情報
| 異名 | 【日本一の子分】【イケイケの山健】【ピス健】 |
|---|---|
| 性別 | 男/男 |
| 性格 | 寛容 |
| 人称 | 俺/お前 |
| 年齢 | 97歳 |
| 生年月日 | 1925年3月5日 |
| 体格 | 176cm/86kg |
| 容姿 | ![]() |
| 好き | 銀シャリ |
| 得意 | 演歌 |
| 嫌い | ヤク |
| 苦手 | なし |
| 出身 | 兵庫県・神戸市 |
| 所属 | 三代目山王会/山健組・組長 |
| 位階 | X |
日本最大規模の極道組織である「山王会」の本家執行部・舎弟頭を務める大物で、直参組織の「山健組」組長。会長の護衛役を務める直属部隊の筆頭格。麻薬追放・撲滅を目指す「国土浄化連盟」も創設しておりヤクの使用を厳重に禁止している。常に懐中に拳銃を持っているので「ピス健」と呼ばれる。山王会内においては主に武闘派として「夜桜朱事件」や「広島抗争」など数々の抗争で功績を挙げる事により山健組の地位を不動のものとした。1978年には保釈中の身でありながら「大阪戦争*1」の陣頭指揮を執り抗争終結の記者会見を開く等した為、再び収監を喰らった。組内での立場は四天王の柳川・夜桜・小西・武中、ボンノこと菅谷以上とも噂され「イケイケの山健」と呼ばれる。
少年時代は穏やかな性格で頭の良い少年だった。1942年に大阪電気学校を卒業したのち横須賀海軍工廠に勤めたが召集され1945年に鳥取の部隊に入隊。終戦後は神戸に戻ったものの家族の消息も掴めず、自暴自棄となって無頼の生活に入っていった。1951年頃、三代目山王会で若頭を務めていた地道行雄の賭場でトラブルを起こし、その度胸を買われて地道の若衆となって山王会の傘下に入った。1961年に山健組を結成。1963年に田岡の提案で設けられた執行部体制の下で若頭補佐役に就く。その後一時若頭補佐から外れるが1968年の新体制で再び若頭補佐に就任。更に1971年には当時の舎弟頭の「梶原清晴(梶原組組長)」が大隅諸島の硫黄島で磯釣り中に溺死した事により同年9月に後任の舎弟頭に就任。当初山健は最高幹部間で行われた入れ札(選挙)で山広組組長の「山本広和」に2対4で敗れていたが田岡の指名により逆転就任する事となった*2。
超武闘派と称される一方で回りの者にはとても温厚で明確な非が無い限り自分の若い者を怒鳴りつけたり殴るような事のない人物であり、当時まだ若かった舎弟がボディーガード役として彼の麻雀に付いていた時、つい居眠りした事があったが山本は叱る所か舎弟を起こす事もなく「そのまま寝かせといてやれ」と一人で帰ってしまったほど寛大な性格の持ち主。本家の執行部という最高幹部でありながら名前も知らない他の系列組織の末端組員がすれ違う時に目礼した際には笑顔で微笑み返す器の広さもある。その実力・人望を合わせ組織内外問わず誰もが認めた超一流の極道であり、次期若頭候補に真っ先に挙げられている程。会長の護衛役としての忠誠心と意識はずば抜けて強く、体調不良で高熱があってもボディーガードを務め、会長が親しい親分衆と深夜まで賭博していた時も部屋の片隅で正座を崩さず、眠気に襲われた時は画鋲を太腿に刺して眠気を覚ましたという。昭和の頃は電話のリダイヤル機能が無かったため子分が親分の主要な連絡先を記録していたが、会長を待たせまいと自ら1000件近くの連絡先を暗記した。かつて起きた雷電会長狙撃事件「ベラミ事件」では誰もが戦慄する程の怒りと憎悪を爆発させておりえげつない報復を仕掛けた。しかし好き嫌いが激しく例え先輩であろうと極道として尊敬出来ない相手にはそれを態度に出す。年の若い後輩であっても武中正久らの様に極道として認めた相手なら「健ちゃん」と呼ばれてもニコニコして愛想よく答えるが、そうでない相手には取り付く島もないらしい。
山王会の中でも随一と言えるドスの使い手で、柄尻を押し込んで相手の腹中央に深々と突き刺し一気に振り上げて掻っ捌くという一連の動作が基本。会長のボディガードらしくキックボクシングをベースとした格闘術にも長け、鍛え抜かれた拳やキックは目撃者から「交通事故」と例えられており強靭な足腰から生み出される瞬発力により一気にゼロ距離まで間合いを詰める事が出来る。同時に繰り出す拳とドスを織り交ぜた連撃はマシンガンの様な激しい攻撃と化し、全てを回避する事は不可能なレベル。高い速度と高度なテクニックを併せ持つ王道のテクニカルファイターであるが気配遮断にも優れており、ヒットマンとして出せば敵組長のタマを警察に悟られる事なく的確に取ってみせる。
ミニヤクザデータ
山本 広和
| 容姿 | ![]() |
|---|---|
| 異名 | 【山広】【明後日の広ちゃん】 |
| 性別 | 女/中 |
| 性格 | 真面目 |
| 人称 | ワシ/アンタ |
| 年齢 | 97歳 |
| 生年月日 | 1925年2月15日 |
| 体格 | 174cm/50kg |
| 出身 | 兵庫県・津名郡都志村 |
| 所属 | 三代目山王会・舎弟頭補佐兼本部長代行/三和会・会長 |
| 位階 | SSS |
ヤマケンこと山本健一と並ぶ山王会の二大山本姓のヤクザで、直参組織の「三和会」の会長。通称は「山広」。前身は「山広組」で組織拡大に伴って三和会に改名した。三和会は7300人の構成員を抱え主に金融や債権取立て、企業舎弟による総会屋をシノギとしている。舎弟頭の山本健一とは同期にして彼の補佐や山王会本部長の代行も務める。
外見は穏やかな女性と言った所でファッションも若い女性的なものであり、夜桜や白神など女ヤクザやマフィアでも一定の覇気や怖さを有しているのに対して山広はそれも持っていない事から、これが山王会本家の大幹部かと疑われる程だが、そう言うのに限ってヤバいのがヤクザの世界。山広もまた内に秘める狂気とそれを顕にした際の恐ろしさは職業相当である。ある親分は「深夜アニメのヒロインがいきなりVシネの悪党になる様なもの」と端的にその怖さを評している。
兵庫県の都志村にて「出口千代吉」の三女として出生。 2歳の時に姉の嫁ぎ先に養子に出て以降「山本」姓を名乗る様になる。嫁ぎ先では義親に疎まれネグレクトや暴力などの虐待を受けており、小学生時代の山広は納豆売りをしてノートや文房具を買うなど貧しい生活を送った。働く傍ら学校へ通い神戸市兵庫区の兵庫高等小学校を卒業後はそれまでの虐待の報復をする形で義親を木刀でボコボコにし自立した。戦後は尼崎市の土建業「白石組」の若衆となり、暫く白石の下で土木業務や神戸港の港湾荷役業務などに従事して頭角を現し実績を出していった。白石が三代目山王会会長・田岡の舎弟だった事から1956年に山王会本家の若衆として直参に昇格。翌年の1957年には早くも山王会若頭補佐の要職に就いたが自身で山広組を結成するにあたり1960年に若頭補佐を退任し翌年には盟友会事件に絡んで懲役2年の実刑で収監され、出所後の1964年に再び直参として山王会に復帰。1976年の山王会東京進出時にはいち早く行動を起こし確固たる地盤を築く。1990年に起きた「八王子抗争」の後、八王子に傘下の「正東会」が地位を確立した事で組織名を三和会に改名した。
山王会でも濃厚かつ真面目な人物として評価が高いが、根底には仁義を一切考えない卑劣な手を躊躇なく下せる狂気じみた行動力があり必要とあらばヤクザだとしても超えてはいけないような一線すら易々と超えてみせる。一例として敵対組織の女を嬉々と拷問に掛けて口を割らせるのが得意*3。状況次第では部下どころかトップ層の会長や若頭に無断で独断行動を取り、病気を理由に本部の義理ごとを欠席していながら友人関係の芸能人と祝宴を開くなど問題行動も目立つ。独裁者的な面もあり地頭の良さを盾に自分の命令を忠実に遂行出来なかった部下には殺意満々のヤキを入れ、拳銃で撃たれた舎弟もいる。一方で薄汚い欲に走って外道なシノギに手を染めるマネはしておらず腐りきった外道共と違い悪人ではあるが人並み程度の倫理感は一応持ち合わせている事も窺える。若い頃は抗争に消極的で難局を嫌う性分から松田組との大阪戦争では消極的な態度を取り、部下のケジメすら能力を考慮して先伸ばしにする為「明後日の広ちゃん」と揶揄されていた。現在ではどんな仕事や面倒事も2日以内には解決する手腕から揶揄ではなく仕事の速さや決断力を評価され明後日の広ちゃんと謳われる様になった。
カタギや警察からは何かとヤマケンと比較されているが、五分の兄弟の加茂田は「仮に山広がボンクラやったとして何で山王会本部長代行とか入れ札を山健とやる程の地位に就くなんて事になるんや。そんな話があってたまるか」と語っており、敵対組織と交渉の際には懐に大量の手榴弾を忍ばせ「首を縦に振らなかったら爆発させるぞ」と脅すなど肚の座り方も常軌を逸している。
得物はダブルナイフで攻撃でも防御でも優秀な実力を見せる。斬撃を合間に入れられてもそれを笑いながら受け止め、目突きも眉一つ動かさずに額で受けて逆にダメージを負わせる等、スピードも反射神経も非常に優れている。予備動作0の投擲物を間一髪で避けたり、発勁を瞬時にクロスガードで受けるなど回避術も優れている。咄嗟の判断能力も備えており、相手の行動を予測して見抜く力や不意打ちの攻撃も瞬時に最適解を導いてダメージを最小限に抑える。
ミニヤクザ史・ベラミ事件
大阪戦争で鳴海の所属していた松田組 村田組 大日本正義団の組長「吉田芳弘」が1976年10月、大阪日本橋の路上で佐々木組組員に射殺された。これへの報復として鳴海は山王会会長・雷電の狙撃を計画。京都市の京阪三条駅前のクラブ「ベラミ」が彼の行きつけだとの情報を入手し数ヵ月前から同店に通い詰めて彼の来店を待ち伏せた。
1978年7月11日、映画を製作していた太秦の撮影所を訪れた雷電が、その帰り道に妻や傘下組長、映画関係者5人を引き連れて同店を訪れた。 鳴海は店の隅に座っていたがダンスショーが終わった瞬間を捉えて雷電のテーブルに近づき、斜め後ろ約4mの距離から5発銃撃。銃弾は雷電の首筋を貫き流れ弾は付近にいた無関係の客3名と会長の妻に当たり重軽傷を負わせた。本来ならば容易く返り討ちに出来る筈だったが周囲にカタギが沢山いた上、避ければ自身の妻にも危害が及ぶ事から彼らを守る為に身を挺して敢えて撃たれた。店内には50人前後の客や従業員がおり騒然とする中を鳴海は立ち去り阪急電車で大阪方面に逃走。2日後には鳴海の犯行と判明した。鳴海は松田組と忠成会の保護下に置かれたが、愛人に会う為に大阪に戻ったり雷電会長あてに挑戦状を送るなど大胆な行動を続けた。「大物を撃った」ことを鼻にかける言動も多かったため周囲は手を焼く一方、野放しにする訳にもいかず組織内の負担は大きなものとなっていった。
これに山王会側は激怒し、中でも山本健一の怒りに火をつけた。鳴海を追跡する一方で山本は容赦のない攻撃指令を出し、報復は山本率いる山健組を中心に宅見組などが参加した。そして一足先に情報を得た山健組の苛烈な報復により鳴海は捕まり、同年9月17日、六甲山中の瑞宝寺谷で鳴海の死体が発見された。また、柳川組による松田組系傘下の組員への襲撃や二代目夜桜一家の松田組事務所乱射事件、が起きる事態となった。鳴海の死体はガムテープでグルグル巻きにされ、連日の暑さで腐乱していた。顔は白骨化し、指先は崩れて指紋採取は不可能だった。身体中の肉が削られており、歯は全て圧し折られ、手指の爪も全てはがされていた。松田組との手打ちさえ望まない山本健一は11月1日に報道陣を神戸の田岡邸に招いて一方的に抗争終結を宣言。松田組も終結宣言を大阪府警に提出し大阪戦争は終結した。この時、大日本正義団600人に対し山王会は130万人。勝ち目の無い戦である事は明白だった。
この事件後、雷電はベラミのママや社員らを料亭へ呼び、迷惑を掛けたと謝罪した上で「自分を含めて暴力団関係者は今後一切入らせない」と約束した。
台詞
- 「親分を守るのは俺の責務。お気になさらず」
- 「ケンカして金とるのは一番の恥ですわ。人間の命、これ金で買えますか?若衆の命を金で売り買いするようなこと習うた事もないしね」
- 「俺だけなら勝手口でもええ。せやけもな俺が親分の名代で来てんだわ。こそこそ裏から入られるか。大きい門があるんだったら其処から入る。どうでも開けて貰うで*4」
進化異能【迅速駆断】
| 位階:SS/等級:classⅨ/系統:フィールダー |
全ての"速さ"に纏わる現象を操る事が可能。物体のスピードを速める基本的な事から対象の肉体の衰えるスピードを加速し老化させてボロボロにする、投げた石を加速し銃弾の様な破壊力を生む、時間そのものを加速させる等、応用範囲は非常に広い。当然ながら自身の肉体にも適用可能で、負傷した部分の再生速度を大幅に早めて即回復したり、移動や攻撃のスピードを底上げしたりも出来る。また、能力発動中は他の生物や現象が超スローモーションで動いているように見える為、先ず物理的な攻撃では彼に触れる事すら出来ず、異能で攻撃しようにも後出しジャンケンの如く視認してから攻撃出来るので対応は非常に困難。
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