RePlus_閑話休題三幕_エピローグ前編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 17:13:49

 最初に異変に気がついたのは、皮肉にも現場から二キロも離れたディアッカだった。
射角を塞がれてしまった為に、ディアッカの狙撃は無力化され、退屈な時間を過ご
していたが、ディアッカの退屈とは無縁にイザークとカナードは鉄槌を順調に追い込
んでいた。
 義眼の望遠を最大まで高めると、ダイレクトインターフェースの恩恵でカナードと
ヴィータの戦闘が、まるで、目と鼻の先で行われているような臨場感タップリに映像
で伝わってくる。
 カナードがヴィータのハンマーを抑え込む中、イザークの思考戦車が沈み込み、硬
化ベークライト弾の発射体勢に入っているのが軒先のように見て取れる。
「グゥレイト!ドンピシャ。流石は我らが指揮官様の立案した作戦じゃん!」
 ディアッカの狙撃とカナードの遊撃を囮にし、トドメはイザークの思考戦車で鉄槌
を捕獲する。
 僅か数分足らずで考えた急ごしらえの作戦とは思えない上々の成果だ。
 オーブ情報部からシン・アスカの暮らす街で鉄槌発見の報を聞いた瞬間、出し抜か
れたと顔を青くしたディアッカだが、終わり良ければ全て良しとばかりに軽快に口笛
を吹いた。
 少数精鋭とは聞こえが良いが、ディアッカ達の内役は鉄砲玉だ。
 生まれながらに機械との強い親和性と持った子供達。オーブ関係者は、ディアッカ
達を畏怖と嫌悪を込めてマシンチャイルドと呼ばれた 
 成功しても成功しなくても、体制に何の影響力も無い人間。鉄槌捕獲の任務は、オ
ーブのブルーコスモスの爪弾き者である彼らに取っては打って付けの任務ち言えた。
(まぁ、だから、俺らはキラについて行くんだけどな)
 結局の所、自分たちの存在を証明し居場所を作って行く為には、自らの力、実績を
一つ一つ重ねて行く他は無い。
 少なくともキラは、ディアッカ達の能力を高く評価し、公正な視線で自分たちを見
てくれるし、脛に傷を持っているのははキラも変わらない。
 互いに含む言葉も背景も万と超える言葉であったが、ディアッカにとってキラは信
用すべき人物である事には変わらなかった。
 ディアッカ達に出された鉄槌捕獲命令も、彼らならば可能であると判断したからこ
その物だ。
「精々雇い主の期待に答えようぜ、イザーク、大将」
 困難とも言える捕獲任務も意外と楽勝だったかとディアッカが安堵した瞬間にそれ
は起こった。
「なんだ?」
 ディアッカの義眼にノイズが走り、警戒警報の表示が網膜に所狭しと並び、バス
ターとのリンクが物理的な衝撃を伴い突如断絶する。
 強制的にリンクが遮断された為か脳に過負荷がかかり、ディアッカは、吐き気と酷
い眩暈に襲われた。
「何だ処理落ちか…違う、この感覚、ハッキングか!」
 粒子の粗い砂が背中を這い回るざらついた一種独特のざらついた感覚。舌と歯が浮
き、形容し難い不快感がディアッカを襲った。
 ディアッカの義眼は、キラが完全監修した特注品だ。
 当然電子戦の防備も完璧で、仮に進入されたとしても義眼内に何重にも展開された
攻勢防壁により、何の痕跡も無く義眼をハッキングする事は不可能と言われていた。
「ヤバイぜ!イザーク!大将!俺の眼が盗まれた!」
 いつの間にか、ディアッカが見つめる視線の先には、麦わら帽子を被り、微笑む鯨
のマークで埋め尽くされている。
「っつ!」
 ディアッカの視覚野が、侵入者によって完全に掌握され、蛋白質が燃える嫌な匂い
と共にドラグノフに搭載されたニューロンチップが侵入者の攻撃(ハッキング)によ
って即座に焼け落ちた。
 ドラグノフ内のニューロチップには、ディアッカとドラグノフがこれまで培ってき
た七年分の同調データが蓄積されている。
 狙撃時の身体データは勿論の事、義眼との同化率、各種パラメーターの設定値など
膨大なデータは、ディアッカと愛銃とを繋ぐ歴史と言っても過言では無い。
 膨大なデータを裏打ちする毎にAIは成長し、勘の概念すら習熟し、複雑に絡み合
った思考パターンを複製再現する事は事実上不可能とされた。
 つまり、この瞬間にディアッカは、この時世界でただ一つの相棒を失った。
 だが、ディアッカは、愛銃を失った悲しみに暮れる暇も無く、驚愕の雄叫びを上げ
る。機能停止する寸前の義眼が捉えた物。それは、競技場に迫る無数の思考戦車の陰
だった。

「なんだ…」
 今まさに鉄槌を捕獲しようとした瞬間、背筋を這い回る悪寒を感じ、イザークは引
鉄を絞るのを一瞬躊躇した。
 心底から感じる違和感が全身を稲光のように駆け抜け、イザークは、鉄槌への攻撃
を捨ててまで防御行動を取らなければタダではすまないと直感した。
『イザークくん!イザークくん!セッキンケイホウ、カコマレテルよ』
「なんだと!」
 しかし、イザークの直感よりも早く戦況は加速していく。
 デュエルの合成音声が、まるで人間のように甲高く響き、その瞬間轟音と共に壁が
爆破された。
 巻き上げられた粉塵が光学迷彩に干渉し、イオン臭を撒き散らし、開いた穴から赤
い装甲服に身を包んだ銃器を持った完全武装の兵士達とデュエルと同型と思しき思考
戦車が三機雪崩れ込んでくる。
 蜘蛛型とは言えキャラクターとしてデフォルメされたデュエルと違い、赤い思考戦
車は蠍をそのままスケールアップしたかのような、生物としての生々しさを感じる。
 朱色のメタルアーマーで全身を覆い、大小様々な銃器を持った兵士達の胸には、蠍
をあしらった紋様が刺繍され、凡そ軍隊に似つかわしくない艶やかで硬質なイメージ
を感じる。
 思考戦車にも同じ紋章が大きくマーキングされ、彼らの異様さに更に拍車をかけて
いた。
「馬鹿な光学迷彩に思考戦車だと。日本でそんな物を使えば、クソ、何処の馬鹿だ!」
 自分達の事は棚上げし、イザークは、新たに現れた思考戦車に向け、実弾に換装し
たチェーンガンを警告無しで発砲する。三十二口径の銃弾が、大気を引き裂き、朱色
の思考戦車に命中し"火花"を散らす。
「くそ!相転移、PS装甲か」
 装甲を電化し相転移させるPS装甲は、理論上ほぼ全ての物理攻撃を無効化する。
 攻撃を食らえば食らう程、バッテリーを消費し思考戦車の活動時間は狭まるが、朱
色の思考戦車は背部に大型の補助電池を装備している。
 長期戦になれば、イザークの不利は明らかだ。
 PS装甲持ちの機体を倒す手段は、雨霰のような銃弾を撃ち込み、PSダウン、つ
まりバッテリー切れを待つのが定石だが、手持ちの武装では絶対数が不足している。
 対してイザークが搭乗するGAT-X103"デュエル"の装甲は発泡金属製。
 比重が水よりも軽く機動性に優れているが、PS装甲と比べると強度は格段に劣る。
「デュエル。ハッキングだ。奴らの電子脳を抑えろ」
『ダメだよ、イザークさん。あいつらポートそのたモロモロゼンブトジテルヨ。カン
ゼンナクローズドタイプだね。あれじゃヘイレツカもデキナイよ。なんてジダイおく
れなんでしょうか』
「クソ!」
 思考戦車とは、その名の通り自ら思考し行動する戦車だ。
 画一化された性格では無く、他者と会話し学び個性を得るまでに成長するAIを搭
載している。 
 常に衛星に自己のAIをリンクさせ、知識を貪欲に吸収する為か、当然対電子戦の
装備も豊富で、近距離に限り敵性兵器のAIにハッキングを仕掛ける事が可能だ。
 しかし、自閉型思考戦車とは、思考戦車の利点、衛星リンクシステムのバックアッ
プを全て排除し、パイロットの操縦技術のみで運用されるハード的にもソフト的にも
閉じた機体を指し、能力を平均化し、固体を群体として運用する近代戦闘に真っ向か
ら逆行したコンセプトを持つカスタム機だった。
「己、貴様ら何者だ!」
 イザークは、騎士道精神高らかに猛るが、赤い兵士達は何も答えず、黙って銃口を
イザーク達に向けた。
 何の許可も持たず、思考戦車を運用しているだけで三桁近い国際法に接触している。
 どんな輩か知らないが、まともな部隊とはとうてい言えない。機械のように統率さ
れ一糸乱れぬ動きは、それだけで彼らの練度の高さを表してい
る。それ以前にイザークが引き金を引き絞る事を躊躇しなかった理由は兵士達の瞳に
あった。
 ―――死んだ人間のような静かな瞳。
 原生林の奥地に佇む湖のように静謐な気を兵士達の目から感じる。
 兵士達の瞳からは、不純物を一切持たず透けるような水面を持つ湖を彷彿させるが
、水面の底には生物の姿が感じられない。
 不純物を持たぬ泉に魚が住めぬように、兵士達の持つ雰囲気は一切の生物の存在を
拒絶しているように思えた。
 それほどまでに兵士達からは、意思を"全く"感じる事が出来なかった。
 まさに生ける屍とも言える存在にイザークとカナードは生者としての本能、生き残
る事を最優先した。

 カナードは、デュエルの後部ハードポイントからサブマシンガンを剥ぎ取り、流れ
るような手付きでセーフティを解除し腰溜めに構え引き金を引き絞る。
 パパパと意外に地味な銃声が轟き、銃口からマズルフラッシュが煌いた。
 シンとヴィータの安否も心配だったが、今は戦わなければイザーク達の命が危うか
った。

「エリオ、キャロ!無事か」
 イザークとカナードが、朱の兵士達と交戦を開始した頃、ヴィータは銃弾の嵐を掻
い潜り、廃棄されたコンテナに身を隠していた。
 思考戦車デュエルの榴弾砲で、入り口を包囲する兵士達を迎撃したまでは良かった
が、いかんせん数が違い過ぎる。
 思考戦車の多彩なオプションに加え、あの巨体であの運動性。ヴィータが超常の力
の持ち主であろうとも、あれを三機も相手にするのは"現在"のヴィータでは少々荷が
重いと言わざると得ない。
 一発の火力は思考戦車が勝り、火線、攻撃回数が違いに加え、精密機械のように緻
密な連携には素直に舌を巻いた。 
 ヴィータは、先刻から二人に何度も呼びかけているが、返事は一向に返ってくる様
子がない。
「くそ、思念妨害まで。緋色対策は万全かよ!」
 脳に圧迫感を感じ、まるで、濃霧の中に居るように曖昧な感覚にヴィータの頬に冷
たい汗が流れ落ちた。
 エリオとキャロは、人工的に創られた緋色といえど、基礎ベースは人間のままだ。
 見た目通り九歳前後の肉体的強度しか持たず、鉄火場では脆弱極まり無い二人は、
ヴィータの助けが無ければ、この"世界"を生きていく事も出来ない生き物だ。
(早くこっから逃げねぇと)
 折角追い詰めたシン・アスカをみすみす相手に渡すのは癪だがこのままでは共倒れ
だ。
 シンの事も気にかかるが、今ヴィータにとって最も憂慮すべき事態は、エリオとキ
ャロの安全だった。ヴィータは、姿の見えぬシンを一瞥し二人の救出に意識を傾ける。
 それがヴィータにとって致命的な隙となり、兵士達にとっては絶好の好機となった。
「鉄槌」
 抑揚の無い声がヴィータの耳に届く。
 反射的に振り返るが、既に時遅し。
 ヴィータが振り返った時には、カタケオの兵士達の銃から伸びるレーザーサイトの
光点が、ヴィータの四肢に狙いをつけていた。
 思考と意識の空白ほんの僅かな無意識の狭間を狙われたヴィータは、戦場で気を抜
いた自分を叱責し、向けられた銃口に背筋を凍らせた。
(避けられねぇ)
 ヴィータの意識は、兵士達の銃口を捉えて放さないが肝心の体が反応しない。
 生命の危機に直面した意識が肥大化し、肉体を置き去りにしている。
 時の流れがゆっくりと感じられ、後にして思えば、あれが走馬灯と言う物だったの
かと、ヴィータは思った。
(…ここまでか)
 カタケオの兵士は、オーブの刺客のように、優しくゴム弾など使ってくれない。ヴ
ィータを"最初"から殺すつもりで実弾で望んでいる。
 オーブの刺客と赤い兵士達。
 どちらがより軍人に近いと問われれば、ヴィータは、間髪入れず赤い兵士達を叫ぶ
。ヴィータにして見れば、オーブの刺客は、まだまだ甘さが残るお坊ちゃま達だが、
何の意識も信念も満たぬ人形に落とされるよりも万倍もマシだ。
 銃弾程度では流石に死ぬことは無いだろうが、戦闘続行は確実に不可能になるだろ
う。
 意思を持たぬ人形に倒される。長い年月を生きたヴィータにして見れば、死よりも
辛い屈辱だった。
「やるなら、完膚無きまでにやれよ。口一つで動けば、その瞬間に食いつぶしてやる」
 精一杯の勢威を負け惜しみを口に出しながら、ヴィータは観念したように体の力を
抜き、刹那の瞬間の後に訪れるであろう苦痛に耐えるべく口を噤んだ。
 ゆらゆらと揺れていた赤い光点が止まり、ヴィータの四肢に再度狙いを定めた瞬間
、ヴィータの視界に妙な物が映った。
 両手を地面に付き、後方に伸ばした左足と折りたたんだ右足に渾身の力を込める独
特のフォーム。
 陸上競技におけるクラウチングスタートの姿勢でシンが、兵士達を睨みつけていた。
「馬鹿かテメェ!」
「うわああああああ!」
 ヴィータが声に出すよりも早く、シンは、自らの絶叫を引鉄に、両足に込めた力を
一気に解放した。
 ヴィータの盾になるつもりなのだろう。シンは、弓から解き放たれた矢のように、
ヴィータの止める声も聞かず、無我夢中で銃の射線に割り込んだ。
 シンの行動は勇気では無く、無謀に分類される行動だ。
 薄い鉄板ならば容易に貫通させる自動小銃の威力の前には、盾と呼ぶにはあまりに
非力で物だ

 シンの勇気ある行動は、銃弾によってあっけなく引き千切られ、肉を裂き、骨を破
壊し、無常にも命を奪うだろう。
 突然の乱入者に兵士達も驚き一瞬だけ手を止めるが、二秒後には、ヴィータ諸共シ
ンを照準していた。
「テメェ何で出てきやがった」
 ヴィータの目が驚愕に見開き、何かを口走っているが、体感時間が限界まで引き延
ばされたシンには何も聞こえない。
 そもそも、そんな事を聞かれても、当の本人にも分かるはずも無い。
 ヴィータもイザークもカタケオの兵士達もシンにとっては何の関係も無い人達だ。
 その場からさっさと逃げ出しても後ろ指を指される事も無い。
 既に事態はシンの理解の範疇を超え、想像不可能の領域に達している。
 浪人生如きが場を納められるはずも無かった。
 事実シンは、混乱に乗じて逃げ出す腹積もりだった。
 少なくともほんの数秒前まではそのつもりだった。だが、去り際に見たヴィータの辛
そうな表情と兵士達の銃口を見て、シンの記憶が苦悶の雄叫びを上げた。
 四年前のテロが脳裏にフラッシュバックし、硝煙と血臭が立ちこめた教室が眼前に広
がる。左腕を失いシンの姿を見て泣き叫ぶマユと観念したように蹲るヴィータが重なり
、脳に暴圧にも似た衝撃が走りシンの精神を鋭く撹拌する。
 シンの灰色の記憶が、電流のように全身に伝播し、痛みと恐怖、虚無感と無力感に苛
まれ絶望に打ちのめされた記憶が全身を巡る中、銃口から無数の銃弾が発射された。
(死ぬ…死ぬのか)
 向けられた銃口が、シンに眼前に迫る明確な死を喚起させ、自身がひき肉になるイメ
ージに怯え目の前が真っ黒になる。
 しかし、シンが、それ以上に恐れたのが、ヴィータにも訪れるであろう"死"の予感だ
った。
 例えそれが自身の生死に関係無いとしても、誰かの命が自分の目の前に奪われる瞬間
をシンは酷く恐れた。
 心臓の動悸が激しい。
 心臓が規定以上の血液を吐き出し、耳鳴り稲妻のように鳴り響き、鼓膜を震わせ三半
規管を刺激する。
 目の前が真っ黒に染まり、ドクンと心の奥底で"誰"が産声を上げ、歓喜と怨嗟が入り
混じった咆哮を上げる。謎の咆哮と共に心底から生まれた、血のように紅い衝撃がシン
の両目に集約され、瞬間にシンの中で何かが弾けた。
 後は何も覚えていない。
 ただ、両目の疼きに促されるように、シンは、喉が焼け切れる程の絶叫を迸らせ、ヴ
ィータに向けて弾かれたように走り出していた。
 音が消え、世界は白く染まり、周囲にはシンとヴィータ、そして、飛翔する弾丸だけ
が瞳に映る。
 シンの瞳は、透明な螺旋を描き飛来する銃弾がヴィータと自分と貫く光景を幻視する。
 銃弾は未だ二人を貫いてはいない。
 しかし、銃弾は、シンが捉えた未来を実現しようと大気を切り裂き"ゆっくり"と"静か
"に二人に迫っている。
 銃弾が二人を貫くまで幾許の猶予も無い。仮にシンにもっと戦闘経験があれば、兵士
達の銃口は急所を外れ、シンの命"は"狙っていないのが理解出来ただろう。
 しかし、自身の命を度外視しても他者の命を尊重する歪な生き方を好むのがシン・ア
スカと言う人間だった。命の喪失をする事に対する恐怖感こそ、シン・アスカの原動力
なのだ。
 死ぬ、死なない、打算的な感情で動く人間では無かった。
(こいつが!)
 無我夢中とはこの事だろう。
 飛翔する弾丸を素手で掴めばどうなるのか。
 細かい事は何も考えずにシンは、まるで、弾丸がそこに来るのが分かっているように
、シンは、飛翔する透明な弾丸の未来の"イメージー"全てを"義手"で纏めてなぎ払った。
 甲高い炸擦音が響き義手の装甲が罅割れ、義手が完全に機能を停止する。
 そして、壊れた義手のように、未来に通じるイメージを刈り取られた弾丸が、一切の
痕跡を残さず、跡形も無く"現在"から消失した。
 兵士達は、忽然と消えた弾丸に奇異を覚え、シン達に改めて銃口を向ける。
 だが、先刻とは違い、シンの瞳から発せられた光、闇の中に陽炎のよう漂う紅い光が
兵士達の姿を射抜く。

 感情を持たず命令を絶対遵守する生ける屍が、シンの瞳から発せられる鬼気に当てら
れ、無意識に後ずさる。
 鬼火のように揺れ動く紅い光は、やがて、光を徐々に失い、そして、シンの体がその
場に崩れ落ちた。
 それを契機に兵士達の瞳に正気の光が灯り、敵意が一瞬とは言えヴィータから離れる。
 ヴィータは残る力を振り絞り、裂帛の気合と共にハンマーを振りかぶる。
 振り下ろされたハンマーによって、空気が圧縮され、衝撃波となり、兵士達はまるで
壊れた人形のように吹き飛んでいく。
 だが、反撃はそこまで。
 別角度から迫る死の光点が絶えずヴィータ達を補足し続け、ヴィータはシンを担ぎ最
後に残されたコンテナの裏に身を隠すのが背一杯だった。
 自分一人逃げるだけならば容易い。
 そのまま、一階まで飛び降りれば良いだけだ。やっかいな思考戦車はオーブ側の思考
戦車が抑えてくれているようだ。
 絶対絶命の危機を脱する、まさに千載一遇の好機だった。
 だが、僅かでこそあるが、ヴィータに残された人としての感情が、シンを"見捨て"逃
げる事を"拒絶"していた。
「アタシにもまだこんな感情が残ってたのか…」
 ヴィータは自嘲気味に微笑み、胸の中で息も絶え絶えなシンに視線を向けた。
 シンは、体力を消耗仕切ったのか、荒い息を付き額に玉のような汗を浮かべ顔色は青
白い。
「黙ってろ…初めて緋色を使ったんだ。マジで死ぬぞ」
 モゴモゴと何かを喋ろうとするシンをヴィータは胸で押さえつけ強引に黙らせる。
 何を言ってもシンを殴ってしまいそうに思ったからだ。
(それだけじゃねぇか)
 殺気と憎悪が支配する世界に、何の覚悟も無く飛び出れば、充満する殺意に当てられ
誰だってこうなる。
 だが、何かが異常に腹立たしかった。
「お前、何であたしを助けた」
「ふぉれは」
 ヴィータの豊満な胸から窒息寸前で脱出したシンだが、いざ改まって聞かれると答えに
窮してしまう。
 大の大人が徒党を組み、一人の女性に銃を向ける。ヴィータもシンのの命を狙っていた
事は事実だが、それが正しい事とはどうしても思えず、シンは、頭で考えるよりも早く行
動に移ってしまった。
「分かるわけないだろ、体が勝手に動いたんだから」
 気絶しそうな程消耗していると言うのに、シンの目がヴィータを掴んで離さない。
 強い視線に慄く様に、ヴィータは子供のように不貞腐れた顔を背けた。
 緋色の一族として、常に誰かを守ってきた彼女にとって、誰かに守られると言うのは新
鮮な体験だった。
 他者より優れ超常の力を有しているからこそ、ヴィータは常に弱者を守ってきた。
 弱者を守るのが強者の務めであり緋色の義務だ。そんな世界で生きて来たからこそ、ヴ
ィータは、自分よりも弱い者に守られた経験が無かった。
 強者であるヴィータが弱者に守られる。それはヴィータにとって屈辱以外何者でも無か
った。しかし、守ると言う行為に、打算も他意も悪意も無い行動だと分かれば、思ったよ
りも悪く無いとさえ思えた。
「逆ギレかよ…信じらんねぇなお前」
 シンの子供のような言い訳に、ヴィータは思わず苦笑し、偲び笑いを漏らした。。
 シンの力がヴィータの思っている通りなら、生き残る可能性が出て来た。餌としてシン
・アスカを"使役"するつもりだったが、予想に反して思わぬ拾い物だった。
 僅かな思巡の後にヴィータの覚悟は決まった。
 後は、行動に移すだけだ。
 しかし、その前に、ヴィータはシンにどうしても聞いておきたい事があった。
「なぁシン・アスカ、お前死にたいと思った事あるか?」
「…急に何なんだよアンタは」
「答えろ、重要な事だ」
 ヴィータの瞳が、有無を言わさぬ迫力と共にシンを覗き込む。ヴィータはシンの命を狙っ
た。だが、ヴィータの視線は、命を狙った者に対して向ける物ではなく。むしろ、真摯な光
すら携えあまりに真剣過ぎた。

「ある」
 シンは、一分の迷いも無く即答する。
 無いと答えるのは簡単だった。テロに巻き込まれ、左手を失い、最愛の妹に拒絶され当
時はいっその事死んでしまいたい気分に駆られた。
 妹を守れずに傷つけてしまった。拒絶されても仕方無かったと言えど、それを「はいそ
うですか」と飲み込める程シンは大人では無いのだ
 死んでしまいたい。
 何度も何度も心底で反芻した感情だ。
 だが、シンは死ななかった。死ぬ勇気が無かったわけではない。もし、今ここで死んだ
ら、二度と両親に会えなくなる。妹にマユに会えなくなる事にシンは更に恐怖を覚えた。
 心の中で耐え難い喪失感と絶望感が支配する中、シンは、はやての助けを借りて、その
場から逃げる事を選択。
「そうか」
「だけど、死ねなかった」
「理由は?」
「会いたい人が居る。一緒に居たい人達が居る。だから、俺は死ぬのが怖かった」
 この極限状態で嘘を付けるならば、詐欺師の資格は十分だ。ヴィータは、瞑目し、本当
の意味で覚悟を決めたように瞳を開いた
「そうか。十分だぜ、マスター」
「マスター?」
「こっちの話だ。あれが見えるかシン・アスカ」
「ああ」
 ペイルブルーの思考戦車と緋色に彩られた思考戦車が、液体ワイヤーを飛ばしあい空中
戦を演じている。
「戦車だろ。ニュースで良く見るタイプの」
「違う。そっちも重要だけど、あたしが言ってるのは、赤い戦車についてる蠍の紋章だ」
 真っ暗で良く見えないが、確かに赤い戦車には、蠍を象った何かが見える気がした。
「蠍の紋章。オーブ重鎮のラオ家の私設部隊"カタケオ"あたし"達"緋色の敵だ」
「オーブ、オーブが何で!」
 シンは、弾かれたように身を起こし、ヴィータに詰め寄る。
「小難しい事は後で説明してやる。今ここで大事な事は、あたしとお前が契約しなきゃ
、二人ともお陀仏。良くて研究所で実験動物になるだけだ。死ぬか生きるかの瀬戸際だ
。選びなシン・アスカ」
 ヴィータの腹は決まっている。だが、敢えてヴィータは、シンに選択の余地を与えた。
 今後どちらの立場が上か主導権争いの為では無い。
 シンは、今日常と非日常の境界線に立たされている。
 光が射す暖かい世界と闇が支配する冷たいほの暗い世界。
 ヴィータとシンが契約すれば、シンは、少なからず冷たい世界に片足を突っ込む事に
なる。
 ヴィータが、シンに選択を迫ったのは、後ろ暗い世界の住人が、暖かい世界の住人を
巻き込む事に対する最低限の礼儀だった。
「何をするかしないけど…契約するさ。それで何とかなるんだろ」
「話が分かるなマスター。良いのか?あたしが実は悪魔で、お前の魂を狙ってるかも知
れねぇぞ」
「悪魔なら、俺の力を借りなくても何とか出来るだろ。出来ないんなら、アンタは厄介
な人だけど、悪魔じゃ無い」
「悪魔なら、これ位なんとかするわな。違いねぇや。でも、後悔すんなよ。あたしは高
いぜ」
 ヴィータは、先刻までの獰猛な笑みでは無く、親愛に満ちた意地悪な笑みを浮かべた。
「で、どうすればいいんだよ」
「契約は当人同士の承諾の後、聖句の音読の後、吸血行為によって果たされる」
「分かった、なら、早くやってくれよ」
 シンは、頭上を飛び交う実弾から身を潜めながら、ヴィータに矢継ぎ早に告げる。
それでヴィータは気を良くしたのか突然シンのシャツを両手で握り力任せに引き裂いた。
「ちょ、ちょっと!」
 シンの白磁器のように白い肌が夜気に晒され、引き裂かれたシャツは、布切れとなり
風にいずこかへ舞い飛んでいく。
「力抜けよ」
 ヴィータの言葉に上半身を裸にされシンは、命の危険とはまた違った恐怖に駆られる。
 もしかして、契約とはそう言う意味なのだろうか。
 だとしたら、不味い、真剣に不味いとシンは思う。
 別に"そういう"事に興味が無いわけではない。
 女性密度の高さにいつもは自ら心底に封じているが、シンにだって"そう言う気持ち"
はある。
 むしろ、シンの年齢なら無い方がおかしく、顔と態度に出ないだけで、精神的賢者に
到達する程シンは達観していなかった。
 ヴィータの白く細い指がシンの体を無遠慮に這い回り、なけなしの知識が総動員され、
"卒業”と言う単語がシンの脳裏を跋扈している。
「うわ…」
 首筋に、今まで感じた事の無いざらざらとした感触を感じ、脳が沸騰しそうになる。
 ヴィータの舌が消毒と言わんばかりに、シンの白い首筋を這い回っていた。

「汗臭いな」
「アンタが追い回すからだろ」
 まるで、情事の最中のように首筋を這い回る舌の感触に、シンはヴィータを正視出来
ず、そっぽを向いてしまう。だが、見ていない分だけ、首筋を這い回る舌の感触をよち
鋭敏に感じ、シンは、契約だか何だか知らないが、こんな死ぬよりも恥ずかしい事をさ
せられるならば、さっさと終わらせて欲しいと切に願った。
 首筋を舐められ、全身を熟れた林檎のように真赤に染める中で、シンは、はたと不穏
な事実に気が付いた。
 ほんの数分前に、目の前の美女は恐ろしい言葉を言わなかっただろうか。
 契約に必要なプロセスは、承諾、聖句、そして、後もう一つのアクションが必要だ。
 承諾はさっき交わした。
 聖句とは呪文の事だろうが、これは全く問題無い。肝心なのはその後だ。緊急事態の
あまりあっさり聞き流したが、彼女は、確か、吸血、つまり血を吸うといわなかっただ
ろうか。
「あのヴィータ…さん。吸血って…そのもしかして…ガプとか、そっち系ですか?」
「それ以外何があるんだよ。あぁ七面倒臭い。聖句は無しだ。こんな美味そうな匂い前
にして我慢出来るか!もう、吸うからな」
「ちょっと待っ」
「駄目だ」
 静止の声もむなしく、ヴィータの鋭い犬歯がシンの首筋に付き立てられる。
「あっぐ」
 骨にまで達する勢いで首筋に付き立てられた犬歯は、皮と肉を圧迫し、衝撃で血が皮
を突き破り、ヴィータの口腔に広がっていく。
 ごくりごくりと、ヴィータが、シンの血を一滴の残すまいと貪欲に嚥下する度にヴィ
ータの瞳が剣呑な光を燈した
 シンの首筋に鋭い痛みが襲い、体の一部を食われる貪られる事実に背筋を振るわせる。
 しかし、気が遠くなりそうな痛みは一瞬だけで、次に襲ってきたのは抗い難い快感だ
った。
 射精にも似たこみ上げてくる悦楽は、シンの純情を無遠慮にかき回し、その挙句に体
中の血液が全く異なる物に変わっていく異物感が全身を隈なく這い回る。
 ヴィータが喉を鳴らし、一回、また、一回と血を吸うたびに、頬が高潮し瞳の焦点が
合わず諦念と快感で胸が一杯になる。
「う…あ」
「声を出すな…飲み難いだろ」
「そんな事を言われても」とシンは心の中で毒づくが、先刻の行為と合い間って、シン
の思考回路はショート寸前、むしろ焼き切れて基盤ごと溶けてしまっている。
「っぷはあ、流石命の水。やっぱりお前は最高だぜ、シン・アスカ!」
 ヴィータは、喉越し爽やかと言った様子で満面の笑みを浮かべるが、吸われた方は自
慰の現場を抑えられたような遣る瀬無さと居た堪れなさで泣きたくなった
「…それは、どうも」
 シンは、諦念感で胸を満たしながら、ぐったりとヴィータの胸に倒れ掛かった。
 一体どれだけの血を失ったのか知らないが、ヴィータが飲んだ量は明らかに致死量に
達しているような気がする。
 死ななくとも相当量の血を失ったのだろう。
 指先を動かそうとしても、文字通りぴくりとも動かない。全身を痛みに似た甘い痺れ
が支配し、皮膚が、肉が、骨が、凍ったように冷たかった。
 しかし、氷のように冷たい体とは対象的に心臓だけは真夏の太陽のように不気味な程
に脈動し、心を焼き尽くす程熱かった。
「悪い吸い過ぎたな…でも、助かった。これだけあれば、あいつら捻るのは沢庵の角で
頭ぶつけて死ぬより簡単だ」
 シンは、微妙に間違えた日本語に頭痛を覚えるが、どうやらヴィータの体調は元に戻
りつつあるようだ。顔色に血の気が戻り、精気が充満し、活力が漲っている。
「お前のイナーシャルアイズの出番は次っぽいな。今は寝てろよ、シン・アスカ(マス
ター)全部終ったら、起こしてやるよ」
 口元に鮮血を滴らせながら不敵に微笑むヴィータは、シンには、妖艶を通り越し悪魔
のように見える。鮮血が自分の物ならば尚更そう感じる。しかし、例えヴィータの姿が
悪魔のように見えたとしても、兵士達の前に戦意怏々と立ちふさがるヴィータの姿は頼
もしく、そして、美しかった。
「I pity you.You guys are shit out luck Cause…You haven't seen anything yet!」
 ヴィータの呪文を唱えるような美しい旋律が室内に響き、呪文に呼応するように赤い
粒子がヴィータの体から溢れ、渦を巻き嵐となる

「アイゼン!久々のお出ましだ!」
『Anfung!』
 ヴィータと誰の物か分からない声が閲覧室に響き渡る。互いに牽制し合っていた勢力
が、吹き荒れる粒子に気が付いたのか、一様に動きを止めた。。
「遅せえ!」
 ヴィータの足元に浮かんだ謎の模様と溢れんばかりの光の本流の中で、ヴィータの姿
がみるみる内に"縮んでいく"。
 豊満な胸は洗濯板のように薄っぺらくなり、見る者を魅了してやまない肉感たっぷり
の尻は、青い果実のように小さく納まっていく。
 紅い光の奔流は治まる事は知らず、カタケオの部隊毎シンを飲み込んでいく。
 ただ、気を失う瞬間、シンは酷い詐欺にあったと、ただ漠然と痛感した。
 赤い光の奔流が治まった頃、後に残ったのは瓦礫の山と化した―――"元"競技場だ
った。

「お兄ちゃん」
 これは夢だとシンは、即座に認識した。シンの目の前には、学校の制服に身を包んだ、
夢が記憶の整理作業と言うなら、マユがこの格好であるのも頷ける。テレビ電話で話し
たマユは四年分成長した姿だ。
 シンが本当の意味でマユを知っているのは、この時までなのだから。
「お兄ちゃんは、私の事好き?」
「当たり前だろ」
 いつもは言い淀む台詞だが、夢と分かっているのかシンは強気だった。マユの事を溺
愛していたシンだが、いざ、マユから好意(勿論家族としてのだが)を向けられると、
いつも決まって言い淀み自分の気持ちを誤魔化していた。
「私も好きだよ」
「マユ」
「妹のマユは駄目。今は一人の女の子として、マユって呼んで」
 一指し指がシンの唇に当てられ言葉を塞ぐ。マユの指の柔らかい感触にシンの心臓が
早鐘のように鳴り響く。九歳児とは思えないような、妖艶な雰囲気を持つ妹に、シンは
、吸い込まれるように瞳を離せずにいた。
「マユ…」
 魅了の魔法にかかってしまったかのように、シンは、妹の名前を愛しさを込めて口に
する。だが、胸に溢れる思いとは裏腹に、シンの口から出た言葉はいつもの無骨な響き
でしか無かった。
「うん、合格だよ」
 しかし、マユは、シンの精一杯の頑張りに気を良くしたのか、満面の笑みを浮かべな
がら、シンの胸元に飛び込んでくる。
 きつ過ぎる金木犀の香りにシンは僅かに顔顰めるが、シンの胸にすっぽりと納まる小
さな体躯に、そんな感情はすぐさま吹き飛んだ。
 幼いながらもマユの体からは女の子の柔らかさを十分に感じる取る事が出来る。
 マユの硝子のように繊細で華奢な体を抱きしめる度に征服感にも似た劣情を覚えた。
 シンの瞳は、マユしか映っておらず、マユの瞳もシンしか映っていなかった。
 やがて、どちらとも言わず唇が近づき、衣擦れの音と共に、マユの白い肢体がシンの
眼に飛び込んでくる。
「いいよ」
 頬を桃色の染め、二つの影が重なり、薔薇の花弁が散る瞬間、魔女を自称する紅い髪
の少女がマユと重なった。
「うああああああ!」
 妹を持つ兄としては、まさに悪夢のような内容に、シンは大砲のような声を張り上げ
大慌てで飛び起きた。

 周囲を見渡すと、そこはいつもの見慣れた自室だった。
 時刻を確認すると、既に正午を回っている。置時計の秒針がカチカチと刻を削り、遠
くから廃品回収のアナウンスが聞こえてくる。
 机の上の参考書や赤本。本棚に収められた小説や漫画。義手の作業机に出しっぱなし
にされた工具類。枕元のデジタルプレイヤー等など。
 疑いようも無い、シンが四年暮らした部屋だった。
 いつの間に着替えたのか、シンは、Tシャツとハーフパンツ姿のままで眠っており、
汗でじっとりと濡れたタオルを不快に感じる。
 寝るときは外すはずの義手が、左腕に装着されているのが気になったが、瑣末な事だ
と割り切り、蒸し暑い室内に顔を顰めた。
 梅雨時分は、意外に温度も湿度も上がる
 シンは、部屋の空気を入れ替えようと、窓を勢い良く開けると、夏本番のような強い
日差しが瞳に飛び込んで来た。
 肌を刺すような強い陽光の下にでは、見慣れた街の風景が広がっていた。そこには、
ハンマーを持った美女もナイフを持った青年も赤と青の多脚戦車の姿など当然無く、
本当に狸か狐に化かされたように気分にさえなって来る。

「夢…見てたのかな」
 昨夜の出来事は、本当に夢だったのだろうか。なのはと夜のドライブで夜景を一緒し
、再開発区画で桃色の髪を持つ女の子を追いかけた挙句、得体の知れぬ相手に命を狙わ
れたのか、助けられたのか。冷静になって考えてみると、非常に馬鹿馬鹿しい夢と言え
る。主人公が厄介ごとに巻き込まれる典型例で漫画やアニメでももう少し捻った設定と
演出を選ぶだろう。
「そうだ、俺噛まれて」
 首筋に手を当てると、蜃気楼のような曖昧で朧気な記憶の中でも首筋を噛まれる感触
だけが鮮明に蘇ってくる。
 しかし、傷があるはずの場所には、何の痕跡も残っていなかった。
 あれほど鋭い犬歯で噛み付かれ大量に出血すれば、傷跡の一つも残るはずだが、首筋
は実に綺麗な物だった。
「夢か」
 現実を確認するように言葉にして出す。
"夢"と言葉に出す度に気分が落ち着くのを感じる。
 シンは、まるで白昼夢だと自嘲気味に笑うが、いかにハリウッド映画も真っ青な白昼
夢にあったとしても、先刻の淫夢、もとい、悪夢の前には霞んでしまう。
「最低だ…俺って…」
 よりにもよって妹と"あんなこと"をする夢を見るとは。シンの自己嫌悪はここに極ま
り、下着が"濡れ"ていないのは不幸中の幸いだった。
 ここで下着まで濡れていたなら、本当に自殺しかねない勢いだ。
 体中を襲う脱力感と罪悪感に打ちのめされながら、シンは、風呂場まで重い体を引き
摺って歩いていく。
 兎に角汗を流せば気分も変わるだろうと考えるが、階段の軋む音や疲れて鉛のように
重くなった体が、シンを最低野郎と責めている気がして、益々落ち込んでいく。
 恐らく、今のシンでは、箸が転がっても自虐に浸ってしまうだろう
「風呂は命の洗濯だっと」
 シンは、調子の外れた音頭で鼻歌を口ずさみながら、衣服を脱ぎ、洗濯籠の中へと放
り込む。
 汗ばんだTシャツのすえた匂いに顔を顰めながらも、タオル片手に浴室のドアを開け
、濛々と立ち込める湯気に面食らった。
「なんだよこれ」
 シンは、シャワーで済ませるつもりだった為に風呂は沸かしてはいない。
 立ち込める湯気の性か、周囲は何も見えず、蛇口からはお湯が現在進行形で、まさに
湯水の如く垂れ流されている。
「誰だよ、こんな事したの」
 そうは言って見たが、よくよく考えてみると、疲労困憊で帰宅したシンが風呂を沸か
しっぱなしで放置した。そう考える方が自然に思えた。
「勿体無いな」
 一晩中沸かしっぱなしだったとすれば、水道代とガス代は、一体如何程の金額になる
のか。
 考えるだけで中々に胃を締め付けてくれる。
 シンは、今月の高熱費は余計に入れようと密かに決心し蛇口を閉め湯を止めた。
 ついでに、浴室に溜まった湯気を追い出そうと、換気扇のスイッチに手をやる。そこ
でシンは、妙な事に気付いた。
「おいおい、勝手に止めんなよ。まだ、人が入ってんだぜ」
 湯気の奥、浴室の中から声がするのだ。
「聞こえてんのか?シン・アスカ。"あたし"は、風呂に入る時はお湯を出しっぱなしに
する主義なんだよ」
 いや、本当は気付いていたが、精神の安定の為に気付かないフリをしていただけかも
知れない。
「聞こえてのか、シン・アスカ?
 当然聞こえている。しかし、今振り返れば、昨日の非常識極まる大騒動を認めてしま
いそうで、シンは硬直したまま一歩も振り返れずに居た。
(夢だ…あれは夢なんだ)
 しかし、何時までもこのままでは埒が開かない。
 きっと、聞こえている声は幻聴で、振り返るとそこには何も無く、またいつもの日常
が始まるとシンは最後の悪あがきを試みる。
 しかし、現実は甘くない。シンが振り返ると、そこには紅い髪をした十歳位の"女の子
"が、石鹸でも入れたのか泡だらけの湯船に浸かり「よっ」と軽やかに手を上げていた。
 流石は夢。間違い探しにしては、難易度が易過ぎる。
 夢が本当ならば、シンを助けたのは二十代後半の美女だ。
 しかし、偽ジャグジーに浸かる少女は、何処から持ってきたのか桃色のシャンプーハ
ットを被り鼻歌を歌う九歳児。
 どう贔屓目に見ても同一人物とは思えない。
 何しろ体のバランス、主に乳や尻や足などが驚異的なまでに違い過ぎ、ガッカリ度は
半端無いレベルで盆踊りを踊っている。
 しかし、中身のガッカリ度とは別に、少女の赤い髪は脳裏に昨夜の記憶が鮮明に蘇ら
せ、シンに堪えようの無い混乱と畏怖が襲い掛かってくる。
「おい」
 気が付けば少女が止めるのも聞かずシンは大声を上げながら"裸"のまま、風呂を飛び
出していた。

 空港からのモノレールを降りると、聞きなれた喧騒と暑い日差しがシグナムを迎えて
くれた。
シグナムの暮らす街は、首都と比べると規模こそ落ちるが、地方都市にしては中々の
賑わいを見せている。夏を前に開放的になっているのか、行き交う人々の服装は皆軽装
スーツ姿のシグナムの格好は嫌でも人目を惹いた。
 シグナムは、日除けの日傘を差しながら、タクシー乗り場に向うべく歩き出した。
 大道芸人の投げたジャグリングが陽光に溶け、見物客の歓声が耳朶を打った。
 止まっているだけでジワリと汗が噴出し、梅雨を飛び越えて真夏になったような感さ
えある。
「遅くなってしまったな」
 本来ならば、午前中は教授達と第三新東京市を観光をするつもりだったが、妙な胸騒
ぎを覚えたシグナムは、仏頂面の教授と後輩達に詫びを入れ、朝一番の飛行機に乗り第
三新東京市を後にした
 機内で見た新聞には、再開発地域謎の倒壊事故と物騒な煽り文句がシグナムの不安に
拍車をかけ、道中気が気で無く、杞憂だと言い聞かせるのに精神を磨り減らしてしまっ
た。歩いて帰る時間がもどかしいのに、今日に限って何故か駅前のタクシー乗り場は大
盛況で乗り場を囲むように形勢された長蛇の列にシグナムは眩暈を覚えた。
「あれ、シグナムやん」
 走った方が早いのではないかと黙考するシグナムを苦笑する声が届き、声に促される
ようにシグナムは浮かない顔を上げた。
 シグナムの目の前には、見慣れた軽自動車が停車している。暑いのか窓を全開にした
車中ではやてが、微笑みながらシグナムを見つめていた。
「主はやて、どうしてこんな所に」
「買い物や買い物。どうせあの義弟君の事やから、面倒臭がってろくな物食べてないや
ろ。だから久々に腕振るったろうと思ってな。駅前の大型店まで遠征や」
 はやての言うとおり後部座席には、うず高く詰まれた食材が所狭しと並んでいる。
 はやて達の生活圏である商店街は食材も新鮮で種類も豊富だが、やはり、量を仕入れ
るなら大型店舗の方が都合が良い。
 肉、野菜、魚、兜焼きにでもするつもりだろうか。クーラーボックスからはみ出る、
マグロの頭がシュールなジョークのように何とも言えぬ悲哀を醸し出している。
「しかし、これは買いすぎでは?冷蔵庫に入りきるのでしょうか」
 恐らく目算で十人前。
 いや、それ以上かも知れない。どう考えても八神家が一度に買い込む食糧の十倍はあ
る。車椅子のはやてが、どうやってこれだけ買い集めたかのは不思議だが、恐らく店員
さん達は大泣きした事だろう。
「あっ、やっぱりそう思う?」 
 苦笑し頬をバツが悪そうにかくはやてを見て、シグナムもつられて相貌を崩した。
「まぁええわ。買いすぎた量はシンの胃袋に期待するとして、はよ乗りやシグナム」
「はい」
 シグナムが、ドアを開け乗り込むと、はやてはアクセルを踏み、勢い良く軽自動車を
発進させた。
「えらい早かってんな。夜になるって言ってなかったけ?」
「ええ…妙な胸騒ぎがしまして」
 シグナムは、歯切れ悪く答えた後、ポニーテールに縛った"朱"色の髪の毛を手持ち無
沙汰に撫で上げる。
 日付が変わって直ぐの頃だっただろうか。胸を締め付けるような衝動を感じ、シグナ
ムはベットから飛び起きた。
 シンに危険が迫っている。シグナムの何の根拠も無い思い込みだったが、衝動的に携
帯電話を取りリダイヤルを選択した所で、シグナムは、はたと思い直し携帯電話を充電
ホルダーに戻した。
 時間は既に午前零時を越えている。今頃シンは夢の中だろう。眠っている所を起こせ
ば、シンの負担になると考え、シグナムは「考え過ぎだ」と頭を振るいベットの中へと
戻っていった。
 しかし、睡魔は何処に言ってしまったのか、一旦気になり始めると寝るに寝付けず、
一人悶々としながら、結局一睡も出来ずに夜を明かしてしまった。
(あの感覚は…)
 髪が脈動するような熱い衝動。
 久しく忘れていた体に眠る忌むべき血を思い出し、シグナムは、はやてに気付かれな
いように溜息をついた。
「こんな事があったから分からんでもないわ」
 はやてがカーナビをテレビに切り替えると、崩壊した競技場の前に渦山の人だかりが
出来ている。
 巨大な競技場はミサイルの直撃でも受けたかのように、無残にも崩壊し瓦礫の山と化
していた。ふと、気が付けば頭上を報道ヘリが飛び交い、液晶の中では、リポーターが
競技場崩壊の謎を熱弁していた。
「ほんま、物騒やわぁ。テロやろか」
「分かりません。只の事故かも知れませんし」
 どんな事故が起これば、競技場が崩壊すると言うのか。恐らくシグナムは、シンの間
近で"テロ"と言う言葉は使いたくなかったのだろう。

 シグナムは、過去の亡霊から逃げるように、テレビのチャンネルを切り替え、トート
バックから携帯を取り出す。
 電源を切っているのか、それともバッテリーが切れているのか、シグナムが何度コー
ルしてもシンへと電話がかかる事は無かった。
 浮かない顔のシグナムは、シンへと再度電話をかけるが、流れてくるのはお決まりの
テンプレートだけだ。杞憂だと思うが、髪と血の疼きがシグナムの不安を必要以上に煽
り立てる。
 シグナムは、桃色に近い赤い髪を左腕に握り締め瞑目する。
(緋色だと…眉唾だと思っていたが)
 シグナムは、体に流れる古い血の宿命を、曽祖に子守唄代わりに聞かされ続け育った。
 シグナムが育った土地は北欧の地アイルランドだが、生を受けた土地は中国だった。
古く長い歴史を持つ国だ。貧富の差も激しく、近隣諸国のとの外交軋轢も多い。幸か不
幸か、シグナムが生まれた家はとても裕福な家だった。少なくとも両親が健在な内は、
それだけだと思っていた。
 シグナムが、実家が中国でも五指に入る程の名家だったと知ったのは、小学校に上が
る寸前の出来事だった。
 旧家と言うのは、古今東西"仕来り"に縛られるのがお約束のようなコミュニュティだ。
 シグナムの両親が死に、正式に家督を継いだ時、家の仕来りが彼女の重く圧し掛かっ
た。
 曰く―――世界を統べる者
 曰く―――彼岸の彼方の住人
 曰く―――到達者にして超越者を作り出す事にある。
 そして、一族の女とは、全てが彼らを創り出す"道具"であると。
 曽祖父の言葉は、彼女の精神を呪詛のように苛み、いつしか"家"の運命に縛られる事
を嫌ったシグナムは、遠い親戚を頼って家を逃げ出した。
 すぐさま追っ手がかかり短い逃避行となるはずだったが、不思議な事に追手はかから
ずシグナムは、今の今迄逃げ延びていた。
「主はやて…帰りましょう。我が"家"に」
「ほいほい、任せとき」
 シグナムが無意識に我が"家"に力を込めたのを、はやてだけは気付いていた。

「はぁはぁはぁ」
 昨日は謎の女と軍隊に襲われ、目が覚めたら家の中に見知らぬ九歳児が風呂に入って
いる。
 冷静に考えれば在り得ない現実にシンは、この上なく狼狽していた。
 一瞬、警察に通報するべきか悩んだが、どう客観的に見てもシンが捕まる可能性の方
が遥かに高い。
 脳裏にモザイクの入った友人達が「そんな事する奴とは思わなかったんですが」と御
決まりの台詞をのたまい、シグナムが涙で顔を濡らし、はやてが顔を引き攣られながら
呆れ、スバルがマジ泣きし、ティアナの渾身の右ストレートが顔面に炸裂した瞬間に、
シンは、妄想の世界から抜け出す事に成功した。
 シンは、落ち着く為に茶を一杯飲もうと台所まで歩いていく。何にせよ、家の中に正
体不明の幼女が居る事に変わりは無い。
 事情を聞くにも、こちらが冷静で無ければ始まらない。シンもこれ以上事態をややこ
しくするのはごめんだった。
「エリオ君、お茶が入ったよ」
「ありがとうキャロ」
「そうだよな…そんなわけあるわけないよな」
 八神家は、一体いつから託児所になったのか。シンの目の雨で赤い髪の少年と桃色の
髪の少女がテレビを見ながら暢気にお茶を飲んでいる。
 カツラ疑惑で有名なタレントがアイドル相手に駄弁り続け、出演者が珍妙なゲームに
興じている。
 ネタ切れ感が酷く、シンはあまりその番組が好きでは無かったが、二人は余程気に入
ったのだろうか。シンに気付きもせず、テレビを爆笑しながら見つめている。
 シンは、思わず自身の正気を疑いそうになる。むしろ、この時ばかりは確実に正気を
失っていたのだろう。
「おはようございます、シンさん」
「お、おはようございます」
「誰だか知らないけど、おはよう」
 もうどうにでもなれとばかりに、シンは、赤い髪の少年の隣に腰を降ろす。
「シンさんもお茶要りますか?」
 赤い髪の少年は、気さくに話しかけてくる。人見知りしない性格なのだろうか。
 エリオからは、シンに無い大人のような余裕のような物を感じられ、ヴィータとは
違い随分と人間が出来ているように見受けられる。

「頭がパンクしそうなんだ。悪いけど熱いのくれないか?」
「はい、分かりました。キャロお茶二つ」
「う、うん」
 だが、桃色の髪の少女は、エリオ程人が良くないのだろう。
 見知らぬ人間に対する警戒心高めの歳相応の対応に、何故か安心してしまうシンだっ
た。
「僕の名前はエリオ。彼女はキャロです」
「シン・アスカだ」
 チラチラとこちらを盗み見るキャロと呼ばれた少女が気になり、シンは、エリオに生
返事を返すだけだ。
 相手が例え年端もいかない、少年少女だとしても、見ず知らずの人間といきなり親し
くなれる程、シンの性格は丸くない。主観の問題だが、二人供悪い子見えない。
 しかし、キャロと呼ばれた少女は、昨日の晩、シンが再開発地域で消えた少女に間違
い無いだろう。
 シンの前から蜃気楼のように忽然と姿を消した少女に警戒心を抱くなと言う方が度台
無理な話である。
 子供相手に疑惑の視線を向けたく無かったが、二人はどう考えても、あのヴィータの
関係者だ。
 油断していると、どんな変身を遂げるか分かった物では無い。シンが、ヴィータ達の
"狼藉(だんらん)"を無視し、同じテーブルに着いたのはシンに出来る最大限の譲歩だっ
た。
 しかし、警戒心と猜疑心片手に会話に望んだ所で残るのは重い空気だけである。
 当然会話はすぐに底をつき、気まずい空気だけが場に漂い始めた。
「あの…すいません。怒ってますよね」
「怒るも何も…俺も何処から何していいか見当も付かない」
「ですよね」
 エリオは、ははと、愛想笑いを浮かべ、手持ちの湯飲みを一気に飲み干す。
(気まずい)
 恐らくエリオもそう感じているはずだ。
 キャロがお茶でも運んできて切れれば、会話の口火を切る事も出来ようが、肝心のキ
ャロは、キッチンの入り口に身を隠し、こちらの様子を恐る恐る伺っている。
 彼女の目には、まるで、シンが、人食い虎にでも見えているのだろうか。
 顔を蒼白にし、今にも卒倒しそうな程ガタガタと震えていた
(俺…そんなに怖いか)
 格別愛想が良い方では無いが、あそこまで露骨に怖がられると、些か傷つくものがあ
る。シンは、机の上に用意されていた茶請けを手に取り口に放り込む。
 寝起きで乾いた口の中に、油菓子のモソモソ感が広がり、尚更飲み物が欲しくなって
来た。
「おーうお前ら仲良くしてるか!?」
「いい加減この微妙な空気だけでも何とかしてくれ」と切に思った矢先、上機嫌且つ能
天気なヴィータの声が居間に響いた。
「アンタ…なぁ」
 ヴィータは、バスタオル一枚羽織ってこそいるが、肩口にかけているだけ殆ど素っ裸
だ。言っても差し支えない。顔を引き攣らせるシンを他所に、台所にズケズケと侵入し
、シンの断りも無く冷蔵庫の牛乳を拝借する。
「ぷはーー!この一杯の為に生きてるな、あたしは」
 1.5リットルのパック牛乳を僅か三秒で空にし、口を拭うを姿など、なりは幼女だ
が態度は確実におっさん級だ。
 素っ裸も問題が、何処か別の国に羞恥心を置き忘れてきたとしか思えなかった。そも
そも、人の家でその寛ぎっぷりは、何処の王様だと愚痴を零したくなる。
「なんだよ、マスター。仏頂面で難しい顔して。あっ、あれか、あたしの悩殺ボディに
クラクラ来たとか。駄目だぞ。あたしは年上が好きなんだ。お前見たいなちんちくりん
が、あたしに愛の告白なんざ、百年早えんだからな」
 洗濯板とプニプニボディの何処に欲情すればいいのだろう。世の中にはそう言った特
殊な性癖のお兄さん方も勿論存在するが、残念な事にシンにその気は全く無かった。当
然"妹"とのごにょごにょな夢を見た事は既に記憶から抹消済みである。
「ヴィータさん、風邪引きますよ。それ以前に服着てくださいよ」
「ったくうるせえなぁ。久々にこの姿に戻ったんだから、もうちょっと自由にさせてく
れよ」
 "保護者"のだらしなさににエリオが助け舟を出すが、唯我独尊の性格で暴れまわるヴ
ィータには、なしのつぶてだった。
「自由人過ぎるんだよ、アンタ。エリオだっけ?その子も困ってるだろ」
「お前も自由人じゃねえか、裸で何やってんだよ?」
「えっ?」
 見るに見かねたシンが、エリオに助け舟を出すが、ヴィータから意外な言葉が返って
くる。

(そう言えばさっきからどうも体がすーすーするなって)
 例えば想像してみよう。いい年齢した大人が一糸纏わぬ生まれたままの姿で、小さな
少年に愛想笑いを浮かべ、油断無い視線を送っている図だ。
 シンを股間に白鳥、全身白タイツに身を包んだおっさんに置き換えた方がまだ健全に
見える。少年に裸で迫る青年と言うのは、生々し過ぎてまさに酷い絵面だった。
「そこは平均なんだな」
「うわあああああああ!」
 もう何度目になるのか、数えるのも馬鹿らしい程にシンは絶叫を上げた。