SCA-Seed_SeedD AfterR◆ライオン 氏_第03話前編

Last-modified: 2009-03-11 (水) 01:10:26
 
 

~ライオン少女は星を目指す~
第三話「シンと神様の落し物(前編)」

 
 
 

大小の星々の光が散らばる宇宙に、巨大な建造物が浮いている。
軌道エレベーター『アメノミハシラ』だ。
その建造物のところどころにある小さなガラス窓の一つから、シン・アスカは星々の大海を眺めていた。

 

「きれいだなぁ……」

 

シンはアメノミハシラで暮らすうちに、星が好きになった。
青かったり、黄色かったりいろんな色があって、それらがキラキラ~って光るのを見るのがすきだ。
とてもキレイだと思う。バァ~って動く『スイセイ』を見ると幸せな気分になる。
「シン。昼ご飯を持ってきたぞ」
背後で大きな声がしたのでシンは振り向いた。
白いドレスを着た『ステラ』が二人分の食事が載ったトレーを持ったままこっちに歩み寄ってくる。
それを見ると、シンは嬉しくなって頬を緩めた。
「今日は何をしてたんだ?」
そう訊ねた『ステラ』に、シンは窓から体を離して向き直った。
「星、見てたんだ。マユもいっしょに。きれいだなぁって」
「そうか。今日の昼食はレイが作ったハンバーグだ。かなりウマイぞ」
部屋の中央に位置するテーブルにトレーを置き、食事を始める。

 

シンは星より『ステラ』が好きだ。まもらなきゃいけないから。

 

マユも同じくらい好きだ。父さんと母さんも。

 

「ほら、たくさん食べろ。そうじゃないと元気にならないだろ? 
ちゃんとシンの嫌いなケチャップはつけてないから大丈夫だ」
『ステラ』がハンバーグを一口大に切ってフォークに刺したものシンに差し出す。
「やだよ。さっきマユがたくさんクッキーを作ってくれたからぼくもう食べられないよ」
それにかまわず『ステラ』はフォークをつきだす。
「いつもみたいにずっと枕を噛んでいただけだろう。
枕なんかじゃなくてもっと違うものを食べないとダメだ。ほら、食べろって」
「うん、じゃあマユが怒るから一口だけ……」
肉を口に放り込むと『ステラ』はシンがハンバーグを噛む様子をじっと見ていた。

 

――シンが食べ物を吐き出さないよう見張っているのだということをシンが知るのは後のことである。

 

キョトンとしながら、シンは言う。
「……ねぇ、なんでステラはマユの事を『マクラ』っていうの?
 あの子はマユだよ? 父さんも母さんもいっしょじゃないか」
シンがベッドの上にある『マユ』『父さん』『母さん』を指差す。
ところどころが破け、羽毛が露出しているそれを見ると、『ステラ』はひくっとすくみあがった。
「それは……違うんだ。……マユは……お前の家族は、私が……」
肩を震わせ、自責の言葉をどうにか紡ごうとする『ステラ』を見て、シンが机を乗り出した。
そのまま手を回し、『ステラ』の肩を抱きしめる。

 

「泣かないで。大丈夫、ぼくがそばにいるから。
 ロゴスとフリーダムはぼくがやっつけるから安心して。
 敵はみんなぼくが倒す、殺してやる」

 

そう言うと、シンはうっとりと目を閉じた。
星を見ることよりも、この自分の中がいっぱいになってゆったりとあふれるようなこの思いが
何よりも大好きだった。好きなものがいっぱいあってシンはしあわせだ。

 

シンの異常なまでの保護欲が満たされるからであることは、まだ彼にはわからない。

 

「くっ……!」
急にハッとした表情になると、『ステラ』がシンを振り払い、部屋を飛び出した。
シンは半ば茫然としつつも、それを追わない。

 

今この部屋にはマユや両親がいるあったかい場所だ。

 

外はとっても寒くて、出て行ったらきっと凍えちゃう。

 

だから行かない。

 

「マユ、いっしょに星を見よう!」

 

シンはベッドの上にある『マユ』を掴んで上機嫌で言った。

 

マユもいっしょでシンはしあわせだ。

 

食べかけの二人分の食事を置き去りに、シンはマユを傍に置いて大きなガラス窓に
体をへばりつかせるようにして外に広がる星の海をずっと眺めていた。

 

ずっと、ずっと……。

 
 
 

『ステラ』を演じ終えたカガリは、部屋に戻ると体にまとわりつくドレスを脱ぎ散らかし、
ベッドに腰をおろした。
演じているとは言っても、白いドレスをはためかせるだけでシンは『ステラ』と認識するので
それほど疲労はなかったが、こうして自分の寝床に帰ってくると
様々な想いで張り詰めていた精神の緊張が解けるせいか、少なからず疲労を感じる。
もし今のような疲れた状態でベッドへ倒れこめばさぞかし気持ちいいだろうが、
あの壊れたシンを目の当たりにした今、とても休んでなどいられなかった。

 

――違う。休む資格など、私にはない。

 

「カガリ様。入ってもよろしいでしょうか?」
戸をたたく音が聞こえた。レイの声だ。
「……構わないが、どうした?」
カガリは疲れ切った体から、か細い声をしぼり出す。
「厨房を使う機会があったのでついでに軽食を作って持ってきました。いかがでしょうか?」
丁度いい機会だった。この気だるい体にはちょうどいいかもしれない。
「入ってくれ。……少々散らかっているが」
「失礼します」
部屋に入ってきたレイは、カガリの部屋の惨状を見るや否や
思わず仮面越しにもその表情が読み取れるほど、顔をしかめた。

 

部屋の中できれいなのはベッドの上だけだ。
それ以外の床には脱ぎ散らかしたドレスや読み捨てた本などが散乱しており、
まさに目も当てられない状況となっている。
だがそれを咎めるような様子もなく、部屋に入ってきたレイは持ってきたトレーを
散らかった机の上に置くと、二人分のお茶の用意を始めた。
ポットにお茶の葉を注ぎ、テキパキと準備する。
「あれから、一カ月がたった」
唐突にカガリが口を開いた。
そのまま用意された湯気が立ち上るお茶を、グイッと飲み干す。
「……はい」
「ここで生活して一カ月だぞ? そんな長い間私は、アイツに何もできなかった。
 アイツは、私のせいでいったいどれほど苦しんだかもわからないのに!」
やりきれない思いが振り上げた拳となり、おもいきり壁を打ちつける。
音が部屋中に反響した。 一言二言怒りを発露させると、カガリは自嘲しながら呟く。

 

「私が言えた義理じゃないのはわかっている。
 わがままと怒鳴り散らすばかりで、いつもたくさんの人を困らせて心配をかけてきたんだから。
 しかも、それが人のためになると思い込んでいたのだから、タチが悪い。最悪だ」
悪態をついて、無理に笑った。そのやつれた顔を見てレイは痛ましそうに口元をゆがめる。
ふとカガリは机の方に視線を向け、レイもそれに釣られて見る。
そこには政治関連の本の山が出来上がっていた。
付箋がページの隙間から飛び出しており、何度も熟読しているのがよくわかる。

 

「でも、こうして違った環境で生活してみて、本当に人のために働くのは大変なのだと知った。
 当たり前のように 他の首長たちによって提示されていた政治が、
 私一人では出来ないことを知った。ここでミナに蔵書を貸して読ませてもらっていなければ
 世界がどんな状況にあるのかさえも知らなかったんだ。
 こんな小娘が以前は国家元首をやっていたのだから、バカバカしい。
 いや、噴飯ものといってもいい……」
「カガリ様、もういいのです」
ひたすら自傷の言葉を紡ぐカガリの言葉を遮り、ようやくレイが声を発した。
「誰にだって過ちはつきものです。それを悔やむのは構いません。
 ですが、悔やむだけでその罪の意識を次に生かさなければ何も残りません。
 それこそが本当にいけないことなのです。
 それに、シンをあのような状態まで追い込んだというのが罪なら、私も同罪です」

 

カガリは以前、レイの口からユニウス戦役後半におけるレイ自身の罪の告白を聞いていた。
シンを戦うためのあやつり人形に仕立て上げたこと、
そのためにはアスランやルナマリアなどからシンを遠ざけたり、
シンの目標を誘導させ、倒すべき敵をちらつかせたりしたことなどだ。
そのときはそれを静かに聞いていたカガリだったが、オーブを攻める際にも
一枚かんでいることを聞くと驚きを隠せなかった。

 

「けどお前はちゃんと反省しているじゃないか。
 ミナの元で働く時間を割いてシンにわざわざ料理を作ってやるなんて普通はできないぞ。
 しかもお前は元々パイロットだったらしいが、料理も上手じゃないか。
 無力で無能な私ではこうはいかない」
そう言いつつカガリはテーブルの上のクッキーに手を伸ばす。
そのまま口に放り込むと、甘くほろ苦い絶妙な味がした。

 

そもそもレイが料理を始めたきっかけは、シンのわがままであった。
いくら言っても厨房で作った料理を吐き出し、食べなかったので困っていたところ、
試しにレイが作って食べさせてやると、不思議とそれだけは食べた。
今では、シンにはレイがわざわざ忙しい間を縫って食事を作っている。
逆にいえば、そのおかげでシンは生きていると言っても過言ではない。

 

「カガリ様も、シンのためにあの少女を必死に演じていらっしゃるではありませんか。
 今のシンにとってはそれがなによりも――」
「いいや、ダメだ。これでは……こんな今のままでは、いけないんだ。
 きっと……いや、なんていうか……」
先に続く言葉を模索していたそのとき、ドアの横のかん高い呼び出し音が鳴った。

 

『カガリ様、ミナ様がお呼びです。
 至急、自室まで来るようにと。話があるということです』

 

――手短にそう伝えられると、通信はプツンと切れた。
「……どうも『飼い主様』から呼び出しらしい。行ってくる」
へっ、と小さく笑う。崩れた衣類を直し、いそいそと身支度を整えた。
「はい。ではこれを片づけ次第自分も仕事に戻ります」
するとカガリは出て行く前に、手つかずの自分の茶を片づけるレイに向けて一言。
「クッキー、うまかったぞ」
「……は?」
「シンに食べさせるときに私も食べていたが、お前の作る料理……
 このクッキーにしても、いつもおいしかった。
 もしかしたらパイロットより、エプロンを着てる方が似合うんじゃないか?」
琥珀の瞳が瞬きできらめく。
レイの料理の腕を賞賛する無垢な輝きが、そこにはあった。
「……覚えて、おきます」

 
 
 

「来たか、犬」
執務机の上で手を組んだミナが、自分の私室に呼んだカガリを出迎える。
「私に何かご用でしょうか? 『ミナ様』。書斎の整理は昨日のうちに行いましたが?」
カガリは文句ひとつ言うこともなくミナの前に立つ。
ミハシラでは食っていくためにミナの小姓じみたことをやらされているため
彼女にしては珍しく敬語を、しかも知り合いに対して使っている。
とはいえミナはそれに対し何の反応も示さないため、カガリが自分に対して下っているのを
歓迎しているのか、またはその逆を思っているのかは見当もつかない。

 

「なに、犬畜生に躾を教えるのは人目のつかぬ所が一番良いからな。そうは思わんか?」
「………………」

 

ミナはカガリがすぐに返事をしなかった様子を見て、心の中で首を傾げた。

「――――(少々、痛めつけすぎたか?)」

 

一週間ほど前までなら露骨に眉を釣り上げ反攻の態度を見せていたのが、
今ではやつれきった顔をうつむけ何も言い返そうともしない。
確かに普通なら一人では無理な書斎の整理や掃除、その他雑用を腹いせと言わんばかりに
押し付けてはいたが、それ以上に祖国が自分を裏切ったということを気にやみ、
この一カ月はカガリを心身共に衰弱させていたのだった。

 

「どうした、答えなくないのか? ……まぁいい。
 お前を呼びだした理由は、オーブに新たな動きがあった事についてだ」
「……オーブが?」
しばし無言だったカガリがようやく口を開く。
オーブのことに関してはこの少女は生気を纏ったように顔をあげ、耳をそばだてていた。
「そうだ。お前の『弟』が何やら途方もないことを企ててな、
 全世界に向けて発信された内容が……これだ」
そういって机に上質紙を広げるミナが少し嬉しそうな顔をしているのを見抜いたのは、
側に控えるソキウス達だけだった。

 

――もっとも、それはカガリの安否を気遣う内容ではなく、
 『まだまだ痛めつけても大丈夫だな』という嬉しさだったのだが。

 

「この紙に書いてあることが事実だとすると、

 

  『間もなくオーブは世界の平和を守るために、
   キラ・ヤマト・アスハ代表の意志の元に集いし同志を束ね
   対テロリスト部隊『歌姫の騎士団』を結成。
   これを混迷を極める世界中に向けて派遣する』

 

 ということだ」
「な……!!」
目の前の女性が何を言っているのかわからないというように、カガリは絶句した。

 

先ほど充分に怒り狂ったおかげで冷静になったミナには、カガリの反応が当然なのだとわかる。
自分もそうだったからだ。

 

平和のため、と言えば聞こえはいいかもしれない。
しかしその実態はテロリスト根絶の名の元に軍備を増強し、世界中を再び戦火に巻き込む事に他ならない。
それに加え、各国に派遣するとなると内政干渉どころの問題ではないだろう。

 

「お前の崇拝するオーブの理念が破られたぞ、犬。
 あの者に国を奪われたお前のせいで いったいどれほどの国民が税金の無駄な浪費に苦しむのだろうな?
 答えろ」

 

軍、ひいては兵器というものは国家予算を無残に食い荒らす非常に厄介な金食い虫である。
国外に派遣するMS一機のためにどれだけの国民の一生がまかなえるかを考えると頭が痛くなるが、
それに加えこれから続出するであろう戦死した兵士の遺族への保険金や怪我人への福祉金も
大量に必要になる。
その他数え切れないほどの要素が絡まった国家予算の多大な浪費による結果は、想像に難くない。

 

先ほどのミナの辛辣な一言はカガリに対する同情などの意志では全くなく、
むしろもし何も答えられなければ――
これだけしても成長しなければ、今度こそ本気で首をねじ切ってやろうとも考えていた。

 

しかし――

 

「……おや、答えられないのか? どうしたのだ犬……?」
カガリは目の前の空間を見つめたまま絶句し、
まるで呼吸をすることも忘れたように体を硬直させていた。
その周囲に漂い出した何とも言えぬ冷たい雰囲気に、ミナは思わず息をのむほどだった。
いつもならば形容するなら『赤』ともいえる怒りを体中から噴き出しているカガリを知る者からすれば、
到底想像もつかないような様子であった。

 

「これは……私の責任だ……。私の……」

 

このときのカガリの胸の中で猛り狂っていたのは確かに怒りの感情であったという。

 

――故郷を踏み荒らされたことによる怒り。

 

――国民たちを苦しめようとしているかつての友人たちに対する怒り。

 

――そして何よりも、それらを引き起こしてしまい養父から託された国民を守ることができなかった
   自分自身への怒り。

 

それらをひっくるめて、かつて体験したこともないほどの凄まじい怒りが、
カガリを茫然自失の状態へ陥らせていたのだ。

 

――――そして、この瞬間。『獅子』は、その自分を暗くて寒い現実から守っていた
硬い殻にひびを入れたのだった。

 
 

ふと想いを馳せるようにカガリは瞳を閉じた。
そのまま机の上で手を組むミナに数歩歩み寄り、微塵も怯むことのない堂々とした態度で問いかける。

 

「どうした、犬。とうとう自害する気に――」
「ミナ様……いや、ロンド・ミナ。お前に訊きたいことがある」

 

ただそれだけのことを口にされたのにもかかわらず、
カガリに言葉を投げかけようとしていたミナの口が止まった。

 

――ほう……? 

 

カガリがミナに質問するなど、今までの常識からは考えられなかったのである。
「ほう……それが主に対する口のきき方か? ……言ってみよ」
急な場の雰囲気の変化に慣れるために軽口を叩きながら、ミナは奇妙な気配を感じ取っていた。

 

奇妙だった。目の前のカガリというミナにとっては野良犬同然の評価だった少女から、
以前国を盗られモニターの前で喚き散らしていた時からは想像もつかない、
何かピリピリとした得体の知れぬものが感じられていた。

 

ミナは勿論それを何であるか知っている。

 

――獅子を彷彿とさせる強い意志と落ち付き、威厳とも呼ぶべきその気配のことを。

 

「私が行ったこと……世界中が戦火にまみれ、新たな争いがおこることを恐れていながら、
 自分たちもまた力を振りかざして無理やり鎮圧していったこと。
 これはお前の天空の宣言には許容できる内容なのか?」

 

目を見開いたカガリの金の瞳には、くすぶっていた『何か』が弾けたように揺るぎない意志が宿っていた。

 

「確かに予は人は自分の理念に従って生きるべきだと宣言した。
 だが、それは他者の理念を妨げないことを前提としてのことだ。
 あの者たちのように自分の理念に従うためにオーブを我が物にするなど、許されることではない」
「そうだな、許されないことだ。私も、アイツらも」
「……何が言いたいのだ、カガリ」
「私は、今まで自分の理念など持たず他人の理念を信じて生きてきた。
 お父様にオーブを守れと言われたから守り、キラに争いを止めるよう諭されたりな。
 私の理想は、他人の掲げる理想だったんだ。
 そして、今ようやく私は自分の意志というものが生まれた気がする」
「……続けろ。お前の意志とは何だ?」
ミナは首肯し、続きを促す。

 

「簡単なことだ。キラ達が行おうとしているこのくだらない事を止めるんだ」
「ほう。どうやって止めるかはさておき、くだらない事というのか。
 しかし、それはお前が今までやっていたことではないのか?
 他人に理念を押しつけ、それが押し通らなければ力づくでも理解させようとする……」
「あぁ、そうだ。だからこそ、本当に終わりにしたいんだ。
 国というものは、人が生きるためのシステムだ。
 人は一人では生きられないから他人との集まりを作りだし、力を合わせたものを国と呼ぶ。
 そしてそれらが互いに生きようとする意志が集まってぶつかり合い、争いが起きる。
 これはしょうがないことだ。
 しかし、アイツらが行おうとしているのは大きな――それも地球圏を覆うような国を造り上げ、
 世界中を自分たち一色に染め上げようとしている。
 そんな世界、人が住むものとしては死んだに等しい」

 

――どうやら書斎の本をひそかに読んでいた甲斐はあったらしいな

 

『あの』カガリが言ったにしては正論だった。厳しい視線に刺され、ミナは沈黙する。
この一カ月、ミナは知っていた。
消灯時間を過ぎてもカガリの部屋の明かりが深夜までついていたことを。

 

「人は他人の意志で従うべきじゃない。
 自分の意志を持って行動するべきだという部分ではミナ、お前の理念に賛同する。
 だが国の枠を超えるという事は、国というシステムを根本から覆し、
 その結果生まれるのは無秩序だ。 私はその点には賛成できない」

 

――――む……一体どうしたというのだ、これは。

 

ミナは寒気のようなものさえ感じていた。予想の範疇をはるかに超えている。
ナチュラルというものは短期間でこうまで成長できるものであったか? 
これが、あの脆弱極まりない『依存し続ける政治家』であったというのか?

 

「それがどうしたというのだ? 
 カガリ、お前はいったい何を考えているというのかを予は訊いているのだ」
「……そうだな。い、いや……私は……」
そのとき、ほんの一瞬気配が薄くなったのを感じてミナは確信を抱いた。

 

この少女は、今ひびが入った自分の硬い殻から抜け出そうとして様々な感情が暴れ狂っているのだ。
そのために自己を確立させようと、言葉を紡ごうとしているのだ。
それをうまく言い表せず、もがいている途中なのである。

 

「私は思うんだ。人は他人のために生きるべきではないと、
 もちろんそれは他人を助けるなということではない。
 自分の意志に沿い、自分を信じるということだ。
 しかし、他人を信じ『自分』の存在を消してしまうとそれは人と呼べないんだ。
 私もそうだったように――」

 

やはりそうなのだ。この少女は奈落の底まで落ちた後、以前とは違い誰にも頼らず、
自分の力だけで険しい崖を這い上がろうとしている。
自分自身をよく理解し、尋常ではない精神力がなければ出来ることではない。

 

「御託などどうでもよい」
ミナは、あえて突き放すような鋭い口調で阻んだ。それが、最後のひと押しになった。
「他に言うべきことがあるのではないのか? 貴様には。それを言ってみよ」
そのとき、さきほどの疲れ果てやつれきった風体から一転し、
誠実さと意思の強さが見てとれるようになったまっすぐな金の瞳がミナを射抜いた。

 

「ミナ、お前に頼みがある。そして、私は今、ここで誓うぞ――――」

 

==========

 

ミナはカガリの頼みを聞き終えると、得心が言ったとばかりに薄い笑みを浮かべた。
「ふむ、いいだろう。それならば断る理由もない」
「本当か!? 感謝する。……ありがとう」
「待て」
その身をひるがえし部屋から出て行こうとするカガリをミナが呼びとめる。
突然の言葉にいささか面食らったような様子であったが、カガリは即座に向き直った。
「これを持って行け」
そう言って差し出したのは、あの時渡されたアスハ家の宝刀。
手に取り刃を引き抜くと、絢爛な装飾が施された鞘と柄の間には
あの時から変わらぬ白銀の刃があらわになった。
「これは……」
カガリは思わず言葉を失っているようだった。

 

「今のお前には、この剣はふさわしいと言えるだろう」
「ミナ、いいのか。私は一人前の自覚など何もない。ましてやオーブを失ったばかりだ」
「そんなことは関係ない。予はそれをお前に渡したいと思ったから渡しただけだ」
「そうか……ありがとう」
「礼などいらぬ。それよりもカガリ、お前が望むならばもう予は止めはすまい。
 ただし、その剣をお前の意志の象徴として持って行け。
 そして、お前の選んだ道が困難な道のりになったとしても、決してその剣の事を――
 お前がこの場で立てた誓いの事を忘れるな」
「承知した」
深く頭を下げ、カガリは鞘に収めた小剣を手に取った。そのまま、ミナに背を向ける。
「どこへ行くつもりだ。まだ準備には時間が――」
「いや、その前に……決着をつけなきゃいけない奴がいるんだ。
 私と、アイツとの間の……そして、過去の自分自身に決着をつけてくる」
そのまま足早に部屋を出て行く。

 
 

――行け、獅子の子よ。そのお前の気高き理想に従い、己の運命を切り開くがよい。

 

それを見送りながらミナは心の中で呟いた。

 

それにしても、驚嘆した。
自分は確かに、天空の宣言に従いカガリを保護した。
だが反省を促し自分の矮小さを思い知らせてやるという意味合いが強かった。
せいぜい馴染みのある部下として使ってやろうと言ったほどにしか考えてはいなかった。
だが、今のあやつは何だ。まるでつい今何かに目覚めたような印象を受ける。
いや、それ自体もある意味ではおかしくない。
あの栄光にあふれる生活から一転して奈落の底に沈んだのだ。
自分の過ちに気付き、反省して成長することは当然だ。
しかし、ただのナチュラルがこの短期間でこれほどの変化をもたらすものなのだろうか? 

 

「SEED、か……」
ミナの中で一つの考えが浮かんだのはこのときである。

 

以前、書物で見たことがあった。
学会で一度だけ発表された時、議論を醸したという
『遺伝子に刻まれた人類の進化を促す要素』――SEED。
すなわち――カガリはそのSEEDをもっているのだ。

 

思考を放棄したような、非現実的な考えである。
だがそう考えると、今の急激な変化にも答えが出てくる。
「予としたことが……馬鹿げた思考だ」
自嘲するように呟いたミナだったが、その顔は真剣そのものだった。
笑えない。実際世界には、宇宙一の強運を持つジャンク屋や、
真実を追求し続け世界に少なからず影響を与えることになったフリージャーナリスト、
それに加え想像を絶するような羽を持ったクジラの存在などが確認されているくらいである。
そう考えれば、人類にも進化の余地を与える『何か』があったとしてもおかしくはないだろう。
あくまで、仮定の話であるが。

 

「いずれにせよ、ようやく始まったのだがな」

 

まだこれからだ。

 

あの獅子の子が父の呪縛に縛られず、真の意味で世界に影響を与えるのは、まだまだこれからなのだ。