生まれ
うえすぎさだかつ
1604年生まれ
1645年没
どんな人?
上杉景勝の長男
出羽米沢藩第2代藩主
生母は正室ではなく、側室
西園寺家の一門の家の出の女性
定勝を産んでからすぐに死んでしまったため、直江兼続とお船の夫婦が養育した
6歳・・・2代目将軍徳川秀忠に拝謁する
19歳・・・江戸城に登城。将軍徳川秀忠に会って従四位下を貰う
秀忠の計らいで、鍋島勝茂の娘と結婚
19歳・・・父親の上杉景勝が死去。藩主となる
30歳・・・三代目将軍徳川家光の上洛に従う
42歳・・・死去
逸話
●上杉家はすごく貧乏になってたので、藩政をかなり頑張った
●自分の家臣に対し、「他の家のマネをするな。質素で律儀を作法としろ」という法令を出した
●江戸幕府から命令され、キリシタンをかなり強く弾圧した
関連のある人々
父・・・上杉景勝
母・・・桂岩院(四辻公遠の娘)
妻
正室・・・市姫(鍋島勝茂の娘)
側室・・・生善院(斉藤本盛の娘)
息子・・・上杉綱勝
娘
徳姫(前田利治の妻)
虎姫(鍋島光茂の正室)
亀姫(前田利明の正室)
三姫(吉良義央?の妻)
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ