豊原総合振興局

Last-modified: 2023-05-30 (火) 23:23:46

豊原市

  • 鈴谷平野中央部に位置し、県の総人口の約4割にのぼる人口約63万を抱える樺太県の県庁所在地であり、市を中心とする豊原都市圏の人口は80万人を超える。名実ともに県の中心である。県内他市町村からの人口流入の受け皿となっていることもあり、県内では数少ない人口増加の自治体となっている。
  • 日露戦争の「樺太の戦い」で日本が占領する前は、ロシア領の「ウラジミロフカ」という村であった。1908年に樺太庁が大泊から移転すると、県都としての都市計画がなされ、北海道の主要都市と同じ「碁盤の目」の道路網が生まれた。特に札幌と比較されることが多いが、札幌は南北が「条」で東西が「丁目」なのに対し、豊原は東西が「条」・南北が「丁目」となる。
  • 気候は国内の主要都市の中でも非常に寒冷で、冬の平均最低気温はマイナス15℃、平均最高気温はマイナス5℃に達し、札幌や旭川を下回る。夏の平均最高気温は20℃前後で、釧路と同程度である。夏は霧が多発する。
  • 県の経済・政治・行政の中心地であり、多くの官庁や企業が立地する。
    • 経済面では、第三次産業(サービス業)が中心となっている。近年は県の施策を受け、バイオ産業とIT・情報・コンテンツ産業の伸長も見られる。
    • 豊原駅から樺太神宮へと延びる神社通りの中間地点付近(東3条南6丁目)には樺太県庁があり、周辺が官庁街となっている。かつては近くに豊原市役所も存在したが、1996年に王子製紙工場の跡地に移転した。
    • 第二次産業(工業)も盛んで、軍川・北追分・唐松など近郊・郊外には工業団地が立地し、多くの工場や物流倉庫などが並んでいる。特に北追分の北斗ビールの本社・工場は有名で、見学者も多く訪れ市を代表する観光スポットにもなっている。かつては王子製紙の工場が立地していたが、工場の集約により1992年に閉鎖・解体され、現在は市立王子町小学校と樺太工業大学王子町キャンパスが跡地に建っている。
    • 第一次産業は農業が中心で、軍川、下並川、上亜庭など郊外で行われている。主な生産品としては、タマネギやカボチャ、ジャガイモなどが挙げられる。
  • 主な繁華街としては、市街地を南北に貫き神社通りと駅近くで直交する大通りが挙げられる。大通りには三越百貨店や複合型商業施設の北都スクエアが立地し、その他ビルや大小の路面店が並ぶ。また、三越百貨店前で大通りと直交する真岡通りや、前述の神社通りも代表的な繁華街である。
    • 繁華街にある大規模な商店街としては、市民の台所・間宮通り商店街(東2条南2~5丁目)がある。
    • 1980年代以降は商業の郊外化が進み、大沢・並川・清川などにはロードサイド型店舗の集積が見られる。
  • 市内には路面電車(豊原市電)が通っている。北豊原駅前から大沢駅前までを結ぶ南北線と、旭丘南2丁目から軍川までを結ぶ東西線の2系統がある。このうち東西線の北辰町-軍川は、JR豊真線の旧線を利用した専用軌道になっており、郊外と中心部を結ぶLRT的な役割も果たしている。
  • 大沢地区には航空自衛隊豊原分屯地が存在する。1975年までは大沢飛行場として旅客業務も行っていたが、落合市の落合空港が拡張・国際線対応したことによりその役目を終えた。
  • 日本が朝鮮を統治していた時代に徴用や出稼ぎで日本に来た朝鮮半島出身者、およびその子孫などが多く住んでいることでも知られる。東10条南9丁目周辺には韓国料理店などが並ぶコリアンタウンがあり、「世界最北のコリアンタウン」と呼ばれることもある(カナダ・バンクーバー郊外のコキットラムが世界最北ではないかという主張もある)。また、ロシア革命の時に日本に逃れてきたロシア・ポーランド・ベラルーシなどの出身者(いわゆる白系ロシア人)も、絶対的な人数は少ないものの居住している。
    • ロシア・東欧の影響は特に食に強く見られ、黒パンやボルシチが名物として知られている。
  • 観光地としては、市街地を一望することができる旭丘展望台、帝冠様式の建築が特徴の樺太県立博物館、遊園地も併設されている豊原公園、鈴谷川沿いの北辰園などがある。また、鈴谷岳をはじめとする鈴谷山脈の山々は登山愛好家に人気である。

豊北市

  • 豊原市の北にある人口約5万3千人の市。
  • 戦前までは農村だったが、戦後は豊原市と市街地が連続したベッドタウンとして発展。人口も1965年に1万人を突破、1986年に3万人を、そして1998年には4万人をと順調に増えてきた。2000年代に入りやや伸びが鈍化したが、2015年9月に単独市制施行条件の5万人に達し、翌年7月に市制を施行した。現在も人口増加率は県内一である。
  • 豊原市北部と一体化した草野・交通の要衝である小沼という2つの中心地がある。
  • 宅地化が進んだ現在でも農業が盛んで、特に近郊農業に関しては県内有数の規模である。県の農業試験場や県立豊北農林高校(旧・樺太庁拓殖学校)も立地している。
  • 郊外の川上温泉は豊原から気軽に行ける保養の地として人気で、スポーツチームや部活動の合宿地として使われることも多い。また、川上温泉地区や奥川上地区の伏瀧川沿いは樺太南部の川釣りのメッカである。

落合市

  • 豊原総合振興局北部にある人口約7万人の市。市名は「山と山の落ち合うところ」に由来するともいわれている。
  • 南部の大谷地区には県内唯一の国際空港である落合空港がある。空港ターミナルの真隣にJR樺太東線の落合空港駅があるほか、落合空港連絡道路で東樺太自動車道とつながっており、県庁所在地・豊原へのアクセスはかなり良い。
  • 肥沃な土地を生かし農業が盛んだが、2000年代以降は空港周辺にICなどの工場の立地も見られる。
  • 宮沢賢治も訪れた白鳥湖の湖面の約半分は落合市にある(残り半分は栄浜村)。JR落合駅前には宮沢賢治に関する資料館も存在する。

大泊市

  • 豊原総合振興局南部の都市で、人口約17万人を擁する県第二の都市。
  • 日本領有の初期には樺太庁が置かれ、旧制中学校も豊原より先に開校するなど、開拓黎明期には豊原以上の大都市として位置づけられていた。
  • 1923年には稚泊航路(稚内港駅-大泊港駅)が開業し、本土と結ばれた。戦後は鉄道車両を積載可能な旅客船が導入され、北海道と樺太とを結ぶ重要な交通手段として多くの人に利用されたが、航空機移動の低廉化に加え、1996年に宗谷海峡トンネルが開通したことにより、鉄道車両を載せての運行は終了した。現在は旅客のみの運用となっている。運行される海域は冬になると氷で閉ざされるため、船舶はすべて砕氷船である。
  • 市街地は江戸時代の久春古丹に由来する古くからの中心地・楠渓町、繁華街の栄町や本町大通、港湾エリアの船見の3つに分かれている。
  • 中心部には神楽岡という小高い丘があり、公園や住宅地として開発がなされている。頂上からは、亜庭湾を一望することができる。また、麓には亜庭神社が存在する。
  • 坂の多い地形であることと、連絡船の発着地点であることから、「北の下関」の異名を持つ。
  • 主要産業は漁業・水産物加工業と港湾での工業・貿易業。冬季になると亜庭湾が凍結し砕氷船以外の入港ができなくなるため、工業港としての地位は不凍港の真岡港に譲っている。
  • 平成の大合併では2005年に千歳町・深海村を編入。

内淵町

  • 落合市の西に位置する、人口約9500人の町。
  • 戦前から樺太人造石油株式会社(のちの帝国燃料興業、現・帝燃)の企業城下町として栄えた。人口が増加したため、1951年に落合町(現・落合市)から分離し内淵町として町制を施行した。
  • 戦後は帝国燃料興業がプラスチックなどの石油製品や天然ガスの生産にシフトし、さらに発展を遂げる。最盛期の1980年代前半には人口約1万4千人を数えた。しかしその後、大手化学メーカーの台頭により同社の経営が落ち込むと人員削減により人口減に転じ、2014年には1万人を割り込んでいる。
  • 現在も帝燃は規模を縮小して操業を続けており、工業の町となっている。第二次産業従事者の割合は他の同規模の町に比べ高い。
  • 町内に大きな商業施設はなく、買い物は落合市に依存している面が大きい。
  • 全国的にも数少なくなった、企業が所有する貨物専用の鉄道路線(帝燃内淵線、大谷駅-内淵駅)があり、工場で生産された製品を落合空港や大泊港・真岡港へと輸送している。1998年までは旅客輸送も行っていた。

川上町

  • 豊北市の西に位置する、人口約2000人の。人口の少なさからしばしば間違われるが、「」ではない。県内で最も小さな面積の市町村である。
  • 1970年代前半までは炭鉱で栄え、その勢いのままに1961年町制施行。山に囲まれた小さな町ながら人口約1万人を数えたこともあった。しかし、石炭需要の減少とともに衰退が進み、1987年に炭鉱が閉山すると人口が激減し、今では人口2000人を割り込んでいる。
  • 衰退が止まらない中、町は2006年「合併しない宣言」を発表し、独立を維持することを表明している。
  • 町内を通るJR川上線(小沼駅-川上炭山駅)は、元は炭鉱で産出された石炭を輸送するための路線であった。のちに旅客専用路線となったが、人口減による利用者の減少もあり、川上温泉駅(豊北市)以西の経営状況はかなり厳しい。JRは川上温泉駅-川上炭山駅の廃止およびバス転換を行う案を提示している。
  • 1934年、日本最初の恐竜の化石(ニッポノサウルス)が発見された地であり、古生物学者の中では有名な町である。
  • 中山地区には町営キャンプ場があるが、町の財政難により整備が不十分なところも多い。

留多加町

  • 豊原市の南にある、人口約3万3千人の町。町名はしばしば「るたか」と読まれるが、正確には「るうたか」である。
  • 亜庭湿原から西樺太山脈まで東西に長い町域を有している。亜庭湿原周辺や市街地外郭の平野部では近郊農業や稲作が、西部の山間部では林業が盛んである。
  • 豊原市・大泊市との境に位置する亜庭湿原には貴重な動植物が生息しており、生物学的に重要な地となっている。また、一部は国営亜庭湿原公園として開発がなされている。
  • 町北部の小里地区には新興住宅地がいくつか開発されており、豊原市のベッドタウンとなっている。
  • JR宗谷海峡線(稚内-豊原)と南樺鉄道(新場-留多加)という2つの鉄道路線が通っており、交通の便は悪くない。南樺鉄道は亜庭湿原と亜庭湾の間を走り抜ける非常に風光明媚な路線で、観光客や鉄道マニアからの人気も高い。
  • 大泊や真岡と違い、海沿いはあまり港湾として開発されておらず、自然のままの海岸が多く残っている。川口地区・浜路地区には海水浴場もあり、夏には賑わいを見せる。
  • 山間部の臥龍峡・豊仙峡は景勝地として知られている。

樺太長浜町

  • 大泊市の東にある、人口約8800人の町。
  • 現在県内に2つしかない、県名を冠した自治体の1つである(もう1つは樺太清水町)。1974年の町制施行の際、愛媛県長浜町との重複を避けるためにこの名前になった。
  • JR樺太東線が町内を通っており、起点となる樺太長浜駅があったが、2009年に大泊港-樺太長浜が廃止されたことにより町内から鉄道路線が消滅した。
  • 地邊讃湖や和愛湖、遠淵湖などの湖沼を擁しているが、アクセスの悪さが災いしてか、隣接する富内町よりも観光客は少ない。
  • 平成の大合併では、2007年に遠淵村と対等合併。2代目・樺太長浜町となった。

富内町

  • 総合振興局東部に位置する、人口約9700人の町。「とんない」と読む。
  • 戦前の富内村は1300km2を超える広大な面積を誇っており、戦後に富内村・喜美内村・落帆村に分割されたという経緯がある。その後富内・喜美内は町制施行し、2006年には富内町が落帆村を編入した。
  • 樺太有数の観光地であり、富内湖や恩洞湖・遠幌湖・能仁湖・頭場湖といった海跡湖と、オホーツク海に面した美しい海岸などが観光資源となっている。行楽シーズンには県内はもとより日本各地や海外から観光客が訪れる。また、各湖の湖畔には別荘地やペンションが開発されている。オホーツク海沿いの道はドライブコースとしても人気である。
  • 富内湖の面積は琵琶湖、多来加湖(敷香市)、霞ケ浦に次ぐ国内第4位の広さを誇る。また、頭場湖にはマリモが生息しているが、北海道の阿寒湖のものとは種が異なり、国の天然記念物に指定されている。
  • 第三セクター鉄道の富内湖岸観光鉄道(大泊港-富内、旧・国鉄富内線)が町内を通っている。国鉄富内線は廃止が危惧されていたが、町や大泊市の働きかけにより第三セクター方式での存続が決まった。「観光」と名前についているが、輸送人員の多くは通勤通学や買い物などで大泊に向かう富内町民である。
  • 観光業以外には漁業も盛んであり、富内港には多くの漁船が浮かんでいる。

喜美内町

  • 豊原市・大泊市・富内町に囲まれた、人口約1万4千人の町。戦後、富内村から分立した喜美内村が1966年に町制施行して成立した。キャッチコピーは殖民地から発展したことに由来する「フロンティアスピリット きみない」。
  • 戦前の上喜美内殖民地などに端を発する小麦栽培・酪農と、富内湖で行われる漁業が主要産業である。
  • 1990年代以降、北部の上喜美内地区などを中心に豊原市への通勤者及びその家族向けの住宅地が造成され、人口が増加した。豊原市中心部まで車で約30分と他の新興住宅地よりも距離はあるが、自然の豊かさや土地の広さなどから人気は高い。
  • 町北部の幌登岳は、県内では敷香岳に次ぐ高峰(1259m)であり、山の斜面にはスキー場や牧場が存在する。
  • 南部の山地を切り開いて開発されたオホーツク喜美内サーキットは、1周13kmもの長さを誇るサーキットである。激しいアップダウンに加え、ヘアピンカーブから超高速コーナーまで揃った過酷なコースレイアウトを特徴とし、さらに冬になると極寒の気候が車に負担をかける。そのため、冬には国内の自動車メーカーが寒冷地テストを行うことが多い。レースよりも車両開発のために主眼を置いた、比較的珍しい形式のサーキットである。

栄浜村

  • 落合市の北にある、人口約6600人の村。
  • オホーツク海に面した南北に細長い村で、海沿いに集落が点在する。漁業が盛んであり、特にサケやカニは村の特産品として知られる。
  • 市街地近くの琥珀海岸には琥珀が流れ着くことで有名で、一般人も拾って持ち帰ることができる。
  • 1923年に宮沢賢治がここを訪れており、詩「オホーツク挽歌」と童話「サガレンと八月」の舞台となったとされる。
  • 落合駅から栄浜駅までのJR樺太東線栄浜支線が村内を通っている。利用者は決して多くないが、村民の落合への交通手段として非常に重要な地位を占めている。

白縫村

  • 豊原総合振興局最北端に位置する、人口約1600人の村。「しらぬい」と読む。県内の市町村で最も人口が少ない。
  • 村名は主要2集落の「白浦」と「真縫」の合成だとされる。九州の「不知火」とは特に関係はない。
  • 小さな村だが、樺太の最狭部に位置しているため交通の要衝となっており、真縫駅はJR樺太東線とJR真久線が分岐・合流する駅である。
  • 主要産業は漁業・水産加工業と林業。カニの名産地として知られる。
  • 豊原総合振興局にありながら、真久線や真名トンネル(真縫-名寄)の影響で西海岸の泊居などとの結びつきが強い。最も近い同総合振興局の市は落合だが、買い物のために泊居に出る村民も少なくない。

亜庭村

  • 能登呂半島東部に位置する、人口約4000人の村。
  • 平成の大合併期間の2006年、三郷村と能登呂村が合併して誕生した。村名は亜庭湾にちなむ。村役場は旧三郷村のものを利用している。
  • 人口は北部の平地(主に旧三郷村)に集中し、旧能登呂村は最北部の雨龍浜を除き小規模な集落が海沿いに点在するのみである。各集落を結ぶ交通網は海沿いを走る国道一本のみに限られる。
  • 1996年に合併前の2村内に宗谷海峡線が開通し、豊原や稚内へのアクセスが向上した。なお、最南部の集落は豊原よりも稚内の方が距離的・時間的に近い。
  • 主要産業は旧三郷村や旧能登呂村北部で行われる酪農・小麦栽培と、海に面した各集落で行われる漁業・水産加工業。