SCA-Seed_平和の歌◆217 氏_第09話

Last-modified: 2009-01-22 (木) 22:00:10

 モニターが虹色に灼けた。
 アダムスキー・インパルス・ザクに火器は装備されていない。付いていた所で大した意
味は無かっただろう。ザクの照準装置有効距離の実に10倍。11本の閃光は、宇宙を切
り分ける事無く、七色に塗り潰した。
 心臓が横っ面を叩いて、俺を振り向かせた。
 敵を侮っていたと、正直に認めなければならない。宇宙空間が明ける事の無い夜を取り
戻した時、フラスコが一つ消えていた。ほんの一瞬だ。フルバーストが直撃した時、超高
張鋼とカーボンナノチューブを積層した長径3㎞の巨大な構造物は、レーザーバーナーを
浴びた氷と変わらなかった。

 

「レイ!退避しろ!」

 

 一気にスロットルを開く。アダムスキー・ザクの加速Gは死ぬほど辛いが、死ぬよりは
いい。なにより、ホームラン・フリーダムが俺達を狙っている以上、一秒一瞬でも早く移
動するべきだ。背後のコロニー・メンデル。このままの位置で次が来たら、中枢部やもう
片方が消し飛びかねない。
 肺と一緒に視野が潰れ、レイへの心配を15Gが吹き飛ばした。とにかく、近付く事だ。
相手の注意を引きつける事だ。一つのコンテナを失い、軽くなったとは言え、大きな輸送
艦なんて七面鳥と変わらない。腹一杯に餌を詰め込み、動く事を忘れた七面鳥だ。もう片
方のフラスコには四人が居る。
 腸が捩れる。機体がブレる。ヴォワチュール・リュミエールの光波リングが縦横に宇宙
を刻む。俺でさえ半分、どこに飛んで行くか分からない物を、狙い撃てる訳が無い。

 

「フリーダムっ!時は止まるっ!」

 

 捩れたままの鼓膜が、おかしな声を捉えた。俺は初めて、奴らが口にする言葉の意味を
理解したけど、言っている意味はさっぱり分からなかった。

 

「時よっ!」

 

 まただ。まさか、本気で時間を止められるつもりか。奴との距離が迫る。接触に備えて
燃料計を確認――――……
 どうなっている?
 片脚が無かった。
 片腕が無かった。
 どうなっている?
 どうなっている?
 気付くと、残りの脚も無くなっていた。
 昔、噂で聞いた事が有る。
 単なる比喩だと思っていた。
 奴の反応速度が生み出す、犠牲者の錯覚だと思っていた。
 フリーダムは時を止める――――ヴィーノと飲んで、デートをすっぼかした翌朝、本当
に針を千本用意していたルナだって、こんな戯言を真に受けたりはしないだろう。

 

「この化け物っ!」
「ぼくは、ただの…一人の人間だ!どこもみんなと変わらない。ラクスも……」

 

 アラートが悲鳴を上げた。狂気に片脚を捕らわれ、自身の正気に確信を失った金切り声
だった。俺も自分の耳を疑った。後方警戒センサーの警告。

 

「ただ、どんな物からも、自由でいたいだけなのに。だから僕は……っ」

 

 前方に居た筈だった。フリーダムは前方で全砲門を展開している筈だった。だとしたら、
今、後方でサーベルを振りかぶっているのは、誰が乗る、なんと言う機体だ?
 鱗が弾けた。PS装甲と光波推進器が纏めて削ぎ落とされる。一枚、二枚、三枚目で数
えるのを止めた。

 

「人間ワープだって言うのかよ!」

 

 時間から自由な存在が、空間から自由だって何の不思議も無い。仮にこの男が地球で倒
れ、目を覚ました時にはプラントに居た所で、驚くには値しないだろう。
 ラケルタの五割り増しに長いサーベルの一閃が、光の鱗を一枚残らず引っぺがしてしま
う心配は無さそうだった。フリーダムは剣を収めた。
 勿論、安心は出来ない。話し合いをこよなく愛する歌姫の騎士団だが、完全に下手の横
好きだ。第一、こいつらが戦うのを嫌がっている所ならまだしも、勝つのを嫌がっている
所など見た事も聞いた事も無い。

 

「討ちたくないんだ……討たせないで」
「撃たれたくなんてない。撃たないでくれ」

 

 無駄を承知で言った。

 

「君は!?…君がまだ戦うというなら…!」

 

 本当に無駄だった。俺の話以前に、何が起きているのかを理解出来ていない様子だった。

 

「VL―MAX、発動!」
「Ready…」

 

 二つの声を合図に、彗星が生まれた。光学監視装置から失われたフリーダムの姿が、眼
前に出没した。
 不意の衝撃が、全身を割った。サブモニターの中で光の鱗が一枚失われるのと、俺が振
り向くのは、ほぼ同時だった。純白の彗星が、一輪車より鋭いターンを見せた。
 反射的にフルスロットル。アダムスキー・ザクは全身にヴォワチュール・リュミエール
を仕込んでいる。全力飛行時は完全に制御不可能。頭蓋の中で脳が躍り、内臓が捩れ、呼
吸が失われ、手足の在処が分からなくなる。体中の血と言う血が一塊りになって頭と足を
跳ね回り、視野を黒と赤の斑に染める。
 一秒にきっかり二回だ。二つのヴォワチュール・リュミエールがぶつかり合い、その度、
脳が頭蓋に張り付いた。キラ・ヤマトはこの速度を完全にコントロールしている。時間を
止められる男にとって、スピードは意味を持たない。何物からも自由な男が、Gとだけは
律儀に付き合う理由なんて一つも無い。

 

 一枚、また一枚、光の鱗が失われる。その都度加速が衰える。白い彗星に衰えは見られ
ない。シザース運動を繰り返しては、アダムスキー・ザクを撫でて行く。
 この男の慈悲深さも、だんだん手が込んで来た。いずれ、装甲を一枚一枚剥がして、パ
イロットを宇宙に放り出すくらいはするかも知れない。それにしたって、釣り針で引っ掛
けた獲物を湖に投げ込み、自然とお友達になる程度の慈悲でしかない。
 まずい、と思った。パワーもスピードも比較にならない。相手がその気になった瞬間、
撃墜される。
 戦力が地球とプラントほどにも離れた相手に敢えてトドメを刺さない。歌姫の聖騎士特
有の悪趣味な平和主義は正直、気分が悪かったが、今は好都合だ。とにかく、俺の仕事は
相手を倒す事じゃない。時間を稼ぐ事なのだから。

 

「戦いたくなんてないのに……!」

 

 声と衝撃は同時にやって来た。活き活きした声だった。超然とした態度の俗物か、式典
で見せる脂下がった顔とは違う。始めて26インチ自転車を買い与えられた少年の顔が、
容易く想像出来た。無理も無い。確実な生還と、100%の勝利と、無条件の名誉を約束
された戦場なんて物が現実に存在する時、一体、どこの誰が、馬鹿デカいネズミが徘徊す
る大西洋連邦の不潔な遊園地に行ったり、ニホン地区のゲーム機に手を出したりするだろ
う。
 ペンキで塗りたくられた視界が、静寂の夜を取り戻した。遠くには下卑たピンク色の
戦艦が見えた。人間の視力が正常に働くのは7Gが精々。そう言う事だ。勿論、殺人的な
Gから解放してくれた平和主義者に感謝する理由なんて、一つも無かった。
 その筈だった。
 耳の奥で、心臓が鳴った。
 光の壁が、手の届きそうな距離まで迫っていた。本当の事を一つも教えて貰っていない
騎士様にとって、自由の敵との戦いは楽しい遊びだったかも知れない。だが、ラクス・ク
ラインには今まで同様、その遊びに付き合っている訳にはいかない理由が有った。もし、
ここで俺達を逃がしたら、奴はこれからずっと、自分の亡霊に怯えて生きる羽目になる。

 

 世界が光った。三桁、いや、事によったら四桁の砲口だ。最初の一斉射は無傷で済んだ。
回避した訳じゃない。たまたま、俺が飛んでいる所にビームが来なかった。
 冗談じゃなかった。反撃を受ければ誰かに当たるかも知れず、当たれば死ぬかも知れず、
それは自分かも知れない彼等は、何物からも自由な白服の数百倍は真剣だ。必殺の意志を
込めた一軍の砲火を、どうしてたった一機のMSがかわし切れるだろう。全く、冗談じゃ
ない。
 宇宙が無くなった。どこもかしこも真っ白だった。真っ白な世界に、真っ白な影が浮い
た。キラ・ヤマトはヒーローだ。ヒーローがカーテン・コールにはまだ早い時間に、味方
の砲火に倒れる心配なんて有る筈が無かった。

 

 口元に笑みが浮かんだ。それは、奇妙な高揚感だった。宿無しだった頃、ぞろぞろと連
んで出て来た風太郎の先頭がビール瓶を割った時、無意識の内に湧いて来た笑みとよく似
ていた。歌姫の騎士団は正義の味方だ。悪役で戦えるのは俺一人なんだから、その俺がヒ
ーロー以外の銃弾にかかる訳が無い。

 

「弾幕薄いよっ!何やってんのっ!」

 

 機体を右に左に振る。敵弾の一発、一発。敵機の一挙一動の全てが見えた。そんな気が
した。伊達に閑な時間を、PCのシューティングゲームで潰しちゃいない。

 

「レイ!パーツを頼む!」
「OK、分かった。チェストとシルエットだね」

 

 答えたのは、レイじゃなかった。頑なに脚を飾りだと主張する、一つも偉くないわかめ
パーマのグラサン男だ。

 

「レッグもですっ。俺は偉いんだっ」

 

 首が飛んだ。ランドセルがやられた。分離のタイミングを測る。何しろ、もう斬る所が
あまり残っていない。
 どこかの誰かの平和的な願いこそ籠められてはいるが、目を入れる場所はどこにも無い
達磨を放り棄てた時、ビームサーベルがコックピットの残像を切り裂いた。多分、コアブ
ロックのジョイントでも狙ったのだろう。
 離脱。チェストと合体。レッグも無事拾う事が出来た。歌姫の騎士団長は部下に比べて、
ファッションに理解が有るらしい。そしてシルエット。

 

「シルエット?」

 

 そのサイズは、俺を困惑させた。さしあたり、ザクの装備なのか、ザクが装備なのかに
ついては、迷う必要は無さそうだった。そもそも、MSが必要なのかどうかも怪しかった。
 昔、データでパワーローダーと言う奴を見た事が有る。MSで150mのサムライソー
ドを振り回す為に製作された代物だ。最初聞いた時は、アークエンジェル級の110mレ
ールガンみたいな物かと思ったけど、事実、チャンバラ・マニアのジャンク屋の脳は、桁
が一つばかりずれていた。
 だが、ずれている事にかんしちゃ、議長だって負けちゃいない。年来の主張通り脚こそ
ないが、腕のデカさなら艦斬りのサムライなんて子供みたいな物だ。150ガーベラを四、
五本立て続けに投げ付け、敵艦隊を纏めて串焼きにしてやる事だって、決して無理な相談
じゃないだろう。

 

「浪漫チック・シルエットだっ!」

 

 そろそろファッション所の話じゃなくなって来た。大体、この化け物腕の、どこかどう
ロマンチックだって言うんだ――――武装を確認した時、議長の言わんとする事が、なん
となく理解出来た。

 

「あー、議長。このドリル……」
「うむっ!男のロマンだ」
「はいはい。MMI―800“漢の浪漫”はなんとなく、分かるんですけどね。なんです
か、この左の万力。なんで、こいつが“女の執念”なんですか?」
「万の力で締め付け、離さないからだっ」

 

 空気が読めない男みたいに見られがち俺だが、そう言われるのは正直に心外だ。実際、
俺には母船を介して無線機のか細い電波だけで繋がったメンデルの様子が、何一つ手掛か
りを与えてくれないレシーバーを頼りに、はっきりと分かった。
 フルスロットル。小さな警備会社の元社長と、一国の元元首の社会的信頼にさよならを
告げて機首を返した。巨大なアームの生み出す慣性が、機体を独楽の軽快さで回す。
 フリーダムはすぐ目の前だった。万力で何物からも自由な存在を束縛するのは、連中の
語る自由くらいにお手軽だった。桁外れのサイズに、さしものスーパーコーディネーター
も距離感を見誤ったのだろうか。
 そんな楽観は一秒で吹き飛んだ。文字通り、万力ごとだ。

 

「そんなことで、僕を……っ!フリーダムは伊達じゃないっ!」

 

 夥しい突起に覆われた、フェイズシフトする万力は、たちまちバラバラになった。全く、
俺は楽観が過ぎた。働きアリが可哀相だと、蟻の巣に水を注いで女王アリを溺死させるく
らい、自由を愛する男だ。これだけ凶悪な拘束具をちらつかされて、黙っている訳が無い
じゃないか。

 

「ユルユルですわね」

 

 桃色の声が、その名に反した締め付けの弱さを笑った。

 

「あんたがな」
「……君がね」

 

 答えた声は、何故か二つだった。
 全く、俺を空気が読めない奴だなんて言ったのは、どこの誰だろう。冗談じゃない。実
際、俺には桃色戦艦とフリーダムの間に漂う空気、真空の筈の宇宙空間の空気だって読め
ている。

 

「……キラ?」

 

 真夏の蝉よりも能弁な最高評議会議長は、俺が知る限り初めて、言いたい事を一言に纏
めてみせた。一方で、どこまでも自由な男は、黙秘権を行使した。
 レバーを手繰り、機体をもう一転。好機だった。相手の動揺につけ込む平和的なやり口
は気が退けたが、時空を超えた相手に気を遣っている余裕は無い。核動力をまるまる二つ
独占する、フェイズシフト・ドリル“男の浪漫”。こいつにかかれば、どんなMSだって
粉々だろう。
 フェイズシフトの刃がかすめ、背中のドラグーンが三本ばかり弾け飛ぶ。

 

「くっ!君は何故、僕をっ!……」

 

 距離感が狂っているのは、俺も同じだった。おかげで、絶好の機会を逃してしまった。
体勢を立て直そうと退くフリーダムを追って、重すぎる機体に鞭を打つ。
 奴が叫んだ。

 

「時間よ止まれっ!」

 

 俺も叫んだ。

 

「時間よ止まるの、止まれーっ!」

 

 半ば、自棄だったと認めないといけない。その自棄が、いい結果に結びついたのだから、
認めるのも吝かじゃない。“漢の浪漫”はフリーダムのシールドとドラグーンを二基、螺
旋の刃に絡め取って引きちぎった。片腕がおまけについて来た。

 

「うわああっっ!」

 

 誰かが叫んだ。少なくとも、俺じゃなかった。太くて固くて長いドリルを、ただ長いば
かりの、速射性に優れたライフルが迎え撃った。
 宇宙が砕けた。目と耳と鼻が、真っ白に焼き付き、俺の頭から一切の情報を蹴り出した。
五秒間して自分の名前を思い出した時、俺は叫んだ。叫んだ筈だった。

 

「レイ!シルエット!」

 

 何も見えなかった。何も聞こえなかった。それでも、宇宙が俺を拒む一瞬前の出来事は、
辛うじて思い出せた。ドリルの先端が銃口を捉えた一瞬。多分、ドリルは跡形も無くなっ
ているし、フリーダムもただでは済んでいない。
 光の中を俺の元まで泳いで来た時、デイリ・シルエットの武装は半分が無くなっていた。
どの道、ブーメランだのグレネードだのは意味が無い。ハラキリダイナミックさえ残って
いれば、それでいい。
 合体。モニターの片隅にフリーダム。白い機体がポーズ人形の無造作で沈んで行く。奴
はまだ、回復していない。
 チャンスだった。九門のビームを装甲の内側で炸裂させてやれば、さすがのフリーダム
も粉微塵だろう。
 スロットルを開いた時、左腕が消えた。この宙域はビームと砲弾で飽和している。ロッ
クアラートを当てにするのは無駄だった。それにしたって、着弾の衝撃も無しに、腕が消
えるのは考え難い。光の世界に、尚、眩い閃光が走った時、背筋を氷の感触が撫でた。
 フリーダムのドラグーンだ。機首近くに灯るセンサー光が、その機能を教えてくれた。
自律型。自動照準に自動射撃。パイロットからの管制を必要としない。

 

「くそっ!」

 

 幸い、ドラグーンは本体ほど堅牢じゃなかった。九つのビームがうすらデカい横っ腹に
風穴を空ける。眼前の一基を大刀が綺麗に切り分ける。三基目を破壊。四太刀目がフリー
ダムを捉える。
 対艦刀はなんの手応えも無く、白い機体をすり抜けた。

 

「すり替えておいたのさっ!」

 

 ミラージュコロイドの光学残像が嘲笑った。俺は腹を立てるより、舌を巻いた。まるで、
ニホンの水洗トイレだ。車輪以外は何でも付いている。
 それでも巻いた舌を、そのまま鳴らす必要は無かった。歌姫の騎士団長はファッション
に理解のある男で、なにより自分が主人公だとよく知っていた。よく見える場所で、よく
見える様に、よく判らないポーズを取っていた。間合いに捉えるまで、一瞬で足りた。

 

「くっ!君は何故、僕をっ!……」

 

 九本のビームが陽電子リフレクターに弾けた。本当になんでも付いている機体だった。
歌姫の騎士団のファッションセンスに、引き算と言う言葉は存在しない。なら、斬り込み
でケリを付ける。

 

「……これ以上、君の相手なんか!……」

 

 その刹那だ。フリーダムの額が光った。0.00001秒後、ザクの片脚が蒸気に変わ
った。頭部、それもアンテナ基部にビーム砲。最低限の常識が有れば、ダミーだと考える
だろう。

 

「くそっ!」

 

 歌姫の騎士団の常識を信じてしまった、お人好しの失業者が、俺は正直嫌になった。兎
に角、距離を潰す事だ。フリーダムの側に居る限り、外野の攻撃は当たらない。
 サーベルの剣光が、対艦刀と交錯した。ハラキリダイナミックは割り箸よりも容易く、
真ん中から折れた。奴のサーベルよりも、九つのサーベルの方が出力で上回る事実なんて、
なんの意味も無かった。第一、奴らが事実を必要とした事など、一度たりとも有りはしな
い。
 そして、二度もあいつらの常識を信じる程、俺だって馬鹿じゃない。MMI-669B
「ヤッパ」ビームナイフ。ハラキリダイナミックは根本の一つでも機能する。内懐に飛び
込む。
 ビームとPS装甲の間で、火花が散った。頭の中で5つ数えた時にも、白い装甲に融解
する様子は見られなかった。七つ目でフリーダムが手首を返す。剣光がデイリシルエット
の肩アーマーを弾き飛ばす。実刀と違い、接触させれば威力を発揮するビームサーベルだ
が、これ以上の損害を覚悟する必要は無いだろう。手関節の可動範囲には限度が有る。
 フリーダムがサーベルを手放した。
 喉の奥で呼吸が潰れた。武器を手放したフリーダムに、ザクを突き放そうとする素振り
は見えなかった。後方確認モニターにフリーダムの掌を確認した時、ザクがバラバラにな
った。
 背後で閃光が弾けた。考えるよりも先に、腕が分離を選んでいた。対フリーダムの特訓
を思い出す。あの時、この回避方法を徹底的に訓練していなかったら、パルマフィオキー
ナの一閃に腹をぶち抜かれたのは、奴じゃなく俺だった筈だ。
 上下のパーツとシルエットは運良く回収出来た。今日、俺は驚くほど運が良いが、それ
もここまでだった。腹部から火花を吐き散らすフリーダムが、浅い緑の機体とすり替わっ
た。
 宇宙用ゾック・グラディエイター。恐らく、平和の歌姫にも、何物からも自由な男から、
攻撃する自由を奪う事は出来なかったのだろう。味方撃ちを恐れ、射撃の効果が上がらな
いなら、後は接近して仕留めるしか無い。

 

「邪魔だっ!」

 

 前にも後にも回る鉤爪をかいくぐって、モノアイをブチ抜く。二機目がすぐ眼前に迫る。
これが最後のチャンスだ。俺に残された武器はヤッパ一振り。シルエットはもう、底を突
いている。
 頭からフリーダムに突っ込む。前後均等に火力を持つのがゾックの特徴だか、背後を気
にしていられない。

 

「君が立ちはだかるなら!………僕のこの手がっ!!……」

 

 フリーダムが腕を振りかざした。掌がデイリシルエットを捉え、頭頂部から粉々に爆砕
する様を、俺はすぐ眼下に目撃した。寸前での切り離し。シルエットの作る死角で、キラ
・ヤマトからは、見えていない。
 膝のアーマーがザクの全重量を乗せて、フリーダムの額を抉り、顔面をぐちゃぐちゃに
押し潰した。どこもかしこも頑丈な自由の剣も、砲口ばかりは例外だった。レシーバーの
中で悲鳴が潰れる。

 

「とったっ!」

 

 ヤッパを振り下ろそうとした時だ。
 モニターが、光を失った。
 不意の出来事だった。
 夜が訪れた。
 フリーダムも動きを止めた。
 今、ザクのサブモニターは議長に握られていて、派手な電飾の真ん中では、いかにも時
代遅れの衣裳に身を包んだカラオケ名人が、暢気に発声練習を始めていた。
 多分、俺のザクだけじゃない。今、この宙域に展開するMSと言うMS、艦艇と言う艦
艇のディスプレイは桃色のショートヘアをふわふわのムースみたいに揺らした娘を映し出
していて、たった二人を除く全員が、素人丸出し、マイクに接吻せんばかりの歌手に、暢
気な顔で付き合っていた。
 そう、例外は二人だ。一人ぽっちのザク・インパルス乗りは、いちいちこんな舞台を整
える為、丸々一個の機動部隊の前に晒されていた事に腹を立てていたし、その機動部隊を
率いる平和の女神様は、それ所じゃなかった。

 

「キラ!何をしているのですっ!」

 

 金切り声が、回線を切り裂いた。

 

「討ちなさいっ!討つのですっ!早くっ!」

 

 文字通りに金属だって切り裂けそうな声は、誰も動かす事が出来なかった。
 無重力の舞台で、ラクス・クラインのピンクとは違う、淡い桃色の髪をした少女が、丁
寧に、そして器用にお辞儀をした。手の下では、ペーパーバックが勢い良くページを移し
ていた。細い両手がコンダクターの誇り高さで広げられた時、数百枚の紙切れは一枚残ら
ずヒトデに化けていた。

 

「ああっ。あれ、星か」

 

 俺が自分の間違いに気付いた時だ。
 歌が響いた。

 

                                       続