SCA-Seed_平和の歌◆217 氏_第02話

Last-modified: 2008-12-07 (日) 19:03:16

 馴染みの無い人も多いと思うけど、世の中には私立探偵と言う仕事が有る。輪をかけて
耳慣れないだろうけど、私設警察だってある。どちらも、プラントには有り触れている。
宇宙に浮かぶ自由の国では、あらゆる職業、あらゆる生き方、あらゆる価値観が認められ
ている。たとえそれが、自由の女神がスイーツと同じ発音で綴る所の価値観に過ぎないに
せよ、地元警察に話をつけておける限りで、悪い事じゃない。
 そんなプラントでも、一つだけ、許されない職業がある。地上の自由主義国家なら、決
して訣別出来ない職業。ヤクザ者や裏社会の類だ。歌姫の“解放”は、プラントから暴力
を根絶した。
 警備会社に勤務してから半年。大抵の仕事はこなしたけれど、護衛だけはやった事が無
い。一見、警備会社と切っても切れないこの仕事を、“解放”以来、引き受けた所は一つ
もないだろうし、持ち込んだ依頼人だって皆無だろう。一般人が護衛を必要とするのは、
大抵、計画的か、組織的犯罪の標的とされるなり、巻き込まれた場合で、プラントにはも
う裏社会が存在しない。ラクス・クラインがそれを根絶するたった一つの方法、つまりは
国家が組織的暴力の全てを牛耳る道を選んだからだ。大小問わず、たかが警備会社や民営
警察が、どうして歌姫の騎士団を向こうに回す事が出来るって言うんだ?
 俺達に出来るのは、小さな仕事だけだ。小さな事こそが大切だ。そう信じたい。けど、
この仕事を選んだ時の考えを捨てた訳じゃない。もし、本当に誰かが助けを求めて来たな
ら、プラント中の会社がそっぽを向いたって躊躇わずやる。俺はそのつもりでいる。
 例え、その為に、プラントとさよならをしなければならないとしても。

 
 

 

 46㎏の不意打ちが、俺を床に押し倒した。鼻面を人の頭蓋骨くらいに硬い物が直撃し
たのは、辛うじて受け身を取った、その時だ。
 紙飛行機だった紙切れが舞った。涙越しに、最後の一文が見えた。尚、この指令書は裏
紙として再利用される為、所定の棚に保管する事――――。

 

「畜生っ!」

 

 プラントに神は居ない。呪いの言葉は自然、ストレートで、それだけ下品になる。だか
らなんだ。運命を呪う時にまで、お上品に取り澄ましていられる奴が、一体、どれくらい
居ると言うのだろう。

 

「痛た……大丈夫ですか?」

 

 嫌に甲高い声が耳を撫でた。取り敢えず、文句を言ってやろうとした時、鼻腔から生暖
かい液体が漏れた。闖入者の表情が眼に見えて変わった。心配とか、申し訳無いと言うよ
りも、単純に驚いた顔が、不意に凍り付いた。
 狭い事務所を、火花が走った。開けっ放しの窓から飛び込んだ小さい鉛の塊は、一昨日、
近所の電気屋で買って来たばかりの蛍光灯を粉砕した。天井に穿たれた五つの穴が、小太
りな大家の弛んだ顔を思い出させた。うちは保険に入っていない。元より、プラントに信
頼出来る保険会社なんて有りはしない。
 そんな事よりも、大変な事を思い出した。うちには、こうした場面を妙に喜ぶ奴が居て、
彼女がばら撒く砲弾は、階下から放たれる、当たりっこない銃弾の数千倍は危険だった。

 

「ルナ!」

 

 止めようとした俺の声を、赤毛の中身は都合良く解釈した。その手は、既に武器庫から
ひっぱり出して来た大砲を抱えていた。本体と弾丸を合わせれば、50㎏を越える大荷物
だ。それを軽々と運ぶ怪力に驚く間も無く、命知らずの同僚は窓から身を乗り出していた。

 

「戦闘は火力ぅっ!」

 

 声は半ば聞き取れなかった。爆音と共に、人に向けてはいけない筈のどでかい弾丸がば
ら撒かれる。例によって例の如く、一発も当たらない――――砲弾は。薬莢の方は百発百
中、狙わなかったかの様に、俺のこめかみを直撃した。

 

「畜生っ!」

 

 今日も踏んだり蹴ったりだ。

 

「どいてくれ!」
「あ!す、すみません!」

 

 鈍い被護衛対象――――契約はどうなっているんだろう?――――を押し退けて、眼下
をそっと見下ろした。当たれば死体の形が残らない砲弾があちこちに穴を開ける中、五体
満足の男達が慌ててビル陰へと逃げ込んで行く。

 

「……あんた、何者だ?」

 

 白かったり赤かったり緑だったりする背中は、嫌な意味で見覚えが有った。

 

「分かりません」

 

 赤毛の下から、信じられない言葉が漏れた。向こうで空になった弾丸ボックスを蹴り飛
ばし、30㎏弱の塊を新たに引っ張り出しているトリガーハッピーも赤毛だった。多分、
赤毛と言う奴は、脳に廻る筈の血を吸い上げた色なのだろう。

 
 

「本当に分からないんです。18歳、水瓶座のB型、プラント大学英文科、趣味は一人で
カラオケ、所属している団体なんて、自転車愛好会だけですよ。軍に追いかけられる理由
がどこにあるって言うんですか?」

 

 12.7㎜弾に切り刻まれた声の断片が、辛うじて耳に飛び込んだ。聞こえた所で、分
かる事は一つも無いだろう。分かっているのは、ここでの商売は今日を限りと言う事だ。
 アビーが記憶媒体をシュレッダーに放り込んでいる。疚しい事が有る訳じゃないが、公
正明大も相手によりけりだ。俺達には軍や警察に知られたくない秘密が山ほど有って、こ
の国は警官を信用出来るほど幸せな場所じゃない。

 

「何をしてるんですか?」
「撤収準備だ!資料を処分してる!」

 

 奇跡的なタイミングだ。窓辺の砲撃手は、丁度三箱目に取りかかった所だった。一体、
この事務所にはどれだけの弾薬が備蓄されているのだろう。

 

「建物ごと燃やしちゃえばいいんじゃないですか?」
「あんたは俺が何者に見えるんだ!」

 

 俺は怒鳴った。

 

「45口径でドアノブを吹っ飛ばすタフガイの探偵か?車ごと標的を爆殺する殺し屋か?
言っとくけどな。俺は単なる警備会社のサラリーマンなんだ。あんたが毎日乗り回してい
る様な奴とは比べ物になんないチャチな自転車を、二ヶ月分の給料で買うべきかどうかも
決められずにいる、平和的な小市民だ!」

 

 アビーだってそうだ。金髪に似合わぬ頭脳が最大限に発揮される場所は近場の商店街。
倹約に倹約を重ね、未だ見ぬ相手との結婚資金を貯めている。

 

「あいつを基準にうちを計らないでくれ!」

 

 奇跡的なタイミングだった。俺の日給を10秒足らずで吐き出す大砲は、誰よりも使い
手の耳を聾している筈だ。
 抽斗から拳銃を取り出す。人間の頭蓋骨も撃ち抜けない22口径は、平和的な小市民に
はいかにも相応しい代物で、それだけに、平和な生活とさよならするパスポートとしては
あまりに軽かった。

 

「どうするんですか?」
「決まってるだろ。逃げる」

 

 相手は軍隊。おまけに問答無用で撃って来る。増援が来る前にとんずらしなければなら
ない。港は封鎖されているだろう。

 
 

「参るなあ……」

 

 昨日までの大金持ちが、聞いた事も無い罪状の“容疑”で文無しになる。そんな事が日
常茶飯事のプラントで生きて行きたければ、いつだって逃げ道を用意しておく事だ。そし
て、港以外から宇宙に出るとしたら、最外周部は時速600㎞で回転するフラスコから飛
び出すしか無い。
 念の為、依頼人にも一丁手渡す。すぐ後悔する事になった。

 

「銃口を覗くな!」

 

 手渡したばかりの拳銃を取り上げると、俺の火力は二倍になった。だからと言って、少
しも嬉しくは無かった。二丁拳銃なんて曲芸は、古びた西部劇のガンマンか、ルナにでも
任せておけばいい。

 

「ったく。あんたみたいな鈍いのが、よく二階の窓に飛び込めたもんだな」
「放り込まれたんですよお。ミスタ・ギルは何か準備が有るから、て」

 

 なるほど、俺達を囮にして、その間に指定のハッチへ宇宙船を回す算段でいるのだろう。
それにしても、年相応に脆弱な社長が、小柄なりとは言え、人間一人を放り投げられると
は思えない。俺達以外に社員、て居たか?
 依頼人を連れて事務所を出た。ガレージまでの間に、危険が無いなんて言い切れない。
平和よさらば。平和よさらば。声をかけても聞いていないルナには、桃色の歌声を流し始
めたラジオを投げ付けておいた。平和よさらば。

 

「すみません。巻き込んでしまったみたいで」
「気にすんなよ。あんたのせいじゃない」
「そうですね。気にしない事にします。こう言うのって、映画みたいでドキドキしません
か?」
「やっぱ気にしとけ。あんたのせいだ」

 

 地下のガレージでは、年老いた白色灯が青い息を漏らしていた。うちの事務所で社長の
ゴルフセットよりも高価な唯一の備品、ローンの終わっていない小さな電動車は、最も奥
まった所に停まっていて、そこまで行くと真っ暗だった。
 コロニー育ちの癖して、市街での動き方も知らない軍人達が、ガレージに飛び込んで来
た。LEDを二ダース束にしたライトを当ててやると、子供の頃にオーブで見掛けた虫み
たいに動きを止めた。暗闇で強烈な光を浴びれば、どうしたって反射的に目を庇う。ある
一定の強さを超える閃光となれば、数秒間分の逆行性健忘を引き起こす。
 掌中でスライドが鋭く跳ねた。動かない標的に、二発ずつ22口径弾を送り込んでやる
と、なんとなくフリーダムとキラ・ヤマトの気分だったが、生憎、俺には相手の手足をも
いで嬲る悪趣味は無い。小さな小さな弾丸は、全弾狙い通り、相手の脳天に食い込んだ。
 時を止めたのは、敵兵――――と呼んでいいんだよな――――だけじゃなかった。依頼
人の軟弱な腕が、俺の腕に絡んだまま凍り付いていた。

 

「人死は初めてか?」
「貴方は……」
「シンでいい」
「シンさんは慣れているんですか?」
「安月給で命を張っていた。たった今から、命賭けで、一文にもならない仕事をする羽目
になりそうだ」
「すみません。本当に」
「あんたのせいだ。生きて逃げおおせたら、ビールとチョコレートパフェを奢って貰う」
「変な組み合わせ」

 

 繊細な顔が綻んだ。淡い笑顔が心臓を突いたのは、多分、気のせいだった。その筈だ。

 

「体動かした後は、水分と甘い物が欲しくなるんだよ。さ、乗った乗った」

 

 依頼人を狭い後部座席に押し込んでやる。運転席にはアビーの姿が在った。普通なら助
手席に乗るべきなのだろうけど、折角だから、俺はこの後の扉を選んだ。怒れるルナがガ
レージに飛び込んで来たのは、その時だ。
 不殺の砲兵は、未練がましく大砲を抱えていた。軽自動車のペラペラなドアが、そんな
凶悪なブツを飲み込める訳が無い。
 目の前に脚が伸びた。天井の真ん中にぽかりと口を開けるサンルーフが初めて役に立っ
た。頭上で重い音がした時、ロウヒールが前部座席の背もたれを滑って、俺の顎を直撃し
た。

 

「仕返しっ」

 

 わざとか、畜生!
 抗議しようとした時、小さなタイヤが強烈に地面を噛み、軽い車体を空へ放り出した。
出口の坂道は、お誂え向きのカタパルトだ。着地。全身で衝撃を受け止めた中古車は、弾
んだ勢いで進路を90度変える。
 荒っぽい運転に一瞬、ルナが心配になったが、82のヒップは目の前に危う気なく座し
ていた。薄い天井に食い込む重機関銃は、その重さで、抜群の安定性を示していた。

 

「ひゃーっ」

 

 歓声が聞こえた。外は蒸し暑かった。気象管制局の役人が、五時前に粗悪なアルコール
を一杯ひっかけたか、さもなくば、自由の女神と呼ばれる自由な女神が、今朝目を覚まし
た時、オープンカフェでアイスコーヒーでも飲みたい気分だったのだろう。サンルーフか
ら身を乗り出し、突風に身を委ねるのは、なるほど爽快には違いない。

 

「ルナっ。そんな所に立つなよ。運転席から、後が見えないだろう」

 

 多少のやっかみも有っての科白だと、認めないといけない。エアコンは先月に生きる事
を諦め、車内では70%の湿度が蜷局を巻いていた。

 

「構わないわよ。見てないから」

 

 済ました声が、聞き捨てならない事を言った。

 
 

 遠心力で人工重力を生み出すコロニーでは、高層建築ばかりでなく、車両の速度も制限
される。違和感無く、安全に運転出来る限界はコロニー自転速度の1/10と言った所で、
一般車の最高速度はその七割程度だ。
 加速Gが襲うと、身を乗り出していた依頼人が、薄っぺらなシートにめり込んだ。この
オンボロはリミッターが外してある。制御システムの封印を破った車両は車検を通らない
のが建前だが、プラントには金で買えない書類なんて存在しない。
 背後に雑居ビルと商店街が飛んで行く。安い家賃と裏腹に、小便の臭いも、マリファナ
の臭いもしない、窓ガラスも割れていなければ、ドアノブも壊れていない、鍵は五つしか
かけなくても安心して眠れる貴重な町だった。もう、戻る事は無いだろう。平和よさらば。
 後輪が浮いたのは、背後に軍用車が見えた時だった。ちゃちな車体が、ひび割れ、穴の
空いたアスファルトの上を、ゴム鞠の軽さと頼りなさで弾む。

 

「先手必勝っ!」
「走行中に撃たないで!」

 

 分間900発の速度で放たれる12.7㎜弾の反動を吸収出来るほど、俺達の愛車はタ
フじゃない。ルナが水鉄砲の気軽さで引き金を引く度に、細いサスが悲鳴を上げ、車が右
へ左へぶれる。前後に弾む。
 後部座席にシートベルトは着いていなかった。悲鳴も忘れて身を小さくする英文科の学
生を、抱え込む様にして庇ってやる。そうしなければ、俺の鼻骨を割った鈍器が、今度は
窓ガラスを粉砕して、外に飛び出して行きかねない。

 

「怖いか?」
「え、ええ。でも、大丈夫です」
「安心しろ。俺が守ってやる」
「どうして追われているのかも分からないのに?」

 

 腕の中の声に、笑みが混じった。無理を感じさせる笑みだ。

 

「今、この国じゃ、悪党が軍隊を連れて来るんだ。間違っても、追われていたりはしない」
「有り難うございます」

 

 弾切れだろうか。震動が止んだ。依頼人を解放する。なんだか、いい匂いがした。きっ
と、気のせいだ。うん、気のせい。
 正面に向き直ると、天井と背もたれの間で、蒼い瞳が決して人を愉快にさせない類の笑
みを浮かべていた。

 

「なんだよ?」
「別に」
「だから、なんだよ?」
「だから、別に」
「女嫌いが人生の半分を損しているのなら、きっとシンは人の五割増しは幸せだわ。そう
言いたいのでしょう」

 

 運転席で冷静な声が言った。人の神経を逆撫でする類の冷静さだった。酷い誤解だ。隣
で妙に線の細い護衛対象が身を退いた。
 多分、俺は誤解され易い人間だ。そして、世の中には放置して差し障りのない誤解と、
そうでない誤解が有る。だが、どう弁明したら良いのだろう。何しろ、世の中に女好きの
ホモセクシャルなんて居やしないと言うのに、ホモセクシャルが嫌いな女も居ないと来て
いる。誤解を解くのは時として難しいが、曲解を解くのは不可能に近い。
 何かを言おうとした口が、そのまま惚けた。多分、俺は今日、この時に限って、奴に感
謝するべきだったのかも知れない。
 四方にしか走っていないコロニーの道路には、行く先はあっても方角は無い。中央公園
と港と市庁舎を結ぶ十字路の真ん中には、今し方装甲車両が脚を休めた所で、その隣に立
つのは、プラントでは誰一人として知らない者の無い有名人、若き白服の総司令官代理、
歌姫の騎士団長だった。

 

「あんた、何者だ?」
「だから、分かりませんって!」

 

 白服が拳銃を構えた。何かを言っている様子だったが、生憎、俺達の間には100mの
距離と、フロントガラスが立ちはだかっていた。

「討ちたくないんだ。討たせないで……? ? ?」
「なんだ、そりゃ?」
「得意なんです。読唇術」
「平和的なこった」

 

 キラ・ヤマトの言い種は、全く平和的だった。ラクス・クラインが地球各国に押し売り
する、クーリングオフの効かない平和だ。戦争の対義語と言う以外、バナナの皮ほどの意
味だって含んじゃいない平和だ。
 拳銃に合わせて、対MSロケット戦闘車が首を擡げた。飾り同然の拳銃なんてどうでも
良い。対MSロケットは大げさが過ぎる。そして、あの男は標的が人型で無い場合と、自
身が絶対の火力を手にしている時は、容赦を知らない。
 乾いた銃声が、0.1秒の時差で耳に届いた。派手なバックブラストが見えた時、体が
宙に浮いた。
 アビーがかわしたのだろうか。射手が外したのだろうか。整備不良だろうか。ともあれ、
3000度のメタルジェットが俺たちを消し炭に変える事は無かった。
 依頼人を庇って抱え込んだ時、窓の外を何かが飛んで行った。それはルナでは無かった
けれど、二つの意味でそれと変わりがなかった。俺達は当たらないにしても貴重な火力を
失い、積荷が50㎏ばかり軽くなった。
 一回、二回、ちいさな自動車が薄っぺらいアスファルトの上を跳ねた。屋根の上で何が
起きているかを、車内に覗く下半身が教えてくれた。怒りに燃えるロウヒールが前部座席
のクッションを破った時、震える手が腰のホルスターから拳銃を引き抜いた。小さく短く
可愛らしい俺のそれと違い、昔ながらの回転式、動物園でも見た事が無い熊を一撃で倒す
と言う凶悪な50マグナムは、見る物を威嚇するかの様に重く黒ずんでいた。

 

「こんの、ド外道がぁーっ!」

 

 持ち主の声と同じくらい大きな銃声が、耳を聾した。
 50マグナムの威力はよく知らない。そうそうお目にかかれる代物じゃない。けど、そ
の子分に当たる44にはちょっとだけ馴染みが有る。机上の計算では18輪トラックをス
トップさせ、実際でも2.6リットルのセダンをひっくり返した例が有る。弾頭が巻き起
こす衝撃波は、3インチ先の小指を斬り飛ばす。
 多分、俺は奇跡を目の当たりにしていた。357マグナム弾の三倍のエネルギーを持ち、
ボディアーマーを容易く貫く50/100インチ口径のマグナム弾が直撃した時、小さな
な自動拳銃がどんな末路を迎えるかについては少々興味があったが、更に衝撃的な出来事
が、俺の好奇心を麻痺させた。何を思ったか、キラ・ヤマトは路上を格好いいポーズで横
っ飛び。商店の窓を突き破って中に飛び込んだ。撃たれてから身をかわす奴は初めてだ。
多分、時間を止めるばかりでなく、巻き戻せるつもりなのだろう。
 アビーはアクセルを弛めなかった。援護の車両はいなかった。俺達はロケット車両の真
横を走り抜け、50口径弾が一発も命中しなかった代わりに、応射も受けなかった。

 

「スーパーコーディネーターに人権は無い」
「ルナ。お前って奴は……」

 

 中央通りに入ると、コロニーの町並みはモスクワに変わった。どんな建物よりも高く聳
える像は、自由の女神と呼ばれていたが、だからと言って、どうしてこの街がニューヨー
クだなんて言えるだろう。

 

「アビー。3Aだ。社長が船を用意している」
「分かってる。けどっ……!」

 

 先走りの総司令官代理の傍には、堅実な部下が控えている様だった。公園と時計塔を挟
んだ向こうには装甲車両の列が、むっつりとした顔でラインダンスを踊っていた。後を振
り返った時、バックミラーを見る事を知らないドライバーの為に、警告を与えてやる必要
を覚えた。

 

「飛ばします」

 

 既に床までペダルを踏んだ状態で、アビーは言った。
 前方は完全に塞がれていた。何か言おうと思った時、車が公園に乗り上げた。実在する
自由の女神の偉業を讃える石碑を蹴り、休憩所の三角屋根を駆け、時計台を足蹴にし、遂
にはどんな建物よりも高い、自由の女神のピンクの頭に泥を付けた。
 悲鳴は聞こえなかった。飛べる程には軽く無い筈の軽自動車は、それでもビルの列を飛
び越え、二つ隣の通りへとダイブした。
 窓の外を飛んで行った何かが赤い事に気付くのには、一瞬が必要だった。

 

                                       続