天蓋

Last-modified: 2022-07-25 (月) 02:24:46

天蓋(てんがい)とは、三重県上空に突如出現した異空間の膜である。

概要

津市役所を中心に半径40キロを球状に覆い尽くしている。いわゆる結界であり、内外の行き来は不可となっている。
電波や光はもちろん、音すらも通さないため、外から中の様子を把握することは不可能。
2002年7月2日に出現し、2102年1月現在に至るまで、日本政府および自衛隊による対応策は全て失敗に終わっている。
発生当時このドーム状物質の内部には、およそ3万人の人間が生活しており、三重大学を中心として様々な施設が隔離されている。
また、発生当時津市役所では大規模なライブイベントが開催されていたこともあり、著名なアーティストが多数閉じ込められることとなった。

隔離された著名な人物

・香取慎吾
・具志堅用高
・森口博子
・相川七瀬
・後藤真希
・松任谷由実
・竹内まりや
・薬師丸ひろ子
・沢田研二
・坂本冬美
・山下久美子
・浜崎あゆみ
・倖田來未

歴史 ※赤文字は追記部分

2002年7月2日:津市役所を中心に天蓋が出現。
2002年7月3日:日本政府より、隔離された人々のリストが発表。
2002年8月1日:自衛隊により天蓋の破壊が試みられるが失敗に終わる。
2002年8月2日:米軍による攻撃が行われ、ミサイル12発が命中するも傷一つつかないことが確認される。
2002年9月5日:米国大統領が声明を発表し、世界平和のため全国家が天蓋の破壊に協力することを呼びかける。
2002年9月6日:日・米・露・仏・中・英の六カ国合同軍が、天蓋破壊を目的とした作戦を開始。
2002年9月10日:各国の兵器により総攻撃が開始されるが、結果は失敗。
2003年4月17日:天蓋外全県民の避難が完了。核攻撃が行われるも結果は同じ。
2003年4月26日:天蓋内部から抜け出してきたと自称する人物が、ネット上に「私は天蓋の外から来た」という動画を投稿し始める。
2004年2月14日:天蓋内の様子を撮影したとされる映像が公開されるが、検証によりCG加工されたものであることが判明する。
2005年11月16日:日本全国の僧侶を集め、天蓋を破壊するための読経が開始される。声は日本中に響き渡るも効果はなく、多くの犠牲者が出る。
2008年2月18日:早稲田大学を中心としたグループが、天蓋内に侵入するための研究を開始する。
2010年12月25日:陸上自衛隊の特殊部隊によって天蓋に半径5cmの穴が開けられるが、1時間後には塞がってしまう。この際、一時的に内部との通信が回復される。
2010年12月31日:天蓋内部から受け取った情報をもとに、最新の生存者リストが発表される。
2011年3月21日:陸上自衛隊第十四旅団による突入作戦が行われ再度穴を開けることに成功するが、今度は43分で再び穴を塞がれてしまう。
2012年3月23日:三重県知事が記者会見を開き、県の放棄を宣言。以降三重県は愛知県の領土となる。
2020年3月28日:自衛隊による大規模救出作戦が実施されるが失敗に終わる。
2022年10月24日:内閣総理大臣が会見を行い、天蓋上面に施設を作りそこに居住する計画を発表する。
2030年10月29日:内閣総理大臣が記者会見を開き、津市内の地下300m地点に天蓋を利用した巨大シェルターを建設すると発表。
2055年5月19日:掘り起こした天蓋が完全に浮遊していることが判明。反重力技術界隈に激震が走る。
2060年7月20日:天蓋から浮遊するためのエネルギーを抽出する計画が始動する。
2061年1月15日:浮遊エネルギー『エーテル』の抽出に成功。
2061年8月27日:エーテルを用いた反重力技術が実用化され、国会議事堂を地上200メートルまで浮上させることに成功。
2065年1月22日:エーテルの採取権を巡り、各国間で論議が巻き起こる。
2071年6月17日:津市内に建設中であったエーテル発電所が完成し稼働開始。
2071年7月4日:エーテルの採取権を日本が死守。
2073年1月17日:天蓋内部から初の非破壊通信が送信される。
2073年1月20日:自衛隊により天蓋内部との通信が開始され、本格的な天蓋破壊作戦が検討段階に入る。
2073年1月21日:エーテルを失うことを恐れた各国が、天蓋破壊作戦への協力を拒否する。
2074年3月13日:天蓋内部の映像が初めて公開。内部の生活水準は、昭和期のものまで衰退していることが明らかになる。
2075年2月2日:自衛隊の独断により天蓋破壊作戦が実行に移されるも失敗。
2075年2月3日:天蓋内部での死者数が公式発表されるが、その数は膨大であり正確な人数は不明。
2075年2月20日:自衛隊の解散が決定。
2089年9月8日:エーテル技術により惑星間航行が可能となり、人類史において初めての火星移住を開始。
2092年1月1日:日本政府が天蓋内へ侵入するための研究を恒久的に放棄。以後日本政府は天蓋内のことを忘れるため、『エーテル塊』と呼称するようになる。
2093年2月8日:エーテル塊を火星に移す計画が始動し、実験が開始される。
2094年2月7日:エーテル塊の移動は不可能と判明し計画は頓挫する。
2095年1月4日:火星移住の安全性が確保され、順次人員が送られ始める。
2099年2月8日:エーテル塊の採取施設を除き全ての設備が停止される。
2099年3月6日:人類は火星への移住を完遂。エーテルは地球から自動転送されるため、人類はエーテル塊に対する関心を完全に失う。
2102年12月24日 天蓋の消滅が確認される。