SCA-Seed_平和の歌◆217 氏_第03話

Last-modified: 2008-12-07 (日) 19:04:01

 聞いて楽しい話かどうかは分からない。少なくとも、俺にとってはそうじゃない。それ
でも、どこかの誰かには、比較的罪の無い笑いを提供出来るのではないかと思う。
 ある日の昼過ぎ。プラントに住む半分くらいの市民が、質素な食事と言うより、量だけ
の餌を掻き込んだばかりの時間。半分くらいの市民が、空きっ腹を抱えて天井を睨んでい
た時間。無視出来ない数の人々が、三時間も並べば仕事を斡旋してくれる様になる筈だっ
た職安を、恨めしそうに眺めていた時間。蒸し暑さが限界を超え、タクシーの運転手が哲
学に目覚め、無神論者のかっぱらいが神の声を聞いて拳銃に手を伸ばした、そんな時間の
出来事だ。
 現場は平穏な商店。行列に並ばなくても、金を出せば欲しい物が買える。食料チケット
だって使える。そんな、昨今のプラントでは次々に姿を消している類の大きな雑貨屋だ。
 はめ直したばかりの窓ガラスが、不意に割れた。予算を渋って防弾ガラスを選ばなかっ
た事を後悔する間もあればこそ、店主も従業員も卒倒した。出入り口以外の場所から軍服
が飛び込んでくれば、誰だって目を剥くだろう。まして、相手は白服。彼が入ろうとした
場所に、出入り口を作っておかなかったと言うかどで訴えられれば、身の破滅だ。他の国
ではいざ知らず、プラントの裁判所はそう言う風に出来ている。

 

「落ち着いて下さい!」

 

 幸い、白服は出来た男だった。出来た男だが、血塗れだった。血染めの軍服を前に、平
和的な市民がそうそう平常心を取り戻せる訳が無い。

 

「自由と平和を愛する人々の味方、歌姫の騎士団です。落ち着いて下さい」

 

 唖然、声を失う視線の砲列に、白服は付け加えた。残念ながら、店員達は揃って自由と
平和を愛していたが、だからこそ、歌姫の騎士団とやらを味方だとは考えていなかった。
 敵意と困惑と耳打ちとが入り交じり、陳列棚の狭間で渦を巻いた。金物の上を、ある種
の決心と躊躇の間で揺れる視線が這い回った。店主は一人、一方的な同胞意識をひけらか
す軍人と、品物を手に忍び足で逃げ出す買い物客とを、交互に見つめていた。商品が盗ま
れるのは痛いが、迂闊な動きは見せられない。何しろ、目の前に立つ男の気紛れ一つが、
自分の運命を握っている。
 冷却棚からあふれ出す沈黙を、どう解釈したのかは分からない。白服は唐突に腰を落と
すや、五つばかりのポーズを作った。

 

「権力者の企みを、粉砕する男!」
「……て、あんた権力者だろう」

 

 溶け始めた冷凍食品みたいな声が、辛うじて言った。

 

「そんな権力者だなんて……僕は、ただの……一人の人間だ。どこもみんなと変わらない。
ラクスも」

 

 ロウヒールを履き、50マグナムを振り回し、自分に人権を認めない赤毛の女が戻って
来る様子が無い事を確認すると、白服は血をハンカチでぬぐい去り、水分と鉄分を補給す
る為、商品棚の牛乳を一ボトル空けた。

 

「テロリストは撃退しました。この辺りはもう大丈夫です。心配要りません」

 

 白服はテロリストを追撃する為に、店を去った。
 以上、その商店に勤めていた友人ヴィーノ・デュプレから聞かされた話だ。
 どうだろう。
 俺は笑えない。
 プラント軍最高司令官代理が権力者の自覚を持たない事実。それを笑えるプラント人が
居る訳が無い。

 
 
 

 落ち葉の無造作でちりばめられた煉瓦が、車輪の下で割れた。市役所へと通じる町並み
は、もしここが北京なのだとしたら、そこそこ綺麗だと言えた。ブロンクスなら薄汚れて
いた。クアラルンプールならゴミ溜めだ。
 プラント市民は病的な潔癖性だ。どこもかしこもをクレゾールで消毒し、裏路地に至る
まで病院の廊下みたいにしちまわないと気がすまない。彼等にその悪癖を忘れさせ、病院
の廊下を裏路地に変えるのは実に簡単だった。今、フラスコの中の住人達は、自身が全て
において優れた新人類コーディネーターなどではなく、単なる自由の家畜でしかない事を
弁えていてる。
 生涯を終える前に空を飛んだ気の早い自動車は、その早とちりを事実で償った。もう二
度と走らない中古車と、残ったローンにさよならをして、コロニー外壁内の点検通路に潜
り込んだ。俺達はこんな秘密の通路を幾つか知っていて、今までにも他人様の為に供した
事が有る。自分達の為に使うのは、多分、今回が最初で最後だろう。
 AGは中心からの距離と、回転周期で決まる。50㎏の肉塊が、いつもより少しばかり
重量を増して、俺の背にのし掛かる。完全に壊れて、走れなくなった自動車は放棄すれば
良い。半分壊れかけで歩けなくなったルナはそうもいかない。空中で放り出された彼女は
首を傷めていて、俺が華奢な学生を押し倒し、窓から手を伸ばして助けた時に、手首も痛
めた。
 ルナは自分が背負う。最初、赤毛の18歳は勇ましく言い放った。

 

「こうなったのも、元はと言えばこちらが巻き込んだせいですし。それに、鉄砲が使える
シンさんが自由に動ける方がいいと思うんです」

 

 もっともな理屈だった。このひ弱な護衛対象が、銃の扱いを知らないのと同じ様に、
50㎏の荷物を抱える術も知らないのでなければ、全くもっともだった。

 

「うー」

 

 背後の荷物が、涙混じりに唸った。外れた手首は填めてやった。社長が用意していると
言う船に、カラーバンドは有るだろうか。出来れば人数分必要だ。自動車は永遠に空を飛
ぶ事に決めた様だけど、俺達はまだまだ地べたを歩かなければならない。
 この通路は、多分安全だった。そして、この国で最も信用ならない物の一つが安全だ。
まして、軍の最高司令官代理まで出張って来る様な事件を抱え込んだ時、安全だなんて言
い切れる場所がどこにあるだろう。
 先頭を行くアビーは、短機関銃を手にしてる。依頼人はルナの腰にぶら下がっていた凶
悪な大砲だ。何か役に立ちたい、と言うので持たせておいた。撃ち方は教えていない。よ
しんば知っていたとしても、銃それ自体の重さを支えかねている様では、撃てる訳が無い。
重さ1㎏。短時間ならともかく、構え続けるには難物だ。

 

「ここだ」

 

 俺達が3Aと呼んでいるハッチで、足を止めた。作業機械が出入りするハッチには、社
長が船の昇降口を繋いでいる筈だった。もし、予定が狂っていたら、俺達はプラントと人
生に、いっぺんに別れを告げる羽目になる。
 これから、どうすれば良いのだろう。社長の指示は、護衛対象を指定の船まで送り届け
る事だ。だが、プラントの警備がいかにザルだとは言え、不正出航する宇宙船を見逃して
くれるとも思えない。
 なんにせよ、俺達は事態を掴んでいない。社長が対策している事を信じるしか無かった。
 アビーが操作盤に手を触れると、三重のハッチが大きなゲップをした。簡単にロックを
解除出来る様に仕込みを入れたのが何時の事だったのかは、とうとう思い出せなかった。
「どうした?」
 いかにも宇宙に不慣れな宇宙人は口元を抑えたままだった。薄桃色の頬がトマトに変わ
り、髪の毛の色を超えた時、おちょぼ口から息が破裂した。

 

「おい、どうした?」
「……あ、空気有る?」
「何、言ってんだ、あんたは?」
「あ?……いえ、いえ」

 

 ハッチの先に延びる昇降用チューヴに気付いたのだろう。林檎が笑顔を作り、目の前に
たんまりと有る空気を手でかき回した。

 

「あのっ……そのっ……つい!……真空が入って来るかと思って!」

 

 大西洋連邦のツイストキャンディみたいに縺れた舌の奥に、ツイストキャンディよりも
マズそうな脳みそが覗いた。気の利いたジョークのつもりは無いだろう。相手はもう息を
止めていなかったし、俺の目つきは、生まれつきの物の筈だった。

 

「そ、そのっ!……違うんですっ!……えーとっ……空気が抜けるかと思って!」
「あー、はいはい」

 

 俺の精一杯の気遣いは、相手に通じなかった。女みたいな顔をした18歳は、こんな時
に女がする様な顔をした。俺は神が居ない事を確信した。この点について、プラントは確
かに正しい。

 

「なんですか?」
「別に」
「だから、なんですかあっ」
「別に」

 

 どこかで交わした様な会話だ。俺のレバーを軟弱な拳がグリグリと抉った。少し痛かっ
たけど、それ以上に色々とこそばゆかった。やはり神は居るんだろうか。居ないと、その、
なんだ。殴りようが無くて困る。

 

「よせよ」

 

 たった二つの選択肢も正しく選ぶ事が出来なかった、間抜けな神を呪いながら言った。

 

「さっさと、ハレー彗星に備えて、息を止める練習に戻れよ。俺は忙しいんだ」
「あ!酷い!」

 

 鋭い目線が頬を撫でた。無言で睨むその目つきは、刺さるほど鋭くもなかった。

 

「何をしているっ」

 

 眼下から声が飛んで来たのは、その時だ。多分、救いの声だった。何から救われたのか
は分からない。それにしたって、救いには違いない。地球生まれ、プラント在住僅か数年
の男が、新しい世界とのコーディネートになんか、興味を持てる筈が無い。
 何かを言いた気なアビーと背中の荷物を無視して、ハッチを覗き込む。
 昇降チューヴの底には、社長そっくりな服装の男が居た。サングラスにノースリーブ。
しかし社長じゃなかった。誰だ?首を傾げる前に、男は手振りで飛び降りる様に促した。
 正直に躊躇した。船の床は思いの外遠く、背中のルナは首を傷めていた。何かを言おう
とした時、足下の男が、巨大なバルーンに入れ替わった。なるほど。それでも、鞭打ち患
者には酷に違いない。
 さて、どうしよう。アビーに相談しようと振り向いた時、相談相手にならない人間の姿
が無かった。
 甲高い歓声が、足下を秒速10mで遠離り、ビニールと空気の塊に吸い込まれた。覗き
込むと、笑顔が手を振った。手を振り返してやる前に、楽しいアトラクションに満足した
18歳はハッチの陰に消えていて、俺にも別に手を振り返してやる気は無かった。
「何か無いか探して来ます」
 溜息を漏らした時、アビーが飛び降りた。彼女は俺が思っているよりも慎重で、スカー
トの前後を押さえていた。

 

「うー~」
「おい、大丈夫か?」
「あまり、大丈夫じゃない」

 

 直射日光を浴びたジェラートみたいな声が言った。
 背後で唸るルナをあやしながら、待つ事五分。アビーが下からワイヤーを投げ寄越した。
 エアロックのハッチを潜って、船内に入った。小さなシャトルだ。

 

「予定より遅れている。すぐに出るぞ。席に着け」

 

 社長とペアルックの男は、金髪を腰まで垂らしていた。まるで女だ。俺はガチガチのプ
ロテスタント、て訳じゃないけど、最近、性が根本的な意味で乱れてやいないかと気にな
った。

 

「まあ、待ってくれよ。あんた、一体、誰なんだ?」
「アレックス・ディノ。そう呼べ」

 

 どこかで聞いた名前だった。背中の柔らかい荷物が、針金の束に変わった。アビーは冷
凍食品の産地を確認する目をしていた。China Freeは今も昔も変わらない、健
康と安全を願う人々の合い言葉だ。

 

「アレックス・ディノさん?」
「そうだ」

 

 サングラスが、アレックスの目線を隠した。額に浮いた汗が、その下で何が起きている
かを教えてくれた。

 

「本当に?」
「俺はアレックス・ディノだ。それ以上でも、それ以下でも無い」
「いや。偽名くらい自分で考えなよ」

 

 背中の声が言った。偽名?どう言う事だ?
 アビーがアレックスに擦り寄った。そこに恋人の親密さはなかったし、大体二人は初対
面だった。切れ者の元オペレーターの目は、一目惚れをした乙女の物では無く、食品のパ
ッケージに漢字を、それもニホン地区やタイワン地区では決して使われているとは思えな
い簡体字を発見し、大陸にしかない地名を探している、注意深い買い物客の物だった。

 

「おい、よせよ。失礼じゃないか」

 

 アビーは溜息を漏らした。誰に対しての物かは、よく分からなかった。

 

「はじめまして」
「はじめまして、アレックス・ディノさん!」

 

 二人は漸く、挨拶をした。揃って、ラクス・クライン、とでも言う様な口調だった。一
体、なんだと言うのだろう。自己紹介さえしない。

 

「はじめまして。シン・アスカです」

 

 二人の非礼を補う意味も籠めて、丁寧に挨拶した。

 

「宜しくお願いします。アレックスさん」

 

 アレックスの目が、サングラス越しに光った。握った手は、まるで万力だ。なんだって
言うんだ。確かに俺は人に好かれるのが得意な方じゃないが、初対面でこれは無い。二人
に対して怒ってるなら、八つ当たりもいい所だ。
 文句を言ってやろうとした時、依頼人がぺこり、と丁寧にお辞儀した。18歳、水瓶座
のB型、自転車愛好会所属、趣味は一人でカラオケと言う自己紹介も忘れない。

 

「さっきはどうも」
「ギルから聞いています。愛好会で知り合ったそうですね」

 

 ギル。一瞬、誰の事か分からなかった。そうだ。社長だ。アフランシ・ギル。名前なん
て滅多に呼ばないから、ど忘れした。
 シャトルには人数分より一つ多い座席が有った。ルナを椅子に降して、貨物より少しだ
け丁寧にベルトを締めた。

 

「これから、どうするんだ?」
「ギルが母船を回航している」
「……その船ってシャワー使えるんですかね?」

 

 不意の声が、アレックスとの間に割り入った。

 

「あんたは暢気でいいな。まあ、止めといた方がいい」
「と、言いますと?」
「後が大変なんだよ」

 

 無重力下ではコップ一杯の水でも溺死の危険がある。水滴が機械に入れば厄介だから、
水分を一滴残らず回収しないといけない。俺は今、湿ったシャツみたいに汗をかいている
けど、シャワーを浴びた後なら雑巾になっているだろう。

 

「そんなに気になるんなら、濡れタオルで汗を拭けばいい」
「汗も有るんですけど、変装を落としたくて」
「変装?」
「この髪、簡単に染めてあるんですよ」

 

 なるほど。社長がどう言う経緯で仕事を受け、どんな状況から軍に追い回される羽目に
なったのかは分からない。ともあれ、追っ手の目を眩ませる為、流行の最先端を周回遅れ
で突っ走る中年が、変装と言う手を考えるのは、有りそうな話だった。

 

「体もあちこち締め付けてるし、もう苦しくて」
「とにかく、合流してからだ。出すぞ」

 

 小さな悲鳴が聞こえた。アレックスはいちいち後を確認するほど親切では無かったし、
お喋りな学生は、まだ何かを言おうとしている最中だった。
 Gが襲った。フラスコの回転をカタパルトに変え、俺達を乗せたシャトルは時速600
㎞で宇宙に飛び出した。
 窓からコロニーが見えた。
 フラスコの中にはミニチュアの街が有る。何十万と言う人々が、誰かの玩具みたいな生
活を送っている。採光ミラーがキラキラと輝いて、人々に安っぽい、正札の付いた夢を見
せている。プラントでは何でも売っている。けど、それを買えるだけの金持ちは一人しか
居ない。
 なんだか、哀しくなった。
 故国を追われたと言うのに、誰一人哀しい顔をしていなかった。俺も含めてだ。
 こんな哀しい事が有るだろうか。

 
 

 シャトルが予定の航路に乗った。エンジンの唸りが止み、加速が止み、ルナの唸り声も
止んだ。
 操縦席にはアレックスが居る。アビーはレーダーを覗いている。依頼人は口をヘの字に
して、光学監視装置に囓り付いている。非力なシャトルだ。目は多い方がいい。脳が付い
ていなくたって、目ん玉は目ん玉だ。

 

「シン。お前は格納庫だ」

 

 俺の足は、頭よりも早く、その指示に従っていた。何故だろう。初対面にあれだけ失礼
な態度を取られたと言うのに、俺はアレックスが嫌いになれない。
 格納庫には、小さな脱出ポッドが平伏し、自分の出番が来ない様に、と無言で祈ってい
た。機首に機関砲が見えたからと言って、このずんぐりとした単座艇を、戦闘機だなんて
認めてやる訳にはいかない。インパルスの下半身にレッグフライヤーの名を与えて戦闘機
と言い張った、あの勇敢なるヴェルヌ局の諸君だって、こいつをそうとは呼ばないだろう。

 

「俺の役目はなんだい。いざ、て時に備えて、一人分の脱出ポッドを点検しておけとでも
言うつもりか?」
「何の話だ?」

 

 内線の向こうで、怪訝な声が言った。

 

「この船に脱出ポッドは積んでいない。コアスプレンダーが有るだろう。いざとなったら、
お前にはそいつで戦って貰わなければならない。コックピットのコンソールからマニュア
ルが確認出来る筈だ」

 

 酷い冗談だった。最悪と言って良い。いつだって冗談が大好きな、自由の女神様だって、
ここまで酷い事はたまにしか言わない。
 機首のキャノピーを開く。なるほど、コックピットの造りに限って言えば、確かに戦闘
機のそれだった。とは言え、砲火のただ中を生き残りたかったら、こいつに乗るより、地
上のMSシミュレーターに籠もって十字を切っていた方がまだ賢明だろう。
 シート回りの作りはタイトだった。脚を差し込み、尻をねじ込み、やっとの事でポジシ
ョンを確保した。制御システムを起動。アレックスはこいつをコアスプレンダーだと言っ
た。戦闘機でもMAでもない。絶望するにはまだ早い。
 ZGMF―X101Sの開発ナンバーには覚えがあった。コア・システムの実験用に製
造されたザクのバリエーション機だ。

 

「それだけじゃない」

 

 コックピットでスプレンダーの起動を確認したのだろう。アレックスが言った。

 

「そいつは、ザク・スプレンダーを母体とした、シルエット運用の実験機だ。インパルス
のシルエットは、ほぼ全て装着出来る」
「なるほど。インパルス・ザクって訳だ」

 

 だからだろう。ナンバーにはSがもう一文字追加されていた。
 一つ問題が残った。こいつが自殺志願者も後込みする宇宙の棺桶では無い根拠。つまり
チェストとレッグ、シルエットを詰め込むには、このシャトルは小さ過ぎると言う点だ。
 必要な装備は母船に積んである。アレックスはそう言った。
 母船は社長が回航している。人員は足りているだろうか。いざと言う時、必要なパーツ
を飛ばして貰えるのだろうか。信じるしか無い。スプレンダーだけをこのシャトルに積ん
だからには、それなりの理由が有る筈だ。
 諸元を確認。インパルス・ザクの性能は、インパルスガンダムよりもザクに近かった。
当然だろう。ほとんど全てのシルエット、と言うアレックスの言葉にも納得だ。消耗が激
しい装備、極端な所で言えばデスティニー・シルエットや、事によったらブラスト辺りも、
こいつのバッテリーには余る。
 狭苦しいシートからなんとか脱皮する。ロッカーの覗き窓に、パイロットスーツが覗い
た。戦闘用MS、大西洋連邦とプラントの両国が、条約で保有数を規制し合う様な兵器が、
民間でも調達出来る御時世だ。軍用のパイロットスーツなんて部隊徽のワッペンより簡単
に手に入る。戦闘にも耐えるレイスタです。でも、戦闘には使わないで下さい――――そ
んな物をジャンク屋と連んで紛争地帯にばら撒きながら、中立を気取っている平和の島国
の腹の底は、あの国が作る自国のそれでは無い紙幣みたいに分かり易い。
 パイロットスーツはきつくて、暑苦しかった。全身に0.3気圧の風船を着込むと、コ
アスプレンダーのシートはますます狭くなった。スーツと一緒に用意されていたドリンク
を一口含んだ時、僅かな機械の唸りと、もっとささやかなディスプレイの高周波音が耳を
掠めた。俺は一人になっていた。
 俺達はプラントを追われた。着の身着のままが、俺達に許された全財産で、それは依頼
人も同じだろう。規定通りの支払いなんて、最初から期待しちゃいないけど、今後はどう
なる。
 社長は何者だろう。シャトルはともかく、MS、それもテロ支援国家がばらまく民生用
の皮を被った戦闘機ではなく、過去に使い棄てられた実験機だ。19番目までは回らない
健康的なゴルフと、踊り子の居ないカラオケパブに通う事だけが趣味の、どこにでも居る
中年と思っていたけど、認識を改めなければならない様だ。
 埒も無い事をあれこれと考えている失業者に、俺はすっかりと嫌気がさした。スーパー
コーディネーターならざる身としては、時間を昨日まで巻き戻す術は無いし、俺達は状況
を掴めていない。当面、社長の指示通りに動くしか無いだろう。別に、あの依頼人を守る
事に、不満が有る訳でも無いのだから。

 

「あっ!」

 

 脳裏に浮かんだ顔が、声を上げた。光学監視装置越しに見える何かが、薄紅色も鮮やか
な頬を、蒼白に塗り替えた。

 

「何があった?」

 

 アレックスは冷静だった。冷静なだけに、利口な質問とは言えなかった。そして、俺は
彼より賢いかはともかく、より相手の事を知っていた。

 

「ルナ。黙らせろ」

 

 彼女は鞭打ちで唸っている。俺も賢くなかった。

 

「あ、あのっ!……その……つまりっ……」

 

 コックピットで言葉が破裂した。取り留めの無い単語の羅列は通信を介して、俺の耳に
まで押し入って来た。
 それが、生来の性分とは言わないでおこう。予期せぬ事態に接した人間は、人が誰でも
平等で、その気になれば、プラントの最高評議会議長にだってなれる事を教えてくれる。
ただの一語を10倍にも100倍にも引き延ばし、言わんとする事は何一つ分からない。

 

「ロボットですっ!ロボットっ!ロボットっ!鉄砲持ったロボットっ!」

 

 その言葉に、南国の匂いを思い出した。ある女性はMSをロボットと呼んでいた。ゲー
ム機は一切合切ニンテンドー。そんな母親を、日の丸の付いたレシプロ機は全部零戦だと
信じて疑わない少年が笑っていた。

 

「ですとろ~いで赤い雨~っ」

 

 負傷した首が、力の無い声を漏らした。俺は鶏を絞めた事が無かったし、鳩を縊り殺し
た経験だって無い。コックピットで何が起きているのかは分からないけど、取り敢えず静
かになった事だけは確かだった。

 

「ナスカ級一。ザク・ウォーリアが四機。ブレイズ・ウィザード装備です」

 

 アビーの短い言葉が、人生を五分間ばかり無駄にした事を教えてくれた。でも、誰の?

 

「あちらの足が速いな。どれくらいで追いつかれる?」
「ザクの照準装置有効距離まで597……96……95……」

 

 空間戦闘は、ある意味のどかだ。地上戦と違い、不意の惨劇に喰い殺される事は滅多に
ない。宇宙の高遠と静寂は、作戦を練り、技巧を凝らし、あるいはお祈りをする余裕を与
えてくれる。

 

「アレックス。わかめパーマのサンタクロースはどこに居る?」
「連絡ポイントまで10分と言う所だ」
「時間を稼ぐ。1秒でも早く連絡を取ってくれ」

 

 風防が、シャトルの機械音を遠ざけた。シートは脱出装置が誤作動したまま息を引き取
ったのかと思うほど高く、真下以外はほとんど見渡せた。

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

 潰れかけの風船みたいな声が、ヘリウムを吸って裏返った。我等が依頼人は、思ったよ
り頑丈だ。

 

「操縦桿は付いてる。燃料も入っている。前は良く見える」
「でも、あっちはあんな大きなロボットですし、四人も居るしっ」
「斬新な数え方だな。ついでに言うと、母船には同じ数だけ積んでる」

 

 こいつは何者だ。言っていて、益々疑問が膨らんだ。一人の人間を追い回すのに、軍艦
一隻は大袈裟が過ぎる。
 利権争いと縁が有るとは思えない。大金持ちでは絶対に無い。護衛の欲しい金持ちは、
正規軍をフルタイムで雇う。それ以前にゲートエリアから外に出ない。臨時雇いのボディ
ガードを当てにする馬鹿なんて、プラントには居ない。
 では、何かをやらかした?最高司令官代理閣下の恋人を寝取りでもしたのか?最高評議
会議事堂の真ん前で、国家機密の漏洩でもやらかしたのか?

 

「とにかく、出るぞ。逃げ足が欲しい時、10t近い荷物を抱えてる理由なんて無い」

 

 左耳の傍で、レシーバーが息を飲んだ。およそ学の無い、軍人崩れのサラリーマンは、
単純に事実を口にした。大学の英文科でシェークスピアを諳んじていたインテリの思考は、
もう少し複雑に出来ていて、何よりナイーヴだった。

 

「あの……」
「なんだ?」
「今、手元に銃が有ります」

 

 恋人の死を知ったキャピュレット家の娘みたいな声が言った。本当に、ナイーヴな奴だ
った。どうやら戦争で死に損ねた兵隊が、死に場所を見付けてある種の決心を抱いたとで
も思いこんだらしい。

 

「投降するのはどうでしょう。皆さんは脅迫されていた、て事にして……」
「却下だ」
「でもっ」
「一つ、あんたは今のZAFTを判っちゃいない。二つ、俺は腹を立てている。ルナ、も
う一度そいつを黙らせろ」

 

 シャトルに給電設備は無かった。スプレンダーに許されているのは、バッテリーに蓄電
された分量だけだ。フューエルスターターを入れ、ロケットエンジンを始動すると、半分
が無くなった。

 

「あの……」
「気にしないで。古い人なの」

 

 アビーが言った。

 

「自分より古い相手を見ると、勝手に腹を立てるの」
「アビーっ!ローンチだ。早く出してくれっ!」
「……15秒後に切り離します」

 

 カウントダウンは無かった。きっかり15秒後、俺とスプレンダーはシャトルの尾部ハ
ッチから滑り出した。

 

「ベルリンのですとろーいっ」

 

 不意の声だった。誰かが空気の節約を始めた。また、暫く静かになるだろう。
 ルナは思いの外、律儀だ。少し悪い事をしたかも知れない。

 

                                       続