生まれ
あきやまさねゆき
どんな人?
日露戦争の時の参謀役
おいたち年表
四国の松山で生まれた真之は、上京して海軍兵学校に入り、トップで卒業
軍人としては有望株だった
明治30年にはアメリカへ行き、NO1戦略家と言われていたマハンのもとで学ぶ
でもって海軍大学の教官になる
日露戦争が始まると、連合艦隊の作戦参謀に任命された
ここで作戦参謀として大活躍し、日本を勝利に導く
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その他
親友・・・正岡子規
残念だったこと・・・帝大にいけなかったこと「家が貧乏だったので・・・」
大好物・・・煎り豆「いつもポケットにしのばせてます」
感謝してる人・・・司馬遼太郎 「坂之上の雲で主役になってから、とても有名になりました。それまでは無名に近かったんで(^^;)」
感謝してる人その2・・・お兄ちゃんの秋山好古 「家がびんぼーだったんで両親がボクを寺に出そうとしたんです。けど、兄が将来自分がお金を稼ぐから、頼むから弟を出さないでくれとお願いしてくれたんです。今のボクがいるのは兄のおかげです」
東郷平八郎談・・・「秋山の頭は水が湧くように智謀が湧いてくる」
坂本俊篤談・・・「彼は海洋大学の教授になるべきだ。海軍大学校の父といわれた私が言うのだから間違いない」
名セリフ・・・「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」
信じているもの・・・「日蓮宗」
むかついたこと・・・第二水雷戦隊司令官を命じられたこと 「正直、不服でした。むかつきました」
友人A談・・・「宗教にこだわっちゃってまいったよ~。いつも勧誘されまくったよ」
友人B談・・・「彼は本当に頭がいい人でしたね。次から次へと色んな案が出てくるんです」
医者A談・・・「盲腸炎になりましてね、手術しなくちゃ治らないといってるのに信仰の力で治すと言い張りましてねぇ。手術も輸血もしないんで、本当に死んでしまいましたよ」
逸話
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関連のある人々
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祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ