恵須取総合振興局

Last-modified: 2023-05-29 (月) 22:29:50

恵須取市

  • 総合振興局中部にある、人口9万2千人の市。樺太西海岸北部の中心都市で、総合振興局内唯一の市である。。
  • 林業に端を発した王子製紙の工場と炭鉱で栄え、1941年の時点では「町」ながら人口は豊原市を上回り庁内最多であった。戦後間もない1945年10月1日に樺太2番目の市として市制を施行した。
  • 戦後は旧植民地からの引き揚げ者が多数移り住み、また炭鉱自体も拡大を続けていたため人口が急増。1966年には15万人を超えた。しかし、エネルギー革命の進展により炭鉱が縮小していくと人口減に転じ、1975年に炭鉱が閉山した時には約12万人、1990年には約9万人にまで減少。2005年に周辺の上恵須取町・塔路市と合併したことで一時的に10万人台を回復したが、2014年には再び10万人を割り込んでいる。
  • また、前述の合併で恵須取以上に炭鉱の閉山による衰退が著しかった塔路市が市域に組み込まれたため、財政が急激に悪化した。
    • 塔路市は、合併前までは県内の市で唯一人口が1万人台(合併直前の2006年5月の時点で約1万5 千人)であった。
  • 現在は漁業・水産加工業が主幹産業となっているほか、炭鉱の坑内や社宅などの廃墟を利用したフィルムコミッションで街おこしを目指している。また、IT企業やベンチャー企業の誘致も図っている。
  • 塔路地域には県北西部唯一の空港である塔路空港がある。
  • 恵須取港の南にある恵須取神社は、県北西部有数の歴史と規模を誇る神社であり、正月三が日には初詣客で賑わう。
  • 間宮海峡を挟んで対峙するロシアのソヴィエツカヤ・ガヴァニやワニノとの交流が盛んで、市内でロシア語が書かれた看板を見かけることも多い。
  • 県北西部の中核港湾として恵須取港が整備されているが、寒冷地のため冬季は海面が凍結し砕氷船以外は入港できなくなる(西樺太山脈を挟んで反対側に位置する敷香市の敷香港も同様である)。

珍内町

  • 総合振興局南部に位置する、人口2万1千人の町。現在の町名はアイヌ語由来であるが、1941年の町制施行前までは三浜村という名前であった。
  • 「町」ではあるものの、恵須取総合振興局南部の中心都市として、商業施設などの一定の集積が見られる。
  • 市街地は珍内川と来知志川の合流地点に広がっており、中心部には橋が多く見られる。合流した2つの川はすぐに間宮海峡へと注ぐ。
  • 基幹産業は農林業と漁業で、第二次産業は木材加工・水産加工が行われる程度である。また、美しい汽水湖・来知志湖に面していることから観光業も盛んであり、同湖の湖畔は観光地化している。
  • 戦後に町の南部を留久志村として分離したが2010年に編入したため、約半世紀を経て一度縮小した町域が元に戻ったことになる。

名好町

  • 恵須取市の北に位置する、人口約8000人の町。日本最北の町である。旧・名好町と北小沢町が対等合併し、2008年に誕生した。
  • 恵須取や塔路と同様炭鉱で栄え、戦前から高度経済成長期にかけては人口が急増したが、化石燃料の中心が石油へと移り変わっていくと炭鉱は衰退・閉山し、それと同時に人口も減少した。現在の主要産業は漁業や酪農である。また、近年は名好川流域の豊かな自然を生かした観光振興も進めている。

西柵丹村

  • 名好町の北に位置する、人口約5000人の村。日本最北の村である。旧・西柵丹村と安別村が合併し、2005年に誕生した。
  • 最北部の安別地区は目と鼻の先がロシア領の北樺太であり、国境の集落として知られている。国境防衛のため自衛隊が駐屯している。
  • かつては恵須取総合振興局内の他自治体と同様に炭鉱で栄えたが、現在は衰退し、漁業が中心産業となっている。

鵜城村

  • 恵須取市の約30km南に位置する、人口約2200人の村。
  • 村内には樺太北西部を代表する名山・伊皿山がそびえる。
  • 19世紀から越前国大野藩によって開発が行われた歴史ある村で、村役場入口には開拓100周年を記念した石碑が立っている。
  • 産業の中心は鵜城港を中心とした漁業と、幌千地区の平野部で行われる農業。
  • 沿岸部だけでなく、伊皿山東側の内陸部の一部も村域としている。ただし、その地域には定住者はおらず、森の中を道路が通っているだけである。