2323

Last-modified: 2025-10-05 (日) 10:08:08

頭部が寂しい、もしくは寂しくなってきた人たちの頭髪を反語的に「フサフサ」の意で表現したもの。


概要

頭部が寂しくなってきた人たちの頭髪を逆説的に表現したもの。
対義語は9696(クログロ)*1

「はげしく」「はげ同」という言葉も、彼らに関する場合は「フサしく」「23しく」「フサ同」「23同」などとするのがお約束*2
動詞としても使われ、2323な選手が活躍したら「フサる」、逆に活躍できなければ「フサらない」となり、さらには該当する人たちの個人名の代わりに使われる(例「今日の先発は2323」「2323の采配」)ケースもある。
また活躍している人物については「生え抜けの選手」と言われることも。

代表的な人物

NPBに関わりがある存命中の人物に限定し、所属歴はNPB球団のみ記載。また、引退後に2323化した人物は含まない*3

投手

捕手

  • 的場直樹(元ダイエー/ソフトバンク→ロッテ)
  • 小田幸平(元巨人→中日)
  • 村田真一(元巨人)
  • 田村龍弘(ロッテ)
  • 木戸克彦(元阪神)*7
  • 岡崎太一(元阪神)
  • ウィリン・ロサリオ(元阪神)

野手

フロント(元選手除く)

  • 孫正義(ソフトバンクオーナー)
    • 孫の薄毛に対するイジりはソフトバンクが球団を買収する以前から存在し、ブリーフ&トランクスの『小フーガハゲ短調』をBGMに用いたFLASH動画『ハゲの歌』では多用されるほどだった。また買収前からソフトバンクグループの蔑称として「禿」が存在していたが、買収後にはそこから球団の別称(蔑称)に「禿鷹軍団」というものも生まれている。
      そんな孫は自身のTwitter(現X)にて、頭髪ネタでのイジりに対するリプライにて「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである。」と絶妙な切り返しを見せている。
  • 松浦竹松(元南海球団社長)*15

おまけ、対義語である9696の代表的人物


関連項目



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*1 髪の毛の多さのみならず、黒さも保っていることが条件。
*2 逆に通常の「はげしく」を2323な人物の実名に置き換えて「和田しく」「松中しく」などと表現することもある。
*3 長嶋茂雄王貞治岡田彰布などが該当。物故者である衣笠祥雄、大豊泰昭なども含めない。
*4 現役時代はファッションセンスなどから西武時代のチームメイトであった工藤公康清原和博と共に「新人類」と称され、さらに185cmの長身でスリムなことから西崎幸広阿波野秀幸・星野伸之らと「トレンディエース」と称され、女性ファンから絶大な支持を受けていたが、若い頃から薄毛の進行があり、さらに台湾・嘉南時代に屋台飯にはまったことが原因で太り気味にもなってしまった。
選手達にも「今じゃ信じられないだろうが、昔はこれでも西崎さん・阿波野さんと並んでイケメンと言われていたんだ」と自虐的にジョークを飛ばしている。

*5 現役時代にワインドアップ投法で腕を挙げた際に帽子が脱げて頭が露呈したことがウケて自ら「テカテカ投法→ピッカリ投法」と命名したりとその「明るさ」で有名だった。サントリードリームマッチ等のOB戦で登板する時は和田一浩と小田幸平と審判をも巻き込んだ「ピッカリ劇場」を仕込むのが定番となっていた。
*6 Twitter(現X)で自ら薄毛との戦いを告白している。
*7 阪神暗黒時代のジョークで「最高のキャッチャーは山田の肩、木戸の頭脳、関川の打撃、最悪のキャッチャーは山田の打撃、木戸の肩、関川の頭脳」というものがあったが、最悪の方に「木戸の髪型」というものがあった。
*8 度々自分から頭髪をネタにしており、場を盛り上げるためなら自身の頭髪をギャグにすることも厭わない明るい人格者として知られる。横浜監督就任直後の2002年にチームで行われた納会では、選手たちに「私の頭のようになってほしい。ケガなく明るく輝いてほしい」という言葉を贈った。またファーム球団・くふうハヤテベンチャーズ静岡の運営会社ハヤテ223(フジサン)の初代GMに就任した際、223を2323と錯覚する人が出た。
*9 後年の薬物事件から「薬物の影響で禿げたのではないか」との声も聞かれた。実際、実際、芸能人でも田代まさしや高橋祐也などの覚せい剤使用が発覚した芸能人の頭皮が薄くなっているが、清原に関しては法廷画などを見るとそのような気配は全くなかった。
*10 2023年シーズンから翌年までヘッドコーチを務め、「福浦ヘッドコーチ(意味深)」とネタにされた他、後述の掛布同様習志野高校出身であることから「習志野OBはハゲる」ともネタにされている。
*11 阪神時代には頭髪を揶揄した「カッパ」や「和田」、果ては不動起用を揶揄し、かっぱえびせんのキャッチコピー「やめられない、とまらない」を捩った「やめられないとまらないカッパスタメン」などと揶揄されていた。なお引退後は髪量が増えた。
*12 ロッテ時代はロン毛がトレードマークであったが、阪神入団後から前髪が後退しつつある。
*13 30代に入った80年代後半あたりから後頭部の脱毛が著しくなった。
*14 大洋時代、前述の山下にヘルメットから帽子への早替えを伝授した。
*15 「鳥なら禿鷹が一番強い」と球団名が「南海コンドルス」と決まりかけたが、松浦が差し出された書類に判を押そうとせず、球団職員が「ハゲタカという言葉に引っかかっているのではないか」と気づき始め、気を利かせた球団職員が「禿鷹の禿はやめて、ただの鷹、つまり南海ホークスはどうでしょう」と言い、松浦は黙って判を押した。これが70年以上に亘って呼ばれ続ける「ホークス」の誕生秘話である。
*16 2003年も開幕投手を任され、黒星を喫したものの、6月・7月に4戦連続完投勝利を挙げ、8月2日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)の完封勝利で自身12連勝を記録。連勝中は験担ぎとして髪を切らなかったため、約3か月も髪を伸ばしっぱなしになりアフロヘアーのような髪型になっていた。なお同年にはオールスターゲームのファン投票でセ・リーグの先発投手部門にて2位得票ながら選出されたが、これは1位得票の中日・川崎憲次郎が故障により出場を辞退したことによるものである。