SCA-Seed_平和の歌◆217 氏_第08話

Last-modified: 2009-01-22 (木) 21:59:53

 地上の楽園から焼け出されて移民したばかりの頃、プラントは混乱の極に有った。あれ
だけの大戦争の後だ。無理も無い。それでも、やっとこさっとこ選挙が行われて、デュラ
ンダル政権が誕生したけど、当時の俺はまだ選挙権を許されていなかった。
 だから、俺が人生で始めて経験したのは、ラクス・クラインの信任選挙だ。投票の翌朝
は、武装警察の留置所で迎えた。次に連れて行かれたのは、鏡と監視カメラ以外は何も無
い部屋だ。俺は赤い瞳をした南洋生まれの男を見据え、一日二二時間、その選択がいかに
愚かしく誤った物かをなじり、血塗れの歪んだ人生を糾弾し、いかに平和と自由の為に生
きるべきかを説得し続けた。説得には実力行使も伴った。暴徒鎮圧用の樹脂鞭と電磁警棒
を携えた2ダースの武装警察も、帝国主義に洗脳された犠牲者を救う為の協力を惜しまな
かった。

 

 俺は世の中のルールが180度変わった事を体で理解した。大西洋連邦が、国会議事堂
前で同国大統領を侮辱しても許される、そんな自由の国であるのと同様、プラントもまた、
評議会議事堂前で大西洋連邦大統領を侮辱しても問題の無い、自由の国となったのだ。

 

「お前はキラ・ヤマトだ」

 

 もし、そんな宣告を受けたとしたら、どう答えれば良いと言うのだろう。俺の人生で三
番目に最悪な、あの二週間だって、それほどに自分と言う物を疑う事は有り得なかった。
 勿論、武装警察に追い回された事も、自己批判を強要された事も無い、マスゲームとだ
って縁が無い、食料チケットなんて触れた事も無い、大学でシェークスピアを読み、ミニ
ベロで仲間達とポタリングを楽しみ、ただ幸福である以外はどんな義務も課せられた事の
無い18の少女が、こんな事実をそう容易く受け容れられる訳が無かった。
 案の定だ。彼女は先ず、議長の言葉を体よく押しつけられる相手を左右に捜し、その望
みが断たれるや、表情の抜け落ちた顔で、自分を指差した。

 

「議長!」

 

 気付いた時には、声が出ていた。何を言って良いかは分からないけど、何を言うべきで、
何を言いたいかだけは、はっきりしていた。

 

「ミーア・キャンベル――――私が以前、手許に置いた少女だ。彼女には一切、事実は告
げなかった。最期まで、自分が単なる影武者だと信じていた筈だよ。それが、あの娘を幸
福にしたかについては、正直に自信が持てない」
「だからって――――」

 

 俺は言葉を飲んだ。知らない事の幸不幸は、この際、意味が無かった。これからどうす
るか、だ。

 

「……この娘をラクスにしよう、て言うんでしょう?それで歌わせて、ZAFTの足を止
めて、その間に逃げよう、て言うんだ」
「今のZAFTは“歌姫の騎士団”だ。言わば、ラクス・クラインの歌声に最も影響され
易い個体で構成された集団だからね。勝算は充分にある」
「本気で言ってるんですか?」
「ラクス・クラインが資料庫から、この娘の正体を掘り当てた以上だ。もう、プラントに
居場所は無いだろう」

 

 多分、議長の言っている事は正しいのだと思う。ラクス・クラインに正体が知れた。あ
の女が自分に取って変わり得る人間を放っておく訳が無い。捕縛、抹殺する為なら、ZA
FTの全軍だって使う。まともな方法では逃げ切れない
 それでも、俺は議長の正論をすんなりと飲む事が出来なかった。元遺伝子専門の研究家
が、決していい気分で語っている訳が無いと言う事実も、オブラートには足りなかった。

 

「なあ、あんた。こんな事は、一つも気にする必要は無いんだ」

 

 俺はどこにも向けられていない目の中で、自分を探している娘の肩を叩いた。

 

「え?」
「言ったろう。俺が守ってやるって。命は、なんにだって一つだ。だからその命はあんた
の物だ。他の誰でも無いっ――――」

 

 だから、あんたはラクスになんかなる必要は無い。そう言いたかった。言おうとして、
言えなかった。
 横殴りの一撃が、言うべき言葉を叩き割った。レイだ。足場の定まらない無重力下だか
ら効きはしないが、正直に面食らった。

 

「何するんだよっ!いきなりっ!」
「……ああ。すまん」

 

 俺に反対なのだと思った。と、言うよりも、議長に賛成なのだろう。レイはいつだって
そうだ。だから、簡単に謝られたのは、拍子抜けだった。

 

「非常に嫌な事を思い出してな。つい」
「つい、で殴んなよっ」

 

 全く、何だと言うのだろう。

 

「あのー……質問なんですけど」

 

 場違いな声だった。司法解剖の最中、羊の胃袋と足の白ワイン煮が美味しい店について
尋ねる声だ。食欲よりも嫌悪感に彩られた目が、一斉に振り向いた。

 

「私の歌を聞くと、皆、気分を悪くしたり、頭痛がするのは、その――――“手を加えた”
せいなんでしょうか?」
「恐らく、調整が不十分だったのだろう。計算しての事では無い。悪く思わないでくれ給
え」
「じゃあ、じゃあ――――そこを治したら、そう言う事も無くなる?」
「それ所か、君の歌を耳にしたコーディネーターは、心に安らぎを覚える様になるだろう。
母親の呼びかけを耳にした赤子の様にね」
「うーん……」

 

 尖り目の顎に当てられた指が、彼女の目線を上に傾けた。その唸り声には聞き覚えが有
った。通勤手段に悩む警備会社のサラリーマンが、安手の自転車に比較的変速比の大きな
品を見付け、財布と相談を始めた時に漏らした物に、よく似た声だった。

 

「おい。あんた、それでいいのかよ?」
「一人でカラオケも寂しいですし」
「そんなの、俺が付き合ってやる」
「でも……」
「でも、なんだ?」
「その……まだ、少し早いと思うんですよ。狭くて薄暗い部屋で二人きりと言うのは」
「あんた、何、想像してんだ?」
「な、何も想像してませんよお。それに、ほら、歌うのは大勢の方が楽しいじゃないです
か」
「だからって、なあ……」

 

 ラクス・クラインの歌声を手に入れる。つまり、18年間付き合って来た自分の声を捨
てる。一人でカラオケなんて暗い趣味とおさらばする為だけに決めてしまっていい様な事
だろうか。大体、その洗脳効果の御陰で、やっぱり仲間と歌う訳にはいかなくなる可能性
だって高い。

 

「それに、シンさん、言ってくれたじゃないですか」
「俺が何を言ったって?」
「私が仲間だって。仲間なら、皆の助けになろうとする物でしょう?」

 

 確かに言った。彼女の主張に、間違った所なんて一つも無かった。俺は一言多い自分の
性格を初めて呪ったけれど、だからと言って、あの一言を後悔する気にも、取り消す気に
もなれなかった。

 

「私、やりますっ」

 

 悲壮や深刻以前に、真剣ささえ疑いたくなる笑顔だった。

 
 

 仕事を終えた繋止環とベアトラップが、濁った、退屈な目を、MSの全長よりも高い天
井に向けている。大伽藍の片隅に、コアスプレンダーが遠慮がちに身を縮めている。
 複数のパーツを失った格納庫は、いやに広かった。残るはアダムスキー、デイリ・シル
エットが一つずつ。チェストとレッグが二組。

 

「別のコンテナにシルエットがもう一つ有る。それで終りだ」

 

 戦っている時は夢中だったけれど、こうして見ると、俺達の戦力は酷く限られた物だと
分かった。議長は地球に逃げ込むつもりらしい。そこまで、逃げ切れるだろうか。

 

「奴らがここまで来るには、時間がかかる」

 

 レイは機体の横で、端末を叩いている。今、艦内に居るのは俺達二人だけだ。残りは研
究所で“処置”に当たっている。

 

「現在、ZAFT艦艇の航法図に、このコロニーの位置は記録されていない」
「連中にとっても、都合の悪い物が沢山詰まっているから、か」
「消してしまうか、秘匿するか。ラクス・クラインは決断できなかったのだろう」
「でも、今回の事で腹は決まったんじゃないのか?」

 

 何故、ラクスが議長を敵視するのか、以前は分からなかった。口先ではデスティニー・
プラン反対を唱えていたけど、AAが俺達に襲いかかって来たのは、それよりずっと早い。
その理由が、今はよく分かる。

 

「結局、ラクス・クラインも被害者、て訳か」
「どうかな」

 

 レイには異論が有る様だった。

 

「ああした依存心の強い人間は、えてして世界を加害者と被害者に分けて考える。だが、
自身を単純な被害者と位置付けるには、プライドが邪魔になる」
「じゃ、どうする?」
「被害者の味方、救済の担い手と言うポジションを作り出す。前衛分子、フェミニスト、
人権派。そんな所だ」
「その被害者の味方が、どうして弱い人達を弾圧するんだよ?」
「彼等は常に被害者の味方だ。意見を違える人間は、加害者に荷担する者に決まっている」

 

 背筋を濡れた手が這った。多分、レイの言う通りだ。ラクス・クライン一派の精神構造
は歪んでいる。
 でも、その騙し絵を目にするのは、初めてじゃなかった。嘗て、戦災から力を持たない
人々を守ろうとした移民の軍人は、それ故に、身近な批判者を最も忌避したのではなかっ
たか。
 一歩間違えば、俺もああなっていたかも知れない。それは、本当に恐ろしい事だった。

 

「人の善意と言うのは打出の小槌だ。自由。平和。その味を知ってしまった彼等は、もう
逃れられないだろうな」

 

 何故だろう。連中が不幸だと聞こえた。空気感染する類の不幸だ。

 

 レイはコンソールのI/Oから端末を引き抜いた。

 

「物資が無い。次で最後だ。出力を上げておいた」
「サンキュー。助かる」
「悪い。機体があれば、俺も援護に出られるんだが」
「仕方ないさ。スプレンダーがもう一機有ったって、パーツは皆俺が壊しちゃうしな」
「奴らが来たら、とにかく時間を稼いでくれ。こちらは一秒でも早く、舞台装置を整える」
「電波ジャックでもするのか?」
「その準備も整えてはあるが、連中は大抵回線を開きっぱなしだからな。必要無いかも知
れん」
「歌が流れ出せば、奴らの動きは止まる、か」

 

 そして、連中が体勢を整え、対策を整えた上で追って来る頃には、十分に安全な距離ま
で逃げ切れる。議長はそう計算しているのだろう。

 

「それにしても、少し驚いた」
「何が?」
「ルナマリアだ。あの後も関係を続けているとは思わなかった」
「あいつとも、大概長いからな。そろそろ、覚悟を決める頃合いだよ」
「覚悟か」

 

 レイは笑った。キラ・ヤマトの演説を耳にしたみたいな笑い方だった。

 

「覚悟なんて言ったって、安っぽい物だよ。金で買えるんだ」
「何?……そうか。そこまで考えていたのか。いや、笑ったりして悪かった」
「なんだよ。いきなり。真面目な顔して」
「真面目な話じゃないか。ジュエリー・ショップで買って来た覚悟だろう?」

 

 俺は答えなかった。薬局で買った、1ダース入りの覚悟だとは言い難かった。0.03
㎜ぽっちの薄っぺらな覚悟だ。大体、俺の三ヶ月分の給料で買える指輪なんて、マンハッ
タン島くらいの価値しか無い。
 レイの胸元で、通信が鳴った。歌姫の騎士団の御到着だ。度重なるお誂え向きのタイミ
ングに、連中は俺に気を遣っているんじゃないか、と言う錯覚さえ湧いて来た。

 

「出るぞ」

 

 いかがわしい答えを飲み込んで、キャノピーを閉じた。
 虫の知らせ、と言う奴だろうか。
 母艦から滑り出した時、何とも言い難い違和感が、首筋を撫でた。軍役時代に、よく覚
えた感触だった。転職後は、一層馴れ馴れしく付きまとって来た感触だ。
 不意にライフルごと右手を切り落とされた時、猫の死体を片手に徘徊していたジャンキ
ーが、絶叫一つ、9㎜弾をばら撒いた時、たまたま目の合ったZAFT軍人が、一個分隊
の仲間を呼び集めて国防基金への協力を求めて来た時、いつでも歯を食いしばるには十分
な、身をかわすには明らかに手遅れなタイミングで危機を教えてくれた、そんな聊か頼り
ない直感が、耳元で囁いた。

 

「レイ!あっちの様子はっ?」

 

 針先にも似た冷感が、米神をなぞった。そうだ。目的の為なら、ラクス・クラインはZ
FATの全軍だって使う。兵力は艦艇やMSに限らない。

 

「研究所か。待て……」

 

 小さなノイズを合図に通信が繋がった。その瞬間、両手がヘルメット越しに耳を叩いた。
 耳の奥で炸薬が弾けた。5.57㎜弾と20㎜榴弾の大合唱が回線に押し入り、外耳に
飽和した。鉄が焦げる音に交じって、場違いに暢気な悲鳴だけがよく通った。

 

「ちょっ……ちょっと……!隠れないと!早く!早く!」
「折角だから、私はこの赤い扉を選ぶとしようっ!」
「私の後に立つなっ!!」
「アビィィィィィィッッッッッッ!」

 

 50マグナムの咆吼と、二丁の短機関銃が、全ての銃声を裁ち落とした。
 それきり、静かになった。

 

「……おいっ!あっちは大丈夫なのかっ!」
「待てっ。大丈夫ですかっ!ギル!」

 

 答えが返って来るまで、一瞬の間が合った。

 

「こちらは大丈夫。安心してくれていいわ」
「そっか……よかった。所で、最後の……」
「安心してくれていいわ」

 

 研究所からの通信が切れた。どうやら無事らしい。だからと言って、俺に安心している
余裕は無かった。
 正面モニターを、星明かりが埋め尽くした。脳裏に南洋の夜空が浮かんだけど、郷愁は
湧いて来なかった。俺はとっくに故郷を捨てていたし、ギラギラと輝く光の海は星じゃな
い。MSのポジション・ライトだ。

 

「どこに撃っても当たりそうだ」

 

 口元で、笑いが凍り付いた。逆もまた然り。あちらが一斉に火線を張れば、俺がどこに
居たって当たるだろう。
 光学識別装置に目を走らせる。この状況で、どんな意味が有るか分からない。単なる習
慣だが、何もしないよりはマシだった。有効な手だて以外の一切を放棄する人間は、想定
を大きく上回る事態を前には彫像と変わらない。
 敵編隊は見た事の有るMSばかりだった。ザク、グフ、ドム。そして、俺の退役後に採
用された機体。ギャンとのコンペを勝ち抜いた、宇宙用ゾック・グラディエイター。宇宙
用?ピカピカと光る金色のシラヌイ・アカツキ・ガンダムは一際目立つ。そして艦列の先
頭には、ピンク戦艦のエターナル――――ファッション、てなんだ。

 

「私たちはどこへ行きたかったのでしょうか……何が欲しかったのでしょうか……幸福と
は何でしょう……討ち、討たれ、過ちを繰り返し、その未来に間違いなく待つものなので
しょうか?……それでも私たちは……全ての命は自由と未来を得るために戦う物……なら
ば、どれほどの過ちを重ねようとも、私たちは今を生きる命として戦うしかありません…
…戦っても良いものです……ですが、人は本来戦わなくてもよかった筈の存在……でも…
…私たち人は……」

 

 俺は耳栓を事務所に置き忘れて来た事を後悔した。俺に分かるのは英語か、さもなくば、
偉大なる代表首長閣下のフィリピノ語が一つまみと言う所だ。我等が議長閣下操る異次元
の言葉は難解が過ぎる。
 最もファッションと言う言葉から遠い機体、犬にしゃぶり尽くされた手羽先を背負う、
ストライク・フリーダム・ガンダムを探す必要は無かった。先頭の機体が、俺の目を吸い
寄せた。旗艦エターナルの艦首に、腰を落として奇妙なポーズを取る機体。

 

「覚悟完了の男っ!」

 

 肩に固定されたライフルは全長に倍する長さを持っていた。背中から扇状に広がるドラ
グーン。そのサイズはデスティニーの長射程砲よりも遙かにデカい。フリーダム・タイプ
と思しき白いMSは、一目で分かる火力を無言の内に振り回し、攻撃する自由以上に横暴
な要求を世界に突き付けていた。

 

「あれは、ホームラン・フリーダムっ!」
「知ってるんですか、議長?」
「たった今、私が名付けた」
「結構なセンスですね。そっちの準備は済んだんですか?」
「もう少しだ。何とか持ちこたえてくれ給え」

 

 一体、どこからどうやっで見ているのだろう。
 返事をしなかったのは、別に議長と話すのが嫌になったからじゃなかった。議長が呼ぶ
所のホームラン・フリーダムが腕で制すると、星の波が一斉に減速した。
 ホームランがピンクの装甲を蹴った。宙空を蹴り付けた瞬間、100㎞の距離が消えて
無くなった。加速力はアダムスキー・ザクにだった匹敵するかも知れない。それにしても、
全軍を投入すれば簡単に片が付きそうな物を、何故、単機で突出する?

 

「どうして戦わなければいけないの?……僕は戦いたくなんか無いのに……」
「なら、追って来んな。こっちも戦いたくなんて無い」
「確かに君の言う事は分かるけど……!……それでも、僕は……っ!」

 

 俺は今日、この時ほど、言葉の無力を思い知った事は無かった。歌姫の騎士団は話し合
いが大好きだ。団長キラ・ヤマトを筆頭に、一人残らず、会話を装って独り言を続けると
言う、得難い特技を身につけている。一体、評議会は、軍は、どうやって動いているのだ
ろう。
 巨大なドラグーンが背部ユニットから剥げ落ちた。砲身を展開すると、その巨大さが際
だった。大型のバッテリーを複数。いや、下手をしたら原子炉を一個、腹に呑んでいるか
も知れない。弓矢の様に構えられたライフルなど、まるで艦載砲だ。あの男が何を言いた
いのかはともかく、何をしたいのかは明白だった。

 

「当たれえーっ!」

 

 モニターが虹色に灼けた。

 

                                       続