プロローグ
「くそったれめっ! なんだって連中はこんなちっぽけな船を襲うんだよっ!」
貨客船・シースワロー号の操舵室で、この船の船長兼操舵士の男は暗雲が立ち込める天に向かってありったけの呪詛の言葉を吐いた。
シースワロー号は元々漁船に毛がはえた程度のちっぽけな船だ。略奪しようにも面白みは大して無い、そんな船のはずだった。
まして、ザフト製の水陸両用MSが襲ってくるなど、間違っても無いはずであった。
だが、現実にこの船を追っている──しかも、ソナーを信じるのならば後数機はいる──のだ。
「お目当ての船に凄腕の傭兵でも乗っていて逃げてきたんじゃないんですかぃ!?」
そんな船長に、船員の男は自分の推理を口にする。
ちなみに、その推理は当たってたりもする。もっとも、だからと言っても何の慰めにもならないが。
「そんな無駄口叩くよりも、救援信号はどうした!?」
「とっくにやってますよっ! でもこのあたりは電波障害が酷くて…… くそ、発光弾だってタダじゃないんだぞ!」
「くそったれ、糞コーディーめっ! ピンク頭のビッチめっ! 何が『平和な世界になった』だっ!!」
船員の叫びに、船長は思わず歯噛みする。
エンジンは既に焼け付くほどにフル回転をしている。比較的陸地に近いはずだが、NJのせいで通信は届かない。今まで沈んでいなかったのは、単にコーディネーター野郎がナチュラルの船を嬲って遊んでいるだけだ。逃げられる可能性は無きに等しい。
貨物は何の事は無い日用雑貨、客は妙な黒髪の小僧。目的地は大西洋連邦の……何時もとかわらぬ仕事だったはずなのに……
「すまねえな、坊主。運が無かったと思って諦めてくれ」
船長は操舵室の隅に座らせていた黒髪の少年に謝罪の言葉を口にする。
そんな船長に対し、少年はなんの返事もしなかった。まぁ、無理もない。怯えて声も出ないのだろうと船員達は考える。そして、そんな少年に構っていられるほど船員達に余裕は無かった。
しかし、実はそうではなかった。少年──シン・アスカは単に興味が無かっただけであった。
ついに耐えられなくなりザフトを辞めてから数ヶ月。居場所を失った少年は何時終わっても良い旅をしていた。一度は同胞となったザフトに殺されるのも、滑稽だがピエロでしかない自分らしくて良い。ぐらいにしかこの時は思っていなかった。
そして、ついには海賊達も小船を嬲るのを飽きたのだろう。ついに、水中よりアッシュが姿を現しその腕を振り上げる。
皆がもう駄目だ、そう思ったその時だった。
天空より、一条の光が降り注いだのは。
緑色のビームはアッシュの格闘用クローを爆散させる。
その衝撃で船が大きく揺れる。転覆しなかったのは、単純に運が良かっただけだ。
「くそっ、今度はなんなんだよっ!」
船長の怒声に答えたのは、無線機から流れた雑音混じりの音声だった。
『こち……大西洋れ……第じゅ……サイ・アーガ……』
殆ど切れ切れで何を言っているのか判らない。だが、雲を切り裂き天より舞い降りた鋼の巨人の姿を見れば、一目瞭然であった。
「も、モビルスーツ!?」
「ダガーL……連合のMSだ」
その巨人の姿に、シンが思わず呟く。その呟きに応じたわけではないだろうが、無線機から先程よりもはっきりとした声が聞こえてきた。
『……こちらは大西洋連邦第17MS独立部隊、サイ・アーガイル少尉だ。そこの商船、海賊どもは俺たちが引き受けたので逃げてくれ』
確かによくよく見れば、先ほど天から降りてきた機体に続き2機のMSが天から降りてきていた。
その姿に、万死に一生を得たと船長は無線機に怒鳴り返した。
「す、すまない」
『礼ならあとで感謝状でも贈ってくれ。早く逃げるんだ』
焦ったような別の声が無線機より聞こえてくる。確かに悠長に話している場合ではない。
水中からは海坊主を連想させる機体が4機頭を出している。恐らくは、ちんけな小船から連合のMSに得物を変えたのであろう。なんせ、船とMSでは単価が違う。
「ああ、必ず書かせてもらうぜ、ありがとな!」
船員が無線機に向かってそう叫ぶと同時に、船長は機関部が焼け付くのを覚悟で全速を出す。命あってのものダネだ。
一方、走り去っていく船の後ろでは、MS同士の戦いが始まっていた。
「よし、逃げていってくれたか……」
一目散に逃げ出す船をレーダーの隅に確認をしながら、サイはアッシュのビーム砲を機体を無理にひねってかわす。
「『逃げてくれたか』じゃねーっつの、俺たちも早く逃げないとまずいんじゃねーのか?」
サイ機より後方にいた僚機から今ひとつやる気の無い言葉が聞こえる。もっとも台詞とは裏腹に、攻撃の為に海上に浮かび上がろうとするアッシュに対し、低反動砲で牽制を加えていた。
「そうも言っていられないでしょう。司令の命令なんですから敵前逃亡ですよ」
「まったく、真面目な事で……そらよっ!」
再び浮き上がろうとするアッシュに砲撃を加えるものの、寸前で海中に逃げられる。
元々、足場の無い海上で水中用MSとやりあおうという事が無茶なのだ。さらに今の彼等は別任務からの帰還中に偶然通りすがったに過ぎない。空中輸送機の中でバッテリーや推進剤、弾薬こそ補給したものの、駆動系をはじめ機体は悲鳴を上げている。
「でもどうするよ、このままじゃこっちが持たないわよ」
やはり同僚の、女性准尉が悲鳴を上げる。
主武装のビーム兵器は水中では殆ど役に立たない。こちらはジェットストライカー装備なので飛んで逃げれば逃げ切れるだろうが、その場合は先ほど逃げた民間船が再度襲われる事になる。
妙なところで真面目な上司の命令は『民間船を守れ』だ。戦えない民間人を守るのが軍人の仕事とは言え、こんな遭遇戦での犬死というのは避けたいところだ。
「友軍が来るまで待つしかないだろっ!」
ヤケクソ気味にサイは叫ぶと、ウィングに搭載されていたロケット弾をばら撒く。
もっとも、派手に水柱は上がったが致命傷には程遠いだろうと、ランダムに回避。案の定水柱の中からビームが走る。もっとも、水柱で標準がずれたのかサイの回避が早かったのか、何も無い場所を通過するだけであったが。
元々水中用MSは艦船や軍港などの拠点に対する奇襲攻撃が主な用途だ。セカンドステージシリーズのアビスのような例外もいるにはいるが、基本的に空中にいる敵に対する攻撃能力は申し訳程度でしかない。
水中の敵に有効な攻撃手段を持たないタガーLと、空中の敵に対し有効な攻撃手段を持たないアッシュ。
そんな決定打に欠ける戦いの終焉は、それほど長く時間を待つ必要は無かった。
『みんな、その場からすぐ逃げてっ!!』
戦闘を続けるタガーLの通信機から、オペレーターの慌てた声が聞こえる。
訓練されたものとは思えない、通常の手順もへったくれも無い稚拙な通信だ。だが、その事を咎める者は誰もいなかった。次の言葉で皆状況がわかったからだ。
『“騎士団”が、こっちに来てる!』
その言葉に、パイロットたちが青くなる。
「待てっ、ここは大西洋連邦の領海だぞ!」
『まだ少し外だってっ!! あと数分でそっちにっ!!』
「くそっ、連中は何でこんな所にいるんだよっ!」
「知るかっ! 偶然いたんだろっ! くそっ、全機撤退だ」
サイの号令一過、3機のタガーLは一目散に逃げ出す。
その様子に自分たちが有利だと考えたのか、アッシュの群れが調子に乗って砲撃を開始する。
その攻撃を回避しながら、その回避ロスにサイは歯噛みする。
「くそ、馬鹿が。あいつらに知恵は無いのかよっ!」
「海賊に期待してもしょうがないだろっ!」
罵詈雑言を吐きながら全力で空域を離脱しようとするタガーLとそれを追撃するアッシュ。だが、突如そのアッシュの一体が爆音を立てて粉々に砕け散った。
「来やがった!」
誰かがそう叫ぶ。その声に答えたわけでないのだろう。だが、ちょうどと言うタイミングでアッシュを葬ったMS──ZGMF-X09A ジャスティスから、国際救援チャンネルを通じて通信が入る。
『こちらは歌姫の騎士団。こちらは歌姫の騎士団。
諸君らは非武装中立地域にて戦闘行動を行っていた。我ら歌姫の騎士団はその使命に基づいて諸君らの戦闘能力を強制奪取する。抵抗は無意味だ』
──歌姫の騎士団、本来の名称は“中立地帯における特殊平和維持軍”と言う。プラント議長となったラクス・クラインの提唱により生まれた武装平和維持部隊。
その役割はプラントの定めた“平和のための非武装中立地帯”を監視し、そこで行われるあらゆる戦闘行動を“武力”を持って武力を持つあらゆる存在を排除、戦闘を停止させる事にある。
「くそっ! 勝手に決めるなっ!」
誰かがそう叫ぶ。だが、そんな叫びに答えている暇は無い。とにかくこの場から逃げなければ。
一方、海賊どもは死に物狂いでジャスティスに砲撃を開始する。あたりまえだ、とりあえず大西洋連邦領海内に逃げ込めば歌姫の騎士団からは逃げられるが、大西洋連邦の軍隊により撃沈される。
一方公海──平和のための非武装中立地帯で歌姫の騎士団に追われれば逃げ切れない、必ず追い詰められて平和の名の下騎士団に滅ぼされる。
万が一でも彼らが生き延びるには、今目の前にいる歌姫の騎士団を倒すしかないのだ。
もっとも、それは蜘蛛の糸より細い無謀な行いであった。
「キラ……お前は何だって世界をこんな無茶苦茶にしちまったんだ?……」
タガーLのコックピット内でサイは、もう何年も会っていない友人の名前を小さく呟く。その呟きは、幸い誰の耳にも届くことは無かった。
この日、中立地帯における特殊平和維持軍の記録には『大西洋にて海賊行為を行ったアッシュ4機撃墜の記録が書き込まれ、中立地帯において戦闘行動を行った大西洋連邦に対し厳重な警告を行う』と記されていた。
世界を巻き込んだ二度の未曾有の大人災と戦争から2年。ほんの一部の地域を除いて世界は今だ混乱の中にあった。
直接戦火に曝される事は少なかったとは言え、プラントの独立や二度の戦争、NJによる通信インフラの崩壊やロゴスを中心とした経済の崩壊は未曾有の失業者と治安の悪化という双子を生みだした。
その上、どこぞの支援を受けた各地方の独立紛争は各地方に軍閥の割拠とテロリズムの横行という最悪の状況に推移する。
状況を改善しようとしても、連合の中心であった大西洋連邦は今現在世界を支配している──彼等の言葉を借りるなら守護している──二カ国からの監視が厳しく、NJCの設置による原子力発電所の復帰すらままならない。
治安を回復しようにも、テロリストが正規軍よりも最新装備を所有している……などという事もあるぐらいだ。
これは大西洋連邦に限った事ではない。
元プラント理事国2カ国は世界の支配者に『争いを生むもの』と睨みつけられ経済復興がままならず、東アジア共和国は中央の経済を立て直す為に地方を圧迫、各地方が分離独立を求め内乱状態となっている。
二度の戦争で主戦場となったユーラシア連邦に至っては、各地方が独自の軍閥に支配され中央政府がまともに機能していなかった。
当初は元理事国の弱体化を内心歓迎していた他の国家も、中央となる巨大市場の壊滅による経済の崩壊を招き、結果各地で大小の軍閥が割拠する結果となった。
現在平和と豊かさを享受している国は、強大な軍事力……いや、二人の英雄に守られたプラントとオーブ連合首長国の二カ国のみであろう。
後の歴史家はこの時代をこう評した。『歌姫の騎士団はたしかに世界に自由をもたらした。しかし、それは争い、奪う自由だった』と。
先の見えない暗黒時代。それが現在の世界だった。
――後の歴史家に、“歌姫の平和”と呼ばれる、暗黒時代の、ほんの壱幕であった――
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