
概要
5300ゴールドで購入できるプレミアム分隊、「第10装甲師団 第10装甲連隊」に付属する車両。
通常のPz.IV Jとは異なり、前面及び側面に追加装甲としてシュルツェンと履帯が追加されている。すぐに使用可能の戦車である。
BR・Tier
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| Tier | |
| BR | III |
車両性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 乗員(人) | 5 |
| 最高速度(km/h) | 38.69 |
| 砲塔旋回速度(°/C) | 6/ C |
| 俯角/仰角(°) | -10 / +20 |
| リロード速度(秒) | 5.9 |
| 車体装甲厚 (前/側/後/底)(mm) | 80/30/20/10 |
| 砲塔装甲厚 (前/側/後/上)(mm) | 50/30/8/25 |
| エンジン出力(rpm/hp) | △△⇒3000/300 |
| 重量(t) | 25.7 |
| 視界(%) | △△ |
武装
| 名称 | 搭載数 | 弾薬数 | 貫徹力 (前/側/後)(mm) | |
|---|---|---|---|---|
| 主砲 | 75 mm KwK40 L/48 砲 | 1 | 87(APCBC40,HE40,発煙弾7) | △△ / △△ / △△ |
| 同軸機銃 | 7.92 mm MG34機関銃 | 1 | 3000 | △△ / △△ / △△ |
| 砲塔上面機銃 | 7.92 mm MG34機関銃 | 1 | 2000 | △△ / △△ / △△ |
解説
特徴
増加装甲分、元のJ型より車体重量が増している。また、退避用の煙幕を撒く発煙弾発射機と発煙弾がない。
1枚目が指揮官がハッチから乗り出した時の視界図、2枚目がハッチから乗り出す前の照準、3枚目が砲手の照準全体図、4枚目が照準時の見え方、5枚目が運転手席の視界となっている。





【火力】
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【装甲】
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【機動性】
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【総論】
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史実
【車輌】
IV号戦車J型はH型の次の生産型。簡略化が行われている。
この車輌ではトーマシールドと呼ばれる金網型の追加装甲と戦中のドイツ軍車輌に多くみられる履帯を貼り付けた有り合わせの装甲も装備されている。
【部隊】
本連隊は1937年10月12日、東プロイセンのツィンテンにおいて第Ⅰ大隊のみをもって編成されたのが始まりである。1939年10月20日には連隊本部および第Ⅱ大隊が新設され、翌1940年1月より新編の第8装甲師団に編入された。フランス戦では第67戦車大隊を指揮下に置き、クライスト装甲集団の一翼としてベルギーからマース北岸を突破、アラス・カンブレーを経てダンケルク東方に進出。以後、レテル方面に転進し、第二次攻勢ではウェイガンド線を突破してバール=ル=デュック、シャルムに至る深い進撃を達成した。西方戦後は北フランスに残留して英本土侵攻準備にあたり、1940年11月にドイツ本国ラウジッツへ帰還。翌年4月にはバルカン戦に参加し、ユーゴスラヴィアを縦断してアドリア沿岸まで進出した。続く6月22日、バルバロッサ作戦に投入され、リヴォニアからレニングラード方面へ進出。ルーガ川・サムラ湖付近で激戦を重ねたのち損耗甚大となり、1942年初頭に後方へ引き上げ再装備を受けた。その後、一部が第2戦車連隊へ転出、残余は第8装甲師団隷下としてヴェリキエ・ルーキ、ヴィテブスク方面で防衛戦を継続した。1944年以降はリヴィウ、ブロディ、ドゥクラ峠などで後退戦を続け、1945年春には南西方軍集団所属としてブダペスト西方、オーバーシュレージエンを経てブルン周辺へ後退。5月9日、連隊の残余はブルン近郊にて降伏し、アメリカ軍に投降した部隊もその後ソ連軍に引き渡された。
小ネタ
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