概要
BR・Tier
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| Tier | 1 |
| BR | I |
車両性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 乗員(人) | 3 |
| 砲塔旋回速度(°/C) | 16 |
| 俯角/仰角(°) | -15 / +20 |
| リロード速度(秒) | 2.9 |
| 最高速度(km/h) | 48.09 |
| 車体装甲厚 (前/側/後/底)(mm) | 12/12/10/9 |
| 砲塔装甲厚 (前/側/後/上)(mm) | 30/12/12/9 |
| エンジン出力(rpm/hp) | 1400/102⇒1400/120 |
| 重量(t) | 7.7 |
武装
| 名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
|---|---|---|---|
| 主砲 | 九四式三十七粍戦車砲 | 1 | 119(APHE:60 HE:59) |
| 車体機銃 | 九七式車載重機関銃 | 1 | 3000 |
解説
特徴
ーー加筆求むーー
【火力】
貧弱。榴弾が実装されこそしたもののそれでも歩兵に対する制圧力はそこまで高くなく、適当に撃っていると徒に砲弾を消費するだけである。かと言って機銃も射角が限定されておりとても頼れる代物ではない。
【装甲】
12mm機銃にすら貫徹される装甲は薄いとしか言いようがない。
【機動性】
まあまあ。軽戦車なので軽快ではある。
【総論】
貧弱な軽戦車。
史実
【車輌】
1930年代、日本初の実戦配備戦車として中国戦線に投入された八九式中戦車は、満州の泥濘を奥地奥地へと逃げ込む中国軍に対する追撃戦に於いてはその鈍足さが目立ち、歩兵部隊に随伴することが難しかった。これを解消するために投入された九二式重装甲車などの軽便な車輌が意外な活躍を見せたため本格的な機動力重視の戦車開発を開始。軽戦車である本車が中戦車*1を補助しつつ戦闘する形の戦術が構築された。
完成した九五式軽戦車は早速実戦投入された。ノモンハン事件ではソ連軍の快速戦車部隊と交戦し、猛訓練の成果である優秀な連携戦術で戦果を上げたものの、対戦車火砲相手では頼りない装甲厚だったためその活躍には限界があった。通信機器も装備しない本車は歩兵が車体後部を叩いて前進の意思を伝えるなどと言った具合で、太平洋戦争が開戦するとM3などの装甲が厚めの軽戦車を装備する米軍には非常に苦戦した。
ただ、機械的トラブルは少なかったことが幸いと言える。エンジンは頑丈且つ整備も難解でなく、マレー・フィリピンでの機動戦にてその信頼性を実証した。乗員の練度にも左右されたものの、ペリリュー島やタラワの戦闘では圧倒的格上のM4 シャーマンを撃破した記録も残っている。
【部隊】
本車を装備する戦車第五連隊は1937年(昭和12年)8月2日に福岡県久留米市で編成された。そのすぐ後に満州の牡丹江へ移動後、ノモンハン事件に参加。1942年に戦車第一師団の指揮下へと入った。連隊の一部はフィリピン・ルソン島へ送られ戦闘に参加したとされている。1945年3月に本土決戦に備え日本本土へ帰還後、栃木県金丸原に移動し、同年6月に埼玉県に配属され終戦を迎えた。
小ネタ
ーー加筆求むーー