当紳宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し、高千穂峯に天降りまして
皇基を建て給うた肇国の祖神(天孫瓊瓊杵尊)をお祀りしているお社です。
旧記によると欽明天皇の御宇(西暦五四〇年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、
その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から五百年前現在の社地へ御鎮座になりました。
いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳五年(一七一五年)に造営寄進されたもので、
絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。
特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鶯帳りが施されている。
明治七年二月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。
畏くも昭和天皇陛下には二度にわたる御親拝を賜っております。
平成元年五月国の重要文化財の指定を受け、海抜五〇〇米の此の地からは遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が
実に雄大であります。高千穂峯(標高一五七四米)頂上には神代の旧物“天の逆鉾”があり、
中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。
明治の神仏分離令が発せられるまでは「西御在所霧島権現」と称していました。
周辺の修験僧による霧島六所権現の中心的役割を果たしていました。
今も昔も霧島地域の中心的の役割を果たしているのですね。
朱塗りの社殿・本殿・勅使殿から「西の日光」とも言われるそうです。
この社殿は薩摩藩第21代藩主・島津吉貴公により1715年に創建されたものです。
平成元年に国の重要文化財に指定されています。
日本最初の新婚旅行といわれる、坂本龍馬とおりょうの2人が当地を訪れています。
天の逆鉾をみて「その形、たしかに天狗の面なり。二人大いに笑いたり…」というエピソードが残ってます。
同じ年、龍馬は西郷・大久保・木戸と会い、薩長同盟を成立させたという一年です。
霧島市公式サイトに詳しいコースが載っています。西南雄藩にも立ち寄っているんですすね。