SRW-SEED_660氏_シン×セツコSS_07

Last-modified: 2014-01-03 (金) 00:19:59
 

シンとセツコと愉快な変態達 その6『復讐鬼②』

 
 

 破滅の光を宿した『運命の乙女』の左手は疾風の如く突き出され、無限正義の胸部を正確に貫く筈であった。その左手が虚空を穿ったのは、ひとえに無限正義――インフィニットジャスティスのパイロットたるアスラン・ザラの能力による。
 紛れもない事実として、現在MSパイロットとしては最強の一角を担うアスランであるからこそ、回避し得た神業的な反応だった。加えて、目の前の復讐鬼が愛機としていた機体の武装を知悉していた事も大きい。
 今は亡きギルバート・デュランダルが今は復讐鬼へと成り果てた少年にかつて与えた、『運命』という名の機体が持っていた武装を組み込んだ特殊な複合兵装に光の翼、となれば運命――デスティニーが両の腕に携えていた光の槍もまた備えていてもおかしくはない。
 事前に伝えられていた反体制組織《カイメラ》の機動兵器群のデータに目を通し、当たって欲しくはないと願っていた予感が最悪の形で的中し、皮肉にもそれがアスランの命を救った。
 雷雨の中とオーブと月面と、三度にわたるデスティニーに乗ったシンとの過去の戦いの記憶が、かろうじてアスランに生死の境を生へと傾けさせた。
 その事が、後にアスランに命を拾った事を後悔し尽す残酷な生を与える事になったのは皮肉という他ない。必殺のパルマ・フィオキーナをかわされた復讐鬼の瞳は、驚きの色を浮かべる事も何かの感情に揺れる事もなかった。
 目の前で起きている事象をただ見つめている。対象に対して関心など欠片も無いのに、機械的に観察を続けているかのように、どうでもよさそうだった。
 いったん距離を取る、そう考えて愛機を後退させんとしたアスランは、唐突に上方から襲ってきた衝撃に、脳を強く揺さぶられ、何が起きたと疑問を抱くよりも早く、紅色の愛機共々地べたを舐めさせられた。
 幸いにして、大地に広がっているのは無残に打ち砕かれ、破砕され、撃ち貫かれたMSの残骸だけであった。シンが失った最愛の人の様に、誰かが巻き込まれるような事はない。
 インフィニットジャスティスのビームサーベルを切り上げるのと同時に、上方に振りかぶっていたガナリー・カーバーのストック部分でインフィニットジャスティスの左肩部を振り子の勢いと落下の速度を上乗せして叩きつけたのである。
 落下と打撃の衝撃でパイロットであるアスランの意識が混濁し、機体内部の繊細な電子部品などに支障が起きたのか、インフィニットジャスティスに動く気配は見られない。
 引き金に添えた指を、あとほんの数ミリ動かすだけで、アスランの骨も残さず蒸発させる、灼熱のビームが大神の下す神罰の雷光の如くインフィニットジャスティスのコックピットを穿つ。

 

「…………」

 

 シンがわずかに沈黙に時をゆだねた。かつての上官への情が唐突に湧いたわけもあるまい。高エネルギー長射程砲の代わりに、本来ガナリー・カーバーに装備されている実体弾を射出するストレイ・ターレットの銃口をインフィニットジャスティスに向けた。
 引き金が引かれる。一度、二度、三度と、呼吸をするようになんという事はない行為だと。感情を乗せる様な行為ではないと告げる様に淡々と。
 放たれた弾丸が、正確にインフィニットジャスティスの銀色のフレームや、関節部、ライフルの引き金を引く指や特徴的な頭部の鶏冠の様なアンテナ、リフターの両翼を撃ち抜いてゆく。

 

「あの人はあの日あの場所で空から降って来たビームに焼かれて死んでしまった。あの人と同じように痛みを感じる間もなく、死ぬ事に気付く事も無く死ぬという事をあんたに教えてやるつもりはない。
 与えられる痛みにもがいて何もできない自分の無力に苛まれて目の前で奪われ続ける恐怖に泣き叫んで、そして孤独の中で死ね」

 

 引き続かれる引き金。吐き出される銃弾。着弾の度に揺れ、少しずつ原型を失ってゆくインフィニットジャスティス。
 おお、見よ、万物に平等足る筈の太陽の光さえも触れる事を恐れるかのように、黒々とした不可視の怨念を陽炎の如く立ち上らせる青い機体を、バルゴラ・デスティニーを。
 機械の巨人の体を借りて地上に姿を現した魔界の公爵でさえも、これほど人間の感情を根底から恐怖させるおぞましさを持ちうるかどうか。搭乗者の怨念そのものを噴霧の如く吹き出すバルゴラ・デスティニーの姿は宗教画に描かれる悪魔よりも禍々しかった。

 
 

 たった一人の人間が発する感情の発露であると分かるが故に、同じ人間はソレに恐怖する。慄いて拒絶し、恐怖し、不理解を訴える。同じ人間だからこそわかる。目の前の存在が人間でなくなってしまった、人間の形をした別のナニカだという事が。
 人間である事をやめ、かつて人間であった名残を肉体の姿に留め、異様に歪んだその精神が恐ろしいのだ。憎悪と絶望と、その二つの感情が極まった時、人間はここまで恐ろしい異形の精神を備えるのだと。
 同じ人間であるからこそ、人間がこのような存在になれる事が、恐ろしい。
 散々に打ち据えられてボロ雑巾のように捨てられた哀れな塊と化したインフィニットジャスティスを見下ろしながら、緩やかにバルゴラ・デスティニーが、自分自身が生み出した鋼の骸の山の中へと降り立つ。
 告死の天使よりも神々しく、冥府の使いよりもなお暗く、其は人知を超えた不吉なるもの。鋼の乙女よ、主の仇を討つべく復讐の鬼を新たな主に選んだのか。
 四肢がもぎ取れ全身の装甲が激しい凹凸にへこみ歪んだインフィニットジャスティスの頭部を左手で掴み、持ち上げる。
 機体の内部を循環する冷却液やオイルがもがれた四肢から滴る様子は、酸にして鼻。凄にして惨。生きながら餓えた獣に貪られる方がまだ幸福だと思ってしまうほどに無残であった。
 何の反応も無いアスランに向かい、例え夢の中であろうとも地に投げ落とされた影のようにへばりつき、復讐の旅を続けてくれる、とシンの瞳の虚無の中で揺らめく青白い炎が告げていた。

 

「もう夢の中だろうと休めると思うな。小休止も許さない。おれかあんたがこの世に存在し続ける限り、狩人と狩られる者の関係は続く。今日はあんたの力を奪った。踏みにじった。
 次はあんたの眼をもらうか? それとも腕か? それとも足か? それとも内臓を一つずつ抉り出してやろうか? 忘れるな、覚えていろ、夢の中でさえ悪夢にうなされるがいい。
 最後の一人になるまで生き続けろ。その眼で自分達が狩られる様を見続けろ。あんたの大事なキラ・ヤマトも邪魔する屑どもも誰一人生かしてはおかない。一人残された事の意味に苦しみ、仲間と組織が崩壊する様を魂に刻みつけて悶えろ」

 

 これまで感情をごっそりと失ったようにがらんどうだったシンの声に、ようやく乗せられた感情は、猛り狂う激情であった。残骸になり果てたMSから噴き上げる死の炎や紫電よりもなお熱く、しかし冷たく。
 感情を発するべき心のどこかは凍てついたままだった。ソコが凍てついている限り、シンの心が救われる事はなく、そしてこの世にシンを救うぬくもりはもう存在していないのだった。
 もし、感情を物質とする事が出来たのなら、今のシンの心中に渦巻く絶望と憎悪はたちまちの内にこの星を呑みこみ、はては太陽系までも覆い尽くすだろう。
 形を持って溢れ出した二つの感情は触れる者を悉く発狂させながら、留まる術を知らぬまま世界を終わらせる。
 シンにとって生きるという意味が果てしなく虚ろで無意味なものになってしまった時から、シンの世界はとっくに狂い、ねじ曲がり、壊れ、失われているのだから。
 持ち上げたインフィニットジャスティスの左のカメラアイにストレイ・ターレットの銃口を押し当てる。VPS装甲はすでに内部で動作不良を起こして、無限の正義は灰色に煙っていた。
 紅蓮の炎の激しさと滴る鮮血よりもなお赤い瞳は暗黒の虚無の中で揺らめく憎悪のままに、かすかに細められた。引き金に添えられた指が動く。

 

「さようならアスラン。そしてまたすぐに会おう。おれはその時ようやく死ねる」

 

 インフィニットジャスティスの左目から侵入し、頭部の中身をぐしゃぐしゃに貫いた弾丸は、後頭部から抜け、飛び散る脳漿の如く細かな部品を散らばせた。
 両手両足と頭部を失い、鋼鉄の芋虫と変わり果てたインフィニットジャスティスが、ゴミ屑のように地面に落ちた。掴んでいた頭部を離し、硝煙たなびくガナリー・カーバーを片手にその場に立ち尽くすバルゴラ・デスティニー。
 その周囲を、アスランが引き連れていた総勢十二機に及ぶバビとムラサメが取り囲んだ。アスランの命令によって戦いを見守り、そして大戦を二度に渡って終結させた生ける伝説が敗れた光景を前に、茫然自失としていた者たちだ。
 憎悪に駆られ瞳を濁らせたものたちが争いを繰り返す中、常に悲しみを抱き世界を憂いて剣を取り、世界を救ってきた歌姫の武の象徴たる無限正義と、英雄アスラン・ザラが取るに足らぬ筈の愚かな反逆者に敗れた。
 それを認める事は、世界の調和と平和を守る絶対的正義の存在である彼らにとっては受け入れ難かった。常に正しいラクス・クラインの誉れ高き剣であるアスランが敗北するなど何かの間違い。
 そして間違いは正されなければならなかった。正しいからこそ許される彼らの行いを、否定される事を何よりも恐れる様に。彼らは自分達が正しいからこそこれまで勝ち続けて来たのだと、そう妄信していた。
 自分を取り囲むMSを、シンは空っぽに戻った瞳で見渡した。それから、呟く。出てきた言葉は短かった。

 

「邪魔をするなら……殺すぞ」

 

 古より多くの人間の口から放たれた言葉であったろう。だがこんな風に殺意を口にする者が果たして何人いた事か。殺意を訴えるにはあまりにも感情が希薄な、殺戮への歓喜も忌避の念も何もない声であった。
 人は人の命を奪う時にかくも無関心でいられるのか。そして、シンの言葉は正しく実行され、数時間後別動隊が到着した時、残っていたのは半死半生のアスラン・ザラただ一人だけであった。

 
 

 荒れ果ててゴースト・タウンと化したとある町のスポーツ・センターにシン・アスカの姿はあった。怨敵アスラン・ザラと邂逅し、復讐者が自分である事を告げてから三日ほど経っている。
 周囲には暗闇の帳が落ちていた。天空で煌々と燃えている月ばかりが異様に明るい。月の光に落とされるシンの影は、それでもなお闇よりも黒々としていた。その心が月の光さえも憎悪の渦の中に飲み込んでいるのだろうか。
 たとえ一切の光の差し込まない真の暗闇の中にいても、シンの影だけははっきりと浮かび上がって見える事だろう。周囲の暗闇よりなお深く暗く、闇さえ飲み込む影の人型が見える。
 身にまとっているのはタートル・セーターとスラックス。黒いそれらは闇に紛れればちょっと判じ難い。背に負った強化ビニールのバックパックだけが夜陰行の供であった。
 高さ四階のスポーツ・センターの広大な敷地の内部は方々が荒れ果てて雑草や罅に折檻されて、昔日の賑わいを失って久しい。
 正面玄関を遠くに見る位置で、シンは尻ポケットにねじ込んでいたカイメラのジエー・ベイベル博士が開発した万年筆サイズの電子シールダーを作動させ、あらゆる電子の監視網を無効化した。
 半径三メートルにわたって吸収性の電子障壁を発生させて、あらゆる電子流を通過させる性質を持つ。これによって電波の反射・吸収によって侵入者を感知するたぐいの電子装置は無効化される。
 同時に電子機器の位置も探知するから、監視カメラなどの死角への移動などのサポートにもなる。地面に置いていた黒いコートをまとい、フードを被って頭部も丸々と隠す。
 目の部分には特殊硬化ガラスが入っている。一見すると何の変哲もない平凡な生地のコートであったが、腰の辺りに付けられている小さなパネルの上でシンの指が停滞なく動くと、背や腰にある指先くらいの穴から黒色のガスが噴霧され、シンの全身を覆いつくした。
 個人携帯用のミラージュコロイド発生装置を搭載したステルスコートであった。光学迷彩であるミラージュコロイドと電子シールダーを組み合わせれば尋常な監視装置の類の大半は無力化できる。
 ゴム製の靴底がかすかな足音も吸収し、シンは音無き殺戮者となってスポーツ・センターへと足を踏み入れた。月のみが見守る闇の世界で、鮮血に濡れた殺戮の幕が開こうとしていた。

 

 シンが足を踏み入れたスポーツ・センターはとあるテログループの使用しているアジトの一つだった。現在地球を統治しているオーブとクライン政権に対し御託を並べて反旗を翻してはいるものの、行っている事は極めて性質の悪い傭兵まがいの悪行ばかりであった。
 要人の暗殺や、戦闘行為への参加は言うに及ばず、民間人への示威行為どころか表には出来ぬ虐殺行為や武器麻薬の密売製造、人体実験の為の誘拐や人身売買と、禁忌としている犯罪行為など何一つ無い。
 そのグループの幹部の一人が、屈強な護衛に囲まれて、酒を呷りながら恐怖に震えていた。
 飛び交う銃弾やビーム、ミサイルの雨の下をくぐり、20人の軍の特殊部隊に囲まれながら嬉々として銃を撃ち返した猛者であった。その時迎え撃つのは男ただ一人という状況であり、そして男は20人すべてを殺害して生還したのだ。
 身長190センチ、体重200キロを超す巨漢が、かすかに手を震わせながらアルコールで恐怖を紛らわしているのだ。200キロの体も真四角に近く幼少のころから天賦の肉体に血反吐を吐く修練を重ねてきたことを誇示している。
 この男の突進は軍用ライフルの猛打でも止められそうにない。黒犀や巨象も撃ち殺す象狩りライフルが必要だろう。
 その屈強さに相応しく、男は素手で軍の兵士をまとめて7人ほど撲殺した事もある。自分の拳で叩き潰される顔面や、腕の中でへし折れる脛骨の音に恍惚となり、死者達を眼下に見下ろしながら高笑いした。
 その男が震えていた。何に? 無論恐怖に。パリの高級ホテルでこの世のものとは思えぬやり方で殺されたテロリスト達は男の仲間だった。他にもベエズエラ、ロシア、インド、フランスと、世界各地の仲間達が同様の手口で惨殺され、組織は大きく揺れた。
 彼が実の兄弟と等しく頼みにするボディガードの一人を特別に貸し出した幹部が、四肢を捩じ切られ、睾丸を蹴り潰され、下顎を引き裂かれた状態で発見された時、男はようやく恐るべき殺戮者に恐怖を抱いた。
 壊されたマネキンの如く誰も歓迎せざる死にざまを迎えた幹部を守る筈だったボディガードは、幹部が死んだ自宅の庭で、彼の手に握っていた拳銃の弾丸十六発すべてを、腹に撃ち込まれた状態で発見された。
 いかなる手腕でボディガードの拳銃を奪い、彼の手に握らせたまま自分の腹にダブルカーラムマガジンに収められた全弾丸を撃ち込ませたものか。
 殺された幹部の邸内にいた他の20名に及ぶガード達も、その死の手からは逃れ得ず、全員が二度と口のきけぬ死体となって発見された。
 幹部の邸宅は廊下、物置、屋根裏、地下室、全居室に至るまでが針の先ほどの監視カメラを備え、庭には遺伝子操作によって嗅覚と兇暴性を増したドーベルマンとサブ・マシンガンと防弾チョッキで武装したガードが守っている。
 猫の子一匹が侵入したとしても、一分で完全武装のガードマンとドーベルマンが駆けつけて処理する。
 もし仮に敵が戦車や戦闘機、MSで武装していても邸宅の地下に設けられた格納庫から全五機のジンやストライクダガーが出撃して敵を迎え撃つ。これまで敵対組織の放ってきた暗殺者達を全て物言わぬ死体に変えて来た無敵の要塞。
 その要塞の中で、自分が頼みにするボディガードごと幹部が葬られた事実に、男は戦慄していた。
 その残虐極まり手口による殺害方法が、テロリスト達のみならず、死神と蔑まれ守護天使と崇められるピースキーパー隊の隊員にまで及び、自分達の組織の被害者達と合わせて、彼らがとある町の戦闘に関わった者たちであると判明して久しい。
 そして、男はテロリスト側の、一年前のとある戦闘に関わった最後の一人だった。これまでに戦闘の参加者43名の内42名が殺害され、その護衛についていたガードの内、274名が殺戮の宴に名を連ねていた。
 酒に酔う事も出来ず、部下達の目の前でだけかろうじて対面を維持する事に成功しながらも、一日一日憔悴し続け、男は最後の一人になった事に恐怖していた。来る。来る。おれの首を取りに、顔も名前も姿も分からない死神がやってくる。
 粗末なテーブルの上に五本目のウィスキーが並んだ時、閉め切られていたドアが、ゆっくりと蝶番の軋みを開けて開かれた。即座に控えていたガード達が懐の内や肩からベルトで吊るしていた機関銃の銃口を向ける。
 ぎいい、といやに耳障りな音を立てて開いてゆくドアの先に人影はなく、おそらく壁に身を隠しているのだと、ガード達はドアの両際に銃口を向ける。こんな時間に挨拶もなしに男の部屋を訪れるような奴はいない。
 その認識がガード達に引き金を引かせようとして、ころころとドアの向こう側から室内に転がり込んできた円筒の物体に注意をひかれた。手榴弾か!? 爆発よりも早く投げ返そうと手を伸ばすもの、その場に伏せる者、男を庇おうとする者達が動く。
 同時に、手榴弾は太陽が落ちて来たのかと思わせる強烈な閃光を放った。数秒間視界を奪う軍用の手榴弾だ。白い閃光で充ちる世界で視界を奪われ背を丸める男達のど真ん中へ、闇色の憎悪が躍り込んだ。人の形をした憎悪にして復讐――シン・アスカ。
 左手に握っていた剃刀のように薄いナイフが一人の護衛の喉を横一文字に咲く。ぴゅう、と噴水のように血が吹き出るよりも早くシンの体が翻り、盲撃ちに機関銃を構えた別のガードの喉に、右手のナイフが突き刺さる。
 瞬き一つをするよりも早く二人の護衛を葬ったシンは、すでに男がいない事を見抜いていた。閃光手榴弾を転がすよりも早く、ドアが軋みを挙げた瞬間に背筋を昇った悪寒に従って、男は裏口へと逃げだしていたのだ。
 最後の一人の護衛の金的を蹴り潰し、くけ、と鳥を絞め殺すような声を挙げる護衛の首に腕をからませ、一息に脛骨をねじった。かすか痙攣と、脱力に襲われて命の火が消えた事を告げる男の死体をその場に打ち捨て、シンは前後に揺れるドアを見つめた。
 わずか二秒足らずで生んだ三つの死も、ここに至るまでにスポーツ・センターの内部で生みだした数十の死も、すでに忘れたとその背が告げていた。
 復讐を果たすのに邪魔だった。だから殺した。道端の小石を蹴り飛ばすよりもさめざめとしたもののみが、シンの心にあった。

 

「逃がすかよ」

 

 20歳にもならぬ少年の声というにはあまりにも疲れ果て、こびりついて落とせぬ疲労のみを滲ませた声は、数百歳の生き過ぎた老人の様であった。セツコの居ない世界で、シンは自分が長く生き過ぎていると心から思っていた。
 セツコを失ったあの日の内にシンは死んでしまえたらどんなに楽だろうと、何万回も思っていた。だが、それをせずにこうして生きているのは、ただ一つの目的が彼に最愛の人の元へ行く事を許さないからだ。
 おれからセツコを、世界の全てを奪った者共に復讐を。おれの復讐の邪魔をする者共には呪いを与えてくれる。
 朝目が覚めたとき、傍らに愛する人がいる事の喜びに、穏やかな笑みを浮かべていた少年は、もう二度とこの世には戻ってこない事を、その瞳が語っていた。

 

「ひい。ひい。ひい」

 

 恐怖に凍えた心肺は容易に呼吸を楽にはしなかった。男は、裏口のドアを何度も回し、寸毫ほども動こうとしないドアに、憎悪さえ向けていた。
 来る来る来る。死が、もうそこにまでやって来ていた。ほうら、こつり、こつりと音を立てて死が近づいてくるじゃあないか。

 

「ひ、ひひあああ」

 

 男は狂気に蝕まれた瞳を背後の暗闇に向けた。

 
 

 男の後を追うシンは、わざと足音をたて、ゆっくりと歩いていた。スポーツ・センターの間取り図は完璧に頭の中に叩きこみ、裏口や窓、正面玄関に至るまで外へと通じる出口は、すべて事前に塞いでおいた。
 シンを殺す以外に、この陸の孤島と化したスポーツ・センターの死の夜を生き残る術はない。そして、男が逃げ込んだ先が、左右に部屋の並ぶ一本道である事を、シンは知っていた。
 こつりこつりと立てられる足音が、生命を奪われる恐怖に襲われた者にとってどれほど恐ろしいものか知りつくしたシンは、ゆっくりと、ゆっくりと、歩く。その音が重なるたびに、お前は死に近づいているのだと宣告するために。
 これは逆襲ではない。復讐だ。怨念と憎悪に彩られた凄惨劇だ。恐怖しろ恐怖しろ恐怖しろ。それが復讐される側であるお前達に許された事だ。それがお前達の役割だ。
 こつりこつりこつりこつり、新たに死が近づく音が四度重なり止まる。シン=死が足を止めた。目の前で男が大型自動拳銃を頭に押し付けている。ただし自殺の為に自分の頭に、ではない。丸太のように太い左手に抱えている小さな子供の頭に。
 薬を嗅がされているのか閉ざした瞼を開く様子はない。男の足もとにも五歳前後の子から十歳程度の子供までもが倒れていた。彼らの扱う商品だろう。
 各地で誘拐された子供達が、健康な臓器やチャイルド・ポルノなどを目当てに売買されているのは、今も昔も変わらない。あるいはテログループの忠実な兵士にするべくさらったのか。幼女趣味の誰かが、おぞましい欲望の捌け口にすべく近隣からさらったのか。
 シンの瞳が男の腕に抱えられた子供の顔を見つめた。埃で汚れてはいるが、ふっくらとしたリンゴのほっぺに、艶やかな黒髪。あどけない寝顔が愛らしい女の子であった。シンが少女を見つめた事に、男の唇が恐怖以外の笑みを浮かべた。

 

「近づくな、この餓鬼を殺すぞ!!」
「おれには関係の無い子供だ」
「ひ、ひひ。だったらどうしてこの餓鬼を見たんだ? 気にせずおれを撃てばよかっただろう? 言っておくが、おれはこう見えてもコーディネイターでよ。地下格闘技用に調整されて生まれているのさ。
 金的、眼つぶし、噛み付きありの、なんでもあり命がけの地下格闘技さ。お前の銃口は今ちっとばかし下がって、ちょうどおれの腹を狙っている。そこじゃあ餓鬼の胸に当たっちまうわな。
 お前が下げた銃口をおれの頭に向け直すのと、おれの銃がテメエを撃つのとどっちが早いかな。いっとくがよ、地下じゃあ銃の早撃ち対決もあったぜ。おれは負けなしよ」
「……」

 

 シンの銃口がわずかに下がる。三百グラムに届かぬ軽量プラスチックの銃を支える事に腕が疲れたわけではない。誘いだ。男の拳銃がシンの額をポイントする。少女の頭からシンの額へ。シンは躊躇わずに引き金を引いた。
 肉に銃弾のめり込む音がした。

 
 

 さらに夜が更け、月が傾いた頃、夜半の電話に駆けつけた警察官たちは、廃墟と化したスポーツ・センターの正面玄関に、風邪を引かぬようにと何枚も毛布をかけられて眠る子供達を見つけた。
 全員が近隣から誘拐された子供たちであると判明し、息を飲んでスポーツ・センターの中へと足を踏み入れた警官達は、建物の内部に渦巻く死と濃密な血臭、そして無残に横たわる死体の山に息を呑んだという。
 誘拐された少女達が無事保護されるのを見届けて、遠くの林の中で木の葉が擦れる音を立てて遠ざかる影が一つあった。
 少女の頭に押し付けていた男の銃口がシンに向けられた時、雷光の如く動いたシンの銃は、拳銃を握る男の指を撃ち抜き、茫然とする男の両目と額、口の中へ四発の弾丸を見舞ったのだ。
 付近の森に隠していたバルゴラ・デスティニーのコックピットに戻り、シンはシートに背を預け静かに息を吐く。吐き出した息が白く濁った。

 

「あと、二人……。キラ・ヤマトとアスラン・ザラ。こいつらを殺したら、おれも貴女の所へ行ける。同じ所には行けないだろうけど、それでもここよりは近いだろうから。だから、おれは早く貴女の所にいきたい。
 あの日から、おれにとって世界は地獄だ。貴女の居ない世界に何の意味があるんだろう?
 どうしておれはまだ生きているんだ? 貴女を抱きしめる事も声を聞く事も愛する事も何もできないのに。
 怒るかもしれないけど、悲しむかもしれないけど、おれにはもう生きている意味なんてなくなってしまったよ。もうこの世でするべき事は復讐だけだ。だから、それが終わったら、おれが死ぬ事を、許してくれ」

 

 シンは、決してこの世では二度と呼ぶまいと決めていた最愛の人の名前を呟いた。頬を、流し尽した筈の涙が濡らしていた。

 

「セツコ……」

 

 いなくなってしまった愛しい人の名前を呟いたその声には、聞いた者の胸を打つ悲しみばかりがあった。夜が開けて彼方の地平線が黄金に染まるまで、シンは泣き続けた。

 
 

 
 

「と、いう内容なんだが?」
「…………」

 

 自分が書いた本を、肩を震わせながら読んでいる目の前の二人、シン・アスカとセツコ・オハラにアサキム・ドーウィンはニヨニヨと口の端を吊り上げながら聞いた。ツィーネ・エスピオに意見を求め、止めたら? と言われた内容の本を、結局書いたらしい。

 

(アサキムの場合分かっていてやっているのよね)

 

 セツコとシンを呼び出したダイナーのボックス席で、カイメラの制服とは違う落ち着いた印象の、赤いタートルネックのセーターとブルージーンズ姿のツィーネが、アサキムの隣でコーヒーを口に運びながら呟いた。
 同じ内容の同人誌を読んでいたセツコとシンが揃って顔を挙げた。浮かんでいるのは満面の笑み。あ、やばいな、とツィーネはこそこそとテーブルの下に退避した。アサキムはその顔が見たかったと、恍惚と震えている。
 シンとセツコの口が揃ってアサキムの名前を呟いた。

 

「アサキム」
「なんだい?」
「……地獄に堕ちろ」
「気持ち悪い」
「ひどいな。フ、フフフフ、この高揚感、フフフフフ。だがぼくは止まらない。何故なら僕は自由人のパーパと魂を同じくするもの(たぶん)。ぼくはぼくの心の望むままに自由であり続けるのさ」

 

 恍惚と頬を赤らめるアサキムめがけてシンとセツコが立ちあがり、にわかに慌ただしくなり始めたテーブルの上の様相を尻目に、テーブルの下に退避したツィーネは、やっぱりこうなったわねえ、と思いながらコーヒーを啜った。
 とまあ、こんな感じで現実はいたって平和だった。

 
 

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