下山殿

Last-modified: 2009-11-12 (木) 10:53:00

生まれ

どんな人?

家康の側室の中で「殿」がつくのは最初の正妻・築山殿とこの人だけ

あまり身分にこだわっていない家康の側室の中で、毛並みがいいので「殿」がつきました

下山殿は穴山梅雪の養女であり、父は秋山守虎です

武田家が滅亡した時、家康は甲州にて「女狩り」を行いました

狙いは信玄の娘である22歳の松姫です

家臣達は松姫を守るために替え玉を探しました

そして白羽の矢がたったのが下山殿だったのです

当時18歳の下山殿はすでに結婚していました

が、松姫のために夫と別れ人身御供となったのです

そして27歳の時に病気となり、死んでしまいました

お気の毒な側室であります

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