+巨人・中日で活躍し、中日ではバッテリーコーチも務めた小田幸平のこと。[[2323]]でも有名((自身の運営する[[YouTubeチャンネル>https://www.youtube.com/@ch-pr3iv]]のタイトルも「元巨人・中日小田幸平の''はげ''ch」である。))。本項は1.について解説する。 +BCリーグ栃木及び中日でプレーした、尾田剛樹のこと。及び盗塁死・牽制死[[そのものを指す>ARAKAKI]]言葉。詳細は[[こちら>尾田くん]]。 政府開発援助(Official Development Assistance)とは特に関係はないので[[Wikipedia>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%BA%9C%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%8F%B4%E5%8A%A9]]を参照。 ~ *概要 [#l908bac8] 巨人時代は3番手捕手((正捕手は[[阿部慎之助>憤之助]]、2番手は村田善則。))ながら、バラエティーで「[[清原和博>プロリハビラー]]にいじられるメガネの選手((若手当時の小田は[[古田敦也>オッケーイ]]の影響もありメガネがトレードマークだった。中日移籍後レーシック手術を受けメガネが不要に。頭部が注目されるのは中日時代後半から。))」という位置づけで無名選手にしては一定の知名度を持っていた。2005年オフ、野口茂樹のFA移籍による人的補償として移籍した中日では「まさか小田がプロテクトされていないとは思わなかった。小田クラスの新人を取るには1億の契約金が必要」「ムードメーカーとしての役割も年俸に含まれる」とまで言われ、そのキャラクターが注目された((移籍後も古巣巨人との交流は続き『ズームイン‼サタデー』(日本テレビ系)」内のコーナー「[[プロ野球熱ケツ情報]]」に出演する常連(二軍広報という地位表現をされていた)だった。))。 「ODA」という愛称の由来は、ベンチのホワイトボードになぜか時々「ODA」と書かれていたことから。また、似顔絵や-o-o-と書かれることもあっる。 応援時にも「O・D・A(おー・でぃー・えー)」コールが行われるようになった。 2013年12月に著書「''ODA''52 15年以上、プロで生き残った2番手捕手の竜儀」を出版し、2014年まで現役でプレーした((野口は3年間で1勝止まり、対する小田は2番手捕手の座を9年確保した。))。 ~ *関連項目 [#e3e29406] -[[2323]] -[[ジョイナス]] ~ &tag(中日,なんJ);