鹽竈神社
住所:宮城県塩竈市一森山1-1
主祭神:塩土老翁神、武甕槌命、経津主神
一宮:陸奥国一宮
社格:国幣中社・別表神社
主な祭礼:7月10日(例祭)
webサイト:陸奥国一宮 塩釜神社
↑神門↑
(由緒:現地案内板より)
古来、陸奥国一宮と称されている。その創建年は不明であるが、弘仁式主税帳(820)の記録から、
九世紀前半には朝廷より祭祀料をいただく有数の神社として存在していたことがうかがわれる。
古来、陸奥国一宮と称されている。その創建年は不明であるが、弘仁式主税帳(820)の記録から、
九世紀前半には朝廷より祭祀料をいただく有数の神社として存在していたことがうかがわれる。
古代においては、この地が陸奥国府・多賀城の国府津であったこと、
陸奥国内の製塩の中心地であったことなどが、塩釜神社の創建や社名に関連していると考えられている。
その後、平泉の藤原氏、陸奥国留守職の伊澤氏、仙台藩主の伊達氏などの庇護を受け、今日にいたっている。
これらに関係する人々や神社と縁のある人々の寄進した文物等が境内及び塩釜神社博物館に多くみられる。
現在の社殿は、第四代仙台藩主・伊達綱村が元禄8年(1695)に塩釜の町づくりと比に
神社造営の工事に着手し、宝永元年(1704)第5代藩主・吉村の時に完成したものてある。
「三本殿二拝殿という全国でも類例がほとんどない社殿構成で、整然とした配置計画も優れていること。
本殿・幣殿・廻廊は、正統で装飾を抑えた意匠で、拝殿の古風な細部様式や門等の華やかな様式と
絶妙な諧調を創り出していること。」
これらが江戸中期の神社建築として価値が高いと評価され、平成十四年(二〇〇二)十二月、
国の重要文化財に指定された。
↑社殿↑
↑撫で牛↑
↑文治の燈籠↑
↑銅鐡合製鐘楼↑
↑御文庫(旧鐘楼)↑
(以下、余談)
志波彦神社が明治時代に当地に遷座したことから、正式名称は志波彦神社鹽竈神社といいます。
神社境内には鹽竈桜(シオガマザクラ)があり、春のシーズンとなると毎年のように取り上げられます。
また、東北地方で最も多くの初詣客が集まる神社であることでも知られています。
志波彦神社が明治時代に当地に遷座したことから、正式名称は志波彦神社鹽竈神社といいます。
神社境内には鹽竈桜(シオガマザクラ)があり、春のシーズンとなると毎年のように取り上げられます。
また、東北地方で最も多くの初詣客が集まる神社であることでも知られています。
春の桜でもなく、冬の初詣でもない、真夏でしたので、
参拝客はさほど多くない、ほどほどの人出でした。
陸奥国一宮とされていますが、延喜式神名帳に記録がなく式外社とされています。
しかし、当時は異例ともいえる祭祀料を受けていることから、この扱いについて矛盾が残ります。
古くは奥州藤原氏、奥州管領や仙台・伊達氏の厚い信仰を受け、社領の寄進・社殿の造営などが行われました。
東北では随一の歴史が残る神社のひとつではないでしょうか。