grow&glow_KIKI◆8OwaNc1pCE氏_第05話

Last-modified: 2012-08-10 (金) 17:06:51

「僕には……無理なんでしょうか」
 掲示板――訓練校での最初の成績評価を眺めながら、ニコルは呟いた。
 次いでため息/無感動な視線は己の成績に心が弾んでいないことの明確な現れだった。
 成績が悪かった――否。むしろ、コンビ・個人共にかなり良い。
 しかし、本来は踊るはずだった心も、今は息を潜めておとなしい。
 原因――自覚済み/昨晩の一件が尾を引いていた。
 ティアナは常に相手と線を引いてはいるが、それが無理に引いているものではないかと思い、ニコルはあんなことを口にした。
 だが、結局は、相手の望まぬところに触れてしまい、反発/そのままという情けない終わり方。
 アスランには相談したが、あまりいい答えは得られず、他の誰かに相談しようと思ったところで、訓練校に入校してまだ二ヶ月弱。気安く人間関係についての悩みを打ち明けられる知り合いは、まだできていない。

 

――否

 

 ニコルの頭を過ぎる一人だけの該当者。
 その人物を思い浮かべ、ニコルは頭を振る。人との会話術に長け、他者の悩み事や相談を聞き入れ助言をするが――年下のニコルに対しては馬鹿にするなど、どうも相性がよくない相手。

 

 一拍。
 己の感情と悩み事を天秤にかけ……結果、ニコルは小さく息を吐き出した。

 

 決断から数分後。
 訪れたのは、イザークとディアッカの過ごす寮の部屋。
 僅かな逡巡。それでもゆっくりと拳を握りしめ、
「ディアッカ、少しいいですか。相談したいことが……」
 ニコルは答えを求めて扉を叩く。
 ディアッカ・エルスマン――人を小馬鹿にした態度は多々あれど、口達者なことや他者の悩み事や相談に乗るなど、その順応性をいかんなく発揮し、訓練校での交友関係も広い。それ故のニコルの選択だった。

 

 数拍。

 

「ディアッカなら今はいないぞ」
 神の無情。
 部屋から現れた人間は、彼のルームメイト=イザーク・ジュール――人情味豊かな優しさを併せ持っていようが、常日頃からアスランとの衝突を繰り返し見せられたニコルにとっては遠慮したい相手。
「わかりました。教えてくれてありがとうございます」故に、即断。
 ディアッカが不在となればこの場所に用は無い。
 頭の中でディアッカの行きそうな場所を考えながら踵(きびす)を反し――瞬間、肩をむんずと掴まれる。
「あいつには頼めても……俺には頼めないのか!」
 ニコルが振り向いた先――見慣れた仏頂面。アスランだけではなく、ディアッカにすら劣るということを存外にニコルに教えられたことが癪にさわったのか、頬をひくつかせているというおまけ付き。
「えっと……」
 思案は数秒。
 イザークが話に乗ってくるなど予想外。それでも、やる気にさせた以上は断ることも難しく――逃げたところで追い掛けられるのが関の山。
 脳内に浮かぶ選択肢――「受け入れる」か「あきらめる」。
 せめてと考え、ニコルは騒いだところで注目を集めないテラスへと移動することを提案するのだった。

 
 

 急かすイザーク。従うニコル。
 そんな二人を二つの人影が見守っていた。
「大丈夫なのか、イザークで」
「心配すんなっての。イザークは、おまえ以外ならまともな対応するから」
 部屋に戻ろうとしていたディアッカとアスランは、偶然奇妙な組み合わせを目にすることになっていた。
「で、どうすんだよおまえは」ディアッカ――気怠げに。
「もう少し様子を見る」アスラン――即答。
 イザークとニコルが廊下の角を曲がり、急いで追いかけようとするアスランにディアッカは呆れて呟いた。
「………過保護すぎんだよ。おまえ、ガキの頃に手がかかる奴でもいたのか」

 

―――アスランごめん。課題の期限まで後三日だから―――

 

―――また、会えるよね―――

 

 瞬間。アスランの脳裏を過ぎていく、今では違う世界にいる一人の友達。

 

「せめて、面倒見がいいって言ってくれないか」アスラン――止まっていた足をもう一度動かしながら苦笑。
「わぁったよ。じゃあ、俺はおまえ達が一位になってる成績でも見てくるかな」ディアッカ――アスランの瞳に差した影を見逃さず、やれやれと首を振る。
「ディアッカ、もう成績を知っているのか」
「おまえなら一位取れるんだよ。それと、下手な謙遜はやめろよな。逆に欝陶しい」
 それ以上の話をすることが面倒くさくて/話をすると長くなりそうで、ディアッカは足早に立ち去った。

 
 

 同時刻――集会場にて。

 

「ふぇー、こんなにあるんだ」
「そりゃああるわよ。訓練校の中でも競争はあるんだからね」
 保健室を後にしたティアナとスバルは、掲示板前列へとたどり着いていた。
 順位・班名・名前だけとはいえ、黒一色の文字はお世辞にも見えやすいとは言い難い。それでも熱心に皆が見るあたり、初の成績発表への関心の高さが伺える。
「あたしたちどれくらちかな」視線を右へ。
「どっかの誰かさんのせいでスタートが出遅れたけど、最近ほとんど叱られないし、そんなに悪くないと思うんだけど」視線を左へ。
「そうかな」
「あんたは座学の成績いいしね」
 何だかんだと言い合いながらも2人は掲示板に目を通し――スバルが先に見つけ出す。
「えーとね……32号室ナカジマ、ランスター……総合4位!」
「読み間違えじゃないの?」
 予想外の高成績。それ故、ティアナは訝しげに相方に目を向けた。
 初日の失態(複数)等を鑑みれば、最初の時点から高い成績は望めないはず――。
 しかし、
「……ほんとだ……」
 スバルの指差す先、掲示板に記された〈総合4位32号室ナカジマ、ランスター〉という言葉。
 目を擦る/頬を抓るがそれは変わらない。
 どうしても、ティアナは頬の筋肉が緩むことを止められなかった。
「やったね……すごいね」
「うん……これならトップも狙えるッ!」
 いつも感情を露わにしないティアナの歓喜。
 だからこそ、その喜びの大きさがどれだけのものかが教えられ、スバルの顔もほころんだ。
「頑張ったかいがあったわ。あんたもよかったわね」
「うん!」
 滅多に送らない賛辞を送ってしまったことにも気付かず、ティアナは目の前の成績を心に焼き付ける。
 執務官を目指して努力してきた結果が、訓練校において4位という確かな成果を挙げたのだから。
 努めて冷静を意識していた心も弾み――それ故、ノイズに心を乱された。

 

「……あいつ……士官学校も空隊も落ちてるんだったよな」
「知ってる知ってる。相方は……ほら、コネ入局の陸士士官のお嬢だろ」
「格下の陸士部隊ならトップ取れるとか思ってんだろうな」
「恥ずかしくないのかね~」
「まじでうざいな」

 

 出し抜けに――水を差すかのように割り込んだ嫉妬の言葉。
 衝動的に振り返るが、声はぴたりと止んで聞こえない。
 隠れるようなこそこそとした振る舞い/昔の誰かのいけ好かなさを思い出し、ティアナの双眸が細くなる。
 相手が男であろうが年下であろうが関係なく、刺し殺せるような視線を周囲にめぐらせながら――気付く。自分を見つめる人間の中にかつて見慣れた嘲笑があることに。
 考えるまでも無く足が動いていた。
 スバルの制止の言葉を/肩に置かれた手を振り払い、ティアナはゆっくりとある集団へと歩み寄る。
 眼前。見上げ無ければ視線をぶつからない相手――それでも、気にせずに言い放つ。
「いい加減なこと言わないでくれる」
 何かを言ってくるとは思っていなかったのか/剣幕に気圧されたのか何人かの視線が逸らされる中、
「訳わかんねぇ。何言い掛かりつけてるんだか」
 ティアナの正面に立つ青年が小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「言いがかりなんかじゃない」
「はいはい。そーですか」
「まじめに聞いてるんだけど」
「証拠でもあるのかよ」
「それは……」
 見下すように告げられ、ティアナは言葉に窮す。
 ティアナの行動は、あくまで昔の経験からの類推――客観的な証拠とはなりえない。
 男達の周囲に視線を向けるようにも、厄介ごとに巻き込まれたくないのか視線はぶつからない。

 数拍。
 男はニヒルな笑いをティアナに見せつけ、背を向ける。
 自分に向けて伸ばされてくる手を軽く払いのけ、「行こうぜ」と周りの仲間達に声をかけ――しかし、それだけだった。

 

 いつの間にか腕に巻きついた黄色のバインドが男をその場に縫い付ける。

 

 次いで、侮蔑の言葉が男に突き刺さる。
「情けねーな。こそこそと」 
 人混みの中から周囲の注目を気にせずに現れ、ディアッカは男の正面で歩を止めた。
 瞳はあざけるように/声音は哀れむように。
「証拠証拠って言うなら俺は聞こえました。これで満足ですか、お・に・い・さ・ん?」
「ガキが! なんだよ偉そうに」
「なーにガキ相手にムキになってるんだか。ちゃんと聞こえましたよー耳はいいですから。あんたがついさっきした舌打ちも聞こえてますよ」
 凄みをつけての威嚇。が、バインドをされている以上どこか滑稽さの滲むもの。
 うすら笑いを表情に貼り付けたまま男とティアナの間に割り込んでいたディアッカは、男に背を向ける/二人の少女に向き直る。
「まったく……なんで俺の知り合いは問題児ばかりなんだか」ため息は盛大に。肩を落とすことも盛大に。
「なんであんたがいるのよ」
「感謝の言葉もないってか。ま、とりあえず……スバルはどっかの馬鹿にそっくりなソイツを外……っていうかテラスにでも連れていけ。頭冷やさねーとな」
「なっ?! 馬鹿って何よ」
「たかが、ひがみとか野次なんて気にすんなよ。んで、どんなに気にくわないとか、根性が曲がってるとか、成績の悪いド阿呆が相手でも、一応年上にはそれなりの態度が必要だぜ」
 バインドへの自信か、背後の男のセーフティーシャッターを破壊していることも気にせず、ディアッカは演技のように/大袈裟に肩をすくめてみせる。

 

 男は未だにバインドを破れない。無理矢理にでも引きちぎろうとしているのか眉間に皺を寄せ、歯歯ぎしりが聞こえるまでに歯を食いしばり――しかし、結果は同じ。自由を奪われたまま+男の周囲の連れ達もバインドを掛けられ動けない。
 少なくとも、男がティアナに食って掛かる可能性がないことを理解したスバルは、ティアナの手をそっととる。
「行こう。ランスターさん」
 男の苛立ちはディアッカの元へ。故に、この場を離れるならば今だった。
「あたしは!」
「いいからいこう」
 半ば強引に――それでも、止まることなくスバルはテラスへと歩みだす。
 初めて強引に――それでも、スバルの心にためらいは生まれない。
 手を振るディアッカに小さく頭を下げると、スバルは駆けだした。

 
 

 数分後。
 たどり着いたテラスは人影も見当たらず、冷たい夜風のおかげか、ティアナの頭を冷やすにはちょうどよい場所だった。
「なんであいつといい、あたしの邪魔をするわけ?」
 ようやく足を止めた/腕をつかむ力を緩めた相方を睨みつけ、ティアナは問い詰める。
 間違ったことはその場で正さなければ、後々相手をつけ上がらせることをティアナは知っている。あの瞬間、己が冷静ではなかったことを自覚しながらも、相手に非を認めさせなければいけないという気持ちは変わらない。
「間違ったことを言われたら、それは正さなきゃいけない。じゃないと……」 
 じゃないとまた……。
 心の中に湧き上がる嫌な記憶――言葉が詰まる。
「けど、ディアッカさんも言ってたけど、あれはただの憎まれ口。それに正しいとか間違ってるとかはないんじゃないかな」
 沈黙し、それでも己を睨み付けてくるティアナに向けて――怖くないと言えば嘘になる。それでも、スバルはティアナの視線から目をそらさない。
 彼らが言ったことは悪いとは思う。人を傷つけるような言葉は許せない。だけど、ただのひがみにそんなことを求めても意味がない、とスバルは思ったのだった。
「ランスターさんが自分のことをあんまり話してくれないから、これはただの想像だけど……あの人たちが言ってたようなこと、思ってないでしょ」
 問いかける/無言。
 視線をぶつける/逸らされる。

 

 関係ないとでもいいたげな答えを暗に示され――それでも、スバルはティアナに一歩近づいた。

 

「あたしは、32号室のスバル・ナカジマ。仮コンビで、あたしが足引っ張っちゃうときもあるど……それでも今は、ランスターさんとのコンビなんだよ。パートナーの考えを知ろうとしちゃ駄目かな。できるなら、あたしはランスターさんのプライドを守りたい。だから、ランスターさんが何を思っているのか話して欲しい」そして、もう一歩。

 

 二人の間には何もないと近づくスバルに、ティアナは咄嗟に答えを返せない。

 
 

 突き放しても、何事もなかったように話かけ

 

 間に壁を作っても、リボルバーナックルで撲るようにあっさりとぶち抜き踏み込んでくるスバル。

 

 魔法学校以来、自分のことをここまで考えてくれている人が現れるとティアナは思っていなかった。――それも、同情ではなくパートナーとして。

 

 いつのまにか。
 胸中で渦巻き続けていた誰にも頼らないという感情の中――芽生えた彼女には話してもいいんじゃないかという気持ち。
 その芽生えの気づきに、ティアナはスバルに差し伸べられた手/言葉を払えない。
 相反する二つの己の感情に惑い、決められず――そんなティアナの迷い見るに見かねたのか、唐突に第三者の声が木霊する。

 

「話せばいいだろ」テラスに響く、澄んだ音。
 声の出所/ティアナとスバルが驚いて目を向けた先/腕を組むイザーク+申し訳なさそうな顔をするニコルが直立中。
 誰の言葉かは明白だった。
「貴様のことを本当に思っての言葉だ。何をためらう必要がある」
 やれやれと首を竦める仕草を見せつけられ、
「あんたと違って、そんな単純な生き方してないのよあたしは」
「言ってくれるな」
「事実でしょ」
「なら俺は、貴様のプライドはスバルに話すことすら臆するちっぽけモノなのか? と言ってやろう」
 安い挑発。それでも、今のティアナにとっては低いハードルだ。
 瞬時に言い返す。
「うっさいわね。話すわよ、ちゃんと。スバルには話せばいいんでしょ」
 言い終えて/言ってしまって――無かったことにできはしない。
「けど、あんた達に言う必要はないわよね。コンビでもないし」
 それでも、その話をニコルとイザークに話す義理がないことは自明の理。

 

 そのことを理解しているのか、
「僕は辞めておきますね」ニコルの行動――回れ右。
 が、即座に肩に置かれる手。
 デジャブを感じてニコルが振り返る先には、仏頂面のイザークが待ち受ける。
「ランスターがスバルに言うことが、お前の答えになるんじゃないのか」
「けど、やっぱり」
 ためらいからニコルはイザークの行動を咎めようとして――だが、イザークの視線はティアナに向いている。
「別に聞かれてまずいものでもないだろ。それに……もしかすれば、こいつの悩みの答えになるかもしれん。ほら、さっさと話せ」
 人にモノを頼む言動では無いが、ティアナにとっては慣れはじめたモノ。
 イザーク達もスバルと同じ。いつの間にか訓練校でのティアナの生活の何かしらには関わっている。

 
 

 今までは、突き放せば再びティアナに構うものはいなかった。ティアナもそれでいいと思っていた。
「……落第は事実よ」
 しかし今、その考えは鳴りを潜めてしまう。
「たしかに、あたしは士官学校も空隊も両方落ちた」
 魔法学校で良い成績を上げたところで、簡単に受かるような場所ではなかった。
「だけど、今いる場所を卑下するほど腐ってるつもりはないし、いつかは空に上がるけど、今は陸士としての誇りを持ってここにいる」
 ティアナの前に立つ三人は、もう何も言わない。ただ、静かに彼女の言葉に耳を傾ける。
「一流の陸戦魔導師になる。ここをトップで卒業して陸戦Aランクまではまっすぐに駆け上がる。それが今のあたしが目指す最初の目標よ」

 

 宣告を聞き入れた同期達。
 スバルが最初に口火を切った。
「じゃあさ、正々堂々みんなの前で凄いところ見せればきっと認めてくれるよ。ランスターさんが凄いのは、あたしが保証するッ!」
 力強く拳を握りしめ、断言。
「アホらし。そんなの、そうそう上手くいくわけないわよ。それにズッコケのあんたに保証されても意味ないのよ」
 ティアナに軽くあしらわれるものの、
「……けど、上手くいくかもしれませんよ」
 ニコルはティアナの言葉を否定する。
「ランスターさんの個人成績はたしか三位でしたし……」
「うそッ!」
「嘘じゃありません。このままいい成績をだしていけば、みんなは認めてくれますよ」
「……まあ、実力で黙らせればそれでいいってのは確かにそうね。気にしないことにするわよ」
「うん」
 張り詰めていた空気が霧散し、いつものティアナに戻ったことでスバルは笑顔に戻る。
「けど、あんたがお嬢だったなんてね」
 言いたいことを言い終え、ティアナは、ふと男達が言ったことを思い出していた。
「お父さんが陸士の部隊長なんだ。けど、コネじゃないよ」
「わかってるわよ」
「そうでしょうね」
「それくらいわかる」
「……なんでわかったの」
 自分がコネ入校ではないことを知っていたことに目を見開くスバルだが、彼らにとっては予想の範疇だ。通常、スバルのような子供を入れるのであれば、士官学校が定番であり陸士の訓練校に入れる親は皆無である。
 ただ、その事を知らないスバルには三人の言葉に驚くしかなかったのだ。

 

「……貴様もこれで満足か?」
「はい。ありがとうございます」
 ニコルの用事も終わった今、イザークがテラスにいる必要性は存在しない。何より、彼には結果を知らない成績を見る必要がある。
 話すこともなくなり解散と流れとなる中、静まりかえったテラスにスバルの声が元気よく響く。
「あ、そうだ。みんなシューティングアーツやってみませんか。スパンと決まると気持ちいいですよ」
 何の前触れも無く唐突に。
 イザークがスバルの声を聞いたときには、すでに彼女に腕を掴まれていた。力任せに歩こうとしても引き戻される。
「面白そうですね」
 スバルの案にニコルが最初に頷いた。
「イザークさんもどうですか」
「おい貴様、いい加減に」
「ダメ……かな?」
「少しならかまわん」
 見つめられ、動けないように腕を掴まれては、他の選択肢は存在しない。
 だが、「ランスターさんも「あたしはパス」」即座の否定。
 時間が止まったかのようにスバルの笑顔は固まった。
「先に言うけど、あたしが馴れ合う気がないのは変わらないならね」
 目指せお友達への第二歩目を踏もうとするスバルに、牽制をかけるティアナの言葉。
「あんたは、ただの仮コンビのパートナー。これからも一緒ってわけじゃないのはわかってるでしょ」
 スバルは確実に一歩を踏み込むことには成功した。――が、ティアナ自身が一歩を引いたため、二人の距離は変わらない。
 それは、“今までとは変わらぬ二人の関係のまま、トップでここを卒業する”ということだ。
「何様のつもりかは知らんが、その程度の関係でトップを狙うだと? 笑わせるな」
 故に、イザークは殺気立つ。
 イザークは、ティアナとスバルがすぐにコンビとして親しくなるとは思ってはいない。他人同士であった以上、これからいろいろなことを経験する上で自然に親しくなると考え、余計なことをする気持ちは持っていなかった。
 だが、変わらないティアナの行為に/スバルと距離を置いたままでもトップを狙えると言われれば考えは変わる。
「コンビと信頼なしで何が一位だ。貴様はその程度で俺達に勝てると思っているのか? 馬鹿にするな」
 コンビは、互いに馴れ合うだけでなく、時にぶつかり合いながら、互いの絆を強めて成長を繰り返す。ディアッカといつも遠慮すること無く意見をぶつけ合ってきたイザークにとって、ティアナの行為は愚の骨頂。

 

 ヤマアラシを例にすればわかりやすいかもしれない。
 ヤマアラシ同士が寒いときに体をくっつければどうなるだろうか? 答えは簡単。相手の針が自分に突き刺さったままになってしまう。
 なら、相手から離れればいいのか?
 けれど、それだと寒い。
 なら、どうすればいいのか?
 それは、相手の針が僅かに当たらない距離にいればいい。時々相手の針が刺さるかもしれない。それでも失敗しても近づき合うことで、互いに最適な場所に身を置くことができるのだ。

 

 それは、人間も変わらない。相手とぶつかり合うことがあるからこそ、当人同士の最適な距離がわかるのだ。 

 

「コンビでもないあんたには関係ないでしょ」
「貴様の考えが許せるか」
「うっさいわね。直情的短絡思考馬鹿のくせに」
 だが、ティアナとイザークの考えがどうであれ、引っ込みのつかなくなった/ボルテージの上がった二人のやり取りは、売り言葉に買い言葉。
「なんだその言い方は」
「事実をいっただけよ。認めれば」
「ふざけるなっ!」
「なによ!」
「貴様には言われたくないわ!」
「ちょっとそれ、どういう意味よ」
「そのままの意味に決まっているだろうが」
「イザーク、落ち着いて下さい」
 見かねたニコルが言い合う二人の間に身体を割り込んで――時を同じく、
「うるさいっ。黙ってろニギョ!」
 イザークの顔面に何かが直撃するのだった。

 

 沈黙は数秒。
 己の顔面にへばりついたモノを引きはがし、側にいたニコルがそこに記された言葉を読み上げる。
「おいしいあんパン。……新しい顔よ……?」
 瞬間。
 腹を抱え、ティアナは吹き出していた。
「貴様ッ! 何を笑っている」
「しょうがないでしょ。昔見ていたテレビで似たようなのがあったから……ついッ」
 肩を揺らしながら/止めることができず、ティアナの笑いは止まらない。
 十数秒。
「えっと……ランスターさんもイザークも落ち着きましたか」
 いつの間にか柔らかくなった空気にきっかけを感じ、ニコルは呼びかける。
「大丈夫」
 表情から険しさが抜けきり――だからこそ、スバルによってがっしりと腕を掴まれる。
「シューティングアーツ、しよ?」
「馴れ合うつもりはないの」
「馴れ合いじゃないよ。経験と学習なんだから!」
 スバルはティアナ腕に手を添えなおす。
「聞きなさいよ人の話」
 振り払おうとするが、スバルの手は離れない。
「アスランさんが言ったんだ。ランスターさん相手にはもう少し積極的になるべきだって」
「余計なこと言わなくてもいいのに……って! スバル、ストップ」

 
 
 

「もう大丈夫みたいだ」
 眼下で繰り広げられる「シューティングアーツ講習会」からアスランは目を離す。
 イザーク達を追いかけ、見守ろうと選んだ場所はテラスから一つ上の階。テラスを見下ろせるその場所で、アスランはことの成り行きを見守っていた。
「けど、すまない。付き合わせてしまって」
 そして、静観者はアスランの他にもう一人。
 傍らに浮かぶウインドウ――アスランが選んだ相談相手/八神はやてにアスランは頭を下げる。
 互いに言葉を交わし合いながら――しかし、ニコル達がティアナ達と顔を合わせてからは、テラスに集中してしまっていた。
「気にせんでええよ。だからそないに謝らんといてな。」
 特にアスランを責めるでもなく――口調も声色もいつもと変わらない。
 むしろ、テラスで起きたことに興味を持ったのか、はやての顔が大きく映り込む。
「イザークくんって面倒見がいいんやね。今度会ってみたいな」
「面倒見の良さは別として、俺以外に対する態度はいいな」
 自分への応対を思い出し、思わず苦笑い。
「アスランくんは構ってほしいん?」
「……やめてくれ」
 一瞬とはいえ、あれこれと自分に世話を焼くイザークを想像したアスランの背中に悪寒が走る/全力で首を振っていた。
 ――それでも、いつもなら目にすることの無い/知らなかったイザークの一面を目撃し、アスランはイザークへの評価を改める。初めて知ったイザークの優しさを――だからこそ、己に向ける行為を思い出し苛立ちもまた募る……。

 

 アスランの沈黙をどう捉えたのか、はやては話題を変える。彼女の記憶に引っかかる言葉を問いかける。
「……そやけど、ランスターっていったら」
 戸惑うように/尻すぼみになっていくはやての口調から意図する意味を感じ、アスランは答えを返す。
「ティーダ・ランスター。違法魔導師を捕まえようとして亡くなったティアナのお兄さんだ。C.E.に逃げてくることになった違法魔導師を……な」
「知ってたんやね」はやて――自分が管理局の人間だからこそ視線を逸らす/俯いた。
「イザークも……昔は、管理局を含めて怨んでいたからな。どうして止められなかったのか……って」
「管理局がしっかりしていたらC.E.があそこまで荒れることもなかったし……あまつさえ、すぐに手を引いたからやもんね」
「別に、はやてが悪いわけじゃないさ。あの事件の前から管理局に関わっていたとしても、はやてが何かできたわけじゃあないんだろ?」
「……ありがとうな」

 

 黙り込む二人。

 

「そやそや」
 沈黙を嫌ってか、はやての顔が上げられる。
「アスランくんのところのスバルってな、うちの知り合いの娘さんやねんけど……スバルにはギンガっていうお姉さんがおってな、話しやすいと思うからティアナに会わせたらどうやろか」
 笑顔で/楽しそうに提案を述べるはやて/今までのことが、なかったかのように話すはやてに向けて、アスランは頷いた。
「スバルとティアナの仲良し大作戦、か」
「ギンガの休みはうちが確認しとくから、アスランくんはスバルにそれとなく言ってみてな」
「わかった。それじゃあ、今日はありがとう」
「アスランくんの役に立ててよかったわ」
 満足そうに笑うはやてを見つめながら、ふと小さな疑問を思い出す。
「そういえば……“新しい顔”ってどういうことなんだ?」
 ついさっき投げたあんパンに記した言葉――はやてに言われるがままに。
 結果としてはティアナの心の琴線に触れたのか、意図した成果を上げたが、理由はわからない。
 首を傾げるアスランに向けて、はやてはVサイン。
「日本の文化はどんな世界でも人気があるってことや! あ、もちろん食べ物は粗末にしたらあかんよ」
「すごいんだな。……次は気をつけるよ」
 C.E.にはすでに存在していない国の文化。しかし、ディアッカに披露してもらったことのある日本舞踊を思い出し、思わずアスランは感嘆の声を上げていた。
「ほな、この話はこれで終わり。仲良し大作戦については、また連絡するな」
「わかった。おやすみはやて」
「アスランくんもおやすみや」

 

 ピッ、という電子音を響かせて終了する二人の会話。
 通信を切った後も、アスランはモニターのあった場所を見続けていた。

 

(気をまわしすぎてるのかもしれないな)
 イザーク、ニコル、スバル、ティアナ
 何故自分がここまで人と人とを――それも、仲のあまりよくない者同士の間を持とうとするのかを考えずにはいられなかった。

 

 ただの同情? 見返りを考えての下心? 俺は人の役に立つという自己満足?

 

 どれもがあてはまりそうで、あてはまらない。
 一つアスランが断言できることは、人と人とが対立したままになってしまうことを見過ごせない/少しでも役に立ちたい、ということだけであった。

 

 ディアッカの言う「おせっかい」にもなぜか納得できず、胸のうちに小さな靄が生まれたアスランであった。

 
 

【Interlude 1-1】

 
 

 自分の意識がいつ生まれたのかはわからない。

 

 気がつけば、自分という「モノ」ではない漠然とした意識が生まれていた。けれど、生きとし生ける「モノ」ではない自分は、この世界に現れたとするほうが正しいのかもしれない。

 

 目の前には広大な草原と丘、整然と並ぶ切り揃えられた石の塊が広がっていて、今は夕暮れの茜色の光がこの場所を暖かく包み込んでいた。

 

 柔らかい風が駆け抜け、石の塊の傍に落ちていた萎れた花が宙を舞う。

 

 ここは……どこなんだろう。

 

 何をすれば良いのかがわからなくて、長い時間をずっと自分が現れた場所に留まっていた。

 

 それでも、知らない世界ではない、と自分の漠然とした意思が主張する。
 とても漠然としたもので確証はないけれど、この世界を、この場所を自分は懐かしく思えてしまったから。

 

 確かめようとしても、実体を持たない自分は、この世界の生きるモノ達と触れ合うことはできない。ここにいると誰かに伝えることもできはしない。

 

 いつのまにか、否応のない取り残された寂寥感を掻きたてられていた。独りで現れただけの存在がそう思うのは、おかしな考えかもしれないけれど……。

 

 他のモノと触れ合うことができない存在。
 それでも、できることはある。

 

 それは、自ら動くこと。このままでいるのかいないのか。
 決めるのは――自分の意思ひとつ。
 そして、答えはもう決まっている。

 

 この世界を知ろう。なぜ自分がこの世界に現れたのかを知らないといけない気がする。

 

 この世界に現れてから少しも動いたことはない。それでも、初めて動いてみようという意識に従った。

 

 夕闇をおびた風を感じつつ、暖かい草原の中を、等間隔に置かれた石の塊に沿って一方向へふわふわと進んでいく。

 

 時々すれ違う、瞳の光に陰りの入った人間達。
 暖かな光を全身に浴びようとする鳥の群れ。

 

 行く当てのない小さな冒険が始まった。

 

 世界が闇に包まれ始めた時、白い塊の列がふいに途切れていた。
 不思議に思う。それでも進む行為は継続させる。
 緑が次第に茶色に取って代わり――やがて深い青。
 大地が無くなり、暗く、すべてを飲み込んでしまうかのような大きな水溜まりが広がっていた。

 

 日のあるうちは、ガラスのかけらをちりばめたようにキラキラと美しい輝きに満ちていたかもしれない。

 

 けれど今は、底も見えず、引きずりこまれたら二度と上がってこられないような水溜まりがそこに佇んでいる。
 見ているだけでも、吸い込まれてしまいそうな悲しみと後悔が渦巻いていた。

 

 ――戻ろう。

 

 何か理由があるわけじゃない。
 自分の意思――自分という存在自体――がその中に飛び込むことを躊躇わせる。

 

 理由のない恐怖が、そうさせた

 

【Interlude out】