新井白石

Last-modified: 2009-10-31 (土) 23:25:43

生まれ

どんな人?

おいたち年表

0歳誕生!
 歳  
年1 歳  
1 歳   
 歳   
 歳   

江戸時代の政治家・儒学者

父は上総久留里23000石藩主・土屋家に仕えているお目付け役

白石は幼い頃からとーっても賢い子供でした

勉強が好きで、眠くなれば水をかぶってまでも勉強!というほど

12歳頃になると藩主の手紙を代筆するまでに至りました

が、土屋家にお家騒動が勃発

父がそれに巻き込まれ「奉公構え」というほかの家に勤めることを禁止されるという罰を受けて放り出されてしまったのです

そして土屋家が改易となったため、奉公構えを守る必要がなくなり堀田正俊に仕えるようになりました
が、堀田正俊青木昆陽 あおきこんよう稲葉正休に殺されてしまい、またも白石は放り出されたのです

とまぁ、子供時代は貧乏で苦労が多かった

そんな中、白石の書いた「山形紀行」が幕府儒官である木下順庵?の目に止まりました

木下順庵?は白石の才能を買い、師弟関係を結んだのです

そして順庵の推薦によって甲府藩主徳川綱豊に仕えることに

で、綱豊が徳川家宣と改名し六代将軍に

白石はそのまま家宣についていき政治の最高顧問となったのです。

今まで学んだ全てを君臣一体となって発揮

家宣も白石をすごく信頼して「正徳の治」と称されました

白石は間部詮房とコンビを組み、猛烈な勢いで新政策を推し進めていったのでした

が、徳川家宣が死に、次の将軍に徳川家継がなると幕府内で険悪なムードが

徳川譜代の家臣らは、間部詮房と白石の偉そうな態度に腹を立て、職務をサボったり、出仕しなかったり

さらに家継が幼くして死んでしまい、8代将軍・徳川吉宗吉宗となると、白石は用済みとなってしまいました

その他

著 者・・・「折りたく紫の記」「読史余論」などなど多数

ワシがやったこと・・・正徳小判を作った「質がいいと有名なのじゃ」 将軍の権威を高めた 経費節減をした 幕府の儀式作法を整備した などなど

徳川吉宗談・・・「俺さ、どっちかっつーと武を重んじるんだよ。白石みてーな文治政治するヤツ、苦手」

徳川家継談・・・「ハクチェキ?んーーーっと、んーーーっと、んーーーっと・・・・・」

ニックネーム・・・火の子 「振袖火事の年に生まれたもんで」

柳沢吉保談・・・「フフ・・・あいつに大奥がまとめられるかな?」

逸話



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祐筆の人物批評

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