目次
注意書き
当SSはネちょ学SSです。
ご出演者の方のお叱りを受けた場合、謝罪と共に削除させていただきます。
序
桜の花が艶やかに散っていく。
その中をこれからの三年間、着続けていくであろう制服を着た新入生達が歩いている。真新しい制服は入学式の今日の日だけは晴れ着だ。桜に負けず劣らず艶やかに新入生達を彩っていた。
だが、そんな新入生達を屋上で眺める、新入生の一人である彼は桜も人間も嫌いだった。彼の中では桜吹雪は血飛沫を思い起こさせるから嫌いだった。人間はただ理由もなく嫌いだった。
だから、彼は入学式の時間はここで過ごすつもりだった。
入学式に出ないつもりなのならば、学園にいる必要はないのだが、如何せん、彼はこの学園の寮に入っていた。仕方なく、学園に行くふりをして、現在はここで新入生達と桜を眺める。
彼の口から溜息が漏れる。
新しい生活が始まる期待と緊張。新入生は皆、それを持つものだ。現に遠くから眺めているにも関わらず、そんな期待や緊張が伝わってくる。しかし、彼にはそんなもの感情は一切、浮かんでこなかった。小学生五年生にして身寄りもなく、天涯孤独の身となった上、それ以前の記憶がない彼にとっては、そんな期待も緊張も無縁だった。更に人間嫌いが孤立を助長し、彼が円満な中学生活を送る未来を閉ざしていた。彼もそれを自覚している。自覚して、それでいいと思っている。
「人間は嫌いだ」
声に出して言ってみると、彼自身が人間ではないように聞こえた。だが、彼は確かに人間の姿をして、人間としての生活を送っている。彼自身も自分が人間であることに疑いを持っていない。それでも、彼は人間が嫌いだった。理由はわからないが、嫌いだった。これからもずっと、人間が嫌いなのだろう。そんな確信が彼の中にはあった。
やがて、桜吹雪と新入生達を眺めるのも飽きたのか、彼は日光が遮られる場所に移動し、眠りについた。
夢の中の彼は、孤独ではなかった。
何時も、彼の横には姉と思える人間がいた。いや、人間なのだろうか。彼は彼女を見る度に人間である事を疑う。最早、生まれついての人間嫌いと言っても過言ではない彼がこうも毎日、同じ人間の夢を見るだろうか。その人間に手を握られて、安らぐなどという感想を抱くだろうか。何より、その人間に好意を抱いているなどという事があるだろうか。
彼は無意識に彼女が人間ではないと確信していた。しかし、人間以外に人間の姿をしたものなど存在しないのだ。その当然の常識が彼の確信を阻んだ。
疑問は解決しない。ただ、夢の中でもある彼の意識は自分の肉親だろうと納得するしかなかった。それ以外に納得できる答えがない。でなければ、彼女が本当に人間以外の何かとしか思えないからだ。幸いと言っていいのかわからないが、彼は記憶を失っている。だから、彼女が人間であると彼は辛うじて、納得させる事ができた。それでも、彼は彼女が人以外の何かであるという考えを捨てられなかった。
夢の中の彼女はただ、ひたすらに彼に優しかった。今、見ている夢でもその優しさは変らずに彼に向けられている。その優しさがくすぐったく、夢を見る彼は意識だけでも微笑んでしまう。
撫でられる幼い彼。
撫でている彼女。
それは彼が幼い頃の記憶なのだろう。彼は幼い頃の自分の姿を見て、その夢が記憶を失う前のものだと断定する。だが、失われた記憶の夢故に、その映像の幼い彼が何を考えているか、何を喋っているか、その全てわからなかった。わかるのは映像だけだった。それだけでも、彼の心は癒されるのだった。
料理を作る彼女。
それを手伝う幼い彼。
幼い彼が拙い手付きで手伝うのを心配してか、彼女は指を包丁で切ってしまった。
その指を彼女は幼い彼に向ける。
幼い彼は、なんの疑問も抱かずに、そうすることが自然だという様に、彼女の傷口を舐め、血を啜った。
夢を見る彼も、その動作が全て自然に見えた。だが、それは何かおかしいと次の瞬間に感じた。一瞬、何の疑問も挟む余地もないと思ったが、それは違う。確かに唾液には消毒作用がある。舐めて消毒するという事もあるだろう。それでも、おかしいと彼は感じた。舐めるだけなら彼も納得した。しかし、幼い彼は舐めるだけではなく、血を啜っていた。舐める際に口の中に血が入るのは仕方がないのだが、幼い彼は血を啜っていたのだ。普通はしない事だ。
彼が夢に意識を戻すと、彼女もそれが自然な事のように微笑んでいた。
血を啜られる事は彼女にとって、それは自然な事なのだろう。
そして、血を啜る事は幼い彼にとっても、自然な事なのだ。
それは人が送る日常とは少し逸脱していた。
血を与える姉に、血を啜る弟。
そこで、彼の夢は途絶えた。
彼の目が醒めて、また入学式前の様子を覗おうと彼が日陰から出てくると、目の前に夢に出てきた彼女に似た少女が立っていた。夢の彼女が成長したら、目の前の少女のような姿になっただろう。彼はそう思い、少女を見つめた。
それが、彼と少女の初めての邂逅だった。
Reverse Side
桜の花が艶やかに散っていく。
その中をこれからの三年間、着続けていくであろう制服を着た新入生達が歩いている。真新しい制服は入学式の今日の日だけは晴れ着だ。桜に負けず劣らず艶やかに新入生達を彩っていた。
だが、そんな新入生達を屋上で眺める、中等部の三年生である彼女は桜も人間も嫌いだった。彼女の中では桜吹雪は血飛沫を思い起こさせるから嫌いだった。人間は彼女を迫害してきたから嫌いだった。しかし、今日は入学式で、中等部の三年生である彼女には関係のない行事だった。入学式に出席するのは新入生だけでいいのだ。三年生である彼女は学園にいる必要すらない。でも、彼女はここで新入生を眺めたかった。もう、会う事のない、死んだ弟が同じ学園に来るのだから。
弟の魔力の波長は今でもよく覚えている。弱々しくなってしまっているが、それでも同じ学園の同じ校舎にいるとなれば、強く、近くに感じられる。懐かしい感覚が彼女を包み込んで、かつて弟と過ごした日々を思い起こさせる。
共に喜んだ日々。
共に怒りに身を任せた日々。
共に悲しんだ日々。
共に楽しんだ日々。
互いの血を与え合った日々。
弟が殺された日。
「人間は嫌いだね」
弟を殺したのは人間だ。彼女にも弟にも人間に危害を加える気はなかった。だが、人間から見れば、そうは思えなかったのだろう。だから、弟は殺された。身体を拘束されて、銀の剣を腹に刺し込まれ、内臓を抉るように、骨を削り割るように、刺した剣で何度も何度も腹を掻き回し、それからようやく、真っ二つに身体を裂かれた。そうして彼女の弟は死んだ。それでも、彼女は人間を憎む訳にはいかなかった。死んだ弟の為にも、彼女の為にも、憎む訳にはいかなかったのだ。そんな煉獄が彼女を焼くのだ。それ故、彼女は人間が嫌いだった。
そうして死んだ弟が今日、彼女と同じ中等部に入ってくる。彼女は弟に会うわけにはいかなかったが、一目だけでもその姿を見たかった。同じ学園にいるのだ。これからは何度かその姿を目にする事もあるだろう。そう思うと、彼女は嬉しくなり、微笑んだ。
しかし、彼女は弟に会うわけにはいかなかった。弟が死んだ日から、そうしなければならなかった。そうしなければならなかったが、彼女はこの学園でしか身を隠すことができなかった。そうして得た平穏を手放せば、彼女は人類の敵対者となってしまっていた。それを防ぐ為にも、彼女はこの学園から離れられなかった。例え、弟をこちら側に引きこんでしまうとしても、人類と敵対するわけにはいかなかった。彼女をこの学園に呼んだある人物もそれを勧めた。だから、彼女はこの学園に身を置き続けていた。
弟の姿が見付からない。彼女は必死に探すが、どこにも弟の姿は見当たらなかった。弟の魔力は感じているのだが、肝心の姿だけが見当たらない。何故だろうと、考えていると彼女は最悪であろう結論に達した。弟の魔力の波長が近過ぎる。弟の弱々しい魔力がここまで強く感じられるという事はそれ以外に理由がない。ならば、彼女は弟に見付からない内に、ここから立ち去る必要があった。
だが、それは叶わなかった。
物陰から出てくる弟。
それが彼女と弟の再会であった。
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