概要
BR・Tier
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| Tier | △△ |
| BR | Ⅲ |
車両性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 乗員(人) | 5 |
| 砲塔旋回速度(°/C) | △△ |
| 俯角/仰角(°) | △△ / △△ |
| リロード速度(秒) | △△ |
| 車体装甲厚 (前/側/後/底)(mm) | △△ / △△ / △△/ △△ |
| 砲塔装甲厚 (前/側/後/上)(mm) | △△ / △△ / △△/ △△ |
| 馬力 | △△ / △△ |
| 重量(t) | △△ |
| 視界(%) | △△ |
武装
| 名称 | 搭載数 | 弾薬数 | 貫徹力 (前/側/後)(mm) | |
|---|---|---|---|---|
| 武装種別 | 名称 | △ | △△ | △△ / △△ / △△ |
| 武装種別 | 名称 | △ | △△ | △△ / △△ / △△ |
| 武装種別 | 名称 | △ | △△ | △△ / △△ / △△ |
解説
特徴
ーー加筆求むーー
【火力】
ーー加筆求むーー
【装甲】
ーー加筆求むーー
【機動性】
ーー加筆求むーー
【総論】
ーー加筆求むーー
史実
【部隊】
本連隊は1943年1月初旬、ノルウェーにおいて編成された第25装甲師団隷下の戦車連隊としてその歴史を開始した。連隊本部は旧Panzer‑Brigade 18(旧第18装甲師団戦車連隊)の参謀部を基に設けられ、さらに第Ⅰ大隊は旧Panzer‑Abteilung 214を、第Ⅱ大隊は旧Panzer‑Abteilung 40を母体に編成されていた。戦初期段階では主としてフランス製の被捕戦車で装備されていたが、1943年8月の師団フランス移動に際して、Ⅰ大隊はノルウェー残留となり、同年9月に「戦車大隊ノルウェー」として改編された。10月末には東方戦線へ転戦、師団とともに XXXXVIII Panzerkorps に編入され、シトーミル方面からファストウへ進撃し、キエフ南西道路を目指す機動作戦に従事した。1943年12月24日には 4. Panzerarmee の西側でソ連軍の大攻勢を迎え、2個戦闘群に分割されてベルディチェフ付近で待ち構える敵隊を撃退。これにより深く背後に侵入していた敵部隊を撃破し、同地の戦線裂け目を修繕する契機となった。だが激戦により壊滅的損耗を被り、連隊残余および本部のみが生存し母国へ再編のため撤収。しかし1944年7月13日にはⅡ大隊から新たに Panzer‑Abteilung 2104 が成立し、8月末には戦力を回復しつつ再び東方戦線へ転用され、ワルシャワ北方を含む予備群として投入された。1945年1月のワルカ橋頭堡戦では3日間の激闘後に撤退、その後オーデル川沿岸およびゴールス/ゲルリッツ北東部での防衛戦に転じ、2月中旬にはベルリン東方、3月にはウィーン方面で最終防衛に投入された。5月8日、ヴィンパル付近にて米軍に降伏し、ドイツ降伏翌日の5月9日にはブルン(現ブルノ)近郊にて残存部隊が戦域降伏となり、本連隊の歴史に終止符が打たれた。兵站・再編・損耗という典型的な装甲連隊の運命を辿ったと言える。
小ネタ
ーー加筆求むーー