grow&glow_KIKI◆8OwaNc1pCE氏_短編クリスマス前編

Last-modified: 2008-12-26 (金) 00:15:37

【機動六課隊舎】
 12月24日、午前6時過ぎ。

 

「あ、あかんよ。そないにやったらやり過ぎ……ひゃっ!?」

 

 早朝の誰もいない廊下を――故に沈黙の闇の中を反響していく嬌声。
 その声をあげたのは、機動六課の部隊長、八神はやてだった。
 

 

 
「ア、ス、ラ、ン、くん」
 はやては腰に手をあてて、アスランを覗き込むように顔を動かした。
 そして彼女の手には、ついさっき使われたティッシュペーパーが握られている。
「もう少し優しくしてほしいんよ」
「すまない。少し……強くやりすぎた」
「少し、は訂正や。それでな――」
 はやての表情は真剣そのものだったが、アスランは顔が朱くなるのを懸命に堪えるだけで精一杯だった。
 それは、彼女の吐息を感じられるほど、はやてが近くにいるからかもしれない。頬を膨らませたはやてが新鮮だったからかもしれない。
 つまるところ、顔が朱くなるまでの――はやての言葉を聞いていないことがばれるまでの時間は、もうあまりなかったのだ。
(落ち着け、クールになれアスラン・ザラ。冷静になるにはどうすればいいかを考えるんだ。頭が冷えたことを、今までの俺の人生から思い出せ。例えば……そう、白い悪魔に頭を冷やされた時のこと……駄目だ駄目だ駄目だ。あれを思い返すわけにはいけない。心が死ぬ。精神が壊れる。気力が消し飛ぶ。ならどうする、どうすればいいんだ俺は。……クールだ。クールになれば道が開ける。落ち着け、まずは深呼吸しろ。……よし、次は今の状態を把握するんだ。――――――そうか、俺がはやてを見ているからまずいんだ。なら簡単なことじゃないか)
 思考がまとまり、行動に移る。
 そして、
「あっ」
「ん? アスランくんどうしたん」
「いや、はやての顔に……」
「……」
 さらにいたたまれないことになってしまったのだった。

 

 アスランの表情から、言葉の先の意味を理解したはやては、
「このさっきからある感触は……わたしの頬っぺたにも飛ばしたってことやねんね」
「すまない」
「慣れてないのにムリするからや」
 呆れたように言うと、自らの頬に付いた白い塊を指で掬う。そしてこぼれ落ちる前に、その指を口へと運んだ。
 指が唇に触れ、白いモノを唇に乗せる。紅い唇がそれを舐め取ると、舌で転がしているのか、はやての滑らかな頬が膨らみ、凹む。やがてコクッ、と唾液の音を立てるように喉が動いた。
 ほぅ、息をつき、その味と感触を確かめるようにはやては目を閉じる。
「どうも……あかんな」
 呟かれたのは、少し不満げな声だった。
「けど、もう少ししたら……」

 

 一方のアスランは、己が飛ばしたモノが、他にもはやての身体のどこかに飛散したのではないかと思い、はやての身体を上から下へと視線を走らせる。そして見つけた、複数の付着跡。

 

「ア、ス、ラ、ンくん!」
「はい!」
「人の話は最後まで聞かんと駄目や」
「いや、けど他にもはやての「それは後」わかりました」
 アスランは何も言えなかった。
 彼がはやてから主導権を取ることは不可能なのかもしれない……いや、不可能に違いない。

 

◇10分経過

 

「さてと、今度はわたしの番やね」
 言いたいことを全て話したはやては、そう切り出した。
「大丈夫なのか?」
「それはアスランくんとちゃうの」
 気遣かったつもりが、同じように言いかえされて、
「たしかに少し疲れたな」
 アスランは頭を掻く。むしろ、体力以外の何かが確実に減衰していたが、それを言うほど馬鹿ではなかった。
「だから今度はうちの番」
「だが」
「大丈夫。今はもう痛くもないし……」
 そこではやては一呼吸おき、はにかむような笑みを浮かべて唇を――唾液で僅かに濡れている唇を動かした。それは特に、他意など存在しない。自然に零れ、紡がれ、織り込まれる言葉。
「わたしがそうしてあげたいから、そうするんよ」

 

 側頭部を殴るような一言だった。身長差から生まれた上目使いもチョイスされ、アスランは思わず首を縦に降ってしまう。そして、しかたがないな、と呟くと、彼は近くの椅子へと腰を落としたのだった。
 

 

「さてと」
 アスランが座ったため、自然とはやてはアスランを見下ろすような姿勢になる。
 はやてはふふ、と笑う。その笑みは、ようやくこれからの行為ができることへの嬉しさ故か……

 

 だが、その行為が長く続いことはなかった。
 そう、はやては少し動かしたところで
「痛ッ」
 その華奢な肩を、ビクッと揺らしたのだ。
「はやて!?」
「大丈夫やこれくらい」
 笑顔で答えようとするが、はやての顔はぎこちない笑みしか浮かばない。
「やめたほうが良さそうだな」
「けど」
「頼んだのは俺からだ。俺は、はやての辛そうな顔をするのを見たくない」
「アスランくん……」
 互いの視線が絡み合い、二人は見つめ合う。
 
 

 

 すると
「あのー、見ていてものすごく疲れるんですけど」
 眉根に深い皺を寄せたティアナ・ランスターが、ぼそりと呟いた。

 

 彼女の瞳が映すのは、ステンレスのボウルと泡立て器を持つ制服エプロン姿の八神はやて。プラス、割烹着と三角巾姿のアスラン・ザラ。
 はやては手首に包帯を巻いていて、少し前まで持っていた泡立て器の先端は、生クリームの中に沈んでいた。
 ティアナ視線は、アスランとはやてに向けられている。
 それは、やや批難の篭った、ジト目ということができる視線だった。
 だが、
「そうなのか?」「そうなん?」
 揃って首を傾げるアスランとはやて。
 返ってきた答えにティアナはがくりと肩を落とし、まるで連鎖反応のようにその身をテーブルの上に突っ伏させた。
 何となく、ティアナはこの中で孤立しているような気配を察せざるをえなかった。

 

 それでも、嘆いてばかりも仕方がない、と頭を上げる。アスランは生クリームを掻き混ぜ始めていたが、どこか楽しそうな雰囲気を出すはやてと目が合った。
「ティアナ、何か疲れるようなことでもあったんか?」
「二人が言ったり、やったりすることが恥ずかし過ぎでした。わたしの頬っぺたにも飛ばした、とか……クリーム舐める仕草とか……」
 自分で言っているうちに恥ずかしくなったのか、想像してしまったのか、ティアナの声はトーンダウン。頬は既に朱で染まり、何を自分は考えてしまったのか、と頭を掻きむしる。
 未体験であっても、知識はある。
 制御不能三歩手前。理性は融解し始め、思考は限界を超えようと、更なる先を求めて先へ先へ―――
「そうよ、素数を数えればいいんだわ。1、2、3、5、7、9、11「1と9は素数じゃないぞ」……!?」
 ティアナ・ランスター16歳。多感なお年頃だった。

 

 一方のはやては首を傾げてみせる。
「ティアナが言いたいことが、わたしはさっぱりわからへん」
 顎に手を当てて考える様は、本当に何もわかっていないことを表し、
「……あ、アスランくん、そろそろスポンジが焼き上がるころやで。この間は黒ずんで外がカチカチに硬くなって中身ははどろどろやったけど、今回はどうやろか」
 表し……アレ?
「わたしは早くアスランくんのん食べたいなぁ」
「……はやて部隊長、あたしが何を言いたいかわかってるんじゃないですか?」
 今までとは比べて、ティアナの声が少し低くなる。変化はそれだけでは留まらない。額に浮かぶ青筋。言い終えた後に、キリキリと噛みしめられる奥歯。
「ん? それは多分気のせいや」
 それに答えるはやては、他者が見ていて気持ちのいい満面の笑みを浮かべている。
 ティアナはひくひく、と口の端を震わせた。
「本当……ですか」
「ほんまやで」
 射殺さんとばかりの視線を、はやては受け止める。もちろん、笑顔で。

 

 沈黙。
 アスランの生クリームを掻き混ぜる音が、時間が経過していることを物語る。

 

「……もういいです」
「そうか?」
「はい」
 ティアナは諦めた。こんな朝早くに援軍が来るはずもなく、これ以上続けたところで、今よりこっ恥ずかしい思いをする自分が、たやすく想像できた。
 はやてもこれ以上からかうつもりがないのか、
「なあティアナ、わたしはアスランくんのケーキ作りを見ることにするけど……ティアナもケーキ作らへんか?」
普通の話題を振る。
「あ、あたしはいいです。アスランが最近朝練を休んでまでやろうとするケーキ作りに興味があったので」
「まあ、女やからとは言わへんけど、お菓子はいいアピールポイントになるんよ?」
「なんの……ですか」
「またまた~ティアナもとぼけて。……そういえば、シホはお菓子作れたな」
「だ、だからなんなんですか」
「あはは、ティアナは可愛いなぁ」
 

 

「さてと、俺も頑張るか」
 再び始まったはやてとティアナの戯れをBGMに、俺は三角巾を結び直して気合いを入れる。
 テーブルの上には、泡立て終わった生クリーム、スポンジ、苺が載っている。
 たぶんはやては、自分のことを忘れている。まあ、それは置いておこう。はやてはあくまで俺の手伝いだ。年末の事務処理で痛めた手首のこともあるし、このままのほうがいいのかもしれない。
 けど……
 向けた視線。その先のはやては笑顔でティアナを虐めている。口撃している。いわゆる言葉攻めだ……たぶん。
 いつものままのはやてを見ていて、ふと思う。
 シグナムから聞いていなかったら、俺はクリスマスの持つ、もう一つの意味を知らないままだったんだろう。

 

 スポンジを生クリームで白く塗り潰す。
「集中しよう」
 苺を載せて、スポンジを重ねて、生クリームを塗って……

 

 12月24日。ミッドにはクリスマスがない。当たり前といえば当たり前。だからはやては、24日の今日、六課の忘年会を開いたんだろうな。

 

「できた」

 

 目の前には、苺のショートケーキがある。ようやく完成した俺のケーキ。
「はやて、ティアナ。味見してくれないか」
 そう言いながら俺は、新しいスポンジケーキを作り始めた。
 朝食まではまだ時間がある。時間の許す限り、俺はもっと美味しいケーキを作ろう。
 そんなことを思いながら……

 

 
 to be continue……