「……で。詳しく説明してもらいましょうか」
こめかみに青筋を立てたシグナムが、目尻をひくつかせながら言った。
風呂からあがった彼女は、寝間着のTシャツに、スエットのズボン姿。
竹刀をついて、正座させられているはやてにシャマル、ザフィーラの三人の前に仁王立ちしている。
「一体、なにがしたかったのですか、主はやて」
「あ、はは……えっとやね」
「笑ってもごまかされませんよ?」
「ぐ……せ、せやけどな、シグナム」
「はい」
逃げ道を断たれたはやては、指をソファのほうに向ける。
そこには、ヴィータによって氷で顔を冷やされながら呻く少年の姿が。
「とりあえず彼に謝ったほうがええんとちゃう?やりすぎやであれは」
「う。し、しかし」
「私、顔面がじゃがいものように変形するところなんて初めてみましたー」
「な!?シャマル、お前まで!?」
狡猾な二人組は、彼女の動揺を見逃さない。
わずかな隙をみつけるがはやいか、そこに乗じて一気に攻め立てる。
「そ、それは私とてやりすぎたとは思っていますが……」
だが、そのやりとりを、肝心の被害者は到底、聞ける状態ではなかった。
「……っうー……」
「だいじょーぶか?シン」
「な、なんとふぁ……」
ティッシュが丸めてつめられた鼻の穴の奥から、鉄の味がまだしていた。
魔法少女リリカルなのはA’sdestiny
第七話 烈火の将と赤き瞳(下)
「……う。おはようございます」
「……あ、ああ。おはよう」
翌朝シンが起きていくと、シグナム以外は皆出かけたあとだった。
昨日の今日で二人だけにされると、なんとも気まずい。
なんとなくそれ以上会話が続けられず、テーブル上にラップをされて置かれた
朝食を手に取り、ラップを開き黙々と口に運ぶ。
「う。あ。……だ、大丈夫か」
「は?」
「昨日の怪我だ」
「え?ああ。はい。治癒魔法っていうんですか?シャマルさんのおかげですっかり」
沈黙に先に耐え切れなくなったのは意外にも、シグナムのほうであった。
話しかけつつも、新聞に落とした目が、明らかに泳いでいる。
さすがに問答無用のあの暴力は事情を知って気が咎めたらしい。
それを見て、シンはおや、と思う。ただ冷静でつんけんしているだけの人かと思いきや、
なかなかにこうしてぎこちなくなっても距離を詰めようとしてくれているとは。
新鮮と言うか、なんというか。
「殴って、済まなかったな。話も聞かずに。シャマルたちがやったことだったらしいな」
「あ、いえ。別にどうってことありません。そりゃ、殴られて嬉しいわけじゃないですけど」
───あれ?
なんだかシグナムとのやりとりに、既視感を感じてしまうシン。
「どうした?」
「えっと。……あ」
一人の青年が頭に浮かび、納得する。
そうだ、彼も不器用に距離を詰めようとしてくれていた。
後々、苦悩のほうばかりを大きくしていく彼を、理解できずに自分のほうから見限ってしまったけれど。
少なくとも出会った当初、彼は自分を気にかけてくれていた。
「そっか」
「?……何を一人で勝手に納得している?」
「ああ、こっちの話です」
眉を顰めたシグナムに、慌てて取り繕う。話すような話題ではない。
「まあ、いい。私は出かけるぞ」
「仕事ですか?」
「副業のようなものだな。すぐ近くの道場までな」
「へえ。なら一緒に行ってもいいですか?」
「……何?」
はやてから話に聞いていた、剣道場の講師の仕事らしい。
そのことを彼女自身から言われ、シンはなにげなくついていく気になった。
戦場から離れたからだろうか、今の彼はアスランに対したときと違い、
相手との距離をつめてみようと思えるようになっていた。
その変化が、自分でも不思議だった。
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「そう、ここはもっと手首をまっすぐ。そう、いい感じだ」
道着姿のシグナムの教え方は、傍から見ていても丁寧だった。
小さな子供達に、まさに手取り足取りといった感じで、事細かに指導を施している。
道場の隅で正座をして見ているシンは、感心することしきりだった。
剣道はオーブでも一般的な武道であったから、シンもそれなりに馴染みはある。
(……あの人、あんな顔もするんだな)
それは、教えるのが、子供達が上達していくのが楽しくて仕方がないといった顔。
八神家でシンに彼女が見せたどの顔よりも、魅力的な顔であった。
教え子を導くことに、彼女はやりがいを感じている。
(アスランと俺に比べたら……羨ましいな、なんか)
シンの軍隊生活においてほぼ唯一の、親身になって接してくれたかつての上官。
思えば、彼も自分を導こうとしてくれていたのかもしれない。
だが、彼は裏切り、自分も彼と違う道をいくことを選んだ。
そして───敗れた。
どちらが正しかったのかはわからないけれど。
力づくでも、彼は自分に伝えたかったものがあるのかもしれない。
少なくとも、今思い返すと、ルナマリアを撃たずに済んだことに関してだけは彼に感謝している。
(───ま。ただ単純に、戦闘中でテンパってただけだったりしてな)
「んんっ!!」
「っとと」
穏やかな世界にいるせいか、そのように敵であった男を皮肉交じりに茶化す余裕まで生まれている。
そんな自分がおかしくて、顔が緩んでいると、シグナムから咳払いが飛んできた。
見ているだけとはいえ、道場内では真面目であれ。目で言っている。
そういえばアカデミー時代のナイフ格闘の授業でも、似たような訓示を受けたっけ。
あれは道場ではなく、訓練場だったけれど。
(白兵戦かぁ……)
厳密に言えば、彼女が子供達に教えているのはあくまでスポーツの剣道である。
シンが習ったような格闘術としての白兵戦とは殆ど一切が異なる代物だ。
でもたしか、はやてやヴィータが言っていなかったか。
彼女は、シグナムは、「剣の騎士」だと。
(腕、なまってないよな?俺)
ミネルバ出航からずっと、MS戦ばかりだったが。
それなりに生身でも腕に覚えはある。
(試合……申し込んでみよっかな。仕事、もうすぐ終わりそうな感じだし)
相手は魔法使いらしいが、純粋な格闘なら、遅れをとるつもりはない。
久々に身体を動かすのも、いいだろう。
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──で。
「だからやめておいたほうがいいと言ったんだ」
「……はい」
結論からいえば、完敗だった。というか、惨敗。
実際に挑んでみた結果、脳天に竹刀の一撃をくらいシンは秒殺された。
それはもう、瞬きする間もなく。
悪いことは言わないから着けろと言われた防具も、
動きにくいと思い従わなかったのもまずかった。
頭部を直撃したダメージに昏倒し、倒れて後頭部を打ち。
シグナムが道場主に頼んで持ってきてくれた濡れタオルで二箇所を冷やし横になっているのが、
シンの現状である。
天井を見上げていてもまだ、頭がくらくらする。
「大丈夫か?」
「ええ、まあ。でも、ちょっと自信あったんだけどなぁ」
「……ふっ。騎士を甘く見るな」
「これでもアカデミー……軍の学校では、格闘の成績よかったんですよ?」
「生憎、年季が違う」
言って、シグナムは愉快そうに頬を緩める。
それは子供達を相手にしたときとは、また別の笑顔。
これまた、シンが見るのははじめてのものだ。
「だが、筋は悪くないぞ?どうだ、基礎から剣を教えてやろうか」
「はは……俺、元の世界に返してもらえるんですか、それ」
「免許皆伝まではダメだな」
「勘弁してくださいよぉ」
こてんぱんにやられたというのに、戦場とは違いシンの気分は晴れやかだった。
なかなか打ち解けられなかった彼女と、こうして普通に話せるようになったという好材料も大きいかもしれない。
勝ち戦にしろ負け戦にしろ、彼のいた戦場は苦いものが多すぎた。
負けてもこうして、笑っていられる。
打ち解けていける。
それは、悪くない。
少しずつ変わっていく自分がいた。
変えていくのはおそらく、この世界と、この世界の人々であった。
ささいなきっかけでも人と話すことのできるこの異世界に、彼は居心地の良さを感じていた。
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