W-Seed_運命の歌姫◆1gwURfmbQU_第70話

Last-modified: 2008-06-02 (月) 19:34:58

 シン・アスカは、休暇を取ると地球へ訪れていた。地球へと降りるシャトル
の中には、彼のように休暇旅行に来ている者は見受けられない。地球であろう
とプラントであろうと、戦後と言われる時期にも達していない段階で旅行など
を楽しめる者は、存在しないのだ。
 もっともシンにしたところで、別に楽しい地球旅行などに赴いたのわけでは
ないし、彼の目的は別にあった。
 地球へと降りた後、空路の国際線を乗り継いで目的の国へと向かう。そこか
ら先は、長距離バスに乗って数十時間の長い道のりだ。しかし、他に移動手段
がないのだから仕方がない。
 その病院は、海沿いにある小さな建物だった。小さくて小綺麗な、白い壁が
清潔感を見る者に感じさせていた。この地方としては珍しく、幾本かの木々も
茂っている。まるで、オーブみたいじゃないか。
 シンは軽く息を吐くと、院内へと足を踏み入れた。
 既に戦争が終わって、一ヵ月が過ぎようとしていた……

 

「体の調子はどう?」

 

 シンは、ベッドに腰掛ける少女へと声を掛ける。

 

「悪くはない。一週間前からリハビリを始めたところだ。何とか歩けるように
はなったよ」

 

 それは良かったと、シンが呟く。

 

「ありがとう……でも、お前には都合が悪いんじゃないか」
「歩けるように、動けるようになったら、君はまた戦うのか?」
「さあ、どうだうだろうな」

 

 おそらく、答えは決まっているのだろう。

 

「好きにすればいいさ。君の思うようにすればいい」
「随分な転向だな。私は、お前は結構平和主義だと思ってたんだが。すっかり
匙を投げてしまったのか?」

 

 意外そうだが、どこか楽しげに少女が訊いてくる。

 

「そうじゃない。多分、そうじゃないと思う」

 

 僕は否定する。そして少女は、少し寂しげな声を出す。

 

「私がまた鉄砲に撃たれたら、お前は私をまた助けてくれるか……?」
「行くさ、何百回だって!」

 

 だからシンは、ハッキリと答える。

 

「お前はプラントにいて、私は地球にいるんだぞ? 助けに来られる距離じゃ
ないだろう」
「きっと、そういう時は、何故か俺も地球に居るんだ」
「ふーん……」

 

 少女は僕の答えに、少し考えながら、窓のほうに目をやった。

 

「なぁ、外に出ないか? ここからじゃ海がよく見えないし、毎日天井を眺め
ているのは、さすがに飽きてきた」

 

 君は、海が好きなんだ――?

 

「海が嫌いな人が居ると思うのか? お前は時々、本当につまらないことを言
うな」

 
 

        最終話「明日への道を踏みしめて」

 
 
 
 

「気持ちいいなぁ~。それに、凄く広い」

 

 少女は車イスに乗りながら腕を伸ばし、身体に潮風を受ける。少女はまだ自
由に歩けるほど回復して居らず、シンが浜辺まで押してきた。

 

「この海、何か生き物とか居るのかな?」

 

 そりゃ、魚とかヒトデなんかがいるはずである。

 

「でも、環境の変化とか、汚染とかで海の生物もどんどん減ってるって聞いた
ことがあるぞ」
「海の生き物は、人間よりも生命力が強いんだよ」

 

 彼らは、どんな海でも生きていける。そこが、海である限り。
 まあ、、この雑学はレイからの受け売りであるが。

 

「魚みたいに、何の悩みもなく海を泳げたら、楽なんだけどな」

 

 笑う少女に、シンは少しだけ複雑な顔をする。

 

「それは魚に失礼だろ。案外、魚にだって悩みはあるかも知れない。家族や仲
間のことを心配している魚が居たって、不思議はないだろ」

 

 シンや少女にしても、同じことである。特にシンは、この戦争で多くの仲間
を、永久に失った。
 遠い目をしながら、水平線を眺めるシンを見つめ、少女が口を開く。

 

「なぁ、少しだけ私の話をしても良いか?」
「あぁ、もちろん」

 

 拒む理由など、どこにもない。

 

「私は父親が好きだった。優しくて、勇敢で、仲間思いで、そんな父のことを
私はいつも誇りに思っていた」

 

 だけど、そんな少女の最愛の父親は圧政の手先となった者たちの凶弾によっ
て倒れた。勇敢であろうと、強かろうと、不死身のヒーローではなかった。

 

「親を失ったのは私だけじゃない。ある子供は母親を、またはその両方を殺さ
れて、街には孤児が増えた。街の各家庭はそんな子供を引き取るだけの余裕は
なかったから、そんな子供たちを孤児院みたいな場所に集めて、まとめて面倒
をみてたんだ」

 

 私は自活をしていたけどなと、少女は付け加える。

 

「施設には多くの子供がいて、連合と戦うための兵士として彼らは育成されて
いた。街のみんなが施設の支援者だったし、私を含めて彼らは待ち全体に育て
られたような物だった」
「それで、君や、そこに住む子供たちに銃を持たせてレジスタンス活動を?」
「強要されたわけじゃないさ。そんなことはしたくないって拒む子もいたし、
子供の内から人殺しの真似事をさせようなんて考える人も少数だった。でも、
私はそうすることが、銃を持ち戦うことが当然だと思ってた」

 

 主義でも主張でもなく、少女が心の奥底に秘める信念。
 それは、シンの知らない世界であり、士郎としてこなかった世界。

 

「でも、最近思うんだ。本当にそれが正しかったのかって。街のみんなのため
にと戦ってきたけど、私は街にとってはただの一兵士でしかなくて、兵士が傷
つき、倒れたことに悲しんでくれる人は、あの街にはいないんじゃないかって」

 

 暴動から数ヶ月、シンは、少女をなるべく争乱のない場所で療養させたいと
考え、街から離れた場所の病院に彼女を入院させた。これには彼女の街やその
付近には重傷だった彼女を満足に治療できるだけの設備が整った病院施設が不
足していたという理由もある。
 けれど、そういったシンの配慮が却って彼女に孤独感や寂しさを植え付けて
しまったのかも知れない。

 

「そんなこともないだろ。みんな君のことが心配だろうし、君が怪我をしたこ
とを悲しんでたはずだ。お見舞いに来るには、ちょっと距離があるだけだ」

 

 気安めにもならないとわかってはいたが、言わないわけにもいくまい。

 

「君は君の街に帰るべきだと思う。あの街には、君の帰りを待ってくれている
人がいるのだから」

 

 シンの言葉に、少女は少しだけ悩むような仕草を見せたが、すぐに頷いた。

 

「そうだな。怪我が治ったらそうさせて貰うよ。そして、また銃を手に取って
戦うんだろうな。私は街や、そこに住む人を守るために戦いたいと思ってるん
だ。お前はそれを嫌がるか? また馬鹿なことをしていると……軽蔑するか?」

 

 肯定されるのが怖いのか、少女が僅かに怯えた顔を見せる。寂しそうな声に
は、純粋な少女の気持ちと、その生き方が籠められているようにも思える。

 

「いや、それでいい。人は、自分の信じるように生きるべきだ。後悔しない自
身が、あるのなら」

 

 あの男は、後悔したのだろうか。アスラン・ザラは、シンに敗れ、ロッシェ
に膝を屈した英雄は、最後の最後まで後悔せずに自分を貫くことが出来たのだ
ろうか。今となっては、誰にもわからないことだ。

 

「それに、危なくなったら俺が飛んでいくよ」

 

 思考を打ち切り、少女へと向き直るシン。

 

「プラントにいてもか?」
「プラントにいてもだよ」
「お前、やっぱり馬鹿だろ」

 

 言葉とは裏腹に、少女の声はどこか嬉しそうだった。

 

「けど、怪我が治ってちゃんと動けるようになったら……少しの間だけで良い、
俺に付き合ってくれ。連れて行きたい場所がいっぱいあるし、見せたい物があ
る。君に似合う服を買ってあげたいし、プラントに行けば遊園地だってある!」
「意外と陳腐だな。それは告白かなにかか?」

 

 一瞬だけ面食らったような表情をするが、少女はクスリと笑いながらシンに
尋ねた。

 

「ま、そんな経験滅多に出来ないだろうし、私が拒む理由はないけどな」

 

 少女が嬉しそうに笑いかける。
 その笑顔は、とても可愛らしかった。

 

「なあ、お前はどうして……その、戦ってたんだ? もちろん、軍人は戦うの
が仕事だとは思うけど」

 

 何故、何のために、どうしてシン・アスカは戦うのか。それは多くの人がシ
ンに問いかけ、シンが答えて来られなかった問いである。

 

「守りたいものが、あると思ってた。だけどそれが何なのかわからなかった」
「軍人として戦い続ければ、それがわかると思ったのか?」
「さぁ……」
「お前、優柔不断って言われないか?」

 

 それはアスラン・ザラのことだろうとシンは言わなかった。

 

「まあいいか。それで? お前の求めていた答えとやらは、見つかったのか?」
「多分、ね」

 

 少女の問いに、シンは曖昧な答えを返した。
 優柔不断な、その答えを。

 

「……私があの時、街の暴動に参加していたときの話しなんだけど」
「あぁ」

 

 今でもハッキリと思い出すことが出来る争乱。血煙があがり、泣き叫び、逃
げまどい、暴れ続ける人々。シンの腕の中に横たわる少女と、その手に伝わる
暖かい血の感触……

 

「奴らが逃げてきて、私たちは今までのお返しだと言わんばかりに迎え撃った。
銃やナイフ、棒なんかを持ってひたすらに奴らを倒して、殺して回ってた。だ
けど、私はなんだかそれが実にくだらなく思えたんだ」
「くだらなく?」

 

 意外な言葉に、シンは思わず聞き返す。

 

「みんな理性が吹っ飛んでて、とにかく必死で……滑稽だったよ。それまで虐
げられてた人たちが、今度は嬉々として虐殺を行っていたんだから。別に、そ
の人たちを軽蔑してないし、共感してなかった訳じゃないんだ。私のことを棚
に上げるつもりもないしな」
「わかる気がするよ」
「その時思ったんだ。きっと、これはシンの、お前の視線なんじゃないかって。
私はお前の気持ちを感じながら、お前が嫌うありとあらゆる暴力的な光景に嫌
悪感を示したんだよ」

 

 少女にしてみても、何故自分がそのように感じたのか、そんな風に街のみん
なが見えたのかは不思議でならない。

 

「それは……君がほんの僅か、俺という存在に出会ったことで感化されたから
じゃないかな」

 

 シンにしてみても、明確な答えや意見を述べられるわけではない。

 

「俺はさ、世界で一番自分が不幸みたいに考えてて、世界を憎むあまり世界を
外から眺めて、全てをわかった気になってた」

 

 間違いに気付くのに、一体どれだけの月日を必要としたのか。
 まったくもって、自分の愚かしさに恥ずかしくなる。

 

「なんて顔してるんだよ」

 

 苦笑するような声で、少女が喋る。

 

「私は驚いたんだぞ? お前の視線、お前の気持ちで見る世界はとても新鮮で、
あぁ、こんな世界もあるのかって感心したぐらいだ」
「そんな、大層な物じゃないと思うけど」
「いや、やっぱり凄いよ。お前は馬鹿だけど、お前みたいな奴こそ世界に必要
なんだ。地球でもプラントでも、どこにいたって世界を良くしていくことが、
守ることが出来るはずだ」

 

 ほんの些細な、小さなことかも知れないけど。
 誰だって、世界は守れるし、変えられることが出来るはずだ。英雄だの覇者
だのと、そんな聞こえの良いものは必要ないのだ。
 例えどんなに短い平和でも、その十分の一の戦果に勝ることは違いないはず
だ。アスランは、絶望するのが早すぎたのだ。

 
 

 しばらく二人は、無言で海を眺めていた。
 すると、少女はなにか思いついたかのようにシンの手を掴んだ。

 

「少し、手を貸してくれ」
「えっ――?」

 

 フッと少女は笑うと、掴んだ手に力を込めて、車イスから起ち上がろうとし
た。

 

「うわっ、と!」

 

 突然掛かる重量に、結構重いかなと失礼なことを感じるシンであったが、相
対する少女は苦悶の表情を浮かべていた。

 

「痛むの?」
「当たり前だろ、怪我してんだから!」

 

 痛みをやせ我慢しながら喋る少女は、見た目ほどに回復はしていないのかも
知れなかった。あるいは、シンを前に無理をして虚勢を張っているのかも知れ
ない。
 シンが支えながらも、少女は何とか起ち上がることが出来た。
 砂浜は、少女の足を優しく受け止める。

 

「病院の床は嫌いじゃないけど、地に足を着けているって感覚は落ち着くな」

 

 それはシンにもわかる話だ。彼の場合、無重力という空間が落ち着かないだ
けというのもあるが。
 少女は、サクリ、サクリと一歩ずつ、ゆっくりではあるが砂浜を歩いていく。
十歩も歩いただろうか? 両手を広げ、身体全体に潮風を受ける。

 

「私は怪我が治ったら街へ戻る予定だけど、お前はどうするんだ? プラント
へ帰るのか? それとも…………」

 

 シンに背中を見せたまま尋ねる少女。

 

「君に協力をしたい、って言ったら?」

 

 半分以上、それは正直な気持ちだったのかも知れない。あるいは少女も、そ
れに気付いて、しばし無言だったのだろうか。少女がその誘いを受けるのは簡
単だったが、少女は首を横に振った。

 

「悪いけど、気持ちだけ受け取っておくよ。お前には、プラントとオーブ、二
つの故郷がある。まずは、そっちのことを片付けるのが先だよ」

 

 惜しむような声が少女の口から漏れる。だけど、シンは少女が一度口にした
ことを撤回するような性格ではないと、わかっていた。

 

「そうか……残念だけど、確かに言うとおりだよな。俺も、俺の居場所に帰ら
ないと」

 

 少なくとも、シンを待ってくれている人は居るのだから。ザフトに在籍し続
けるかとか、先のことはまだ何も決めてないけど、そういったことを決めるた
めにも彼は帰るべきなのだ。

 

「多分、俺はまだしばらくは銃声の鳴る場所へ居ると思う」

 

 赤く、燃え上がるように輝く海を見つめながら、シンが呟いた。

 

「戦争、か?」
「いや、違う。戦争に行くとか、戦いを続けるとか、そういうんじゃないんだ。
ただ……」

 

 なんて、言えばいいのだろうか。色々な言葉が頭の中を駆けめぐるが、どれ
もしっくり来ない。
 違う、それこそ違うんだ。
 これは、言葉で表現できるようなことじゃないんだ。

 

「俺はこの戦争で、多くの人に出会った。君や、君以外にも沢山の人と会って、
その人が抱えている物や、人生を、垣間見てきた」

 

 それはステラ・ルーシェであり、ネオ・ロアノークであり、アスラン・ザラ
でもある。
 シンは戦争という日常を通して成長し、新しい目で世界を見て、新しい人た
ちと出会うことが出来た。

 

「俺は家族を殺されたことの恨みや、内にある復讐心を紛らわせるためにザフ
トに入った。故郷であるオーブを嫌って、指導者だったアスハを憎んで……で
も、それは所詮言い訳だったんだ。俺はあの時、家族を守れなかった自分自身
を庇うために、逃げていただけなんだ」

 

 周囲の言葉に相づちを打ち、何をするわけでもなく、上からの命令に従って
軍務を遂行していた自分は、逃げていただけ。目の前にいる少女や、死んでし
まったステラのこと、目を反らすことが出来ない現実から目を背けて、ただ一
人、自分だけが被害者のような面をして、逃げ続けていたんだ。
 俺は、世界で一番不幸なんだと、勘違いを続けながら。

 

「俺は、俺のやり方で、世界を救いたい。人を守りたい。それがどんな方法な
のかはわからない。でも、きっとあるんだよ」

 

 ラクス・クラインは答えを出せず、キラ・ヤマトは答えを求めず、アスラン
・ザラは答えを出したと思っていた。
 シン・アスカに、それが出来るのか。
 わからない、わからないけれど…………

 

「きっと、そういうものがあるんだ。俺はこの世界に、確かにそれを感じてる」

 

 つまらない話になってしまったな、とシンは感じ始めていた。折角少女と海
に来ているのだから、そろそろ話題を変えるべきだろう。

 

「あっ!」

 

 突然、少女が大きな声を出した。

 

「どうしたんだ?」

 

 怪訝そうに、シンは尋ねる。

 

「そういえば私、お前に言わなくちゃいけないことがあったんだよ」
「言わなくちゃいけないこと?」
「あんなことがあった有耶無耶で忘れてたけど……うん、今なら言っても良い
かな」

 

 ますます不思議そうな表情をするシンに少女は、彼よりも背が低く、褐色の
肌がまぶしい少女は――

 

「今のお前、最高に格好いいよ」

 

 コニール・アルメタが愛くるしい笑顔を見せながら、シン・アスカという少
年を、心の底から賞賛した。

 
 

 場所は変わり、プラント首都アプリリウス郊外。
 戦没者の共同墓地に、二人の男女の姿があった。レイ・ザ・バレルと、ルナ
マリア・ホークである。
 墓地といっても、遺体が入っているわけでもない。地上戦ならまだしも、宇
宙での戦闘に置いて身体の一部でも残せる戦死者は、絶対数において少な過ぎ
るからだ。

 

「それでも、墓は墓だ」

 

 花束を、墓石へ手向けるレイ。墓碑銘は、彼もよく知る少女の名前が、隣で
膝をついているルナマリアの妹の名前が、刻まれていた。
 何といえばいいのか、わからなかった。あの戦闘の混乱に紛れ、再びメイリ
ン・ホークが脱走したことや、彼女がウルカヌスへ、アスランの元へ戻ったこ
となどを二人が知ったのは、全てが終わった後だった。ウルカヌスが爆発し、
脱出者が確認されていないことを考えれば、メイリンがどうなったかは目の前
にある墓が物語っているようなものだ。

 

「……私は、あの子が羨ましい」

 

 ルナマリアが、静かな口調でそのようなことを言った。

 

「あの子は確かに、馬鹿なことをしたと思う。だけど、あの子は最後の最後に
好きな人を選んだのよ。好きな人となら、愛した人となら一緒に死んでも構わ
ないと、そう思ったんだわ」

 

 愚かな行為と切り捨てるのは簡単だ。
 しかし、ルナマリアにはどうしてもそれが出来なかった。

 

「そんな純粋で一途な恋を、あの子はしたのよ。きっとそこには、微塵の後悔
も迷いもなく、あの子は満足して運命をともにしたんでしょうね」
「ルナマリア……」
「私にはとても真似できないし、相手すら居ないもんね。あの子、いつの間に
か私よりずっと先を歩いてたんだわ」

 

 羨ましいと、ルナマリアは思うのだ。もちろん、妹の死は悲しい。初めの頃
は泣いて泣いて泣きはらした。だけど、今では妹の、メイリンの選択が正しか
ったようにも感じられるのだ。あの時、敗北してウルカヌスとともに消えゆく
アスランを黙ってみているだけだったとしたら、メイリンはやはり後悔しただ
ろう。一生の心の傷を負ったかも知れない。

 

「何かをしないで後悔するぐらいなら、何かをなして後悔した方がずっとマシ
ってことかしら」
「立ち直ったのなら、それはそれで良かった」
「元気と明るさだけが取り柄だからね、私は」

 

 空元気だろうと、悲しげな姿を他者に見せるよりは、よっぽど良い。今はま
だ悲しく、泣くこともある。けど、いつまでもそのままではないけない。
 ルナマリアは、生きているのだから。生きている人間は、前に歩かなければ
行けないのだ。それが、生きるものの責任なのだ。

 

「そういえば、シンはいつ戻ってくるの?」
「昨日連絡があった。何とかシャトル便の手配が出来たとかで、明日には戻っ
てこれるらしい」
「そっか……あいつ、これからどうするのかな」

 

 戦争は、終わった。戦後処理も、既に始まっている。
 ミネルバ隊には待機命令が出されていたが、それが解除されてもすることな
ど無かった。戦争が終わり、戦闘が無くなれば、軍人の仕事はそれで終わるか
らだ。だからこそシンは休暇を取って地球に向かい、レイとルナマリアは墓参
りに来ているのである。

 

「どうするかは、あいつが決めることだ。ザフトを除隊して故郷に帰ると言っ
ても、俺達に引き留める権利はないだろう」
「でも、レイは辞めるんでしょう?」
「俺は、他にしたいことがあるからな」

 

 レイ・ザ・バレルは、ミネルバ隊の中でいち早く除隊の意思を表明した一人
だった。彼は軍籍から退いた後は、プラントの大学で遺伝子学の勉強を始める
つもりらしい。養父たちの、彼を救い、彼に人生を与えてくれた二人の男が追
い求めたものを、息子であるレイが変わりに追い続けるのだ。
 デュランダルと、そしてクルーゼが残した資産を使って、彼は小さな基金を
立ち上げた。ラウ・ギルバート基金と名付けたそれを使って、レイは彼と同じ
身の上の子供や、ナチュラルのエクステンデットにも手を差し伸べられればと
思っている。

 

「スウェンの奴もどっか行っちゃったしね」

 

 ファントムペインのエース、スウェン・カル・バヤンは終戦後間もなく姿を
消した。どこにいるのかは、見当も付かない。

 

「ルナマリアはどうするんだ?」
「まだ決めてない。けど、誰かが残るから私も残るとか、誰かが辞めるから私
も辞めるとか、そういう安易な考えはしたくないの」

 

 自分の人生なのだから、自分で決めなくてはいけない。メイリンだって、そ
うしたのだから。

 

「良い心がけですね。私も見習いたいものです」
 声は、二人の背後からした。振り返ると、そこに一人の女性が立っていた。
「シホさん……そっちも終わりましたか?」

 

 シホ・ハーネンフースもまた、墓地へと墓参りに来ている一人だった。彼女
の場合、恋し、愛し、尊敬していた上官の墓にである。イザーク・ジュールに
対して複雑な気持ちがないといえば嘘になるが、それでもイザークという男は、
シホにとって大切で、大事な存在だったのだ。

 

「私はこれから隊長の……いえ、イザーク・ジュールのお母様が入院されてい
る病院に行こうと思っています。二人は、このまま帰宅を?」
「その予定です」
「でしたら、出口まで歩きませんか?」

 

 断る理由もないので、三人連れ添って歩き出した。墓地には疎らに人がおり、
思い思いの表情を浮かべながら墓石と向き合っている人がほとんどだ。
 ふと、レイが一つの墓の前で足を止めた。

 

「レイ?」

 

 怪訝そうに、ルナマリアが声を出し、レイが見つめるその墓石を見た。

 

「あっ…………」

 

 他の墓石と同じく、簡素な墓だった。
 だが、その墓の前には一輪だけ花が、薔薇の花が添えられていた。

 

 墓碑銘にはこうある、

 

 ハイネ・ヴェステンフルス――と。

 
 

 インフィニットジャスティスの敗北と、それによる戦争終結までの流れは誰
もが予想だにしない速さで進んでいった。本来なら、インフィニットジャステ
ィスは国でも正規軍でもないテロリストなのだから、彼らが敗れたからといっ
て地球とプラントの戦争が終わるのも妙な話である。
 しかし、インフィニットジャスティスとの戦闘終了後、プラント最高評議会
はすぐに世界統一国家軍へと停戦の申し込みと、和平の意思を示した。この時、
最高評議会は臨時としてアリー・カシムという評議員が評議長代行を務めてい
た。彼はデュランダルと同年代のまだ若い評議員であったが、議会内では穏健
派に属していた。にもかかわらず彼が停戦の意思を示したときに議会がどよめ
いたのは、彼がヤヌアリウスの出身だったからだろう。
 ファントムペインの総大将たるロード・ジブリールが奏でたレクイエムによ
って、ヤヌアリウス傷つき、150万人もの人が犠牲となった。いくら穏健派と
いえど、徹底抗戦を唱えたって無理からぬことである。
 だが、カシムはあくまで停戦を、終戦を望んだという。

 

「ヤヌアリウスで150万人の人々が犠牲になったのは、確かに悔しい。けど、
それ以上に悲しいことでもある。我々は冷静になるべきだ、150万人の仇を討
つためにもっと多くの血を流すか、それともこれ以上の流血は無用であるとす
るか……私は後者だと思う」

 

 仇を討つにしても、元凶たるジブリールはインフィニットジャスティスによ
る粛正を受けた。地球側にしてみても、ジブリールもほとんどテロリストに近
い状態だったこともあって、責任を問うのはお門違いだろう。

 

 コペルニクスにて行われた終戦協定には、いくつかの条約が盛り込まれた。
人々が驚いたのは、地球・プラントそれぞれが、現存し保有する全てのモビル
スーツを破棄することを決定したことだろう。

 

「武力とは自主権、自治権の象徴であるため双方持つことは当然だ。しかし、
モビルスーツはこれに含まれない」

 

 この決定をした理由は、大まかに言えば二つあった。一つはモビルスーツを
今後製造しないことで軍事費が浮き、戦争によって悪化した経済の立て直しが
図れること、もう一つはとりあえずモビルスーツというわかりやすい戦争の道
具を排除すれば、ある程度の期間において戦争を回避することが出来るのでは
ないか、と言われている。
 発案者はカガリ・ユラ・アスハだとも、ヘルマン・グルードだとも言われて
いるが、正確な資料は後世に残されていない。
 話に上がったカガリ・ユラ・アスハであるが、彼女は世界統一国家の元首に
再び上がるよう提示された際、これを謝絶したという。理由は家柄だけでまだ
まだ若輩であることと、結果的に追放同然の処分となったロゴスの面々に気を
使ったのだと考えられている。
 これによって世界統一国家は完全な共和制へと移行し、近日中にも大統領が
選出されることになった。まともな人間がその地位に付くことを、世界は望ん
でいることだろう。

 

 兎にも角にも、戦争は終わった。それは、厳然たる事実なのである。

 

 そして……………………

 
 
 

 プラントの、といっても首都からも外れた随分と地味な場所にある宇宙港の
ロビーに、ミーア・キャンベルはいた。宇宙港は完全に人払いがされており、
彼女とその隣に立っている男以外、人っ子一人いなかった。

 

「そうか、自分の正体を明かしたのか」

 

 手に持つ一輪の薔薇を弄びながら、ロッシェ・ナトゥーノは呟いた。さも、
今初めて聴いたような口調だが、彼は前々からこの事をミーアに相談されてい
たし、真実を告げるように勧めたのも彼だった。

 

「これであたしは、もうラクス・クラインじゃないわ。紛い物、偽物の虚像が
消えた、ただの女の子……ただのっては違うか。あたしの顔は、もう戻せない
わけだし」

 

 どこか寂しそうに笑うミーア。

 

「でも、スッキリした。正直言うとね、ラクス・クラインを演じているのは楽
しかったけど、辛いって思うことも沢山あった。平和のためとか、非戦のため
だとかきれい事並べたところで、結局はみんなに嘘をついていたことに変わり
はないんだから」

 

 幸いと言うべきか、世間の反応はそれほど大きくはなかった。決して小さく
はなかったのだが、故人となってしまったギルバート・デュランダル前プラン
ト最高評議会議長による数々の失言もあったためか、市民の大半は「あぁ、や
っぱり」と言った程度にしか感じなかったのだ。
 もちろん、非難の声は上がったし、ラクスというプラント市民にとっては崇
拝の近い対象の影武者を作ったことには批判もあった。しかし、ミーアの活動
を振り返ってみれば、それは誰に恥じることもない立派なものだったはずだ。
特に、立場上強く言えるわけがないはずのデュランダルを公然と非難し、彼の
不見識を正そうとしたことすらあった。
 釈然としない部分は残るが、ミーアは自己の立場を私的に利用したこともな
かったし、第一彼女は自分の役割を果たしただけ……

 

「はじめはね、あたしはラクス・クラインという役を貰ったんだと思うように
してたの」
「役を?」
「そう、ラクスという役を演じ、彼女の役割を果たそうとしてた。それが当然
だと思っていたし、疑問なんて持ってなかった」

 

 あなたに、出会うまでは――

 

「いつの頃からか、あたしはラクスという役割の中に自分の意見を織り交ぜる
ようになった。ラクス様だったらこう考えるんじゃないか、こう思うんじゃな
いか、なんて言い訳ばかり心の中で言ってたけど、それは全部あたしの言いた
いことで、感じていることだったのよ」
「良いことじゃないか。自分の言葉で喋れない人間ほど」
「つまらない奴はいない、でしょ?」

 

 二人は、声を出して笑いあう。
 ロッシェはベンチから起ち上がると、のぞき込むようにミーアを見る。

 

「何はともあれ、親善大使就任おめでとう」

 

 ミーアは、プラント・地球間を繋ぐ正式な親善大使となっていた。彼女は自
らの歌や、活動を通じて国家間の相互理解を深めていきたいと思っている。

 

「ありがとう。でも、今まで以上に憶えることが沢山あって、緊張したりして」
「大丈夫さ、君なら」
「根拠は?」
「ない。けど、私は大丈夫だと思う」

 

 ロッシェの保証は、ミーアの心にチクリと刺さるものがあった。

 

「本物のラクス様のこととかもあるし、果たしてどうなるのか、あたしには想
像も出来ない」

 

 ミーアが世間に一応認められたのは良いことであるが、当然の如く市民はあ
る疑問を持った。では、本物のラクス・クラインは、かつてプラントの歌姫と
呼ばれた少女は今どこにいるのか。
 これに対し政府は、プライバシーの観点から本人にどうするかを尋ねようと
した。だが、それは叶わなかった。オーブ首長国連合にて隠棲していたはずの
ラクスは、忽然と、何処かにと姿を消していたのだ。それはキラが宇宙にてそ
の命を散らしてから、僅か二日後のことだったという。忙しい政務の合間を縫
って様子を見に来たカガリが、もぬけの殻となった屋敷を発見した。
 万が一の事態もある。カガリは周辺の森や、海の中などを軍まで動員して探
させたが、遂にラクスを見つけることは出来なかったのだ。
 事実を知ったプラント政府は対応に困った。まさか、ラクス・クラインが自
殺した可能性があるなど国民に公表できるわけもない。いや、むしろそうした
ほうがミーアという影武者を作らざるを得なかった事情に納得のいく説明が出
来るかも知れないが、今度は死者を冒涜していると言われかねない。
 結果として、プラントとオーブはともにラクス・クラインの行方を捜索する
とともに、表向きは某国に隠棲中であり、表舞台に戻るつもりはないとの発表
をした。元々、ミーアがラクスとなった理由でもあるし、嘘は付いていない。

 

 それが、どんな未来を暗示しているかはまだ誰も知らないし、知る必要もな
かった。

 

「ロッシェ……もう、行っちゃうのね」

 

 ミーアの寂しげで、悲しげな声がロッシェの胸を打った。そうだ、これは最
後の、彼女との別れの挨拶。ロッシェは今日、コズミック・イラと呼ばれる彼
にとっての異世界を後にして、元いた世界へと帰るのだ。

 

「長居しすぎたよ。余り長居しすぎると、私の華麗な姿が人々の目に焼き付い
て離れなくなる」
「あたしはとっくの昔に、心まで焼き付けられて、奪われてるわよ」

 

 何気なく言ったであろうミーアの言葉に、ロッシェは胸を締め付けられる思
いだった。だが、彼の中に残るという選択肢は、ない。

 

「きっと、私たちは一瞬すれ違うだけの、そんな関係だったんだ」
「えっ?」
「すれ違ったとき、私たちは互いの瞳を見て、見つめ合ってしまった。だが、
その一瞬が終われば、また歩き出さなくてはいけないんだ」

 

 互いに進むべき道があり、その道が交わることは、一生ない。
 ロッシェは、宇宙港の格納庫へと続く道へ一歩、また一歩と踏み出した。格
納庫には機体が、ガンダムアクエリアスがある。

 
 

「これを――!」

 

 ミーアの手元に、ロッシェがそれまで手に持っていた一輪の薔薇を投げた。

 

「何も思いつかなかった。何をあげれば君が喜ぶのか、何をすれば君が笑って
くれるのか……情けない奴だな、私は」

 

 ロッシェは、顔を俯かせる。
 結局、自分はその程度の男なのだ。気障ったらしく気取ったところで、ボロ
が出る。まったく、あの男のような完璧な騎士には、まだまだほど遠い。

 

「ロッシェ……」

 

 小さな声だった。あまりに小さな、聞き漏らしてしまいそうなぐらいか細い
声にロッシェが顔を上げると、ミーアの笑顔が、涙を流し、くしゃくしゃな泣
き顔で、それでも笑みを浮かべようとする少女の姿が、その目に映る。

 

「例え、一瞬のすれ違いでも、ほんの僅かな出会いだったんだとしても、あた
しは……」

 

 その瞬間、ミーアは駆けた。

 

「あたしは、あなたが好き!」

 

 愛する男の胸に、飛び込んだ。

 

「私も、君を愛してしまった」

 

 それは許されないこと。それは許されない背徳行為。

 

「一緒に、ずっと一緒にいたかった!」
「それは、出来ない」
「わかってる。でも後少し、後少しだけ……このままでいさせて」

 

 胸の中に顔を埋めるミーアの肩を、ロッシェはそっと抱き寄せる。ミーアは
ロッシェの背中に手を回し、離すまいと抱きしめた。
 どれぐらい抱き合ったのか、二人は抱き合いはしても、キスはしなかった。
してしまえば、気持ちを抑えられなくなると、二人とも思っていたのだ。

 

 最後の抱擁が、終わった。

 

「ミーア・キャンベル。君の未来に、祝福を。大丈夫、君には全ての幸運が、
味方しているよ」

 

 ロッシェはミーアの手を取り、恭しくその手の甲に口づけをした。騎士とし
て、男として彼に出来た、精一杯の別れの挨拶だった。

 

「ロッシェ、あなたも元気で。向こうの世界であなたの帰りを待つ人を、幸せ
にしてあげてね」

 

 そして、ロッシェ・ナトゥーノは帰って行った。
 ミーアはその後ろ姿が視界から消えるまで、しっかりと見つめていた。彼は
振り返らないし、ミーアも引き留めはしない。
 これで、いいのだ。
 やがてガンダムアクエリアスが宇宙港を包み込むように青い粒子を舞い散ら
し、ミーアを見つめながら、飛び去っていった。

 

「さてと、あたしも帰ろっかな」

 

 ロッシェと、アクエリアスがその視界から消え去ったのを確認すると、ミー
アは踵を返して、出口へと向かって歩き出した。
 一歩、また一歩と踏み出すその歩みは、明日への希望。
 明日からはじまる毎日。
 ミーア・キャンベルとしての毎日に、ミーアは思いを馳せるのであった。

 

                               おわり