grow&glow_KIKI◆8OwaNc1pCE氏_第10話

Last-modified: 2009-02-08 (日) 17:03:51

 ハイネとティアナが接触した翌々日。
 数えて、テラスの一件から七度目の夜。

 

『ここは一度二人を会わせて』『今はまだ早いだろ』『……ティアは……どう思ってるのかな』『それだったら、ハイネ教官から聞かされたんだけど』
『何を聞いたんですか?』『ああ、それは――』

 

 丸テーブルを囲んで座る、四人の少年少女達。
 彼らは悩み、考え、自分の想いを話し――ここ、第5班(アスラン・ニコル)の部屋は、小さな会議室と化していた……

 

 
「――っていうことをハイネ教官が言ってたな」
 訪れたのは、沈黙。
 ただそれは、ハイネから聞かされたというアスランの言葉に、残る三人――スバル、ニコル、ディアッカが考え込んだ結果だ。
「つまり……ランスターさんがイザークに、ただ怒ってるだけじゃないってことですよね」
 最初に口を開いたのはニコルだった。確信を持てなかったのか、迷いのある口調。ただ、残りの面々は異論がないのか、頭を縦に振る――肯定。
 少なくとも、そう考えるのが妥当といったところだろう。
「そうなると、ランスターさんはイザークを許して「それはない」……え?」
 だが、ハイネの言葉からそう判断しようとしたニコルをディアッカが否定する。
「頭で理解できても、感情はどうしようもないからねぇ」
「そうですけど……」
「これだからお子様は」
「わかってますよ」
 軽はずみ――とはいかなくても、良い方向に考え過ぎたことを指摘され、ニコルは視線を落とす。それに、ディアッカの皮肉気な――時にからかうような言葉は、好きではなかった。

 

 一拍。少しの停滞。

 

「けど、イザークさんは今どう思ってるのかな」
「ん? イザークと会ってないのか」
 ニコルに変わって、スバルが疑問を投げかける。視線の先にいるのは、ディアッカだった。

 

 イザークはディアッカが休んでいた間、常に単独で行動していた。
 訓練では臨時のパートナーを組むこともなく、食事といった日常生活でも独りきり。だれが話しかけても相手にされない、とスバルが言い終える。
「それで……その……」
 ただ、イザークのことを頼みたいと言えなかったのは、安易にディアッカに頼りすぎていることへの躊躇い。そして、もう一つは――

 

 だが、ディアッカはやれやれと首を振り、
「了解。オレがあとで訊いといてやるよ。スバルはティアナのことをまず考えとけ」
 まるでそうすることが当たり前のように、笑みを浮かべる。ニコルには見せなかった相手を励まそうとする笑みだ。
 肩を軽く叩かれ、スバルは安心したように頷いた。
「ディアッカ、もう大丈夫なのか?」
 そのやり取りを見て、アスランが口を開く。言いたいことは、ディアッカの体調についてだろう。
 今の状態がどうであれ、入院していたことは事実。病み上がりには変わらない。
 そして、風邪の治った理由が、実はわかっていないという笑えないオチがついている。
 つまり、再発しないとも限らない。
 ついさっき同じことを考えていたスバルもまた、迷うような視線をディアッカに送る。

 

 しかし、
「ああ……まあ、美人な教官がお見舞いに来てくれたからな」
「……」
「それに、お注射までしてくれたんだぜ。いやー、あれは――」
 返されたのはいつもと変わらない、軽い口調と態度。そんなディアッカに、アスランは思い切り脱力した。
(聞くだけ無駄か……)

 

 ただ、アスランは小さな見落としをしていた。
 それは、ほんの一瞬だけディアッカの視線が逸らされていたこと。『ああ』と言った直後の、まるで言葉を選んだような気まずさを含む目の動き。
 しかし、アスランは気づかなかった。だから返された言葉をディアッカらしいと思い、肩を落としていたのだ。
 アスランが真実を知るまでには、これから後……およそ3年の月日を必要とする――――。
 

 

 話し合いは進んでいった。
 けれど次第に、散発的に意見が出るだけですぐに会話が止まるようになる。
 議論は停滞。浮かんだ考えは全て話し終え、新しい何かも出てこない。
 ニコルが、スバルが、アスランが――何かを話そうと口を開き、声ではないただの空気を吐き出した。
 話し合いの最中でのだんまりは、どこか居心地の悪くなるものだ。
 そして無理矢理何かを話そうとすればするほど、頭の引き出しは腐海の森と化し、収拾がつかなくなる。
 
 

 

「アスラン、お茶」
 それは、ディアッカの言葉だった。
「……は?」
 今までの話の繋がりは皆無。
 アスランがお茶というわけでもない。
 喉の渇きを感じていたのか、この場の空気――若干の閉塞気味――を変えたいのかは、不明。
 それでも、アスランが言えることはあった。

 

「ない」
「つれないこと言うなよ~」
「ない」
 即答。
「拝むから」
「だからないんだ!」
 二人のやり取り――本当に両手を合わせて拝んだディアッカを見て、呆れたのか可笑しいのか、ニコルもスバルも小さく息を吐いた。
 弛緩する空気。
 無いと言い張るアスランに拝み続けるディアッカを見て、ニコルが思い出したように呟いた。 いい笑顔で。
「ジュースでもいいですか?」
「ああ。ジュースでもいいぜ」
 渡りに船とばかりにディアッカが頷くと、四角い物体――紙パックが飛来する。
「それではこれを」
「サンキュー……ってなんだよこれ。“どろり濃厚”?」
「おすすめの飲み物らしいですよ」
 『だれの』おすすめかは答えず、ニコルはそう教えた。  ステキな笑顔で。
 得体の知れないジュースに視線が集中する。濃厚だけならここまでの視線は集まらない。ひらがなみっつ“どろり”がそうさせる主な原因。

 

 ディアッカは冷や汗を流しながらも、ストローを刺し――。

 

 ドクドクドク……
 静まり返った室内に響いたのは、濃厚な液体が喉を通る音。
 ゴクゴクとは違う、聞いているだけで胸焼けがしそうな音に、2度ほど室内の温度が下がる。
 ディアッカはジュースをテーブルに置くと、無言でニコルに向けて押し出した。そして、押し返された。
「最後まで飲まないともったいないですよ」
 ニコルは言った。  爽やかな笑みで。
「いや……無理、甘すぎ。余計に喉渇くだろ」
「だったらこれはどうです?」
「ん? ゲルルンジュース?」
 妙な質量感――この中身が液体なのか? と疑問を持たずにはいられない紙パックジュース。ゲルと表記された単語からディアッカは中身を想像しようとして……辞めた。それは彼の辞書が、ジュースは液体であると登録していたからかもしれない……。

 

 
「さてと……一息つけましたし、そろそろどうするかを纏めましょう」
「そうだな」
「……えっと……はい」
 ニコルはとつとつと、アスランはため息をついて、スバルはためらいながら言った。
「もう勝手にしろ」
 渋い顔をして、ディアッカは寝転がる。テーブルの上に置かれた紙パックの中身は、無くなっていた。
 だが、
「それで、ですね……」
 ニコルが聞き流していることに気づいたのか、諦めた顔でもういい、と背を向けた。
 寂寥感溢れる表情だった。

 

 それでもニコルは話を続ける。
「二人は、互いに負けず劣らずの意地っ張りで頑固者です。だから、二人に見合った解決策を考えてみました。それで、僕の考えは……」

 

 

 
 ジリリリリ……ジリリリリ……ジリリリリ……

 

「―――あ」
 脳内を駆け回る目覚まし時計の音に、イザーク・ジュールはようやく目を覚ました。
 見慣れた天井を眺めること数秒、睡魔の力になんとか抗い、腕を伸ばして目覚まし時計を止める。そして、伸びを一つ。無意識に二段ベットの下を覗こうとした自分に気づき、イザークは頭を振った。

 

 気だるい朝だった。ここ一週間程続く、眠れない夜をすごした後に迎える朝だった。
 ミッドチルダ北部が雨雲を寄せ付けないおかげで、昨夜もその前の夜も、茹だるような暑さが残っていた。
 とはいえ、それだけでイザークが良く眠れなかったわけでもないのだが……。

 

 イザークはゆっくりと上半身を起こした。目に映るのは、薄暗闇に伸びる一筋の光。
 もう朝だ。
 カーテンを開けようとして
「ヌァッ!」
 ベットの梯子から降りたイザークの足に、何かの小片が突き刺さる。おかげで寝起きの気だるさを吹き飛ばせたが、じくじくとした痛みが現れるまで一秒とかからない。
 足の裏にできた血豆に舌打ちをし、イザークはドサリと腰を下ろした。
「なんだって今日も……」
 軽く悪態をつく――が、返ってくる言葉はない。
 それもそのはず。
 今この部屋に居るのは、彼一人なのだから。

 

 傷テープを取り出し、無造作に張り付ける。ちなみにこれで、左右合わせて計七度目。
 同じことの繰り返しに呆れてため息をつくと、イザークは部屋全体――あの日のまま変わらない、薄暗がりの中に浮かぶテキストやプリント、砕けたコップ達――を見渡した。

 

 
 先週のことを、イザークは思い出してみる。
 はじめは、嬉しかっただけだ。いつも鍔ぜり合いをしてきた相手に差をつけた。だからこそ、気軽に声をかけていた――何をやっている? と。

 

 スタートボタンを押された記憶のテープは、ゆっくりと再生されていき――――

 

『遺伝子弄って作られた人間相手に、どんなにあたしが頑張っても勝てるわけないってことよ』
 イザークは、コーディネーターがどういった意味を持つのかを知らないわけではない。かつては、ナチュラルへの偏見を持っていたから尚更なこと。
 だから、ティアナに自分達がコーディネーターだから負けたと言われ、何故ミッドに来たのかを問われたとき、イザークは己の今までの努力を踏みにじられた、と思ってしまったのだ。
 コーディネーターはそもそも、魔法を使うことが前提で生み出されたわけではない。

 

『何が戦争で逃げさせられた……よ。なんで……どうしてミッドなんかに来たのよ』
 そして、もう一つ。イザークは、自分達だけが戦争とは無縁の世界に逃がされたことが辛かった。来たくてミッドに来たわけではない。ただ、リンカーコアが自分の体にあったから。
 もしそんなものが無ければ、彼はミッドに来ただろうか。
 答えは――否、だ。

 

 結果、爆発することになったイザークの感情。
 部屋に戻った後も、彼の心は収まりはしなかった。
 部屋に入ったと同時に、イザークは己の拳を壁面に叩きつける。
(家族を捨てただと!)
 一度では終わらず、その数は二度三度と増えていく。拳には血が滲み、鈍痛を引き起こす。ずきんずきんとした、脈打つような熱を帯びた痛み。だがその痛みでさえも、イザークを止めることはできない。むしろそれさえもが煩わしさとなり、
(ふざけるなッ)
 机に置かれたテキストやプリントが、嵐で吹き飛ばされる木の葉のように宙を舞う。
 暴れる拳に巻き込まれ、ひとつのコップが壁に叩きつけられ……

 

 
 ――ブツン

 

 そこで、イザークは記憶のテープを止めた。
 今はほぼ完治しているが、軽い打撲と診断された左手に目を落とす。拳を作り……広げて、また握りしめる。
 そして、片付けることをしなかった部屋の中に視線を向けた。
 捉えたのは、足元に散乱するテキストやプリント、光を受けて煌めくコップの残骸。
 すべてあの日のまま。片付けようと思って、結局はそのままにしていたままの数々。
 見ていて気が滅入らないわけがない。
(……顔でも洗うか)
 鉛でも入っているのかと疑わせる程、体が異常に重たいとイザークは感じた。
 ベットの手摺りの力を借りて立ち上がり―――ふとその時、イザークの頬を冷たい風が撫でる。

 

 昨夜から閉じたままの扉が、いつのまにか開いていた。

 

 
 明かりの点いている廊下。
 点いていない室内。
 逆光の都合で、相手の顔はわからない。
「誰かは知らんが入るときはノックくらい「ノックならしたさ」…!?」
 そこで言葉は止まった。
 理由は一つ。イザークの目の前に立つ少年が、アスラン・ザラだったことに外ならない。

 

 突然の来訪。呆然とし気分で、イザークは固まっていた。
 一方で部屋の有様に唖然としたのか、アスランは自然とため息をつく。
「暴れるのは勝手だが、片付けくらいはするべきじゃないのか?」
 そう言いながら、ドア付近に散らばるプリントを拾い上げると、思い出したように一言。
「それに、一度くらいはディアッカの見舞いに行ってやったほうが良かったんじゃないか」
「うるさいッ! 貴様には関係ないだろ」
 イザークの返した言葉は、条件反射に近かった。
「なんの用だ」
「イザークとティアナについて「帰れ」……他に言い方はないのか」
 さすがにムッとしたのか、アスランは眉間に皺を寄せる――が、口調はまだ平静を失ってはいなかった。
「はっ、貴様なんぞにはそれで充分だ」
 だが、アスランは自分の中で言葉と感情が距離を開けていくのを感じていた。
 イザークの返事は全てそっけない。どこか切り捨てるようなイザークの対応にアスランの表情が僅かにきしむ。
 沈黙。
 それは瞬く間に充満した、気まずく、息が詰まりそうな空気のせいだった。
「わかったら俺に構うな」
 それだけを言い残してイザークは部屋を出る。
 すれ違う瞬間、イザークはアスランを威圧するように見下ろしていた。

 

 
 
 数分後。

 

 イザークは、黙々と歩いていた。
 背後には、部屋を出てからずっと人の気配―――誰なのかは知っている―――が付いて来ている。
 振り返ることなく、イザークは歩き続けていた。
 ……ヒタヒタ。ヒタヒタ。
 ……ヒタ。ヒタ。
 ………ヒタヒタヒタ。ヒタヒタヒタ。
 廊下に響いた足音は、常に一緒だった。歩く速さを変えても、すぐに二人の足音は重なった。
 ……ひたひた。ひたひた。
 ……ひたひた。ひたひた。

 

「おい……どういうつもりだ」
 耐え切れなくなったのか、イザークは振り返る。
「何のことだ」
「人の足音に合わせて歩くな、うっとうしい」
「それは俺の勝手だ。イザークが俺の話を聞かないなら、俺もイザークの話を聞くつもりはない」
「貴様、何様のつもりだ」
 

 

「……俺様」
 その瞬間から、二人の視線が外れることは無かった。まるで、互いに銃を向け合っているような殺伐とした空気が生まれる。
 無言で睨み合うこと数秒。

 

 最初に生まれた音は、大きなため息によるものだった。

 

「諦めたらどうだ、イザーク」
 いつの間にか現れたのか、
「ディアッカ!?」
「よぉ、一週間ぶりだな」
 軽い声に苦笑を混ぜて、ディアッカが軽く手を挙げた。そして、渋い顔をしながらアスランに念話を使う。
(ていうか、アスラン。イザークに話するんなら、お前が煽ってどうすんだよ)
(……すまない)
(イザークとティアナのことを見逃せないって言ってもな、自分の向き不向きくらい把握しろ。ま、努力は買うけどな)
 ディアッカはそれだけを伝えると、イザークに話し出した。

 

「相変わらずだな」
「ほっとけ」
「まあ、今さっきのこととか、この一週間お前が何をしてたかは聞かないけどな……そのかわり、ティアナとおまえについて言ってもいいか」
 その言葉にピクッと反応して、イザークは、おまえもかブルータス、と言わんばかりの視線をディアッカに向けた。
 だがそれには取り合わず、ディアッカは言葉を続ける。
「とりあえずイザークはティアナに謝って欲しいんだろ」
「当たり前だ」
「だったらおまえらしく、勝負で決着をつければいいんじゃねーか」
 ディアッカはそう言うと、どこから取り出したのか、封筒、紙、ペンを差し出した。
 予想外のことだったのか、イザークの視線はディアッカと彼の手を行き来させる。
「勝負……だと」
「ティアナといい、おまえといい、意地っ張りで強情だから話し合いなんかで自分の意見を譲る人間じゃない。……それくらいは分かってるだろ? だーかーら、条件つけてティアナと勝負しろよ。おまえが勝てば、謝ってもらえるし。――まあ、負けたら土下座とかだろうな」
 呆然とした様子のイザークに、どうだ? とディアッカは告げる。そしてイザークが口を開く前に、のほほんと和んだ風情で一言を付け足した。
「まさか……負けるのが嫌だから、なんて臆病なこと言うなよな」
「当たり前だ!」
 付け加えられた一言に、イザークの癇癪が破裂する。
 イザークはディアッカの顔――僅かばかりとはいえ、己より上にあるソレは、時に気にくわない。
「貴様まで俺を愚弄するつもりかァ!」
 激昂したイザークは、ディアッカにつかみ掛かる。
 が、ディアッカは慌てずに、いつになく真剣な眼差しをイザークに向けた。
「冗談に決まってるだろ。それに真剣勝負になったら、お前は誰よりも正々堂々――そうだな……言うなら高潔な騎士みたいに戦うはずだ。それだったら、試合の中で互いの気持ちをぶつけやすいだろ?」
 ディアッカの言葉に――屈託のない笑みに、イザークは頬に熱が走るのを意識した。
 視線をそらし、ディアッカから紙とペンを奪うように引ったくる。おかげで、小さく作られたディアッカのガッツポーズには気づかない。

 

 そして、
「少し待ってろ」
 イザークは歩き出していた。

 

「カッコ悪いな」
 イザークが廊下の角を曲がるまで見送ると、アスランは吐き捨てるように言った。自分で何とかするといいながら、結局はディアッカに助けられたことに、アスランは自己嫌悪を感じずにはいられない。
 そんなアスランを見て、
「いいんじゃねーの、カッコ悪くて。最初からなんでもできないことくらい、わかってるだろ?」
 ディアッカは無表情な顔で淡々と告げた。
「偉そうに言うんだな」
「あのさぁ、俺はお前より2年も人生の先輩なんだぜ」
「……」

 

 ――2年。
 短くもなく、長くもないその期間。
 だが、まだ10代の半ばでしかないアスランにとっては、余りにも遠い先だ。
 そして何年経とうとも、ディアッカは2年先を行く。
 当たり前のこと――だからこそ、これからもソレは変わらない。
 そんな、答えが出ている考えを続けようとした矢先、
「それより一つ聞いていいか?」
 ディアッカの声がアスランの思考に楔を打つ。
「なにをだ」
 見据えてくるアメジストの双眸に、アスランは問い返すと、
「なんで仲良くもない奴らの仲介をする気になった? 同情? 自己満足?」
 どこか挑発的な声が耳に届く。
 確かに第三者からの目で見れば、アスランとティアナの関係は友達というよりもただの知り合いに近いだろう。
 だがそれでも、あまりの言われよう――後半部――にアスランは俯き、唇を噛む。
 ただそのせいで、ディアッカの目が彼の真意を探るように動いたことに気づかなかった。
「俺は……」
 しばしの逡巡。だが、アスランは言った。
「俺はイザークとティアナが……二人が互いに何を想っているのかを知らないまま、今のままでいることが嫌なんだ」
 ――もっと話をしていれば。
 ――もっと相手の心を理解してやれていれば。
 後で後悔しても、もう遅い。そしてその想いは、
 ――もっと何か、俺にできることがあったんじゃないのか。
 アスラン自身に向けて、でもあった。
 それは、ふとアスランが気を抜いた時になぜか沸き上がる、理由のわからない後悔の念のせいなのかもしれない。

 

「だから……もし俺に何かできることがあるなら、やってみたい。それが俺の理由だ」
 アスランは、全てを言い終える。所詮はただの願望。ずっと下を向いたおかげで、ディアッカの表情はわからないが、嗤われると思った。
 だがいつまで経っても、なんの声も聞こえない。
 アスランは、ゆっくりと顔を上げる。
 ディアッカは嗤ってなどいなかった。ただ、どこか納得したようにコクコクと首を振っていた。
「後悔したくないってのは、イイんじゃねーの」
「え……?」
「で、そう思ってるなら、さっさとイザークから果たし状貰ってこい。そろそろ書き上がるだろ」
 強めにアスランの背中を叩くと、ディアッカはにやりと笑ってみせる。
 そんな、どこか満足しているように見えたディアッカの笑みに、アスランが返す言葉は一つしかなかった。
「わかった。行ってくる」

 

 

 時間を巻き戻すことおよそ10分。
 ディアッカがイザークに再開していた頃――――
 

 

 宿舎脇の樹木に身を預け、ティアナ・ランスターは息を整えていた。
 ちくちくとした芝特有の感触を気にした様子もなく、だらりと伸びた腕には、ついさっき汗を拭ったタオルが握られている。
 そして、気まぐれに吹く早朝の冷たい風が、自主練で疲れた彼女の熱を奪い、溜まった疲れを癒す。
 空は、雲一つない快晴。爽快さを感じさせるまでの青一色だった。
 けれど――その青を眺めていたティアナは、大きく息を吐く。

 

 ティアナの自主練の成果はいまひとつだった。それは、いつものメニューを終える前に息が上がってしまったことにある。早い疲労――無駄な動作の増加――にティアナは自分を呪った。
 その原因にまで考えが進みそうになり、ティアナは首を振って追い払う。
 今それを考える必要はないと自分に言い聞かせ、ティアナは気持ちを切り替えようと深呼吸する。

 繰り返すこと数度目。いつの間にか、二人分の靴が視界に入り込んでいた。
 顔を上げ、ティアナは立ち上がる。それを待っていたかのように、来訪者が話し出した。
「お疲れ、ティア」
「今は休憩中ですか?」
「そうよ。ところで何か用? スバル、ニコル」
「あ、はい。実はイザークの「あいつのことで話すことはないから」……」
 言い終わる前に、ティアナは一言で切り捨てる。二人が言いたいことはすぐにわかった。だからティアナは、うんざりとした気分になってしまう。
「じゃあティア、みんなでまた一緒に勉強しないかな」
「わるいけどパス。あたしは一人でやるからいいわ。……けどスバル、あんたがニコル達と勉強したいなら、あたしは止めない。あんたが決めたことだしね」
 即答だった。
「僕は、できればみんなでやりたいんです。もちろん、ティアナとイザークも一緒に」
「あたしがそうすると思う?」
 これ以上は付き合わないという意味を籠め、ティアナは背を向けると、ホルスターからデバイスを取り出す。
「イザークに会えば、どうしてもあの時の話になるでしょ。あいつだって、あたしとは会いたくないだろうし、話もしたくないんじゃない?」
「ですが、それはつまり……」
「ティアは今のままでいいの?」
「何が?」
「ティアナは、お兄さんのことを悪く言われたままでいいのか、ってことですよ」
「別にそう思いたければ、そう思えばいいのよ」
 ほんの少しだけ、デバイスを持つ手に力が入ったことを自覚しながらも、ティアナは言った。
「けど、ティアが今頑張っているのは、お兄さんが無能じゃなかったって証明するためでしょ?」
 ティアナの前に回り込み、スバルは自分の視線をティアナのデバイスに注いだ。
 ティアナには目標がある。
 それは兄の夢であった執務官になること。そして、兄の魔法は役立たずではないと証明することだった。
 それに、とスバルは続ける。
「ティアは、イザークさんのことを考えて会わないつもりみたいだけど、それって嘘じゃないかな」
「……嘘じゃないわよ」
 ティアナは否定した。すると、背後の―――回り込まなかった―――ニコルが小さく息を吐く。

 

「それなら、一つ聞かせて下さい。ティアナはあの日から今日まで、イザークと何か話しましたか」
「話しなんかしてないし、会ってもいないわよ」
「だから嘘なんです。話しすらしなくて、人の気持ちがわかるだなんて―――ただの驕りですよ」
 いつもとは違い、ニコルは冷たく言葉を吐き出した。
 その言葉に、刺々しさはない。
 けれどニコルの言葉は、自分を包み込んでくるような錯覚をティアナに感じさせる。
「ティアナは逃げているんじゃないですか? イザークと会ったら、テラスでのことを考えなきゃいけない。話さなきゃいけない。だから、イザークのことを避けている」
 ――逃げている。
 その言葉に、ティアナは苦い気持ちになった。違うと言いたい。否定したい。
 けれど、何も言うことが出来なかった。
 否定したところで、その言葉に真実味を持たせる自信が無かったからかもしれないし、逆に認めるのはどこかみっともない気がしたからだ。
 だからティアナの口からは、なんの言葉も紡がれない。
 いつの間にか下を向いていたティアナが見えるのは、自分の両足。そしてその足を中心に、周りよりも凹凸を深めた地面だけだ。
「……今言ったことは、ただの僕の考えです。誰が何を考えているかなんて、僕にはわかりません。だけど、これだけは言えます」
 どこか淡々としている声が、一度止む。ティアナは、ニコルが息を吸ったのが聞こえた。
 そして、
「ティアナは、本当に今のままでいいんですか」
 疑問とも、確認とも取れる口調でニコルは言った。
「じゃあ、どうしろって言うのよ」
 ティアナは、ほとんど反射的に返す。言葉を背後に向けて投げ掛ける。

 

「だから、あたし達は考えてみたんだ……」
 一拍の間を開けて返ってきたのは、ニコルではなく――
 顔を上げたティアナが見た、自分の胸の前で握りこぶしを作るスバルの声だった。
「話だけでも聞いてくれないかな」
 スバルは、ティアナの目をじっと見る。
「話しだけだったら、いいよね」
 そのまっすぐな視線を向けられて、ティアナが気づいた時には、既に自分の首を縦に振った後だった。

 

 スバル達の話を聞いたティアナは、ぽつりと呟いた。
「……あんた達、あいつがその話に乗るなんて思ってるわけ?」
「乗るかはわかりません。けど、二人が口下手で強情で意地っ張りで頑固だから、言葉で解決なんてできないと思います。いえ、絶対できません」
 対するニコルの言葉は、断言だった。
 ティアナは眉間に皺を寄せるが、
(ニコルの言い方は癪に触るけど、あたしとイザークが言葉だけで解決したことがないのは事実なのよね)
 逆にどこか納得してしまう自分自身に気づいていた。
 何を言えばいいのだろうと考える矢先、ティアナの耳に駆け足が聞こえ始める。
 近づく音。
 さ迷わせた瞳が見つけたのは、宿舎から飛び出してきたであろう少年――アスラン・ザラだった。
 アスランはティアナの前で急停止。そして唐突に封筒――手紙らしきものを突き出した。
「何よこれ」
「中を見ればわかる」
 ティアナはそれを訝しげに受け取り、封を切る。
 中の書面は、実にシンプルな内容だった。

 

 ―――貴様にファイトを申し込む―――

 

 白黒はっきりするために、勝負したいらしいという補足をアスランが加え、ティアナは無言のまま紙を見つめる。そして、目の前の三人を順に見ていった。
「たまたまイザークの部屋の前を通ったら、偶然会ったイザークに、これをティアナに渡してくれって言われたんだ」
「……煽った?」
「俺達は二人が仲直りできる一番簡単な解決案を考えただけだ」
「で……なんで果たし状になるのよ」
「それは、勝負をするからじゃないですか」

 

 それで、どうしますか? という視線が、ニコルからティアナへと向けられる。
 すぐに返す言葉は見つからず、ティアナは今一度果たし状に目を降ろし、言われたことを胸の中で反芻する。
 とはいえ、それで首を縦に振らさせない自分がいることが、ティアナにはわかっていた。
 謝らせるという理由。無理矢理謝らせて、それでいいのだろうか……
 
 沈黙の中、ティアナの表情を―――ティアナの瞳を見続けていたスバルが口を開いた。
「……謝らせるっていうのが嫌なら、この勝負でランスターさんの弾丸の強さを証明してみたらどうかな?」
「えっ……?」
 声を出したのはティアナだが、アスランとニコルも不思議そうな顔でスバルを見つめる。なぜ急に、ティアナではなくランスターと言ったのか、と言いたげな顔を三人はしていた。
 自分の言葉がきちんと伝わっていないと気づき、スバルは慌てて言った。
「えっと……ティアのお兄さんも含めて、ランスターの弾丸はどんな敵も打ち抜くことが出来るんだっていうこと」
 一瞬の沈黙。

 

「理由にするなら……」
「いい考えだと思います」
 スバルの隣に立つ少年達は、賛成だった。

 

 一方で、ティアナは黙ったまま、己のデバイスに視線を落とす。
 ランスターの弾丸。
 ランスターという姓を含めたその言葉に感じたのは、プレッシャーだった。
 たしかにスバルの考えは、ティアナの迷いを無くすには一番いい考えだったかもしれない。
 けれどそう思った瞬間、ティアナの心に浮かんだのは、不安だった。
 いずれ、ティーダ・ランスターの魔法が役立たずではないことを証明するには、避けては通れない道だ、と昔から思い続けていた。
 けれど今、その決意を鈍らせるように重い何かがのしかかる。
 もし勝負に負ければ、自分からイザークに兄の魔法が役に立たないことを認めるようなものだ。
 ランスターの弾丸。
 その言葉の意味に、ティアナは自分の拳を、グローブが血に染まるのではないかと思わせるほどに握りしめる。
 不安、迷い、恐れ。
 沸き上がる感情の因果か、ティアナの頭の中は心臓の波打つドクドクという音に侵食され始めていた。

 

 ――――あたしは……
 どうしたらいいのという思いは、頭の中で響き続ける鼓動に乱される。
 思考は阻害され、何かを語りかけようとするアスランとニコルの声もまた、響き続ける鼓動に掻き消されてしまう。

 

 もちろん、
「ティア!」
 スバルの声も届かない。

 

 それでも、
 ――ティアナの肩に置かれた手が――
 それだけじゃなく、
 ――ティアナの目に注がれたまっすぐの視線が――
 ティアナの惑う心を引き上げる。

 

「……スバル?」
 そして、ティアナは聞いた。
「大丈夫だよ。ティアならきっとできる」
 迷いを感じさせない口調。
 その言葉に、なんの確証が有るのだろうか―――――否。スバルはただ、ティアナが頑張ったら、気持ちで負けなかったら、イザークに勝てると思っただけなのかもしれない。
「だから……ね?」
 ただ、しっかりと前――自分――だけを見つめるスバルの瞳にティアナは吸い込まれてしまう。
(どうして……)
 スバルの瞳に宿るのは、純粋なまでの輝き。
(あんたを見てるだけで……その笑顔があたしに元気をくれる……)
 それが、スバル・ナカジマという存在なのかもしれない。
 ティアナが仲良くするつもりがなくても、彼女のことをティアと呼び――――
 ティアナを時には強引に引っ張り、こうと決めればまっすぐなまでの言葉をぶつけ、ティアナを励ます。
 

 

 いつの間にか、ティアナの握られた拳が震え出していた。
 だがそれは、不安ではない。
「しょうがないわね。あんた達がそんなにさせたいなら――その勝負、受けて立ってあげる」
 不安を振り払うための――そして、己を奮い立たせるための心の鼓動だった。
「あんたには根負けよ」
 スバルに言い聞かせるように話しながら――けれど、ティアナけっしてはスバルを見ない。
「一つ忠告してあげるけど、そのしつこさはどうにかしたほうがいいんじゃないかしら、スバル?」

 

「……うん。わかった」