富山藩

Last-modified: 2020-10-11 (日) 21:38:53

1,歴史1639年加賀二代藩主前田利常の隠居するついでに、次男利次に富山10万石を三男利治に大聖寺7万石を分けた。富山藩は次男利次が初代藩主である。当初富山城は加賀藩領であり、利次は百塚に城を建設するまで借りていようと思ったのだが、分家する時に要らない家臣を本家から押しつけられた(230年に渡る本家の嫌がらせの始まりである)上、干ばつ、洪水も相次ぎ城を建設するお金がなかった為、断念。1660年の本家との領地交換により富山城は富山藩のものとなる。その後も初代利次は泣き事ひとつも言わず黙々と働き藩の基礎を築いた。二代藩主正甫は、新田開発、薬売りに力を注ぎ藩の財政を安定させた。この二人の努力により実習石高20万石を超える事となった。だが、幕末に加賀本家の介入を受ける事になる。富山藩は10万石であるが実際の藩領は現在の富山市の一部だけである。