W-Seed_運命の歌姫◆1gwURfmbQU_第11話

Last-modified: 2007-11-11 (日) 13:04:03

イザーク・ジュールはその昔、ラクス・クラインの婚約者候補だった。
 彼は幼き日に会った少女に一目惚れをし、恋に落ち、心の底から愛していた。
 けれど、彼女は彼ではない男の婚約者になった。政略的な婚約であり、彼は納得が出来
なかった。自分の実力に自信を持っていた彼は、自尊心と恋心を酷く傷つけられた。
 故に彼はアスラン・ザラが大嫌いだった。同期のライバルでもあり、憎き恋敵でもある
男。
 そんなイザーク・ジュールが今のこの場にいるのは未練なのだろうか?
 事情を知るものからすれば、未練がましい男の姿に映るかも知れない。
 しかし、同僚のディアッカ・エルスマンに言わせれば、ただのアイドルオタクと変わら
ない、とのことである。

 歓声、歓声、大歓声……耳が痛くなるほどの声が、ホールには響いている。
 超満員のホール内は、ザフト兵と思われる男たちと、僅かな女性陣で埋め尽くされ、皆
が皆、ステージに立つ少女、ラクス・クラインを見ている。
「軍人向けのコンサートって言うから、しめやかなものかと思ってたけど……これじゃ、
普通のアイドルのコンサート変わらないじゃないか」
 アスランは、そんなホールの状態に半ば呆れてしまう。
「そうか? 軍人向けなんてこんなもんだよ。みんな色々ストレス溜まってるんだろうし。
うちの隊長とか見ろよ?」
 ディアッカが指さす方向、このコンサートホールの最前列にイザークはいた。傍目にも
恥ずかしくなるほど、彼は熱狂していた。
「イザーク、あんな奴だったか?」
 アスランとディアッカがいるのはVIP席。ミーアが昨晩アスランへと渡したチケットの席
で、周りには政府関係者や企業関係者の大物等、それなりの地位を持つものが、疎らであ
るが座っていた。
「んー、何だかんだで惚れてたからねぇ……この前のライブの時も、ジュール隊総出で応援
に行こうとか言いだして、隊の女の子に殴られたりしてたよ」

「でも彼女は……その、知ってるんだろ?」
「あぁ、知ってるよ。俺とイザークはな。でも、アイツには関係ないんだよ、アイツが見
てきた彼女は、プラントの歌姫としてのラクスなんだから」
 それに、とディアッカは付け加える。
「何かかえって親しみがわくっていうか……純粋にアイドル活動されると、応援もしやす
いみたいだぜ? まあ、中には安っぽいアイドル化しているなんて言う奴もいるけどさ」
「確かに、以前の彼女なら考えられない光景だな」
 ウルカヌスからアプリリウスへと帰還したアスランたちは、ラクス・クラインのコンサ
ートに来ていた。イザークとディアッカがチケットを持っていたのには驚きだったが、コ
ンサートの内容にも驚いた。
「こういう活動、もう長いのか?」
「そうだな……半年前か、結構最近だったと思う。戦争の事後処理があらかた終わって、
デュランダル議長の体制が整ってからだな」
「なるほどな……」
 アスランは、VIP席を見渡し、隅に一人の男が腰掛けているのを発見した。ザフトの赤
服を着るその男は、昨日ミーアと一緒にいた人物である。
「ディアッカ、アイツを知ってるか?」
「ん? どいつ?」
「あの隅に腰掛けてる赤服だよ」
 ディアッカはアスランがあごで指す方を見る。
「……暗くてよく見えないけど、赤服エリートにあんな奴いたかな」
「昨日、ラクスと一緒にいたんだ」
「一緒に?」
「チケット渡されたレストランでな。二人で食事取ってたみたいなんだが」
「へぇ……イザークが聞いたら怒りそうな話だこと。言わないほう良いな」
 しかし、イザークの怒りは、この後爆発することになる。
 コンサート終了後、アスランと共に楽屋を訪問した時に、であるが。

「まぁ、アスラン。来てくださったのね」
 アスランは、公演終了後のミーアを尋ねた。彼女に呼ばれていたことと、自身に余り時
間がなかったこともあってか、コンサート直後の歌姫という珍しいものが見れた。
「どうだったかしら? 今日のコンサートは」
「えっと、その……」
 アスランが感想に悩んでいると、着いてきていたイザークが彼を押しのけ、
「最高でしたッ!!! 今日も、本当に素晴らしい歌声で!!!」
 ミーアは、勢いよく感想を言う彼にキョトンとしつつ、
「貴方は……確か、ジュール隊の隊長さん? 良くコンサートに来てくださる」
「俺、いえ、自分をご存じで?」
「えぇ、ザフトの広報誌でお顔は何度も見ましたし、会場でお見かけすることが多くて」
「こ、光栄です!」
 ディアッカはそんなイザークの浮かれっぷりにこっそり溜息を付いた。我が隊長ながら
なんとも言えない姿である。
「あー、ラクスさん? アスランに用があるんじゃないの?」
 とりあえず、話を戻そうとディアッカは口を挟む。
「そうなのですけど……アスラン、お時間のほうは大丈夫?」
「実はこの後、議長と面会の約束が」
「では、それが終わったら、昨日のレストランでお食事でもしませんか? あの時も言い
ましたが、貴方には色々聞きたいことがありますし」
「わかりました。時間は――」
その時、楽屋の扉をノックする音が響いた。
「どうぞ~」
 ミーアが言うと、扉がゆっくり開き、
「あっ――」
 VIP席で見かけた、赤服の男が入ってきた。見事な金髪を煌めかせながら、ゆっくりと
室内に入ってくる。

「……お邪魔だったかな?」
 アスランたちを見つつ、男はミーアに問う。
「大丈夫よ。もう終わるとこだから。あぁ、そうだ」
 ミーアは、ロッシェに近づき、
「折角だから紹介しておきますわ。この方は、ザフト軍特務隊フェイス所属、ロッシェ・
ナトゥーノ。私の友人です」
「特務隊?」
「友人!?」
 イザークとディアッカが、それぞれ異なる部分に驚く。
「ミーア、その事は……」
「いいじゃないですか、隠すことはありませんわ。ロッシェは、この前の戦闘でも出撃し
たんですのよ? しかも、地球軍の核攻撃隊を全滅させるという大手柄を挙げて」
 あの時のモビルスーツのパイロットか! と、イザークは心の中で叫んだ。本当は大声
で叫びたかったが、『愛するラクス』の前で、そんな無礼なことは出来ない。
 一方で、あまり身分を明かしたくないロッシェのほうは、何とも言えない表情をしてお
り、そのことがまたイザークの嫌悪感を増幅させた。
(特務隊だかなんだか知らんが……気に食わん奴!!!)
 イザークは金髪美形のロッシェに完全に嫉妬していた。

           第11話「戦士、復活」

「そうかアスラン、ザフトに復隊をしてくれるか」
 ギルバート・デュランダルは、上機嫌だった。念願の駒、アスラン・ザラが手に入った
という事実は、彼の地盤がより強固となった証だった。
「はい、どこまで出来るか判りませんが、これからは一ザフト兵士として……」
 なるべく謙虚さを出しながら答えるアスランだったが、デュランダルは笑うと、
「何を言ってるんだアスラン。君ほどの実力者を一般兵になどしておけないよ。君には前
大戦の英雄としてザフト軍を引っ張って貰いたいんだ」
「しかし、私は……」
「周囲の目が気になるかい? そんなこと、君が気にする必要はない」
 デュランダルは、小箱をアスランに渡す。そこには、フェイスの証が入っていた。
「議長、これはフェイスの」
「君にはそれだけの実力がある。そしてそれに見合うだけの行いと、働きをすれば、君は
またすぐに英雄だ」
 その為の手筈を、デュランダルは既に整えつつある。
「それで、君には近々行われる地球降下作戦に参加して貰いたい」
「降下作戦?」
「あぁ、現在地上ではジブラルタル基地とカーペンタリア基地が、敵軍に包囲されている。
ザフトはこれに対し、軌道上からモビルスーツ部隊を降下させる作戦をとる」
 上手く行けば基地の守備部隊と挟撃できるというのがザフト軍首脳部が立てた作戦だ。
「ところでアスラン、復隊の件は嬉しいが、オーブのほうはどうする?」
「それは……」
 そう、そもそもアスランがプラントに赴いた理由はオーブの使者として、議長と面会す
るためだった。彼が軍に戻ると言うことは、即ちオーブに課せられた責務を、放棄するこ
とになる。
「ザフトに復隊する以上、どの面下げても帰れません……多分、この戦争が終わっても」
 終わる頃には、この世界はどうなっているのだろうか?
 ふと、アスランはそんなことを考えた。
「君がそう覚悟を決めているのなら、私からは何も言うまい。しかし、それだと親書の返
答をどうするかだが……」
 アスランが戻る戻らないに限らず、オーブへの返答はしなくてはならない。それは一国
家としての礼儀、というよりも常識だった。
「そうだ、ミネルバに行かせよう」
「ミネルバに?」
「あぁ、あの艦のグラディス艦長はアスハ代表とも面識があるし、初対面の人間が行くよ
りも効果的だろう」
「しかし、あの艦は……」
 ミネルバ隊が地球連合軍の基地を急襲し、ジョゼフ・コープランドを始めとした各国の
平和論者たちを抹殺した事件は、開戦という陰に隠れてはいるものの、記憶には新しい。
そんな立ち位置もままならぬような艦が使者として、それも現在条約締結問題で揺れるオ
ーブに行ったら……
 アスランは、そこではたと気付いた。

「議長、お人が悪いですよ」
 デュランダルが浮かべる笑みを見て、アスランはミネルバを使者とした彼の思惑を察し
たのだ。
「今回の件で、プラントはなんのメリットもないのにオーブの言い分を飲むんだよ? こ
れぐらい意地悪をしたって、良いと思うがね」
 意地悪というより嫌がらせじゃないか……と、アスランは思った。
 つまり、デュランダルは対外的に印象の悪い、開戦の切欠にもなったミネルバという存
在をオーブに向かわせることで、オーブの他国に対するイメージを下げようというのだ。
親書の返答を持ってきたといわれれば、オーブはミネルバを入港させるしかないだろう。
そうなってくると、何故あんな艦を国に入れるのかと、国内・国外と批判が飛ぶ。
「まあ、それにミネルバをいつまでも謹慎処分のままにはしておけない。今回の作戦でも、
ミネルバには基地防衛に努めさせるつもりだ」
「確かにあれだけの艦とモビルスーツを使わない手はないと思いますが……その後は?」
「色々考えてはいるさ。まだ纏まっていないので何とも言えないが、ミネルバにはやって
しまったことの大きさの分だけ、働いて貰うことになるだろうね」
 それは恐らく過酷で、彼らにとって試練となるだろう。
 しかし、そうでもしない限り、彼らは永久に地球からもプラントからも白眼視されて生
きていくことになる。
「アスランはカーペンタリアの降下作戦に参加してくれ。ミネルバに親書の返答を渡すこ
とも出来るしね」

 昨晩と同じホテル、同じレストランへとやってきたアスランは、約束通りラクス・クラ
インこと、ミーア・キャンベルと夕食を取ることとなった。
「ラクス様は、お肉とお魚どっちが好きだったのかしら? 周りに訊いても、誰も知らな
くて」
「ラクスに食べ物の好き嫌いはなかったと思うが……」
 一緒に食事を取っている、といっても主なのは料理ではなく会話だった。ミーアは、宣
言通り、アスランを質問攻めにしていた。
「それでも、特に好きだったものとかあるでしょ?」
 ある……のだろうか? いや、普通はあるはずだ。
 考えてみれば、婚約者といっても特に親しかったわけではない。たまに会ったり、食事
をしたりもしたが、何かを親密に話す、ということがアスランとラクスの間には無かった
ように思える。
(俺はそれほど彼女に信頼も信用もされていなかった、というわけだな)
 今更考えることでもないが、俺のような復讐心で軍隊入りした人間を、あのラクスが好
いていたとは思えない。自分にもう少し積極さがあれば良かったのかも知れないが、そん
な暇もなかった。
「そういえば!」
 ミーアが何かを思い出したように、パンッと両手を叩いた。
「ラクス様が持ってたアレ、アスランが作ったんでしょう?」
「アレ……?」
「え~っと、ほら、丸いの!」
 丸いの……? というか、この娘、先ほどと少し口調が違うような……
「丸くて、ピンク色してて……なんか跳ねてて」
「あ、あぁ、ハロか。ハロね」
 何のことかと思ったが、いつだったかラクスに上げた球体型ロボットのことを言ってい
るらしい。思えば、自分がラクスにプレゼントして初めて喜ばれたのがハロだった。喜ば
れたという事実が嬉しくて、馬鹿の一つ覚えで何度も作り、プレゼントした記憶がある。

「ハロって言うんだぁ……」
「アレがなんだって言うんだ?」
「ラクス様と言えばアレじゃない。可愛いマスコット、アレがないとちょっとね」
「そんなもんか?」
「そうよ、だって雑誌のインタビューとかで、今日あのロボットはお連れでないんですか?
 とか訊かれて、あたし困って……っと」
 ミーアは自分の口調が戻っていることに気付いて、軽く咳払いした。
「こ、困っておりますのよ」
 どうやら、饒舌になると口調を保てなくなる欠点があるらしい。まあ、アルコールが少し
入ってるせいもあるのだろうが……
「あんなんでよければ、作ってあげるよ」
「えっ、ホント、じゃない、本当ですか?」
「パーツさえあれば、一日もかからないよ。あれは単純な構造してるから」
 随分作っていないが、まあ忘れてはないだろう。調子に乗って数十個も作り、プレゼント
したのだから。
「アスランは優しいのね」
「優しい? 俺は、優しくなんかないよ」
 一欠片でも、俺に優しさが残っていたのなら、少なくともこの選択はしなかっただろうか
ら……
「私みたいに、みんなを騙してるよりは、ずっといいわ」
 ミーアの声は、女性の心理に鈍感なアスランにさえ、寂しげだと判るものだった。
「後悔、してるのか? ラクスになったこと、彼女の代役として生きていることを?」
「……はじめはね、あたし、歌手志望だったの。ううん、歌手って言うよりアイドル? 
歌は好きだったし、人に注目されるのも好きだった」
 まあ、ただの目立ちたがり屋だったんだけどね、とミーアは笑う。

「でも、才能とかそういうのが全然なくて、事務所のオーディションも落ちまくり。そん
な時ね、評議会から、議長からお呼びが掛かったの」
「議長から?」
「プラントの娯楽産業の視察に来てたんだったかな……とにかく、何かの理由で偶然私の
歌声を聞いて……」
「ラクスにそっくりだと、思ったわけだ」
 ラクス・クラインのまがい物。いつかミーアがいった言葉。つまり今の彼女の姿、少な
くとも顔や髪は……
「思ってたデビューの仕方とは全然違ったけど、私は飛びついた。この機会を逃したら、
一生巡ってこないチャンスだと思って……不純な動機よね。でも、才能ない、何の取り柄
もない欠陥だらけのコーディのあたしは、そうするしかなかった」
 ロッシェ以外にはじめてぶちまける、ミーアの本音だった。
「ミーア・キャンベルのままのあたしだったら、誰にも必要とされない。でも、ラクス・
クラインなら、平和を訴える歌姫なら、人はあたしを必要としてくる、してくれたの」
「君は本当にそれで……」
「バカ見たいって思う? でも、あの時の私は、ラクス・クラインになることぐらいしか、
出来なかった。プラントから去ったラクス様の代わりを務める……それぐらいしか」
 そう、当時は単なる代わりのつもりだった。政治のことも、軍事のことも、世界のこと
も、何も考えず、原稿を読み、好きな歌を歌うだけの毎日。それだけのつもりだった。
 アスランは、ミーアの言葉に含まれる彼女の本音に、気づけなかった。
「あたしに比べれば、アスランは凄いわ。あたしみたいに自分のことばかり考えてる女と
違って、ちゃんとプラントのことを考えて、それでザフトに復隊するんだから」
「ミーア……」
 俺は、そんなもんじゃない。アスランはそう叫びたくなった。例え偽りでも、平和を歌
う彼女のほうが、俺なんかよりは世の中のためになるはずだ。
「……食べよう。食事が冷めてしまう」
「えっ? あ、そうね。食べましょう」

 その頃ロッシェは、アスランとミーアが食事を取っているレストランの一階下にあるバ
ーに来ていた。カウンターで一人、静かに酒を飲んでいる。
「隣、いいか?」
 そんなロッシェに、ザフトの制服、ロッシェと同じ赤服を着た男が話しかけてきたのは、
飲み始めて間もない頃だった。
「席はそこら中が空いてると思うが?」
「アンタと飲みたいんだ。何なら奢るぜ」
 癖のあるオレンジ色の髪をした男だった。しかし、ロッシェはその初対面の男に好感が
持てた。
「変わった男だな……名は?」
「ハイネ・ヴェステンフルスだ。そっちは?」
「ロッシェ・ナトゥーノだ」
 それから二人は、一時間と少し、飲み明かした。ロッシェはハイネが信頼と信用に値す
る男だと判断したのか、自分が異世界から来たということ以外は、ほとんど喋った。
「そうか、あの時、プラントを救ってくれたのはお前だったのか」
「救ったなんて……私は軍人としての責務を全うしただけだ。そっちだってそうだろ?」
「俺? 俺は、死ぬ者狂いで戦ってただけさ。ここだけの話、身内が一番使えない連中だ
からな」
「何、一頭の羊に指揮されているライオンの群れより、一頭のライオンに指揮されている
羊の群れのほうが強い場合だってある。過信は良くないが、お前の才能はもっと誇って良
いはずだ」
 確かに、この時期ハイネはザフト軍首脳部から幕僚本部への転属の声が掛かっていた。
先の戦闘での戦果を考えれば十分にその資格はあったし、何よりハイネの能力は喉から手
が出るほど欲しかった。しかし、ハイネはそれをフェイス権限を駆使してはねのけた。
「今はまだ、時期尚早だと思うんだ。これから戦闘が激しくなるってのに、俺が前線から
離れるのはな」
「なるほど、後方から指揮するより、前線で兵士たちを先導したいと」

「そんな大したもんじゃないが……俺みたいな存在が積極的に前に出てかないと、足並み
が揃わないんだ、ザフトってのは」
 おごり高ぶっているのは、政治家だけじゃない。軍人だって、同じことだ。
「俺は今度の降下作戦に参加する。行き先はジブラルタル、そっちは?」
「さぁ……恐らく、居残り組だろうな」
「プラントの防衛か……主戦場が地上に移るってのに、防衛も何もないと思うがな。上は
何考えてるんだか」
 ロッシェが地上に行けないのには、他の理由もあるのだが、それは話さない。
 それにハイネの言い分ももっともだった。主戦場が地上に移れば、敵とて地上戦に専念
するしかない。宇宙で行われるのは精々小競り合いだけだろうに。
「今度の作戦だってそうだ。遠征艦隊なんて無視して、敵の本拠地を先に叩けば良いんだ」
「乱暴な作戦だな」
「でも理にはかなってる。敵が地上におけるザフト軍の拠点を潰そうというのなら、こっ
ちが逆に敵の拠点を潰しちまえばいい」
 しかし、それは出来ない。ザフトの今回の出兵における政治的理由は積極的自衛権の行
使ということになっている。先がどうなるかなど判らないが、今のところ、こちらから進
んで攻勢には出られないのだ。
「まったく、困ったもんだぜ」
 ハイネがそうぼやいたとき、彼の通信機に連絡が入った。
「はい、こちら特務隊ハイネ・ヴェステンフルス……幕僚本部? はい、はい、判りまし
た、すぐに向かいます………………ハァ」
 通信を終えると、ハイネは大きな溜息を付き、そして起ち上がった。
「何かあったのか?」
「大したことじゃない。ただちょっと、地上のザフト軍基地への攻撃が開始された、それ
だけのことさ」

 ジブラルタル及びカーペンタリアに派遣されたファントムペインの遠征艦隊に基地制圧
の命令が下されたとき、それぞれの艦隊司令官は異なる反応をしていた。
 カーペンタリア遠征艦隊を指揮するホアキンは、意気揚々と攻撃準備に入ったが、ジブ
ラルタル遠征艦隊を指揮するネオ・ロアノークは幾分か慎重で、また、気乗りもしてなか
った。
「もう一度訊くが、撤退命令じゃないんだな?」
「はい、ジブラルタル及びカーペンタリア遠征艦隊は、ただちに基地への攻撃を開始、こ
れを制圧せよとのことです」
 ネオは撤退命令が来ることを期待していた。何時宇宙から敵の援軍が降ってくるか判ら
ない状況なのだ。ここで攻撃をするほうがどうかしている。
「逆に降下部隊が降りてくる前に基地を制圧できれば……時間との戦いだなこりゃ」
 だが相手はザフトの地上における二大拠点の一つ、ジブラルタル基地なのだ。そう簡単
には落ちないだろう。
「しかも相手は防戦に徹してくる。何故なら、降下部隊という援軍が、確実に来るからだ。
そんな敵を如何に切り崩すべきか」
「ですが、命令は命令です」
「判ってるよ……さて、作戦会議をする必要があるな。みんなを集めてくれ」
「ハッ!」

 一方、遠く離れたカーペンタリア基地では、既にホアキンよる制圧作戦の準備が進めら
れつつあった。
「カーペンタリア基地を攻めるに当たって、我々は空からの攻撃という方法をとる。ザフ
ト軍の主力空中モビルスーツはディンだが、我が方のウィンダムのほうが性能は上だ。す
ぐに突破できれば、基地は落とせたも同然だ。幸い無能な敵は未だに基地周辺の防御を固
めるだけで打って出てはこない、これは勝機だ」
 ホアキンは今夜にもカーペンタリア基地への夜襲をかけると宣言した。特に異論も反論
もなかった。というよりも、ファントムペインは上官に異を唱えたりはしない、言われる
がままに戦う、そういう連中が多かった。
「確かに敵基地を落とせば、すぐに決着は付く。しかし、落とせなかったらどうする?」
 一人、スウェンだけがそう呟いたが、その呟きを聴いていた者は、誰もいなかった。

 そして無能な敵と言われたカーペンタリア基地だが、それなりに慌ただしかった。眼前
には敵の遠征艦隊、それも大軍だ。宇宙では援軍が派遣されるつつあると言うが、何時来
るかは未だ連絡が来ない。故の混乱だった。
「ミネルバに作戦への参加指令が?」
 カーペンタリアの司令部へと呼び出しを受けたミネルバ艦長タリア・グラディスは、予
想外の指令に困惑していた。
「そうだ。近々行われる降下作戦に呼応して、我が基地も打って出るつもりだ。ミネルバ
もそれに参加して貰う」
「しかし、我が隊は……」
 任務なき謹慎期間は、ミネルバ隊の士気を著しく低下させていた。することも、やるこ
ともない生活を送っていた彼らにすぐ実戦がこなせるのだろうかと、タリアは不安を覚え
ていた。
「では、ミネルバ隊の諸君は友軍が戦うのを基地で見物でもしているつもりかね? それ
とも、上層部の命令はもう聞きたくないと?」
「そんなことは!」
「なら出撃準備に掛かりたまえ。謹慎中だったとはいえ、軍人であることもまた事実。良
かったではないか、戦場で死ぬのは軍人の本望だろう」
 実際に出撃しない基地指令が何を言うか!
 そう叫びたいのをタリアはジッと堪えた。所詮自分たちの扱いなど、この程度だ。
「負けるものですか!」
 ミネルバに戻る途中、タリアはそう言った。こんな逆境に負けているようでは、戦闘に
出てもすぐ負ける。そんなことは許されない、これ以上何か失敗や、失態を犯すわけにい
かないのだ。
 そこに、僅かな自己保身が含まれていることを、彼女は気付いていなかった。

「というわけで、ミネルバには次の作戦への参加が命じられたわ。みんな思うところもあ
るでしょうけど、ここが踏ん張りどころよ。頑張りましょう」
 ミネルバのブリーフィングルームにて、タリアは作戦参加の命が下ったことを、非戦闘
員を除くクルーに説明していた。しかし、その中にシン・アスカの姿はない。
「レイ、シンはどうしたの? 何故いないの?」
 同室のレイに尋ねるが、レイは黙って首を振り、
「あいつはドクターストップです。とても戦闘に参加できる精神状態じゃありません」
 シン・アスカは、ここ数日間また部屋に隠りきりになっていた。先の作戦による精神的
ダメージが彼の心を閉ざしていた。軍医の見立てでは、戦線復帰はまだ掛かるとのことだ。
「弱ったわね……何とかならないの? インパルスはミネルバの重要な戦力なのよ?」
 ただでさえ、基地指令にあんなことを言われた後だ。インパルスを出撃させないと格好
が付かないではないか。
「そういわれましても……」
「戦場が精神を奮い立たせるかも知れないじゃない。ショック療法とかあるでしょ?」
 我ながら無茶を言ってると思っていたが、こんな状況で基地にパイロットの補充要員を
頼むことも出来ないし、第一インパルスは専用の訓練を受けてきたシンにしか操縦できな
い機体だ。シンでなければダメなのだ。
「艦長、ここで無理矢理出撃させてもすぐに墜とされるだけです。インパルスを失うわけ
にはいきません」
 アーサーが的確な意見を艦長に言う。押しが弱いと称されるこの男だが、たまにいう意
見がタリアの感情を上手く誘導していることに、ほとんどのクルーは気付いていなかった。
「判ったわ……じゃあ、みんな、インパルス無しの戦闘になるけど気を引き締めて――」
 その時、ブリーフィングルームの自動ドアが開いた。
 開いたドアには、赤服の少年が、立っている。
「シン……」
 レイがその名を、驚きとともに呟いた。他のクルーたちは、艦長のタリアを含め、驚き
で声が出ないでいた。
 制服に少ししわが出来ており、顔色も良いとは言えない、シャワーでも浴びてきたのか、
髪は、少し濡れていた。
 立ち直った風には見えない、しかし、生気はあった。
「シン・アスカ、遅れました」
 これが、数日ぶりに発した、シンの声だった。