かんぐん 官軍 Ruisinese Imperial Military Force | ||
---|---|---|
官軍旗 | ||
創設 | 1866(仁政2)年4月29日*1 | 目次 |
本部 | 信京府守矢京 | |
大元帥 | 大祝 | |
兵部大臣 | ||
陸軍総長 | 相澤文 | |
海軍総長 | 佐藤心太郎 | |
空軍総長 | 王聡 | |
航空隊部長 | 渡辺明良 | |
憲兵司令官 | 有賀峻也 | |
派生組織 | 帝国陸軍 | |
帝国海軍 | ||
帝国航空隊 | ||
帝国空軍 | ||
陸軍憲兵 | ||
徴兵制度 | なし*2 | |
総人員 | 総員 : 590,000人 陸軍 : 150,000人 海軍 : 175,000人 航空隊 : 150,000人 空軍 : 115,000人 (予備役 : 45,000人) (予備員*3 : 20,000人) | |
適兵年齢 | 16歳~50歳*4 | |
国防費 | 16兆5000万束 | |
戦争 | 庚午の乱 丙子の乱 為公団の乱 瑞瑠戦争 帝大講堂事件 人民政府事件 清洲事変 大聯合戦争 嘉楽作戦 七七事件 | |
概要
瑞穂国軍は大瑞穂国憲法の下、専守防衛の基本原則に基き国防の任を担う国内唯一の正規軍である。官軍は泰平洋における平和と安全の維持に極めて重大な役割を果たし、責任ある態度を取ることを掲げ、アジア・太平洋の安全保障に積極的な介入を行っている。戦時中は大本営を設置し指揮系統を統一し、三軍の司令官が大本営幕僚長となる。軍は抑止力として国防に有益であるとの理由から、1947年に陸軍と信京帝国大学を中心に「ウラン爆弾」の開発を開始し、これを一元的に管理するために1960年には空軍が創設された。1961年には遠心分離法によるウラン濃縮に成功、1963年に研究成果を元に核実験の「嘉楽作戦」を成功させ、世界で2番目、亜州で最初の核保有国となった。また少し遅れて1970年に水爆も完成させた。また空軍は官立星学技術研究所?とともに、宇宙における核兵器使用に関する研究を行っている。
呼称
英語では「Ruisinese Imperial Military Force」で、陸軍は「Ruisinese Army」、海軍は「Ruisinese Navy」(官軍における実質的な空軍である海軍航空隊は「Ruisinese Air Force」)、空軍は「Ruisinese Strategic Force」と訳す。国内では単に官軍、帝国軍、国軍と表記される。軍部は主に「官軍」、「国軍」、「我が軍」を使用し、国内では「官軍」の用例が最多。「官軍」には「聖上陛下の軍隊」という意味があり、「勝てば官軍、負ければ賊よ」ということわざにもある様に、反対語は“賊軍”。瑞穂国において「官軍」は国軍と同義であり、敵軍のことをしばしば「賊軍」と呼ぶ。
統帥権
統帥権は大祝にある。兵部大臣が軍政について大祝を輔弼し、陸軍参謀本部総長、海軍軍令部総長、空軍軍令部総長が軍令を統括する。陸軍の軍・師団の司令官・師団長、海軍の連合艦隊・艦隊・鎮守府、空軍の司令官・軍団長の司令長官は大祝に直隷する。
徴兵制
徴兵制は改正前の憲法に明記された臣民の義務であった。1873年に開始され、満20歳になる男子を対象に3年間の現役と6年間の予備役、10年の後備役に服するとされた。1946年の大聯合戦争終結後には、志願兵のみで必要人員を確保できるとの理由から徴兵を1年間の奉仕活動(週末の神殿勤労奉仕団への参加や兵営内清掃活動への参加、消防組への参加など)へ代替することが可能となり、徴兵による兵士は激減した。1963年に核実験が成功したことと、徴兵に対する国民意識の低下を受け、1966年の憲法改正で兵役義務は憲法から削除され、以後行われていない。但し当時から歴代の内閣及び軍部は、国家存亡の危機があった場合に復活する可能性を否定していない。
歴史
軍事参議院
軍事参議院は「軍事参議官条例」により規定される。軍事参議院は帷幄のもとにあって大元帥(大祝)の諮問に答える国家機関である。軍事参議院は大元帥の諮詢によって参議会を開くことができ、陸海空軍が共同で開催する。なお、正当な理由があれば単独で参議会を開くこともできる。軍事参議官は元帥、兵部大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、空軍軍令部総長、海軍航空隊作戦部長及び特に軍事参議官に親補された陸海軍将官で構成され、そのうちで高級古参の物が議長を務める。また幹事長として侍従武官長または他の将官を、幹事に侍従武官又は他の佐官を充てて参議会の庶務を整理する。軍事参議官は閑職であるが、派閥争いなどでは重要なポストと捉えられる。
大本営
大本営は戦時に置かれる官軍の最高統帥機関である。大祝の命令である奉勅命令を大本営命令として発する最高司令部としての機能がある。「本営」は本陣のことで、これに“大”を冠したのが大本営である。なお、大元帥(=大祝)が臨席する大演習の時は、司令部ではなく大祝の行幸行在所のことを「大本営」と称する。大本営は勅令「戦時大本営条例」に基づいて戦時に限って設置され、三軍の総長3人が大本営幕僚長を務める。大本営は「参謀本部(大本営陸軍部)」「海軍軍令部(大本営海軍部)」「空軍軍令部(大本営空軍部)」の3部で構成される。
大本営の決定期間である大本営会議は大元帥臨席のもと、統帥部長や次長、作戦部長、元帥などで構成され、兵部大臣も出席する。大本営は過去に2度置かれたことがあるが、当時は空軍がなかったので「大本営空軍部」は設置されたことがない。過去2回は本部を信京府守矢京の陸軍参謀本部庁舎に置いた。1966年の戦時大本営条例改正により、海軍航空隊作戦部長が大本営幕僚副長*5として大本営会議に出席できるようになった。大本営幕僚副長は大本営幕僚長に次ぐと規定された。
大本営幕僚長
大本営幕僚長は、戦争時に設置される統合参謀組織の長。各軍の総長が大本営幕僚長になり、大元帥臨席の大本営会議を行う。過去に2度設置されたことがある。また、海軍航空隊作戦部長は大本営幕僚長に次ぐ役職として「大本営幕僚副長」に就く。
歴代大本営幕僚長
陸軍
「陸軍?」も参照。
[添付] | |
陸軍旗 | 五芒星 |
---|
陸軍は「五芒星」を公式紋章とする。
陸軍は、大瑞穂帝国の陸戦を担当する官軍の派生組織。大祝により任命された陸軍参謀本部総長が統括する。陸軍は三軍の中で最も古い歴史を持ち、三軍の中で優位な立場にあった。陸軍には陸軍陸地測量部があり、内務省地理局と共同で国内地図の作成を行っている。他に陸軍の航空部隊に陸軍飛行隊がある。また、陸軍は密偵機関を有していると発表しているが、部隊、人数などは非公開となっている。帝国憲兵は陸軍の包括下にあり、陸軍の軍装に「憲兵」と書かれた腕章を付けている。
編制
陸軍は「総軍」を戦時中の最大の単位として、「方面軍」、「軍」、「師団」、「旅団」、「聯隊」、「大隊」、「中隊」、「小隊」、「分隊」の順に小さくなる。総軍は大祝に親補された陸軍大将または元帥陸軍大将が司令官を務める。方面軍は総軍の下に置かれるが、総軍と方面軍は戦時にのみ編成されるもので、実際には編成されたことがない。かつて置かれたものとして「北方軍(耀島の防衛)」 があったが、現在は方面軍を置いていない。陸軍には兵部大臣に属す陸軍憲兵の兵科が置かれており、官軍の風紀を維持し、要人を警護し、場合によっては行政警察、司法警察の役割を担う。海軍、空軍に係るものであっても陸軍憲兵が任務に当たる。
陸軍参謀本部総長
陸軍参謀本部総長は、大瑞穂帝国陸軍の軍令を司る機関。大祝に任命され、参謀本部総長を長として作戦計画を立案を職務とする。参謀本部総長の任期は5年間。軍政は兵部省が行う。本部は信京府守矢京に所在する。大本営では、大本営幕僚長に任じられる。
歴代参謀本部総長
代 | 氏名 | 階級 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|---|
1 | 近衛基彦 | 陸軍元帥 | 1866年4月29日 | 1877年9月11日 |
2 | 岡田庄兵衛 | 陸軍大将 | 1877年9月11日 | 1882年9月10日 |
3 | 近衛基彦 | 元帥陸軍大将 | 1882年9月10日 | 1886年7月25日 |
4 | 金京助 | 陸軍大将 | 1886年7月25日 | 1891年7月1日 |
5 | 御頭屋正作 | 陸軍大将 | 1891年7月1日 | 1896年4月19日 |
6 | 機屋太郎兵衛 | 陸軍大将 | 1896年4月19日 | 1902年5月28日 |
7 | 市川佐助 | 陸軍大将 | 1902年5月28日 | 1906年9月9日 |
8 | 呂智仁 | 陸軍大将 | 1906年9月9日 | 1911年9月3日 |
9 | 遠山清 | 陸軍大将 | 1911年9月3日 | 1911年12月3日 |
10 | 岩戸武雄 | 陸軍大将 | 1911年12月3日 | 1912年11月16日 |
11 | 小平康司 | 陸軍大将 | 1912年11月16日 | 1916年12月19日 |
12 | 岩戸武雄 | 陸軍大将 | 1916年12月19日 | 1921年10月2日 |
13 | 西部博 | 陸軍大将 | 1921年10月2日 | 1924年1月2日 |
14 | 海原清志 | 陸軍大将 | 1924年1月2日 | 1929年9月31日 |
15 | 富部文宏 | 陸軍大将 | 1924年1月2日 | 1928年3月31日 |
16 | 小出豪 | 陸軍大将 | 1928年3月31日 | 1930年3月30日 |
17 | 中村宏樹 | 陸軍大将 | 1930年3月30日 | 1934年4月1日 |
18 | 杉山圭介 | 陸軍大将 | 1934年4月1日 | 1939年4月1日 |
19 | 孫榮太郎 | 陸軍大将 | 1939年4月1日 | 1940年4月1日 |
20 | 金刺昌春 | 陸軍大将 | 1940年4月1日 | 1946年11月6日 |
21 | 慶番神赤彦王 | 陸軍大将 | 1946年11月6日 | 1950年3月31日 |
22 | 頭山国男 | 陸軍大将 | 1950年3月31日 | 1952年4月1日 |
23 | 馬昇 | 陸軍大将 | 1952年4月1日 | 1957年4月1日 |
24 | 李高貴 | 陸軍大将 | 1957年4月1日 | 1962年4月1日 |
25 | 榎本健 | 陸軍大将 | 1962年4月1日 | 1966年4月1日 |
26 | 張民吉 | 陸軍大将 | 1966年4月1日 | 1970年4月2日 |
27 | 守屋人志 | 陸軍大将 | 1970年4月2日 | 1975年4月1日 |
28 | 八坂神信義親王 | 陸軍大将 | 1975年4月1日 | 1980年4月1日 |
29 | 德博山公 | 陸軍大将 | 1980年4月1日 | 1985年4月1日 |
30 | 篠原明弘 | 陸軍大将 | 1985年4月1日 | 1989年3月30日 |
31 | 両角文張 | 陸軍大将 | 1989年3月30日 | 1994年4月3日 |
32 | 木村義徳 | 陸軍大将 | 1999年4月3日 | 2004年4月1日 |
34 | 上條雅史 | 陸軍大将 | 2008年4月1日 | 2011年4月1日 |
35 | 久保田満 | 陸軍大将 | 2011年4月1日 | 2016年4月1日 |
36 | 相澤文 | 陸軍大将 | 2016年4月1日~ |
海軍
「海軍?」も参照。
[添付] | |
軍艦旗 | 桜に錨 |
---|
海軍は「桜に錨」を公式紋章とする。
海軍は、大瑞穂帝国の主に海戦を担当する官軍の派生組織。大祝により任命された海軍軍令部総長が統括し、兵部省海軍部が管轄する。三軍のうち、陸戦、海戦、空戦を全て対応できる軍であり、陸戦は海軍陸戦隊が、空戦は海軍航空隊が担当する。軍は原子力空母、空母、軍艦、戦闘機などを多数保有しており、三軍のうち最大規模である。
編制
海軍は聯合艦隊を中心とした艦隊で編成される。聯合艦隊は直轄部隊、第一艦隊(第一泰平洋艦隊)、第二艦隊(第二泰平洋艦隊)、第三艦隊(北方艦隊)、第四艦隊(瑞穂海艦隊)、第五艦隊(南方艦隊)で構成され、その他にも時に応じて艦隊が編成されることになっている。それぞれの艦隊の元には戦隊が置かれる。また、創設から現在まで聯合艦隊と比肩する艦隊は創設されておらず、実質聯合艦隊のみで完結する、聯合艦隊中心主義をとる。聯合艦隊司令長官には海軍大将または元帥海軍大将が親補される。艦隊の後方を統括する地方組織として、5つの鎮守府と4つの警備府が置かれている。この他に軍と同じ規模の勢力を持つ官軍の実質的な空戦を担当する海軍航空隊(150,000人規模)と、いくつかの陸軍聯隊規模の部隊から構成される海軍陸戦隊や、空挺団の海軍特別空挺団などがある。
海軍軍令部総長
海軍軍令部総長は、大瑞穂帝国海軍の軍令を司る機関。大祝に任命され、海軍軍令部総長を長として作戦計画を立案を職務とする。海軍軍令部総長の任期は5年間。軍政は兵部省が行う。本部は信京府守矢京に所在する。大本営では、大本営幕僚長に任じられる。
歴代海軍軍令部総長
代 | 氏名 | 階級 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|---|
1 | 宇足川神頼聡親王 | 海軍大将 | 1866年4月29日 | 1871年5月1日 |
2 | 近衛典彦 | 海軍大将 | 1871年5月1日 | 1876年4月1日 |
3 | 衛守儀一 | 海軍大将 | 1876年4月1日 | 1881年3月2日 |
4 | 旭川有之 | 海軍中将 | 1881年3月2日 | 1886年7月25日 |
5 | 望月虎 | 海軍大将 | 1886年7月25日 | 1891年7月1日 |
6 | 朴巌 | 海軍大将 | 1891年7月1日 | 1896年4月19日 |
7 | 李厚司 | 海軍大将 | 1896年4月19日 | 1902年5月28日 |
8 | 伊上理貴 | 海軍大将 | 1902年5月28日 | 1906年9月9日 |
9 | 齋藤義文 | 海軍大将 | 1906年9月9日 | 1911年4月15日 |
10 | 小堀尚吉 | 海軍大将 | 1911年4月15日 | 1915年4月2日 |
11 | 東院洛邦 | 海軍大将 | 1915年4月2日 | 1920年4月1日 |
12 | 坂本圭一郎 | 海軍大将 | 1920年4月1日 | 1921年10月2日 |
13 | 東院洛邦 | 海軍大将 | 1921年10月21日 | 1924年1月2日 |
14 | 王海雄 | 海軍大将 | 1924年1月2日 | 1929年5月1日 |
15 | 北国寺司 | 海軍大将 | 1929年5月1日 | 1930年6月13日 |
16 | 甘木魯信 | 海軍大将 | 1930年6月13日 | 1935年3月30日 |
17 | 謝与四郎 | 海軍大将 | 1935年3月30日 | 1940年3月30日 |
18 | 有馬隼人 | 海軍大将 | 1940年3月30日 | 1947年6月24日 |
19 | 馬崘 | 海軍大将 | 1947年6月24日 | 1949年4月1日 |
20 | 市川伊助 | 海軍大将 | 1949年4月1日 | 1954年5月1日 |
21 | 作田神満由王 | 海軍大将 | 1959年4月28日 | 1964年4月11日 |
22 | 山本順一 | 海軍大将 | 1964年4月11日 | 1969年4月6日 |
23 | 鈴木典彦 | 海軍大将 | 1969年4月6日 | 1973年6月1日 |
24 | 鈴木靖男 | 海軍大将 | 1973年6月1日 | 1978年4月4日 |
25 | 阮忠親 | 海軍大将 | 1978年4月4日 | 1980年12月23日 |
26 | 山里宗男 | 海軍大将 | 1980年12月23日 | 1984年4月10日 |
27 | 杉山実 | 海軍大将 | 1984年4月10日 | 1989年4月2日 |
28 | 梅津小太郎 | 海軍大将 | 1989年4月2日 | 1994年2月25日 |
29 | 杉田冬弥 | 海軍大将 | 1994年2月25日 | 1998年4月10日 |
30 | 北斗神頼光 | 海軍大将 | 1998年4月10日 | 2002年4月7日 |
31 | 藤木徹 | 海軍中将 | 2002年4月7日 | 2007年3月24日 |
32 | 大牟田光 | 海軍中将 | 2007年3月24日 | 2012年1月11日 |
33 | 堀田通教 | 海軍大将 | 2012年1月11日 | 2016年4月1日 |
34 | 佐藤心太郎 | 海軍大将 | 2016年4月1日~ |
航空隊
「航空隊?」も参照。
[添付] | |
隊旗 | 航空隊章 |
---|
航空隊は「桜と鷲」を公式紋章とする。
海軍航空隊は海軍に属し、兵部省海軍航空本部が管轄する。海軍軍令部総長に任命された海軍航空隊幕僚監部部長を“航空軍軍令部総長”に相当する職としている。海軍航空隊は、海軍本隊が17万人規模にあるのに対して、15万人の人員を有しており、海軍陸戦隊のような海軍の単なる一部隊というわけではなく、海軍本隊から独立した事実上の航空軍である。1966年の空軍の創設とともそれまであった海軍航空隊が事実上の「航空軍」として海軍本隊から切り離され、海軍に属してはいるものの、海軍本隊が干渉することはほとんどなく、独自の司令系統を有している。海軍航空隊幕僚監部部長は軍事参議院の参議官となるほか、大本営で大本営幕僚副長として大本営幕僚長に次ぐとされ、「大本営海軍航空部」が設置される。
File not found: "158798EA-67A4-4553-A138-7BB68C14F1E4.png" at page "大瑞穂帝国/官軍"[添付] | File not found: "A4979858-942D-4E59-BC81-238B1EDD3615.png" at page "大瑞穂帝国/官軍"[添付] |
国籍章 | (低認識型) |
---|
編制
海軍航空隊は、戦時に設置され総軍に相当する「総隊」を最大単位として、「航空方面隊*8」、「航空団*9」、「飛行群」、「飛行隊」、「飛行班」の順に小さくなっていく。総隊はかつて1度も設置されたことがない。現在、方面隊は中央航空方面隊、東信航空方面隊、西信航空方面隊、北西航空方面隊の4つが置かれており、航空団は第一航空団から第九航空団までの9つの航空団が置かれている。
航空隊幕僚監部長
海軍航空隊幕僚監部部長は、大瑞穂帝国海軍航空隊の軍令を補佐する機関。海軍軍令部総長と合議した兵部大臣に任命され、航空隊幕僚監部の参謀部の役割を果たす。任期は5年間。本部は信京府守矢京、海軍軍令部の中に所在する。大本営では、大本営幕僚長の次席である大本営幕僚副長に任じられる。
歴代航空隊幕僚監部部長
代 | 氏名 | 階級 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|---|
1 | 山本邦夫 | 航空元帥海軍大将 | 1966年4月1日 | 1971年3月31日 |
2 | 日比野広郷 | 海軍大将 | 1971年4月1日 | 1976年3月31日 |
3 | 海軍中将 | 1976年4月1日 | 1978年10月10日 |
空軍
「空軍?」も参照。
[添付] | |
空軍旗 | 八咫烏 |
---|
空軍は「八咫烏」を公式紋章とする。
空軍は、大瑞穂帝国の核兵器、サイバー戦争、宇宙開発を担当する官軍の派生組織。
大祝により任命された空軍軍令部総長が統括する。空軍と呼ばれてはいるが実態はいわゆる「戦略軍」、「宇宙軍」、「サイバー軍」を合わせたものであり、国内では「戦略空軍」とも呼ばれる*10。核兵器開発、サイバー戦、生物兵器研究、宇宙における衛星運用、宇宙開発、ロケット、ミサイル開発等を行う。1960年に核兵器開発と生物兵器研究のため陸軍及び海軍の研究部門を発展する形で創設され、独自の研究成果をもとに、1963年に「ウラン爆弾」の開発にアジアで初めて成功した。本来の空軍としての役割は海軍航空隊が担っている。
編制
空軍は戦時に置かれる「総軍」を最大単位として、「軍団」、「団」、「群」、「大隊」、「中隊」、「小隊」、「分隊」の順に小さくなる。総軍は大祝に親補された空軍大将または元帥空軍大将が司令官を務める。総軍が置かれたことは過去にない。軍団には、戦略軍団(核兵器の研究及び管理、核抑止、核反撃を担当する。生物兵器や新兵器の研究も行っている。*11)、宇宙軍団(宇宙開発を担当。官立星学技術研究所?と共に宇宙基地などを運用。通信衛星、偵察衛星、航法衛星、気象衛星などの運用、サイバー戦の担当も行う。)、火箭軍団(ロケットや弾道弾などのミサイルを開発、管理する。)があり、戦略軍団のもとには第一戦略団(核兵器)、第二戦略団(生物兵器)、第三戦略団(地球破壊爆弾開発)がおかれ、宇宙軍団のもとには宇宙航空団、衛星通信団、国防情報団*12、が、火箭軍団のもとには「火箭防衛団」、火箭討究団、火箭情報団がそれぞれおかれている。他に、これらの軍団から独立した空軍特別機動隊などがある。
空軍軍令部総長
空軍軍令部総長は、帝国空軍の軍令を司る機関。大祝に任命され、空軍軍令部総長を長として作戦計画を立案を職務とする。空軍軍令部総長の任期は5年間。軍政は兵部省が行っている。本部は信京府守矢京に所在する。大本営では、大本営幕僚長に任じられる。
歴代空軍軍令部総長
代 | 氏名 | 階級 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|---|
1 | 姚大治 | 元帥空軍大将 | 1960年4月1日 | 1965年3月26日 |
2 | 堀川新太 | 空軍大将 | 1965年3月26日 | 1969年4月25日 |
3 | 田口譲治 | 空軍大将 | 1969年4月25日 | 1974年4月1日 |
4 | 四柱神心彦王 | 空軍大将 | 1974年4月1日 | 1979年4月1日 |
5 | 空軍大将 | 1979年4月1日 | 1980年4月3日 | |
6 | 空軍大将 | 1980年4月3日 | 1982年4月1日 | |
7 | 空軍大将 | 1982年4月1日 | 1987年4月1日 | |
8 | 空軍大将 | 1987年4月1日 | 1991年4月1日 | |
心得 | 新見一汰 | 空軍少将 | 1991年4月1日 | 1991年2月30日 |
9 | 空軍大将 | 1991年2月30日 | 1996年4月1日 | |
10 | 空軍大将 | 1996年4月1日 | 1998年4月1日 | |
11 | 空軍大将 | 1998年4月1日 | 2003年4月1日 | |
12 | 空軍大将 | 2003年4月1日 | 2008年3月31日 | |
13 | 德宏昌公 | 空軍大将 | 2008年3月31日 | 2013年4月1日 |
14 | 宮里好古 | 空軍大将 | 2013年4月1日 | 2015年4月1日 |
15 | 王聡 | 空軍大将 | 2015年4月1日~ |
憲兵
「憲兵?」も参照。
憲兵旗(憲兵腕章) |
---|
陸軍憲兵は、大瑞穂帝国の軍事警察(ミリタリーポリス)。兵部大臣に任命された憲兵司令官が部隊を統括する。憲兵は陸軍に所属し、陸軍の規律、軍装、武器を使う。但し海軍、空軍には憲兵が存在しないので、陸軍憲兵は官軍全体の軍事警察としての役割を担っている。任務は主に要人の警護、軍内の風紀維持である。制服は陸軍と同じで、襟に黒色の兵科章と憲兵腕章を付けている。
編制
総司令部として「憲兵司令部」が、その隷下に各地域の「憲兵隊司令部」、さらにその下に「地区憲兵隊」、「憲兵分隊」がある。また、派遣軍や外国駐屯軍には、それぞれ憲兵隊が設置される。過去には、瑞穂国の租借地であった嶺北州に嶺北憲兵隊司令部が置かれていた。
憲兵司令官
憲兵司令官は憲兵司令部を統括する。憲兵司令官は憲兵大佐もしくは将官が任命される。また、将官には兵科区分が無いが、殆どの場合憲兵科出身の陸軍将官が、参謀総長、教育総監と合議した兵部大臣から任命される。任期は5年。憲兵司令部は信京府守矢京に所在する。
歴代憲兵司令官
代 | 氏名 | 階級 | 就任 | 退任 |
---|---|---|---|---|
1 | 加藤友山 | 陸軍大将 | 1870年4月5日 | 1875年6月27日 |
2 | 宮田康介 | 陸軍憲兵大佐 | 1875年6月27日 | 1880年4月16日 |
3 | 鳩山矢二郎 | 陸軍中将 | 1885年11月19日 | 1889年4月2日 |
4 | 小野口昌吉 | 陸軍中将 | 1889年4月2日 | 1890年11月3日 |
5 | 陸軍憲兵大佐 | 1890年11月3日 | 1895年4月1日 | |
6 | 陸軍少将 | 1895年4月1日 | 1896年4月1日 | |
7 | 陸軍中将 | 1896年4月1日 | 1901年2月30日 | |
8 | 陸軍中将 | 1901年2月30日 | 1906年1月28日 | |
9 | 陸軍少将 | 1906年1月28日 | 1910年2月2日 | |
10 | 陸軍中将 | 1910年2月2日 | 1915年2月1日 | |
11 | 陸軍少将 | 1915年2月1日 | 1918年5月2日 | |
心得 | 陸軍憲兵中佐 | 1918年5月2日 | 1919年1月15日 | |
12 | 陸軍少将 | 1919年1月15日 | 1924年6月25日 | |
13 | 陸軍中将 | 1924年6月25日 | 1929年6月2日 | |
14 | 陸軍憲兵大佐 | 1929年6月2日 | 1934年4月1日 | |
15 | 陸軍憲兵大佐 | 1934年4月1日 | 1939年4月1日 | |
16 | 陸軍少将 | 1939年4月1日 | 1944年4月1日 | |
17 | 陸軍憲兵大佐 | 1944年4月1日 | 1949年4月2日 | |
18 | 陸軍中将 | 1949年4月2日 | 1954年4月1日 | |
19 | 陸軍少将 | 1954年4月1日 | 1959年4月1日 | |
20 | 陸軍中将 | 1959年4月1日 | 1963年4月30日 | |
21 | 陸軍中将 | 1963年4月30日 | 1968年4月1日 | |
22 | 陸軍中将 | 1968年4月1日 | 1973年3月31日 | |
23 | 陸軍中将 | 1973年3月31日 | 1977年4月2日 | |
24 | 陸軍中将 | 1977年4月2日 | 1982年4月1日 | |
25 | 陸軍少将 | 1982年4月1日 | 1987年4月1日 | |
26 | 陸軍中将 | 1987年4月1日 | 1992年4月3日 | |
27 | 陸軍中将 | 1992年4月3日 | 1996年4月1日 | |
28 | 陸軍中将 | 1996年4月1日 | 2000年3月31日 | |
29 | 陸軍憲兵大佐 | 2000年3月31日 | 2004年4月1日 | |
30 | 陸軍憲兵大佐 | 2004年4月1日 | 2009年4月4日 | |
31 | 陸軍憲兵大佐 | 2009年4月4日 | 2014年4月1日 | |
33 | 陸軍少将 | 2014年4月1日 | 2016年3月31日 | |
34 | 有賀峻也 | 陸軍中将 | 2016年3月31日~ |
軍服
大元帥
大元帥御服として、陸軍式御服、海軍式御服、空軍式御服、官軍式御服の四種類がある。これらは各軍の軍装に、特別な階級章を取り付けたり袖章の線を増やしたりしたものである。官軍式御服は、征討大将軍軍装と同じもので、こちらも袖の線が一本多いなどの違いがある。大元帥は通常時、陸軍式御服を着用し、海軍の式典や空軍の式典ではそれぞれの軍の御服を着用する。官軍式御服は、主に征討大将軍の任官者が存命の場合で特に必要な時に着用する。
征討大将軍
征討大将軍は、1894年の近衛基彦の任官に際して征討大将軍徽章と征討大将軍節刀が制定され、軍服は近衛基彦の所属する帝国陸軍のものを使用することとされた。大聯合戦争後の1946年、二人目の征討大将軍に金刺昌春が任官されるにあたって、征討大将軍専用の「征討大将軍軍装」が新たに制定された。これは他軍種の正装に相当するもので、通常時は任命以前に所属していた軍種の軍服に征討大将軍徽章を取り付けることとした。同時に大元帥御服にも同形式の軍装が陸海空軍式御服とは別の「官軍式御服」として制定されたが、征討大将軍が空席になってからは大祝が着用することもほとんどなくなった。大祝は通常、軍服を着る必要がある時は陸軍式御服を優先する。征討大将軍軍装は、制定から一度しか仕立てられたことがない(ただし大元帥御服としては、代替わりの際に新たに仕立てている)。
征討大将軍軍装は、立襟ダブルボタンの上衣で、肩章としてエポーレットを着ける。下襟の内側は黄色で、折り返して黄色部分を外部に見せるように開襟する。袖には階級章代わりの黄色の線があり、大元帥のものは二本になる。正帽は官帽型で、陸軍正装と似たデザインの旭日章の帽章を着ける。
征討大将軍軍装 |
---|
陸軍
陸軍は、創設時より何度か全面的なデザインの刷新を経て、現在のカーキ色の軍装が制定された。大聯合戦争後は開襟型の軍装と、ワイシャツ型の夏服が新たに制定された。
将校の服制*13
- 正装
立襟ダブルボタン(正衣)に長袴をはき、短靴に緋色の飾帯を付ける。前立の付いたケピ帽(正帽)をかぶる。肩章はショルダーノッチ。特別に改まった場で着用する。 - 礼装
正装から正帽の前立と飾帯を取ったものを礼装とする。 - 軍装
夏期、冬期兼用。夏衣は薄手の素材になる。官帽(軍帽)に茶褐色(カーキ色)の立襟服。襟には兵科章をつけるが、将官以上はつけない。 - 通常軍装
勤務用の軍装で、通称「三七式軍装」。1966年(天正37年)に陸軍設立100周年を記念して新たな軍装として制定された。これに伴って陸海空全ての軍種において背広型軍装が導入されたことになる。1999年の服制改正では、軍装から勤務服である通常軍装に「格下げ」された。 - 通常礼装
軍装に白手袋を付け、勲章等を付けると通常礼装となる。 - 第一種軍装
単なる「軍装」とは異なる軍衣で、夏服。官帽(軍帽)に淡い茶褐色の長袖ワイシャツ型開襟服。軍装のワイシャツと兼用、肩章はショルダーボード型の階級章、茶褐色のネクタイを締める。 - 第二種軍装
夏服。官帽(軍帽)あるいは戦闘帽に淡いカーキ色のワイシャツ型。長袖のものと半袖のものがある。防暑のために制定された夏期専用の軍衣。階級は左胸のポケット上に着ける。 - その他
略装(作業服)、武装(戦闘服)など。
正装 | 軍装 |
---|---|
第二種軍装 | 通常軍装*14 |
海軍
海軍の軍装は、基本的に大聯合戦争前の国際標準であった詰襟型を維持している。大聯合戦争後、新たに開襟型の第三種、ワイシャツ型の第四種軍装が制定された。
士官の服制*15
海軍航空隊は正装、礼装のみ海軍と共通で、その他は独自の制服を着用する。
- 正装
特に改まった場で着用する。立襟の燕尾服(正衣)、長袴で、肩章はエポーレット。階級章は袖章として付いており、金線。二角帽(正帽)をかぶる。軍刀としてサーベルを佩用し短靴を履く。 - 礼装
正装を基本として上衣が開襟式フロックコートになり、黒の蝶ネクタイを付ける。肩章はエポーレット(瓢箪形肩章)、階級章は袖章で金線。二角帽子をかぶる。 - 通常礼装
礼装を基本としてエポーレットを外し、濃紺色の官帽を被ると通常礼装となる。 - 第一種軍装
冬服。官帽型、濃紺色の軍帽とホック留めの濃紺色立襟服。縁は七子織黒毛線。襟章は階級章。袖章は金線ではなく縞織黒毛線になる。第一種軍装は海軍で最も長い年月に渡って運用されており、伝統的な軍装として親しまれている。 - 第二種軍装
夏服。通気性の良い素材でできており涼しい。金ボタン留め、5つボタンの白色立襟服で、袖章はなく、階級章はショルダーボード型の肩章。白色の長袴、軍帽に日覆い(白色のカバー)を付ける。 - 第三種軍装
冬用勤務服。軍帽は官帽で黒色ダブル6つボタンの背広型。ネクタイも黒色を用いる。階級章は袖にある。軍帽は白色のカバーを付ける。第一種軍装が公式な場で着用されるのに対し、第三種軍装は通常勤務の際に着用されることが多い。 - 第四種軍装
夏用勤務服。白色半袖シャツ、白色の長袴。軍帽に日覆いを付ける。階級章はショルダーボード型の肩章。長袖のものもある。 - 第一種航空軍装
航空隊専用の勤務服。夏服、冬服があり、海軍第三種軍装を茶褐色に染めたもの。夏服は冬服よりも色が淡くなり、生地が薄手になる。軍帽の白色部分も茶褐色となっており、夏服の時は少し淡い茶褐色のカバーをつける。特に航空隊所属としての正装をしなければならない時は、この第一種航空軍装に白手袋をはめ、勲章を着ける。士官であっても、航空隊に属する場合は、航空軍装を着用する。 - 第二種航空軍装
航空隊専用の勤務服(夏服)。海軍第四種軍装の白色半袖シャツ、白色長袴を淡い茶褐色に染め、軍帽に茶褐色のカバーを付けたもの。長袖もある。 - その他
兵が着用するセーラー服、水兵帽、作業服にあたる略装(青色の上下衣、戦闘帽を着用)、迷彩服、航空隊用迷彩服、陸戦隊用迷彩服、飛行服などがある。過去には陸軍に似た青褐色の軍装も定められていたが、迷彩服の制定によって廃止された。
正装 | 礼装 |
---|---|
第一種軍装 | 第二種軍装 |
第三種軍装 | 第四種軍装 |
第一種航空軍装 | 第二種航空軍装 |
空軍
空軍の軍装は、三軍の中で最も現代的であるとされている。デザインは、1960年の空軍創設からほとんど変化していない。
士官の服制
- 第一種儀礼装
旧儀礼装。軍装または第一種夏期軍装に白手袋を着用する。礼服用階級章及び白手袋を着用し、官帽を着用する。肩章はショルダーボード型。 - 第二種儀礼装
空軍の礼装は元々、第一種儀礼装のみであり、これが他軍種の正装に当たるものであったが、空軍の内部から陸海軍の正装に見劣りするという声が出たことで、正装に相当する幹部が着用するものとして制定された。「第二種」と着くものの、空軍の正装として大祝が臨席する場などに着用する。正衣はダブルボタン濃青色の燕尾服型。白色蝶ネクタイを着けるとホワイト・タイ相当、黒色蝶ネクタイを着けるとブラック・タイ相当になる。正帽は官帽タイプ、肩章はショルダーノッチ型。 - 軍装
濃紺色、4つボタンの背広型。長袴、短靴を履く。ネクタイは黒色で、肩章は階級章になっており、ショルダーループ型。軍帽は濃紺色の官帽。略帽(ギャリソンキャップ)も被る。 - 第一種夏期軍装
灰色、4つボタンの背広服。長袴、短靴を履く。ネクタイは黒色で、肩章は階級章になっており、ショルダーループ型。軍帽は濃紺色の官帽。略帽(ギャリソンキャップ)も被る。 - 第二種夏期軍装
淡青色のワイシャツに黒色のネクタイ、肩章は階級章でショルダーループ型。軍帽は濃紺色の官帽。略帽(ギャリソンキャップ)も被る。 - 防暑軍装
淡青色の半袖または長袖のシャツ。長袴、短靴を履く。軍帽は濃紺色の官帽。肩章(階級章)はショルダーループ型。略帽(ギャリソンキャップ)も被る。 - その他
この他、作業服にあたる濃紺色の略装、武装などがある。略帽としてはギャリソンキャップ型の軍帽が採用されている。
第一種儀礼装 | 第二種儀礼装 |
---|---|
軍装 | 第一種夏期軍装 |
︎︎ | |
防暑軍装 | ︎ |
軍事称号
階級
過去には兵科が存在したが、現在は憲兵科を除いて廃止された。各部(主計部、技術部、衛生部、軍医部など)は現存し、例えば主計部の責任者は「陸軍主計中将」、軍医部の責任者は「陸軍軍医中将」と呼称する。海軍の階級については、海軍本隊に属した場合の階級は「海軍ー」となり、海軍航空隊に属した場合は「航空隊ー」となる。航空隊の准尉から大将についても、便宜上「航空隊大将」のように呼ぶことがある。
階級 | 陸軍 | 海軍 | 航空隊 | 空軍 | 憲兵 | (大宇内階級符号) |
---|---|---|---|---|---|---|
大元帥 | 大元帥 | - | ||||
征討大将軍 | 征討大将軍 | (士十一等)*16 | ||||
元帥 | 元帥陸軍大将 | 元帥海軍大将 | 航空元帥海軍大将 | 元帥空軍大将 | - | 士十等 |
大将 | 陸軍大将 | 海軍大将 | 空軍大将 | - | 士九等 | |
中将 | 陸軍中将 | 海軍中将 | 空軍中将 | - | 士八等 | |
少将 | 陸軍少将 | 海軍少将 | 空軍少将 | - | 士七等 | |
大佐 | 陸軍大佐 | 海軍大佐 | 空軍大佐 | 陸軍憲兵大佐 | 士六等 | |
中佐 | 陸軍中佐 | 海軍中佐 | 空軍中佐 | 陸軍憲兵中佐 | 士五等 | |
少佐 | 陸軍少佐 | 海軍少佐 | 空軍少佐 | 陸軍憲兵少佐 | 士四等 | |
大尉 | 陸軍大尉 | 海軍大尉 | 空軍大尉 | 陸軍憲兵大尉 | 士三等 | |
中尉 | 陸軍中尉 | 海軍中尉 | 空軍中尉 | 陸軍憲兵中尉 | 士二等 | |
少尉 | 陸軍少尉 | 海軍少尉 | 空軍少尉 | 陸軍憲兵少尉 | 士一等 | |
准尉 | 陸軍権少尉 | 海軍兵曹長 | 空軍兵曹長 | 陸軍憲兵権少尉 | 准一等 | |
曹長 | 陸軍曹長 | 海軍上等兵曹 | 航空隊上等兵曹 | 空軍上等兵曹 | 陸軍憲兵曹長 | 兵七等 |
軍曹 | 陸軍軍曹 | 海軍一等兵曹 | 航空隊一等兵曹 | 空軍一等兵曹 | 陸軍憲兵軍曹 | 兵六等 |
伍長 | 陸軍伍長 | 海軍二等兵曹 | 航空隊二等兵曹 | 空軍二等兵曹 | 陸軍憲兵伍長 | 兵五等 |
兵長 | 陸軍兵長 | 海軍水兵長 | 航空隊兵長 | 空軍兵長 | 陸軍憲兵兵長 | 兵四等 |
上等兵 | 陸軍上等兵 | 海軍上等水兵 | 航空隊上等兵 | 空軍上等兵 | 陸軍憲兵上等兵 | 兵三等 |
一等兵 | 陸軍一等兵 | 海軍一等水兵 | 航空隊一等兵 | 空軍一等兵 | - | 兵二等 |
二等兵 | 陸軍二等兵 | 海軍二等水兵 | 航空隊二等兵 | 空軍二等兵 | - | 兵一等 |
大元帥
大元帥は憲法の規定により官軍の統帥者に位置づけられる大祝の階級で、三軍の最高指揮官である。大元帥は軍服型御服(陸軍式御服、海軍式御服、空軍式御服)を着用する。御服には大元帥階級章及を身につける。憲法では大元帥に統帥権があるとされていて、大元帥が親補した各軍の司令官がこれを代行する。観兵式、観艦式で大元帥の行幸を仰ぐ場合は「錦の御旗」が掲げられる。また、大元帥の統帥機関のことを「大本営」と呼ぶ。
錦の御旗(梶葉紋) | 錦の御旗(丸) |
---|
征討大将軍
征討大将軍(せいとうだいしょうぐん)は、官軍の軍人に与えられる最高位階級である。他国の大元帥と元帥大将の間に位置する階級で、National Marshal of the Empire of Ruisy (直訳すると「瑞穂帝国国家元帥」)と訳される。征討大将軍の名は近代政府樹立以前の官職である「征討大将軍」に由来する。征討大将軍の称号は大元帥により授与され、身分は終身現役。官軍の中にあって顕著に老功卓抜な者があるとき、特別に叙勲される。つまり、「その人無くんば則ち闕く」ということである。征討大将軍は軍務に於いて最高顧問としてその助言を行うもので、大本営会議などに出席することができる。
1894年にこの官位が復活してから、これまで2名の軍人しか征討大将軍に任官されておらず、2人とも陸軍出身者である。大将軍は、各軍の大将に与えられる名誉称号としての「元帥」とは異なり個別の階級であり、例え大将の役職になくとも任官されうる。また、征討大将軍には、陸海空軍の分類が存在しない。これまで同時期に2名以上が在職した例がなく、そのような状況が起こりうることも想定されていない。こういった事から、名誉職ではありながら大元帥に次ぎ、維新政府成立以前の「征討大将軍」の官職を実質的に継承するものであるとみなされており、この官位は国の征討大将軍であって、単なる「官軍の大将軍」ではないというのが定説である。
征討大将軍には、征討大将軍軍装、征討大将軍徽章と征討大将軍節刀が下賜される。節刀は死後、朝廷に奉還する必要があるが、遺族が希望する場合はレプリカを作る事ができる。
征討大将軍徽章 征討大将軍徽章は金、元帥徽章は銀 |
1946年に金刺昌春が任官されてから1960年に亡くなって以降、空位となっている。
征討大将軍一覧
代数 | 階級 | 肖像 | 氏名 | 受年 | 補足 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 征討大将軍 | [添付] | 近衛基彦 | 1894年-1896年 | 前職は元帥陸軍大将 |
2 | 征討大将軍 | 金刺昌春 | 1946年-1960年 | 前職は元帥陸軍大将 |
元帥
元帥は、各軍の大将に与えられる名誉称号である。他国の元帥に相当し、陸軍の元帥はMarshal、海軍の元帥はGrand Admiral、航空隊の元帥はMarshal of the air force、空軍の元帥はMarshal of the strategic forceと訳される。1880年まで単独の元帥(陸軍元帥及び海軍元帥、海軍元帥は任官者なし)の階級として制定されていたが一旦廃止され、1881年に「元帥」階級を廃止した上で大将に与えられる称号として復活した。これまでに陸軍は13人、海軍は8人、航空隊2人、空軍が3人の大将が元帥を叙されている。また航空隊の階級は、尉官以上になると全て「海軍~」となるが、海軍大将のうち航空隊に於いて功績を挙げた者については、特に「航空元帥海軍大将」とされ、元帥海軍大将と区別される。元帥の称号は大元帥により叙され、身分は終身現役。軍の中で老巧卓抜な者が叙勲される。元帥は軍部で顧問として軍部の助言を行うもので、大本営会議などに出席することができる。元帥には元帥刀と元帥徽章が下賜される。また元帥佩刀は死後、朝廷に奉還する必要があるが、遺族が希望する場合はレプリカを作る事ができる。
元帥徽章 征討大将軍徽章は金、元帥徽章は銀 |
元帥陸軍大将
階級 | 肖像 | 氏名 | 受年 | 補足 |
---|---|---|---|---|
陸軍元帥 | 近衛基彦 | 1872年-1881年 | ||
元帥陸軍大将 | 近衛基彦 | 1881年 | ||
元帥陸軍大将 | 朴正明 | 1890年 | 追贈 | |
元帥陸軍大将 | 金刺昌春 | 1943年-1946年 | 後に征討大将軍 |
元帥海軍大将
階級 | 氏名 | 肖像 | 受年 | 補足 |
---|---|---|---|---|
元帥海軍大将 | 年 |
航空元帥海軍大将
階級 | 肖像 | 氏名 | 受年 | 補足 |
---|---|---|---|---|
航空元帥海軍大将 | 山本邦夫 | 1966年 |
元帥空軍大将
階級 | 肖像 | 氏名 | 受年 | 補足 |
---|---|---|---|---|
元帥空軍大将 | 姚大治 | 年 |
軍楽
官軍では、建軍時に陸軍(陸軍軍楽隊)は主にゲーテ式を、海軍(海軍中央軍楽隊)と海軍航空隊(海軍航空隊音楽隊)は主にフィオレート式とシャルンス式を採ったため、それぞれゲーテとフィオレート、シャルンスの楽曲が演奏されることが多い。これに比べて空軍(空軍中央楽団)はルイス、華国の楽曲を演奏する傾向にある。
各軍の公式行進曲は以下の通り。
関連項目
地方 | 地方区分 - 信京府(守矢京 - 左京郡? - 右京郡? - 居下郡? - 東亜郡 - 宮門郡? - 錦織郡? - 富兵郡?) - 耀国 - 祝部県? | |
---|---|---|
地理 | 架創遺産 - 国宝 - 神社(神宮) - 城郭 - 寺院 - 御殿 | |
歴史 | 国史 - 元号 - 耀王国 - 近衛京? - 安曇京? - 近衛幕府? - 木曾幕府? - 仁政維新? | |
政治 | 大祝 - 神室 - 王室 - 五官祝(神長官 - 禰宜大夫? - 権祝? - 擬祝? - 副祝?) - 政府 - 内閣 - 枢密院 - 議会(元老院 - 公議院) - 五官会議 - 裁判所? - 政党 - 官軍 - 陸軍?(憲兵? - 近衛師団?) - 海軍? - 海軍航空隊? - 空軍? - 海上保安隊? | |
組織 | 文部省? - 宮内省?(陰陽寮) - 神祇省? - 官立星学技術研究所? - 瑞穂専売公社? | |
経済 | 束 - 国立銀行? - 観光? - 企業 - 宇宙開発? - 発電所 - 鉄道? - 航空 | |
社会 | 瑞穂語 - 法令(憲法) - 学校 - 人物 - 栄典 - 神道? - 各種年齢? | |
体育 | 体育 - 大瑞穂体育協会 - 大瑞穂聯体委員会? - 瑞穂蹴球軍 | |
文化 | 神宮競技大会? - 文部省美術展覧会? - 神長官競書大会? - 官立高等学校柔剣道大会 - 名族協会? - 瑞穂赤卍字社? - 公議院書籍館? - 帝国図書館? - 東洋競技大会? | |
その他 | 架創国家連合(INC) - 瑞穂・ルイス宇宙機関 - 防衛聯合演習- 創作メンバー - 画像フォルダ - 関連項目 | |
清洲国 | ||
---|---|---|
国家 | 清洲国 | |
地方 | 地方区分? - 建京特別市? - 恵州特別市? - 龍河省? - 白山省? - 錦濤省? - 景徳省? - 董園省? - 馬公省? - 高隆省? - 江原省? - 彊化省? - 康安自治省? - 阿蒙省公署委員会? - 嶺北州 | |
地理 | 天地壇? - 革命烈士廟? - 建京神廟? | |
歴史 | 歴史? - 思華民国軍政府 - 思華民国革命政府? - 徳丹聯盟自治政府? - 松韻洞政務委員会? - 董園自治政府? - 高隆自治政府? - 馬公聯合委員会? | |
政治 | 執政 - 参議府? - 国民会議?(国民会議全国委員会 - 国民会議中央選挙委員会?) - 国務院? - 立法院 - 監察院? - 法院? - 政党(清洲国新民会) - 国軍(陸軍? - 海軍? - 空軍? - 憲兵?) - 先鋒隊(本隊? - 水師? - 飛行隊? - 侍衛処? - 中央倶楽部?) | |
経済 | 清洲国束? | |
社会 | 人物 - 法令 - 清洲国約法 - 清洲国政府組織法? - 清洲国組織法? - 嶺北州基本法 | |
文化 | 清洲国体育聯盟? -足球清洲国代表? - 清洲国紅卍字会? - 清洲国煙酒総公司? | |
行事 | 清洲国全国運動会? - 清洲国教育部芸術展? - 東洋競技大会? | |
その他 | 架創国家連合(INC)- 画像フォルダ - 関連項目 | |