SCA-Seed_GSCⅡ ◆2nhjas48dA氏_ep2_第10話

Last-modified: 2008-04-27 (日) 16:37:31

「……司令官。映像に出てきた女性は、その、どう見ても……」

 

シン=アスカの『病状』を報告した医師は、そこで初めてロンド=ミナ=サハクが動揺
する様を見た。それ以上に、自分も驚いているのだが。

 

「あの……」
「まさか本心からの発言ではないだろうな?」

 

 それを遮ったのはアルファ1。厳しい視線を医師に突き刺している。ミナも一度深く呼
吸し、映像を停止させた。消せば良いのに、自分そっくりの女性が相手の首を絞め上げる
場面で止めている。

 

「サハク司令官は多忙の身だ。このような下劣な愉しみに耽っておられる暇は無い。それ
は理解できるだろう?」
「や、女性への配慮を欠いた無神経な映像だった事は承知しております! しかし、彼に
関する如何なる出来事をも報告せよと命じられたので、こうなったのです!」

 

 ミナは何も言わない。鋭い目つきを保ったまま、腕を組んで医師を見つめる。空調の
快適さは申し分ないが、白衣を羽織った医師の背中や掌に嫌な汗が湧き出した。

 

「しょ、承知しました……失礼いたしました。このパートはシン=アスカの妄想だった
として、恐らく後半部が実際の映像かと思われます」
「待て、後半部だと?」

 

 顔を上げたミナに対し、医師は小刻みに首肯する。

 

「はい、記憶は大きく2つに分けられています。……映像を、続けて頂ければ」
「ふむ」

 

 再生ボタンを押し、ミナは再び腕を組んだ。犠牲者の顔を反らさせ、その喉笛らしき
場所に口付けた所で視界が暗転する。端に映るシーツで、ベッドの上だと解った。薄暗い
照明に照らされた部屋は寝室らしい。ドアが開き、外の光と共に柔らかい金髪の少女が
入ってくる。

 

「な……」

 

 光の加減によって顔の細部が見えないが、僅かな灯りを受けて底光りを放つ瞳は蒼。
手にした注射器の針先が鈍い光を放つ。視界が左右に揺れる。身をよじって逃れようと
しているようだが、拘束されているのか身体が動いていない。少女がベッドに乗った。
 視界が、今度は上下に揺れる。浅い呼吸を繰り返している所為だ。顔が近づき、景色が
一度大きく揺れた所で映像が途切れた。

 

「以上です」
「これが、後半か」

 

 医師の言葉に一息ついて、ミナは映像をストップさせた。メモリスティックを抜き取り、
机に置いて滑らせる。金髪の少女については見覚えがあった。沈黙が降りる。

 

「映像に登場した2人目ですが、顔の輪郭などを分析した限りにおいて、ダイアモンド
テクノロジー代表取締役のアズラエル様かと思われます」
「当然、そちらが犯人だろう。彼女のシン=アスカに対する入れ込み様は常軌を逸する
所があった。全く、まだ18にも満たない娘がこのような行為に……」

 

「否」

 

 アルファ1の言葉にかぶりを振って、ミナは顔の前で指を組む。

 

「後半部こそ、シン=アスカの単なる妄想だ」
「え? いやしかし司令官、単なる夢や妄想でPTSDに罹る可能性は殆ど無いので、やは
りどちらかが現実だと考える方が妥当でしょう」
「その件だが……先程は曖昧な反応を返してしまい、済まなかったな。なにぶん過激な映
像であった故に、気が動転していたのだ」

 

 全く動転していない目つきと口調に、医師が首を傾げる。長年側近として従ってきたア
ルファ1の口端が引きつった。

 

「前半部の映像……なるほど、そう解釈されても仕方の無い行為が、余とシンとの間で
あったという事は、最早認めざるを得まい」

 

 眉間に皺を寄せ、さも過ちを犯したと言わんばかりに沈痛そうな表情で頷くミナに、
軽い眩暈を覚えるアルファ1。明らかに、己が主君は2人目の女性の出現によって、また
その女性がアズラエルと知ったからこそ心変わりしたのだ。
 別段、シン=アスカに性的魅力があるわけではない。自身の所有物―少なくともミナは
そう思っているの―を、他人と共有する事を断固として拒否しているだけなのだ。この際
既成事実を作って、何者も自分達の主従関係に立ち入らせまいと画策しているのである。

 

「そ、そうだった……のですか。いや、無論それはお2人の合意の上でというなら……」
「勿論、余としては合意の上で事に及んだつもりであったが……ふうむ、確かシンは、
性交渉の経験は無かった筈だな?」
「あ、はい。入隊当時の性感染症検査ではそう答えていますし、結果も問題無しです」
「なるほど……未経験の恐怖の余り、このように有りもしない情景が記憶として残ってし
まったという事だな。可哀想な事をした……いや、待て」

 

 むしろお前がちょっと待てと言いたげなアルファ1の視線を回避し、ミナは席を立った。
靴音を響かせ、殺風景な背後の壁を見上げる。無論、意味は無い。ストーリーを組み立て
ているのだ。

 

「今の映像は、シンの願望ではないのか?」
「が、願望ですか?」
「司令官、冷静に……大体、シン=アスカと肉体関係を持つタイミングなど無かっ……」
「冷静だとも、アルファ1」

 

 側近の言葉を一蹴し、ミナは両手を後ろで組み直す。

 

「つまりシンは余との行為に不満を抱いており、こうであれば良かったのに、こうである
筈だったという思いが凝り固まって、疾患を引き起こしたのではないかと思うのだが」
「いや、それは」
「無いのか?」
「えっ」

 

 メモリスティックを白衣のポケットに滑り込ませた医師は、真正面から自分を見つめる
ミナにたじろいだ。アルファ1といえば、諦めたのか黙って天井を見上げている。

 

「本当に無いのだな?」
「に、似た症例はありますが、家庭内暴力のケースです。性行為の不満というのは……」
「ならば、有り得ないと、己の責任において此処で明言するがよい」

 

 医師の喉が鳴って、一歩後ずさった。こうなると、対抗できる者は極僅かだ。

 

「想像力を働かせよ。これは組織の一大事なのだ……最強の戦力であるシンが弱体化した
現在、余らミハシラ軍が持つ影響力の減退は必至。一刻も早く状況を打開せねば、長期戦
略にも支障が出る。つまりどんな小さな可能性であろうと看過できぬ。解るな?」

 

 喉が渇ききり、唾を飲み込んで鈍い痛みに表情を歪めた医師が言われるままに頷く。

 

「よろしい。で、本当にその可能性は有り得ないのだな?」
「い、いえ……先程の軽率な発言をお詫びします、司令官。有り得ない話ではなく、寧ろ
現時点で考えられる内で最も可能性が高い原因ではないかと、私は推測します」
「そうか。お前のような優秀な医療スタッフが言うのだから、そうなのだろう」

 

 腕を組み、深刻そうな表情を保ったまま頷くミナ。机の脇を通り抜け、ドアへと歩いて
いく。慌ててアルファ1が駆け寄った。

 

「司令官、どちらへ!?」
「余自ら犯した過ちは、余自らが修正する。退け、時が惜しい」
「も、もっと別の物も惜しんでください! 推論に推論を重ねた現状では根拠が弱く、最良
の解決法かどうかも定かではないではありませんか!」

 

 口元に手を当て、おろおろする医師。

 

「シン=アスカという個人の精神に関わる問題だ。試行錯誤を繰り返すしかあるまい」
「試行錯誤といっても、検討を重ねるべきです!」

 

 その時、空気の抜ける音と共にドアがスライドして女性が入ってきた。ミナの許可無く
入室を認められているのは、アルファ1を除けば唯1人である。

 

「失礼します、司令官。緊急の用事にて、ご無礼をお許しくださ……」

 

 入るなり敬礼したエコー7は、その場の光景に瞬きする。

 

「これは、何事ですか?」
「シン=アスカに施す治療法が解ったのだ……退けと言っている、アルファ1」
「いえ、何も解ってはいません! 司令官、お待ちを! エコー7もお止めして!」

 
 

「ええ、シンとそのような事があったのかと問われれば……その通りです」

 

 ダイアモンドテクノロジー本社ビルに設けられたアズラエルのオフィスには、何時もの
メンバーが詰め掛けていた。皆一様に、少女の言葉に対し愕然としている。

 

「え、いや、ちょ、馬鹿な!?」
「どのタイミングで!?」
「そのように……根掘り葉掘り訊かれましても」
「いや、全然根掘り葉掘りじゃないですお嬢様! 事件の根幹だけじゃないですか!」

 

 桃色に染まった頬に手を当てて視線を反らすアズラエル。機動兵器部門を統括する研究
員と、生体CPU開発の最高責任者である主任は硬直し、社の暗所を司ってきた保安部の
黒服達は多目的バイザーにアズラエルのスケジュールを表示させ合い、力なく頭を振った。
ソファの前に置かれた大型ディスプレイには、落雷事故によってシン=アスカに重大な精
神疾患を発生させた『ゆりかご』のデータから抽出された動画が、ループで流されている。

 

「けれどこんな風に暴力的で、シンの同意を得ないような行為だったという記憶は無いの
です。もっと……その……」
「いや其処から先は仰らなくとも結構です! 聞きたくもないです!」
「解りました。とにかく、シンの記憶には……あの日の事が、2人きりの夜の事がこのよう
な形で残ってしまったと。事実として、受け止めましょう」

 

 胸に手を当てて嘆息するアズラエル。肩を落として脱力する男性陣。映像を抽出した時
点で、彼らは速やかに部門間で集まり状況を確認した。結果、そのような事実は無かった
という事を既に把握しているのである。
 今、アズラエルが出来もしないのに憂う少女を装ってシンとの関係を仄めかしている
理由は、抽出された映像の前半部に自分でなくロンド=ミナ=サハクと思しき女性が映っ
ていた所為だという事は、容易に想像できた。少女は、『分かち合う』事を決して望ま
ないし、許す事も無い。この機会に、既に我が物であるシン=アスカを完全に専有する
事を目論んでいるのであり、都合の良い既成事実を欲しているのだ。

 

「記憶の前半部は、完全にシンの妄想でしょう。ロンド=ミナ=サハク様はシンの事を、
単なる手駒としか見なしていない筈です。聡明な御方ですし」
「ま、まあ確かにそうでしょうねえ。男1人に入れ込むような女性では……」

 

 研究員が頷くと、他の男性も曖昧に首肯する。ミナが全く逆の事を主張し、2人が争う
などというとんでもない事態に発展する事はあるまい。そう信じて疑わなかった。とりあ
えず今は、自分達のリーダーにのみ気を遣えば良い。
その認識が甘かった事に気づくのは、そう遠い未来では無いのだが。

 

「しかし、そうなると治療法が難しいですね。ブーステッドマンやらエクステンデッド
といった使い捨て前提の強化兵士なら、記憶を単純に消去するだけで済むのですが」

 

 主任がそう言って、顎に手をやり唸る。シリアスな方向に話題がシフトしたので、研究
員もソファに座り直した。

 

「偽の記憶を植えつけるというのは、駄目なのか?」
「脳に与えるダメージって事で言えば、同等かそれ以上だ。後で悪影響が出る」

 

 研究員の提案を手振りで退ける主任。同じように唸る研究員。黒服の1人が挙手した。

 

「基本的な手でいけばどうだろう? いわゆる『誠意』を見せて、一週間くらいぶっ通して
キレイ所の集まってる店で毎晩楽しんでもらうとか。代金は全額こっち持ちで」
「ううむ……やっぱりそれか」
「ああ、1人遊ばせるくらいならこっちの予算もオーバーしないしさ」

 

 リラックスした語調で話が進むが、誰一人としてアズラエルの方を見ない。顔を向ける
事さえしない。全員、両肩に力が入りきっている。

 

「では、そういう事で」

 

 間髪入れずに上がった声は、男性の物ではなかった。緊張に耐え切れず、男達が声の主
を振り返る。アズラエルが席を立って自分の部下を見下ろした。照明が遮られ、顔に濃い
影が落ちる。

 

「シンの心を傷つけてしまった件について、謝罪せねばなりません。早速、アメノミハシ
ラ訪問の予定を入れておいて下さい」
「……はい」

 

 少女の鍛えられた表情筋が生み出す微笑を見つめ、彼らはか細い声で恭順の意を示した。

 
 

「ぁ……ぇくし!」

 

 アメノミハシラの医務室に、何度目かのくしゃみが響く。看護士が振り返った。

 

「大丈夫かシン。風邪か? お前」
「なんか……ぞくぞくする。鼻水もとばらなひ」

 

 ティッシュで鼻をかみ、シンは小型ゴミ箱のペダルを踏んで紙くずを捨てた。中は既に、
丸めたティッシュペーパーが詰まっていた。薄青の病人服を着て鼻声で話す姿は、確かに
立派な風邪引きだった。

 

「お前、コーディネイターなんだろ? 風邪引かないんじゃ無かったのかよ」
「んな事を言ったって……っくし!」

 

 ベッドに腰掛け、身を縮こまらせながら鼻の下を赤くするシン。

 

「気をつけろよな。身体が商売道具なんだから」
「解ってるけど……当分はシミュレイター漬けで実戦には使えないってさ、俺」
「いや、そっちじゃなくて」
「え?」

 

 首を捻って、シンは眉根を寄せる。看護士も似たような表情で見返す。

 

「あ? お前自分の身体の事、聞かされてないのか?」
「何の話?」
「いや、コーディネイターの女と……」
「女と……? あ」

 

 言葉が途中で止んだ。シンが相手の視線を追う。空色の髪と、紫の瞳が目に入った。

 

「……こっちにいると、基地の方に伺ったので」

 

 シンを見つめるザフトの緑服を着た少女が、含みのない微笑みを浮かべる。

 

「あ、ああ。ええと、久しぶり……」
「はい。……アスカさん」

 
 

「ポジションを確認した」

 

 メインモニターに地球が映り込み、狭いMSの機内が青白い光で照らし出される。ザフ
ト製のパイロットスーツを着た男は、人形のように無表情のまま呟く。紡ぎ出される声は
抑揚に欠け、まるで台本を渡されたばかりの俳優だ。
 通信スピーカーから聞こえてくる女性の声も、似たような物だった。直に聞いていなけ
れば、1人で喋っているような錯覚を起こすだろう。

 

『私達の突入コースに丁度割り込んでいるわ。データを其方に』

 

 モニターの左下に小さなグリッドが出現し、未だ肉眼で確認できない遥か遠方にいる存
在がCGで描画された。2本の脚部に似たユニットを前方に突き出す戦艦と、その周囲を
警戒する3機のMS。ウィンダムかダガーLであると、データベースと連動した母艦のセ
ンサーは判断した。

 

「……やはりアークエンジェルか。ろくな整備も補修も受けていないようだな」
『近々廃艦にするという情報は入っていたけれど。先の戦闘で負った被害はそのまま、自
然に沈まないように最低限の処置のみされているようね』

 

 オレンジ色のグリッド周囲に別の枠が追加され、連合軍の士官服を着た気難しそうな男
の姿が映し出される。髪を短く刈り込み、浅黒い肌には皺が刻まれていた。

 

「セレニティ攻防戦の時、艦砲射撃でリングを破壊した唯一の艦がアークエンジェルだ。
その時の艦長だな。敵に回すと手強い」
『セクメトの方では、突入直前に攻撃する案が有力なのだけれども。あなたは?』
「同意する」

 

 男は短い返答と共に、フットペダルを蹴ってMSを後退させた。艦首を鋭く尖らせた、
血紅色の改ミネルバ級戦艦へと接近する。
 かつてラクス=クラインからキラ=ヤマトに与えられたストライクフリーダム。混迷す
る地球圏を救う為に生み出されたコズミックイラの聖剣、自由と平和への祈りを込めた翼
は、全てを憎悪する者達と彼らを利用せんとする者達によって生まれ変わった。
 機動性を損なうドラグーンは取り外され、冷たく黒光りするウィングは剥き出しになっ
た骨の様。青の塗装は黒へと塗り潰され、ツインアイはライトイエローから紅へ。
 翼の可動部を含めた関節はくすんだ真鍮色を覗かせ、漆黒の闇の中で亡霊のように鈍く
輝く。ビームシールドを備えていた両手甲部は、追加装備によって一回り大型化している。
 ウィングユニットから紅い光の粒子を散らしてセクメトの艦首部に降り立ったストライ
クフリーダムが、真紅のツインアイを輝かせた。

 

「人を救う、か。我々も人を救ってしまう事があるよ、アスカ君……我々のやり方でな」

 
 
 

】 【】 【