島原の乱

Last-modified: 2010-01-25 (月) 14:57:46

1637年10月に起きたキリスト教信者の反乱

天草四郎という16歳の美少年をリーダーにし、島原城?にたてこもり幕府軍に対抗した

が、食べるものがなくなり、島原城?内は餓死者続出

とうとう知恵伊豆?こと松平信網?が出動し、動乱は終わった

この乱で死んだ農民のおなかを裂くと、草しか入っていないという悲惨な状態だった

ちなみに生き残ったのはただ一人

山田右衛門というクルスの絵を描いた絵描きのみ