設定/【死の忘却】

Last-modified: 2022-03-04 (金) 00:18:33

FF零式

オリエンスの常識であり、一般的に隣人の死の悲しみを忘れさせ癒してくれるクリスタルの慈悲と解釈されている現象。
一言でいうと「死んだ人間に関する記憶を思い出せなくなる」というもの。
とはいえ正確には記憶がなくなるわけではなく、死んだ人間の個人情報がなくなるというほうがより正確。


具体例をあげると故郷を皇国軍によって襲撃され、そこから生き延びたマキナレムはどういう幼少期を送っていたのかという記憶は残っている。しかし故郷にどういう人間がいたか思い出せず、悪いことをして叱られた記憶はあっても、どんな容姿・性格をしたなんて名前の人間に叱られたのかは思い出せない。記憶の中の登場人物がすべて「正体不明のだれか」に置き換わっているようなものらしい。
このため、オリエンスの歴史上に大きく名前が刻まれるのは人物は死とは違う昇華という最後を遂げるルシであることが多く、実際ゲーム中のクリスタリウムで閲覧できる歴史の記録でルシじゃないのに名前が明記されてる昔の人間はミリテス皇国の建国者イエルク・パラディス以外いないほどである。
これのため、死んだ人間の記憶が失われることを指して「名前を失う」と表現されることがある。


上記とは少し異なる例として、2組のアサト、ヒルハタ、ヤノの親友たちのパターンがある。
4章時に絶望的な決戦を前にしてヤノが今回ばかりは戻って来れないかもと真剣な別れをしていたが、アサトはこれは戦闘後に平然と戻ってきて大恥かくぞと茶化す。
6章時に生還したヒルハタがヤノに生還して大恥かくかもなんて言うからと呆れながらにツッコミをいれていたが、ヤノは生還して大恥云々はヒルハタが言ったはずと困惑していた。実際にそれを言ったアサトは戦死しているわけだが、「親友」が言っていたということだけ両者は覚えていたらしい。


無論、この死の忘却がクリスタルの慈悲というのはオリエンスの人間の受け取り方であり、これを施す各国のクリスタル、ひいてはパルス系列のオリエンスの神にとっては明確な目的があって行なっていること。
パルス系列のオリエンスの神は不可視世界(死後の世界)への道を開く手段として、「生きながらにして死んでいる存在、死にながらにして生きている存在=アギト」を生み出してその扉を開けさせようと考えており、そうした次元に人間の魂を高めるためにオリエンスを戦乱絶えぬ世界にしようと管理している。
したがって、人間が死者の記憶に過度に囚われると、それが厭戦感を生み、戦争を継続させるのが困難になるかもしれないことを危惧し、人間から死者の記憶を忘れさせているという、ろくでもない事実が「クリスタルの慈悲」の真相である。


死んだ人間の記憶がなくなるなら国家統治とか難しいのではと思われるが、それへの対策は相応にされている模様。
朱雀ではノーウィングタグが採用されており、朱雀民は生まれた時から自分の名前が刻まれたタグを持ち歩くこととされていて、死んだ人間のタグを記録と照合することで死者のパーソナルデータを割り出している。唯一の例外が戦争参加するアギト候補生で、彼らは出撃の際にタグを司令部に提出しなければならない。これは候補生が貴重な戦力であるため、即座に欠員を把握しなくてはならないという理由からの措置であるが、ムツキのように「最初から死ぬこと考えてるみたいでやだ」と拒否感を示す者もいる。


この設定があるため、万魔殿で時たま響く死者たちの声(「未来を約束してくれたのに」や「すべて無意味だった」と嘆いていたり、苦痛や恐怖を訴えいたり)の中に「だれか私の名前を呼んで」と悲痛な叫びが混ざっている。オリエンスでは死んだ者の名前が生者に呼びかけられることはないのである。

余談

同じファブラ神話作品であるLRFF13にて至高の神が執り行おうとしていた儀式として忘却の禊というものがあり、関連性が指摘されている。
しかしながら、こちらは死者の魂が存続できるのは生者との縁があるからという前提があり、生者から死者との縁となる要素をすべて消し去ることによって逆説的に死者の魂を消滅させるということを狙ったものであり、凶悪さが桁違いである(FF零式の死の忘却は記憶そのものが消えるわけではないし、死者の魂もなくなるわけではない)

DFFOO

FFシリーズのクロスオーバーであるから現象としてあるわけではないが、零式から出演しているキャラクター(特にエースやレム)の価値観が死の忘却があるオリエンスの理を前提として成り立っていることがストーリーで強調されており、死んでいった存在の記憶を覚えていることに戸惑いにも似た感情を示す描写が多い。
そのため、カイアスがオリエンスの理を元の世界に取り入れようと企み、それに憤る他の世界の仲間たちを見て、ひどく動揺する描写もある。

  • その価値観の乖離に悩み続けていたところへ、自分たちが既にして死者であり帰れる場所など何処にもないと知って、とんでもない暴走をしでかすとある0組のエピソードも本編にあるなど、けっこう優遇されている感がある設定である。
  • クラサメと遭遇した際も、彼がすでにして死者であるため、0組の面々はクラサメのことを思い出せなかった。