかし、やはり、人間とは慣れる生き物なのだろう。
 あれほど快く思っていなかった義手にも、年月を重ねれば愛着も沸いて来る。
 シンの後悔の象徴とも言える義手は、今では生活に欠かせない大事な相棒となって
いた。
「ふ~ん」
 だが、ヴィータは、シンの義手に思う所があるのだろう。義手に訝しげな視線を送
るが、やがてそれも飽きたのか、キャロにお茶のお代わりを所望する。
「まぁいいや。で、そろそろ質問は終わりか、シン・アスカ?」
「まぁ。多分」
「多分ってなんだ、多分って。」
「刻印とか、まだ聞いてないんだけど。
「あぁ…そっちな」

 ヴィータに「面倒くさいからパス」と手で遮られ、シンは行き場の無い遣る瀬無さ
に存分に振り回される。当の本人は露ほども気にして居ないのが、また、気の毒だっ
た。
「キャロ、お茶煎れてくれ」
 キャロは手馴れた手付きで、ヴィータとシンの両方にお茶を注いでくれた。シンは
、ありがとうと会釈するが、キャロは、お化けでも見たように顔を青くし、ヴィータ
の影に隠れてしまう。
 全裸ショックは、まだまだキャロとシンの間に暗い尾を引いているようだ。
「すいません。彼女人見知りが激しくて」
 キャロの代わりにエリオが謝るが、ここまで明確に拒絶されてはシンの立つ瀬が無
かった。
 シンは、引き攣った愛想笑いを浮かべお茶を濁した。
「駄目だぜキャロ。仮にもあたしのマスターだ。怖いのは分かるが、もうちょっと愛
想良くしな」
「…ごめんなさい、ヴィータさん。気をつけます」
 キャロは、ヴィータに促され蚊も殺せないような小声で謝るが、好意的に見てくれ
ているとは考え難い。 
 シンは、元々手放しで子供に好かれるタイプでは無かったが、こうまで警戒心を先
出しされれば、もう少し自分のキャラを再考したくなる。
「あぁ、あの目か。あの目そうだよな。お化けみたい。ほら、兎さんだと思えば怖く
ねぇだろ」
「赤いのは生まれつきだ。そんな事言ったら、あんたなんか全身赤いだろ」
ヴィータが赤いのは髪だけだが、売り言葉に買い言葉か、密かなコンプレックスで
ある赤い瞳を揶揄され、シンの頬が羞恥で朱に染まった。
 ルビーのように赤く輝く瞳は、友人知人が神秘的と捉える反面、見知らぬ他人から
は、からかいややっかみの対象になる事も少なく無かった。
 悪意からでは無く友人の純粋な悪戯心からだったが、文化祭の喫茶店でシンだけウ
サ耳をつけさせられ接客させられたのはある意味嫌がらせだった。
 評判も上々だっただけに尚の事、プライドが甚く傷ついたのを覚えている。
「緋色なんだから、赤いのは当たり前だろ、馬鹿かお前」
「ああ言えば、こう言う!」
 ここまでくれば、押し問答では無く屁理屈の言い合いである。残念な事に本音で生
きているシンには、この手の勝負事はトコトン弱かった。
 口より先に手が出るヴィータも似たようなモノだが、そこは亀の甲、年の功と言う
べきか、要所要所を突いた激しい口撃には思わず舌を巻く。
 シンは、二言、三言言葉を交わす内に、あれよあれよとヴィータに押し込まれ、机
の上に頭を突っ伏す事に相成った。
 顔を上げずとも分かる。
 ヴィータは、猫のように瞳を細めシンを嘲笑っているんだろう。
 シンは、その顔を見るのがまた悔しく、歯噛みしながら己の語彙の少なさを呪い、
机の冷たさと敗者の哀愁を額で感じるのだった。
「あたしに口で勝とうなんざ、百年早いんだよ」
「悪かったなぁ」
 視線だけを上にやると、案の定ヴィータの勝ち誇った顔が目に映る。表情だけ切り
取れば、齢二百年を生きた魔女とはとても思えず、歳相応の少女のような気がしない
でもない。
 しかし、瞳の奥に見え隠れする愉悦の光は、人生の甘さも辛さも身を染みて体験し
て得た、老獪とも呼べる"おちょくり方"だ。
 些か大げさだが、ヴィータはシンの一枚も二枚の上手の"大人"と言う事に違いない。
 それもダース単位でだ。
 シンは、「もう、本当に好きにしてくれ」とヴィータ一家に白旗を掲げ、完全降伏
を屈した時、空腹に耐えかねた腹の虫が声高に抗議の声を上げた。
「こんな時でも腹は減るのか」とむしょうに情けなくなるが、生理現象相手に怒って
も始まらない。
 不貞腐れたように突っ伏し、シンの腹の音を聞いたヴィータは苦笑し、エリオとキ
ャロに昼食の用意を伝えた後、自分は、最後に残ったお茶菓子を口に放り込んだ
「じゃあ飯だ飯だ。マスターもあたしと一緒でお頭の容量あんまり多くないだろ。考
えたって始まらない時は何したって始まらないって。困った時は食ってから考えよう
ぜ。わりぃが冷蔵庫の中身勝手に使うぜ」
「好きにして下さい。自慢じゃないけどまともな材料は入ってないですからね」
「お構いなく」
 シンの素っ気無い一言にどんなユーモアが秘められていたのだろうか。キャロは不
貞腐れるシンを見て、微苦笑を漏らし、エリオを連れ立って台所に駆けて行く。
 がちゃがちゃと食器を用意する音が聞こえ来る。シンは、二人の米を研ぐ音に耳を
傾けながらこれからの事を考え始めた。
 これからと言っても、ヴィータや謎の兵士達を巡る陰謀論では無く、指し詰まって
考えなければならないのは、ヴィータ一家をどうやって家主に説明しなければならな
いかだ。
 人の良いはやての事だ。

 真剣に説得すれば、まず許して貰える。それは確信出来る。しかし、自分が面倒と見るからと
言っても犬や猫では無いのだ。
 簡単には行かないだろう。
 何しろ三人とも成り立ちどうあれあの背格好だ。小学校に通わせなければならない、その場合
の学費はどうするのか、等々、これこれと、考え方が現実的過ぎる。シンに新しい妹と弟が出来
たと喜び勇める性格ならばもっと楽な人生を送れただろう。
 シンは「ああだこうだ」と文句を言いながらも、ヴィータ達を既に自分の身内と割り切って思
考している。これが、悪癖と映るか美徳と映るかは主観の問題だが、考えてる最中もヴィータの
方を一切見ないのは、シンのささやかな抵抗と言えた。
「元気出たかマスター?」
「…いけしゃあしゃあと言ってくれるよ」
(もしかして、フォローされたのか、俺)
 こちらの悩みを見透かされているののか、苦笑交じりで声をかけられる所を見ると、見透かさ
れているのだろう。
 GZZ(ガサツ、ズボラ、ズサン)なヴィータには言われたく無かったが、言い合いをしたお
かげで気が晴れたのは確かだ。
 思考の泥沼にはまって、鬱憤ばかり溜まるよりはずっといい。
「あんたも食べるのか?」
「いんや。あたしは飯は食えるけど、取っても取らなくてもどっちもで言い。食事は代替物でし
かないからな。あたしの本当の食事は」
「…俺の…血だよな」
「イグザクトリ!そんなわけでさっさと寄越せや」
「寄越せなじゃないだろ!さっきから異常に腹が減るのはなんでだろと思ってら、アンタ昨日の
晩に目茶目茶吸ったのが原因だろ。体が真剣に重いんだよ」
「馬鹿だな。血吸われたら栄養無くなるだろ。無くした栄養を食事で補給する。これ程合理的な
考えはないだろ。それに若いから直ぐ"直る"だろ」
「治ってないから文句言ってるんだろ!」
「五十年ぶりの食事だったんだよ。男ならケチケチせずに"血"の一滴や二滴吸わせろや。減るも
んじゃあるめぇし!」
「減る。確実に減る!」
「ごちゃごちゃ煩せぇな。契約したんなら"使い魔"の食事くらい用意しやがれ」
「クーリングオフだ!そんなのクーリングオフだ!」
「んなもんあるかよ!」
 ヴィータは、シンへと大砲の弾のように飛び掛り、そのまま力任せに押し倒しにかかる。
 見掛けは小さくなったが、馬鹿みたいに強い膂力は健在で体が小さくなった分小回りが効き、
非常に避けにくく、その上動きは弾丸のように素早い。
 文字通り目にも止まらぬはずのヴィータの突撃を目で追えただけでも、賞賛に値するが、追え
ただけで反応出来なければ是非も無い。
 憐れなシンは、ヴィータの突撃に負け、衝撃で襖を付きぬけ廊下まで弾き出されてしまう。
「いってえ、何するんだよ」
 シンは、廊下でしこたま頭をぶつけ、目蓋の裏で青白い火花が散った。
「へへへ、堪忍しな」
 いつの間に馬乗りになったのか。吊り上げた口端にヴィータの鋭い犬歯が光り、吸血の痛み
よりも、背中を駆け上ってくる猛毒のような甘さにシンの体が無意識に震えた。
 体の何かを根こそぎ奪われる不快感と満たされる高揚感。相反する二つの感情がせめぎ合い、
絡み合い、甘い痛みを伴った心底を蹂躙していく様子は筆舌に尽くしがたい。
 あんな"痛み"を何度も味わっては、癖になってしまうかも知れない。
 シンは、首輪を嵌められ、ヴィータに顎で使われる未来を想像し顔を青くさせた。
 しかし、シンのイケナイ"妄想"よりも実に事態は指し詰まり、逼迫している。
 何が一番不味いか。それはヴィータの格好だ。
 ヴィータは、シンが学生の時使っていたYシャツを一枚羽織っただけだ。
 シンのYシャツは激突の衝撃で胸元まで捲れ上がり、最早衣服としての用を成していなかった。
 そんな状態で馬乗りになられれば、ヴィータの桜色のポッチと桃色の秘部が嫌でも目に入っ
て来る。

 画像や動画などで見る事は多いが、シンは、初めて見る女の秘部に気圧され、羞恥よりも気
後れが先に立った。
 しかし、体は正直な物で、飛び込んでくる刺激的な映像に、ジーンズの奥に張りを覚えたシ
ンは、この世で最もリビドーを刺激しない存在、アスラン・ザラを思い浮かべ、血流が下腹部
に集まるのに必死で抗っていた。
(拙い、これは拙い)
 拙い拙いと連呼しても、ヴィータの拘束は一変たりとも揺るがない。シンよりも二回り以上小
さな手がシンの肩を万力のように抑え付け離さない。
 何が不味いか分からないまま、予言にも似た直感が脳裏を霞め最悪の映像を喚起させた。
 案の定と言うか、神様はしょうもない事で場の空気を読みすぎる程読んでくれた。
 聞きなれた声がドアの向こうに聞こえ、お嬢様方四人が集まり、姦しい雰囲気を漂わせ
和気藹々とした声が響き、その中で函館た展望台と言った言葉が聞こえてくる。
(修学旅行だよな、そりゃ楽しいよな)
 漫画のように波乱万丈な修学旅行では無かったが、シンが経験した旅行も楽しかった。
 女っ気は全く無かったが、夜の会話など一晩で語りつくせぬほどあった。ティアナ達の会話
も弾んで当然だ。
「「「「ただいまー」」」」 
「…お、おかえり」
 シンの葛藤を他所に扉は無常にも開かれ、シンの姿を見た四人の楽しそうな声は即座に断絶
した。
 まさに世界が凍りついた瞬間だった。
 絶対零度よりも遥かに冷たい冷気が、ドアから流れ込み、シンの胃腸と背筋を原子が崩壊
する程冷却する。
 何か言い訳をしようと口を開くが、喉の奥に詰まった言葉は声にならず、口腔から酸素だ
けが溢れ大気に消えていく。
 シンの視界には、四人が逆さまに映っている。馬乗りに拘束されているのだから、当然と言え
ば当然だ。
 だが、問題はそこではない。
 シンの腰+裸の幼女が乗っかる=騎○位?
 放送禁止用語がダース単位でばら撒かれるようなシュチュエーションに、シンは苦笑いを通り
越し、ヴィータに吸血を迫られた時とは別種の諦念感で胸を一杯にさせた。
「…これは、その違うんだ」
 腹腔を絞り上げ、叩き出した言葉は凡庸の一言に尽きた。何が違うのか、自分自身でも分から
ないまま、シンは終ったと一人ごちた。
「シン?」
 精神を虚数空間の果てにおき忘れ、忘我の彼方に逃亡していたシンの精神を引き戻したのは、
八神家の主、八神はやてだった。
 はやては、シンとヴィータの交互に見つめ、何故か自分の胸を凝視した後、
「…その発想は無かったわ」
 一言残し、車椅子の肘掛にぐったりと体を預けた。
 シンは、はやての一言に心臓をざっくりと破壊され、弁解する気力をごっそりと奪われてしま
った。
 シンの首が錆びた扉のように軋み、焦点の合わぬ瞳で四人を見つめた。
 シンは、四人に向け壊れたテープレコーダーのように、力ない声で再び告げる。
 だが、シンの声に反応してくれる人間は誰もおらず、シグナム達は、無表情でシンを見つめ返
すだけだ。
 シグナム達の顔からおよそ表情と言う物が完全に抜け落ちている。クライマックスが超展開の
映画でもこのような顔はすまい。
 いっそ鳩が豆鉄砲くらったような顔でもしてくれれば、シンも引き攣った笑みを浮かべ返す事
も出来たが、ここまで無表情だと、理解の埒外の地雷を踏んだのかと逆に恐ろしくなる。
 微妙な沈黙が、果たして大噴火の予兆なのか、嵐の前に静けさなのか、もうシンには判断が付
かなかった。
「この馬鹿者が!こんな小さな子供に手を出して、畜生道に落ちたかアスカ!」
 いち早く我に帰ったのは、最年長のシグナムだった。義弟の蛮行と痴態に一抹の悔しさと怒り
を覚え、目尻に涙を浮かべながら、怒声を上げる。
 しかし、シグナムの怒りも大事の前の小事でしかなかった。本当の大噴火は、車椅子で項垂れ
るはやてでも無く、固まってピクリと動かないスバルでも無く、当然、烈火の如く怒り狂うシグ
ナムでも無い。
「ア、ア、」
「ら、ランスター!?」
 ティアナの目尻に大粒の涙が浮かび、頬を伝い溢れて行く。
「アスカの馬鹿ぁぁぁぁ!」
 真の大噴火を起こしたのは、普段まるで激情とは無縁の生活を送るティアナだった。
「うあああああん!」
 普段冷静な人間程怒ると恐ろしい。

 想い人の犯罪半マイナス歩手前の惨状にティアナは顔を赤くし、そして、徐々に蒼白へ染め上
げ、ティアナは、目の前の光景にどう反応して良いか分からず、限界まで圧縮され感情の高ぶり
は、目尻に溜まった涙と乙女の怒りと共に炸裂し感情の堰を容易に決壊させた。
「ティアァァァ!」
 スバルの声も止める聞こえないのか、ティアナは、ドップラー効果を残しながら、雨の中、土
煙を立てて爆走していく。
「器用な奴め」
 アスファルトで舗装された歩道をどうやったら土煙を立てれるのか疑問だが、ティアナの予想
の斜め上を行く反応に周囲は凍り付き、ただ一人ヴィータだけが冷静な意見を述べていた。
「五月蝿いよ!いいから、そこからさっさとどいてくれよ」
「えー」
「アンタは一体なんなんだ!」
「だから、お前の使い魔だって。あっ、エネルギー切れだ」
「はい?」
 にべも無く告げた後、ヴィータの瞳が一際赤く輝いたと思えば、ボンと大きな音を立てて赤い
粒子を大量に撒き散らせた。
 目も眩むような赤い粒子の乱舞の後、現れたのは昨晩シンが見た目麗しい豊満なボディを持つ
ヴィータだった。洗濯板から一転し、ホルスタイン級の成長、劣化を遂げたヴィータの乳房はシ
ンのTシャツを引き裂き、生まれたままの姿をシン達に披露した。
 シンとはやての喉がごくりと鳴り、八神家一の巨乳を誇るシグナムは、ヴィータを完全に敵と
認めた。
 自分よりもスタイルの良い女性が義弟の上に全裸で座っている。
 義姉として見れば、恐ろしくシュールでショッキングな映像だが、姿かたちが変わった事を覗
けば、そう可笑しな物では無く、むしろ、シグナムの抱く感情こそ義弟に対する物では無かった。
「義弟が、シンが、変態になってしまった」
「ね、義姉さん落ち着いて。俺は変態じゃないから!」
 シグナムは、義姉としても一個人としてもシンの痴態が余程ショックだったのか、右手を額に
当て、義姉が義弟に抱く感情では無いと自覚しながらも、青い顔のまま意識を遠のかせていく。
 シンは、ヴィータを押しのけ、崩れ落ちるシグナムを慌てて抱きとめたが、シグナムは気を失
った後だった。
 上下する胸にシンは、安堵するが、雨に濡れたYシャツの下から透けて見える薄いブルーの下
着にシンの心臓がドクンと跳ね、見てはいけないと思いつつも、暫く目を離せずに居た。
 だが、安堵したのもつかの間、シンは背後から感じる並々ならぬ鬼気に背中を冷たくさせる。
「シン…」
「何…はやて義姉さん」
「二人を泣かせたな」
 先刻まで項垂れが嘘のような菩薩のように柔らかな視線と声。
 まさに、涅槃の領域に至れば、このような笑顔を向けられるのだろう。
 見る者を癒し導かんとする微笑は、悟りの境地に達しているだろう。
 右手に宿った憤怒のオーラに目を瞑ればだが。
 背中に仁王像を浮かべ、シンは、はやての放つ正体不明の重圧に世界の終末を幻視した。、
「このアホ!」
 比喩では無く、鉄が砕けそうな轟音を残し、はやての拳骨がシンの脳天に直撃する。
 衝撃で目蓋の裏に火花が散り、頭蓋骨が陥没しそうな程の痛みの中、車椅子でこの一撃を見舞
う義姉の恐ろしさを肌で感じながら、シンもゆっくりと意識を手放した。

「さて、どうしたもんかのぉ」
「ほんにのおぉ」
 薄暗い室内で老人達が軽やかに談笑している。既知の間柄なのか、彼らの間には厳粛な雰囲気
の中でも、何処か気さくさが醸し出されている。
 香でも焚いているのか、場には理性を溶かすような甘ったるい空気が充満し脳を溶かしていく。
 しかし、老人達の口調ははっきりとした物で、長い人生を生きた覚悟、老獪と呼べる知性が宿
っていた。
 好々爺達の座談会。
 客観的に見えれば、そのように見えるが内情は正反対だ。この場に集まった老人達は、皆、オ
ーブ発足当時の最古参にして、大量の資金を提供している最大のスポンサー達でもあった。
 彼らが一声かければ、人間一人この世から消す事など朝飯前、その気になれば、小国を地図上
から物理的に消す事も可能だろう。
「だから、西欧被れの若造が作った部隊など信用出来んと言っておるんじゃ。ほれ、なんじゃっ
たかのぉ」
 絢爛豪華な屏風に区切られ、老人達の互いの顔は見えない。皆、相手が何処の誰は知っている
が、それを口に出す無粋はせず、互いの言葉のみに反応する。
 互いの素性は詮索しない。それが奥の間と呼ばれる、老人達の社交場の絶対にして最低限の規
律だった。
「カタケオじゃカタケオ。語源はギリシャの言葉で"焼き払う"じゃったか?」
「自分達が焼き払われとれば世話は無いのぉ」
 少なくとも老人達の目論見。鉄槌とシン・アスカを捕らえる事は出来なかったと言うのに、ま
るで、それが予定調和のように、老人達は口を揃えて細く、低く、嘲るように笑い続ける。
「構わん。構わん。こんなもの余興に過ぎん」
「左様…草も根も未だ健在じゃ。焦る事もあるまい…最も根は兎も角"草"は自分が草と言う自覚
すらないじゃろうがなぁ」
「プロジェクトF…いや、そろそろ、真名で語るべきかな」
 リーダー各と思しき老人が、目を細め重々しく口を開く。
「命の水たるシン・アスカ。その身に流れる宿る血肉はまさに万物の霊薬じゃ。血を飲み、肉を
食せば、たちどころに傷を治し、病魔を治し、我らの命は格段に延びる。有り余る程の寿命があ
れば、至言に到達する事も夢ではあるまい」
「左様…我らの目的は超越種を生むこと。仙人、魔法使い、英雄、時代の寵児達は皆生まれ持っ
た高い資質故に歴史に名を残してきた。まさに人類の上位種とも言うべき彼らの功績は、我らも
見習う価値がある」
「しかし、それは一代限りの突然変異に過ぎん。彼らは高い才能故に、妬み、嫉み、迫害を受け
続け、時代に子を残そうとも、その才能は正しく受け継がれる事は稀だ」
「我ら一族は世界を、歴史を裏で操ってきた。金と情報と女。この三つを使い、巨万の富を得た
。権力も得た。しかし、未だ至言へと到達出来たとは腐っても言えん。一代限りの突然変異では
それは種では無い」
「至言へと到達するのは我らで無くても構わん。次の代、そのまた次の代の"誰"かが到達するの
もまた本末転倒と言う物。巨万の富と権力を使って、一代の突然変異を生むなど愚の骨頂。我
らが目指すのは飽く迄至言への道。到達すべきは個人では無く、一族…即ち種族であるべきだ」
「羽を持つ鯨から生まれしコーディネーター…人造生命体。永遠の命を、真血の魔女では無く、
まさか養殖の人類が持って生まれるとはまた皮肉じゃのぉ」
「しかも、本人には作用せんと来たもんじゃ。まさに無用の長物。宝の持ち腐れじゃ」
「プロジェクトF…いや、プロジェクトフィアンセ…シン・アスカの母体となる女子を選定し、
万物の霊薬を安定供給する為の母体選定計画。シン・アスカの種をその身に宿し、子を産むため
だけに存在する」
 老人達がシンに固執する理由。シンの血肉は如何なる原理か不明だが、取り込んだ人間の細胞
を活性化させ若返らせる力があった。
 テロメアに作用する異常物質か、はたまた、人類が未だ発見していない未知なる酵素による物
か。分かっているのは、シン・アスカの血肉を食らえば寿命が果てしなく延びると言う事だ。
 シン・アスカの才能、特異性に目を付けた老人達は、有り余る資金と権力を使い、世界を巻き
込み一つの計画を創り出す。
 プロジェクト"F"IANCE
 目的は、万物の霊薬たる生命の水を宿したシン・アスカの永久保存。
 字面だけ読めば、シン・アスカ個人を永久に飼い殺す計画に思えるが、内訳は似て非なる物
だ。

 身に生命の水を宿していても、それ"以外"彼は"普通"の人間である。寿命は長くて百年程度。
 つまり、百年もしない内に万物の霊薬は無に帰する。
 老人達は、シンの失った左腕から細胞をクローニングしたが、クローンには万物の霊薬は宿ら
なかった。
 培養品では無く、シン・アスカの血肉を直接摂取しなければ、シンの生命の水は効果を発揮せ
ず本人にも不老の力は宿らなかった。
 飽く迄、シンの血肉を他者に取り込ませる事が不老の効果を齎す鍵なのだ。
 折角掴んだ超越者の手がかりを一代で消してしまうのは惜しいと感じた彼らは、ある突飛な妄
執に駆られる事となる。 
 シン・アスカは百年で死ぬ。しかし、シン・アスカの"子供"ならば"才能"を受け継ぐ可能性が
あるのでは無いか。
 そして、その数は多ければ多いほうが良い。
 親から子へ、子から子へと生命の水は鼠算方式に膨れ上がり、一族はいずれ寿命と言う業から
解き放たれる。
 あまりに荒唐無稽過ぎて、大抵の人間は鼻で笑う計画だ。
 だが、しかし、老人達は、計画を実行出来る富も権力のその手に握っていた。
 コーディネータ計画も言ってしまえば、生命操作技術を手中に治めんとする老人達の戯に過ぎ
ないのだろう。戯れで起業し、金鉱脈を掘り当てていれば世話は無い。
 シンの子を産む女性を彼らが選定し、シン・アスカ繁殖計画を立ち上げる。
 勝手に何処の馬の骨とも知らぬ女に種を巻き子供を拵えて貰っては困る。彼らの選定した相手
、心技体を備え、万物の霊薬を色濃く受け継ぐ子を為す可能性を持った女性だけをシン・アスカ
に与え続け、そして、実った果実を手中に収める。
「超越者。完全なる生命の種の創造。母体選定と十三人姉妹。その為の生命操作技術。あの若造
め、やる事はキチンとやりおるわい」
 老人は座して語らない。
 ただ、己の運命のままに事態を静観し続ける。
 アンビエント。
 性は一族に入った時に捨てた。
 一族の血を持たぬ、外様でありながら、謀略と知略で一代で一族の中枢"蠍の心臓"にまで上り
詰めた稀代の天才。
 年齢を重ね肉体的に衰えたが、鉄のようにしなやかで鋼のように頑強な精神は尚も健在だ。
 それが証拠に窪み皺だらけの顔の中で瞳だけ煌々と輝き底なしの野心を覗かせていた。
「しかし、この名前…なんとかならんかったのか」
「文句は責任者に言え…」
 老人達は、金色の瞳で高笑いする科学者を思い浮かべ、溜息を付いた。

「で、あっさり取り逃がしちゃった、と」
『取り逃がした訳では無い。戦略的撤退を決め込んだだけだ』
 ディスプレイには、全身包帯でグルグル巻きにされたイザークが映っている。その後ろでは、
松葉杖を付き左腕と右足をギプスで固めた不機嫌そうなカナードが控え、その隣で頭の後ろで手
を組んだディアッカが他人毎のように口笛を吹いていた。
 任務失敗の報はオーブ日本支部からイザーク達の上司であるキラへ報告され、被害報告など詳
細なデータが分厚い抗議文書の束と共に次々届けられた。
 任務に非協力的であった癖に、いざ本社の部隊が失敗を犯すと重箱の隅を突くかのよのうに聞
いてもいない事を殊更強調し報告してくるオーブ支部の体質に陰湿さには辟易する。
「まぁいいけど」
 キラは、取るに足らないとばかりに報告書をSSDから削除し抗議文書を広報課、フレイの元
へ転送する。
 その気になれば、全世界の情報を覗けるのだ。支部程度で得られる情報ならば、キラにはあま
り価値があるとは言えない。
 キラに手に入れられない情報があるとすれば、現場に従事した者しか分からない生の情報だけ
だった。 
「で、緋色を前にした感想は?」 
 キラの瞳が細められ、足と両腕を組み、ねめつけるような視線をイザークに送る。
『途中までは有利に戦闘を進められた。装備と人員、そして対策をキチンと練ればそう遅れを取
る相手ではない。訳の分からん部隊に邪魔されたのも余計に腹が立つ』
「でも、やられたんでしょ」
 事実を淡々とだけ告げるキラにイザークは喉を震わせるが、軍人としての誇りが激昂しようと
する心を押さえつけた。
 カタケオの兵士達の乱入で戦場は敵味方入り乱れての大乱戦と成り果てた。
 イザークとカナードも自分の命を守るのが精一杯で、鉄槌もシンの事も頭から消え去っていた。
それがいけなかったのか、イザークが気が付くと、大量の紅い粒子が目の前に氾濫し、瞬間物理
的な衝撃波を伴い光芒を残した粒子がイザークの目の前で大きく爆ぜた。

 後の事をイザークは良く覚えていない。
 鼓膜が潰れる程の大音量と光の奔流。上も下も分からなくなり、崩れ落ちる競技場からカナードを
抱えて逃げた事だけは朧気ながら覚えていた。
『競技場を纏めて吹き飛ばす化け物だとわかっていれば、あんな無謀な策は取らなかった明らかに此
方の作戦ミスだ。責任は俺にある』
 そう、どんなに正当性のある言い訳であったとしても、イザーク達は鉄槌を逃がし任務を失敗した
事に変わりはなく、イザーク達の実力不足が招いた明らか失態だ。
 どんなに上手く取り繕っても、上層部に対するキラに信用に傷を付けた事に変わりは無かった。
 だからと言って、失敗を何時までも引き摺っていては始まらない。後悔と悔恨を次回に持ち越す事
の方が不毛なのだ。
「物は言い様じゃない?それって」
『そうだ。物は言い様だ。だから、次やれば問題無く捕獲出来るだろう』
 イレギュラーな要素が重なったとは言え、これほどの惨敗を喫しても沸いてくる自信は何処か来るの
だろう。圧倒的な実力差を見せ付けられた末の任務失敗だが、イザークの目は死んでいなかった。
「残念だけど、次は暫く回ってこない」よ
『なぬ!?何故だキラ・ヤマト。俺はまだまだ戦えるぞ!』
「イザークが大丈夫でも、他の二人が全然駄目でしょ」
『むぅ』
 いきり立つイザークは、イザークの後ろで無言で頷く二人に、冷や水を浴びせられたように口を噤み
静かになる。
 確かにキラの言うとおり、イザーク達に次の機会は暫く回って来そうに無い。
 小隊の要である思考戦車デュエルは崩落の影響で中破し即座に整備工場行き。
 パイロットであるイザークもコクピット内で全身をしこたまぶつけ、打ち身や捻挫だらけで戦車の操
縦に耐えれそうにも無い。
 中衛のカナードは、左腕と右足を亀裂骨折し、全治一ヶ月大怪我を負った。
 後衛のディアッカは怪我こそ無かった物の、義眼と愛銃をお釈迦にされ、戦闘要員、狙撃手としては
致命的な損害を蒙った。
 キラに言われるまでも無く、小隊の戦力は壊滅的な打撃を受けてしまった。
 一人息巻くイザークだが、根性論で何とかなるレベルでは無い事は本人が一番良く分かっていた。
 指揮官としてのプライドよりも、謎の部隊の横槍で拾った勝ちを見す見す失ったのが個人的に気に食
わないのだろう。
『しかしあれはなんだキラ・ヤマト』
「鉄槌の方?」
『違う。紅い戦車を使った方だ』
「ああ、そっちね。そっちは追々話せると思うよ、で、傷は大丈夫なの?イザーク」
 キラは、わざとらしく話題を逸らすが、イザークも深くは追求しない。
 キラは、軍属では無いが軍隊と微妙な言い回しと機微は心得てくれている。
 聞いても答えてくれないと言う事は、キラにもイザークにも聞く権限が無いのか、イザーク達が知る
必要は無いと言う事だ。
 しかし、キラは、個人で調べるなとは一言も言っていない。
 黙って命令"だけ"を待つ無能を演じるも一興だが、イザークの趣味では無い。
 手持ちのカードは多ければ多いほうが良い。
 当然自己責任で失敗すれば、あっさりとトカゲの尻尾切りの目にあう事は避けられないだろうが。
『任務には問題無い。かすり傷に過ぎん』
「そっか。人の命が一番高価だからね」
『値引きが効くのも、人の命だがな』
「捻くれてるなぁ。でも、装備は幾らでも買いなおせるけど、人的損害が一番堪えるんだからね。特に
僕は」
『分かっている。取締役殿。拾って貰った恩だ。貴様に"は"迷惑はかけん』
「期待してるよ、イザーク」
 口の端を歪め、皮肉たっぷりの微笑を浮かべ、イザークは通信を切った
 自分には迷惑が回って来なくても、大方アスランの方に主に装備方面で面倒毎を押し付けるつもりな
のだろう。
泣きそうな表情でブツブツ言いながら、物資を手配するアスランの顔が放っておいても浮かんでくる。
 強気なのは身内だけであって、キラは意外に内弁慶な親友の姿に苦笑い漏らした。

「ま、蛇の道は蛇ってね」
 オーブの重鎮達である、老人達がプロジェクト・フィアンセに夢中なのが、コーディ
ネーターが自由を掴む千載一遇の好機である。
 下手は打てないが、後手に回って機会を失っても困る。
 キラは、思考の海に沈み、チェス盤のように今後の展開を考え続ける。
 オーブ最高評議会に挑むには、キラの手駒は少なすぎる。ポーンとクィーンだけでは
局面を長引かせる事は出来ても、勝利を手中に収める事は出来ない。
 最適手を奇跡のように打ち続けても、引き分け、いずれは物量で押し切られる事は目
に見えている。
 机に構え熟考に熟考を重ねた一手でも壊れる時は一瞬だ。差し手の思いよらない方向
から得体の知れぬ何かが盤を無遠慮にかき回し、後に残るのは、千日手の泥仕合だけだ。
 考えるだけ無駄だと、キラの暗部が自身に囁きかけるが、その部分よりも薄暗い闇が
安易な諦観を吹き飛ばした。
 失敗は死、成功は生。
 元々分の悪い賭けだ。
 だが、勝率は全く無いわけでは無く、要は賭けに"勝ち続ければ"全てが上手く行く。  
 そして、勝ち続ける為の努力を彼は惜しむ事はしなかった。
(われながら、擦れてるなぁ)
 キラの捻くれと嫌味具合は、イザークの三枚は上を行く。伊達に辛酸は舐めて生きて
いない。ネガティブな人生を送って来た人間には、ネガティブなりの独特のポジティブ
思考が根付いているのだ。
「さて、仕事仕事」
 悪巧みも大切だが、通常業務も疎かにする事は"責任"ある"立場"としても絶対やって
はいけない事だ。
 キラは、まずは、フレイに振った始末書をどう処理するか、頭を捻らせて始めた。
 全てをフレイに丸投げする悪魔のような考えが思い浮かぶが、本気で怒り狂うフレイ
を想像し、世の中には超えてはいけない一線がある事は再確認した。
「電話?」
 珍しくやる気を出すキラの出鼻を挫くように、キラの携帯が無粋な音を立て鳴る。
「もぅ…」
 溜息交じりに携帯のディスプレイを見ると、意外な人物の名前が表示されていた。
「ディアッカ?」
 秘匿回線ですら無い、携帯電話の通常回線だ。
 彼らには番号は教えているが、緊急時以外に使用する事は固く禁じていた。
 流石に盗聴の心配は無いだろが、内々の話をするにしても少々迂闊過ぎる行動だ。
『ちょっと聞きたい事があってさ、いいか』 
「何?ディアッカ」
 口調は柔らかいが、言葉の一つ一つに棘や何かを含む感情が見え隠れする。
 敵意にしては警戒が緩過ぎるし、気軽に内緒話を楽しむ態度でも無い。
 ディアッカは今更キラを値踏みするような下手は打たないが、有無を言わさぬ
凄みがあった。
『俺の義眼は…キラ以外ハッキング出来ないんだよな』
 それと気にしなければ、分からないほんの僅かな間が辺りに流れる。
「うん、そうだね。君の義眼。バスターにハッキング出来るのは"僕"だけだよ…理論
上は」
 キラは、口調一つ乱さず答えるが、眉間に浅い皺が刻まれた。
 君の悪い間が双方の間に流れる。
 ディアッカの義眼はキラ・ヤマトの特別製だ。キラは、義眼だけではなく、義手や
義足等の欠損部位を補う医療品の開発にも精通している。
 専門はソフト開発だが、ハード開発の蔵しも深く、極秘事項だが、シンの使ってい
る義手もキラが開発した試作品だった。
『オーライ、雇い主様。ディアッカ・エルスマン。任務に戻ります』
「了解。今はゆっくり休んでよ」
 やがて、話の腰を折るように、ディアッカは、こちらの返事を待たず携帯を切って
しまう。少々喋り過ぎたかなと、キラは携帯を仕舞いこみ、革張りの座席に座りなお
し静かに瞑目する。
 考える事は山程ある。
 これから渡る危ない橋は、一センチでも道を踏み外せば、あっと言う間に奈落の底
で転落してしまうだろう。
 それほどまでにシビアでタイトな場を読むセンスが必要とさせる。
 失敗は許されない。許されないが、失敗した時は失敗した時だと、キラは、危ない
状況を心の底では、何処か他人事のように楽しんでいた。
「…まぁ、別にいいか」
 自嘲気味な笑みを浮かべ、キラは端末の電源を落とし、食事代わりの宇宙食を摘も
う立ち上がる。
 しかし、またも無遠慮に鳴り響く携帯にキラは肩を落とした。
「本当に来客が多いなぁ」
 苦笑しながら携帯に出たキラの耳に飛び込んで来たのは、慌てふためき切羽詰った、
フレイ・アルスターの声だった。
「どうしたのフレイ?」
『キラ、大変なの!マユちゃんが。マユ・アスカが、フェイト・T・ハラオウンと一緒に
日本へ』
「えっ…」
 流石にそれは予想外すぎると、キラは柔らかく顔を引き攣らせた。

「やっと…着いた」
「そうだねぇ」
 先刻まで明るかった空が嘘のように黒ずんでいく。梅雨の天気が変わりやすいとはいえ
、こうまであからさまな悪天候は、タラップを降りる一人の少女の不機嫌さに太陽が裸足
で逃げ出したとしか思えなかった。
 年の頃は十代前半だろうか。日本人特有の亜麻色の髪は腰まで伸び、肌は、同性が見て
も羨む程に決め細かく白い。
 ほっそりとした体は、高級な日本人形を彷彿させ、少女にはキャミソールにジーンズで
はなく、着物の方が似合うだろう。
「フェイトさんもプロジェクトFの候補者なんでしょ」
「うん、そうだよ」
 少女にフェイトと呼ばれた人物が、満面の笑みを浮かべ少女に微笑み返す。
 ベージュの地味なスーツに身を包んでいるが、豊満な胸と丸みを帯びた魅力的なヒップ
は、タラップを降りる乗客を釘付けにして離さない。
 だが、成熟した体に不釣合いなど程、フェイトの笑顔は幼く可愛らしい。しかし、触れ
れば壊れてしまうガラス細工のような脆さ含み、まるで、大人になる為の行程を三足飛び
で飛び越えた不釣合いさすらあった。
「そんな他人事みたいな」
「そうでもないよ。ちゃんと考えてるから、お母さんの目を盗んでまで、日本に来たんだ
しね」
 確かにフェイトの助けが無ければ、少女が無事に日本の土を踏む事は無かっただろう。
 少女の両親は、彼女が日本に行く事を時期尚早と捉えていたし、パスポートや渡航費用
の問題もあった。
 だが、どうしても、彼女は日本に来たかった。
 傷つけてしまった"兄"に今直ぐにもで謝りたかった。自分の心無い一言で兄に癒える事
の無い傷を作り、家族から離れてしまったと"思い込んだ"兄に、再び家族の暖かさと"愛"
を届けたかった。自分だけが兄を救えると思っていた。
 だと言うのにだ。
(あの馬鹿兄め)
 テレビ電話とは言え、久方ぶりの再開にまさか他の女の話を嬉しそうに聞くとは思いも
よらなかった。こんなに可愛い義妹が想っていると言うのに、肝心の兄の朴念仁ぶりに少
女は酷い頭痛を覚え、四年も我慢した自分の決意は何だったのかと泣きたくなる。
 そればかりか、彼女の兄は飽く迄彼女主観でし無いが、女遊びに現を抜かし、大事な時
期を棒に振り、大学受験まで失敗したと言うでは無いか。
 それだけで彼女の堪忍袋の尾は細切れだったが、プロジェクトFの存在と内容は、彼女
の堪忍袋が破裂するに十分だと言えた。
 怒り心頭、まさに怒髪天を衝く彼女が、フェイトの提案に一も二も無く飛びついたのは
当然の帰結だった。
「なんでそんなに呆気らかんとしてるんですか?嫌じゃないんですか?あった事も見た事
も無い人と結婚するなんて」
「違うよマユちゃん。結婚するんじゃなくて子供を作るだけ。それに写真なら見たことあ
るよ」
「そんな問題じゃないです!」
 二人の間には埋める事の出来ない溝があるように見受けられる。少女が男女の清い交際
に付いて説いても、金髪の女性には暖簾に腕押しなのだろう。少女は、フェイトの鸚鵡返
しのような言葉に、辟易しつつも、自身の倫理観を奮い立たせる。
「そんな破廉恥な事絶対止めさせなきゃ」
「でも、これは非公開とは言え、オーブ政府の決定なんだよ。私達が幾ら頑張っても仕方
ないような」
「駄目、絶対駄目!そんなこと絶対駄目!お兄ちゃんは私のなの!」
 少女の咆哮に呼応するように、雷鳴が轟き、白い閃光が雲を割り、大粒の雨が空より降
り注ぐ。嵐の前に静けさを省略させ、嵐その物を少女は日本へ呼び込んだ。
 文字通り風雲急を告げる展開である。 
 この時、この瞬間こそが、シン・アスカにとって、ある意味最大のトラウマが日本の地
を踏んだ刻限だった。
 六月某日―――マユ・アスカ来日。
 全ては繋がり始め、そして、世界が重なり始めた瞬間だった。

場面は時限を超え、時代を超え、因果を超え本筋へと回帰する。
 次元はまるで振り子のように揺れ動き、あるべき形を整えるように急速に触れ戻る、あ
るいは触れ急いだ。
「どうした、親父」
「どうしたんですのドクター?」
「いや、どうにも久しぶりの気がしてね」
 ドクターは子供のような陽気さでクツクツを微笑を漏らし、コンソールを手前に傾けた。
 革張りの椅子がギシリと沈み、古くなって歪んだスプリングは臀部に鈍い痛みを走らせ
る。
「それで、あの子はもう行ったのかい?」
「ついさっきな。後はあいつの仕事だ俺は知らない」
 赤い瞳のスカリエッティは、にべも無く告げ、振り返りもせず自身の端末で剣呑な声を
上げた。
「冷たいですわねぇ。一応"妹"なんですから、もう少し気にしたらどうですの」
「俺は姉派なんだよ…小さいのより大きい方が好きだ」
「キモ…」
「テメェ、ぶっ飛ばすぞ!」
「それ結構効くだろう、息子から言われても鼻で笑えるが、娘から言われると自殺物だね」
「どういう意味だ糞親父!」
 クアットロとスカリエッティのどうでも良い会話をドクターは嬉しそうに見つめる。
 延々と続く"ループ"の中でジェイル・スカリエッティは虚しさを抱え生きて来た。
 変化は必ず。運命は螺旋ではあるが、円環では決して無い事を証明したのは、皮肉にも
ジェイル・スカリエッティでは無く彼の娘達だった。
 少なくとも"大人しく"男の後ろに控えるクアットロを彼は見た事が無かった。
「で、あれは手に入ったのかよドクター」
 ドクターが運んできた荷物の中身が気になって仕方無いのだろう。 
 ドクターの感慨を他所に、スカリエッティがやや興奮した面持ちで話しかけてくる。
 図体はデカクなっても、細かい箇所はまだまだ子供だった。
「おや、珍しく他人行儀だね。いつもの通りクソ親父で構わないよ、息子君」
「今は仕事の話してんだよ。私事は別ける。首尾はどうだ」
 朴訥な言い分だがスカリエッティは、仕事人ジェイル・スカリエッティを信頼に値する
人物だと捉えている。。
 普段狂人変人と散々揶揄されるドクターだが、独学で戦闘機人やAMFを創造するなど
、技術屋としての腕に文句の付け所が無い。
 科学者としての倫理観は趣味の邪魔になる。
 そう言って憚らない産みの親をスカリエッティは、口には出さなかったが気に入ってい
た。
「何分苦労したよ。シン・アスカを転移させた"分"の肉片は既に劣化し緋色としての力を
失っていたからね。私達の計画に必要な緋色分を集めるだけで次元世界全土を行脚して歩
いたくらいさ。お陰で計画に必要な量は確保出来たよ」
 陽気な笑みを潜め、金色の瞳を猛禽のよに細めたドクターは 白光りするジュラミルン
ケースを机の上に取り出した。
 ケースの重みで机が軋み、スカリエッティの喉が我知らずに鳴った。
 ケースは赤錆の浮いた鎖と布で雁字搦めに絡み取られ、本体には、どこの魔法体系に属
さない幾何学模様の呪印が刻印されている。 
 ケースを封印する鎖と布。
 二つとも一見するとみすぼらしく触れれば崩れ落ちそうな程痛んでいる。
 しかし、それぞれがかの高名な聖王教会が封印極刑に指定する極上のロストロギアだ。
 鎖が魔力封殺、布が時間回帰と所持しているだけでも一級管理局法に違反する重罪で、
私的運用が判明すれば、裁判を待たずして極刑も有り得る。
 鎖は対象範囲こそ狭いが、魔力無効化上限は、ジェイル・スカリエッティが開発したA
MFと遥かに凌ぎ、布は例え跡形も無く破壊された物質であろうとも、使用する魔力次第
では、原子レベルから完全復元出来る代物だ。
 次元犯罪者であるジェイル・スカリエッティが、ランクSS級オーバーのロストロギア
を手中に収めている。
 つまり、管理局も聖王教会も一枚岩では無いと言う事か。
 スカリエッティは、顎を手でしゃくりながら、クアットロに目配せし、机の上に乱暴に
腰を下ろした。
 鞄の中身がスカリエッティが望んだ物品ならば、彼の計画は次のステージを迎える事な
る。
 保存状態にもよるが、試算で数キログラムもあれば、閉鎖時空上に存在するCE世界へ
の扉は開かれるだろう。
 最も理論や試算が万全でも、何気ないイレギュラーで計画が崩壊するのは、世の常であ
ったが。

「特殊硬化ベークライトとAMF粒子で固めているが…生きているよ」
 バシュと圧縮空気が開放され、ケースの重い蓋が開かれた。
 中から重苦しい冷気と共に魔力を減殺するAMF粒子の赤い光が漏れ出し、光と冷気が
晴れた頃、ゲル状の物質に包まれた奇怪な"物体"がスカリエッティの目に飛び込んで来た。
「なんですの?これ」
 クアットロの疑問は最もだった。
 ゲル状の物質は緩衝材なのか、触ればゼリーのような感触が戻ってくる。
 そんな中を、魚とも幼虫のような似つかない不気味な生き物が身動ぎせず横たわってい
た。
 全長は約三十センチ程度。
 巨大過ぎるケースの中で静かに眠る生物は、出来の悪い玩具のような印象を受けるが、
生物から伝わってくる重圧は本物だ。
 臀部から生えた尻尾の先は微細な繊毛に覆われ、そこだけを切り取ればウナギのように
も見えるが、魚類のように不恰好に広がった腹部には左右六対のエラが見えた。
 頭頂部に見える窪みは複眼だろうか。
 深海魚のように退化した瞳は、ドクターの照らすライトに反応し目の周りの筋肉を蠕動
させた。
 生物の反応があまりに人間じみ気味が悪い。
 クアットロは生物に対し生理的な嫌悪感を催し素肌を泡立たせた。
 エラがあるならば、魚であると言えるが、表面を覆う硬質な外郭は昆虫を彷彿させ、昆
虫とも魚類とも取れない気味の悪い姿形をしている。
 しかし、この時何故かクアットロはどちらにも似つかわしない生物に"鯨"のような印象
を受けた。
「そうか四番目。お前は知らなかったな」
「こんな気持ちの悪い生き物しりませんわ。これなら、虚数空間に住む混沌とした生き物
の方がまだマシね」
 余程気持ち悪いのか。
 クアットロは、スカリエッティの後ろに隠れ子鯨を見ようともしない。
 スカリエッティには見えていないが、鯨に向け手であっちにいけと露骨に顔を顰めてい
る。
「違いない。俺も出来る事なら、こんなバケモノ使いたくない。許されるなら今直ぐ一ミ
クロンも残さず熱処理したい気分だ。」
 腹腔から競りあがってくる怨念の塊を鉄の理性で説き伏せ、スカリエッティは、憎々し
い表情で鯨を見つめて。
「私の首尾はいかがかな?」
「完璧だよ、ドクター。濃度密度共に申し分無い。これだけの重量があれば"揺り篭"ごと
転移出来るだろうぜ」
「お褒めに預かり恐縮だね。たまには親らしい所を見せておかないと嫌われるからね」
 ウインクするドクターにスカリエッティは心底辟易するが、今は創みの親の仕事に素直
に賞賛を送った。
「これで、私達の計画は第三段階を迎える事になる」
「REPLUS計画 Return to Ecounter Program,Lapl
ace’s demon Unit System、Re+SYSTEM-多次元回帰転移
機構の完成は、閉鎖時空上に存在する羽鯨の卵巣に殴りこみをかける為の唯一の方法して
最終手段。動力源には、原初の魔女、緋色の一族の末裔を使う。繰り返され、連続する世
界に突如出現した異端の種族…そして、リンカーコアを発現させた魔道師の始祖たる存在
。ガソリンとしては十分だ」
「後はシン・アスカ有する、主役の資格。座標軸だけだね」
「問題ない。おっつけ手に入れる。それよりもVIVIOの基礎データは仕上がってるの
か?ハードはそっちの担当だぜ」
「問題無いよ。培養は順調さ。三日後にはお目にかけるよ」
「「期待してるぜ(さ)」」
 全く同じ声が重なり、迫り室内に反響する。
 元が同じなのに、笑い方一つ取っても違う。しかし、根っこの部分は同じなのか、二人
の人を食った笑いにクアットロはうんざりした視線を送った。
「二人で盛り上ってる所悪いんですけど…結局これなんですの」
「テメェ…はよぉ」 
「無粋だね、クアットロ。まぁまだ君に男同士の機微を分かれ言うのが無理か」
「なんですのそれ」
 二人にうんざりする程落胆され、クアットロは、顔を引き攣らせ、「あぁそうですか」
と露骨に眉を潜めた。
「そう拗ねるなよ。四番目はさっき、あれを見たばっかりじゃねぇか。俺なりに気を使っ
たんだよ」
「嘘臭いですわね」
「違いねぇな」
 本人も嘘臭いと思っているのだろう。スカリエッティは苦笑し、鯨に向け静かに言葉
を紡いだ。
「こいつはな、シン・アスカ同様RePlus計画最後の要…最初のコーディネーター、
羽鯨だ」
 狂気にも似た笑みを浮かべるスカリエッティの背後、端末に表示されたRePlus
の文字が反応するように怪しく輝いていた。

閑話休題三幕 EP/Project"F"IANCE
"無用なりても運命故に-RePlus If…Ⅲ"
Repose to RePlus…?