白い指先が、銀に年代を感じさせる色落ちを重ねた鍵を回す。
ゆっくりと引き抜いて、もう一度戸締まりを確認。
振り向いたシグナムが頷いたのを見て、シンは地面に置いていた荷物を手に取った。
あとはこの道場の鍵を返してくれば、帰宅するだけとなる。
シンと同じように自身の荷物を持ち上げたシグナムが踏み出そうとしたそのとき、
彼女の携帯が鳴った。
魔法少女リリカルなのはA’sdestiny
第八話 自由と正義は誰がために(上)
「……すまないな。わざわざ同行させる羽目になって」
「いえ、全然。かまいませんよ」
広い窓から、デスティニーの繋留されているドックを見下ろすレクルーム。
シンは局から呼び出しを受けたシグナムとともにこの場にいた。
「シャマルは通常勤務だからそれほど遅くなることはないと思うが……」
「だから、いいですって」
呼び出されたシグナムは生憎と、家の鍵を持っていなかった。
本来であればはやてかヴィータが残っていたので、それでもなんら問題なくシンは
八神家に帰宅することができたのだが。
間の悪いことに二人とも緊急の任務で召集を受け、出てしまったらしく。
それならばということで苦肉の策で、彼女は本局へとシンを連れてきたのだった。
「なんか元いた世界で乗ってた艦みたいで、落ち着くし。退屈しなさそうだし、大丈夫だと思いますよ」
「そうか、助かる」
局内についた彼女の服装は、ラフな私服からタイトスカートにロングコートといったいでたちへと
変化していた。彼女にとってはこれが制服であるとのことで、
すれ違う女子局員たちのネクタイをしたいわゆる「女性的な」制服姿を目にしていたシンは、妙に納得した。
「……では、行ってくる」
「ええ、気をつけて」
室内に設けられたベンチに腰掛けたシンの見送りを受け、シグナムは彼の元を後にしていった。
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────ああ。自分たちはもうすぐ死ぬのだろうな。
レイは、安らいだ心の中、漠然とそのことを理解していた。
爆風と煙に包まれ、電源が落ち暗転した室内が崩れゆくメサイア司令部内。
「父」と「母」と寄り添い、彼はただ最期の時を待つ。
常に短い自分の命を自覚してきた彼のことだ、己のことで心残りは、ない。
ただ、未練があるとすればひとつだけ。
(シン……)
自分が利用してしまった、友のその後。
彼は、討たれてしまったのだろうか?
それとも、生きているのだろうか?
そのことを確かめられないのが唯一、残念だった。
このような自分を友と信じ、ついてきてくれた、彼のことが。
涙で滲む目を、うっすらと開いてみる。
確かに感触を感じる二人の人物も、土ぼこりと暗がりで、もう殆ど輪郭くらいしかわからない。
(艦長……いや、母さん)
心中で、密かに詫びる。
夫も、子もいる彼女を、自分たち二人につきあわせてしまったことに。
彼が……今は自分の母となってくれたこの女性から頼まれたことを、しっかりと果たしてくれればいいのだが。
ズゥン、と。
一際身を揺さぶる揺れが轟き、メサイアそのものが崩壊を本格化させたことを彼に報せる。
(終わり……みたいだ……)
彼は瞑目した。
そろそろ、本当に終わりらしい。
願わくば、自分たちを打ち倒した者たちの作る世界が、
シンたちにとって住みよいものであらんことを。
また、自分のような存在が生まれ出でぬ世界であることを。
祈る彼を押しつぶさんと、
彼らの真上に位置していた天井の大きな塊が落下を始める。
押しつぶされた瞬間であったのか、押しつぶされる直前であったのかはわからないが。
彼の意識は、満足してホワイトアウトしていった。
ブラックアウト、ではなく。
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『戦闘……もう終わってるといいんだけど……っ!!』
「ああ……」
親友の声に答え、正義の名を冠する愛機を駆る彼の心は晴れなかった。
これでよかったのか。あれでよかったのか。
自分の選んだ道が、司令室へと残してきた三人の姿が、戦い勝利した今をもってなお、
彼の精神を惑わせる。
『脱出、急ごう』
「……そうだな」
彼は、どう思っているのだろう。残してきた者たちについて。
それとも自分が彼らに囚われ続けるのはやはり、かつて行動をともにした、仲間であったからなのか。
以前、今は隣にいる彼と道を違えながらも、固執したのと同じように。
───だめだ、だめだ。こんなことでは、いけない。
彼は、自分の考えに首を振り、まっすぐに前を見た。
迷っていて、どうする。これから自分たちには多くの課題が残されているというのに。
レイや議長たちを否定した自分たちが、残った。つまりは相応の責任が自分たちには待っているのだ。
迷っているひまがあれば、前を見ろ。すべきことをしろ。
己に言い聞かす。
(……そうだ。迎えにいかなくては)
彼らのことを。
シンと、ルナマリアを。
レイは助けられなくとも、まだ自分は彼らを助けることができる。
無事ならばきっと、デスティニーの墜落していった先に二人はいるはずだ。
何をいまさら、と撃たれたってかまわない。
今はただ、彼らのことを助けたい。助けられなかった者たちの分まで。
(脱出したら……すぐにでも……)
だが、状況は彼にその願望を許しはしなかった。
「あ!?」
『これ……っ!?』
突如として鳴り響く電子音。
急激にノイズの混じり出す通信機と、友の声。
なによりも、白と赤、二機のMSを包み込む青白い光が、急速に彼の視界と感覚を奪っていく。
「なんだ、これは……!?」
今、機体がどちらを向いているのかすらもわからない。
コックピットさえ、その青白い光に埋没していく。
痛みは、ない。
むしろ、心地よい。
身体が一枚の羽毛になったかのように、軽い浮揚感を得る。
ついには、視覚も、聴覚も消えうせ。
意識が遠ざかっていく。
どこかに、自分が行ってしまうようだった。
行った先に何があるのか、彼は知らない。
誰が待っているのかも、知らない。
彼の名は、アスラン・ザラといった。
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