この項目では、人民共和制国家の瑞穂について説明しています。INCに加盟している瑞穂国については瑞穂国をご覧ください。
みずほじんみんきょうわこく
瑞穂人民共和国(英語:People's Republic of Ruisy)、通称瑞穂、新瑞穂は、瑞穂島(豊洲)、烏島諸島、北洋島、その他多くの島嶼から成る人民共和制国家。首都は近野市。
みずほじんみんきょうわこく 瑞穂人民共和国 People's Republic of Ruisy | ||||
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国旗 | 国章 | |||
[添付] | [添付] | |||
国の標語 | 万国の労働者よ団結せよ | 目次 | ||
国歌 | インターナショナル | |||
公用語 | 瑞穂語 | |||
民族 | 瑞穂民族 | |||
宗教 | 無宗教 仏教 キリスト教 地下神道教 | |||
首都 | 近野市*1 | |||
最大都市 | 近野市 | |||
政府 | 人民民主主義国家 人民共和制 | |||
国家元首 | 人民主席 | 森田義秋 | ||
政府 | 政府 | 中央人民委員会委員長 | 松本寛文 | |
瑞穂人民会議全国委員会委員長 | ||||
人民大会常務委員会委員長 | ||||
国防人民委員会担当委員 | ||||
中央人民委員会副委員長 | ||||
使用暦 | 西暦2022年 | |||
国土面積 | 380,268.99k㎡ | |||
総人口 | 8500万人 | |||
建国 | 1946年11月10日 | |||
通貨 | 人民束 | |||
時間帯 | UTC+9 | |||
ISO 3166-1 | PRR/RY | |||
ccTLD | .ry | |||
国際電話番号 | +810 | |||
国花 | サクラ | |||
国鳥 | ハト | |||
議会 | 上院:人民大会 下院:瑞穂人民会議 | |||
与党 | 瑞穂共産党 瑞穂農工民主党 | |||
概要
瑞穂人民共和国は、1941年に反ファシズム、反帝国主義、新国家建設を掲げる国内の労働者階級によって結成された瑞穂人民戦線が、人民解放戦争(八月革命)を経て帝国政府を崩壊させ、瑞穂全域の支配権を確立することで成立した。
政治体制は新民主主義、人民民主主義体制。社会主義国家を標榜しながらも建国後の一時期を除いて、ソ連型社会主義、一党独裁制やヘゲモニー政党制ではない複数政党制、議会制民主主義国の形態を採っている。瑞穂国における新民主主義は、毛沢東が唱えたそれとは異なる瑞穂国独自の政治理論であり、人民民主主義と共に瑞穂国の政治原則である。
経済では、内戦による経済の疲弊、不況を乗り越え、社会主義国の中では最も繁栄しているといえる。1947年の新瑞穂成立後の一時期は計画経済を行ったが、経済を成長させることができず、その後すぐに市場経済の制度を一部取り入れた新市場社会主義(新市場経済)に転換し、さらに1958年には一部地域に自治権を有する経済特区を設けることで完全な資本主義も容認し、経済発展を遂げた。
国名
現在の正式国名は瑞穂人民共和国である。一般的には瑞穂国または新瑞穂と呼称される。
瑞穂という地名は、「みずみずしい稲の穂」という意味で、稲がたくさん取れる恵まれた国であることを指し、古来から自国を指す名称として使われてきた。瑞穂臨時人民委員会の成立後、国名の選定では、既に帝国主義のイメージが付いてしまっている瑞穂を廃止し、豊洲を採用することも検討された。しかし、国名を決定する時点では「大瑞穂国維新政府」を名乗る大瑞穂帝国の残存勢力が西部に存在していたため、瑞穂列島の正統かつ唯一の政府であることを国内外に示すために暫時「瑞穂」の国号を使用することを決定した。その後、臨時政府である瑞穂人民委員会への移行後は正式に国名が「瑞穂人民共和国」であると決定され、正式政府である中央人民政府の成立後も変更されることは無かった。以後、国名変更の議論は立ち消えとなった。
瑞穂臨時人民委員会が招集した瑞穂人民会議第一回全体会議の席上で、瑞穂農工民主党から提出された『瑞穂共和国政府組織大綱草案』では、第一条で「国名は瑞穂共和国とする。」と定めていた。瑞穂人民会議の委員で、瑞穂共産党中央委員会書記長の堺顕治は、国号に「人民」を加え、人民が代表する共和国であることをより明確にするよう意見を述べ、最終案では『瑞穂人民共和国中央人民政府組織大綱草案』と修正された。なお、堺書記長時代の瑞共は党の指導性を確立しなければならない、としていたため、党内文書では『共和国に人民を付すことは単に国名だけの問題ではない。会議上で、臨政内で、我が党の指導性を明確にすることである。』とし、瑞穂人民会議上での発言とは異なる見解を示していた。