SCA-Seed_SeedD AfterR◆ライオン 氏_第02話

Last-modified: 2009-02-23 (月) 10:32:19

シャトルの中で気を失ったカガリが目を覚ましたのは、暖かいベッドの中だった。

 

「ここは……」
「気がついたか」
声がした方を向く。すると長身、黒髪の女性がスライド式ドアの向こうから現れた。
ロンド・ミナ・サハク。オーブの五大氏族の末裔であり、軌道エレベーター『アメノミハシラ』の主でもある。
カガリは氏族同士のパーティなどでお互いの事は幼少時より知り得ていた。

 

「ロンド。……ここはいったい?」
ムスッとした口調。カガリはこのサハク姉弟の人を見下したような立ち振る舞いが好きになれなかった。
もっとも、相手もそうだったが。

 

「おや……? このアスハのご子女は、久しぶりに会った者に対する礼儀も知らぬとみえる」
「――久しぶりだな、ロンド・ミナ・サハク。で、ここはいったいどこなんだ? 
 私はいったいどうなったんだ? あれからどれくらい時間がたったんだ?」
矢継ぎ早に質問を浴びせるカガリに、ミナは低い笑みで答える。

 

「此処は予の居城、アメノミハシラ。お前が漂流していたシャトルの中で気絶していたのを、
 とあるジャーナリストが発見してな。オーブの公用シャトルに乗ったものを無碍にするわけにもいかず、
 そのまま我が城で身柄を預かることにしたのだ」
「それで、あれからいったいどれくらい時間が過ぎているんだ……? 状況は? オーブは!?」
「……貴様と話していると、何故動物図鑑に貴様の姿が載っていないか不思議でしょうがない。
 まだ一週間しかたっておらぬ」
「一週間……!? 七日も私は寝ていたのか!? ――ぐぅっ!」
すると、カガリはこうしてはいられないとばかりにベッドから飛び起きた。
しかし右足を動かした瞬間、耐え難い激痛が走る。
この痛みこそが、あのシャトル内での出来事を裏付ける決定的な証拠だった。さっと顔に冷や汗が伝う。
「早く議会へ顔を出さないと……! まだあのプランへの対応策が――」
「急いでも無駄だ。もうカガリ・ユラ・アスハはこの世には存在していない」
「はぁ!?」
ワケのわからないと言った風に、カガリが素っ頓狂な声を上げた。事実、その言葉の意味がわからなかった。

 

「な、何を言ってるんだ!? 私は現に、ここに――」
「喚くな。その喚くしか能がない口を閉じ、現実を見るがいい。もはや何者でもない小娘よ」
不思議そうな顔のカガリの前に病室備え付けのモニターが降ろされる。

 

そしてそれに映る映像に目を走らせると、カガリの金の瞳が大きく見開かれた。

 
 
 

~ライオン少女は星を目指す~

第2話「シンと遠い日々の記憶」

 
 
 

『我らが指導者であり、我々が愛したカガリ・ユラ・アスハは死んだ! 何故だ!?』

 

モニターの向こうで有力氏族の一人が声を張り上げている。
その背後には大きな自分の写真が映し出されており、カガリはまるでここは別世界に来てしまったような、
そんな不思議な気分になった。
「こ、これはいったい……」
「どうも葬式のつもりらしい。貴様のな」
目を細め、ミナが言う。この壮大な三文芝居のために大事な国民の血税が泥だめに捨てられたかと思うと、
憤りを隠せないようだ。

 

『彼女はかつてオーブを愛していたザフトの軍人、シン・アスカに撃たれたのだという! 何故か!? 
 同郷の人間が憎み、復讐するこのような出来事があったのは何故か!?
 戦争は確かに終わった。しかし、未だに世界各国では爆炎の華が咲き、憎悪の嵐が吹き荒れ、
 すべてを闇に包む黒煙が消えることはない。 
 諸君らは、この世界の惨状を対岸の火だと自ら切り離してはいないだろうか!? それは間違いだ! 
 そのさなかで、この事件が起こった! 
 彼女は世界の危機を教えるためにその身を持って我らに教え、死んだ!』

 

「そんな……わたしは生きているぞ! こんなことはくだらないことはやめろ!」
「静かにしろ、これは先日録画したものだ。もっとも、この場に駆けつけていたとしても貴様の言葉など
 すでに彼らには届かないだろうがな」
もしこのままオーブに戻ったとしても、生きていたら生きていたで再び事故を装い殺されるだろうと
最後にミナが付け加える。

 

『諸君らはこの悲しみと怒りを忘れてはならない! しかし人類はいまだに愚かな争いを繰り返し、
 互いの身を滅ぼし合っている! 
 これはもう誰にも止められない連鎖なのか? 否! 我々にはまだ救世主がいる! 
 彼らこそ我らの愛した指導者の血縁にして、自由と正義の二刀流を持つ勇士たち!』

 

その演説の壇上に現れた人物を見て、カガリは驚きを隠せなかった。
「ラクス……キラ……アスラン!?」

 

三人のうち、キラがマイクをとる。
『この報告を聞いた時、僕たちは驚きを隠せませんでした。どうして……何故カガリが、と。
 彼女は何もしていないのに、命が散ってしまった。これは普通ならとても許せないことなんだ。けど――』

すると、オーブ軍人に連行されながら一人の男が壇上に上げられた。
そのままラクス、キラ、アスランの前へ連れて行かれるとその男は芋虫のようにうずくまり、嗚咽し始める。

 

『私はカガリ様をのせたシャトルに同乗していた随伴員、スズキです。
 カガリ様は私と他の者を逃がすために天に召されたのに、私だけはのうのうと生き恥を晒しています。 
 裁判所に伺うまでもない! キラ様、この罪深き私めに裁きを与えください!』

 

キラがその男を見ると一瞬苦しそうな顔になったが、男に向けて諭すように言葉を投げかける。

『ダメだよ。どんなに小さくても、命は宝なんだ。たとえそれが、あなたのような罪人であろうとも。
 あなたは、あなただ。カガリのことで気を病んでいるなら、あなたはカガリの意志を継いで
 一生懸命生きてください。それだけが、僕の望みです』

 

『キラ様……! おぉぉぉ……!』

 

スズキは壇上で手錠を外されると、再び芋虫のようにうずくまり、そのまましばらく民衆の面前で
むせび泣いていた。
しかしその時、注意深く男を凝視していたせいで、カガリは見てしまった。
うずくまる前のほんの一瞬、この男の口元が勝ち誇ったようにつり上がるのを。

 

スズキが立ち上がり、退場する光景を背景にその後に流れたアスラン達の追悼の言葉など、耳にも入らなかった。
『私は、過去にはもうとらわれないと誓いました。父のこともあり――』
『わたくしたちは、いったいどこへ向かうのでしょう? どうして人は――』
涙の一滴も流さないまま話す追悼の言葉など、上滑りにしか聞こえない。
それが終わると、再び有力氏族の演説が続く。

 

『彼らこそ、この混迷を極める世界に救いの光をもたらす者なのです。
 特にキラ様とラクス様――クライン夫妻は、デスティニー・プランにて世界を滅ぼさんとした
 デュランダル議長の伴侶、タリア・グラディスのご子息を家族に迎え入れるなど、
 慈愛にあふれるその行いは世界中から賞賛を受けております。
 それらを踏まえ検討した結果、我々オーブ政権はここに宣言します!』

 

会場に詰めかけていた民衆たちが騒ぎだす。葬式のムードなど、どこかに吹き飛んで行ってしまっていた。
壇上の男の口が、開く。

 

『オーブは、クライン議長が掲げるアーノルディ・プランを全面的に受け入れ、
 プラントと正式に軍事同盟を結ぶことを決定しました!』

 

それは、何もかもが唐突過ぎた。
「う……嘘だ……」

『なお新たに代表首長代行を務めるのは、
 今は亡きカガリ様の弟君にして世界にその名を響かせるCEの聖剣の担い手!
 キラ・ヤマト・アスハ様であります!』

 

再びキラが壇上に上がる。
その時になって、カガリは気恥ずかしそうに壇上に上がるキラのその胸に
アスハ家の家紋が入った刺繍が入っていることに初めて気がついた。

 

『僕は――いえ私は、前大戦時には何と戦わなければいけないのかとずっと光が見えない闇の中で、
 散々迷ってきました。
 このままじゃいけない、けどどうしたらいいかわからない。
 もうザフトと連合、どちらも撃ってはならないんです。
 だから憎しみが止まらない。戦争が終わらずに泥沼化する。
 ですが終戦間際に、私はデュランダル前議長と決別しました。
 プラントも地球も幸せに暮らせる世界が欲しい、だから戦う、覚悟はある……と。だから……あの……』
 ためらいながら、キラが目前に広がる民衆を見わたした。

 

『私の夢は、戦いのない幸福な世界、それだけです。
 ですが本当は皆同じ夢のはずなのに、世界はそれを知らないんです。
 だから、カガリを殺した人のような憎しみの連鎖にとらわれた人を作らないために、
 どうか僕にに力を貸してください。
 お願いします。本当は撃ちたくない……撃たせたくないんです! 
 ですが、今の僕は覚悟がある。僕は戦う!』
そう高らかに宣言したその時のキラの表情は、果てしなく明るい笑顔だった。
理想を話していたせいか、いつの間にか一人称が戻っていることにも気づいてはいない。

 
 

「そんな……。そんな馬鹿な……」
カガリは茫然とモニターの向こうの光景を見つめた。涙の一滴も出ない。
むこうも涙を流すどころか笑っているのだから。
あまりの衝撃に立っていることさえできない。全身から力が抜け、がくりと膝をつく。

 

「……もはや奴らの慢心には、あきれを百里ほど通り越して感心するしかあるまい」
カガリのそんな姿を見たミナも、この映像を見ている時ばかりはカガリと同じように
半ば茫然としてその光景を見るしかなかった。

 

養父と養母が眠る故郷が。

 

代表首長として守らねばならない国民の住む土地が。

 

アスハ家何代にもわたって受け継がれてきた平和なオーブの島国が。

 

お父様の残した理念が。

 
 

 ――踏みにじられてしまった。

 
 

『血のバレンタイン、ブレイク・ザ・ワールド。
 しかり先の大戦は、いずれも地球の混乱を願うテロリストたちによって引き起こされたものだ。
 あまつさえ、前大戦中には平和をもたらす歌姫、クライン現議長もその御身を狙われた。
 そう、我々の世界は絶えず滅亡の危機に脅かされている! 
 この平和を守るためにもオーブは今、世界のため立つのだ!
 立て国民よ! オーブの崇高な理念の元に、いざ――』
「くそったれがぁぁぁぁぁ!!」
怒りという感情に身を焦がし、カガリが拳をモニターに叩きつける。
画面が砕け、モニターのガラスが拳に突き刺さり血が噴き出したが、それにもミナは動揺をみせない。

「馬鹿な! いったい何があったんだ! 答えろミナ! 答えろと言っている! なぜこんなことになった!」
だがそれに対するミナの返答は、素っ気なかった。
「その問いに答える義務は、予にはない」
「くっ……。なんだそれは!」
「むしろこちらがお前に問い詰めたいほどだ。お前はいったい何をしていた? 
 なぜこうも簡単にオーブが乗っ取られるのだ?」
その声は、思わずカガリがぞっとするほどの冷たい響きを持っていた。
「わ、私だって頑張っていた! しかし、こんなことはまったく――」

 

「黙れ、犬」

 

そのあまりの語気の強さに、カガリは目に見えてたじろいだ。
「とっさに考えた言い訳がそれか、国家元首の皮をかぶった愚劣極まりない犬めが。
 いや、『元』を付け加えるのを忘れていたな。詫びよう」
「ぐ……なんだとぉ!」
ミナは憤るカガリに向かって数歩歩み寄り、微塵も隙を見せない堂々とした態度で問いかける。
「もう一度聞こう。お前は今まで何をしていた? クラインの小娘は、議長に返り咲き、
 形はどうあれ様々な政策を出していた。
 それに引きかえお前はこの一年いったい何をしていた? 
 まさかさっきの『頑張っていた』で済ますわけではあるまいな?」
「わ、私だって……」
するとカガリの声が、今にも泣きだしそうに震えた。返す言葉が見つからない。
彼女がこの一年勉強していたのだって今まで勉学面でサボっていた分を取り戻しただけのようなものだ。
とても偉そうに言える立場ではない。
そのほかにはラクスが掲げたあの提案を突っぱねていた。それだけだ。本当にそれだけだった。
他にもあの戦争の事後処理などがあったが、それは他の官僚が行っていたことだ。

 

「貴様は何か勘違いをしている。世界のため、オーブのため政治を行っていると宣言してはいたが、
 実は違うだろう?
 貴様は亡き父のために国家元首に祭り上げられ、あのユウナとも結婚しようとたのだ。
 英雄のように死んでいった亡き父の遺影を掲げ、それこそがオーブの民の意志なのだと思うようになったのだろう。
 それは正解だ。正確に言えば国民は皆が皆、お前の後ろにあるウズミを見ているだけなのだが。
 その証拠に、先ほどの映像では『ウズミの娘』としかお前の評価、功績はない。
 どうなんだ? 予は答えろと言っている」

 

その事実に気付くとカガリは、ふと自分を支えていた何かが崩れ去ったような気がして、再び床にへたり込んだ。
表では獅子の後継者だと評価を受けてはいるが、こうも罵られるとぼろが出る。
「どうした? 答えぬのか? では次にお前はいったい誰に泣きつくのだろうな? あのザラの裏切り息子か?
 それともクラインの小娘か? それともやはり自慢の『弟』に泣きつくのか? 答えろ」
「ミ、ミナ……!?」
「予は今までの人生でこれほど怒りに震えたことはない。ギナを失った時には劣るが。オーブを乗っ取られただと?
 予が、事情を知らずそこで眠り続ける貴様をいったいどれほど八つ裂きにしたい衝動に駆られたと思う?」
「う……、それは……」
「分らぬか、何も分らぬのか。そうか、すまなかったな。獣に人の言葉を話しても理解できる道理もあるまい」
ミナは懐から棒状のものをとりだした。それをへたれこむカガリの前に放り込む。
からぁん、と軽い金属音がした。

 

「拾え。犬」

 

ミナが懐から取りだしたそれは、鞘に納められていたナイフだった。
だがナイフにしては長く、小刀と言ってもいい。
カガリは手を震わせつつ、立派な彫刻と金細工がちりばめられている鞘から刀身をすらりと引き出した。
乾いた金属音とともに、見事な白銀の刃があらわになる。
なんのつもりか、とあっけに取られるカガリに向かい、ミナは顎でしゃくった。

「それはお前が崇拝するアスハ家の宝刀だ。サハク家が預かっていた物をわざわざ宝物庫から取りだしてきたのだ。
 それで今すぐ自害しろ。
 そうすればお前の存在など、ただの人の形をした犬だったとして記憶から消してやってもいい」
それはあまりにも辛辣であり、苛烈であった。カガリは、怒りを覚えるよりも先に言葉を失った。
茫然と刀身を見つめるカガリを見て、ミナはわざとらしく大きなため息をついた。

 

「やはり理解できないようだな。犬も犬なりに従順であるならともかく、こうも低能であっては救いようがない。
 あの『飼い主』たちに捨てられたのも当然と言えよう。……ソキウス」

ミナが指をパチンと鳴らすと、扉の向こうから顔が瓜二つな青年が数人現れた。
そのうち二人が茫然自失のカガリを支え、立ち上がらせる。

「ついてこい。お前の『罪』、その狭い視野しか持たぬ目にしかと刻みこんでやろう」
そういって、ミナは力なくうなだれたカガリを引き連れ、部屋を後にした。

 
 

==========

 
 

カガリがミナに連れられた客室は、アメノミハシラの客室であった。
そこには来客用の豪華な装飾がなされており、備え付けられた部屋の窓の強化ガラスの向こうには
凍てつく漆黒の宇宙が広がっている。
「ミナ。いったい何を……」
「お久しぶりです。アスハ元代表」
声がした方を向く。すると、部屋の壁際で車いすを引いた一人の人物がこちらに向いてお辞儀をした。
短くそろえた金髪と顔の仮面。それは、ある人物を思いおこさせるには充分であった。

 

ラウ・ル・クルーゼ。かつて己の憎しみから戦争を巻き起こし、人類を滅亡の危機まで陥れようとまでした人物。

 

「お前は――!?」
「失礼ですが、人違いです。私はレイ・ザ・バレルという者。ラウ・ル・クルーゼではありません。
ミネルバで数回ほどお会いしたことがあったはずです」
すると、レイと名乗った男が顔につけていた仮面を外した。
そのときカガリは悲鳴をあげないために体中の自制心を総動員しなくてはならなくなった。

「!?」

 

レイの仮面をつけていた顔の上半分だけが、老人のような皺に覆われていた。
肌が荒れ皺が寄った目元、鼻、額の周囲だけが時間が切り取られたかのような錯覚を覚えてしまう。
しかしその異形とも言える輪郭は、かつてミネルバで見たことのある少年の顔そのままであった。

 

「思い出していただけましたか?」
「あ、あぁ……。すまない……。それで、私になんだ!? 私の様な『犬』に今さらいったい何の用か!?」
カガリが自嘲を込めて怒鳴る。隣に立つミナはそれに何の様子も示さない。
「用があるのはその者ではない。彼だ」
すっとミナが指で客室の不自然に毛布が盛り上がったベッドの一つを指す。
「彼? ―――――!!!」
けげんそうにカガリがそのベッドに近づくと、人が寝ていた。
寝癖がついた黒髪に白い肌が印象的な青年。そのいで立ちに、一年前の出来事が思い起こされる。

 
 

『さすが、綺麗事はアスハのお家芸だな!』

 
 

まるで全身の血が凍ってしまったかのような衝撃とともに、あの怒号と紅い瞳が脳裏によみがえった。

 

シン・アスカ。あのミネルバに乗船した時の自分に対して怒れる少年が、そこに寝ていた。

 

そのとき、殴りつけられるような思いがカガリを襲う。
先ほどから衝撃を受けるばかりだったが、今はあらゆる罪の意識に対しカガリは打ちのめされていた。

 

事実、さきほどまで自分はこの罪から逃げ、忘れかけていたのだから。

 

「レイ。シンの様子はどうなのだ?」
ミナが問い、レイが答える。
「今のところ落ち着いています。ですが医師が機体の生命維持装置が停止していたことによる
 酸素欠乏症の可能性もあると言っており、時間がたてばたつほど目に見えて弱っていきます。
 このままでは……」

 

そのとき、

 

「ん……あ……?」
シンの紅い瞳が、見開かれた。寝ぼけ眼のままむくりと起き上がる。
すると首から下に掛けられていた毛布がずり落ち、Tシャツの下にある貧相な体が浮き上がった。
それはとても直視できるものではない。顔を含めた体中が異常なほど痩せほそり、肉がごっそりと削り取られている。
血の気のない頬の上あたりの目の下にはおおきなクマが出来ており、まるで死体が動いているかのようだった。

 

「ひっ……!?」
カガリはそれに驚き、飛び退く。勢いのあまり尻もちをついてしまうほどだ。
この男が自分を誰かとわかったらどうするだろうか? 
拳で殴り殺されるだろうか? 首を絞められるだろうか? 
そんな思いが、カガリにさらなる追い打ちをかける。

 

しかし――

 

「あれ……みんなが……手を振ってる……」
「え?」
そう言いつつ、シンはカガリの横にあった『帽子掛け』に目を向けた。

 

「アハハ……あの子は、マユかな? いや……ちがう、ちがうな。
 マユはもっとこう……小さくて、ふわ~ってしてるもんな……」

 

シン……いや『シンだったモノ』は、軟体動物のようにベッドから滑り落ちた。
あまりの衰弱ぶりに、すぐ立ち上がれないのだ。

 

「まってよ、かあさん……とうさんも――」
ゆっくり、ゆっくりと立ち上がりそのままフラフラと、ガラス越しに宇宙が広がる窓へと足を向ける。
ガラスにその身を阻まれても、彼は歩みを止めない。

 

「あれ……なんだこれ……。うっとおしいなぁ。マユがぼくをおいていくじゃないか」    
彼は見えない『妹』を追おうとしたが、宇宙用の強化ガラスに阻まれる。
目の前の見えない壁に向かって彼はへばりついた。
「出られないのかなぁ? おーい、まってよー」
彼は目の前に見えない壁があることに気付くと、駄々をこねる子供のように拳を何度も叩きつけた。

「とうさ~ん、かあさ~ん、マユ~!」
よほどの衝撃がないと、傷ひとつつかないはずのガラスが振動で軋む。
こんな力が、そのやせ細った体から出ているとは信じられない。
「ねぇ~出してよ~、ねぇ~ってば~!」
彼は拳を振り上げ、なおもこの向こう側に行こうとしている。打ちつけた拳からは血が滲み始めていた。

 

「無駄だ。シン、やめろ、やめるんだ」
「だって……マユが……」
レイが拳をつかむと、ようやく止まる。止まった拳から血が滴り落ちた。
その姿に痛々しくなり、カガリは茫然とその場に立ちつくした。
「私の……せい……? これは……」
「そうだ。この者はお前と一緒に回収された時からこの状態であった。
 お前が『壊した』のだ。まさに罪(シン)というわけか」

 
 

知らなかったとは言えない。言えるはずがない。
ミネルバで怒鳴りつけられたあの日、カガリは弾劾されたことから逃げていた。
どうして分かってもらえないのかと、自分もがんばっているのだとアスランに愚痴をこぼすことしかできない。
彼のいつか分かってもらえるという言葉にすがり、それ以上考えることができないでいた。
その果てにはラクス、キラ、アスランへ傾倒していき自分が間違っていないと確信してしまっていた。
その結果、常に誰かに依存しつづけ、事態は彼女に制御不能に陥っていったのだ。

 

「私が……私が……」
「目を背けるな。瞬きすらも予は許さん。これが貴様の業だ。
 ウズミの理想を自らの元とせず、神格化した結果がこれだ」
容赦ないミナの言葉がひび割れた心をえぐる。
「予は執務に戻る。ここにいると、この愚か者の首をねじ切りたい衝動に
 負けてしまいそうになるからな。……レイ」
「ハッ。シン、手当をするから少し待っていろ」
それだけ言うと、ミナとレイは客室を辞した。

 

もしこの場にキラかアスランがいれば、カガリはなりふり構わず泣きついていただろう。
今の状況と同じようなことが前大戦中にもあった。

オーブが連合と同盟を結んだ時の、あの戦場で説得を行っていたオーブ軍人たち。
あの時は兵が戦争とは何かを文字どうり身を呈して示したが、
彼女の前では機体越しに目の前で死んでゆくオーブ国民としてしか映らないでいた。
その後艦内で自分を信じてくれる『弟』に励まされたこともあり、
再び自分が間違っていないと確信してしまっていたのだが。
ストライクルージュのメインカメラ越しに戦場を見まわしたことがあった。これが自分の非力さなのだと。

 

しかし、今は違う。目の前には何も遮られることのなく現実が広がっている。
恐る恐る、前を見る。
「あ……」
眼元がくぼみ、澱みきった紅い瞳と目があった。
「ステラ!」
「……!?」
その紅い瞳の中に金の髪が映ると、シンが心底うれしそうな声を上げた。
この精神が衰弱しきった青年には、もう過去しか見えていないのだ。
暖かい過去の思い出を掘り起こさねば、今の暗くて寒い現実に耐えられないから。

 

――ステラ? 
脳裏に浮かんだ疑問に対し思考する暇もなかった。
シンがよたよたと歩き、そのまま足がすくんで動けないカガリの首に抱きついたからだ。
抱きつかれた拍子に、カガリの金の髪が揺れた。
「ステラ! あいたかった! ぼくだよ、シンだよ!」
「な……!? は、はなせ……!」
首を絞められるという恐怖に駆られ、身をよじる。
すると振り払われ、拒絶されたシンがキョトンとカガリを見た。

「あれ……ステラ……手をケガしてる。岩で切っちゃったのかな……? 痛い?」
「え?」
カガリはそう言われて右手を見る。
そこにあった先ほど病室のモニターをたたき割った傷が、今ようやく痛み出した。
もちろん、岩など何もない。これも砕け散った精神の中にある過去の偶像だ。

「ちがうな。誰にやられたんだ? ステラを守るっていったから、ぼくがそいつらを殺してやる」
『殺す』という単語が聞こえると、カガリは身をこわばらせた。
「こ、殺すって……」

 

『殺したから殺されて、それで世界が平和になるのか』

 

父の言葉だったそれは、カガリが座右の銘と言っても過言ではないものだ。
だが今になって、この青年に面と向かって言えなかった。

 

――何を言っているんだ! 国を焼き、そいつをそこまで追い詰めたのはお前だろう!

 

自分によく似た声が、カガリの心に響く。

 

敵味方に分かれて争う世界は間違っていると父の言葉を秘めてこの数年間奔放してきた。
そしていつまでも答えが見つからず、ずっとみんなと一緒にさまよい続けてきた。
我々は何と戦っていかなければいけないのか。どうやったら世界が平和になるのか。
前大戦時『みんな』が出した答えは『みんなの夢が同じになればいい。世界はそれに気付いていない』だ。
だが今、本当の答えがわかった。

 

――その敵と味方を作ってきたのは、『自分』だった。

 

来るべきに行動せず、迷いつつも力を振り回すことしか知らないでいた。
答えが見つかるわけもない。なぜならその諸悪の根源がまごうことなき自分たちなのだから。

 

『殺したから殺されて、それで世界が平和になるのか』
これほど中身がないセリフがあるだろうか。『殺した側』が吐けばなおさらだ。

 

そもそも先ほど悪意のないシンが抱きついた際に、その身を先に拒絶したのは誰だっただろうか?

 

オーブの戦場に介入し、要らぬ犠牲を生んだのは誰か?

 

国家元首としての自分に意味が持てず、オーブにすぐ戻らなかったのは誰だ?

 

いつも事態を収めるために頼ったのが大嫌いな「力」だったのは……誰だ!?

 

「あ……ああ……」
嫌いなものを拒絶する子供のようにカガリは弱弱しく首を振った。
自分の信念、理念ともいうべき自尊心に、びしびしと音を立てひびが入る。

 

――間違っていたのは世界じゃない……私だった!!

 

その時、すでに多大な負荷がかかっていた脆弱で幼稚な精神が砕け散った。

 

「あのドレスはどうしたの? ぼくはあれが――」
突然、シンは床に滴る熱い雫に、驚いたように顔をあげた。
「ステラ……?」
少女は――カガリは泣いていた。あふれ出る涙をぬぐおうともせず、ただひたすら下唇を噛んでいた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

それは目の前の死人のような様をしている少年に対する同情などではなかった。
そんな言葉では語りつくせない、もっともっと根源的な想いが大粒の涙となって流れ落ちていく。

 

「大丈夫だ、キミは死なない、ぼくがまもるから」
うつろな目でうわごとのように繰り返すシンが、少女の体を抱き上げた。
「ステラはわるくない、わるいのはロゴスだ、ロゴスを……倒す……任務」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
しばらくの間、客室は少年の虚ろな声と少女の嗚咽で支配されていた。

 
 

白いドレスとミハシラでの職をくれ、とカガリがミナに頭を垂れて懇願したのは、そのさらに後だった。

 
 

==========

 
 

病室から出て、自分の執務室へ向かう通路で。
「ミナ様。失礼ですがなぜアスハ元代表を助けたので?」
そのレイの問いに、ミナ。
「確かに予は奴を殺してやろうとも一度は思った。しかし、それだけではいけないのだ。
 あやつの罪はもはや予の中では死すらも生ぬるい。それに、たかが犬ごときに予が手を下すまでもない。
 ソキウスたちも苦しむだろうしな」
このとき、カガリにとっての不幸中の幸いはアメノミハシラにおける、ソキウスの存在だった。
彼らは当初、カガリを本気で殺そうとしていたミナをその身を持って止めたのだ。
ナチュラルへの服従遺伝子の作用か、またはミナの手を汚れさせないためかは不明ではあるが。

 

「それは……」
「今のあやつは、施政者の器ではないと予は常々思っていた。それはシンが一番知っているだろうが。
 元々壇上で弁論をするよりも銃を掲げ突撃する方が似合っているような奴だ。
 それに加えどうしようもなく若く、幼い。
 いつまでも言いつけられた犬のように父が唱えた理念を理念理念とばかり繰り返し、論破されれば
 耳を垂れ下げ、新たな飼い主に泣きつく。それでは成長は望めまい」
黙るレイを横目にミナは続ける。

 

「あれは子供だ。大人とは自分で責任を取り、自分の意思で行動する者を指す。
 しかし不幸にもウズミは娘をしかる前に英雄的自決を行い、死んだ。
 あれは躾がなってないまま大きくなってしまっただけの大きい子供なのだ」
「それは、シンも同じです。アイツはいつまでも過去にとらわれ、
 家族と同じ境遇の者を作らないためだけに戦っていました。
 そのため、精神的な成長がその時から止まっているのです。
 戦争のない世界を目指せるならどんな敵とでも戦い、ギルの示すままにアイツは強くなっていきました。
 もっとも、そう仕向けたのはこの私自身なのですが……。
 シンと再会したのは、運命が私に与えた罰なのでしょう」
「そうか。だが一番罰が必要なのはあの『弟』たちだ。
 あの犬を苛め……もとい、罰を与えるだけでは予の怒りはおさまらぬ」
「…………はい。ミナ様は、アスハ元代表にいったい何を期待なされているので?」
「ふっ……考えてもみろ。
 なまじ力があり、それを振るうことができたからあの歌姫どもは世界に王として君臨しているのだ。
 方法はどうあれ、これは誰にでもできることではない。
 しかし、それはコーディネイターだったからだとも言える」
現にアメノミハシラを治める為政者であり、非常にすぐれたMSパイロットのミナもコーディネイターだった。
とてもナチュラルではそんな芸当はできない。

 

「しかしナチュラルであり、何もかもがコーディネイターに劣るあやつが
 その世界の王に名を連ねたのは、偶然ではないと予は思う。
 だがもし……もしあの者が未熟な野獣を超え、正しき意志を秘めた獅子となった時に
 いったいどのようなものになるか、気にならないか?」
「獅子……ですか?」
「そうだ。獅子の子は谷底につき落とすのが決まりであろう? 這いあがってくるかは、あやつ次第だが」

 

そのまま悠々と、ミナは廊下から自室へと消えて行った。