生まれ
磯禅師?の娘である
どんな人?
源義経の愛妾
おいたち年表
1167年 | 1歳? | 誕生? |
1182年 | 16歳? | 神泉苑で雨乞いの舞を舞うが成功。後白河法皇から『日本一の白拍子』と賞賛され有名になる |
1184年 | 18歳? | 御所の宴席で義経と出会う |
1185年 | 19歳? | 女人禁制の吉野山で義経と別れる。京都へ帰ろうとするが捕らえられ、鎌倉に送られる |
1186年 | 20歳? | 鶴岡八幡宮で義経を想い、舞を舞う |
義経の男児を産むが源頼朝の命により由比ヶ浜に捨てられる | ||
1189年 | 23歳? | 出家して宥心尼と名乗る |
逸話
●鶴岡八幡宮で頼朝の命より鎌倉繁栄の奉納舞を懇請されるのに対して静は
『しづやしづ賎のおだまきくり返し 昔を今になすよしもがな』
『吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき』
と義経を想いながら唄い、頼朝を激怒させたが、妻の北条政子の取り成しによって命は助かり、後に京都へ帰る時、政子とその娘・大姫から重宝をもらったと言う
●静の死については諸説があるためどの説も定かではない
●静に関する記録が見られるのは『吾妻鏡』のみであり、その他の逸話は室町時代初期に書かれた『義経記』などによる創作の可能性が高い
関連のある人々
●源義経・・・静の夫
●磯禅師?・・・静の母
●琴路?・・・静の侍女
祐筆の人物批評
●藤原義信・・・「『義経記』を代表する悲劇のヒロインだと思います」
●かこりん・・・「美人」なイメージがあります
祐筆
●一番手・・・藤原義信「前、義経について書いたので今回は静御前について書いてみました」