マルキオの孤児院が襲撃されてから六時間後の朝。
カガリの居場所が判明した。彼女は父――前オーブ連合首長国代表ウズミ・ナラ・アスハ達を弔う慰霊碑に出向いているそうだ。しかも、カガリは一人で行動しているらしい。
キラやラクスにとっては、カガリと話をする絶好の機会だった。
なのはは起動させたレイジングハートを手に取る。今回は転移のみが目的なので防護服は着ていない。
「キラ君、ラクスさん、用意はいいですか?」
「うん」
「お願いします」
なのはは二人の確認を取ると意識を集中させ、ぎこちないながらも確実に、転送用の魔法陣を組んでいく。
彼女の技量では同世界内での空間転移が限界であり、それすらもレイジングハートの処理能力に多分に依存していた。
「――カガリさんの所へ!」
なのは、キラ、ラクスの三人の姿が頭のてっぺんから足のつま先まで順次消えていく。
三人の姿が消え去ると同時に、なのはが展開していた魔法陣も霧散する。
「……なんだか、魔法というものを見慣れてきつつある自分が怖くなってきたわ」
「まあ、新しい環境にすぐ慣れるっていうのは、適応力が優れてるって証拠でもある」
「……そうかしら?」
バルトフェルドは自分に対して半眼で呻くマリューに、『そういうもんさ』と言っておいたが――内心では彼もマリューと同意見だった。
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カガリ・ユラ・アスハは一人で佇んでいた。
海を望む高台に据えられた慰霊碑。そこに刻まれた文面。
『平和を愛し、最後までオーブの理念を貫きし先人達の魂、我等、永遠に忘れじ』
現在のカガリにとって、その言葉は責め苦となってしまう。
「お父様……至らぬ私をお許しください……」
カガリは、今は亡き父へと謝罪する。
父が命懸けで貫いた理念を曲げねばならない――そんな己の未熟を恥じていた。
「カガリさん」
「うわっ!?」
自らの想いに沈み込んでいたカガリは、いきなり背後から声を掛けられて驚く。振り返るとラクスとキラが立っていた。
「なんだ、お前達か。いきなり驚かすな!」
不満の声を上げながらも、カガリはふと思う── 一体いつの間にここへ来たのだろう? それとも、そんな事に気づかないほど、自分は思考の海に埋没していたのだろうか?
「ん? 誰だ、その子は?」
カガリはキラの後ろに見知らぬ少女がいる事に気づく。
「こちらはわたくし達の協力者ですわ」
「初めまして、高町なのはです。よろしくお願いします」
ラクスに促されて、少女が自己紹介をする。『ラクス達の協力者』というのが、いまいちよく理解できないが──ラクスが時折不可解な事を言い出すのは珍しくないので、気にしないでおく事にした。
「カガリ・ユラ・アスハだ。よろしくな」
自分も少女──高町なのはに名乗る。
『一国の代表にしては気さくな人だなぁ』といった少女の感想にカガリは気づかない。
政治家としての威厳云々はさておき── 一人の人間として好感の持てるカガリの人柄は、ラクスとは違う種類のカリスマ性となっていた。それ故に、彼女は多くのオーブ国民から慕われているのだ。
「今日は、お話したい事があって参りました」
「ああ……ちょうど私も、お前達とちゃんと会って話がしたいと思っていたんだ」
オーブの理念を曲げ、大西洋連合と同盟を結ぶ。そうなれば、コーディネイターであるキラやラクス達もオーブに留まっているのは色々と不味いだろう。
「オーブは大西洋連邦との同盟を締結する事になった。だから──」
半ばオーブから追い出す形になってしまう事に罪悪感を感じ、二人に謝罪しようとした時だった。
ラクスがこちらの言葉を遮る様に口を開いた。
「理念を曲げてまで、かつてオーブを焼いた国と手を取る。はたして、それが本当にオーブの進むべき道なのでしょうか?」
考えるまでもない事であり――どうしようもない事でもあった。
「……もう二度とオーブを焼かせない為だ。仕方ないだろ?」
力無く答える。
「それが本当にオーブに住む人々の望みなのでしょうか? わたくしにはそうは思いません」
「当たり前だ! 自分達を焼いた国との同盟など、喜ぶわけないだろ!?」
激昂するカガリの言葉は止まらない。
「大体だ! プラントの言い分を全く聞かず、一方的な宣戦布告。躊躇無く行った核攻撃──大西洋連邦は狂っている!」
自分の中に押し込めていた感情を、声を荒げ吐き出す。
「そこまで分かっていながら、何故?」
ラクスの問いは、カガリの神経を逆撫でする。
「じゃあ、どうしろと言うんだ!? 二度と国を焼かせない為には、こうするしか──」
「道は他にもあります」
「──え?」
差し伸べられた言葉に、頭の中が冷めていく。その言葉に縋る様に彼女を見つめる。
「手を取り合う相手がプラントでは駄目でしょうか?」
「……プラントと?」
「はい。かつて辛酸を嘗めさせられた相手よりも、友好国であるプラントとの同盟の方が、オーブの人々も納得がいくでしょう。それに、オーブに住んでいるコーディネイターも少なくはないでしょうから」
たしかに、ラクスの言う事は一理ある。
だが──。
「それで、地上で孤立したオーブは、二年前と同様に焼かれろと言うのか?」
期待を裏切られ、落胆とともにカガリはそう言い放った。
しかし、ラクスは引き下がらなかった。
「いえ、二年前とはでは状況が違います――」
マスドライバーを再建しているオーブは宇宙への足掛かりとして戦略的に重要地点となる。
その事は、国内に戦線を呼び込む要因にもなり得るが、プラント側が積極的に支援せざるを得ない要因ともなる。
また、ザフトの実質的な地上主要基地であるカーペンタリアとオーブとの間に障害となるものはない。
連合側がプラントと同盟を結んだオーブを落とすとなると、かなりの大規模な作戦が必要となってくるのである。
その時点で――頑なに、島国ただ一国で連合との戦闘に突入した二年前とは違っていた。
「また親プラント国家とも同盟を結び――さらなる外交努力次第では、現在のオーブ同様にやむ得ず大西洋連邦に応じている国々をこちら側に引き込む事も――」
親プラント国家である大洋州連合、アフリカ共同体との軍事的同盟。
それに留まらず、交易強化による、工業生産品を糧とした食料・資源の確保。
それは、島国国家で自国領土が狭いオーブにとっては必須でもある。
さらに、本来は中立国であったはずの汎ムスリム会議、赤道連合、スカンジナビア王国をも口説き落としていく。
「そうやって、他の国々と協調していけば、理不尽極まりない大西洋連邦の言いなりにならずにすみます」
ラクスが語ったのは、大西洋連邦の掲げる『世界安全保障条約機構』に抗する複数国家からなる共同体ともいえる構想だった。
「なるほどな……だが! それは他国への積極的介入を意味する。現在以上にオーブの理念を汚す事になる!」
カガリはオーブの掲げる理念――『他国を侵略せず・他国の侵略を許さず・他国の争いに介入しない』にこだわっていた。
いや――。
ラクスからは、カガリが父親の理念に縛られている様にさえ見えた。
――カガリをその呪縛から解放させたい。
その想いがラクスが持つ『種子』を弾けさせる。
「貴女が守るべきものは何ですか? 亡くなったお父様が掲げた理念ですか? 中立国としてのオーブですか?」
「な……」
カガリは、ラクスの瞳から発せられる圧力、その言葉の響きに言葉を失う。
「理念の為に進むべき道を閉ざし、またもオーブに住む人々に犠牲を強いりますか?」
「うぅ……」
――ちがう!
自分は再び国を焼かせない為に、父が命懸けで貫いた理念すら曲げたのだ。
「国とは、そこに住まう人々の事です。ウズミ様は、国家の理念を守る為に、その人々を犠牲にしてしまった。その一点のみにおいて、貴女はどう思われているのですか? カガリ・ユラ・アスハ!」
「――っ!?」
もともと、カガリは無意識では理解していた。自分が本当に守るべきもの。その為に選ばなければならないもの――捨てねばならぬもの。
だが――それは、父の理念と選択を否定する事になる。しかし――ラクスの言葉は、カガリの心の奥深くに押し込んでいた疑念を呼び覚ます。
「……お父様は……お父様の選んだ道は……間違っていた?」
崩れ落ちる様に膝を着いたカガリは、力無くそう漏らした。
「……私は、これからどうすればいいんだ?」
己の根幹ともいえるものが崩壊したカガリの心に迷いが渦巻く。
「それは、カガリさん自身がお決めになる事です。大丈夫です。貴女にならできますわ」
ラクスはあくまでカガリ自身が選んで決める事を望んだ。
カガリの脳が急速に回転する。枷の外れた思考はオーブが選ぶべき道を模索していく。
やがて――カガリは立ち上がった。
「私も、さっきのラクスの意見に賛成だ。だが、オーブはザフトの艦を死地に追いやった。その事実を踏まえた上で、プラントと手を取り合う為に――」
――全てはオーブの民の為に。その為ならば彼女さえも利用する。そう考える自分にカガリ自身も驚いていた。
だが――自分は一国の代表たる立場なのだ。その責務に私情を持ち込むわけにはいかない。
「ラクス・クライン。貴女の力を貸してほしい」
カガリはラクスへと頭を下げた。
「分かっています。その為に、わたくしはここへ来たのですから」
ラクスの言葉にカガリは顔を上げる。
「わたくし、ラクス・クラインは貴国に亡命し、貴国の使者としてプラントに赴き、双方の未来の為に尽力いたしましょう」
「――!?……ありがとうございます」
カガリはラクスにプラントとの橋渡し役を頼みたかったのだが、ラクスからの返答はそれ以上のものだった。その事に驚きつつも、オーブの未来の為に、それを感受して礼を述べる。
「一緒に頑張りましょう、カガリさん」
「ああ」
ラクスとカガリは力強く頷きあった。
「カガリ」
「キラ……すまない。お前からラクスを取り上げてしまう事になった」
それは、キラから精神的な支えを奪ってしまう事への謝罪だった。カガリも知っている。キラが二年前の大戦で負った心の傷を。傷ついたキラを支えてきたのがラクスだと。
しかし――。
「カガリ。お願いがあるんだ。僕をオーブ軍に入れてほしい」
予想外のキラの願いに、カガリは驚きの声を上げた。
「なッ!? でも、お前は……」
「もう決めたんだ。守りたいものを守れる場所にいようって」
「キラ……」
「だから……ね?」
「……分かった」
何があったのかは分からないが、キラの瞳には迷いが無かった。だからこそ、ラクスも動く気になったのかもしれない。何より、キラの力はオーブ軍にとって確実に有益をもたらす。それもあって、カガリは弟の願いを聞き入れる事にした。
「それでね、カガリ。実は、話は他にもあるんだ」
「ん? なんだ、言ってみろよ?」
「うん。さ、なのはちゃん」
キラに促されて、なのははカガリの前に出る。
「カガリさんに聞いてもらいたい事があります」
なのはは、キラやラクス達に話した事をカガリにも話した。
カガリは黙ってなのはの話を聞いている。
「――というわけで、カガリさんにも協力してほしいんです」
「カガリ。信じられない事かもしれないだろうけど――」
あまりにも突拍子の無い事でカガリには信じられないだろうと思い、キラがなのはのフォローを入れようとした時だった。
「魔法か……なあ、死んだ人間を生き返らせたりとかもできるのか?」
カガリから出たのはそんな質問だった。
「魔法は何でもできるわけじゃありません。特に――死んだ人を生き返らせたり、過去に戻ってやり直したりなんかは絶対に不可能とされています」
なのはは、カガリの問いに対して正直に答えた。
「だよな。大体、何でもできるんだったら、お前が困って私の所に来る事もないもんな」
全く期待していなかったわけではないが、カガリにさほどの落胆は無かった。
「そ・れ・と・だ。これは、私達の世界で起こった、私達の問題だ。だから、協力してもらうのは私達の方で、お前に協力するのは、この世界に住む者として当然の事だ!」
当たり前の様に言い切るカガリを見てなのはは――キラとラクスも含め、三人とも笑い出してしまう。
カガリはそんな光景を目にしてムッとする。
「な、なんだ。何がそんなにおかしい!?」
「――ご、ごめんなさい。カガリさんがラクスさんと同じ事を言うものだから……」
なのはは笑いを抑えながら答えた。
「だからって、みんなで笑う事ないだろ!?」
「ごめん。でも、カガリは信じてくれるの? なのはちゃんの言った事」
喚くカガリにキラが尋ねた。
「こんな時に、お前らが連れて来た子が嘘をついったって意味無いだろ? まあ、この子がいきなり一人でやった来てたら、疑っていただろうけど」
カガリはあっけらかんとしていた。下手な先入観や凝り固まった固定観念さえ植えつけられなければ――カガリは極めて柔軟な思考ができるタイプの人間であり、それはある種の才能でもあった。
しかし、この事を知る人間はあまりおらず――カガリの周囲の人間も、またカガリ自身も認識していない事だった。
互いの想いを交し合ったなのは達だったが、突如として――四人しかいないと思っていたはずのこの場に、他の者の笑い声が起こる。
四人が笑い声のする方を見ると、物陰から一人の青年が姿を見せた。